モンスターハンター――ハンター黎明期――   作:らま

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第02話 生きるための戦い

 ジャングル。それは熱帯多雨林のことだ。これが形成されるには年間の降雨量が多いことが条件となる。ゲームであればそうした天気の話は存在しなかったのだが、現実となったことを考えればおそらくそういうことなのだろう。

 歩いて歩いて、その上で知った事実を持って彼はただ落胆を通り越して絶望していた。望んだものはほのぼのフリーライフ。ところが現実は血で血を洗うような暴力と破壊が支配する世界。人と人が殺し合うような世界でなくてよかったと思うべきか、それとも同族の友誼を期待できないために最悪だと思うべきかはわからない。ただ状況がよくないものであるということだけが確かだった。

 

「はあ……なんでこんなことになったんだ。あの神域だなんだでの話、実は俺をはめるためのものだったとかじゃねーの」

 

 疲れと途方に暮れたことで足を止めて、うつむいた彼はそう愚痴る。腰を曲げて手頃な石に体重を預け、考えを巡らせようとするもうまくいかない。ただ後悔と絶望に心は支配されている。

 実はこれは自分に対するなんらかの罰なんじゃないか。神様とやらが出てきて願いを叶えるとか言って希望をちらつかせて、その上で絶望させるためのものではないか。馬鹿な想像だと思いながら完全に否定はできなかった。

 

 人は希望があるから生きていける。パンドラの箱の神話でもこれは語られている。パンドラの箱については諸説あるがパンドラは好奇心からこの世のあらゆる災厄が詰まった箱をあけてしまう。そして、最後にはエルピスだけが残った、というものだ。

 エルピスの訳は一つだけではないが、最も有名な所を言えば『希望』だろう。犯罪、疫病、欠乏、悲嘆というあらゆるものが飛びだし世に解き放たれる。しかし、箱には最後希望だけが残された。つまり、世にあらゆる災厄が満ち溢れても人の手には希望が残され、希望があれば生きていけるということだ。

 だが、エルピスを『希望』と訳しながらも別の解釈も存在する。最後に箱に残ったエルピスとは希望であり、そして希望こそが最悪の厄災であるというものだ。希望が無ければ最初から諦め裏切られることなどない。希望が強ければ強いほど、絶望は色濃くなるのだ。

 

 生きることに疲れて最早慢性的に死に向かっているだけだった彼にとって、この異世界へと行くという話はまさに希望だった。疲れは眠りによって癒され、ささくれたっていた心は希望に満ち溢れていた。

 それがこの世界にあって潰えてしまう。モンスターが跋扈する世界で現代人がどうして敵うというのか。ただ生きることを楽しみたいと思った彼の願いは、生きることさえ叶わぬ世界へと送り届けることとなった。

 

 

「はは……もういっそのこと、ここで首吊ってやろうかな……」

 

 そうすればもう、苦しむことはないだろう。その思いを込めてはいた愚痴はとても甘美な誘惑を秘めていた。希望があるから絶望もある。そして、人は希望を抱かずにはいられない。だが、死ねばその全てから解放されるのだ。

 俯いていた彼が顔をあげた時、そこには暗い希望が宿っていた。死を全ての解放と見てそれに対する恐怖よりも希望が大きくなろうとしていた。

 死というものは生命にとって最も恐ろしいものだ。個を生かし、種を生かそうとする生命にとって死とはそれを阻むものに他ならない。だが繁栄し子をなす義務が限りなく少なくなった人にとっては種の存続より個々の繁栄を望んでも仕方ないだろう。それが種を繁栄させた秘訣なのか、それとも種の繁栄の結果なのかはわからない。だが、少なくとも死というものはそうした種としての本能のすべてが遠ざけようとするものであり、だからこその終着点なのだ。

 

 首を吊るのに必要なのはロープとそれを掛けるための高場だけ。幸いにして蔓が多く存在するそこでは必要なものはすぐに手に入るだろう。ただの妄想が現実めいたものになりつつある。それでも恐怖よりも希望が大きかった。いや、それだけ絶望が深かったということだろう。

 全てを終わらせることができる。そう思って彼は立ち上がり準備を始めようとした。足に力を入れて、腕で体を支えながら立ち上がろうとして……その足がふらつき倒れかけてしまった。

 

「あれ? ……はは、まさかいまさらビビってるのかよ」

 

 立ち上がった彼の足は震え膝は笑う。それは恐怖からか、それとも疲れからか。だがこの恐怖自体もまた後押しする結果でしかない。この世界で生きるということは、常にこの恐怖にさらされるということなのだから。

 近くにあった手頃な蔓を手に入れて、両手で引っ張って強度を確かめる。万力こめて引っ張ろうとも千切れる様子のない蔓に満足して輪っかを作った。つるつるしたそれは結びにくかったが、それでも結ぶことができていざ場所はと上を見上げる。

 枝は多数存在する。そのどこでも目的を達することはできるだろう。だが多数あるそれを探すよりも、見上げたその時から彼は動けずに固まっていた。視界にあるそれは決して彼に危害を加えるものではない。ただ、日が傾いて世界を橙色に染め上げる太陽があるだけだった。

 

「……な……んでっ……」

 

 不意に声がこぼれた。喉は乾いて唇は水分を失いはりついて、声を発するのも一苦労だ。だが、それでもそのこぼれた声は今までのただ絶望に染まった抑揚のないものではなく、感情のこもったそれだった。

 

「なんで……だ、よ……」

 

 涙があふれた。嗚咽で喋ることさえ難しい。止どめなくあふれる涙は堰を切ったように氾濫する感情に付随している。ただ、ただ涙があふれる。

 

「なんで……俺、――こんな……こんな目にあわなきゃ、いけないんだよ……」

 

 慟哭でさえないそれはただの感情の発露でしかなかった。けれど飾るでもなく隠すでもなく、正しく彼の感情だった。理不尽と偽りの希望で溢れる運命に、ただ文句を言うだけのそれは無様でしかない。それでもまさしくそれは裏原和也の正真正銘の感情だった。

 

 世界というものは常に理不尽で満ちている。それがわかったからといって、理不尽を許せるわけではない。理不尽は常に存在し、許せないと思っても人を痛めつけるものでしかない。

 裏原和也にとって理不尽とはそういうものだ。だからずっと疲れながらも諦めて生きていたし、こうしてまた諦めていた。それが今変わってしまう。嫌だった、苦しかった。死にたくなんかない、生きて生を謳歌したい。それは希望を見出すことができなくなっていた部分の、だがそれでも彼の感情だ。

 

 夕日は世界を染める。それは赤い血の色。暗い死の闇に世界を落とし込む予兆の色。それを見て、何故胸が熱くなったのか。その時の彼の心情は誰にもわからないし、彼自身今後もわかることはないだろう。ただ、理不尽に自ら死のうとしている己がどうしようもなく惨めだった。

 

 

 

 

 どれぐらいそうしていたのだろうか。照らしていた光が消えてジャングルに薄暗さが戻ってはっと気づく。夕日に照らされる前よりもさらに暗くなったそこで、先を輪っかにした蔓を手に持ってただ立ちすくんでいた。

 

「なに……やってるんだろうな、俺」

 

 それは死のうとしたことへの自嘲からか、それとも簡単に揺らいだ心の対する自嘲か。虚ろのような目を蔓の輪っかに向けて、ひとり呟いた。

 寝よう。発したつもりの言葉は耳に入ってくることはなく、木が乱立している箇所の根を床にして目を閉じた。願わくば、すべてが夢であればいいと思いながら。

 

 

 

◆◇◆

 翌朝、光に照らされて目が覚める。尤も、夜中のうちから何度も起きては寝てを繰り返したために、『光に照らされたことで目が覚めた』という訳ではなかった。ただ、もう何度目かになるのかわからないほどの寝覚めの際に、光に照らされていることに気が付いたので起きることにしたというだけだ。

 朝起きたそこは、おそらくは昨日寝た場所のままなのだろう。木の根と根が絡み合う奇妙な寝床は土と苔で飾られている。どうやら衛生的とは言い難い場所だったようだ。

 そのようなことを思いながら彼は一人頷いた。一度死を正面から捉えたことで、彼は精神的に落ち着くことができていた。足掻いて、足掻いて。それで生きてみようと思うことができた。根底にそうした思いがあってこそ寝床を衛生的でないなど考えることができた。

 

 大地に足をおろして後は背を伸ばして一度体をほぐす。何をするにしてもこわばったままでは支障をきたす。落ち着いてから再度あたりを見渡した。正面をまっすぐに見つめても目に入るものは相変わらずジャングルだけ。生い茂る木と苔で代わり映えのない視界だ。右を向いても同じ、左を向いても同じ。後ろを向いてもやはり同じ。生い茂る木と苔の生えた地面だけだ。

 

「っし! とりあえず生きてみっか!」

 

 元気いっぱいとばかりの声がジャングルに響く。昨日の彼を知るものならそれが虚飾であることはすぐにわかるが、今も含めて観察しているものなどいないのだ。彼は精一杯の嘘を、自身さえも騙せるようにと付いた。

 

 相も変わらず生きることは怖い。リオレウスの火炎が怖い。ラージャンの雷が怖い。ガノトトスの水流も、ベリオロスの吹雪も怖い。この世界において生きることとは戦いだ。常に恐怖に晒され怯えながら生きることとなる。

 それでも生きると決めたのはそれがただの『当たり前なこと』と思えたからだ。確かに怖いことだらけ。それでもそれを怖いと思うのは根底に生きたいと願う本能があるからに他ならない。故に決めたのだ。生きることができなくなるその時まで、せめてその時までは生きてみようと。

 

 

「よくよく考えてみれば現状は昔よりはましだ。ムカついたら殴れるし意味の分からん理不尽なことで怒られることもない。――やっぱ昔のがましだな、死ぬことはないし」

 

 暢気に声を出して鼓舞するように冗談を言って。それでも虚飾でも飾ることができるということは前を向けているということだ。僅かばかりの勇気を振り絞って戦うことができるのならとりあえずはいいだろう。

 

「そうだな……それでもこの方がきっとましだ! なんせ自然がいっぱいだからな。コンクリートじゃなくて自然のジャングル! 前を向いてもジャングル! 左も右もジャングル! 後ろも……――イノシシ……」

 

 首だけ後ろを振り返った視界には雑草を踏み散らしながら突進するイノシシが見える。体高は1mもないだろうが、鋭い牙の生えた茶色い塊が突進する様はまさに恐怖の体現者だ。

 ヒッと知らずの内に悲鳴が漏れる。生きようということを決めた心が、あれから逃げろと叫びだす。それでも彼は動かなかった。首だけをまわしたその状態のまま、彫像のように動かない。否、動けないのだ。恐怖に縛られ生きたいという本能が、逆に死ねと言うかのように縛り付ける。

 視界の中のイノシシはどんどん大きくなる。速度など算出できないが人が走るスピードよりは速く感じる。時速にして30km弱だろうか。体重は少なく見積もっても50kgはあるだろう。それは体を一つの凶器と変えた狩人の姿。

 

 迫ってきたイノシシが哀れ男を跳ね飛ばそうとしたその寸前、彼の足は恐怖を振りほどいて横へと大地を蹴り飛ばした。もちろん、硬い大地はその程度で影響を及ぼすことはなく、作用反作用の法則に従って彼を横っ面へと投げ飛ばす。

 受け身など碌に取れずにヘッドスライディングをするように体全体で大地へと抱擁をしながら、目だけは通り過ぎたイノシシへと向けた。和也を通り過ぎた後はブレーキをかけようと歩幅を狭めて止まる姿を見て、その正体に気が付く。

 

「ブル……ファンゴか」

 

 イノシシのモンスターと言えば雑魚であるブルファンゴと、そのボス的存在であるドスファンゴしか存在しない。ドスファンゴは体高も高いので1mもないという時点でブルファンゴしかありえないのだが、焦りと恐怖でその程度のことさえ思いつかなかったのだ。

 頭を振りながら体を和也の方へと向けるブルファンゴ。正面を向いて今度は片足を軽く地面を削ろうとしているように動かす。その姿にきょとんと和也は呆けてしまった。

 

 

「うわっ!」

 

 もう一度突進をしてくるブルファンゴに対して、再び横へと飛んで回避する。だが今度は這いつくばった状態から慌てての回避だ。先ほどよりも突然の緊急行動であった。

 だが、今度は地面へと飛び込むことなく、片手で地面を押し出して立ち上がる。二度目ということともう一つが結果を異ならせた。

 回避されたことでブルファンゴは再び止まり、再び頭を和也の方を向け、再び足を振るう。それを見て和也の口角は吊り上った。

 

 またも迫るブルファンゴ。だが今度は無様に転がることなく、軽くステップを踏むだけで躱す。少々動くことしかできないそれは、ブルファンゴが攻撃を当てようと追いかけてくれば容易く跳ね飛ばされる。だが、そうならないという確信が彼には合った。事実、ブルファンゴは掠ることさえなく躱すことができた。

 

(やっぱりそうだ……ゲームと同じ行動をしている!)

 

 モンスターハンターはアクションゲームだ。ゲームをするときはまず相手の行動を観察し、その癖や行動パターンを学ぶことから始まる。逆に言えば行動パターンさえ知ってしまえば後は狩るだけなのだ。

 ゲームをやりこんでから少々時間が経ってしまっているが、それでも癖や行動パターンは分かっている。ブルファンゴは稀少性など全くない雑魚モンスターだ。故にその行動などたやすく読むことができる。

 

「はっ! こうなりゃファンゴなんて雑魚……じゃねえっ!!」

 

 煽るように声を上げたがそれは悲鳴に変わった。再び突進をするブルファンゴだったが、今度は少しだけ掠りかけたのだ。それが油断したものからか、恐怖で足がすくんだのか、それともブルファンゴの野生の意地なのかはわからない。だが、少し掠りかけた。それだけで彼の顔は血の気が引いて蒼白く染まる。

 

(――――無理。無理無理無理。死ぬ死ぬ、こんなん壊れる、絶対死ぬ、生き返れない。絶対無理だよこんなの……)

 

 完璧な回避を持って少しだけ付いた自信は、かすりかけたことを以てかけらも残さずに消え去った。突進を繰り返すブルファンゴのそれはまさしく馬鹿の一つ覚え。それしかないとばかりにするが、逆に言えばそれだけをし続けているのだ。当然その練度は言わん足るや。狩人でない和也など本来歯牙にもかけない存在なのだ。

 再びされる突進を、今度は大きく余裕を持って躱す。落ち着けば避けられないものではないと何度も暗示をかけて生き残れと命令を下す。脚はその命令を果たさんと大地を力強く踏みしめ、目も相手の一挙手一投足を見逃さないと瞬きさえしないようにと開かれていた。

 和也が生きているのはブルファンゴの動きが読めるからだ。それはゲームをしていたことが経験となった故。だが、ゲームで動かしていたのはゲームのキャラクターであって和也ではない。和也がブルファンゴの突進に対してしてきたことは×ボタンを押すことであって、自身の身を投げ出すことではないのだ。

 故に和也は落ち着けと命令を繰り返す。さもなくば避けることはできなくなり突進をもろに受け、そうなれば死しか残らない。視線がどこにあるのか見逃すな。大地を蹴る瞬間を見逃すな。突進の際のブルファンゴの視線を見逃すな。そうやって繰り返して避け続けた。

 

 突進を避け、方向転換の間に息をつき、再度の突進を避ける。それを何十と繰り返した。突進を何度されようと和也は掠りかけたという経験から大きく躱し油断はない。故にブルファンゴの突進は危うげなく躱し続け、ブルファンゴのそれは徒労に終わるのだ。正確に考えていたわけではないが和也の頭の片隅にはそうした考えがあった。だが、それが裏切られる。

 もう何度目かの突進だろうか。それを躱そうと足を出そうとして――その足は残していた軸足に引っかかった。要は足がもつれて転んだのだ。またも受け身さえ取れずに倒れる。それはブルファンゴにとって格好の餌食となるだろう。転んだことでもう、体は投げ出されてしまったのだから。

 

「ぐっ、おおおおおおっ!」

 

 だが、今まで避け続けたことは恐怖よりも生きることへの渇望を生み出していた。虚飾ではなくあふれ出る本能からの願い。生きることができるという自信が希望を生み出していた。咄嗟に腰を軸にして足を回転させる。タイミングを計ったわけではなかったのだが、その独楽のような回転はブルファンゴの突進をやり過ごす結果となった。

 慌てて立ちあがってブルファンゴを再度見やる。また相も変わらず方向転換をして突進をしようとしている。一瞬そう思ったがそれは違うと気づいた。方向転換のスピードが遅い、動くまでの出だしが遅くそれまでの上下運動も激しくなっている。単純に疲れたのだろう。回避され続け、それでも突進を、ストップアンドゴーを繰り返したことにより精根尽き果てていてもおかしくはない。

 だが、それに気が付くのと同時に己の状況にも気が付く。既に肩で息をして、脚は疲労で悲鳴を上げている。足がもつれたのは不運でもなんでもない。ただ、疲労で限界を迎えようとしているだけだ。

 

(まずっ……これ……やばいな……)

 

 思考さえも疲れたというように取り留めのないもの。だがそれは事実だ。ゲームであればとうに何度となく斬りつける隙があった。そして既に狩っている。だが、和也は武器など持っていないのでその通りになっていない。そればかりか疲れている。

 ゲームであれば疲労というものはスタミナゲージによってあらわされる。150を満タンにして、回避行動をとるたびに25減少するスタミナゲージ。だが、何もしなければスタミナはすぐに回復するのだ。時間経過によってスタミナの最大値は減っていくがそれでもその減少の傾向は緩やかだ。即ち、ゲームであるのならこんな疲労はあり得ない。

 

 いまさらながら和也はそのことに気が付いた。確かにブルファンゴの姿と言い、動きと言いゲームそっくりだ。だが、ここはゲームの世界ではなく、己もゲームのキャラクターではないのだ。回避をし続ければ疲労は溜まるし、緊張が続けばそれは加速される。それは当たり前のことだ。何度となく狩ったその姿に油断していたのかもしれない。

 当たり前であるのなら、ゲームそっくりの世界にやってくることなどあり得ない。だが、現実当たり前のことは当たり前でなくなった。ならば他に今まで当たり前だったことが当たり前でなくなっても当然のことだ。

 そもそも回避をし続けるということ自体が馬鹿なこと。相手が引いてくれるという保証もないのに回避をし続ければ延々と繰り返すこととなる。その結果何を得られるのかといえば何も得られないのだ。

 

(ずっと回避なんてやってないで初めから逃げるべきだった……)

 

 いまさらそれに気がつくも後の祭り。脚には疲労物質がたまり眼も何度も瞬きをして休息を訴えている。初めから逃亡を選択していれば生き残ることもできたろうに――

 

(――まだだ!)

 

 諦めかけた心を自分の手ですくい上げる。諦めるのは早いと心中で鼓舞する。生きたいという欲求は何よりも大きい。野生の世界では無様でもなんでもいい、ただ生き残った者の勝ちなのだ。逃げ場はないかと素早く視線を動かす。何度も回避を繰り返したおかげで周辺の状況は大体つかめていた。だが、故に思う。

 

(逃げ場なんかない……)

 

 回避を繰り返したということは、それができる場所にいたということだ。それは即ちある程度開けた場所ということで、逃亡を選択するには不向きである。雑草が生い茂り木が立ち並ぶ場所ではあるが、ブルファンゴが走り回るだけのスペースは確保されている。

 逃げるのにいい場所はないのかと頭を巡らせようとするも馬鹿な考えだ。この世界の地理などわかるはずがないのだから。だが、運命の神は諦めの悪いものに微笑むらしい。おあつらえ向きの場所を彼は知っていたのだ。

 

(寝た所! あそこは根っこでブルファンゴは追って来れないんじゃないか!?)

 

 木の根が地面を掘り返し、それが絡み合うあの場は寝床には向いているが突進には向いていない。そも足の短いブルファンゴはそうした場所ならば追うことができない。急いで寝た場所を目指そうと考えるもはたと気づく。その場所がどこかわからないということに。

 何度も回避をか繰り返したのだ。既に方向感覚も居場所もわからなくなっている。昨晩の寝床がどこかなど、すぐにわかるはずがない。またも絶望が襲いかかろうとする――が、今度はその前に気付く。何も昨晩の寝床でなくてもいい、ただ追って来れない場所に逃げればいいだけだと。

 あの木の根は何も探した結果見つけた寝床ではない。偶然いた場所近くにあったのだ。あの木がこのジャングルに唯一の、という偶然が無い限り他にもあの木の根はあるはずだ。

 

 そうして思考を巡らせている間にも当然ブルファンゴは突進を繰り返していたし、和也も同様に回避を続けていた。生きるための思考を続けることで疲労は何とか無視できていたが、当然それは長く続くものではない。だが、明確に目的が定まったことで希望は尚も強くなる。それがさらに疲労を感じさせない結果となった。

 

(悪あがきだろうとなんだろうと……やってやる! 絶対に生き残る!)

 

 回避を常に一定方向へとし続けて、そのたびに視線を巡らせていい場所はないかと探す。あとは疲労に負けて跳ねられるのが先か、場所を見つけるのが先かの根気の勝負。既に疲労の溜まった状態からのスタート故に不利な戦いだった。それでも諦めないと視線を彷徨わせ続け――その勝負の勝ちを掴みとる。

 

(あそこだ! あそこに逃げ込めば――)

 

 木の根が絡み合い、その先には岩もあって高台となっている。苔が生えて滑りやすそうだが木の根も岩にいくつも絡みまるで階段のようになっていた。安全なものではないが、ゆっくり歩けば大丈夫だろう。それ以前に、その前の木の根でブルファンゴは追ってはこれまい。

 長い、長い回避と突進の戦いはそうして幕を閉じた。無事に和也は逃げ延び、追いかけることができなくなったブルファンゴは肩を上下にいからせながらどこかへと去って行く。それを見ながら思いっきり大の字になって寝ころんだ。

 

 

「――生きてる……な、俺」

 

 万感の思いを込めて呟いた。安心したことで足は急激に疲労を訴え始めるし、呼吸も落ち着くことはなく大きく繰り返される。酸素をもっと取り込めと肺は痛むほどに要求をする。だが、まさしく全身で生きていると主張している。

 

「――生き、生きてっぞ! 生きてる――ゲッホガホッ!」

 

 勝利の雄たけびと宣言をしようとして咽た。少々締まらない姿であるが、それでも別にいい。何故なら生きることができるのだから。

 

 

 

 

◆◇◆

 ブルファンゴの突進を避け続けるという珍事からおおよそ3時間が経過した。この3時間、すなわち180分の間に多くの出来事があった。例えばブルファンゴが――おそらくは別の個体――が現れ、そして和也がいるところへ登ろうと突進を繰り返したり。ランポスが現れ悲鳴を上げて逃げる羽目になったり。火薬草とニトロダケを見つけて爆薬作って反撃だー! とかなったり。

 ブルファンゴは何度となく突進を繰り返したが結局登れることはなく去って行った。だが、高台になっているから安全という訳ではないのだと真に伝えることとなった。

 ランポスの大群はとても恐ろしいものだった。何故ならランポスの動きはブルファンゴほど単純なものではないからだ。ただ突進を繰り返すだけのブルファンゴとは違いランポスの動きはトリッキーで掴みにくい。回避し続けることは不可能と見て即刻逃亡を選んだのでどうにかなったが、もし最初に遭遇したのがブルファンゴではなくランポスだったらと思うとぞっとする。

 そうして逃げ続けた際に火薬草とニトロダケを見つけ、この二つの調合で爆薬ができると思ったのだが、そも調合とはどうやるのか。ゲームであればメニュー画面から選択すればいいだけだ。だが、現実にそのような都合のいいものはない。粉末にして混ぜ合わせるというのが最も可能性が高そうだが、誤爆の可能性も高いために断念した。

 

 ランポスからは結局逃亡が成功したからよかった。平面での逃走では分が悪いようだが、木の根の乱立する場所を選べばそうでもない。高低差がある場所ではランポスはどうやら追いにくく、そこそこ努力をした後で諦めて去って行った。それを見て、最初から岩の先まで逃げていればよかったのかと後悔する。

 

 だが、いつまでも同じ場所にいるわけにはいかない。食事に困るという当然のこともあるが、大型モンスターが現れればそのような場所は意味がない。結局、ジャングルを彷徨い続けて安全な場所を求めるほかないのだ。

 そうして歩いている間にも収穫はあった。薬草、アオキノコ、ニトロダケ、火薬草、マヒダケ。見た目からの判断なのでおそらくとしか言いようがないが、薬草は擦り傷に塗ったところ痛みが引き、火薬草は握っていると熱くなった。逃げたりしている間に無くしてしまったので、在るということを知ったという意味しかないが。

 見つけたそれらのアイテムといい、出会ったモンスターたちといい、間違いなくモンスターハンターの世界である。そこはもはや疑いようがない。だが、まったく同じという訳でもない。回避を繰り返したことで疲労がたまったこともそうだが、ゲームとは違ってフィールドに高低差が多い。木の根や枝、穴といったものがゲームにはない要素となって世界に存在する。言い換えるとそれは和也自身にとっても危険な要素なのだが、それも今知ることができたのだからと前向きにとらえる。

 

 ゲームのようでゲームでない世界。どうにもいびつな世界だが、その中のジャングルを歩き続け――急に視界が開ける。そこは木材でできた建物、人工物が立ち並ぶ人里らしき場所だった。

 

 




すっごくどうでもいい情報。
これを書いたのはモンスターハンター4が発売されるよりも前。
現在の私「モンハン4の高低差の要素面白いな」
ゲームと違って高低差が――と書いちゃいましたが、高低差出て来ましたね……

あと、人が出ないから会話がない。まあ、人が出ても会話はあまりない気もしますが

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