アイーシャ夫人と初めて会った翌日。
約束通り昼に軍隊を引き連れて、アイーシャ夫人がやって来たんだが……まあひどい。
貸し出されたのは百人ほど━━━━一個中隊程度だが、士気が恐ろしく高い。全員の目がギラギラと輝いてるせいで、関係の無い村人が怯えてるぞ。
魅了の権能を使ったせいか、夫人のためなら命も惜しくないって感じだ。このままクーデターを起こせって夫人が言ったら、王宮をマジで襲撃するんじゃないか。
そんな連中を背にして、「皆と仲良くして下さいね~」なんて本気で言ってるアイーシャ夫人には、無邪気以前に空恐ろしいものを感じるぜ。
イレアナも同じ気持ちのようで、夫人を怪物でも見るような目で見てる。実際に
用意されていた俺達の分の戦車に乗り、村を出発する。気分は正直、最悪だ。こんな気持ちになるのは、脱衣ゲームで覗きがバレてアリア達に捕まった時以来だよ。
歩兵達の速度に合わせてるせいで、移動そのものはそんなに負担がかからない。それはいいんだが……周りの兵がメッチャ俺達を見て来る。アイーシャ夫人に何かするのではないかと警戒されているらしい。居心地悪いなあ……。
針のむしろのような気分をイレアナと二人であじわいつつ戦車に揺られていると、進路上にあったオアシスに着いた。ここで休憩の時間をとるらしい。
木陰に入って敷物を敷き、持って来た食料を広げる。今回持って来たのは、俺が狩って来た水牛や魚を燻製にしたものや、エレトさんが焼いて持たせてくれたパン、薬と交換で貰った野菜を保存食にしたもの等だ。
なんというか……武偵校に居た頃とかよりも、今の食事の方が豪華だよな。肉が食えてるだけあの頃よりマシだし。……考えてたらなんか鬱になってきたぞ。やめよう。
「イレアナ、お前は食わないのか?」
「……いい。私にはこれがあるから」
俺の隣に座ったものの、モジモジしていたイレアナに食べ物を分けるか訊くと、イレアナは歪なパンを取り出した。
ところどころ焦げつき、なにか薬草でも入れたせいか緑色のそれは、明らかにエレトさんのものとは違う。
「これ、お前が作ってくれたのか?」
「…………」
俺の問いに、恥ずかしそうに顔を赤らめて俯くイレアナ。いつぞやのレキにも通じる、小動物的な可愛さを感じるな。
「……エレトさんが王様に食べてもらえって、押し込んで来たの。失敗したから嫌ですと言っても……」
絞り出すように、イレアナが答える。
なるほど、世話好きなあの人らしいや。ここで食べなかったら後で何か言われそうだし、食べとくか。
「それ、貰うぞ」
「あっ!?」
イレアナから取り上げたパンをちぎり、口に運ぶ。
うーん。見た目からわかる通りちょっと焦げてるし、なにかの植物らしく苦いんだが……少なくとも食えないほど不味かったり、無機物の塊だったりはしない。いけるいける。
「十分美味いぜ、イレアナ」
前にアリアに脅されたこともあり、まずは褒めておく。実際、店売りとかには及ばないけど、食べるには十分な出来だしな。かつて食わされた、アリアがアルミとチョコとももまんから錬成したとおぼしき『チョコももまん』を褒めるよりずっとイージーですよ。
「…………」
俺の言葉を聞いたイレアナは、真っ赤になってまた俯いてしまった。褒め方、間違ったかなあ……。
その後は黙々と二人で昼食をとり、再び戦車に乗って移動する。一晩野宿で明かしてから村の一つに到着し、治療を始めたんだが……それはうまく行った。
その後がむしろ問題で、アイーシャ夫人にとことん振り回されることになった。
いつの間にか居なくなった夫人を探してみると、お礼の大宴会に勝手に参加していたり、かと思えば「いけません、急がないと!」なんて突然言い出して夜中に一人だけ出発しようと砂漠に向かったりし出すんだよな。
当然、魅了されている軍隊はいちいち蜂の巣をつついたような騒ぎになる上、アイーシャ夫人の動きに同調するどころか、問題を大きくしつつ彼女に従って動く。
俺達もそれに付き合わされるわけで、そこから十日間はまともに眠れてない。俺達が疲労と縁の無い吸血鬼じゃなけりゃ、確実にブッ倒れてるところだった。
連れている兵達も疲弊してるハズなんだが……隈を目の下に作っててもぎらついた目は相変わらずで、余計に不気味さを増してる。
そんな惨状のままさらに南へ下り、今はとある村で夜営している。
明日への準備も既に終わり、あとは寝るだけだったので、俺が何をするでもなく空を眺めていると━━━━━空を青い星が駆けた。
今のはもしや、魔女術でいう飛行術か? かつてイレアナが使っていた光と同じだ。
「さっきの光をどう思う?」
振り返って専門家に確認すると、イレアナは真剣な顔で言う。
「飛行術で間違いない。魔女があれで移動しているということは、何かあったのかもしれない」
やっぱりか……あれを見て、俺も胸騒ぎを覚えてるんだよな。ただでさえ神による疫病が流行ってるんだから、さらに何か起こっててもおかしくないし。
「イレアナ。俺はさっきの光を追って調べて来るから、アイーシャ夫人達への説明を頼む。何か分かれば、念話で連絡する」
「了解。気をつけてね、王様」
翼を展開した俺は一気に上空へ昇り、先ほどの光を探す。…………見つけた。どうやら北の方角━━━━王都の方へ向かってるな。
俺も同様に北に進路をとり、魔女を尾行しつつ飛行する。そのまま数時間飛び続け、空が白み出した頃に王都に着いた。
王都の門前に降り立った相手の前に俺も翼を仕舞いつつ降り、彼女を通さないようにする。
「あなたは何ゆえ、私を追って来たのですか。ことと次第によってはただでは済ませませんよ?」
剣呑な雰囲気で俺を睨んでくるのは、三十才ほどのきつい目付きの女性だ。神官服のような白い衣装を着てるな。
「たまたまあんたを見かけて、何か起こったかと思って付いて来ただけさ。状況によっちゃ、俺が助けにもなるかと思ってね」
「あなたが何者で、どういうつもりなのかは解りかねますが……もう既に、事態は人間にどうにかできる範疇にありません。さっさと消えなさい」
「
不敵にそう言いつつ、俺はわざと呪力を渦巻かせて変化する。これなら何よりの証明になるだろう。
その効果はてきめんで、莫大な呪力を感じた魔女は顔を真っ青にし、地面が砂にも関わらず平伏した。
「かっ、神殺しの君とは露知らず、とんだ無礼を働いたことをお許し下さい。どうか私を処分するのは、今しばらくお待ちいただきたく」
「あー、処分云々は一旦置いとくとして。まずは顔を上げてから、何が起きてるか教えてくれ」
肩を震わせながら平伏しているのを見ていられず、俺がそう言うと顔を上げてくれた。
「ありがとうございます。実は私は、デンデラの神殿にて奉仕する巫女の職分を果たしております。そこではとある神具を奉っておりましたが、それが咋晩━━━━アレクサンドル某と名乗る男に奪われたのです。……どうかされましたか?」
「いいや、なんでもない。話を続けてくれ」
話を聞いて思わず額を押さえた俺を、魔女が心配そうに見て来る。俺は頭痛をこらえつつ、先を促した。
「その神具は、とある神を封印する術式の中核を担っていたものでして。元々弱まってきていた封印が完全に機能を失ってしまい、神の復活を阻止することが不可能となったのです」
……アレクの野郎、とんでもないことをやってくれやがったな。神を封印するような神具に心惹かれて、つい盗っちまったわけかよ。あいつはカンピオーネだから自分でなんとかできるかもしれんが、周りがどうなるかちょっとでも考えなかったのか。
とはいえ、今はあいつを糾弾してるヒマはない。
「封印されてる神はわかるか? 復活しそうな時間も教えてくれると助かる」
「はい。封じられている神はハトホル神、復活は今晩かと思われます」
ハトホルか……たしか、多くの神の妻や母とされ、王座についたホルスとも関わりの深い女神だったか。またビッグネームが来たな。
敵が大物でも、同郷のカンピオーネが引き金を引いた事件だ。無関係ですと知らんぷりはできん。確実に死闘になるだろうが────やるしかない。
得た情報を伝えるべく、俺はイレアナに念話をかけるのだった。
というわけで、一連の原因はハトホル神でした。
伏線はエジプトという立地、疫病、護符の件の三つです。
疫病と護符はハトホル神の姿のひとつとされるセクメト神からきております。
古代エジプトでは、病よけの御守りにセクメトがよく使われていたので、イレアナも最初はそれを作っていました。
しかし、封印されていたとはいえ、神による病を同じ力を使って退けることは難しかったため、効果がなかったわけです。
そこで、相性がよい太陽系の護符で対抗するという手をとりました