「いやぁ、それにしてもあの時は驚きました」
「いや、立花の気持ちは分かる。私達も初めて遭遇した時はどうしたものかと思ったからな」
困った笑みを浮かべる響と苦笑する翼。その二人の視線の先には妙に神々しい雰囲気を放つ機械を全身に纏った黒い異形が存在していた。それはその機械の手を使い器用に将棋の駒を持つと、盤へ良い音を響かせるように置いた。
「ふむ、そうくるか。ならば……」
弦十郎が一度だけ腕を組み盤を眺めて駒を掴む。その様を眺めてある女性がため息を吐いた。
「ま、あれは色々と衝撃だったからねぇ」
その女性―――天羽奏はどこか懐かしむように笑った。彼女が今も生きるのを諦めないで済んでいる理由。それが弦十郎と将棋を指している存在。通称ノイズさんのおかげであった。あのツヴァイウイングで行ったネフシュタン起動を兼ねたライブ。そこへ現れた大量のノイズの中にそれはいた。一体だけ異様な存在感を放ち、その威圧感だけで二人は理解したのだ。あれは別格だと。揃って死を覚悟する程の雰囲気の中、それでも人々を守られなければとギアを纏おうとした瞬間だった。
「奏、何か様子がおかしい」
「は?」
「あれ……」
二人の視線の先では、黒いノイズが他のノイズを先導し観客のいない方へと動き出していたのだ。まるで交通整理でもするかのような動きで手を動かし、ノイズ達が整然とそれに従って会場を出ていく。観客達もあまりの出来事に逃げる事も忘れ、その光景をただただ見つめていた。それはツヴァイウイングも例外ではなく、ギアを纏うのも忘れてその光景を見つめていたのだ。だが、さすがにそのままとはいかなかったのだろう。警備員の誘導で観客の避難が静かに行われた。それが終わりを迎える頃、会場に黒いノイズだけが戻ってきた。
「奏、あのノイズがこちらへ来る」
「っ! やっぱりノイズはノイズかっ!」
身構え、今度こそギアをと思った彼女へ黒いノイズは会場の床に手を触れさせて少しだけ炭化させる。本来であればノイズは何かを炭化させると共に自滅するのだが、その黒いノイズは自滅せず存在し続けた。それはある意味で二人にとって恐怖であった。目の前の存在はいくらでも人を殺せる事を意味しているのだから。やがて、床に当てていた手を離し、黒いノイズは二人を見つめ続けた。その手を床へ向けるようにしたままで。
「……もしかして、何か床にある?」
「……慎重に移動するよ」
ノイズからある程度距離を取りながら、二人はその背後から床を見た。そこには、平仮名でこう読めるように炭化させられていた。
「てきじゃない?」
「……嘘、だろ」
「で、でも奏! これはそうとしか」
「ノイズだぞ! 何でノイズが!」
「だけどこれは平仮名だよ! そもそもこのノイズは最初から敵対行動を取らなかった。それどころか」
翼の言葉を無視して奏は黒いノイズを睨み付ける。彼女にとってノイズは家族の仇。それを見過ごす事は出来ないと思ったからだ。すると、その殺気を感じ取ったのだろう。黒いノイズは彼女の方へ向き直ると、素早い動きで行動を起こす。
「「っ!?」」
何とその場に座り込み、土下座したのだ。まるで殺さないでくださいと言わんばかりの動きと情けなさで。これには奏も戦意を削がれた。翼さえ思わず「うそぉ」と声を漏らす程の見事な土下座だった。その後、会場の床を使った何度かのやり取りで黒いノイズはカルマ・ノイズと名乗り、人類に害するつもりはない事と、今後も現れるだろうノイズを平和的に排除する事を条件にその保護を求めてきた。これを受け、日本政府はその対処に頭を悩ませた。何せノイズである。それが日本語を使い、コミュニケーションを求めてきた。更に今後起こるだろうノイズ災害を平和的に解決するとまで言ってきている。
「あの行動はそれを分からせるためのものだったのでは?」
「バカな。ノイズだぞ。信頼出来る訳がない!」
「で、ハーメルンの笛吹きと同じ結末を辿るのですな」
「……万一に備え、例の部署の本部内で軟禁する形が良いかと。以前から計画はあったRN式回天特機装束を流用する事で対処可能だそうです」
その言葉が決め手であった。カルマ・ノイズは通称ノイズ参型と名付けられ、二課内ではノイズさんと呼ばれるようになる。ちなみに壱型は通常のサイズで弐型が大型。そのどちらでもない事から参型と呼称される事になった経緯がある。
そうしてノイズさんは二課で預かる事となり、その察知能力などでノイズ災害を未然に防ぐ事となっていく。
「ふぁ~……凄いんですね、ノイズさん」
「ああ。意思疎通はノイズさん専用ギアによって筆談が可能となった。そして、どうも人間文化への理解も早くてな」
「旦那が暇潰しも兼ねて教えた将棋を今じゃ本を読んで勉強するぐらいまで成長したよ。どうも日本語に限り読めるらしくてさ」
「へ~、ホント不思議なノイズですね」
「立花、ノイズではない。ノイズさん、だ」
「あ、ノイズさん」
翼の訂正におうむ返しの響。そのやり取りにノイズさんが近くの専用ボードを手にする。そこへ何か書いていき、それを終えると響達へ向ける。
「えっと、好きに呼んでくれていい? ホント?」
首を縦に振るノイズさんに響はどこか嬉しそうな笑みを浮かべる。可愛く見えたのだろう。確かに見かけだけなら愛らしさがなくもない。ただ、その全身を覆うようなギアが少々それを無骨にしているが。
「それはいいが、そちらの番だ」
弦十郎の声に体を将棋盤へ戻し、腕を組んで考え込むノイズさんを見て、響達は小さく笑う。彼がいたからこそ立花響はここにいる。しかも、その命を助けられて。ある日の事、彼女は下校途中でノイズと遭遇した。運悪く、そこにいた幼い少女も見つけてしまう形で。一人で逃げれば良かったのだが、人のいい彼女はそれを良しとせず、少女を連れ立ってノイズから逃げ出した。だが、その逃避行も限界があった。彼女も体力が無尽蔵にある訳でもなく、逃げ延びた先の場所でノイズに囲まれてしまったのだ。
―――もう、ダメかな……?
怯える少女を抱き締めながら、そう心で呟いた時、突如としてノイズ達がその場から後退を始めた。何が起きたのか分からぬまま、その光景を見つめる彼女達の前にノイズさんが現れたのだ。その手にしたスケッチブックサイズのボードには「大丈夫?」と書かれてあり、それに彼女と少女は思わず目を疑った。その後、二課の者達がそこへ駆けつけ、少女は母親と再会し響は友里あおいという女性からあったかいものを渡され、事情を説明された。そこで彼女も少女同様今回あった事を黙る事になるはずだった。
「え? ノイズさん? 何か用?」
そこへノイズさんが現れ、あおいへボードを見せたのだ。そこには、響を二課に入れるべきとあった。突然の事で理解出来ないあおいへ、ノイズさんは更にボードへ文字を書く。
「えっと……彼女は装者になれる? まさか、あの時の行動はそのため?」
「えっと? 一体何の事ですか?」
「そのね、悪いのだけどちょっと来て欲しいところがあるの」
こうして響はあおいとノイズさんに連れられリディアンの地下にある二課本部を訪れ、そこである物を渡される事となる。それは、円筒形の綺麗なアクセサリー。待機状態のギアであった。それはノイズさんが奏のアームドギアを砕いて集めて圧縮した物。必要になると訴えての行動であった。
「これを一度身に着けてくれないか?」
「あ、はい」
「そして、もし何か心に浮かんだのならそれを口にして欲しい」
弦十郎から渡されたそれを首にかけ、言われるままに目を閉じて心を研ぎ澄ませる。すると彼女の中にある言葉のような旋律が浮かんだ。無意識にそれを口ずさむ響に周囲は驚き、そして頷いた。ここに二人目のガングニール装者が誕生したのだ。
それが昨夜の出来事。そして、今響は詳しい説明と今後の事も踏まえた相談をするために再び二課を訪れていたのである。ちなみにノイズさんは基本的に本部内を自由に動いている。ただ、大抵発令所か訓練施設で過ごしている。やはりノイズがいる事に慣れない人々もいるので、それに配慮しているのだ。
「ほら、そろそろ待ち時間も終わりにしてくれ」
弦十郎の言葉に頷き、ノイズさんは持ち駒である銀を弦十郎の角の前へ置いた。銀を取るには飛車を動かすしかなく、動かさなければ角を取られた上で王手となる最良手である。これには弦十郎も唸った。
「いや、これは参ったな」
「旦那、ノイズさんが待ったするかってさ」
「いいや、男たるもの待ったはなしだ。ただ、少し考える時間をくれ」
「……ノイズさん、いくらでも待つみたいですよ。にしても、本当に不思議だなぁ~、ノイズさん」
響の声にノイズさんは向き直ると手を左右に動かした。そんな事はないと言っていると察し、彼女は心から笑う。全てのノイズがノイズさんのようであればいいのに。そんな事を思いながら……。