現在、スペクターの使える眼魂は…
S.スペクター
1.ムサシ
2.エジソン
3.ロビンフッド
4.ニュートン
5.ビリーザキッド
6.ベートーベン
7.ベンケイ
8.ゴエモン
9. リョウマ
10.ヒミコ
11.ツタンカーメン
12.ノブナガ
13.フーディーニ
14.グリム
15.サンゾウ
「……」
神雷に打たれ、倒れ伏すロキはピクリとも動かず、俺達を圧倒していた神のオーラは微塵も感じない。死んではいないが、完全に気を失っているみたいだ。その姿が、戦闘の終焉を明白に告げている。
「終わったぁ……」
オーラも気力も使い果たしたと兵藤がばたんと大の字になって倒れ、達成感と安心感の入り混じった息を吐いて天を仰ぐ。
「やっと、か」
何度も死線を見た、厳しい戦いだった。この勝利は俺達の力だけでは為し得なかったものだ。あのドラゴンや乳神には感謝しなければ。
「私たちは勝ったんだな…」
剣を支えに立つゼノヴィアもほっと安堵の笑みを浮かべる。同感だと言わんばかりに俺も仮面の裏で一息吐いた時だった。
「がっ!?ぐ…ぁぁぁぁ…!!!」
全身からバチバチとスパークが弾け、全身の英雄の紋章が浮かんでは消え、また浮かぶのをバグったように繰り返す。ドライバーから生み出されるパワーも不規則に急に跳ね上がっては落ちる乱高下を始めた。
特にドライバーは激しいスパークが起きていた。今にも爆発してしまいそうなほどに煙を上げ、ちかちかと光が瞬く。
「ご…う……アアッ!!」
ついにはパッと光が弾けて強制的に変身が解け、内側から強く弾き出されたように眼魂が辺りに飛び散り、がちゃがちゃと音を立てて転がっていく。
「眼魂が…!!」
そのいくつかは空高く舞い上がった。そしてそれらを宙を馳せる影が横合いからかすめ取った。
眼魂を取った白と緑の影が、すたっと岩の上に着地する。その姿に複雑な思いを乗せて、彼女の名を呼んだ。
「凛…!」
言葉の代わりに、岩の上に着地したネクロムがその手に握る眼魂を見せびらかす。
どうやら空に飛んだ分の眼魂は全て奪われてしまったらしい。折角15個揃ったというのに、また奪われてしまうとは非常に悔しいところだ。
「それと、これも頂いていく」
眼魂を直して入れ替わりにおもむろに見せたのは手の形をした樹の根だった。その独特な形状は見間違えようもなく…。
「ロキの右腕!いつの間に……」
ゼノヴィアが驚愕に目を開けながら言う。
俺がグングニルで吹き飛ばしたはずのロキの右腕をいつの間に回収していたのか。
千切れたロキの腕を掴み見せびらかす腕を下ろすと、俺の方を一瞥した。
「その力を手に入れたこと、いつか必ず後悔するぞ」
現れたさっと凛はいつものようにイレギュラーを排除するだの言って俺達を攻撃してくるかと思いきや、敵意は見せど戦意は見せず、そのままくるっと踵を返す。
「待て…!!」
苦痛に支配された体に鞭打って走ろうとするが、痛みに足を引っ張られて前のめりに倒れてしまう。
まだこいつに訊きたいことが山ほどある。どういう経緯で凛の体を乗っ取ったのか、今俺の目の前にいる彼女は誰なのか。
「ぐ…うぁ…!」
だがそれを詰問する言葉が口から出ない。代わりに出るのは堪えがたい痛みで生み出されるうめき声だった。
その間に彼女の姿は霞のように消える。
悪神との激闘の後だ、誰も彼女を追うだけの余力など残っていなかった。
凛はこの場から消えたが、俺の苦痛は消えなかった。高揚した戦意で忘れていた痛みが、ぐつぐつと地底の奥底から湧き上がるマグマのように蘇る。
「ああっ……ぐほっ…!!」
胸の奥から急激に込み上げる感覚。たまらず勢いよくドバっと吐き出すと、眼下に赤い大きな血だまりが出来上がった。
「この出血量は…!」
心配してくれるゼノヴィアと兵藤が俺の元へ走って来るが、どうすることもできない。
「ぐ…ァァァァァァァ!!!」
吐血だけでは収まらない。鼻からも血が垂れ、今までのどんな苦痛にも勝る激痛に身をよじって喉が裂けんばかりに天に向かって絶叫する。
痛い痛い痛い痛い痛い。この場で今すぐにでも死んで楽になりたいくらいに強烈な激痛だ。
これがプライムスペクターの全力の代償か。龍王を蹴散らし、神をも凌駕する力をただの人間が行使することの意味を、身をもって味わう。凛はいつか後悔するぞと言ったが、今この瞬間後悔している所だ。
「何事だ!?」
「大丈夫ですか!?」
異変に気付いたタンニーンさんとロスヴァイセさんも地上に降りて駆け付ける。タンニーンさんは小さいドラゴンへとサイズダウンして俺の傍に来てくれた。
「わからない、悠が突然苦しみだして…そうだ、フェニックスの涙が!」
「私もまだ持ってます、使ってください!」
「俺の分もある。兵藤一誠、フェニックスの涙に譲渡はできるか!?」
「は、はい!」
3人がまだ未使用の小瓶の蓋を開け、それに兵藤が触れて倍加した力を譲渡する。
兵藤が悶える俺の体を、ゼノヴィアが俺の顔を抑えて、口内にフェニックスの涙を一気に注ぎ込んだ。一通り注ぐと俺の口をがっと無理やり閉じさせ、注がれた3人分のフェニックスの涙をごくりとなんとか飲み切る。
「ああっ……う…あ…」
フェニックスの涙3個分の効果はてきめんだった。全身に脈打つ痛みの鼓動がだんだんと落ち着き始め、全身の痛みがだんだんと引いていく。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
ようやく呼吸を落ち着かせることもでき、出血も止まった。だが額はびっしょりと脂汗に濡れ、疲労感も多少はマシになったとはいえまだまだ拭えない。
「気分はどうだ?」
まだ立ち上がるほど回復はしておらず、地面に横になったままの俺の顔を、上からゼノヴィアが心配そうに覗き込む。
「かなり…楽になった…落ち着いた」
「よかった…」
額の汗を拭って返事すると、覗き込むゼノヴィアの表情が心からの安堵を見せた。
呼吸をゆっくり整えつつ夜空を仰いだまま、俺は内心先の反動について考えていた。
1プライムスペクターにつき譲渡を付けたフェニックスの涙3本。なんとも贅沢なフォームだ。
ただでさえフェニックスの涙は禍の団との戦いやテロで需要が急増し、価値が跳ね上がっている。今回のように大量にフェニックスの涙を支給される状況がまた来るとはあまり考えにくいし、眼魂を取られたことで原作のグレイトフル魂とは違ってまだ変身可能ではあるものの全体的な出力は落ちるだろうが、やはり今後の使用は一考したほうがいいだろう。
仰いだ天に、複数の影が映る。よく見ると、その影は部長さんたちオカ研のメンバーだ。飛んできた部長さん達は次々に着地すると、俺達の下に駆け付ける。
「部長!」
部長さん含むオカルト研究部メンバーの続々の到着に、俺達の表情は明るくなる。駆け付けてきた皆は軽いけがを負ってはいるが大事ないようだ。
彼らから少し遅れて、バラキエルさんとメリイさんも合流した。メリイさんは無傷、バラキエルさんは怪我こそないが息が荒く足がおぼつかない。おそらく傷は回復したが出血がひどくて体力を大きく削られたパターンだろう。
「イッセー、ロキに勝ったのね…!」
「はい!ちょっと色々ありましたけど、なんとか!」
愛しい人たちの無事に部長さんや朱乃さんたちは破顔する。
「アーシア、イリナ!よかった、君たちも生きてたんだな…!!」
「はい!ゼノヴィアさんも無事で何よりです…!!」
「当たり前よ!危ない場面はあったけどね」
ゼノヴィア達教会トリオは抱き合って再会と互いの無事を喜び合った。
「って、紀伊国先輩、その出血は…!」
「紀伊国君、大丈夫かい!?」
兵藤とゼノヴィアは仲間との再会に歓喜するが、その一方で立ち上がれず横たわったままの俺の近くにできた大きな血だまりを見て、大まかな状況を察したのかギャスパー君や木場たちは顔を真っ青にする。
「あ…まあ、今は大丈夫だ」
疲労を押し隠すように軽く笑って返すが、皆の心配の色は薄まることはない。明らかに皆の心配を緩和できていないようだ。
「アーシア、まずはイッセーたちを回復してあげて」
「はい!」
喜びのひと時はすぐに終わり、ロキと直接戦った俺、兵藤、ゼノヴィア、タンニーンさん、そしてロスヴァイセさんの治療が始まった。
「もう大丈夫ですよ」
「ありがとな、アーシア!」
「いえいえ、イッセーさんに褒められるなんて…」
治療が一通り終わり、俺達は一息吐く。
治療を終えるや否やロスヴァイセさんは早速魔法で気絶しているロキの捕縛作業を始め、タンニーンさんは一足先に戦場の後処理へ向かった。
「そろそろ私たちも後処理を始めようかしら」
「そうですね」
俺も同意して足を動かしたその時、ふと見かけない奴等の存在を思い出す。
「…そういえば、孫悟空たちは?」
参戦したはずのアーサー、黒歌そしての姿がどこにもいない。もしかして、もうウリエルさんにちょっかいをかけに行ったりしたのだろうか。
「3人はいつの間にかいなくなってました。ヴァーリも見かけませんね」
塔城さんが戦いで汚れた制服の袖をひらひらと振って答えた。
「ヴァーリはフェンリルを道連れに戦線離脱した。覇龍を使ってサシでやりあうみたいだが…」
「そうだったのね」
今頃、覇龍を使ったヴァーリの元にアーサーたちが合流しているのだろうか。フェンリルをどうやって倒すかは知らないが…。
「無謀だけど、なんでかあいつが死ぬって感じがしないんだよな」
「そうだな…次に会うときは敵かな。その時はプライムスペクターで…」
「こら、さっき反動で酷い目に遭ったばかりだろう。もっと自分の体を労れ」
「悪かった」
と、余裕をこいてみようとしたらゼノヴィアに強い口調で怒られた。
今回は協力してくれたとはいえ依然として禍の団というテロ組織の一員であることには変わりない。いずれは、決着をつけるべき敵だ。
…だが、今回のことには感謝しておくべきだ。奴がいなければ、今頃ダブルフェンリルで全滅を免れ得なかっただろうしな。
「…う」
不意にがくっとバラキエルさんが力が抜けたか膝を突いた。そこにさっと駆け寄り肩を貸す朱乃さんが心配そうに言葉をかける。
「まだ安静にしていて」
「心配かけてすまない、朱乃」
負傷した父を優しく労る娘。そこに戦いが始まるまでの二人の間にあったギクシャクしたものは微塵もなかった。
「…これも、兵藤の起こした乳の奇跡か」
パイリンガルを通じて、兵藤は朱乃さんの心の奥底に秘めていた父への思いを引き出した。それはバラキエルさんにも伝わり、長年悲しみと憎しみに縛られていた親子関係はあるべき形を取り戻したようだ。
「その言い方は引っかかるけど…まあそんなところかな。バラキエルさんに、朱乃さんの本当の思いは伝わったと思う」
「やっぱり、俺の思った通りだったな。朱乃さんを救えるのはお前しかいないと思ってた」
「そんなに過大評価されても困るな…」
そうされるほど、お前がこのグループの中で大きな存在になっているってことだよ。精神的、戦力的にも赤龍帝の兵藤はこのグレモリー眷属の大黒柱だ。ある意味では部長さん以上の存在と言っても過言ではない。
もし、それが折れようものなら……きっと、グレモリー眷属存亡の危機になることは間違いない。
『戦いは終わったようだな』
丁度その時、俺達の下にもう一人現れた。
ごつごつとした石だらけの地面を歩いてくるのはヘルブロスことポラリスさんだ。装甲やスーツはすすけて傷ついたりもしているが、息が上がった様子もなく余裕を感じる。
『全員、生き残ったか』
「小猫から活躍は聞いたわ。あなたがいなければ、戦況はもっと悪い方へ転がっていたでしょうね。感謝するわ」
『気にするな、自分は君たちの味方として、君たちを助けるという当然のことをしたまでのことだ』
部長さんの感謝に、ヘルブロスは当然だと何でもないかのように返した。
ポラリスさんはポラリスさんで立派に戦果を上げていたようだ。後で活躍のほどを聞かせてもらおうじゃないか。
「それと…あなた、神竜戦争だかアルムンドゥスだか知らないけど、どうやらネクロム達と深い因縁があるみたいね」
ヘルブロスに向けられた部長さんの目がすっと細くなる。
神竜戦争、アルムンドゥス。聞いたことのない言葉だ。俺の知らないポラリスさんの秘密が俺の知らない所で明かされでもしたのだろうか。
『…そうだな、いずれは君たちも知ることになる』
部長さんの問いに、ヘルブロスは一瞬の沈黙を置いてから答えた。
「またタイミングって奴か?」
『ふっ、今は戦い抜いた仲間たちとの再会を喜び、一息吐くタイミングだと自分は思うがね』
ややうんざり気味な兵藤の言葉に軽く笑ってはぐらかすと、俺の腰に巻かれたドライバーに視線を移す。
『それが新しい力か』
じろりと俺のドライバーに合体しているプライムトリガーを眺めた。
『…見ればわかる、体にもデバイスにもとてつもない負荷がかかっているな。余程の緊急時でない限りは使用を禁止した方がいい』
ヘルブロスは俺に体にかかった負担を、ドライバーのことも含めて一目で見抜いた。
やはり、新しい力は危険か。これからの戦いのことを考えると、いつまたロキクラスの敵が来てもいいように使いこなせるようにはなりたいが…。
その考えを見抜いたようにヘルブロスは提案した。
『…そこで一つ提案がある。そのデバイスをこちらで預かりたい』
「何?」
思いもよらぬヘルブロスの申し出に、俺達は軽く目を瞬かせた。
『自分なら、そのデバイスを解析しかつデチューンできるかもしれない』
「でちゅーん…?」
『意図的に性能を落とすということだ。そうすれば出力は低下するが、体にかかる負担は減る。解析結果と返却は後日送らせてもらう、悪くないだろう?』
確かにこれから先の戦いもあの反動を抱えながら使うのは心配な部分はある。悪くない話だ。
「私の方から頼んでも良いだろうか」
その申し出に一番最初に賛成を示したのはなんとゼノヴィアだった。
「彼に…無茶をさせたくない。彼の負担が少しでも減るのなら、頼む」
前に出た彼女は眉を顰め、沈痛な面持ちでなんとヘルブロスに頭を下げた。
「私もお願いしていいかしら」
さらに部長さんも続く。
「気になる部分はあるけどこの戦いで、あなたが信用に足る存在だというのは十分わかった。もしよければ、これからも私たちに協力してくれると嬉しいわ」
柔らかい微笑みを浮かべて、そっと手を差し出した。その手が、部長さんの中にヘルブロスへの信頼が生まれたことを表していた。
兵藤も、木場も、塔城さんも、誰も彼女を止める者はいなかった。彼らがヘルブロスに向ける瞳には部長さんと同じく信頼の色が宿っていた。
『わかった。君達の期待に応えよう』
差し出された手をヘルブロスは握り、寄せられた信頼に応えようと硬く握手を交わし合う。
グレモリー眷属とポラリスさんの間に信頼が結ばれたことを象徴するこの光景に大きな安心感を覚えた。彼女もまた、俺と同じ様に一応とはいえ受け入れられたのだ。
あとは彼女の言う、その時が来れば…。
話は決まったところでドライバーからプライムトリガーを取り外してヘルブロスに手渡す。その感触を確かめるように、ヘルブロスはプライムトリガーを手慰む。
『…おっと、すっかり忘れていた』
渡したところでヘルブロスは何かを思い出した。その手元に青い光がぱっと瞬くと、USBメモリが現れる。そのメモリをヘルブロスは部長さんに渡した。
いきなり渡された青いメモリに部長さんは怪訝そうに眉を上げる。
「これは?」
『そのメモリの中に君たちが望んだネクロム達に関する情報が入っている。彼らの討伐のために、この情報を有意義に活用してくれ。彼らの根絶こそ、自分の願いなのだから』
「!」
俺達は弾かれたように揃ってメモリを見る。
この中に、凛の体を乗っ取った敵の情報がある。求め続けた真実が今この手の届く範囲にあると思うと、期待と不安に胸が高鳴る。
『では、また会おう』
がちゃりとネビュラスチームガンを構えると別れの言葉も待たずに銃でしゅうと煙を巻いて、姿を跡形もなく消した。
本当にあの人は来るときも去る時も唐突だ。まさしく神出鬼没。
…いよいよ、ポラリスさんの言う敵の正体を知る時が近づこうとしている。おそらくロキを越える強大な敵であることには違いない。言い知れぬ不安に一抹の不安を覚え、唇を引き結ぶ。
「…このメモリは一旦アザゼルに渡しましょう。そろそろ私たちは片付けを」
部長さんがそう言いかけた途端、入れ替わるように空から白い光が降って来る。光がその光度を落とし真の姿を明らかにする。
「……」
12の翼を震わせて背にしまうのは灰桜色の髪を持つ青年天使、四大天使の一人ウリエルさんだ。
ここに現れたということは、単騎でフェンリルを撃破したということか。とんでもない助っ人が来たもんだ。あのままロキを一人で倒すなんてことは……時間停止なんて能力を使えるくらいだから、あり得たかもしれない。
天界のトップの一人に数えられる彼を前に俺達は姿勢を正す。立場上向こうが圧倒的に上だからと言うだけではない。何せフェンリルを一人で倒すほどの実力者だ、下手に機嫌を損ねるようなことになれば一体どうなるか。
くれぐれも粗相のないようにと、緊張の面持ちを浮かべて迎える。
「初めまして、だな」
そのウリエルさんが鋭い目で並ぶ俺達をざっと見渡して言う。
「私がウリエルだ、熾天使を務めている。グレモリー眷属の諸君、そして紀伊国悠。今後ともよろしく頼む」
鋭利な目から一転、柔和で親しみを込めた笑みで俺達に挨拶の言葉を述べる。
その挨拶でウリエルさんの柔和な雰囲気が伝わったのか、幾分か俺達の緊張が緩んだ。
とりあえず、怖い人じゃなくて良かった…。
「紀伊国悠」
「はい!」
いきなりの指名に背筋が跳ね上がり声が上ずる。
「これを君に返そう」
そう言って差し出したのは、なんと俺がロキに投擲したグングニルのレプリカだった。そう言えば投げたら戻ってくるという能力を持っているにもかかわらず、投げたまま一向に戻ってこないからどうしたのかと思っていたら、ウリエルさんが持っていたとは。
「え、ど、どうしてこれを…!?」
「フェンリルを倒して君たちの援護に向かおうと思っていたら私の元に飛んできたのでね。どうにか回収したはいいがどういうわけか粉々になっていたので時間遡行で元に戻した。君がオーディンから預かっていたんだろう?」
「は、はぁ…ん?」
私の元に飛んできた?それってつまり、ロキにぶつかってそのまま飛んでいった先でウリエルさんに…。
あっ。意図的ではないとはいえ、俺、ウリエルさんにグングニルをぶつける所だった…?
「す、すみませんでした!!」
頭をガッツリ下げて、俺は謝罪を敢行する。初対面の人間…というよりは天使か、それも一勢力の首脳陣の一人に未遂とはいえ全力中の全力の攻撃をぶつけかけるとは無礼もいいところだ。
というかこれが公になったら俺の立場も、物理的な首も危うい。額に緊張の汗が伝う。
「ハハッ、ロキは撃破し、私に怪我はなかったのだから気にする必要はない。むしろ謝るのは私の方だ。もっと早く到着できていれば、君たちを危険な目に合わせることもなかった。力足らずな私を許してくれ」
だが朗らかに笑ってウリエルさんは許してくれた。それどころか到着が遅れたことに対して逆に向こうが頭を軽く下げて謝罪してきた。
「う、ウリエル様!セラフのあなたが頭を下げるなんて」
「イリナ。己に非があれば詫びるのは人としてだけでなく天使としても当たり前のことだ。それを忘れては人として腐ってしまう。特に私は権力を任された身だ。立場の関係はある、だがそういう礼儀は一段と意識していかねばなるまい」
頭を下げてまでの謝罪をイリナは諫めるが、逆にウリエルさんがイリナの指摘を否定し諫めた。
…何このイケメン。惚れそう。天界最強、天使、礼儀正しい、優しい、イケメン。どこをどう見ても強すぎるぞこの天使様。俺の中でウリエルさんの好感度が天を目指す勢いで鰻登りしていく。
一先ずグングニルを受け取り、ロキに大ダメージを与えたこの神槍を眺める。
ウリエルさんは回収した時には粉々になっていたと言っていた。込めた力に耐え切れず、自壊してしまうほどの凄まじいパワーをあの時秘めていたのか。それを可能にしてしまうプライムスペクターの力には頼もしさを越えて畏怖の念すら覚える。
「…そうだ、君たちに渡したいものがある」
ウリエルさんが手のひらに魔方陣を展開すると、小さい素朴な箱を複数取り出しては俺達に一人ずつ手渡していく。
「お近づきのしるしと、到着が遅れて君たちを危険に晒してしまったことへの詫びも兼ねての品だ」
「これは…」
大天使直々のプレゼントとは一体どんなものかと恐る恐る俺達はウリエルさんにもらった箱を開けていく。蓋が開かれた瞬間、中から解き放たれた食欲をそそるソースの香りが鼻腔をくすぐった。腹の虫も香りに誘われて催促の声を上げるように鳴く。
ごくりと唾を飲み、そして完全に開かれた箱の中にあったものは。
「…た、たこ焼き?」
こんがりと焼けて、青のりと鰹節をまぶし深い茶色のソースに彩られた球体たち。紛れもなく、たこ焼きであった。
「たこ焼きだ…」
「たこ焼きね…」
「たこ焼きだね」
「たこ焼きですね」
皆、予想外のものに呆気に取られたのかそれしか言えなかった。
「手作りのたこ焼きだ。戦いの後で腹も空いているだろう、遅れてきた分片付けは全て私がやるからゆっくり味わってくれ」
その反応を楽しむかのようにウリエルさんはにっこりと微笑む。
そう言えば、メリイさんが前にウリエルさんはたこ焼きを作るとか言っていたな。いやまさか、俺達がそれを口にする機会が訪れるとは思わなんだ。
それにしてもこのウリエルさん手作りのたこ焼き…。天王寺兄弟が作る至極のたこ焼きに勝るとも劣らない出来なのがこの立ち昇る香りと食欲を著しく刺激するビジュアルですぐにわかる。
「え、しかし、ウリエル様の手を煩わせるわけには…!」
同じ天界勢力である紫藤さんはウリエルさんの申し出に部下として、上司に汗をかかせるわけにはいかないと戸惑う。
「気にするな、君たちの功労に私も報いたいのだ。それと済まないが、メリィは報告も兼ねて私についてきてくれ」
「はーい、ウリエル様のたこ焼きは絶品ですよ~。しっかり、噛みしめるように食べてくださいね~」
呼ばれたメリイさんが最後に笑顔を振りまいて、二人は翼を広げて飛び立った。
「…ウリエル様も、フェンリルを倒すなんて十分すぎる功労を上げてるのに」
紫藤さんがぽつりと言う。
「私、あまりウリエル様と会ったことがなくて世間が言うような武闘派で怖いイメージがあったけれど全然そうじゃなかったわね。メリィたちがウリエル様にぞっこんなのもすごく頷けたわ」
「…このたこ焼き、最高ですね」
「小猫ちゃん、もう食べてる…」
塔城さんはもらったたこ焼きを早速食べながら見送っていた。
「熾天使であるウリエル様手作りのたこ焼きを食べることが出来るなんて、私たちはなんて幸せ者だ…!!」
「こんなにありがたいものを食べてもいいのでしょうか…」
「きっとこれはウリエル様だけでなく主が私たちに授けてくださった褒美なのよ!」
「「「ああ、主よ!」」」
ゼノヴィアとアーシアさん、紫藤さんは渡されたたこ焼きを神々しい物を見るような眼差しで見て、揃って祈りを捧げる。
何だこの奇妙な集団は。たこ焼きを崇める集団は初めて見たぞ。というか祈る前にたこ焼きが冷めるからさっさと食べた方がいいと思うのだが。
「紀伊国、一つ大事なことを聞きたいんだが」
ふと思い出したように兵藤が訊ねる。
「何だ?言ってみろ」
「今は紀伊国悠を名乗ってるけどさ、元居た世界では別の名前だったんじゃないのか?言い方を変えると、お前の本当の名前があるんじゃないか?」
「…あー、確かにそうだな」
今まで紀伊国悠として通って来たから、自分は別人であるという意識はあれど元々の名前まではあまり気にしなくなっていた。
そこを聞かれるとは考えもしなかったので、俺は内心驚いていた。
「イッセーの言う通りだな」
「そうね、聞いてみたいわ」
兵藤の何気ない質問が皆の興味を引いた。
「教えてくれよ、お前の本当の名前」
俺の真実を打ち明けた時と同じように、皆の注目を一身に受ける。だが今度は以前のような心からの不安も恐怖もなかった。
「俺の本当の名前は……」
あえて一拍置いてから、親がつけてくれた大事な、かつての名前をみんなの前で久方ぶりに口にする。
「…悠河。深海悠河だ。深い海に注ぐ悠久の大河と書いて、深海悠河」
ずっと背負ってきた、切り離すことのできない名前のはずなのに口から出た名前にひどく懐かしい響きを覚えた。今は敵である凛と同じ深海という姓を分かち合ったこの名こそ、本来の名前だ。
俺が告げた名前を、皆心に刻むようにしっかり反芻する。
「しんかいゆうが…なら、やっぱり悠だな!」
「これからは紀伊国先輩じゃなくて、深海先輩ですね」
「深海君、よろしくね」
そして温かい笑みを浮かべて、俺をさっき教えたばかりの名で呼ぶ。
今まで皆からは紀伊国呼びされていたから違和感はあるが、その名で呼んでくれたことが俺は紀伊国悠としてではなく、いよいよ本当の、深海悠河として認められたのだという感じがして嬉しかった。
「揃いも揃って呼び名を変え…あ、でも学校で呼ぶとまずいから学校の時は今まで通りで頼む」
天王寺とかクラスメイトの皆は異形絡みの事情を知らせるわけにはいかないし、混乱するだろうからな。
「それもそうだな!」
「よろしくな、深海!」
「ああ!」
弱さも、真実も晒して心から通じ合えた仲間たちと、心からの最高の笑顔を交わし合う。
俺の真名を教えたことでまた一歩、皆との心の距離が近づいた。
「…ん」
そんな中、死んだようにぐったりと気絶していた男が一人、目を覚ました。突然戦場に現れて半分暴走状態でロキを拘束した龍王ヴリトラを宿す男、匙だ。
「起きたな、匙」
俺と兵藤はまだ横たわったままの匙に近づき、声をかける。
「あ…兵藤か。紀伊国も…あれ、お前のこんな晴れやかな表情初めて見たぞ、憑き物でも取れたのか?」
「ま、色々あってな」
目覚めたばかりの匙は何も知らないはずなのに俺の心の変化をあっさりと見破った。
大きな変化だからやはり顔に出てしまうか。まあ、見られて問題があるわけではないが。
「そうか…俺、どうなってた?」
「派手に暴れてた、後で先生に文句言っていいぜ」
「ハハッ、そうか。ほとんど何も覚えてないんだ…けど、自分が消えてしまいそうな炎の中にいて、兵藤がそこから引っ張り出そうと呼びかけてくれてたことは…覚えてる」
その時の痛みと恐怖を思い出したか、匙の顔に暗い影が差す。
兵藤が同じドラゴン系神器である赤龍帝の籠手で暴走しかける匙を制御しようとしたときのことを言っているのだろう。兵藤の声がどれほど暴走しかけた匙にとっての光に、救いになっただろうか。
「でも、お前がいたおかげで勝てた。ありがとうな、匙」
にっと匙に笑いかける兵藤。
「…なら、体を張った甲斐があったな」
と、影も消えて満足そうにふっと笑う匙。
「お前らって、いっつもこんな死にそうな思いをして、戦ってるんだな。グリゴリのトレーニングですら逃げたくてたまらなかった。俺には耐えられねえや…お前らすげえんだなって心の底から思った」
「怖いのは俺だって一緒だよ。でも、俺にはハーレム王っていう夢がある。それを叶えるために道を塞ぐ壁はぶっ壊す、がむしゃらに突き進むって決めた!」
「夢、か」
神をも打倒した兵藤を突き動かす原動力。同じロキを倒した兵藤にあって、俺にはないものだ。
「おう、深海も夢はあるのか?」
「…いや、ないな。でも、守りたいものならたくさんある。今はそれでいい」
守りたいと思う真に心を通じ合わせた仲間、貫きたいと願う硬い信念。それさえあれば、兵藤のように実現したいと願う夢がなくともそれを原動力にして俺は戦える。俺は前に進める気がする。
「…俺の知らない間に随分と変わったな」
事情を知らない匙は俺の言葉にぽかんとしていた。話せば長いが、これだけは確かに言える。
「それだけこの戦いが俺にとって大きい物だったってことさ」
目下の障害を打ち破り、俺の心を縛り付けてきた恐れという鎖も消えた。
空を見上げる。見上げた天上には一片の雲もない満天の星空が広がっている。この美しさは俺が戦士として戦う覚悟を決めたコカビエル戦が終わった時に見た空と同等のものだ。あの戦いは戦士としての自分のスタートになった。
俺は全てを話した。皆は全てを認めた。それを出発点にここから紀伊国悠ではなく、深海悠河としての道が始まる。
俺の新たな始まりを祝うかのように、明星たちが瞬いていた。
「…なんか、眠たいな」
夜空を見上げていると不意に急激な眠気に襲われ、目をこする。それでも瞼にのしかかる眠気は取れない。
眠気はだんだんと増していく。やがて視界が揺れて、地面が近づいて…。
「疲れが……」
眠気と疲れに導かれるまま、意識は黒に染まっていき、その場にばたんと俺は倒れた。
外伝を除けばあと4話ほどでラグナロク編、死霊強襲編が終わる予定です。
次話、まさかの展開。新キャラも出ます。
次回、「円卓の反逆者」