「先手はいただくぞ!」
その言葉とともに、奴は踏み込みで地面を爆ぜさせながら一直線に突っ込んでくる。
まるでジェット機が迫ってくるような
躱された吸血鬼は足で急制動をかけて俺に向き直ると同時に、俺の喉笛を掻っ切ろうと遠心力を乗せた右手の
身を屈めて爪撃をやり過ごした俺は、続いて繰り出された左膝蹴りを右手で受け流してはね上げさせた。
「おお!?」
バランスを崩して驚愕した吸血鬼が、咄嗟に出現させた翼を羽ばたかせ、転倒を免れようとする。
俺はその間にやつから距離をとり、今の交錯の手ごたえを分析した。
近接格闘の技量はヒステリアモードの俺のほうが上だろうが、身体能力が大きく劣っている以上油断はできない。格闘技を修めた人間が野に生きるクマに及ばないように、圧倒的なスペックはそれだけで大きな脅威だ。加えて、奴には先ほど見せた変化能力もある。その能力の幅も見切る必要があるな。
体勢を整えた吸血鬼は、感心したような顔でこちらをみてくる。
「正直に言えば驚いたぞ。まさか、人の身で余を後退させるとは。これならば思ったより楽しめそうだ。重畳重畳」
「その賛辞、感謝の極みとでも言えばいいのか?」
「感謝は要らぬ。その代わり、余をもっと興じさせよ!」
またしても先手をとられた。奴の右腕が蛇に変化して俺を狙ってくる。右に跳んでかわすが、蛇は誘導型ミサイルのように反転し追尾してきた。
あれはまつろわぬ神の体の一部だ。おそらく銃弾も通じないだろう。今はあれをどうにかできる武器はないから、新たな動きがあるまで耐えるしかないか。
俺が蛇の追撃を右に左に動いて凌いでいると、吸血鬼が一向に仕留められない俺に業を煮やしたのか、蛇が一気に十匹ほどに分裂した。
(━━━━今だ!)
俺は分裂した蛇たちの合間を潜林の要領で縫って移動しながら、両腕と胴体まで使って蛇を誘導していく。その結果、俺を襲おうとしていた蛇達はその体を互いに絡ませてしまい、毛糸玉のような塊と化して動けなくなった。
だが、奴は絡まった腕を意に介さず、鞭のように横なぎにふるって俺を打ち据えようとしてくる。
俺はその一撃を避けるために姿勢を低く保って走り、自分から距離を詰めに動いていく。
対する吸血鬼は、俺を迎撃するために今度は左肩から狼の頭を生やしてきた。蛇の次は狼ときたか。
あの狼は手ではなく、肩が変化したものだ。迂闊に攻めればのこっている左手でその隙をつかれてしまう。
変化した相手の腕が十分伸び切るのに合わせ、俺は両手を狼の頭に当て、自分の左側━━━━先に蛇に変化していた吸血鬼の左腕に向けて滑らせる。
グシャリ、という湿っぽい音が鳴り、狼の牙が絡まっていた蛇達に深々と突き立った。
「ぐうっ!?」
自分が血を流すとは思わなかったんだろう。吸血鬼は信じられないものを見るような目で、左腕から滴り落ちる血を見ている。奴は負傷に気をとられているせいで、俺のことを見ていない。
今なら両腕が空いている。
そのまま走って吸血鬼とすれ違い、向き直った俺の手には━━━━奴が腰に下げていた、宝剣が握られていた。
ヰ筒取り。潜林と同じく、遠山家に代々伝わる奥義の一つだ。
「ク、クハハハハッ!余に傷を負わせられぬとみるや━━━━余自身の牙を使い、挙げ句の果てにに我が佩刀を掠めとるとは!呆れるほどの貪欲さよな!真っ向から余に挑みながら、まだ勝利を希求するか!」
何が可笑しいのかは解らないが、奴は随分愉快そうに大笑している。
「言ってろ。あんたも血を流す以上、その内俺に殺されるかもしれんぞ」
「調子に乗るでない。余に血を流させるという偉業は評価に値するが、この程度の傷を百度負わせようと我が命には届かぬ」
その言葉を証明するように、奴の傷が瞬時に完治する。
やはり吸血鬼だけあって、再生能力も持っていたか。だが、神話の神そのものと言われる『まつろわぬ神』なら、ブラドやヒルダが持っていた魔臓による回復能力じゃないだろう。
とはいえ、厄介なことに変わりはない。奴を倒すには一撃で致命傷━━━━心臓の破壊を狙うしかないか。吸血鬼の倒し方と言えば、心臓に白木の杭を打つことだからな。
俺が剣を鞘から抜いて構えると、奴は左肩と右手の変化を解き、虚空から同じ剣を呼び出した。
「どれ、貴様がその気ならば、次は剣術比べとしゃれこむとしよう」
「随分と余裕だな。剣術でも俺に一本取られるかもしれないぜ?」
「かもしれぬが、余はそのことについて拘泥する気はない。武を本領とする軍神ではない故な」
それきり黙った吸血鬼は、仕掛けてこない。今度は先手をこちらに譲るつもりらしい。
警戒してこちらが動かないでいても動きを見せない。このままいてもらちが明かないし、俺から仕掛けよう。
間合いを一歩で詰めた俺は、右手の宝剣を振るい首を狙った凪ぎ払いを見舞うが、奴の剣を合わされ上にはねあげられてしまう。
その隙に吸血鬼が俺を袈裟がけに斬りかかってきた。
右手首のスナップによって引き戻した剣による防御が間に合い、ギャリリリ!という金属音をたてて剣同士が噛み合う。
そのまま押し込もうとしてくる相手の力に逆らわず、自分から数メートルほど後ろに跳んで離れる。
慣れていないせいか、剣では俺が押され気味だ。だが、この剣を手放せば
逡巡していると、奴が離した距離を詰め、俺を両断しようと大上段から打ち下ろしてくる。
ギロチンめいたそれをどうにか剣の腹で逸らすと━━━━剣を持つ相手の右手が不自然に曲がり、こちらに向かって切り上げてきた。
「━━━━ッ!?」
咄嗟に上半身をそらして躱したが……どうやら変化能力を、剣に合わせて使ってき始めたらしい。
その考えは正しかったようで、その後の追撃は嵐のような凄まじさだった。
腕を変化させての死角からの不意討ち、分裂させた腕によるジャグリングじみた追撃。
それらを剣を、腕を、ある時は全身まで使ってなんとか凌いでいた俺だったが、流石に無傷ではなかった。
頬にはザックリと斬撃痕が刻まれ、着てきた服は見るも無残な襤褸切れと化した。当然、全身が血塗れだ。
それよりもまずいことに、度重なる酷使に耐えかねたのか、奪った剣にヒビが入り始めた。これでは折れるのも時間の問題だぞ━━━━
「隙を見せたな?そらっ!」
「くっ━━━━!」
剣によるフェイントに続く手刀の一撃を受け、遂に俺の持つ剣がバギン!という甲高い金属音をたてて砕け散った。
間髪を入れず放たれた突きは、真剣白羽取りで辛うじて防げたものの━━━━ズドンッ!
「がはっ!」
心臓を狙った貫手は
腕を外そうともがく俺をまるで苦にせず、右手一本で自身に寄せた吸血鬼は微笑みと共に、
「余をここまで楽しませてくれるとは思ってもみなかったぞ。その褒美として、我が眷族に加えてやろう」
勝利宣言を行った。
俺はそれを無視して激痛を堪え、震える手でホルスターからベレッタを抜いて、バスンッ!発砲した。
当然狙いなど付けられず、弾は地面にめり込んだだけだ。
「自決でもするつもりだったか?残念であったな。だがそうは……何?」
奴の得意げな言葉が止まり、その目が訝しげに細められる。
それはそうだろう。この場に有るはずのない物━━━━
この奇跡の仕掛けは単純なものだ。俺がイレアナに、発砲音を聞くと同時にナイフを転移させるよう頼んだだけだ。
この策とも言えない策は、イレアナから猛反対を受けた。通じる武器も持たず、神と戦うなど自殺行為だと。
だが、最初から神具を持っていれば、奴に必ず警戒される。そうなってしまえば、持っていたところで使うチャンスは来ないだろう。
ならば、出来る限り奴を油断させ、その隙にこれを叩き込むしかない。そう考えたわけだが、予想以上にうまくことが運んでくれたぜ。
今まで散々いたぶってくれた分の借り、返させて貰うぞ━━━━!
「貴様、まさかそれは━━━━!」
一杯喰わされ驚愕する奴の声に心地よさを感じる暇もなく、俺は右手で全力の桜花を━━━━奴の心臓に向かって━━━━繰り出す!
「おおおオォォォォ━━━━!」
血を吐きながら、文字通り決死の覚悟で放った俺の一撃は━━━━吸血鬼の体を切り裂き、その心臓を、貫いた。