夕日で空が紅く染まるなか、俺は森を抜けて山まで走ってきていた。
あれからそろそろ一時間以上経った。あの吸血鬼も何かしら仕掛けてくる頃合いだ。あの余裕綽々な態度からして、最初から全力で俺を追っては来ないだろうが、どんな手でくるかね。
狩り、とわざわざ言っている以上、何かしらの遠距離攻撃を見舞ってくる可能性もあるな。むこうからすれば、俺の位置を掴むことも容易いだろうし。
等と思いを巡らせていると、目を深紅に光らせた狼が俺の前に現れた。それも一頭や二頭じゃない。十頭近くいる。目の色からして、近くにいた狼の群れを吸血鬼が操って差し向けてきたんだろう。ブラドも狼を部下にしていたし、あり得そうな話だ。
俺にむかって唸り声をあげる狼達に俺はベレッタをむける。
まつろわぬ神に銃は効かないらしいが、元々が野生の動物なら銃弾も効くだろう。
どうやら奴は、狼を猟犬代わりに使って俺を追いたてて狩るつもりらしいな。人のことを舐めやがって。俺は狐かなにかかよ。
狼達は俺と少しの間睨み合った後、俺に次々と襲いかかってきた。
俺は飛び掛かる狼からバックステップして距離をとり、ババババッ!ベレッタをフルオートで発砲し迎撃する。
何度もマズルフラッシュが閃き、九ミリ弾が狼達にむかって飛んでいく。
素の状態だったこともあり、半分ほどは銃弾が足や胴体に命中したものの、残りは無傷で凌がれてしまった。
だが、俺の危険性を理解したのか、すぐには襲ってこずにバラバラに散っていった。俺を包囲した上で、安全に接近する気か。
素の俺では四方から狙ってくる猛獣を相手に無傷とはいかないだろう。どうする。こうなったら木の上にでも登るか?
厄介な狼達に頭を悩ませていると、何かが俺の頭上をよぎっていった。
その何かがどこか俺の近くに落ちていくと同時に、ギャヴヴン!という狼の悲鳴が聞こえてくる。それきり何も聞こえてこないことから、どうやら攻撃を受けた狼は即死したらしい。
これは……!この街へ初めて来たときにも見た、イレアナによる狙撃か!
突然の援護に俺が驚いている間にも、矢の一撃は次々と夕暮れの空を駆け、俺を襲おうと散開していた狼達を屠っていく。
やがて掃射が終わると、俺が走って来た森の方から、先程同様に青く光るイレアナが飛んでやって来た。
「無事!?」
「ああ、お陰さまでな」
「よかった……」
そう言ったイレアナは、安心したような顔で地面に座り込んだ。相当俺の安否を気にしていたらしい。
「もう死んでいるかと思った……」
「大げさだな。そこまで本気で俺を狩りにこないだろうと思ったから乗ったんだが」
「だとしても、気まぐれであっさり殺されていてもおかしくなかった」
確かにな。神というのは、人に推し量れるものじゃない。人を歯牙にも掛けず、己の欲望にどこまでも忠実だ。
だがそれは、欲望を見切れば相手の振る舞いをある程度予測出来るということでもある。俺が出会った連中で言えば、緋緋神は闘争による暇潰し、璃璃神なら平和な眠りが欲望に当たる。
そして今回の吸血鬼のケースでは、自分を興じさせうる物事を楽しむことが欲望だ。加えて言えば、貴人の嗜みなんて言ってたことから、奴は貴族然とした鷹揚な性格だと分かる。そんな奴が、遥か格下の獲物である俺を、忙しなく自ら狩りにくるなんてあり得ない。どのみち選択肢も無かったし、イレアナを逃がせるだけ損はないと踏んだのだ。
「あなたは十分やってくれた。市民の避難も始まっているし、すぐにここから逃げるべき」
「そうしたいのはやまやまだが、それはできないな」
もし俺がここから逃げた場合、二通りの事態が起こりうる。奴が俺に執着して追ってくるか、狩りに飽きて別の興味の対象を探すかだ。どのみち余計な被害が発生するだろう。
それをイレアナに話すと、彼女は首をふって言った。
「抗いようのない天災から逃げることには、世界の誰も文句をつけられない。ましてあなたは、命懸けで時間を稼いでくれた。こんな自殺行為を続ける必要はない」
そうかもしれない。いまここで俺が生きているのも奇跡的なことなんだろう。
だが、それでも。
俺はここから退かないぞ。退けばあの街の人達がどうなるかわからないんだからな。
俺の脳裏に、今まで見てきた街の人達の顔がよぎる。
ブラジョフにいる人達一人一人が、日々を精一杯頑張って生きてきたんだ。その日常を理不尽に奪うなんて絶対に許さないぞ。この世に生きる一人の人間として、そんなことはさせやしない。
そのためには奴を━━神を、いまここで倒すしかない。
「イレアナ、神には銃や魔術は効かないと言ってたな。なら、何なら倒せる?」
「まさか、あなた……神と戦うつもりなの!?」
俺の言葉があまりに衝撃的だったせいか、イレアナは口を開けて呆然としている。そんなことを俺が言うとは、考えもしてなかったみたいだな。
「神殺しでもない人間が、神と戦って倒すなんて不可能。すぐに逃げるのが賢い選択」
生憎だが、俺は兄弟にすらバカ呼ばわりされた男だ。元々賢く生きるつもりなんてないんでね。
それより、神殺し……?やっぱり、神でも殺せるってことか……?
「神殺しってのがいるんなら、神でも殺せるんだな?」
「そう思った人が何人も神に挑んでいったけど、殆ど帰ってこなかった。奇跡に奇跡を重ねて数世紀に一人ぐらいしか、神殺しは生まれない」
それでも、十分だ。他人に出来ることならやってやるまで。只の人には不可能でも━━不可能を、可能にしてみせる。
「それでも俺はやる。神にダメージを与える手段を教えてくれ。頼む」
俺が頼み込むと、イレアナはしばらく悩んでいたようだか、意を決したように口を開いた。
「極めて強力な魔術か、神具くらいしかない。魔術は修めている人が近くにいないから、あなたが持ってた神具しかないと思う」
ここにきて、ツキが巡ってきたみたいだな。最大の問題を解決できるものを、既にもってたんだから。
あとは作戦を思いつくかと、俺が
わりと破滅的な方法を考えていると、イレアナがなんと━━俺に抱きついてきた!ちょちょちょ、なんなんですかね!?
「あなたを止められないのはよく分かった。けど、これだけは約束して。絶対に、生きて帰るって」
全身に感じる彼女の体の柔らかさ、漂ってくるラベンダーの香り。そのすべてが、俺の血流を強めていく。
勝利の女神様とやらは、よほど俺に勝ってほしいらしいな。━━これで準備万端整った。あとは彼女に、今思いついた作戦を伝えるだけだ。
「ああ、約束する。その代わりに君には━━」
夕日が地平線に沈みかける中、俺は山裾にある盆地で吸血鬼を待っていた。
この盆地は地形も平坦で、見晴らしもよいことから決戦の舞台にもってこいだ。あとは奴がやって来るのを待つだけだな。
できるなら陽が完全に沈む前に来てほしいもんだ。吸血鬼が夜に力を増すのはお約束だからな。もっとも、あの高慢な吸血鬼がそこまで気にするとは思えないが。
らちもないことを考えつつ周りを見渡していると、あちこちから大量のコウモリが盆地に飛んできた。
やがてそれらは集まって一塊になり、人型を形作る。
いよいよお出ましか。
「どうした人間?我が猟犬を蹴散らしてから動きがないが。もっと余を楽しませてみせよ」
第一声がそれかよ。相変わらず、この狩りはコイツにとって余興でしかないらしい。
「楽しませられずに悪かったな。だが、こっからはそんな心配は不要だ。俺があんたを倒すんだからな」
俺がそう言い返すと、奴は一瞬あっけにとられたような顔をして、
「はははははははっ!そなたが、死すべき定めの人の子が、不死者たる余を倒してみせるだと!?
と、哄笑した。
「御託は結構だ。さっさと
「くくくっ!そうまで言うなら付き合ってやろうではないか。精々、すぐに死なんようにすることよ!」
言いながら俺が構えをとると、奴も応じるように牙を剥いて笑う。
ここに、俺と『まつろわぬ神』との戦いが幕を開けた。