前回のあらすじ
神の名が霊視によって暴かれた矢先に、当のセトがデンデラ神殿に接近する。この危機に対処すべくセトと話し合おうとするアイーシャ夫人だったが、和平交渉はあえなく決裂。神殺し二人と軍神の戦いが幕を開ける。
オオオオオオオオオオンッッッ!
「麗しの乙女よ、恐るべき秘教の門を開け給え!」
セトの命を聞き、応じるように巨大カバが咆哮をあげた。そのままアイーシャ夫人を轢き潰そうと、地面を揺らして走り出そうとする。
対する夫人は自身の権能を振るい、三匹の氷の大蛇を作り出す。大蛇達はカバの足に牙を突き立て、カバの攻撃が主に届かぬように巻き付き始めた。
出鼻を挫かれたカバは派手に砂煙をあげて横転し、拘束を振りほどこうと特撮怪獣ばりに暴れ始める。が、三匹もの大蛇の怪力と体を凍えさせる冷気によって、その動きが鈍ってきている。
今のうちに仕留めようかと、俺は弓矢を構えてはみたものの……大蛇が全身に絡んでいてカバだけを狙えない。こうなれば先にセトを狙うか。
「遠山さーん! お願いします!」
そう叫んだアイーシャ夫人は追撃をかけるでもなく、セトに背を向けて脱兎の如く走り出した。
「何……?」
チャンスに追撃もなしに全力逃亡。そのあまりに神殺しらしからぬ行動に、セトがいぶかしむような声を漏らす。
だが、俺にとっては好都合だ。あらかじめ呪力を込めた矢を三本、セトに向かって放った。
光の柱と化した矢が一直線に空を駆け、セトに迫ろうかという瞬間━━セトが俺の方に振り返り、右手に召喚した剣を横一文字に振り抜く。
その軌道をなぞるように、壁を思わせる神力の波が生じ━━俺の矢を纏めて相殺してしまった。
「ちいっ!」
自分の遠距離攻撃の非力さに思わず舌打ちしつつも……相手の実力に、内心舌を巻いていた。
奇襲に近い攻撃でも相手に届かない上、即座に俺の矢を超えるカウンターを叩き返せるのか。これでは、遠距離戦での勝ち目は限りなく薄い。その上、アイーシャ夫人の大蛇は神獣の相手にかかりきり。援護は望めない。
こうなれば、近接戦を挑んだ方がまだマシだ。特撮現場みたいな地上に降りたくはないが、仕方がない。
覚悟して降下を始めると、セトも俺を鬱陶しく思ったのか、夫人から俺にターゲットを変えて攻撃してきた。
飛来する斬撃をわざと落下してかわし、あるいはコウモリへの分化を駆使して掻い潜る。まるでメチャクチャなジェットコースターのような軌道をとりつつ数分ほど飛行し、地上付近まで到達する。
その時、俺の頭上に影が過った。
跳躍して俺の頭上を取ったセトが、その勢いを乗せて剣を振り下ろしてきたのだ。咄嗟の
背中に走る激痛と衝撃を無視し、左手でセトの首を狙った手刀を放つが……ジャッカルの頭で逆に噛みつかれた。だが、これは想定通りだ━━!
咥えた腕を千切ろうと、セトが頭を降った瞬間━━バツンッッッ! 俺の腕が口の中で手榴弾のような爆発を起こし、セトの頭が跳ね上がった。
「━━━━!?」
左手を再生させつつセトを蹴り起こし、一気に跳ね起きる。そのまま間髪入れず、鳩尾にミドルキックを叩き込んだ。
が、命中寸前で体勢を立て直したセトの左腕で捌かれ、ほんの少し俺の重心がぶれる。
続けてセトが掴まれていた剣を指からもぎ取り、俺の頭を刈り取るべく横凪ぎに一閃させた。
ズザザザザッ! と、音をたてて足で制動をかけ、砂漠に黒い線を引きながら漸く止まる。
……さすがはエジプト神話最高峰の軍神だな。得意な接近戦を選んでも、こちらがやや不利になるとは。ドニとの戦いで剣撃に慣れていなければ、最初の一撃をもらっていたところだ。
追撃を警戒してセトを睨み付けるが……奴はこちらを見てすらいない。
その視線を目だけで追うと━━氷の大蛇に締め上げられ、凍りついて動かなくなったカバが見えた。
嫌な予感がしたのでセトに矢を射かけたが間に合わず……セトから神獣に力が渡ったのを感じた、次の瞬間。
ゴガガガンッッッ! と、突如地面から岩でできた槍がせりあがり、カバに巻き付いた大蛇を貫いた。
その一撃で拘束が緩んだのをいいことに、そのままカバが身を捩るように暴れて大蛇を振りほどき━━それだけでは飽きたらず、大口を開けて業火を浴びせかける。
これには大蛇達も堪らず、体が融けて消えてしまった。くそっ、やられたっ。
俺の矢を防御しつつもそれを見届けたセトは、満足そうな顔をすると空に舞い上がり、
「これよりオレはあの女を追う。貴様よりもあやつの方が厄介そうなのでな! 貴様は我が下僕の相手でもしておれ!」
そう言い捨て、セトはアイーシャ夫人が逃げた方角へ飛翔する。勿論妨害しようとはしたものの……入れ替わりにカバが俺に向かい、岩槍を剣山のように生み出してきた。
俺はそれをかわさずに踏み込み、新たな槍を突き立てられるより早く━━槍の一本を逆上がりのように駆け上がる。そしてそのまま翼を展開し、カバに突撃をかけた。
真っ直ぐに迫る俺を迎撃しようと、カバが業火を口から吐き掛けてくる。
それに紛れて俺は急上昇し、カバが俺を見失った隙に矢を射かけた。
首を狙った一撃だったが、寸前で身を捻ったカバには上手く当たらず━━その右前足を吹き飛ばしただけにとどまった。
苦悶の叫びをあげるカバに追撃をかけようと、再び弓を引く俺の目に━━渦を巻く大量の砂が映る。
集まった砂はすぐに石膏のように固まり、カバの傷口を塞いでしまう。まるで義足だ。
矢を放ちはしたが……持ち直したカバが作り出した石の壁と炎に阻まれ、今度は届かなかった。あれを抜くのは、普通の矢じゃあ無理そうだな。
ガロアアァァアアンッッッ!
怒りに燃える目で俺を睨み付ける神獣が、天に向かって咆哮する。
それに嫌な予感を覚えた俺が、その場を飛び退くと━━━━
ゴウウウンッッッ!
一筋の稲光が俺の居た場所を走り抜けていった。この随獣、自己再生能力に加え雷撃まで使えるのか。思った以上に厄介な奴だ。
それからも次々に降ってくる雷霆をかわしながら、こちらも再び矢を射っていく。対するカバもまた、先ほどと同じく防ぎ、反撃しようとしてくる。
俺の矢とせめぎあった岩壁が砂櫟に帰し、放たれた炎や雷が砂漠を黒く焦がす。空には俺の呪力の残滓が、煌めく雪のように舞っていた。
不毛とも言える射撃戦だが、成果はあった。段々と相手の力量が掴めてきているからだ。
ヤツが炎を使って矢を迎撃した場合、こちらに雷撃が降って来なかった。試しにわざと雷霆とタイミングを合わせて矢を射かけてみたが……奴は地面を大きく隆起させることで防いでいた。
この事から、炎と雷霆は併用出来ないとみていいだろう。実験の際に直撃を受けて右腕が焼け焦げはしたが、元はとれたな。
それと直に喰らって判ったが、あのカバが俺を屠るのはかなり難しい。
心臓を狙えないヤツが俺を葬るには、一撃で全身を消滅させる威力が必要になるんだが……カンピオーネの魔術耐性を貫いてそれをやるには、恐らく地力が足りないだろう。自身の消滅を覚悟で全力を注ぎ込むにしても、その隙を俺に突かれればおしまいだ。
かなり強力な神獣には違いないが、
ドンッッッッ!
敵の戦力について考察していると、セトが向かった方角から爆音が響いた。その音を皮切りに、莫大な呪力がぶつかり合っているのも感じられる。
どうやらアイーシャ夫人にセトが追いつき、本格的に交戦し始めたらしい。彼女の援護に行くためにも━━さっさとケリをつけようか。
俺は右手に握った矢に大量の呪力を流し込み、その形を変えてゆく。今までの比ではない呪力を得た矢は膨れ上がり、丸太を思わせる太さと長さとなった。更にそこから形を整えると━━数メートルはあろうかという、巨大な
数百キロはありそうな大きさだが、俺の手に感じる重さは通常の矢と変わらない。これなら十分な速度で投げられそうだ。
スピアを傘がわりにかざして雷撃を凌ぎ、一気に地上へ向かって降下する。そして地面に降り立つと同時に右腕を弓を引くように引き絞り、神獣を狙った投擲の構えをとった。
命の危険を察したカバも一際大きな咆哮をあげ、これまでにない圧倒的な業火を作り出した。まるで津波を思わせる威容で以て、俺を圧殺しにかかる。
文字通り渾身の力を込めた一撃を放つと、瞬時に右腕がひしゃげたように圧壊した。だが、保有する権能により、直ぐに巻き戻るように再生する。
━━━━!?
神獣は名状し難い絶叫をあげ、鮮血を振り撒きながらのたうち回る。俺は止めを刺すべく、カバに手を翳した。
……これやるのは、正直気がすすまないんだが━━今は時間が惜しい。
翳した手と突き刺さった槍の間に繋がりを作り出し、力をカバから引き寄せるようイメージをする。
すると、スピアが赤黒く染まり始め、俺に莫大な呪力が流れ込みだす。それと反比例するように、神獣の動きが弱々しくなっていき……やがて動かなくなると、砂にその姿を変えていく。
これは吸血鬼の代名詞とも言える吸血能力だ。相手への直接的な接触、もしくは肉体の一部等の遠隔操作によって相手の血と呪力を奪い取る。今回の神獣はセトが相当な神力を注いだためか、人間の魔術師百人分を優に越える呪力を奪えた。
さて、前座は片付いた。アイーシャ夫人もうまくやっているといいが。
今回の神獣は、護堂の猪に再生能力と雷撃を持たせた感じですね。人間ではどうにもならないレベルです。今回は遠距離主体かつかなりの力を込めた一撃だったのであっさり勝てましたが、近接だとそれなりに苦労する相手でした。まあ、神獣の域は出ない程度ですけど。