機上の人となった俺は、ぼんやりと窓から外を眺めていた。
今俺がいる場所は飛行機のファーストクラス。それも、飛行機自体が貸し切りだ。
あの決闘の後、俺は公式に新たなカンピオーネとして認知された。魔術師結社『深紅の月夜』により発表された新たな神殺し誕生の情報は瞬く間に世界中に広まり、魔術業界を震撼させた━━━━とイレアナが言っていた。
何故そこまで恐れられるのか気になって同族の話を聞くと……まあ出るわでるわ。凄まじすぎる逸話が山ほどでてくる。俺と同世代である若い連中でも、魔王の名に恥じない暴れぶりだった。
俺の他に三人いる新世代のうち、最も魔王歴の長いアレクサンドル・ガスコインは欧州において二度の魔術戦争を引き起こし、あちこちの貴重な遺跡を盗掘したりしているらしい。その結果眠っていた魔獣を解き放ったりして大きな被害を出すとか。
二人目の新世代であるジョン・プルートー・スミスはダークヒーロー然としたコスチュームに身を包んで活動する変わり者で、自分の嗜好に合う行動しかしなかったり結果オーライで物事を判断する、周囲の被害に頓着しないといった特徴はあるが、他よりましという評価だった。これでましってどういうことだよ。
最後の一人がほんの数ヶ月前にカンピオーネになったサルバトーレ・ドニ。探し人を見つけるために砦を両断したり、戦う相手欲しさに他の魔王に喧嘩を売ったという。
こいつは要注意だな。俺も喧嘩を売られるかもしれんし。
その喧嘩を売った相手がまた大物で、旧世代でも最古参の魔王ことサーシャ・デヤンスタール・ヴォバン侯爵━━━━最凶の魔王と名高い人物だと聞いた。
この男は最古参だけあって逸話も別格で、
港町を権能で吹き飛ばした、いくつもの村を眷族に命令して壊滅させた等、枚挙に暇がないほどらしい。
俺が今飛行機に乗って日本に帰っているのは、この男の存在が大きい。
かの老人はハンガリー付近の出身らしく、本拠地があるのもルーマニアに近いバルカン半島という話だった。さらに、長年君臨してきた実績とその実力から狂信的な信俸者が多くいるらしいこともあり、余計な火種をつくるのは避けるべきだと考えてルーマニアから離れることにしたのだ。
それを聞いた深紅の月夜の面々には随分惜しまれたが、俺も成り立てで最古参の魔王とぶつかるのは出来るなら避けたい。そう言って日本に帰れるよう手配してもらった。
そして、クリスティアンが航空会社に掛け合ってくれたこともあって、ファーストクラスに座って帰路に着くことができたって訳だ。
一時間ほど飛行機に揺られながら外の風景を楽しみ、最高級の機内食に舌鼓を打っている間に海の上空を飛んでいた。
日射しを受けてマリンブルーに輝く海を眺めていると、ふと違和感を覚えた。何か点のようなものが突然視界に現れたのだ。しかも、徐々に近づいてくる……。
「────ッ!?」
謎の物体と距離が縮まった時、俺の脳裏にかつてイ・ウーから受けたミサイル攻撃がフラッシュバックした。
どこの誰かは知らないが、カンピオーネである俺を狙って攻撃してきたってのか!?
即座に吸血鬼の体に変化し、飛行機の壁をけり破って脱出する。凄まじい暴風が襲い掛かってくるが無視した。続けて翼を展開し、自由落下を避けて滞空しながら隠れるための島を探す。
カンピオーネになってなかったら、今のは危なかったな。銃弾型エアバックや
ドオオオオオォン!
後方から聞こえた轟音に振り向くと、一発目のミサイルがエンジンに命中し、火を吹いていた。続けざまに放たれたらしい二発目、三発目も次々に飛行機に襲いかかっている。あれじゃあパイロット達の生存は絶望的だな。
パイロットたちの救出を断念した俺は、少し南の方角にあった島めがけ一気にスピードを上げて飛翔した。心配していた敵からの狙撃はなく、十秒もしないうちに島に到着する。
降り立った白い砂浜から、攻撃を避けるために森に移って様子をうかがっていると……機械音のようなものがあたりに響き始めた。拡声器でも使っているらしい。音の方向からして少し北━━━━俺がやってきた方角だな。そこから声が響き始めた。
「矮小なる魔王遠山キンジに告ぐ!汝は尊きヴォバン侯爵閣下の獲物たる神を奪いし罪人である!閣下の無聊を慰める獲物を奪ったその罪、まことに許し難し!よって、閣下に成り代わり我らが誅を下す!」
な、なんて滅茶苦茶な理屈なんだ!俺が神殺しをしたのは、ほかに対抗できる奴がいなかったからだぞ。それを棚に上げて俺を責めるとか、理不尽すぎるだろ!まったく、狂信者ってのは手に負えんな。
だが、今の言葉ではっきりした。この襲撃は奴らの独断だ。伝え聞く侯爵の性格と、成り代わるというやつらの言葉からして間違いない。
かの魔王なら、部下任せにしたりせずに直々に俺を狩りに来るだろうからな。暇を持て余していると聞くし、暇つぶしになりそうなことを見逃したりはしないだろう。
「貴様への人質として、深紅の月夜のイレアナ・ルナリアを攫わせてもらった!助けたくば、明日の昼にデプレツェンの廃墟まで一人でこい!」
なっ━━━━!?俺を誘きだすためだけにイレアナをさらったのか!これで深紅の月夜との戦争は不可避だ。それだけでなく魔術結社の名誉も地に落ちたはずだぞ。
いや、今はそんなことはどうでもいいか。まずはイレアナを助けることを考えないと。吸血鬼の力が使いにくい昼に呼び出したことから十中八九罠だろうが、突破するしかないだろう。
変化して拡声器を設置したであろう場所へ向かったが、遠隔操作用機材が置いてあるだけだった。さすがに構成員を捕縛させるほど愚かではないか。
こうなれば誰かから連中について教えてもらうしかない。だが、俺に近隣の魔術師のあてもなければ、魔術師を見分けることもできない。どうすれば……!
━━━━ドクンッ
焦りに身を焦がしたその時━━━━血流が来た。それも通常のヒステリアモードじゃない。もっと荒々しくどす黒いこれは━━━━ヒステリア・ベルセだ。イレアナをさらわれたことで発動したか。
それでも今はありがたい。これでブラジョフまでの行きかたを思い出せた。俺の権能をフル活用して深紅の月夜の本拠まで赴き、情報収集と作戦立案を行う。
やることが見つかれば後は早い。俺は眼下に街が見えるよう雲ギリギリの高度まで上昇し、今出せる最高速度まで加速する。同時に
ジェット機どころか戦闘機の最高速度に匹敵する速さで空を駆けた俺は、行きよりも遥かに短い時間でブラジョフ上空まで到達した。その際見つけた深紅の月夜のメンバーに取り次いでもらうよう頼むと、すぐに会議室に通される。
中に入ると、すぐにクリスティアンが駆け寄ってきて跪いた。
「王よ!お戻りになられたのですか!」
「ああ。飛行機を撃墜されてな。それより、イレアナがさらわれたのは本当か?」
「お恥ずかしながら、本当にございます。避難させていた市民の帰還、事態の隠蔽などに労力を割いている隙を狙われました。その後の脅迫状に王のみをよこすよう書かれていましたので、対応をどうするかについて協議していたところです」
そう言うクリスティアンの顔は苦渋に満ちたものだった。条件では俺が指定されている上に、相手が侯爵の名前を出していることもあって、迂闊に動けなかったのだろう。
「相手について何か知っていることは?」
「はい。ハンガリーの首都ブダペストを本拠地とする魔術結社『魔狼の咆哮』の者達です。ヴォバン侯爵閣下の狂信者達の集まりでして、非道を働くことも多い連中なのです。数ヶ月前に神の招来を行った際、あちこちから巫女や魔女をさらったこともあります」
もうほとんどテロリストだな。そんな奴らでも、魔王の威光があれば好き勝手できるのか。
「デプレツェンの廃城に来いとあったが、どこにあるか知ってるか。地図があれば助かる」
「地図は有りますが……王が自ら出陣なさるのですか!?」
俺の言葉に驚くクリスティアンに、はっきりと断言する。
「当然、俺が出るつもりだ。イレアナには命を助けられたからな」
「お待ち下さい。あなた様が動かれれば侯爵閣下と戦争になるやも知れません。それでは事が大きくなりすぎます」
確かに俺達の影響力は大きいから、懸念するのも分かるが……今回ばかりは、俺も退く気はないぜ。
遠山家でも、『借りは忘れるな。貸しは忘れろ』って言われるんでね。命の借りは必ず返させてもらうぞ。
「それでもだ」
俺の意志が変わらないと悟ったのか、クリスティアンは暫く黙り……こちらを見据えて言う。
「分かりました。姪をお願いいたします。それとは別件ですが、恐れながらあなた様に『深紅の月夜』の総帥となっていただき、我々を庇護下に置いていただきたいのです」
なるほど。俺がどうするにせよ、今回のことで深紅の月夜の立場は微妙なものになるだろう。下手をすれば侯爵の配下に手を出したとして、周囲の結社から孤立する可能性もある。それを避けるために俺の配下になるということか。
この事態の発端は俺だし、それぐらいは俺も便宜を図るべきだろうな。
「分かった。俺で良ければ総帥になろう」
「我らの懇願を受けてくださり、ありがとうございます。深紅の月夜の一同、これより王の手足となって働く所存です」
俺の返答を聞き、クリスティアンを筆頭にその場にいた全員が同時にひれ伏した。……やめてくれないかなあ。正直、動作が大袈裟過ぎて引くんだけど。
「じゃあ総帥としての最初の命令を聞いてくれ」
「何なりと。身命を賭して遂行してご覧にいれます」
「人間の血を集めてくれ。最低でも人間一人分は要る」
「血を……?ああ、そういうことですか。すぐに手配いたします」
俺の命令を聞いて怪訝な顔をしたクリスティアンだったが、すぐに理解したようだ。察しがいいな。
飛行した時に分かったことだが、俺の吸血鬼の権能は昼間に全力を出そうとすると、大量の生き血を必要とするようなのだ。恐らく、太陽の下では弱体化するという伝承のせいだろう。
人間相手とはいえ、何があるかわからない以上は万全の準備を整えたいからな。今回の救出対象は、恩人のイレアナだ。万にひとつも失敗させるわけにはいかない。
即座に動いたクリスティアンを頼もしく思いながら、俺は救出への意欲を燃やすのだった。