「一年間よろしくお願いしますね」
温和そうな副担任の柔らかな声とは正反対の周りから突き刺さる視線の鋭さに、織斑 一夏はほとほと嫌気がさしていた。それも一夏のいるクラスの特異さにある。クラスメイトの96パーセントが女子というこの空間での自分の異物感が嫌でもよく分かってしまう。真ん中の最前列という大変ありがたくない席のおかげで、四方八方からの視線が突き刺さり、一夏は針の筵に座っている気分だ。始まった高校生活、多くの者が新たな門出を楽しみにしていただろうが、一夏にとっては最悪に近いスタート。
救いを求めて窓際に座っている6年ぶりに再会した一夏の幼馴染、篠ノ之 箒へと一夏は視線を送るが、表情を変えることもなく、ふいっと外の景色へと顔をそらされてしまった。なんと薄情な奴だと、一夏は箒の席とは反対側に位置する席へと救いを求めた。
座っているのは一人の男。そう、一夏を除けば唯一の男子、癖の入った深い色をした赤毛は、窓から差し込む太陽の光を受けて、炎のように揺らめいている。その下に覗く眠そうなタレ目のくせに髪と同じ暗い赤色をした瞳は、彼の芯の強さを表しているようで、箒と違い目をそらす素振りも見せずに一夏の視線を面倒くさそうに受け止めてくれる。いつものように、ため息混じりに「なんですか?」と言う彼の言葉が、口を開かずとも一夏の耳に聞こえてくるようだった。
「……くん。織斑一夏くん」
「は、はいっ⁉︎」
いきなり呼ばれたおかげで一夏の声は裏返ってしまった。くすくすと高めの笑い声が周りであがり、その中に一つ長いため息が混じる。なんとも居た堪れない気分になり、苦い顔をする一夏に、「あ、あの、ゴメンね」と、えらく腰の低い態度で、副担任である山田麻耶がぺこぺこと頭を下げながら自己紹介を催促してくるものだから、腹を括って席を立ち後ろへ振り向く。
視線に晒されていたことは一夏も分かっていたが、改めて自分に向いている数多の好奇の目を見ると、背中に冷たい汗がつーっと流れる。自分の一挙動を見逃さないといようにギラつく獲物を前にした獣のような目が少し怖い。
「えーっと……織斑一夏です。よろしくお願いします」
取り敢えず名前を言ってぺこりとお辞儀をするのだが、そんなことは分かっているといった視線が返されるだけで、その続きを誰もが期待しているようであった。一夏は再度赤毛の男へ助けを求める視線を送ると、案の定ため息を返されるだけ。仕方がないので口を一度真一文字に結び、おずおずと再度口を開いた。
「えー……趣味って程ではないけど、友人の影響でよくロックを聴きます」
他には? という視線が再度一夏に刺さる。
「以上です」
「えー」という残念がる声を誰もあげはしなかったが、そんな声の大合唱を一夏は聞いた気がした。だが最低限の自己紹介はしたぞと苦笑いしか浮かべられない一夏に、席へと腰を落とすよりも早く、頭へと出席簿を落とされる。ロケット花火が破裂するような気味のいい音が弾けた。覚えのありすぎる威力に、恐る恐る一夏が出席簿の落とし主に目をやれば、見慣れた顔が鋭い目付きで一夏を睨んでいる。
「げえっ、テルミドール⁉︎」
「お前はクーデターでも起こすのか、馬鹿者」
再び一夏の頭に出席簿が落とされる。その衝撃も凄まじいが、職業不詳で月に一、二回しか帰ってこない一夏の姉がなぜかここにいる方が衝撃だ。間抜け顔を晒す一夏は放っておかれ、「織斑先生」と何故か親しげに副担任の麻耶が一夏の姉に向かって声を掛けた。麻耶との話がひととおり終わると、一夏の姉は腕を組んだいかにも偉そうな態度で、教室中を一度見回す。
「諸君、私が織斑 千冬だ。君達新人を一年で使い物になる操縦者に育てるのが私の仕事だ」
軍隊かよ。という一夏のツッコミは心の中だけにしまい、異様に静かな教室に千冬の声だけが響く。「逆らってもいいが、私の言うことは聞け、いいな」というなんとも暴虐武人な言葉に対して、遂に燻っていた女子達の想いが爆発した。それも耳を覆いたくなるような、黄色い声援を上げて。
「キャーー‼︎ 千冬様、本物の千冬様よ‼︎」
「ずっとファンでした‼︎」
「私、お姉様のためなら死ねます!」
いや、それはないだろ。という一夏の小さな呟きは、再び零された赤毛の男のため息と共に当然千冬様大合唱に簡単に流され、困った顔をする二人の男と同じように、千冬も鬱陶しそうな顔をした。
「……毎年、よくもまあこれだけ馬鹿者が集まるものだ。感心させられる」
「きゃあああお姉様! もっと叱って! 罵って!」
「でも時には優しくして!」
「そしてつけ上がらないように躾をして〜〜!」
千冬が担任であるという事実に、一夏も驚き、内心少し喜んだが、それよりも崇拝する勢いで叫ぶ女子達のおかげで妙に落ち着いてしまった。だが、そこで気を抜いてしまったのが間違いだ。
「で? 満足に挨拶も出来んのか、お前は」
「いや、千冬姉俺は--」
唐突に再び千冬が言葉を振ったおかげで、いつも家で話すように一夏は応えようとしたのだが、
「織斑先生と呼べ」
「……はい、織斑先生」
再度出席簿を落とされる結果となり、さらに悪いことに一夏と千冬が姉弟であるということが教室中に暴露た。黄色い歓声はなりを潜め、ざわつき始める教室がとても心地よくない。織斑千冬は、誰もがその名を知っているレベルで有名だ。もし知らなければ、余程辺境から来た者か、異世界からでも迷いこんだのだろう。
「あのISを唯一男で使えるっていうのもそれに関係が?」
そんな意味不明な見当違いな憶測まで飛び交い始め、一夏はよりげんなりとしてしまう。
IS。正式名称は『インフィニット・ストラトス』。宇宙空間での活動を想定したマルチフォーマルスーツ。しかし、作成された経緯とは裏腹に、宇宙進出は全くといっていいほど進まず、持て余されたスペックは『兵器』へと変わり、結局各国の思惑もあり『スポーツ』へと落ち着いた。世界を変えた飛行パワードスーツ。ただこのISには一つ大きな欠陥があり、それが一夏がISを学ぶこのIS学園にいる理由だ。学園のほぼ全ての者が女性であるIS学園、それが示す通り、ISは女性しか使うことが出来ないとされていた。そう、されていた。一夏が高校入学の際にたまたまISに触れ動かせてしまったおかげで一夏は今ここにいる。それも、実の姉はIS操縦者最強と呼ばれるその人。目立たないわけがなかった。なぜ一夏が動かせたのか、どんな専門家も答えを出すことが出来ず首を捻るばかりだったが、ISを動かせた一夏が唯一の男というのは間違いだ。それを表すように、ざわつく教室などまるで気にせず、一人の男が立ち上がった。
落ち着かない教室でも自己紹介は順調に進んでいたようで、もう一人の男の順番が来たのだ。燃えるような赤髪がよく目立つ。自然と教室中の視線はその男の方へと向き、しかし、男が口を開くことはなかった。静かに佇む男の雰囲気に呑まれたようにざわついていた教室は静かになり出し、一分も経つ頃には静寂が教室を包んでいた。それを待っていたように、男は不機嫌そうに息を一つ吐き出し、小さく肩を竦める。周りのクラスメイトへと、赤い瞳が流れていく。
「ハリです。よろしくお願いします」
そして座った。それに合わせてガタタと周りの女子達と、一夏でさえ同じようにずっこけかける。
「全く、一夏といいお前といいまともに挨拶も出来んのか」
「いや、千冬姉アレなら俺の方がマシ」
「織斑先生だ」
一夏の頭に出席簿を落とされる姉弟漫才が再開し、ハリは今日何度目かも分からない大きなため息を吐いた。
「おーいハリ」
「なんですか?」
一、二時間目の授業をなんとか乗り越えた一夏は、息も絶え絶えに友人の机へと辿り着いた。ISの専門的な授業も、目の前の友人のおかげで入学前に貰った参考書を捨ててしまうことなく、なんとか教えて貰いながら頭に詰め込むことが出来たおかげだ。だがそれで疲れないわけではなく、また女子だらけの学園ではどこにいても女子の視線に晒されるおかげで、少しでもそれを和らげようとハリの元に逃げるしかない。それが分かっているからか、面倒くさそうな顔をしながらも、ハリは普通に対応した。
「いや、お前は疲れないのか? 朝からずっとこう見られててさ」
「鬱陶しくはありますが、まあ仕方ありませんね。こういうところだとは元々分かっていましたし、動物園にいる動物の気持ちが分かる貴重な体験が出来たとでも思うしかないでしょう」
周りにちらりと目をやると、ハリは小さく舌を打つ。言葉は非常に丁寧であるのだが、吐く毒を隠そうともしない。容姿がいい割にこういうところがハリの少し残念なところだ。一夏とハリは中学からの友人だが、人当たりのいい一夏と違い、ハリは見ているだけにしておけとよく言われていた。
成績優秀で容姿端麗。スポーツ万能でもあるのだが、負けず嫌いで皮肉が目立つ。しかも、自分から誰かに進んで口を開くこともないので、ハリの評価は知らぬ者には人気があり、知っている者には微妙というなんとも困った男であるのだが、一夏とは不思議と仲が良かった。
「なあハリ、あんまりそういうこと言うなよな。同じクラスメイトなんだからさ」
「善処しましょう、好んで敵を作る趣味もないですし」
「ならいいんだけどさ」
そう言いながら、まるでそうする気はないというように腕を組むハリに一夏は小さく笑みを浮かべて肩を竦める。学園にハリがいて良かったとようやく穏やかな空気が流れたが、その流れを突如間に入ってきた金色がぶった切ってくれる。
「ちょっと、よろしくて?」
「へ?」
ようやく少し落ち着けたと思っていた一夏は、急に現れた来訪者に間の抜けた声を返してしまい、ハリは声を出すのも面倒だというように、ちらっと一度来訪者を見ただけで我関せずを貫いた。
二人に声を掛けてきたのは当然女子で、金色の髪は僅かにロール掛かり、青い瞳を持った大層な美人であった。身に纏う空気はいかにも今の世を象徴するような感じで、一夏はどうも苦手だと僅かに口元が引き攣る。今の世というのは所謂女尊男卑。ISが女性しか扱えないということから、女=偉いという公式を掲げる者達がいる。
それを証明するかのように、いつまでも呆ける一夏と、まるで気にしないハリが気に入らないのか、金髪の女子は眉を顰めた。
「訊いてます? お返事は?」
「……あ、ああ、どういう用件だ?」
ハリへと目配せした一夏だが、全くハリは何も言う気がないようで、仕方なく一夏が言葉を返したのだが、その返し方がセシリアには気に入らなかったらしい。
「まあ! なんですの、そのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるのではないかしら」
「……別に話しかけてくれとは誰も頼んでいないでしょう」
ぼそりと呟かれたハリの言葉に、笑わせるなと一夏は目で合図を送るが、全く従う様子はない。話しかけるなオーラを存分に滲ませだすハリもハリだが、偉そうな女子は気が付いていないのか、こっちにもまるで効果がない。
「悪いな、俺、君が誰だか知らないし」
笑いそうになったのを誤魔化すのと、こういう手合いはさっさとお引き取り願いたいので追い払おうと試みるが、一夏の言葉は火に油を注いだだけらしかった。金髪女子は吊り目を細め、声に厳しさが増す。
「わたくしを知らない? このセシリア・オルコットを? イギリスの代表候補生にして、主席入学のこのわたくしを?」
「代表候補生? それってたしか……」
「国家代表IS操縦者の候補生のことですね、オリンピックの強化選手みたいなものです」
「あら、ちゃんと分かってますのね。そう、本来ならわたくしのような選ばれた人間とは、クラスを同じくするだけでも奇跡……幸運なのよ。その幸運をもう少し理解して頂ける?」
「選ばれたと言うなら少なくとも国家代表になってから言っていただきたいですね。例えば彼の姉のように」
ああもうだめだ。一夏は我慢できずに噴き出した。友人の全く手加減する気の無い皮肉に負けてしまった。セシリアの言い分に則るなら、元国家代表であり、モンド・グロッソ総合優秀者である千冬の弟であり、世界で二人しかいない男と同じクラスというのはどれほど幸運なのか分かったものではない。それこそ正に奇跡だろう。
「そ、それは自分の力ではないでしょう⁉︎」
「まあそうですね。確かに貴女の言う通りです」
「そ、それにわたくしは入試で唯一教官を倒したんですのよ⁉︎」
「入試ってあれか? ISに乗って戦うってやつ?」
「それ以外に入試などありませんわ」
「あれ? 俺もハリも倒したぞ、教官」
「は……?」
ようやくセシリアの動きが止まった。驚きに目を見開き、信じられないようだ。その姿を馬鹿を見る目で一夏もハリも静かに見つめる。
「わ、わたくしだけだと聞きましたが?」
「女子だけってオチじゃないのか?」
「つ、つまりわたくしだけではないと……?」
「いや、知らないけど」
「あ、貴方達! 貴方達も教官を倒したって言うの⁉︎」
「話が進んでいませんよ」
「まあ、えーっと、取り敢えず落ち着いたら?」
「これが落ち着いて……!つっ……!また後で来ますわ! 逃げないことね! よくって⁉︎」
「……逃げてるのは貴女でしょう」
チャイムによって阻まれたせいで、ハリの言うようにセシリアは逃げるように離れて行った。ボソッと言うハリの言葉に、一夏はまた噴き出し、一、二時間目と違い千冬が教壇に立ったことで一夏の頭に出席簿が落とされたのは言うまでもない。
「全く、さっさと席に座れ、授業の前にやることがる」
静かになった教室を見回して、千冬は静かに口を開く。
「再来週のクラス対抗戦に出る代表者を決めないといけない。クラス代表者とはそのままの意味だ。まあクラス長みたいなものだな。一度決まると一年間変更はないからそのつもりで」
千冬は言うことを言いきり、それを察したクラスがざわつき始める。クラス代表者というのは、普通の学校の委員長などと違い、それなりに重い意味を持つ。世界で数少ないIS操縦者として、その腕前を披露するわけだ。それなりに慎重に選ぶべきなのだが、
「はい! 織斑くんを推薦しまーす!」
「わたしもそれがいいと思いますー」
「わたしはハリくんがいいと思います!」
「わたしも〜」
花の女子高生にそんなことはあまり関係なかった。女子しかいないと思われていた中に突如混じった二人の異端。それもどちらも美形とくれば、その好奇心たるや凄まじい。ぷかりと水面に浮き上がる泡のように、二人の名前が浮上したのは自然な流れだ。
「では、候補者は織斑 一夏とハリ……他にはいないか? 自薦他薦問わないぞ」
「俺⁉︎」
「織斑。席に着け、邪魔だ。さて、他にはいないのか? いなければこの二人の中から選ぶぞ」
「ちょ、ちょっと待った!」
横合いからいきなり殴りつけられたような衝撃に、思わず立ち上がりクラス代表者になるのを阻止しようと一夏は試みるが、姉に一蹴されてしまいまるで取り付く島がない。ハリへと視線を送ると、指でトントンとリズムをとる不機嫌な時の癖を披露しているだけで、一夏に加勢する気はないらしかった。
「待ってください! 納得がいきませんわ‼︎」
しかし、どうしようかと頭を捻る一夏の後ろから、ここでセシリアが加勢してくれる。昨日の敵は今日の友とでも言うべきか、思ったよりもいい奴なのではないか、と一夏が思っているのも束の間、周りを置いてきぼりにして、セシリアは一気に捲したてる。
「そのような選出認められません! だいたい男がクラスの代表だなんていい恥さらしですわ! わたくしに、このセシリア・オルコットにそのような屈辱を一年間味わえと仰るのですか⁉︎」
その後もセシリアの演説は続き、やれ実力がどうのこうの、男がどうのこうのと一夏の内心でセシリアの評価がどんどん下がっていき、げっそりと疲れはてた頃に、遂に一夏の我慢の限界が来た。
「大体、文化としても後進的な国で暮らさなくてはいけないこと自体、わたくしにとっては耐え難い苦痛で」
「イギリスだって大してお国自慢ないだろ。世界一マズイ料理で何年覇者だよ」
「なっ……!」
一応補足しておくが、イギリスにだって美味しい料理はある。例えば、誰もが知ってるミートパイやローストビーフは、実はイギリス料理だったりする。まあそんなことは置いておいて、この一夏の一言は、大変セシリアの怒りに触れた。その料理で育ったのだから当然だろう。だがそれは自国を馬鹿にされた一夏も同じだ。
「決闘ですわ!」
「おう、いいぜ。四の五の言うより分かりやすい」
「言っておきますけど、わざと負けたりしたらわたくしの小間使い……いえ、奴隷にしますわよ」
「侮るなよ、真剣勝負で手を抜くほど腐っちゃいない」
バチバチと音が聞こえるほどに睨み合う二人に、いつまでもそうしてもらっていては困るため、話に蹴りをつけるために千冬が口を開く。
「さて、話はまとまったな。それでは勝負は一週間後の月曜。第三アリーナで行う。織斑とオルコット、ハリはそれぞれ用意をしておくように」
「私もですか?」
「二人がやるのに他薦とはいえお前だけ傍観者ではいられないだろう」
「……仕方ありませんか」
何か言いたいことは多くありそうだったが、ハリは特にそれ以上何も言うことはなかった。ただ、ことの発端となった一夏とセシリアの二人に忌々しげな視線を送っている。次の休み時間に謝らなければ皮肉の嵐だと一夏は心に誓った。