モンスターハンター――ハンター黎明期――   作:らま

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第27話 猪と前兆

 茶色と緑、幹と葉が生い茂る森の中、レンジはただ息をひそめ続けていた。視線の先にいるブルファンゴをただ見つめ続ける。

 今日、レンジは仲間と共にブルファンゴの狩りをしようとしている所だった。共に和也や劉も来ているが、今はすぐそばにはいない。正真正銘、自分たちだけの初めての狩り。その標的とすべくブルファンゴを探し続けようやく見つけた個体だ、失敗はしたくない。

 自身が隠れる木の影よりブルファンゴを挟んだ反対側へと視線をやる。草と木に隠れ見えないが、レンジと同じ和也の生徒がそこにいるはずだ。そこにいるはずの少年が頷く姿をレンジは幻視する。

 そーっと、ゆっくりとだがレンジは手を空へ向けようと挙げはじめた。掌を地面と垂直に向けて、ゆっくりと手刀を振り下ろすのとは逆の動きで上げていく。その姿をブルファンゴを除く全員の目が捉えていた。

 レンジの目に隠れていた生徒がゆっくりと姿を現すのが見えた。もちろん、ブルファンゴにはまだ見えないように隠れてはいるが。その手には弓と矢があり、レンジと同じくゆっくりとした動作で番える。

 準備を終えたのか、今度は幻ではなく確かに射手は頷いた。それに合わせ、レンジもまた頷きを返す。そして――

 

 

 ――掲げた手を一気に振り下ろす。

「ってー!!」

 

 合図と共に矢が放たれた。ブルファンゴをハリネズミに変えるはずの雨は射手の練度と弓の精度の問題ですぐに止まってしまった。しかし、三本ほどがブルファンゴの背に突き刺さり血を流す。

 

「ブモーーーー!」

 

 矢を射かけられたブルファンゴは当然のごとく荒れ狂い威嚇と怒声の咆哮をあげる。それを確認してからか前にか。レンジと仲間もまたそれぞれの手に武器を持ってブルファンゴへと挑みかかった。

 

「でやあああああ!!」

「っらあ!!」

 

 片手剣と槍がブルファンゴへと迫る。ブルファンゴも同じく牙を用いて迫るそれをはねのける。しかし、ブルファンゴにとっては多勢に無勢。結果は言わずもがもな。そのはずだった。

 

「あっ拙い!」

「くっ……逃げられる!?」

 

 自身へと迫る凶刃をブルファンゴも正しく理解したのか野生の勘か、彼は戦闘より逃亡を選択した。逃さんとばかりに囲もうと焦りを浮かべる生徒たち。しかし、その囲いが完成する前にブルファンゴは飛び出してしまった。それで更に焦りを浮かべる生徒たちだが、囲いが完成していた方が突進を受ける可能性があり危険だったためにこの結果は実は幸いとも言えよう。

 

 とにもかくにもブルファンゴは逃げ出してしまった。追いかけようとする生徒たち。しかし捕まれば命はないと正しく理解しているのか、ブルファンゴは命を燃やし尽くす勢いで走る。追いつけない――彼らはそう判断しかけた。

 

「あっあれは……!」

 

 生徒たちが走る先、即ちブルファンゴが逃げようとする先に一人の男が立ちふさがる。木と木、草葉が茂る場所。そこに唯一ある、今ブルファンゴも走っている通りやすいけもの道をふさぐように。

 

「ブモーッ!!」

 

 威嚇と雄叫びをあげてブルファンゴは迫る。男はただじっとしたまま動かず、やがてブルファンゴが突進を当てようと言う距離まで近づいた時――その背にある武器を抜いた。

 

 

 ――ズシュッ

 

 肉を切り裂く音、地面へと刃が突き刺さる音、そしてその後に血が飛び散った音がした。一瞬にして命を失い、残された骸はただ地面へと横たわる。

 男はひきぬくのとは真逆のゆっくりとした動作でそれを背へと背負いなおした。倒した安堵か、それとも落胆か、ふうと短く息を吐く。と、隣にまた別の男が立った。

 

「一刀一殺とでもいいのか。さすがに牙獣種に手こずりはしないか」

 

 隣にたった男、和也はそう声をかける。受けた男は一瞬苦い顔をするも人懐っこい顔へと戻す。

 

「楽って程じゃねえな。油断しなきゃ絶対に勝てる、とは言えるが」

 

 油断すんなってのは身に染みてらぁとやや自嘲を込めて劉は笑う。一番初めの狩りの教訓はまだ生きているようだ。

 

「劉さん、和也さん」

 

 レンジが和也らの元へとたどり着いた。重いものを持ち少しとはいえ走ったのだが、息を切らせる様子はない。

 

「おう、惜しかったな。もう少しだったが」

「弓矢による先制攻撃とその後の追撃は良かった。だが、包囲はするだけ無駄だ。体重差で敵わないからな。囲むのではなく、一人ででもいいから即座に仕留めろ」

 

 褒める劉と窘める和也。飴と鞭の構図だ。レンジはそれぞれに頭を下げ、わかりましたと言って下がった。仲間たちに伝えに行くようだ。

 レンジが離れたのを見計らい、劉はくくっと笑い出した。唐突なものでどうにもわざとらしい。

 

「なんだ?」

「いや、和也は厳しいなあと思ってな」

 

「不服か?」

「いや、まったく。お前の言うとおり、適材適所というやつなんだろうな」

 

 どちらかと言えば楽観思考の劉に鬼教官の役目は無理だ。それ故に、注意、警告、叱咤などの役目は和也ということになる。この関係は和也と劉の二人だけの時からである。

 

 尚もくくっと笑う劉に和也は肩をすくめた。そして遠くを見るように目を細める。

 

「さっきはああ言ったがあいつらだってよくやってると思ってるよ。最後は逃げられこそしたが悪くはなかったしな」

「お、褒めるとは珍しいな」

「けどまあ、まだまだという部分も多い。瞬時の判断は悪い。経験を積まねえとだめだろうな」

 

 最後、囲もうとしていることを言っているのだ。もしも無理やり囲もうなどとすればブルファンゴに体重で負けて突進で吹っ飛ばされるか下敷きになるか。どちらにしてもいい未来ではない。実際はそうならないようにと咄嗟に逃げて怪我だけで済むだろうが、避けてしまっては囲む意味はない。よって、最初から囲もうなどすべきではないのだ。

 

「何より鬼人笛とベースキャンプの設置の二つがある。その効果を考えれば多少は成果が上がって当たり前だ」

「厳しいなあ、おい」

「あいつらを思えばこそだ。油断や慢心は死を招く」

「ああ、それは俺もわかってる。それに、だからあいつらもきちんと注意を受け入れてるんだろうしな」

 

 注意されて嬉しく思う人はそういない。褒められるのではなく注意されれば反発するのが人だろう。それが起きず、きちんと受け入れることができるのは和也や劉に対する信頼ゆえ。言ってしまえば日ごろの行いの成果である。

 二人の間に一度会話は途切れた。和也は何か言おうとしたのか口をやや開きかける。しかしその言の葉は出ることなく飲みこまれた。けれど、ニヤつくように持ち上がった口角がどのようなことを言おうとしていたのかを示している。

 

(鬼人笛の効果ったって力上がった分を扱いきるのは本人の実力、拠点と言っても里の自宅で寝るのに比べればやはり格段に落ちるんだ。それでもしっかり戦えるというのはあいつらの練習の成果。認めたいって思ってることが浮かんでるだろうな)

 

 劉の脳内がそう断じた。正確な所はともかく、大まかな部分は間違ってはいないだろう。和也も厳しく言っているが、内心成長を認め喜んでいる。それは間違いないことである。

 

(素直じゃないってことかね、まったく――)

 

 頼りになるパートナーの意外な一面に苦笑する。不審がって見つめてくるがさらに笑ってごまかした。

 

 

「和也さーん、劉さーん! そろそろ移動しまーす!」

 

 武器の調整や解体が済んだのか、レンジから声がかかった。

 

「ああ、今いく!」

 

 そう返事を返し、二人は歩き出した。その姿は一流のハンターと呼んでそん色ない物――かもしれない。

 

 

 

 狩りを難しくする要因は多分にあるが、今まで和也たちが狩りの成果を上げることができなくなったことは単純な理由だ。警戒されるようになったからである。

 モンスターと言えど生物だ。当然生きることを望む本能を持っている。紅呉の里がモンスターを恐れ隠れ里を作ったように、モンスターもまた和也らを恐れ警戒する。その結果が極端な遭遇率の低下であり、成果が上がらなくなった理由である。

 人とモンスターは住み分けができている。それ故に上がらなかった成果を上げる方法が遠出となる。もちろんこれにも問題はある。遠出した分、帰ることが大変になるのだ。何せ獲物は50Kgを超す。血抜きすることで大幅に減るが、それでもまだ重い。それを持ち帰ることは簡単とは言えない。他にも、時間制限が通常よりも短くなるということもあった。

 これらをすべて解決するのがベースキャンプと言う拠点である。拠点があれば一度そこに帰ればいい。疲れたのならそこで休めばいい。時間が無いのならそこに戻ればいい。拠点が無事完成した結果、遠出をしやすくなった。

 

 加えて、鬼人笛の効果もある。攻撃力が劇的に上がるなどという物ではない。ゲームであれば単純な攻撃力の上昇であったが、現実鬼人笛で武器の切れ味までは上がらないのだから当然だ。しかし力が上がれば武器の扱いは安定度を増し刺突や斬撃はモンスターの体の硬さに負けることなくダメージを与えることができる。単純ではなくとも攻撃力は上がっていた。

 

 他にも研究され続けた回復薬や滋養強壮薬などの効果は発達が目覚ましい。和也も現代で散々世話になった栄養薬や体力増強剤の類は概念が和也より里に与えられ研究が進められている。レンジらが今順調なのは授業の成果だけではない。そうした数々の進歩の結果が今如実に表れていた。

 

 

 油断とも安心とも取れる緊張の程度で草原を歩く一行、そのうちの一人が左手をあげそれを右手方向へと倒した。一行の脚が止まりその方へと視線が向けられる。

 

「鳥竜種発見……黄色い……?」

 

 誰かが声を上げた。確かに視線の先には鳥竜種の群れ、しかしよく見るランポスの青色とは違うようだ。草原の色は緑、黄色はその中で浮かんで見えて間違いということはないだろう。

 

「なんだ……? ランポスじゃないのか……? 和也、あれ何かわかるか?」

「ゲネポス……だな。基本はランポスと同じ鳥竜種だが、あいつの牙は麻痺させる効果がある。遠くから仕留めるのがいいだろう」

「なら弓矢で――準備を」

 

 和也の助言から立てたレンジの指示、それを元に生徒らが動き出す。レンジ以外が弓に矢を番えゲネポスの動向を見守った。

 遠くにいたゲネポスは少しずつ大きくなっている。言うまでもなく近づいてきているのだ。どうやら互いに敵と認識し交戦することを決めたようだ。

 その距離が少しずつ小さくなる。交戦の一歩手前のわずかな時間、全員が緊張で身体を強張らせながら、ただ一心不乱に見つめ続けた。そして――

 

「ってー!!」

 

 ブルファンゴの時と同じように、レンジの指示と共に矢が放たれた。地面と平行に進む矢に、ひょろひょろと勢いのない矢とまるで個性豊かな矢が襲い掛かる。矢を受けて何匹かゲネポスが沈む。それに残ったゲネポスは躊躇いを一瞬浮かべるも真っ向から襲い掛かってきた。数は4!

 

 

「うわっ!!」

 

 襲い掛かられ悲鳴が上がる。見れば飛び付かれ腕で防御はしたもののゲネポスは噛みつき離れないようだ。牙に麻痺毒があるということをきちんと覚えていたのか、懸命に腕を振って引き離そうとする。

 

「くっくそっ!!」

 

 別の誰かがまた悲鳴を上げた。同じくゲネポスに飛びかかられているのだ。

 

「焦るな! 少しだけならどうにでもなるはずだ! 慌てずに落ち着いて対処すればお前らなら大丈夫だ!」

 

 和也が怒声とも叱咤ともとれる声を上げる。そも、襲われているのは弓という遠距離武器から近接武器へと変えることが間に合わなかった者だけだ。ゲネポスも片手剣や槍の危険性は本能的に察知しているのだろう。

 和也の叱咤を受けてか否か、彼らも奮闘する。襲われなかった者はゲネポスを引きはがしにかかり、襲われているものも冷静に対処に努めた。そうなれば多勢に無勢だ。ゲネポスも強靭な鱗に身を守られているという訳でもない。すぐに戦闘は終わりを迎えた。

 

「お疲れ様。ゲネポスの牙には麻痺させる成分があるはずだ。念のため、布かなんかで手を覆って牙を持ち帰ろう。一応皮や爪も持って帰るか」

 

 麻痺弾や罠に使うことができる素材だ。同じように使えるかまではわからないが、有効利用は可能だろう。新たな素材から生まれる新しい物にやや期待をしながら素材の調達に彼らは勤しんだ。

 

 

 

 

「もうそろそろ戻りませんか?」

 

 十分な成果を得てベースキャンプにそろそろ戻ろうかと言う話となった。いくら拠点があると言えど、あまりに溜めすぎれば持って帰るのは億劫だ。確かにいい塩梅だろう。

 

「そうだな。成果も上がったしお前らだけでの狩りもできた。これを繰り返していけば一人前になれるだろう」

「はい!」

 

 和也は帰ることを決めた。まだ昼前だが成果は十分だと考えたのである。ゲネポスの素材をきちんと袋に入れたことを確認し、武器や防具などを忘れるような愚行を犯していないことも確認し、いざ帰ろうかと体を拠点へと向けた。

 そのまま帰ろうとした一向。しかしふと一人が視線を横へと向けてそれに気が付いた。

 

「お……ブルファンゴだ」

「でっけえなあ……。あれだけあれば肉も食いごたえがありそうだ」

 

 白鳳村よりの二人、ジェムとイニ――言い争いが多い白鳳村よりの二人である――はその見つけた牙獣種へと視線を釘付けにしていた。何せ大きい。イニの言うとおり、通常のブルファンゴよりもはるかに大きく体高は二倍ほどもある。

 

「よし、あれを狩るぞ! 和也さん、行ってきます」

「おー、気を付けて行け――!?」

 

 走り出す数人の生徒、その背へと駆けようとした和也の言葉は中ごろで堰き止められた。

 和也はブルファンゴを見つけたと言われても前方へと視線を向けていた。生徒たちの単独でもある程度何とかなるということは分かっていたからだ。そして何より、飛竜を見かけなくなっていたこと。それらが油断の原因だった。振り向いた和也の視線の先には確かにブルファンゴによく似た牙獣種、しかし体躯は大きく牙は大きく鋭く、毛の一部が白い。

 

「お前ら戻れ! ――くそっ! 劉、追うぞ!」

「え!? お、おい! どうしたんだよ!」

 

 既に駆けている故に声は追いつけなかった。いや、確かに届いたはずなのだが興奮故にか聞こえなかったようなのだ。

 劉に声をかけて走り出す。劉が驚いて声を上げるがそれに構っている暇はないとただ前だけを見て和也は走り続けた。

 

 ここにきて、和也と劉の装備が仇となった。生徒たちはきちんとした防具を身に着けていない。ブルファンゴやランポスの毛皮・皮といった軽い素材のものだけだ。対し、和也と劉は飛竜種の外殻を用いた鎧。鉱物で作っているよりはましだが、それでも生徒らの防具に比べれば重かった。当然、走るスピードにも影響が出る。

 

 

「よし、弓構え!」

 

 当然のごとく、生徒たちは和也らを引き離してから構えを取る結果となった。更に、これが実戦経験を詰んだ後だということも仇となる。慣れが手伝い準備は瞬く間に済んだ。

 

 和也らがもう少しでたどり着くと言う時――

 

「ってー!!!」

 

 宣戦布告は果たされる。

 

 飛ぶ矢。空気を切り裂き牙獣種へと迫る。その距離は瞬く間に0となり――その強靭な体皮に阻まれ弾かれた。

 

「なっ!? 硬い!!」

「下がれ!」

 

 宣戦布告が果たされた後、すなわち手遅れになってから和也は到着する。それを嘆く暇さえなく、和也は盾を構え抜刀した。

 

「和也さん!? ブ、ブルファンゴぐらい今度こそ俺達だけで――!」

「あれはブルファンゴじゃなくてドスファンゴ、親玉だ!」

 

 ハッと息をのむ音がした。ドスランポス、ドスバギィ知っている数は少ないが、群れの中には親玉がいるということは誰もが知っている。そしてそれが、別格の強さを持つということも。

 バッと全員がまるで示し合わせたようにドスファンゴへと向けて振り返る。表情や細かいしぐさまではわからない。しかし体をこちらへと向けて怒りを見せていることは全員が理解した。同時に、自分たちがしたことの意味も。

 

(ちっ……、まずいな)

 

 つ……と焦りが浮かぶ。ドスファンゴは間違いなく戦うつもりだ。見逃してくれる、ということはないだろう。それ以前に、喧嘩を売っておいて勝てないから見逃せなど虫が良すぎる話だが。

 

「――まずい、よな。閃光玉や回復薬、あまりねえぞ」

「ああ。それにリンもヨウもいない。俺達だけでってのはずいぶんと久しぶりだな……」

 

 警戒されなくなったことや、生徒たちも順調に育っていたことが災いした。全く無い訳ではないが、それは完全に逃走することを念頭にした用意だ。時間稼ぎや緊急用の応急薬の類はあっても、狩猟用の用意は碌にない。とはいえ、完全に喧嘩を売った後に逃亡をしようとも相手はそれを許さないだろう。何より逃亡の選択肢は相手に見つかっていなくて初めて大きな意味を成す。見つかっているどころか怒らせた後で考えることではない。

 

 今から逃亡を考えるなら相手に戦闘することは危険だと感じさせる必要があるだろう。結局のところ戦うしかない。

 ドスファンゴは突進を開始した。その巨大な体で向かってくる姿は実に恐ろしい。道路の真ん中で突っ立ってトラックが走ってくれば似た体験ができるかもしれない。

 

「避けろっ! 攻撃よりも安全を取れ!」

「ああ!」

 

 まだ距離はある。それでも回避のための行動を開始した。あわよくばこのまま逃げてしまいたいが、それでは他と逸れてしまう。やはり戦うしかないだろう。

 

「う、うわっ!」

「! 大丈夫か!?」

「大丈夫です! けど……これは!」

 

 ドスファンゴは単純に大きい。故に体重も重い。それは即ち突進の威力も上がるということだ。軽自動車とトラック、交通事故にあった時の損害がどちらの方が大きいか、考えるまでもないだろう。

 しかしそんな現代社会においては当たり前のことでも、この世界に於いては当たり前ではない。書物もなく、伝達も遅い世界。自らの手で一つ一つ気づいていくしかない。尤も、体感的に大きい物の方が強いということは理解しているし、本能もより恐れるのだから問題になるほどではないが。

 

 兎にも角にも生徒全員がブルファンゴと、目の前にいるドスファンゴの違いを十分に理解することができた。同時に巨体に似合わぬ速さも持ち備えていることも理解できただろう。全員がその手に武器を持ちなおした。逃亡の難しさも把握したようだ。

 

「狩るぞ! 回復薬はあまりない。安全を考え近づきすぎるな! 攻撃と退避を繰り返し、着かず離れずで戦う。やつの正面には立つな、突進されれば命はないと思え! 加えて、頭を振り回して牙にやられる可能性がある。腹を、後ろ足周辺の腹を斬れ、突け!」

 

 諌める様に、けれど鼓舞するように声を張り上げる。生徒たちは鳥竜種や牙獣種でさえまだ彼らだけで狩ったことが無い。ドスファンゴとの戦闘を彼らメインにするわけにはいかない。だが同時に油断も慢心も、しかし小胆であってもならない。主としてできずとも副としてはしっかりしてもらわねばならないのだ。

 

「劉、やるぞ! 線は避けろ!」

「っ、ああ、了解だ!」

 

 突進の後の振り返ったドスファンゴへと向けて、和也と劉がそれぞれ弧を描くようにしてドスファンゴへと向かう。ドスファンゴと一団を結ぶ線を軸として、線対称の動きでそれぞれが単独で挑む。

 ドスファンゴはそれを待つことなく。攻撃と回避の両方の意味合いから残された生徒へと向けて突進をした。人の個に注目しなければ、数が多いそこを攻撃対象とするのは当然である。

 もちろん和也と劉もそれに対応すべく、描いていた弧を突如鋭角に曲げ向かう。狙うは後ろ足!

 

「シッ!」

 

 一閃、しかし空を切った。動いている分も計算に入れての攻撃だったのだが追いつけなかったようだ。劉も空ぶったのかそれとも攻撃しなかったのか。和也がドスファンゴの方へと視線を向けると無傷のドスファンゴが生徒たちを再び散らしている所だった。散った生徒たちはドスファンゴから距離を取って再び一塊になる。

 

(このまま逃亡……やはり無理。逃げてる途中で後ろから突進されるのがオチだ。逃げ切る前に何人か脱落する。かと言ってこのまま戦闘を続けるのも難しいか……?)

 

 ならばと選択を変更する。

 

「閃光玉! 動きを止めて切りつける! 討伐よりも手傷を負わせ撃退を狙う!」

 

 短く指示を出す。半ば暗号のような短い指示。しかしそれを理解できずに、ということはなかった。

 一人が手早く閃光玉を用意し投げつける。本当はドスファンゴをもっと引きつけてからの方が良かったが、閃光はきちんと効果を与えたようなのでその点は無視をする。和也と劉は二人ともまっすぐにドスファンゴへと駆けた。

 

 

 

 突然だが。目が眩む、暗闇に慣れる。こうしたことは生物の目の明暗に対する順応の有無であり、眼の細胞には明暗にのみ反応する桿体細胞というのがありそのおかげである。これは人に限った話ではなく、すべての動物に存在する。太陽を急に見て眩しく思って目に手を当ててもすぐに回復するだろう。順応にさほど時間はかからない。もちろんそれは和也とて把握しているが、それは目の前でさく裂した場合であり、距離がある状態での話ではない。即ち――

 

「っ!?」

 

 ドスファンゴは頭をふって牙を振るった。その眼には破れかぶれになった自棄はなく理性を伴った光が宿っている。

 

「ちっ、まずっ――」

「おおおおおお!!!!」

 

 当然だが。ドスファンゴの頭は一つしかない。頭を振ったということは重心もそちらに流れているということだ。当然遅れて来た劉の攻撃に反応しきれず――、ドシュッという音を立て肉が切り裂かれ血を流す。

 

 後肢の付け根の辺り、脇腹を切り裂かれドスファンゴは苦悶に顔を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は単純なものだった。大剣による裂傷を受けたドスファンゴはその後機動力にかけ瞬く間に戦闘は終わりを迎えた。想定外のことと言えばあまりに簡単になってしまったため、手傷を負わせて撃退ではなく討伐してしまったことである。問題はもちろんない。

 その後、解体をしようとするもその巨体さ故に解体には手こずってしまうが大した問題ではないだろう。大きい分重く切り分けるのも大変だった。他にも、問題が。例えば切り分けるのに勢い余って他人を斬りつけようとしてしまったり。例えばふざけていたのか、殴っただ殴ってないだの話になったり。これらは帰り道の雑談程度にはなった。

 

 

「殴られた……?」

「ええ。突然首のあたりを。それも結構勢い付けてですよ」

「だから、知らねえって言ってるだろ? 大体俺その時は結構離れてたのにできねえって」

 

 この会話はジェムとイニだ。いつも小競り合いというか小さな喧嘩をしている二人、周りもまたかと思って呆れと笑いがあった。

 

 

「――少し見せてもらっていいか?」

「え? 跡を、ですか?」

「ああ。勢い付けていたのなら跡になっているだろう。ひどいようなら早いうちに治療もしないといけないしな」

「ああ、なるほど。わかりました」

 

 少しだけ考え込んだ様子で和也はその跡を見せてもらう。簡単なとはいえ防具を着ているのだ、本来草原のど真ん中でやるべきではない。しかしそれでも、和也には気になることがあった。

 

 

(――なんだ……これ……。手で叩いたというより鞭でひっぱたいたような跡だ……)

「痛っ、痛いですよ……」

「あ、ああ。すまない」

 

 つい指先でふれてしまい文句が上がる。イニの首辺りにあった跡、それは太い鞭で叩いたような、蚯蚓腫れにこそなっていないが少なくともただ固いもので叩いた跡ではない。

 

 

(思えば最初から……。授業を始めるために白鳳村から人が来たあの日からあったことだ……。何もいないのに襲われた、っていうのは……)

 

 思い返せばずっとあった。見えない何か、速い何かに襲われているということは。今までじゃれ合っている程度だったと思っていたが、その考えを改める。

 

「劉、戻ったら調査だ。モンスターがいるかもしれない。知らない、な」

「そう、か。了解だ。直ちに取りかかろう」

「ああ。まあ、今日は帰って休んでからだ。それにリンとヨウもいないしな」

 

 逸る劉を抑え、不安を顔に出す生徒たちを宥め。一行は紅呉の里へと戻った。新しい何かがあることを誰もが理解しながら。

 


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