私が脈絡も展開もキャラの性格も考慮しないで好き放題書ける性格だったなら、いきなりイチャイチャラブラブしまくるお話を書きたかったです。残念ながら違うので前置きが長く入ります。早くイチャイチャするところ書きたいなぁ……。
ちなみに個人的にはくっつくまでのすれ違いとか心の揺れ動きとかも好きだったりします。
始まりと危機
その日は何の変哲も無い平和な一日だった。
時々ジェイルがうるさい叫びを上げるがそれは珍しくもない普段通りのこと。なので暇を持て余していたジャックは解放地区の方へと散歩に出かけていた。
目的は特に無かったものの気が付けば位置的に高そうな場所を探してしまうのは、血式リビドーと呼ばれる血式少年としての内なる衝動のせいだろう。特に抗う必要も無いので衝動に突き動かされるまま高くそびえる建物などを探して歩いていく。
(あれ、あそこにいるのって……親指姫たち? 何だか様子が変だけど何かあったのかな?)
すると解放地区の入り口近くに差し掛かったあたりで見知った少女たちの姿を見つけた。
親指姫と白雪姫、眠り姫の三姉妹だ。
何やらかなり焦った様子で顔を見合わせていたり、誰かを探すように周囲に視線を向けていたりで、遠目から見ても様子がおかしいのは明らかだった。
「……あ! 親指姉様、ジャックさんです! ジャックさんがいました!」
話を聞くために近づこうと思ったところで白雪姫がこちらを見つけ、他の二人と一緒にジャックの下まで駆けてきた。
三人ともジャックの姿を見つけて嬉しそうな顔をしたものの、やはりどこか焦りの見える表情をしている。いつも眠そうに瞳を細めている眠り姫でさえもだ。これはさすがにただ事ではない。
「ジャック! 良かった、あんただけでも見つけられてラッキーだわ!」
「三人とも、一体どうしたの? 何か事件でもあったみたいな顔してるけど……」
「メルヒェンに捕まっていた人たちが逃げてきたんです! 脱走には皆さん成功したみたいなんですけど、まだかなり多くの人がダンジョンに取り残されているみたいで……」
「ん……ん……!」
「えっ……!?」
緊迫した様子でまくしたてる白雪姫に、言葉少なに眠り姫が頷く。
予想を上回る事態にさすがにジャックも目を剥いてしまう。囚われた場所からの脱走に成功してもダンジョン内には数多くのメルヒェンが闊歩しているのだ。戦う術を持たない脱走者たちが遭遇してしまえば凄惨な事態になりかねない。
「そ、それじゃあ早く助けに行かないと! 赤ずきんさんたちは!?」
「黎明からここまでの道すがら探したんだけどあんた以外見つかんなかったのよ! 時間も無いからもう私たちだけで向かうわよ! ついてきなさい、三人とも!」
「う、うん、行こう!」
戦う術と力を持つのがたった三人という点は不安だが事は一刻を争う事態だ。ジャックは親指姫の指示に頷き、三姉妹と共に解放地区の外へと向かった。
目的地は元街道沿いエリアの奥の方らしく、さすがに道中のメルヒェンとの戦闘は避けられなかった。ジャックは戦闘の役に立てないため戦ったのは親指姫たち三人だけだが、そこは三姉妹の素晴らしいチームワークのおかげで圧倒的とも取れる戦いぶりであった。最初から戦闘の役には立てないとはっきり分かっているものの、あまりにも圧倒的過ぎて本当に自分がついてきた意味はあるのだろうかと思えるほどだ。
「あ、見つけました! あそこです!」
目的のエリアに辿りつき少し捜索したところで、白雪姫が脱走してきた人たちを発見した。見ればちょうどこちらに向かって十数人ほどの男女が駆けてくるところであった。
そしてその僅かな集団の背後には優に二倍の数はいそうなメルヒェンの集団。恐らく逃げ回る内にダンジョン内を彷徨っていた他のメルヒェンにまで存在を気付かれ、集団の数が自然と増えてしまったのだろう。
「大変だ、メルヒェンに襲われてる! 早く助けないと!」
「行くわよ、白雪! ネム! ジャック、あんたは下がってなさい!」
「う、うん……!」
当然の如き戦力外通告だがそもそもジャックの役目は戦うことではない。戦う親指姫たちの様子を見て必要があれば自らの血を用いて穢れを浄化することだ。
とはいえ今はその役目も無さそうなので、別の方向からメルヒェンが現れたらすぐに伝えられるよう周囲の警戒に務めることにした。親指姫たちが心置きなく戦えるように。
「はっ……!」
弓を引き絞り狙いを定めた眠り姫が矢を放ち、最後尾にいた男性を襲おうとしたメルヒェンの頭部を射抜く。矢を押し出すほどの勢いでピンク色の鮮血を撒き散らしながら、その場に倒れ付すメルヒェン。
そこから更に二発、三発と立て続けに矢が放たれ、逃げる人々の集団と距離が空くように先頭のメルヒェンたちの頭部が、頭部に当たる部位が無さそうなら脚部が的確に射抜かれていく。先頭が倒れ付したことにより足を取られて転ぶメルヒェンが続出し、十分に逃げる人々との距離が開いていった。
「いきます! えーいっ!」
そこで少々気の抜けるかけ声を上げ、白雪姫が集団両端のメルヒェンに爆弾を幾つも投げつけていく。連続して発生する小さな爆発と爆風を食らい手足が、あるいは身体ごと吹き飛ばされていく何体ものメルヒェン。
吹き飛ぶ方向は集団の真ん中寄りで、集団は最早折り重なるようにギチギチに詰まったメルヒェンが密集していた。まるで一網打尽にしてくださいと言わんばかりに。
「いくわよ! 纏めて燃え尽きなさい!」
そこを狙って親指姫の魔術が炸裂。
二十に迫ろうかという数のメルヒェンは地面から噴出す炎の柱に飲まれ燃え上がり、あっというまに一掃されてしまった。見ていて爽快感溢れる倒し方だ。
ほんの二、三匹燃え残って倒れていないのがいたものの、残りは眠り姫の手ですぐさま地に倒れ伏していく。
眠り姫が距離的な安全を確保し、白雪姫が敵の位置を調整、そして最後に親指姫が纏めて吹っ飛ばすという三姉妹の絆の強さを窺わせる見事な連携プレイであった。戦いのためについてきたのでは無いと分かってはいるが、正直自分がえらく邪魔に思えるほどである。
「ふぅ、結構あっさり片付いたわね。ジャック、その人たちはみんな無事?」
「うん。聞いてみたら先に逃げてきた人たち以外に人数は減ってないみたいだよ。怪我をしてる人は何人かいるけどみんな軽症みたいだし、親指姫が皆を探す時間を惜しんで助けにきたおかげだね。さすがは親指姫だよ!」
「べ、別にあんたに誉められたって嬉しくないわよ! それより、さっさとその人たちを連れて逃げるわよ!」
三人が戦っている間に人々の人数や怪我の程度を確認していたジャックが報告と共に健闘を称えると、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう親指姫。
照れ隠しなのはさすがにジャックも理解できたので、自然とその可愛らしい反応に笑みを零してしまった。その様子を見られていたらきっと笑うなと怒られたに違いない。
「っ……また、きた……!」
一息ついたのも束の間、眠り姫の声に視線を向けると新手が迫ってきているのが見えた。三人に責任は無いが派手に暴れたために引きつけてしまう結果となったのだろう。
「次から次へと出てくるわねー……皆、走りなさい! 白雪、ネム! 先導頼むわよ!」
「はい! 皆さん、ついてきてください!」
脱走してきた人たちがいる以上わざわざ迎え撃つのも得策ではないと判断したようで、親指姫の指示の元全員で逃走を図った。
人々の集団を中央に据えて先頭を白雪姫と眠り姫に任せ、しんがりを親指姫とジャックが担当。正面の方から現れるメルヒェンは白雪姫たちが退治し、側面や背後からの敵は親指姫が叩くが足の速さによっては無視する。要は逃走の妨げになりそうな敵にだけ対処すれば良いのだ。沸いてきた敵を全て律儀に相手してやる必要は無い。
「駄目だ、このままじゃ追いつかれるよ……!」
「そうみたいね……」
しかしダンジョンを駆けて行く中で徐々に背後の敵を無視できない状況に陥り始めていた。それどころか追いつかれそうなほどだ。
全力で走ってもらっているとはいえ怪我人がいる以上、全体の移動速度はどうしても落ちる。追いつかれそうなのは足並みを人々の集団に合わせているのが原因だった。
それに正面の敵は白雪姫たちで捌けているようだが、背後の敵はそう簡単にはいかない。移動が遅いせいで数が多くなってきているし、何より親指姫は走りながら魔法を使っている。魔法を使えないジャックにはどれくらい大変かは想像できないが、立ち止まって使う方が遥かに楽なのは容易に想像できた。
そしてその想像は外れではなかったのだろう。親指姫は何度か先頭集団と背後に視線を注ぐと、意を決したような表情で唐突に足を止め振り向いた。
「白雪! ネム! こいつらは私が食い止めるからその間に皆を逃がしなさい!」
「そんな!? だ、駄目です、親指姉様!」
「んー……一人は、危ない……!」
これにはさすがに先頭の二人も足を止めてしまう。
血式少女である親指姫は確かに一般人とは比較にならない戦闘能力を持ってはいるが、何も全員同じ能力というわけではなく向き不向きというものがある。魔法を数多く操る親指姫は遠距離向きで、身体能力も血式少女としては低めだ。かなり接近される可能性のある一対多数の戦闘は明らかに向いていない。
「大丈夫よ! この程度の奴らなら十分離れてれば一人でも相手にできるわ! さっさとその人たち連れて行きなさい!」
しかし親指姫の行動は衝動的なものではなく、自分の能力をしっかり理解した上での行動であった。
それにこのままでは本当に追いつかれてしまう。誰かが残って足止めをしなければ危険なのは間違いない。
「僕も残るよ、親指姫! 戦いの役には立たないだろうけど……」
とはいえ親指姫一人だけを残すのは不安だったのでジャックも残ることにした。万が一にもブラッドスケルター化するような事態があれば対処できるのはジャックしかいないのだから。
親指姫もそれを理解しているらしく、一瞬躊躇いを見せたもののすぐに頷いてくれた。
「分かったわ。ならあんたは囮になりなさい! その間に私が片付けてやるから!」
「うん、分かったよ!」
「じょ、冗談に決まってるでしょ! 何本気にしてんのよあんた!?」
(あ、冗談だったんだ……)
やる意思はあったのだが冗談だったようで怒られてしまい、ちょっと気持ちがへこんでしまうジャックだった。親指姫ならわりと本気で囮にしそうな気もしたのだが。
「……分かりました! ジャックさん、姉様をよろしくお願いします!」
「……すぐに皆……連れてくる……!」
親指姫を信頼している妹たちはすぐに迷いを振り切り、再び人々を連れて走り出していく。
新たに集団を追うメルヒェンが出てくるであろうことは心配だが、すでに解放地区への道程の半ば以上は過ぎている。二人だけでも十分対処できるはずだ。
「よーし、派手に暴れてできる限りそこらのメルヒェン引き付けるわよ! 一匹残らずぶっ飛ばしてやるわ! あんたは邪魔にならないようにそこらの隅っこにでも縮こまってなさい!」
「う、うん、分かったわよ……」
言っていることはもっともだが言い方がちょっと酷い気もする。
少し傷つきながらもジャックは絶対に邪魔にならない程度の距離を取り、親指姫が心置きなく戦えるよう背後の警戒に務めた。
「うわ、危なっ! よくもやったわねっ!」
間近に迫ってきていたメルヒェンの鋭い爪から逃れ、お返しに風の魔法を放ち細切れにしてやる親指姫。
やはり足を止めての戦いは走りながらより格段に楽だったが、いかんせん引き付けた数が多いためそれなりの苦戦を強いられていた。おまけに近づかれれば近づかれるほど巻き込まれる可能性が高くなってしまうため広範囲を攻撃する魔法が使えなくなり、余計に距離を取ることが難しくなるという悪循環に陥っている。さすがに一人で引き受けるには少々無謀な数だったかもしれない。
「時間は稼げたしそろそろ潮時かしらね……吹っ飛べ!」
別にここに残ったのは掃討や虐殺が目的ではない。あくまでも人々を安全に逃がすための時間を稼ぐことだ。立ち止まってしばらく相手をした時点ですでに目的は達している。今頃白雪姫たちは逃げ出してきた人々と共に解放地区に到着し、仲間達を探していることだろう。
なのでそろそろ撤退に移ることを決めた親指姫はジャックにそれを伝えようとした。
「っ! 親指姫! 後ろから――うわぁ!?」
「――ジャック!?」
その瞬間、背後からジャックの悲鳴が聞こえた。反射的に振り向いた親指姫が見たのは、大型の狼のようなメルヒェンに押し倒されているジャックの姿だった。何とか抵抗しているようだがあのままではすぐに食い殺されてしまう。一刻も早く助けなければ。
「待ってなさい! すぐ助け――っ!」
すぐさまジャックを巻き込まない程度の魔法でメルヒェンを吹き飛ばそうとした親指姫だが、突如横合いから凄まじい衝撃を受け逆に自分が吹き飛ぶ羽目となった。
「ぅ……あ……!」
そのまま壁に叩きつけられ、全身を駆ける衝撃に喘ぐ親指姫。
小柄であると自覚している身体はかなりのダメージを受け、しばらく呼吸ができなくなってしまう。
恐らく今の今まで相手をしていたメルヒェンの一体に殴り飛ばされてしまったのだろう。だがこの程度のダメージで済んだのはむしろかなりの幸運だ。ジャックの危機に気を取られ目の前の敵の存在も忘れ背中を向けていたのだから、下手をすると爪や牙で貫かれていてもおかしくはなかった。
「お、親指、姫……! あ、危ない……!」
(っ……私じゃなくて自分の心配しろっての、馬鹿!)
自分が依然として食い殺される危機に晒されているというのに、助けを求めるどころか親指姫の心配さえしているジャック。自分が今にも死にそうな状況で他者の心配をするとは相当の馬鹿である。
だがそんな馬鹿だからこそ助けなければならないし、死なせたくない。
「ジャ、ック……! くっ……こんのぉ!!」
目の前に迫ってきていたメルヒェンに向けて風の魔法を放ちその身を切り刻むと共に、若干ふらつく身体を叱咤して倒れこむような形で体当たりをお見舞いする。
元々身体能力がさほど高くない上にそんな状態での体当たりなど瀕死のメルヒェンでも倒せるかどうかは怪しいが、これ自体はそもそも攻撃を狙ったものではない。切り刻まれたメルヒェンの身体から吹き出る大量の返り血をその身に浴び、喰らうためのものなのだから。
血式少女の能力が更に強化される、ジェノサイド化を狙っての。
「邪魔すんな! さっさと死ねってのよ!」
ピンク色の返り血を浴びて軽い破壊衝動と興奮、そして身体の内から湧き出る力を感じた親指姫。目論見どおりジェノサイド化に成功したようだ。湧き出てくる力だけでなく、視界の端に踊る自らのツインテールが脱色したように白く染まっている様からもそれが分かる。
襲いかかってきた数対のメルヒェンの頭をその力に任せて素手で叩き潰し、身体を片手で引き裂き、両手で引き千切る。うら若き乙女が行うにはかなり凄惨かつ残酷な殺し方だが今の親指姫にとってはどうでも良いことだし、何よりもジャックを助けるのが最優先だ。邪魔になる敵を素早く殺す。それができればどうだって良い。
「ジャック! 今助けてあげるからもう少し頑張りなさい!」
やっと邪魔者を片付け、再びジャックに視線を向けたその瞬間――
(――え)
夥しい量の赤い血が弾ける様を目にして、親指姫は凍りついた。
覆い被さっているメルヒェンのせいでジャックの姿はほとんど見えないが、位置からして首元か胸元。
そんな場所から、尋常でない量の血が弾けるように迸ったのだ。
例え腕を食い千切られたとしてもそこまでは出ないだろうという、信じがたい量の血液が。
(嘘、でしょ……?)
たった今目にした光景に途方も無いショックを受けて立ち尽くす親指姫の前で、更にもう一度鮮血が迸る。
すでにメルヒェンの身体の下は完全に血の海になっているというのに、まるで最後の一滴まで搾り出されたかのような信じがたい量の血が。
信じがたいが、それは間違いなく現実であった。メルヒェンの血液はピンク色。あの赤い血は、間違いなくジャックの身体に流れていたもの。
(間に、合わなかった……?)
親指姫は間に合わなかった。助けられなかった。
これでもう二度と、ジャックの柔らかな笑みは見られない。
これでもう二度と、ジャックの優しい声は聞けない。
親指姫の力不足で、親指姫がここにつれてきたせいで――ジャックは死んだのだ。
(ジャック……!)
その絶望と悲しみを感じた瞬間、親指姫の意識は闇に飲まれた。
「うっ、く……!」
壁に叩きつけられた親指姫に警告を発した直後、ジャックの腕の中で一際大きい破砕音が生じた。
メルヒェンに組み敷かれ鋭い牙で食らいつかれそうになった瞬間、ジャックは咄嗟にメアリガンをメルヒェンの口の中へと刺し込むことでそれを防いでいたのだ。しかし獣型のメルヒェンの顎の力は凄まじく、徐々にメアリガンが圧壊していく不吉な音が届いてくる。
このままではいずれメアリガンごと腕が食い千切られてしまう。今すぐこのメルヒェンを跳ね除けなければマズイ。
(こうなったら……!)
数瞬思考を巡らせたジャックは一か八かの手段に出ることを決め、牙が腕の皮膚を裂いていく痛みに顔を顰めながらもメアリガンを強く握り直す。そしてセレクターを操作し発射する血液量を高め、喉の奥へと向けて引き金を絞った。
鈍く小さい発射音。メアリガンを握る手に伝わる重い衝撃と身体に広がる虚脱感。発射された大量の血液はメルヒェンの喉の奥へと勢い良く流れ込んでいった。強引に異物を注がれたメルヒェンは若干怯みを見せたものの、噛み付く力はまだ緩まない。
(それなら、もう一発!)
一度で足りないならもっと大きな一撃をもう一度。メルヒェンの口から弾けるように降り注いだ自らの血を身体に浴びながら、ジャックは更に血液量を高め二発目を撃った。
一発目よりも強い衝撃と、一発目よりも大量に弾ける血液。今度こそメルヒェンは確かな怯みを見せ、ジャックの腕を食い千切らんとする力を弱めた。
(う……!)
跳ね除けるには今がチャンスだが、たった十秒程度で大量の血液を消費したことで眩暈に襲われすぐには身体に力がこもらなかった。だがそこは貧血には慣れのあるジャック。ほんの数秒程度で眩暈に打ち勝つと、両脚で思いっきりメルヒェンの腹を蹴り上げた。
思いのほか吹き飛んだメルヒェンに再び襲われないようふらつきながらもすぐさま立ち上がるジャックだったが、意外にもメルヒェンはそのままもがき苦しみ倒れこんでしまった。血式少女たちを浄化するジャックの血液はきっとメルヒェンにとっては毒に近い代物なのかもしれない。
「危ない所だった……親指姫! こっちは大丈――!?」
無事を伝えようと親指姫の方に視線を向けた瞬間、ジャックは最悪の光景を目にして息を呑んだ。
視線の先には確かに親指姫がいた。
だがその姿は親指姫のものではなかった。
小柄な身体は白い肌が剥き出しとなり、メルヒェンの返り血を受けたような揺らめくピンク色に覆われ、下半身は開きかけの黒い蕾のようなものに包まれていた。深緑の瞳は今や不気味なピンク色に光り、そこに浮かぶ感情は破壊と殺戮の衝動のみ。理性など一欠けらも見当たらない。
それはまるで愛らしい花の妖精がメルヒェンと化したような、冒涜的で途轍もなく恐ろしい姿。万一の危惧が現実と化した結果であった。
(ブラッドスケルター化してる……!)
見た限りでは穢れは溜まっていなかったというのに、少し目を離してしまった隙に最悪の状況になってしまった。一体何故ほんの僅かな時間にそこまでの穢れが溜まったのか。
しかし理由を考えたり自分の不甲斐なさを嘆いている場合ではない。状況を理解したジャックはすぐさま行動を起した。ふらつく身体を叱咤してメアリガンを構え、狙い定めて引き金に指をかける。
ブラッドスケルター化した今の親指姫は死ぬまで破壊と殺戮を続ける存在となってしまった。だがジャックなら自らの血を用いて浄化し、元の親指姫へと戻すことができる。いや、それは唯一ジャックにしかできないことなのだ。
(……いや、でもまだ駄目だ!)
しかし今すぐ浄化を行うのはそれはそれで危険極まりない。親指姫の周囲には未だメルヒェンが群がっている。そんな状況で元に戻して万一親指姫の意識がなかった場合、どんな結末が待っているかなど考えたくも無い。
それに今のジャックがブラッドスケルター化を解除できるほどの血を放てば、恐らく気を失って即座に昏倒してしまう。つまり撃てるのは一発限り。射撃の邪魔になりそうなメルヒェンがいる以上、その一発が親指姫に当たらない可能性もある。
心苦しいがジャックはメアリガンを構えつつも、親指姫が周囲のメルヒェンを片付けるまで待った。狂気の笑みを浮かべ哄笑を放ちながら、メルヒェンを自分さえ巻き込みそうなほどの魔法で、あるいは素手で潰し引き裂く親指姫の姿に胸の痛みを抱えて。
「よし! 今戻してあげるよ、親指姫……!」
惨殺を終え周囲のメルヒェンが一掃されたところで、ジャックは走り出し確実に命中させられる距離まで詰めた。
同時に親指姫がジャックへと視線を向けてくる。仲間や友人を見るような笑みではなく、虐殺の対象を見る狂気の笑みを浮かべて。
無論自分も対象に含まれているということは最初から分かっていた。敵味方の区別などつかずに死ぬまで破壊と殺戮を続ける。それがブラッドスケルター化だ。だからこそ何が何でも元に戻さなければ危険なのだ。
震え上がりそうな殺意の視線に貫かれながらもジャックは決して退かず、親指姫の身体に銃口を向け引き金を引いた。だが――
(――っ!? う、撃てない!?)
メアリガンからジャックの血液が飛び出すことはなかった。何度引き金を引いても同じ。血の一滴すら放たれない。
もともとメルヒェンの牙によってかなり圧壊していたメアリガンだ。恐らく先ほどの二射でついに限界を迎えたのだろう。このままでは親指姫を浄化することはできない。ブラッドスケルター化を解除するには相当量の血が必要だ。今ジャックの身体を濡らしている自らの血を全て擦り付けたとしても圧倒的に足りない。
ならば浄化を行う手段はたった一つ。一切の迷い無く覚悟を決めたジャックは壊れたメアリガンを太股のホルスターに収めた。
「っ……!」
それと同時に親指姫が哄笑を放ちながら迫ってきた。どうやら素手でジャックを攻撃するつもりらしい。
恐怖は感じるものの、むしろジャックは魔法でなくて実にありがたいと心の底から安堵していた。これならわざわざふらつく身体で近づく必要も無い。
浄化の手段はメアリガンを使って血を浴びせることではないのだ。要はジャックの血を浴びせられれば方法は何でも構わない。例えば自ら自傷して出血した血を浴びせても構わないし――自ら親指姫の攻撃を受け、返り血を浴びせることでも構わない。
(親指姫……絶対元に戻してあげるから!)
例え命を賭けてでも。
ジャックはその場から一歩も逃げはせず、むしろ腕を広げて親指姫を抱き止めるような形で無防備に身体を晒した。
「あ、れ……じゃ、ジャック……?」
意識を取り戻した親指姫を最初に迎えたのは、視界いっぱいに広がるジャックの安堵の笑みであった。
意識を失う前の記憶が不明瞭なためかジャックが瞳に涙を溜めるほどの安堵を覚えている理由が分からず、親指姫は羞恥も忘れてその光景に戸惑いを覚えるしかない。
「お……親指姫……元に、戻ったんだね……良かっ……た……」
妙に震えた声で喜びを露にするジャック。
その笑顔に全く血の気が通っていないことに気が付いた次の瞬間、ジャックは糸が切れたように前のめりに倒れた。
「ちょっ!? じゃ、ジャック! 一体どうしたのよ――!?」
咄嗟にその身体を抱きとめた親指姫は、腕に纏わりついてきた暖かい感触に息を呑んだ。
見ればジャックの身体には胸から腹にかけて切り裂かれたような深い傷跡が走っていて、絶えずおびただしい量の血が零れ落ちていた。
そして足元には尋常でない大きさの血溜り。
だがその血溜りの中心に立っていたのはジャックではなく、親指姫の方だった。
まるで親指姫がジャックの身体を切り裂き、返り血を浴びたかのように。
その状況を認識した瞬間、親指姫は全てを理解し、思い出した。
「こ、これ……私が、やったのね……っ!」
親指姫は先刻ブラッドスケルター化してしまったのだ。ジャックを失ったという絶望と悲しみに耐えられずに。
そして破壊と殺戮の衝動に支配されるまま周囲のメルヒェンを惨殺し、理由は分からないが無事だったジャックまでも手にかけた。
その返り血が親指姫をブラッドスケルター化から救い出し、意識を取り戻させたのだろう。
「……待ってなさい、ジャック! すぐに治してあげるから!」
当然罪の意識に酷く胸が痛んだが、嘆いたり許しを乞う暇は無い。全力で治癒の魔法を行使して、ジャックの怪我の治療に専念した。どう贔屓目に見ても出血は自然に止まるような量ではなく、止血しなければ本当に死んでしまうかもしれないからだ。謝罪など後で幾らでもできる。
ジャックの傷の処置を行う中でメルヒェンに襲われたらひとたまりも無いが、幸いといって良いのかブラッドスケルター化した親指姫が周囲に破壊を撒き散らしたおかげで周囲にメルヒェンの気配は無かった。
とはいえ絶対に安全とは言い切れないので、親指姫は手早くジャックの傷の処置を終えた。
「流石にずっとここにいるわけにはいかないわね……ジャック、悪いけど少し歩くわよ」
親指姫一人ならまだしも、意識を失ったジャックを抱えてダンジョンを突破するのは不可能に近い。ジャックが回復するまで安全な場所に身を隠し、皆の助けを待つのが懸命な選択だ。赤ずきんならジャックを小脇に抱えたまま片手で巨大なハサミを振り回し、単独で突破できたかもしれないが。
幸い近くの壁の一部が崩落して人が通れる程度の穴が開いており、その奥には狭いが空間が存在していた。入り口をメルヒェンの死体か瓦礫で塞いでしまえば安全な場所になるかもしれない。
僅かな間逡巡する親指姫だが他に当てがあるわけでもないので、しばらくそこへ身を隠すことにした。ジャックを穴の中に押し込み、周囲に転がる適当なメルヒェンの死体を見繕ってくる。後はその死体を引きずる形で親指姫が穴の中に入り、壁を作ることで安全を確保。
とりあえずはこれで一安心だ。あとはジャックが回復するか、赤ずきんたちを引き連れた妹たちが来てくれるのを待つだけだ。
ほっと一息ついた親指姫はジャックの容態を確かめようと視線を向け――
「――っ! じゃ、ジャック……!?」
――死体と見まごう程に生気のないその面差しに心臓が止まりかけた。
まさか止血が間に合わなかったのだろうか。
最悪の可能性に恐怖しながら、震える手でジャックの首筋に指を当てる。
「よ、良かった。一応、脈はあるわね……でも……」
脈はあるが酷く微弱で、触れている首筋はぞっとするほどに冷たい。
見ればジャックの肌は完全に血の気が失われていて、頬ですら真っ白に色が抜けてしまっている。
どうやら親指姫の想像以上に出血が多かったらしい。
周囲はさほど冷えていないというのに、ジャックの身体は寒さに凍え震えているほどだ。せめて身体を暖めてやらなければ、間違いなくジャックは死ぬ。
「し、しっかりしなさいよ、あんた……!」
先ほどの死は親指姫の勘違いだったようだが、今回は対処しなければ本当に死んでしまう。
そうなればやはりもう二度とジャックは親指姫に笑いかけてくれなくなる。二度と声も聞けなくなる。
その悲しみを考えると涙が零れてくるのを止められなかった。もう二度とジャックを失いたくない。もっとずっとジャックの笑顔を、声を、優しさを感じていたい。できることなら今までよりもずっと傍で、ずっと強く。
自分でもどうしてそう感じるのか今の親指姫には理解できなかったが、理由を考えるよりも先にやらなければいけないことがある。
だがブラッドスケルター化を経たせいで親指姫自身もかなり疲弊していて、ジャックを十分に暖められる程の火を魔術でも起すことはできなかった。さっきの治癒が限界だったのだ。何かを燃やして暖を取ろうにも周囲には燃やすものすらなく、仮にあったとしても狭いこの空間で物を燃やすのは正しい判断とは言えない。
最早親指姫にできるのはジャックが死に行く様をすすり泣きながら見ていることだけだった――
(――っ! そ、そういえば聞いたことあるわ! こういう寒さで死にそうな時に身体を暖める方法って、確か……!)
そう思えたが、幸い親指姫は他に一つだけ暖めてやれる方法を知っていた。
ただ死ぬほど恥ずかしい思いをすることになるし、本当に効果があるのかは正直分からない。あくまでも話に聞いたことがあるだけだ。
しかし他に考え付く手段は何も無いし、背に腹は変えられない。
「……私にここまでさせておいて死んだりしたら、絶対許さないわよジャック!」
そして何よりもジャックに死んで欲しく無い。死ぬほど恥ずかしい思いをしたって、今正に死にかけているジャックとは違い実際に死んだりはしない。
覚悟を決めた親指姫は恥じらいをどぶに捨て、潔くその方法を実行に移すのだった。
果たして親指姫は何をするつもりなのか。まぁ年頃の男の子なら予想はつくでしょうね。
書いていてふと思ったのはメアリガンの性能について。モーター三種で強化した後の、身体が吹き飛ぶどころか人二人分の落下の勢いを殺せるほどの反動を伴うとはメアリガンの威力は一体どれほどのものなのか。たぶん射出するのを血液でなく何か硬度のある物体にすれば十分メルヒェンと戦えそうな気がします。
しかもモーターで強化しているということは拳銃のように火薬の燃焼に頼っているわけではないというわけで……そりゃあこんな化け物染みた性能のモーター持っていたらハルさんもはしゃぎますね……。