ハトホルを討伐した次の日の昼。俺はアイーシャ夫人と接触するべく、よく晴れた空を飛んでいた。
メヒトの話では、霊視に必要な人数の巫女や魔女達を集めるには2日か3日はかかるという話だった。時代が時代なので、翌日に即集合とはいかないのだ。
それまでの時間を無駄に過ごすのも勿体ないので、俺やアレクも自分達でできることをするべく、それぞれで動くことになった。
俺はアイーシャ夫人に情報を与えた上でどうするかを聞き、アレクは通廊を開く儀式で必要そうな霊薬の材料を集めるという分担になった。アレクはアイーシャ夫人が余程苦手らしく、自分の役割を早々に宣言して朝のうちに出立した。暫くは帰って来ないだろうな。
まあ、アイーシャ夫人の天然さは、俺が見てきた濃い人間の中でもぶっちぎりだからな。ジャンヌなんて目じゃないだろアレは。アレクが逃げ出すのもわかるね。
アイーシャ夫人の居場所については、イレアナが魔術で絞り込んでくれた。別れて俺と合流する前に髪の毛を貰っていたらしく、それを使ったとのことだ。
割り出された場所は、デンデラより少し北のナイル川流域だった。恐らく俺が頼んだ通り、熱病の治療をしていたんだろう。
そうこうしているうちにそれらしき一団が見えてきたので、地面に降り立つと……アイーシャ夫人が俺に向かって駆け寄ってきた。
「ああよかった、ご無事だったのですね遠山さん!」
「うげっ!?」
全くスピードを落とさなかった夫人のタックルが綺麗に決まり、俺は思わず悶絶してしまう。
「ハトホルさんと戦うと言われ、どうなるかと思っていましたが……ご無事で本当によかったです!」
俺の無事を喜ぶアイーシャ夫人は、全身を俺にぐりぐりと押し付けてくる。ひいいっ、戦艦級はあろうかという二つの胸がむんにゅりと形を変えてるう!? これはまずいって! 主にヒス的に!
「お、落ち着いて下さいアイーシャさん。その話には続きがあるんです」
その話には続きがあるんです」
へばりつく夫人を半ば突き飛ばすように引き剥がしつつ、俺は本題を切り出す。
「ハトホルは死の間際に、因縁がある神がいると言っていました。もしかしたら、その神がデンデラを襲ってくるかもしれません。そうなった時に、あなたがどうするかをお聞きしたいんです」
「まあ、そんなことが……」
俺の話を聞いたアイーシャ夫人は、陽気な性格に似合わない憂いを帯びた顔になった。そのまま暫く考えこむような様子だ。
彼女にこの事を伝えることに、懸念がない訳じゃないが……先に答えを聞いておかないと、ロクでもないことになりそうだからな。交戦中に横槍を入れられたりしたらたまったもんじゃない。
「わかりました。わたくしは━━」
ついに沈黙を破ったアイーシャ夫人の言葉を、俺は固唾を飲んで聞く。さて、鬼が出るか蛇が出るか━━━━
「その神様を説得してみせます!」
「━━━━はい?」
予想の斜め上をカッ飛んでいった返答に、思わず俺はマヌケな声を返してしまう。
神殺しがまつろわぬ神を説得してみせるって、どんな冗談だ。
「わかります。遠山さんやアレクさんも、その神様と戦いたくないのでしょう。だから、わたしくしになんとか出来ないかと話を持ちかけてきた。違いますか?」
ドヤ顔でされた質問に、俺は呆然としてしまう。いったいどういう解釈をしたらそんな発想に至るんだよ。白雪の超理論錬成より意味不明だぞ。
「戦いたくないのは事実ですが……」
「ハトホルさんは倒すしかありませんでしたが、その神様は今は何も被害を出したりしていません。このことから、友愛の心を以て対話を試みれば穏便に済むかもしれないと考えられたわけですか。ああ、遠山さん達が優しい人で本当に良かったです!」
呆気にとられた俺が絞り出した答えにかぶせるように、アイーシャ夫人がまくし立てる。こちらの話を聞くようすはなく、自分の言葉に酔ってトリップしているみたいな様子だ。
「せ、説得するにしても決裂するかも知れませんよ。そうなったらアイーシャさんが危険では?」
「わたくしの心配をしてくださるのは嬉しいですが、心配無用です。こう見えても対話には自信がありますし、わたくしも神殺しですから」
俺の反論を一蹴するアイーシャ夫人は、もはや対話が通じるように見えない。彼女のなかでは、俺達が神に対して友愛の心を持っている━━━━と信じて疑っていないんだな。
そもそも、対話には自信があるって……現在進行形で俺と対話ができてないじゃんか。ドニのやつの方が話が通じたぞ。
「……それで、デンデラに来ていただけますか?」
「勿論伺わせていただきます! わたくしにおまかせください」
自信満々に言い切ったアイーシャ夫人を前にして、俺は考えるのを止めた。デンデラに来てくれると確約してくれたし、今回の件は彼女に丸投げしよう。この分だと、どうせ俺が動いてもぶち壊されるし。
「お待ちしてますよ」
それだけ言い残した俺は翼を広げ、デンデラに帰還すべく飛び立った。
それから2日後。アイーシャ夫人率いる軍団がデンデラに到着したのと時を同じくして、仮想敵の情報を霊視するための儀式が行われることになった。
デンデラのハトホル神殿に揃った巫女や魔女達が竜骨を置いた広間で瞑想し、霊視を試みている。イレアナやメヒト達もそれに参加しているので、俺は部屋で暇をもて余していた。
コンコンッ
「遠山さん、入ってもよろしいですか?」
寝具に寝そべっていたところ、アイーシャ夫人が訪ねてきた。
「ええ、大丈夫ですよ」
部屋に入ってきた彼女は、俺と向かい合うように近くにあった椅子に腰かけ……そのまま話始めた。
「今回はわたくしも暇なので、遠山さんとお喋りしに来ました。神殺し同士、親睦を深めるのも大事だと思うんですっ」
ほわほわした笑みを浮かべて、アイーシャ夫人はそう提案するんだが……部屋で女と二人っきりになるわけだし、俺としては乗りたくないなあ。いまもマンゴーのような、南国の柑橘類めいたニオイが漂ってきてるし。
が、確認しておくこともあるから、ここは合わせとこう。
「お喋りより先に1つだけお聞きしたい。もし神との交渉が決裂して戦闘に発展した場合、俺達はどうするべきかを」
この時代に来る時に使った『妖精の通廊』や魅了の権能である『女王の呪縛』については既に知っているが、どちらも戦闘向きの権能じゃない。だから戦闘に使う権能はまた別のはずだし、その種類によっては俺達も手を出せない可能性もある。
「権能の詳細については教えてもらえなくても結構なんですが、そこだけは教えて下さい」
「気になるんでしたら、詳しくお話しますね」
「いいんですか? 権能は秘匿するものでしょうに」
あっけらかんと言われ、俺は思わずアイーシャ夫人に突っ込んでしまう。自分の最大の武器を詳しく他人に教えるなんて、武偵的にはありえんぞ。ドニだって隠してたし。
「わたくしと遠山さんは、もうお仲間じゃないですか~~水くさいことはいいっこなしですよ。そうですね、わたくしが戦う時に使うのは、ペルセポネから簒奪した冬と死を司り、氷像と冷気を呼ぶ権能。そしてとある竜殺しから簒奪した、魔神を呼び出すものの2つですね。でもペルセポネの権能は、わたくしの意識によらず勝手に発動するんです。現に、何度か巻き込まれましたし」
「……じゃあ、俺達は下手に動かない方が良さそうですね」
何だよ勝手に発動するって。いつ爆発するのかわからない、核爆弾みたいなもんじゃないか。こんなの俺の手には負えんぞ。
これ以上は聞かない方が、俺の精神衛生上よさそうだ。どうせ彼女は生き延びるだろうしな。
「それで、わたくしとしてはですね━━」
そこからはアイーシャ夫人の話をずっと聞くことになった。まあ、ヤバイ内容が出るわ出るわ。なんでこの世界が全うに進んでるのか解らんようなやらかしが、それこそ山ほど出てくる。
死んだ目になりつつ話を聞いてると、ノックの音が響いた。
「失礼します、霊視の結果が出ました」