旧魔王派のアジト、その一角にある食堂に一人の男はふらりと現れた。
先日行われたディオドラ・アスタロトと旧魔王派によるテロにも参加したその男の名は天王寺大和。『禍の団』ではル・シエルというコードネームで通っている。
いつものように黒スーツを着こなす大和はいつも通りにカウンター席に座ると、厨房に立つ質素な白エプロンに身を包むおばちゃんに注文する。
「おばちゃん、いつもの」
「あいよ」
飾り気のない元気のいい返事をすると食堂のおばちゃんはせっせと皿にライスを盛り、カレーのルーをつぐ。さらにその上にちくわをトッピングし、さっとカウンターで待つ大和の前に出す。
「いつものだよ」
「Merci」
カレーにちくわを乗せただけのメニュー、その名もちくわカレー。おばちゃんたちと仲良くなり始めた頃に大和がリクエストし出したメニューだ。
大和はフォークを手に取り、熱いカレーをすくうとゆっくりと口に運ぶ。
「しっかしあんたも好きだねぇ。カレーとちくわの組み合わせ」
「弟にも布教しているんだが嫌がられてしまった。美味しいのにな」
「私も長年生きたけどカレーとちくわを組み合わせる人は初めて見たよ。物好きだね」
「よく言われるよ」
おばちゃんとの会話に、大和も苦笑する。
何度も顔を出し、このちくわカレーという珍妙な品を注文するうちに彼は食堂で働くおばちゃんたちに顔を覚えられた。旧魔王派では非常に珍しい、というよりは唯一の人間というのも覚えられた理由の一つだ。
「…ここも、随分と寂しくなったな」
さらりと食堂を見渡す大和。
ピーク時ではなくともいつもなら10人ぐらいは談笑したり食事をする悪魔がいるのだが、今は閑散としており食堂で舌鼓をうっているのは大和一人だ。
「前の戦いで結構な数が死んじまったからねぇ。死者の中に見知った顔もいたからショックだったよ」
「過去に何度も戦死での死別は経験してきたが、やはり慣れない」
「そうかい…バカな連中が多かったけど、寂しいもんだね。あんただけでも生き残って、また顔を見せてくれて嬉しいよ」
もう顔を見ることも、声を聞くこともなくなってしまった彼らを思い出し、おばちゃんのしわの入った顔にしんみりとした色が現れる。
現行の秩序を破壊し、新たな秩序を生み出すという組織柄、こういった出来事は避けようがない。すでに何度も経験し、慣れたつもりだったが最近の大きな戦いで今までの中で一番多くの犠牲が出たことで再び抑え込んできた感情が蘇ったのだ。
ぱくりとカレーを一口食べてから、大和は答える。
「俺も、明日にも死ぬかもしれないがな」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ。生きて帰って、また飯を食いに来てくれる奴の顔を見るだけで私らは嬉しくなるもんさ」
「…なら、次の任務も生きて帰ってこなくてはな」
「ああ、私らはいつだって待ってるからね」
かっかっとあけすけにおばちゃんは笑顔を見せた。人柄の良さが滲み出ている輝くような笑顔だ。
生きて帰ってきてくれて嬉しい、待っている。それはクレプスに従うことを強要され、家族の命を人質に取られプレッシャーをかけられてしまい心の疲れてきた彼にとって非常に嬉しい言葉だった。
「一つ訊くが…あんたはどうして、テロ組織のアジトの食堂で働いているんだ?」
大和は一つ、思い切った質問をする。
テロ組織に所属している人間にこうした素性を訊ねればどんな後ろめたい事情が出てくるかわかったものではない。故に深く相手の素性を探らないのは暗黙の了解といった部分もある。
それでも大和が訊ねたのは彼女の人柄の良さと、何となく自分と同類であるという根拠のない確信があったからだ。
「単純な理由、お給料がいいからだよ。そりゃバレたらテロ組織に加担だの言われて捕まるかもしれないけど…リスクがある分給料は高いからね」
「……」
「うちも大変なんだ。夫が病に倒れて、息子たちを養っていかにゃならない。真っ当な仕事だけじゃやっていけないよ。うちみたいな貧しい家の悪魔はね」
やはりと思う大和はしみじみと苦労を語る彼女の話を痛いほど共感、理解できた。
父が死に、自分達を養おうと頑張る母も倒れてしまった天王寺一家の稼ぎ手は大和一人だ。彼も自分一人、問題を起こし続けた自分はろくな仕事に就けず、真っ当な仕事だけでは母の治療費も弟の生活費もまかなえないと考え、ミリタリーに興味があったのもあり外人部隊に入隊した。
持ち前のずば抜けた視力を活かしてスナイパーとして名を上げることで大金を稼いできた彼は、旧魔王派のクレプスに目を付けられてしまうことでテロ組織に身を堕とす羽目になった。
今でも父の今わの際の言葉を思い出す。いや、忘れられない。あの時の父の言葉が、思いが大和の立場を変え、家族に秘密を作り人には言えない仕事をしているとしても家族を思いやり、行動する原動力になっている。
「息子さんの歳は?」
「兄弟でね。兄が16、弟が11さ。兄が中々やんちゃ盛りでねぇ、働くのも大変だけどそっちも苦労しているよ」
「ほう、実は俺も同じくらいの歳はやんちゃこいてばかりいたよ」
昔の自分を思い出し、口角を上げる。
性格上色んな人と関わっていき目立つ反面、あまりよくない輩にも絡まれることも多かった弟の飛鳥を守ろうと片っ端から飛鳥に危害を及ぼす連中に喧嘩を売り、潰していった過去の荒れた自分。
若気の至りと言えばそうだろう。それなら家族に秘密で昏い仕事をしている今の自分もまた、若気の至りを引きずっていると言えるだろうか。
「本当かい?」
大和の告白におばちゃんが眉を上げる。
「ああ、喧嘩してばかりで親に何度も迷惑をかけたさ。弟が可愛くてな、だからこそ弟を傷つける奴らが許せなかった」
過去のやんちゃな自分を嘲笑うように語る。
何度も弟に悪意を向けんとする輩に喧嘩を吹っかけてはぶちのめし、ぶちのめされてきた。だがその痛みも、荒れた自分とは違って真っ当な道を進める可愛い弟を守るためと思えばいくらでも耐えられた。
「だがまぁ、それが今の自分を首絞めている要因にもなっているんだがな。人を助ければ、自分が苦しむ。世の中、世知辛いもんだ」
「全くだよ」
「「はぁ……」」
誰もいない食堂で、二人は盛大にため息を吐いた。
彼女はもちろん、今はいないが他にもいる食堂で働くおばちゃんたちはいつも「忌々しい現魔王は」だのと愚痴る構成員とは違って政治色がかなり薄い。彼と同じく今日を生きるのに必死な者同士であり、それを自らの事情を打ち明けずとも同類として自然と感じ取ったからこそこうして気兼ねなく苦労話を語り合える仲になれたのだ。
厳しい監視の目を向けるクレプスとの行動が基本とされている彼にとって、彼女たちとの会話は数少ないリラックスできる時間の一つだ。
「…あんた、彼女とかいないのかい?」
ふとおばちゃんはニヤリと笑んで話題を振る。
「彼女か…昔っから喧嘩に明け暮れてばかりでそういうのには興味はなかったな」
大和は天井を仰ぎ、遠い目で過去を振り返る。
いや、一度だけあった。
遠い幼稚園時代、同じ組の女子園児に恋をしていた。だが、もしフラれたらと自分の存在を否定されるかもしれないという恐怖に勝てず淡い恋心を隅に押しやりそのまま忘却した。
「嘘だぁ。あんたみたいなイケメン、悪魔の芸能人でもそうそういないよ」
精悍かつ整った顔立ち、魔力で若い容姿を維持できるそこらの悪魔よりもイケメンでスタイルのいい大和は食堂で働くおばちゃんたちからの人気が高い。
「ふっ、一つだけ言えるとしたら、俺より弟の方が美形だな」
だが大和には何よりも、自分よりも弟の方が優れているという思いがある。
「お、あんたの弟さんかい。あんたの弟ならさぞいい顔立ちなんだろうねぇ」
「あいつの良さを語ればキリがないが、俺よりあいつの方が彼女を作れそうだ。仲のいい幼馴染もいることだしな」
弟の話に変わり弟を褒められた瞬間、大和の喋りはイキイキと喋り調子付く。
人一倍弟の飛鳥に愛情を注ぐ彼は飛鳥のことになると目がないのだ。語りだすと際限なく喋りだすため、友人からウザがられることも度々あった。
「へぇー!」
「だが困ったことにあいつは中々の鈍感でな…彼女も苦労するだろう」
飛鳥と綾瀬の関係を思い出し、ため息を吐きつつ頭を抱える。
兄である大和の目から見ても、綾瀬が飛鳥に好意を抱いているのは感じ取れた。だがそれが本人に通じている感じが全くないのだ。あくまで飛鳥としては、綾瀬は付き合いの長い気の通じる幼馴染、竹馬の友といった認識らしい。
おばちゃんも鈍感と言うワードに、遠い過去のことを思い出した。
「あぁ…うちの友達にも鈍感な幼馴染にアタックしたのがいたね。結局、好意に気付かれる前にそいつは引っ越しちまって今生の別れさ」
「ほんと、鈍感ってのは罪だな…」
「そうだねぇ…」
大和の呟きに、しみじみとおばちゃんはうんうんと頷く。
「それもまた、あいつの魅力でもあるんだがな」
だが呟きの後に、大和はにっと笑みを浮かべた。おばちゃんは大和の弟の溺愛っぷりに心底愉快そうに豪快に笑う。
「ハハッ!本当に弟さんが好きなんだねぇ。あんたのようなカッコいいお兄さんに好かれる弟さんは幸せ者だよ。大金稼いでるのはいいけど弟さんを甘やかしすぎないようにしなよ?」
「それはない。そこそこの給料をもらって光熱費やらは出しているが、あいつの小遣いは500円にしている」
「500!?」
大和が出した数字に、思わず声を出して驚いた。
「遊ぶ金は自分で働いて稼ぐようにさせている。じゃないと、俺はどこまでもあいつを甘やかしてしまうからな」
「ははっ、そうかい」
溺愛っぷりを見せる一方で、大和はちゃんとそれを自覚している。本当なら遊ぶ金もしっかり用意したいところだが、それは飛鳥のためにはならないと痛む心を鬼にしているのだ。
それも、自分と違って飛鳥には真っ当な道を進んでほしいと願うからこそ。
会話もひと段落着くと、真面目な表情に切り替えて更なる話を大和は切りだした。
「なあ。いっそ真面目にクレプスとチェンジしてくれないか?」
「誰とチェンジするですって?」
いつの間にか大和の隣に立つ第三者。朗らかな雰囲気に突き刺さるような冷え切った声を放ったのは。
「く、クレプス…」
大和の仕事上のパートナー兼監視係、クレプス。相も変わらずの感情の読めない視線を大和に投げかけてくる。
「さっさと食事を済ませなさい。今後の予定について話すわ」
クレプスの介入で、二人の会話は終わった。
「すまない」と手短におばちゃんに言うと、早々にちくわカレーを平らげるのだった。
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かつかつと靴音を鳴らして、食事を済ませた大和とクレプスは長い廊下を歩く。
「何だ、チェンジしてほしいと言ったことをまだ拗ねているのか?」
「拗ねてなんていないわ」
軽口をたたく大和と、それを無感情で流すクレプス。このペアにとってこの光景は日常茶飯事だ。
(…本当に、バカな男)
隣を歩きスーツをさっと整える大和を、クレプスは冷笑する。
彼女は大和の家族の命を人質に取り、従属を強制している。
だが、それは半分嘘だ。
クレプスが握っているのはあくまで天王寺大和の個人情報と家族の情報だけだ。情報を握っているだけで、天王寺飛鳥やその母の近辺に彼らを監視、危害を加えるような旧魔王派の構成員は一切派遣されていない。
そもそもの話、あのグレモリー眷属が拠点とする駒王町に天王寺飛鳥とその母親を殺すために刺客を放つのは至難の業だ。三大勢力の和平以降、あの町は異形関係者の要所となり、グリゴリや天界の関係者も集うようになった。
堕天使総督のアザゼルだっているあの町に彼らの目をかいくぐって忍ばせるのは困難だ。旧魔王派の上層部が、拠点を攻めるならまだしもたかだか特定の一般人を殺すためだけに敵の拠点に人員を送ることを許すはずがない。
だが、この家族思いの男にはそれだけで十分。情報をしっかり握り、家族の危機をちらつかせいかにもな雰囲気を作るだけでころりと騙されてくれた。家族思いかつ直情型の性格をしている彼を騙すには、家族の情報がピッタリだ。
今の人間界ではSNSが発達し、より広く、より早く、より容易にあらゆる情報を得ることができるようになった。
住所などの個人情報はより重要性を増し、それらがSNSなどの不特定多数が見る情報の海に流出してしまう俗に言う身バレ、あるいは特定は誰もが恐れるものとなった。犯罪に携わる人間にそれらの情報が行き渡れば、身の危険に繋がるし詐欺などの犯罪にも利用されてしまうからだ。
家族思い、現代人が抱く個人情報流出への恐怖、それらを巧みに突くことで彼女は大和を騙すことに成功したのだ。
それに、もう彼は逃げることはできない。万に一つ、家族が危険に晒されていないことがバレた時や反旗を翻した時のために彼の睡眠中に手間をかけて呪印を仕込ませてもらった。
呪印が一度発動すればクレプスが処置を施すまで全身を麻痺させ、体の自由を奪うようになっている。当然、その発動は術者であるクレプス本人が感知できる仕様にもなっており、脱走、裏切りをできないようにしている。
掴んだ天王寺一家の個人情報も、いざとなれば裏組織に流すことだってできる。そうなればあの一家は犯罪組織のいいおもちゃにされるだろう。
脅しをかけ、厳重に裏切った時の保険もかけてはいるがクレプスは彼を殺す気は毛頭ない。彼女の目的のために彼の存在は必要不可欠なのだ。
いずれ来るあの時まで、彼を馬車馬のように働かせる。世の理不尽を思い知らせ、苦痛を、怒りを、絶望を与え、精神を追い詰め、そして最後に……。
そんな彼女の恐ろしい想像をつゆ知らず、大和は唸った。
「んん…お前は一体何をしたら笑ってくれるんだ?」
彼の身に流れるお笑い好きの関西人の血が、どうしても彼女を笑わせたいと疼く。これまで何度も温めてきたギャグを披露したり、それとなく冗談を言ったりしてきたが一度たりとも彼女が笑顔を見せたことはない。
「私を懐柔して家族の危機をどうにかしようというのならそれは甘い考えね」
冷めた会話を交わす間にも、二人は彼にあてがわれた部屋の前にたどり着く。部屋の主たる大和はドアノブを捻ってガチャリとドアを開け、部屋を進むと疲れたと言わんばかりにどかりと柔らかなベッドの上に腰を下ろした。
「で、クレプス。今後の予定は?」
クレプスは手帳を取り出すとパラパラとめくってメモに目を通す。
「明後日からアメリカで仮面の調査。それから10月に入ったら日本に飛んで京都で数日泊ってから最近発見されたらしい奈良の遺跡よ」
「いつも思うんだが人間界ばかりだな。この冥界には探しに行かないのか?」
「神祖の仮面は人間界に隠されたという確定情報があるわ。北米、南米、ヨーロッパ、極東アジア、東南アジア、アフリカ、そして日本…それぞれの地域に1枚ずつ隠されたと聞いてる」
それはクレプスが確かな筋から入手した情報だ。人間界に隠された理由には大戦の戦火から仮面を逃がすためと言われているが、実際のところ定かではない。
京都と言う地名を聞いて、大和が思い出すのは飛鳥のことだった。
「それに京都…京都か。あいつが修学旅行で行くんだったな」
最後に飛鳥と連絡を取った時、電話越しでもその嬉しそうな表情が伝わるくらいに自慢げに話していた。あの学園ではここ最近の修学旅行の行き先は京都に決まっているという。
「弟さんの顔でも見ていくかしら?」
「…いやよそう。折角の修学旅行だ、友達と精一杯楽しんだ方がいい。喜ぶだろうが、邪魔になりそうだ」
修学旅行と言えば高校生活最大の楽しいイベント。家族である自分と過ごすよりも飛鳥には、飛鳥なりに親しい友人たちと二度とない楽しい思い出を作ってほしい。それが大和の願いだ。
「お前には家族や親しい友はいるか?」
大和は修学旅行の話から、それとなく探りを入れてみる。普段から共に過ごし、危険な状況も幾度か遭遇し共に切り抜けてきた以上、やはりパートナーのプライベートは気になる。
「私のような悪魔に友人がいると思って?」
「…それもそうだな」
素っ気なさの極みとも言える彼女と普段から行動している大和には彼女が友人と談笑する場面が想像できない。
すると普段からの仏頂面が、すっと昏くなる。
「…家族なんていないわ。過去はとうに捨てた」
その言葉に秘めたるは一体何に向けての悲しみか、それとも怒りか、憎悪か。大和には想像もできない。
ごく小さな声での返事の後、普段も鋭いクレプスの目が一層鋭くなる。
「これ以上の詮索は止めて頂戴。さもなければ…」
「わかったよ、俺が悪かった」
クレプスがちらつかせる家族の命という脅しに、両手を上げて降参の意を示す。家族を引き合いに出されたら、彼にはもうどうしようもない。
「ところであなた、先日の戦いで神器に変化を感じたかしら?」
「神器に?いや、何もないが…どうしてそんなことを?」
クレプスの目の前で、己の神器たる黒銃を出現させる。組織に入りたての時に初めて聞いたこの神器の正式な名称は『漆黒の弾丸《ナイト・ペネトレイター》』という。
己の沸き立つ精神力をエネルギーに変換して撃ちだす銃。ずば抜けた破壊力もなければ、これといった特殊な能力もない。せいぜいリロードをする手間を必要としない、希少さだけが取り柄の神器だ。
「禁手に目覚めたかどうが聞きたかっただけ。もし禁手になれたら、利用価値が増すもの」
「本人の前で利用価値とか言うか…というか、禁手ってなんだ」
「ごく一部の神器使いが至れる神器の極みよ。神や魔王との戦いを経れば目覚めるかもとは思っていたけど思い違いだったようね」
「至れなくて悪かったな」
退屈そうに彼女が最後に付け加えた言葉に、余計な一言だとつい嫌味を漏らした。
それを気にすることもなく、涼しい顔でメモ帳をしまうと彼女は虚空に魔方陣を出現させる。
「それから、これも返って来たわよ」
魔方陣から横長いアタッシュケースをずいと取り出すと、がたっと木造のテーブルの上に置く。
「英雄派の連中もいいデータが取れたと満足していたわ。今後も前線に出る時が来るかもね」
アタッシュケースの中におさめられているのは、先日の戦いで大和が使用した対異形用スナイパーライフル。英雄派の研究も兼ねて神器の技術がふんだんに使われたそれは堕天使や悪魔との実戦において鎧を突き破ってそのまま本体をぶち抜くなど高い攻撃力を発揮した。
戦いの後、これを開発した英雄派から実戦のデータの提供とメンテナンスも兼ねてそちらへと送られていた。元々スナイパーだった大和もその使い心地を気に入っておりまた使ってみたいと返ってくるのを心待ちにしていた。
「できることなら勘弁してほしいが」
「あなたの意見は求めていない。それじゃあ失礼するわ」
有無を言わせない勢いで会話をぶち切り、彼女は宵闇のような美しい長髪を翻してそのまま部屋を出ていった。
「…面白くない女だ」
冗談を言っても何もなかったかのようにスルーするし、あえてぼけてもツッコミの一つも返さない。どこまでも事務的、時折悪魔らしい冷酷さを見せる彼女。
だが彼女はそこらの旧魔王派の構成員とは決定的な何かが違うと大和は感じていた。シャルバやクルゼレイたち上司の愚痴は言っても、彼らのように感情的に現魔王への敵意を見せたことは一度もない。
彼女が一体何者なのか。その好奇心は、日に日に増していった。
「…考えるだけ無駄か」
今のところ情報の少ない彼女の内心、本心を気にしていても仕方がない。大和は気分転換に何かしようと考える。
そう思って部屋を見渡して目についたのは携帯電話だった。
「…最近、あいつと連絡を取ってなかったな。寂しがってるか?」
ここ最近は仮面の捜索はもちろんディオドラ・アスタロトのテロなど、予定が立て込んでいたためゆっくり飛鳥と通話できる時間が取れなかった。
明後日からまた仮面の調査だ。また忙しくなり、時間が取れなくなるからここらで一回通話しておくのがいいだろう。
思いついて早速、スマホを手に取るが。
「…しまった、冥界だから電波が届かないんだった」
冥界では通常の携帯電話では圏外表示になってしまう。それに気づいて大きく息を吐いて手に取った携帯をテーブルの上に放り出す。
その次に彼の目に留まったのはクレプスが残していったアタッシュケースだった。ベッドから腰を上げて、アタッシュケースを開けると黒い銃身が窓から指す月(冥界の技術班が近年増えた転生悪魔への配慮として作ったもの)の光に妖しく光る。
「せっかくだから、名前でも付けてやるか」
以前クレプスにも名前はあるのかと聞いてみたが、決まった名称はなく英雄派でもル・シエル専用スナイパーライフルなどとガ〇ダムのシ〇ア〇クのような呼ばれ方をされていると言われた。折角自分のために作られた新しい相棒なのだから、やはり名前ぐらいはつけたい。
思い出すのはこの銃を始めて実戦で使った時、失敗してしまった魔王ルシファーへの狙撃。あの狙撃が決まっていれば、間違いなく『魔王殺し』と名付けていただろう。
「うーん…」
周りから中二病と呼ばれる自分の脳みそを振り絞り、一生懸命名前を考える。
頭の中に次々とワードが浮かんでは、違うそうじゃないと却下され消えていく。
破壊…狙撃…夜…。どれだけ言葉を考えても、上手くこの銃に馴染む名前が出てこない。
それならと大和は実際にこの銃を使用した前回の戦いの光景を思い浮かべる。するとすぐに、納得のいく名称が思いついた。
「『穿つ悪魔《ディアブル・ポルテ》』…」
その名称の元になったのは大和がスコープ越しに見た、堅牢な鎧ごと撃ち抜かれていく悪魔や堕天使達の姿。
如何なるものをも穿ち、葬り去る悪魔のごとき破壊力から大和はそう名付けることにした。
「…我ながら、いい名前を思いついた」
カッコいい強い銃にカッコいい名前。男児らしい中二心を強くくすぐられた大和は一人寂しい部屋で楽し気に笑んだ。
その夜、ニヤニヤしながら彼は床に就いたという。次の日の朝、起こしに来たクレプスがニヤついた笑みのまま寝ている彼を起こして、寝起きからかけた言葉が「気味が悪い」となったのはまた別の話だ。
クレプス「家族の命が惜しかったら従え(情報持ってるだけで何も手出しできない)」
大和「くっ…(ころっと騙されていやいや従う)」
契約成立後
クレプス「旧魔王派のために私の指示に従ってガンガン働いてね(気付いても時すでに遅し、呪印仕込んだしいざとなれば個人情報やばい連中にばらまくからもう逃げられないよ)」
大和「くっ…(なんでこないなってもうたんや)」
いいように利用される不憫な大和の明日はどうなる。
大和専用ライフル、あまりしっかりした名前になると禁手のアイデアが潰れるしで結構大変でした。
いよいよ次回からラグナロク編。色々てんこ盛りな内容ですのでお楽しみに。
次章予告
「今回の俺達の仕事は、この爺さんの護衛だ」
北欧の主神が、駒王の地に足を踏み入れる。
「貴様が凶行に走るというのなら、私も凶行にて対抗しようではないか…!」
禁断に手を染める悪神が、牙を剥く。
「私は怖いんだ。お前がいつか…」
青髪の聖剣使いは、仲間の未来を憂う。
「今の俺は、強いぞ」
新たなる輝きが、破滅の力を打ち破る。
死霊強襲編《コード・アサルト》 第四章 放課後のラグナロク
「汝ら、この世界を守ってはくれまいか?」
龍の願いは、永久に響く。