夕暮れ時が近い晴れた日に、俺はブラジョフの街を歩いていた。
あの尋問は俺の供述に意味不明な点が多すぎるという理由で打ち切られ、神具の解析と事実確認が終了するまでは監視付きでブラジョフ周辺のみ出歩けることになった。
今確実にはっきりしている事実は、この世界にはどこにも武偵制度が無いということ。そして、俺こと遠山キンジの名前を誰も知らないということだ。これは国家機関も例外じゃなかった。結社のコネを使って確認したらしいが、政府のどの機関の資料にも俺の名前はなかったとか。
俺のヤンチャ動画のことはベレッタ社まで知ってたから、ルーマニア政府が知らないとは思えないんだが……。このことは喜べばいいのか悲しめばいいのかわからんな。何せ、ここがよく似た別世界である可能性が増してしまったんだから。
いくら俺が不幸に定評がある遠山だからと言っても、限度があるだろ。異世界転移になんて遭ってたまるかっての。
内心愚痴る俺の後ろには、尋問部屋で会った美少女がついてきている。この子が俺の監視役で、名前をイレアナ・ルナリアというらしい。聞けば、俺に威嚇射撃を行った狙撃手だという。よくよく俺は無口な美少女狙撃手に縁があるな。
どうせ監視役が付くなら美少女より尋問役のおっさんのほうが気が休まるんだがな。主にヒス的な意味で。今もあの子がつけてるらしいラベンダーの香水のニオイがしてくるし、どんなハプニングでヒスるか気が気じゃない。
ヒスる恐怖に怯えつつも街並みを見て回り、ちょうど街の外周部分にさしかかった時━━━━それは起こった。
近くの森から突然とてつもなく強大な気配が出現し、辺り一帯を揺らしたのだ。
あまりの事態に専門家であろうイレアナの方を振り返ると、彼女も目を見開いて驚愕している。どうやら相当な大事らしい。
「様子を見に行こう。構わないか?」
「私達も放ってはおけない。確認する」
意思を固め、二人で森のなかへと入っていく。森のなかは暗いが、下草は少なくて歩きやすい。これは幸いだな。
森に入ってから、鳥や動物達が現場と思われる方角から次々と逃げてくる。これだけ強大な気配なら当然だろう。
漂ってくる気配は俺が今まで感じたことの無いものだ。緋緋神と同等かそれ以上に強大で神々しいが、ブラドや緋鬼達のような禍々しさも同時に感じる。間違いなく人外の存在だろう。
森に入って5分ほど歩き続けたところに、そいつは立っていた。
紺色の豪奢な貴族服を身に纏い、宝石などで装飾されたサーベルを腰に下げている大柄な男。だが、その肌の色は血が全く通っていないかのように青白く、まるで死人に見える。さらに、人間が持つはずの無い口元の牙と深紅の瞳が、人外であることを物語っている。
何より、全身から放たれる桁外れのプレッシャー。間近で見ると分かるが、確実に緋緋神を凌ぐ凄まじさだ……!
理屈抜きで分かる。コイツは神だ。これが、まつろわぬ神━━━━!
「ほう、よいときに来てくれたな人の子達よ」
そう言った奴が、俺達を見据えた。それだけで、体に震えが走る。横目で見て確認すると、イレアナも同じ状態のようだ。プロとも言える彼女ですら、こうなっちまうのか……!
「顕現したばかりで、喉が渇いておったところよ。そこな乙女よ、余に血を捧げる栄誉に浴することを許す。我が下へ来るがよい」
「その前に御身のお名前を聞かせていただきたく存じます」
前に出て跪いたイレアナの言葉を聞いたまつろわぬ神は、思案するような顔をして、
「よかろう。幸運にも我が顕現に立ち会った者達に、我が名を知る名誉を授けてやろう。余の名は数多くあれど、この地にて名乗る名はただ一つ。
堂々と名乗りをあげた。
ドラクル……!姿と顕現した土地から予想していたが、やはり吸血鬼だったか━━━━!
「さて、名乗りも終えた。そろそろ血を頂こうか」
そう宣言した奴の深紅の目が、紅く輝いた。すると━━━━
(体が動かない……!これはまさか、ヒルダが使っていた催眠術か!?)
まるで金縛りにあったように、指先ひとつ動かせない状態に陥った。そんな俺をよそに、イレアナはフラフラと吸血鬼に向かって歩いていく。さっきの光で操られているような感じだ。
まずい。彼女が吸血鬼に血を吸われればどんな目に遭うかなんて、考えるまでもない。イレアナを助けないと!
(動け……!動けよ俺の体━━!)
例え俺を拘束した連中の一員だとしても、彼女にはこれまで営んできた人生があるはずだ。それを、こんな理不尽な形で奪われるなんて━━黙って見ていられるはずがない!
そう強く思った瞬間、体の縛りが解けたのを感じた俺は、咄嗟に足元の石を拾って吸血鬼に向けて投げる。
投げた石は、確かに顔面に当たった━━はずだったが、石が砕け散っても吸血鬼は何の反応も示さない。回避も防御もしていなかったにも関わらず。
だが、今ので奴の呪縛は解けたのか、イレアナがその場にへたりこんだ。
一方、吸血鬼の関心が俺に移ったのか、
「よもや、死すべき人の子に余の魔眼が打ち破られるとはな。中々に興味深い」
と、興味津々な顔でこちらを見てくる。
見られた俺は、警戒しながら相手の様子を伺うことしかできない。下手に動けば、再び矛先がイレアナに向く可能性もあるからだ。
息が詰まるような数秒が過ぎ去り、奴の口が遂に動いた。
「よし、そこの男よ。貴様を我が狩りの獲物とする」
「狩りだと?何のつもりだ?」
「何、簡単な話よ。我が呪縛を破るほどにいきのよい人間だ。獲物とするに足ると思ったのだ。狩りは貴人の嗜みでもあるしな」
言っている意味はよく分からないが、奴は俺を追う気になったらしい。ということは俺がここでうまくやれば時間を稼げるし、あの吸血鬼が街へ向かうのも防げるはずだ。
「その狩りとやらに乗ってもいいが、代わりに逃げる時間を貰いたいね」
「もとよりそのつもりよ。そうさな……半刻が過ぎるまで余はここを動かぬ。どこへなりと逃げるがよい」
やったぞ。吸血鬼の高いプライドのおかげか、予想以上にうまくいった。あとはイレアナを逃がす算段をたてればいい。
イレアナのほうを見ると、驚いた様子ながらも、俺に向けて掌を突き出す。すると、俺の両手にベレッタとデザートイーグルが収まった。続いてマガジンまでもが俺の所に届く。
吸血鬼はそれを見ても、何も言わない。まるで脅威に感じていないんだろうが、今はそのほうがこちらに都合がいい。
「……ごめんなさい。あのナイフは今は渡せない」
「十分だ。お前は先に逃げろ、イレアナ」
「まつろわぬ神には、物理攻撃も魔術も通じない。けど、今はあなたに持ちこたえてもらって、時間を稼ぐしかないの。本当にごめんなさい。必ず助けに行くから……!」
死地に向かう者を見るような、悲痛な表情で俺を見てくるイレアナに、俺は銃を持ったままの右手を振る。
「大丈夫だ。何とかしてみせる」
俺の言葉を聞いたイレアナは、目を伏せて呪文を唱え、青い光をまとってどこかへ飛んで行った。
彼女がいなくなると、唐突に吸血鬼が笑いながら拍手し始めた。いったいなんだ?
「ははははっ!狩りが始まってもおらぬうちから、面白いものを見せてもらった。無謀な戦いに赴く男と、それを見送る乙女。まるで、歌劇の一幕を見ておるようであったわ」
「楽しんだっていうなら、観覧料代わりに手ごごろを加えて欲しいね」
「観覧料ならば、さきの拍手で支払っておる。わが称賛を受けたものはめったにおらぬゆえ、光栄に思うがよい」
「そうかい」
そういい捨てると、俺は森の奥へ向けて走り出す。やつを人里から引き離すために。