ジャック×親指姫   作:サイエンティスト

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 ついにツンデレの親指姫が……?。
 色々怪しい終わり方をした前の話。大人な展開に流れ込んだって不思議ではないですが、果たして……。
  



大切なこと

(ま、まだかな、親指姫……もう一時間になるけど……)

 

 添い寝の約束を結んだジャックは高鳴る胸の鼓動を感じながら、その時を今か今かと待っていた。間違っても変なことはしないが、女の子と一緒のベッドで寝ることを考えるとさすがに緊張を拭い去ることはできなかった。そもそもただの女の子ではなく大好きな恋人なのだから緊張を覚えたって仕方ない。

 

「……じゃ、ジャック……まだ、起きてる?」

 

 ドキドキしながら首を長くして待っていると、ついに親指姫が扉を開けて部屋へと顔を出してきた。その顔が当然のように真っ赤なのはジャックと同じ緊張と、それ以上の恥じらいを覚えているからに違いない。

 

「う、うん。ずっと待ってたからね……もう寝る前にやることは済んだの?」

「す、済んだわよ。それで? まだどうしても私に添い寝してもらいたいとか思ってんの?」

 

 部屋にはまだ足を踏み入れず、扉から顔だけ出して確認してくる。これはいつものパターンで答えろ、ということか。だとすると本当は親指姫もジャックに添い寝してもらいたいと思っていたのかもしれない。

 

「うん。僕、どうしても親指姫に添い寝してもらいたいな」

「……ぜ、絶対、変なことはしないのよね!?」

「うん、約束するよ。絶対変なことはしない」

 

 ただでさえ小さいのに恥ずかしがって余計に小さくなっている親指姫へと、安心を与えるためににっこり笑いかける。

 こんな怯えた子供のような姿を目にしては変なことをする気など間違っても起きない。むしろぎゅっと抱きしめて守ってあげたい気分になってしまうジャックだった。

 

「だ、だったら特別に添い寝してやるわよ。感謝しなさい」

「うん。ありがとう、親指姫……って、あれ……?」

 

 多少安堵した感じで部屋に入ってきて、まだベッド脇に置いていた椅子を片付けていく親指姫。その姿を目にしてジャックは何となく違和感を覚えた。

 

(な、何かさっきまでの親指姫より可愛い気がする……)

 

 どこがどうというわけではないがそんな風に思えた。気のせいでないのは緊張とは異なる胸の高鳴りが教えてくれていた。

 

「な、何よ? そんな馬鹿みたいな顔して私を見て……」

「えっと、何か親指姫がさっきまでと違って見える気がして……」

「き、気のせいよ! 気のせい! どっからどう見てもさっきまでの私よ!」

(絶対気のせいじゃないよね、この反応……でも可愛いから良いや!)

 

 尋ねた途端一瞬で耳まで顔を赤くされたが、可愛くて何か問題があるわけでもないので疑問はすぐにどうでも良くなった。まだちょっとだけ気になるものの、どのみち答えてくれないのだから疑問を抱いていたって仕方ない。

 

「それよりあんた、添い寝して欲しいならもうちょっとそっち詰めなさい。ベッドの真ん中陣取ってんじゃないわよ」

「あ、ごめん。これで良いかな?」

 

 言われるままにベッドの端へと寄り、親指姫のスペースを確保する。枕は一つしかないのでもちろん親指姫のスペースに残し譲った。

 

「じゃ、じゃあお邪魔するわよ……」

 

 灯りを消し、シーツを捲ってベッドの中へと潜り込んでくる親指姫。

 作り出された暗闇に目が慣れた時には人一人分くらいのスペースを空けて、親指姫が隣に横たわっていた。添い寝にしてはだいぶ遠いが、それでも手を伸ばせば触れられる距離。そんな距離に無防備に横たわる愛しい恋人がいる。邪な想いを刺激しそうな状況下にジャックの胸はうるさく高鳴っていた。

 

「な、何か、緊張するね?」

「べ、別に私は緊張とかしてないわよ!? これくらいのことで緊張するとか男の癖にずいぶん情けないわね、ジャック!」

(うん。照れ隠しっていうかもうこれ虚勢だよね……)

 

 もちろん照れ屋で恥ずかしがりな親指姫が緊張していないわけなどなく、薄闇の元でもはっきり分かるほど頬を染め上げていた。それでも必死に虚勢を張るとはいっそ見上げた天邪鬼加減だ。

 

「そっか。情けない恋人でごめんね、親指姫?」

「別に、不満ってわけじゃないわよ。慣れてたらそれはそれで何か腹立つし」

「……緊張してないなら、もうちょっと近くに行っても良いかな? できれば君をぎゅっと抱きしめられるくらい近くに」

「……っ!」

 

 その虚勢を逆手に取られたせいか親指姫が息を呑む。卑怯な手段だができればジャックはもっともっと親指姫に近づきたかった。それこそ間に挟まるスペースなど無くなるほどに。

 

「ち、近づくだけ? それとも、本当に……」

「親指姫が許してくれるなら本当に抱きしめたいな。もちろん、どうしてもだよ?」

「っ、うぅ……!」

 

 魔法の言葉を口にして微笑みかけると罰が悪そうに視線を逸らされる。魔法は絶大な威力を誇るはずだが、さすがに今回ばかりは親指姫も迷っているようだ。いくら恋人で信頼していたとしても、男にベッドの中で抱きしめられるのは抵抗があるに違いない。疑われている時点ですでに信頼されていない気もするが。

 

「抱きしめるだけよ!? それ以外に何かしようとしたらぶっ殺すから! 良いわね!?」

「うん。大丈夫、変なことは絶対しないよ?」

 

 それでもしばらく悩んだ末にキツイ口調で頷いてくれる親指姫。

 もちろんジャックは変なことをする気は微塵も無い。ただ純粋に愛しい恋人を抱きしめて温もりと幸福感に浸り、そのまま眠りにつきたいだけだ。なのでそっと身を寄せると、優しくその小さな身体を抱きしめた。必然的に親指姫はジャックの胸に顔を埋める形となるが、特に抗議の声は上がらなかった。

 

「な、何か、懐かしいわね……この状況……」

「そ、そうだね……抱きしめられてたのは、僕の方だった気がするけど……」

 

 横になって、二人で抱き合っている状況下。今回は服を着ているしお互いに仰向けでもうつ伏せでもないが状況は似たようなものだ。不思議と懐かしさを覚えるのも仕方なかった。それと緊張すら和らいでくるほどの安心感も。

 

「うん。やっぱりこうやって親指姫を抱きしめてると凄く安らげるなぁ。どうしてこんなに安心できるんだろう……」

「死にかけてたから単に強く印象に残ってるだけじゃないの?」

「そうだとしても大好きな人をこうやって抱きしめて身近に感じてるんだよ? やっぱりどっちにしろ安心できたんじゃないかな」

 

 愛しい恋人が腕の中に身を預けてくれている。それだけでも十分幸せで安心できる状況だ。おまけに今日の親指姫は何だかとてもリラックスできる匂いを漂わせていた。うっとりしてしまいそうなくらい甘い、まるで花の蜜か何かを連想させるような香りを。

 

「あ、あんたは本っ当にそういうこと恥ずかしげも無く言う……!」

「最初の頃はちょっと恥ずかしかったけど言ってる内に段々慣れてきたんだ。今じゃむしろ言わないと落ちつかないくらいだよ」

「えぇっ……何であんたばっかり、そんなにすらすら口にできんのよ……」

 

 自分の性格を誰よりも深く理解している親指姫は、ジャックの言葉に羨望と絶望が見え隠れする複雑な表情を浮かべる。

 確かに未だ好きの一言も口にできていない親指姫から見れば、事あるごとにどころか事が無くても口に出来ているジャックの方が異常に思えるに違いない。

 

「何でって言われても逆に困るなぁ。ただ親指姫のことが好きな気持ちを、ちゃんと伝えたいなあって思ってるだけだからね……大好きだよ、親指姫」

「っ! だ、だからあんたは……!」

「あははっ。それに今みたいな親指姫の可愛い反応を見られるからね。照れてる親指姫は本当に可愛いからついつい何度も照れさせたくなっちゃうよ」

「分かった! あんた本当はSね!? そうなんでしょ!?」

 

 今回はちょっとわざとらしかったせいか、腕の中で親指姫が顔を真っ赤にして睨んできた。しかしただでさえ照れ隠しなのに位置的に上目遣いなせいで余計に可愛かった。どうせならもう一度言いたいくらいだ

 

「そんなこと無いよ。だって親指姫が許してくれるなら意地悪するよりも可愛がりたいって思ってるんだから。頭を撫でたり、こんな風にぎゅっと抱きしめたりしてさ」

「あー、もうっ! 本っ当にあんたはぶれないわね!」

「痛っ! お、親指姫……結構、痛いよっ……!」

 

 密着状態で繰り出される連続ボディブローを受け、さすがに苦悶の声を漏らしてしまうジャック。キレ気味なせいかそれなりに力が入っていて一撃一撃がなかなかの重さだった。

 しかし不思議なことに攻撃は徐々に威力を失くしていき、最終的にその手はジャックの胸にそえられ衣服を握り締める形となっていた。どことなく儚さを感じる、弱々しい力で。

 

「ジャック……あんた、私があんたをどう思ってるか知ってる?」

「……うん。僕のことが好き、なんだよね?」

 

 不意のとても真剣な声音での質問に、当然ジャックも真剣に答える。これは自惚れでもなんでもなく事実だ。ジェノサイド化していたとはいえ親指姫本人が自ら吐露してくれた気持ちなのだから。

 だが普段の親指姫ならこんな答えを返せば当然照れ隠しに正反対の言葉を口にする。嫌いだとか、好きじゃないとか。そのためジャックは今もそんな天邪鬼な答えが返って来ると思っていた。

 

「……そ……そ、う……よ……」

(……えっ!?)

 

 しかし今回は返ってこなかった。代わりに返って来たのは途切れ途切れで小さくはあるが、間違いなく肯定の言葉。

 おまけに親指姫は真っ赤になりながらも腕の中で確かに首を縦に振った。一瞬どころか数秒くらい目と耳を疑ったが、間違いなく。

 

(い、今……頷いたよね、親指姫……幻覚とか幻聴じゃないよね……?)

 

 今度は自らの健康状態を疑ってみるもどうやらそちらも問題は無い。貧血による体調不良もすっかり回復して実に健康だし、先ほどのボディブローの痛みからするとこれは夢ではなく現実だ。

 となると今度は親指姫の状態を疑うのが当然のことだったが、いつもの親指姫であることは赤い髪を見れば一目瞭然。別に色は抜けてないし、瞳だってピンク色ではない。ジャックにも親指姫にも問題らしい問題は無かった。

 

「だけど私、結局一度もあんたにそのこと言ってないわよね……」

「そ、そんなことないよ。あの時いっぱいキスしていっぱい言ってくれたし、今だって頷いてくれたじゃないか」

「それは言ったことに入んないわよ! 私が私のまま、自分の口から言ったことは一度もないじゃない!」

「た、確かにそうだけど……」

 

 不可解な状況に混乱しながらも会話を続けるが、より混乱を煽るような内容が続いていく。それも至って真剣な表情と声音で。

 

「あんただってさ、やっぱり言って欲しいんでしょ? 私の口から……その、言葉を……」

(……ああ、そっか……親指姫は、言おうとしてるんだ……)

 

 ここにきてようやくジャックは親指姫の真意を理解した。

 添い寝を始めた時から、あるいは罰と称してジャックをベッドから出さないようにした時から、恐らく親指姫は決めていたのだ。ジャックに自分の気持ちを素直に伝えよう、と。

 正直にジャックのことを心配していたと言ったのも、ジャックの言葉に対して反応がおかしかったのもその決意故のものなのだろう。もしかするとこの添い寝も気持ちを伝えるために自分を追い込むものなのかもしれない。

 

「……もちろん言って欲しいけど、恥ずかしいなら無理に言わなくて良いんだよ? 親指姫の気持ちはちゃんと分かってるから」

「でも、私があんただったら絶対言って欲しい。だってそうでしょ? もし伝えられないまま相手が死んだりしたら、絶対後悔してもしきれなくなるわ……もっとちゃんと、いっぱい言ってやれば良かったって……」

 

 泣きそうな声で続ける親指姫の言葉を否定し、慰めてあげようにもそれはできなかった。間違ったことは何一つ言っていないからだ。

 ジャックだってそんなことになれば一生後悔する。生きている限り悲しみと悔いがどこまでもついて回るだろう。もっとたくさん気持ちを伝えて、もっとたくさん触れ合いたかったと。

 

「あんたが今日倒れた時、そう思ったのよ。結局いつもの貧血だったけど、気付かされるには十分な衝撃だったわ。こういうことでも無いと踏ん切りつかないとか、私って本当馬鹿よね……」

 

 自虐的な微笑みを浮かべ、更に言葉を続けていく親指姫。

 もうジャックは口を挟む気はなかった。キスしたり頭を撫でたり、抱きしめて後押しする気もない。親指姫は今正に自分の力で、天邪鬼な心の壁を壊そうとしているのだから。取り返しのつかない出来事が起きて耐え難い後悔を抱えることにならないように、伝えられる今の内に自分の気持ちを素直に伝え、触れ合える今の内に素直に触れ合うために。

 

「私、素直に言うから……もう、素直になるから……! 聞き逃さないように、耳かっぽじってしっかり聞いてなさい!」

「っ……!」

 

 瞬間、世界が揺れた。正確には身体を転がされ、仰向けにされた。

 その状態で親指姫が馬乗りとなり、ジャックを押し倒したかのような姿となる。さしずめ親指姫が自らの胸の内を、ジャックを決して失いたくないという気持ちを曝け出したあの時と同じように。

 ただしその時とは一つだけ決定的に違うものがあった。それは眼前で揺れる親指姫の深緑の瞳。

 あの時は悲しみや寂しさしか浮かんでいない酷く胸の痛む瞳だった。しかし今やその瞳は決意と勇気に満ち溢れ、見惚れてしまいそうになるほどの美しい光を放っていた。

 

「ジャック! 私、あんたのことが――好き!!」

「親指姫……!」

 

 そして親指姫は躊躇い無く言い切った。死ぬほど顔を真っ赤にしながらも決してジャックから瞳を逸らさず、間近で見つめあったまま。

 ジェノサイド化などしていない、素の親指姫の口から放たれた誤魔化しも偽りも無い純粋な想い。言わなくて良いと言っておきながらも、やっとそれを耳に出来た喜びにジャックの心は感動と喜びに打ち震えていた。

 

「はぁぁ……! や、やっと言えた……! 言えたわ、ジャック! 私、やっとあんたに想いを伝えられたのよ!」

「わぁ!? あ、ちょ、親指姫!?」

 

 しかし親指姫の喜びようはジャック以上であった。馬乗りになったまま天を仰ぎ打ち震えたかと思うと、次の瞬間には満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。しかもジャックの顔を胸に抱く形で、ジャックの頭に頬擦りする感じで。必然的に親指姫の胸の膨らみは容赦なくジャックの顔面を撫でるのだった。

 

(あ、思ったより小さくないし柔らかい……じゃなくって!)

「す、凄いよ親指姫! そんなにはっきり言えるようになるなんて!」

 

 喜びと感動が煩悩に塗り潰されそうになったので抱かれながらも必死に声を上げる。興奮しすぎて自分が何をしていたのかは気付いていないらしく、親指姫はジャックの頭を解放すると今度は間近で得意げに笑いかけてきた。

 

「ふふん! ならもっと言ってやるからもっと褒めなさい! 好き! 好き! ジャック、大好きよ!」

 

 そして更に二度、三度と躊躇い無く想いを口にしていく。

 今まで天邪鬼という壁に塞き止められていた親指姫の想いは、壁が壊れたことで際限無く溢れ出しているのだろう。今までずっと、言いたくても言えなかった分の想いまでも。

 

「あーもうっ! 恥ずかしいけど一度言えば何度でも言えるようになるじゃない! 何でずっと言わなかったのよ! 本当に私って馬鹿ね!」

「そんなことないよ。親指姫はちゃんと前にも言ってくれたじゃないか。その後いっぱい、キスもしてくれたし……」

「だからあれを回数に含めんじゃないっての! ちゃんと普段の私がやらないと何の意味も無いでしょ!」

「そっか……じゃあ、今の親指姫ならしてくれる?」

 

 期待を胸に抱きながら尋ねるジャック。

 今までの親指姫なら間違ってもあの時のように行き過ぎなくらい大胆、かつ素直に気持ちを表わしてなどくれなかっただろう。だが自力で壁を壊し天邪鬼な心を乗り越えた今なら。

 親指姫は一瞬だけ恥ずかしそうに眉を寄せたが、すぐにそれを微笑みへと変え期待に答えてくれた。

 

「……そうね。ちゃんとあんたに気持ちを伝えられるようになった今なら、きっとできるわ。それに私だってずっと前から思ってたんだから。あんたといっぱい……キス、したいって……」

 

 そうしてジャックに覆い被さった状態のまま、静かに唇を降らせてくる。元々お互いの吐息がかかりそうなくらい顔を近づけあっていたのだ。唇が重なり合うまでに時間はかからなかった。

 

「っ――」

 

 親指姫の柔らかい唇が触れた瞬間、ジャックの胸は突き刺されるような痛みに襲われる。しかしそれは決して不快なものではなく、むしろ暖かい気持ちを溢れさせるどこまでも心地良い痛みだった。

 親指姫とキスをした時にはいつも胸の内に幸せの痛みを感じているが、ここまで強く感じたことは一度もなかった。理由はたぶん、このキスが初めてだからなのだろう。キス自体が初めてなのではなく、素の親指姫からキスされることが。

 

「好き……っ……ジャック……好き……大、好き……ジャックぅ……!」

 

 言いたいこともしたいことも素直にできるようになった喜びのせいか、熱に浮かされたようにひたすら唇を重ね、その合間にジャックへの想いを零す親指姫。あの時の激しさと比べればあまりにも大人しい愛情表現だったが、それを行っているのは間違いなく素の親指姫。

 そこにはもう、今まで好意を表わすのを躊躇っていた照れ屋で恥ずかしがり屋な姿はどこにも無かった。親指姫がそこまで変われたことも、想いを言葉と行為で伝えられていることもジャックは喜ばしい限りだった。

 

(あ……だ、ダメだ……これ……)

 

 だがその喜びの中にじわりと浮かんでくる暗い衝動を感じ、危険を直感して親指姫の身体をそっと押し返し上体を起す。

 当然のことながら親指姫は何故キスを遮られたかも分からず、ジャックの膝の上に座り込んだまま不思議そうにしていた。

 

「ジャック、どうしたのよ……?」

「ご、ごめん、親指姫……もう、キスしないで……」

「な、何で……? もしかして、こんな風になった私は、嫌い……?」

 

 語彙の足りないお願いのせいで酷く傷ついた表情をする親指姫。普段ならここは傷ついた親指姫を抱きしめ、優しくキスして慰めてあげるところ。むしろそうして慰めることこそジャックが親指姫の隣にいる理由とも言える。

 だが今回ばかりは事情が違い、ジャックは全力で慰めたい気持ちを心を鬼にして堪えるのだった。

 

「嫌いなんかじゃないよ。むしろ逆っていうか、その……好きすぎてちょっと、我慢できなくなりそうだから……」

「我慢できなくなりそうって、どういう……っ!」

 

 一瞬首を傾げていた親指姫だったが、次の瞬間その顔は耳の先まで真っ赤に染まった。どうやらちゃんと理解してくれたらしい。

 

「その、僕も男だから……こんなにいっぱい好きって言われながらキスを続けられたら……添い寝じゃすまなくなりそうなんだ……」

 

 それでも念のために言葉を続け、真実を伝えておく。

 正直素直になった親指姫があまりにも可愛らしくて、ジャックの理性は少し危ない領域に足を踏み入れていた。そもそも今の状況は端的に言えば大好きな彼女と真っ暗な部屋の中、一緒のベッドの中で抱き合っているという状況だ。そんな状況でこれでもかというほどキスされて想いをたっぷり伝えられれば、その手のことを意識しない男の方がおかしい。

 おまけに親指姫は今まで一度も好きとは言ってくれなかったし、一度も自分からキスはしてくれなかった。それが今や素直に何度も口にして、その唇をジャックの唇に重ねまくっている。そんな事実と喜びも相まってジャックは余計に興奮を煽られていたのだ。

 

「だから、今日のところはキスは止めて欲しいな……このままじゃ、約束破っちゃいそうだから……」

 

 しかし決して変なことはしないと約束した。

 それにいくら相思相愛の恋人同士でも恥ずかしがりで照れ屋な親指姫だ。その手のことはまだ許す気はないはずだし、あったとしても心の準備がいるに違いない。

 

「……る、ルールは破るためにあるって、何度も言ったでしょ? 破りたいなら、破りなさい……じゅ、準備なら、できてるわ……」

「……え? い、今、何て言ったの……?」

 

 だが親指姫の口から出てきたのは、想定とは全く異なる言葉だった。聞き間違いでなければ、今この場で襲い掛かっても構わないと解釈できる答え。当然ジャックは耳を疑い、もう一度聞き返した。

 

「――っ! だ、だから! 準備はできてるって言ってんの! 何度も言わせんじゃないわよっ、恥ずかしい!」

(え……ええぇぇぇぇぇぇっ!?)

 

 すると親指姫は死ぬほど顔を真っ赤にしながらも、はっきりと間違いのしようも無く言い放ってきた。相応の準備はすでに済ませてきたから、手を出しても構わないと。絶対に変なことをするなと約束させておいたのに、だ。

 

(あ、もしかして寝る前にやることがあるって出て行った時にそういう準備をしてたのかな? そっか、だから何だかいつもより可愛く見えたんだ。なるほどね! ……じゃなくって!)

 

 謎が解けて一瞬すっきりしたものの、すぐに今の状況を思い出すジャック。

 真っ暗な部屋の中、膝の上には愛しい彼女、その心の内はジャックの全てを受け止める準備が出来ている。あとはジャックの選択次第で全てが決まる。

 

(僕が良いって答えたら、するって答えるのと同じことだよね……僕だって男だから興味がないこともないけど……ていうか大いに興味があるけど……でも……)

「ジャック……私、あんたともっとキスしたい……あんたが何も言わないなら、このまま……キス、するわよ……?」

 

 結論を出せずに迷い続けるジャックへ痺れを切らしたのか、それとも今までしたくてもできなかった愛情表現をもっと続けたいのか。膝の上の親指姫はそんな言葉を口にしながらジャックの口元へ唇を寄せてくる。

 合意の上なら何も問題はない。愛し合う恋人同士ならいつかはそんなことをするのも自然の摂理だろう。何もおかしなことは無い。

 考え抜いた末、ジャックが出した結論は――

 

「……ごめんね、親指姫。やっぱり、今日はここまでにしよう?」

 

 ――最初と同じ、手を出したりはしないこと。

 

「ど、どうして……?」

 

 その言葉を受け、キスしかけていた親指姫は眉を寄せて戸惑いを露にしていた。

 やはり親指姫もジャックが手を出してくると思っていたのだろう。そして思っていたからこそ準備をしてきたに違いない。ゆっくり自分の意思でではなく、急いで万が一のために。

 

「……親指姫はたぶん、万が一に備えて急いで準備したんだよね? 最初から今日はそういう覚悟を決めてた、とかじゃなくて……」

「た、確かにそうだけど……私は、あんたになら何されても良いって……ずっと前から、思ってたんだから……」

「でもそれは思ってただけで、実際の心の準備はついさっきしたばっかりなんだよね? 万が一の事態に備えることだけ考えてて、きっと十分に考える時間はなかったんじゃないかな?」

「それは……まあ、今思うとかなり気が動転してたし、焦ってたわね……」

 

 ジャックの問いに親指姫は眉を寄せ、失態を思い出したかのように苦い顔をする。

 一体準備を終えるまでにどんな出来事や考えがあったのかは想像がつかないものの、少なくとも心が一向に落ち着かなかったであろうことは容易に想像できた。そしてそんな状態でまともに心の準備ができるわけが無いことも。

 

「僕は君の気持ちは嬉しいし、正直もの凄く興味はあるよ……でも、君にそんな勢いみたいな感じで心の準備をさせて、君にとって大切な初めてをその場の流れでなんてしたくないんだ」

「ジャック……!」

 

 ジャックの言葉に感極まったように瞳が潤み、幸せそうな微笑みが広がっていく。

 自分の気持ちよりも大切なのは親指姫の気持ちだ。混乱冷めやらぬ状態で終えた心の準備に甘えて手を出すことはしたくなかった。きっと良くも悪くも思い出に残る大切なことだから。

 

「だから今日は普通に一緒に寝よう? そういうことは、本当に親指姫の心の準備が出来たらで良いから……」

「……もうっ! 男なら何も考えずに喜んで襲いかかりなさいよ! あんたって本当に大馬鹿で……優しいんだから……」

 

 そんな風に怒ったかと思えば嬉しそうに笑い、最後にはジャックの腕の中に飛び込んでくる。こんなことを平気でできるようになるとは、一体親指姫はどれだけの急成長を遂げたのだろうか。

 

「本当はそういう風にしたいって、思ってないわけじゃないんだけど……君のことが、大切だから……」

「……分かったわ。いつかちゃんと心の準備をして、もう一度あんたに伝えてやるから……その時は、わ、私をあんたの……好きなようにしなさい……」

「うん。楽しみに待ってるよ……」

 

 やはり自分でも心の準備は急ごしらえのものだと感じていたに違いない。顔を真っ赤にしながらとても夢のある言葉を零す親指姫へと、ジャックは期待を込めて頷いた。

 

「……さて、と。そういうわけなら私は部屋に戻るわ。ジャック、あんた今夜は一人で寝なさい」

「えっ? 添い寝はしてくれないの?」

 

 大人な話が終わった途端、親指姫はあっさりジャックの腕から抜け出ていった。おまけに膝の上からも降りてしまう。今日は添い寝をしてくれるはずだったというのに。

 

「据え膳食わぬは男の恥って言葉知らないわけ? 仮にも心を決めた女を突き放しといて添い寝はしてもらえると思ってんなら大間違いよ! 恥を知れっての!」

「そ、そんなぁ……」

 

 非常に残念だったが見下ろしてくる鋭い瞳には言い訳などできなかった。親指姫の気持ちを考えて言ったこととはいえ、据え膳食わぬどころかどちらかと言えば後で作り直せ的なことを言ってしまったのだ。確かに恥を知れと言われても仕方ない。

 

「て、ていうか、私だって一緒に寝たいんだけど……私、今あんたにキスしたくて堪んないのよ……あんな優しいことまで言うから、今あんたの傍にいたら気持ちが抑えられそうにないわ……」

「あ……そ、そういうことなんだ……」

 

 しかし居心地悪そうに目を逸らして呟く親指姫の素直な言葉で、何となくその真意は理解できた。これ以上ここにいれば親指姫はキスしたい衝動に抗えず、そしてキスをされればジャックは自らの理性が折れてしまう。

 お互い一緒に眠りたいと思っているが、今夜はそれを諦めるのがお互いにとって最善の策なのだ。名残惜しいが仕方ない。

 

「と、とにかく今夜はお互い一人ね。あ、それからあんたもうベッドから出て良いわよ」

「え、良いの? 明日の夜までダメだって言ってたのに」

「目的は達成したからもうその必要も無くなったわよ。それに、これからはこんな面倒な真似しなくたって二人きりでいられるしね」

「……もしかして僕と二人きりで過ごすのと、僕に気持ちを伝えることが目的だったの? 罰とかじゃなくて」

 

 薄々それが目的なのではないかと思っていたのだが、やはりその予想は正しかったようだ。親指姫は頬を染めながらも確かに頷いた。

 

「そ、そうよ。何か文句でもある?」

「ううん、何も無いよ。ただ親指姫らしいやり方だなぁって思って」

「ふん! 素直じゃなくて悪かったわね!」

 

 遠回しに天邪鬼であったことを指摘すると、機嫌を損ねてしまったのかそっぽを向かれる。

 しかしそれは一瞬のこと。すぐにこちらへ顔を戻すと、とても挑戦的な視線を投げかけ指を突きつけてきた。普段通りの親指姫と同じ、気が強くて小生意気な感じの表情で。

 

「だけど、もう今までの私じゃないわ! 明日から楽しみにしてなさい、ジャック! 生まれ変わった私を見せてあげるんだから!」

「うん、楽しみにしてるよ。それじゃあおやすみ、親指姫」

 

 その可愛らしい様子に笑みを零しながら、ジャックはおやすみの挨拶をした。

 本当ならここでキスをするのが習慣だが、今はお互いにキス一回で済みそうにないので残念ながら今回は無し。ちょっと物足りないが仕方ない。

 

「ええ。おやすみ、ジャック……だ、大好きよ……」

「……うん、僕も大好きだよ」

 

 代わりにお互いに想いを伝え合い挨拶を締めた。以前までなら絶対言わなかったであろう親指姫も、今は躊躇い無く口にしている。まだちょっと恥ずかしそうにしているものの、生まれ変わったという言葉が真実なのは明らかだった。

 親指姫が部屋から去った後、残されたのはジャックただ一人。さっきまで隣にあった温もりが無いのは少し寂しいが、今はこちらの方が都合が良い。なのでジャックは満を持して灯りを消し、再びベッドへ潜り込み――

 

(――嬉しいなぁ! やっと親指姫が僕のこと好きだって言ってくれた! これって夢じゃなくて現実だよね!?)

 

 ――今まで抑えていた喜びを爆発させた。あまりの嬉しさにベッドの上で転げまわってしまうほどに。こんな姿はちょっと恋人には見せたくなかった。

 とはいえここまで喜びを溢れさせてしまうのも当然だ。ほとんど諦めていた死ぬほど聞きたかった言葉を、今日ついに親指姫の口から聞くことができたのだから。その上初めて自分からキスしてきてくれた。しかもジェノサイド化もしていないし、どちらも一度きりではなく何度も何度も繰り返し。果たしてこれ以上の喜びがあるだろうか。

 

(生まれ変わった親指姫、か……明日から楽しみにしてなさいって言ってたけど、一体何をする気なんだろう? 明日が楽しみだなぁ……)

 

 相思相愛ではあったが、愛情表現はこちらからの一方通行だった今までの日々。そんな日々は今夜でやっと終わりを迎えたのだ。もしかすると明日からは親指姫も積極的に触れ合いを求めてくるのかもしれない。人前では無理だとしても、二人きりの時なら間違いなく確実に。期待と喜びが大きすぎて今夜は眠れそうに無かった。

 

「それにしても、本当にもったいないことしたなぁ……いや、後悔はしてないけど……」

 

 しかし胸を躍らせながらもあのことについてだけは心底残念に思い気落ちしてしまうのだった。可愛い女の子、それも大好きな彼女の全てを自分のものにできるチャンスをみすみす逃してしまったことを。

 何だかんだ優しい言葉をかけながらも結局はジャックも男で、男の本性はケダモノなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おはよ、赤姉! 今日は気持ちの良い朝ね!」

 

 翌朝、親指姫はどうしても抑えられない機嫌の良さを表情と声音に滲ませながら食堂に顔を出した。

 席についていた赤ずきん達が挨拶を返すことを忘れるほど目を丸くしているが、その気持ちは親指姫にも痛いほど分かる。今の自分がどれだけ晴れやかな笑顔を浮かべているかは、その晴れやかな心持ちの自分自身が一番良く分かっていた。

 

(……でも仕方ないじゃない! だって私、やっと素直になれたんだから! あーっ、まだ自分でも信じらんないわ!)

 

 今まで呆れるほど天邪鬼だった自分が、ついにジャックに胸の内の想いを全て伝えることができたのだ。更にはしたくてもしたくてもできなかった自分からのキスまでも。

 おまけにそれらを一度きりではなく同時に何度も何度も行うことさえできてしまった。正直朝を迎え目が覚めた時には、昨夜の出来事は全て夢ではないかと疑ったほどだ。

 

「ああ、うん。おはよう、親指……何かあんたテンション高くない?」

「そ、そんなことないわよ! いつも通りの私でしょ? ね、白雪!」

「え? は、はい……たぶん……?」

 

 やっと挨拶を思い出したらしい赤ずきんに指摘されて否定するも、どうしても笑顔を隠せない。そのせいで可愛い妹まで首を傾げていた。まあ一応頷いてくれた点だけはやはり素直で従順な白雪姫だ。

 

(さて、と。それじゃあ生まれ変わった私を恋人に見せてやんないとね!)

 

 他の少女たちにも不審の目を向けられているものの、今はそれよりも大切なことがあるので一切合切無視。親指姫は満を持して席についている恋人を見た。何やらとても嬉しそうな微笑みを浮かべている恋人を。

 そんな風に笑っている理由が朝から恋人の笑顔を見られたからだということは、今の親指姫には手に取るように分かった。何故なら自分も同じ気持ちを抱いているから。

 

「……隣座るわよ、ジャック?」

「うん。おはよう、親指姫」

 

 ジャックの傍まで歩み寄り、返事は待たずに隣へ腰を降ろす。

 いつもならここで挨拶を返すとジャックは問答無用でキスをしてくる。毎回それに対して照れ隠しの怒りを露にしてしまった親指姫だが、毎回されると分かっていて隣に腰を降ろしていたのはもちろんそれが嬉しかったからだ。

 

(本っ当に素直じゃなかったわね、私……だけど、もう今までの私じゃないわ! 目にもの見せてやるんだから!)

 

 心の中で強気に言い放ち覚悟を決める。多少の羞恥は感じたものの、不思議と躊躇いはなかった。

 

「……ええ。おはよ、ジャック――っ」

「っ――!?」

 

 挨拶を返すと同時、親指姫はジャックに顔を寄せて唇を重ねた。誰の目にも明らかなほどにはっきりと、親指姫の方から。

 キスと言ってもほんの一瞬唇を触れ合わせただけのキス。それでも胸の中には堪らない幸福感が溢れていた。大好きなジャックとキスしている幸せ、そして皆の前でも素直にキスできるようになったことへの幸せで。

 

「お、親指、姫……?」

「……楽しみにしてなさいって言ったでしょ? これが生まれ変わった私よ!」

 

 戸惑いを隠せずにいるジャックへと得意になって笑いかける。まあちょっと顔は火照っていて恥ずかしいが、それでも耐えられないほどではなかった。親指姫の心は劇的に成長を遂げたのだから。

 恥ずかしいからといって素直に好意を伝えることも、したい触れ合いも諦める。それはあまりにも馬鹿げた考えだ。せっかく大好きなジャックとどんな触れあいでもできる関係になれたのに、せっかくあの時ジャックを死なせることなく助けられたのに。

 今回はただの貧血だったものの、もしもジャックがあそこで死んでいたら。そう考えるだけでも親指姫の心をの在りようを変えるには十分な衝撃だった。そんなことになれば、もう二度とジャックに気持ちを伝えられないし、ジャックももう言葉を返してはくれない。もう二度とジャックにキスできないし、したとしてもジャックはキスを返してくれない。

 だが今なら親指姫が素直になればお互いに気持ちを伝え合えるのだ。お互いにキスだってできるし、存分にイチャイチャラブラブすることができる。もちろん、もっともっと凄いことでもだ。

 

(……あんな想いした挙句一生後悔するなんて死んでもごめんだしね。もう恥ずかしがって躊躇ったりなんてしないわよ!)

 

 もう二度と気持ちを伝え合えず触れ合うこともできない悲しみや絶望に浸り、一生後悔していくことに比べれば感じる恥じらいなど些細なものだ。どうせ恥じらいは一時だけだし、それに耐えれば後はジャックと触れ合ったりする喜びと幸福が待っているのだ。

 そこに気付けばもう躊躇いは無かった。どれだけ他の皆に笑われようとも関係ない。万が一のことが起きて後悔など抱えてしまわないよう、ジャックとしたいことをしたい時にしたいようにする。ひたすらに想いを伝え合い、存分に触れ合う。それが生まれ変わった親指姫が抱いた、ある意味自己中心的とも言える素直な想いだ。

 

「……えっ、あれ? 今、親指からキスした……? あたしの見間違い?」

「い、いえ、確かに私もこの目ではっきりと見ましたわ……」

「わあぁ……親指姉様……!」

「……これは昨日の夜にジャックとの間に何かがあったに違いないわ。でなければ親指姫が私たちの前でジャックにキスすることはありえないもの」

「ということはジャックが解放されたのもそれが原因かしら。親指姫がここまで素直になるだなんて、途轍もない心境の変化があったようね」

 

 しかし親指姫がそんな想いを抱いたことなどジャック以外は知る由も無い。頬をつねって夢かどうか確かめたり、自分の目を疑ったりと皆失礼な反応をしていた。もっとも白雪姫は瞳を輝かせて喜びを露にし、グレーテルはさも興味深そうに口元に笑みを浮かべていたが。

 

「心境の変化なんて何もないわよ。私はただ……ジャックのことが大好きだからキスしただけよ!」

「……っ!?」

 

 恥じらいを覚えながらもそれを皆の前で言い放つと、一部の少女たちはあまりの驚きからか腰を抜かしかけていた。あまりにも失礼な反応だが今までの親指姫の天邪鬼加減を考えると本当に腰を抜かさなかっただけマシかもしれない。

 

「親指姫……」

 

 隣を見るとジャックが何やら今にも嬉し泣きしそうな笑顔を浮かべている。やはり今までのことを考えるとこんな反応をされても仕方ない。だからこそ、これからはもっともっと口でも行動でも好意を伝えてやろう。そう心に決める親指姫だった。

 

「さ、ジャック。早く朝ごはん食べましょ。今日は朝から一緒に散歩に行くわよ!」

 

 その手始めとしてまずは二人でその辺の散歩だ。もちろん手を繋いでラブラブな感じで。ジャックだって本当はずっとそんな風にイチャつきたかったはずなのだから。

 

「う、うん。そうだね……」

(あ? 何か歯切れ悪いわね。せっかく人が素直になったってのに……って、ああ。なるほど)

 

 冴えない表情で頷くジャックの視線の先を見て納得する親指姫。

 そこには親指姫そっちのけでジャックに視線を注ぐ少女たちの姿があった。何やら酷く冷たく鋭い視線や、探究心に溢れた視線、そして半信半疑という様々な視線を。まあ白雪姫だけは微笑ましそうにニコニコ笑っていたのだが。

 

「……ジャック、散歩の後で構わないから後で私の部屋に来てくれないかしら?」

「そうだね。あたしたちとちょっとお話しよっか? 昨日親指に何をしたのかさ」

「ふふっ。親指姫があなたに好意を伝えるようになるだなんて、一体何があったのか知るのが楽しみで堪らないわ」

「わ、私は信じていますわ、ジャックさん……犯罪になるようなことは、していませんわよね……?」

「ま、待って! どうして皆そんな怖い顔してるの!? 僕は何もしてないよ!?」

 

 まるでジャックを糾弾するかのような言葉が少女たちの口から次々と紡がれていく。これにはさすがのジャックもたじたじだ。

 

(あー、やっぱジャックを変に疑ってんのね。私がこんだけ素直になったから……)

 

 歩く天邪鬼だった親指姫が、一晩明けたら自分たちの前でジャックにキスして好意を露にするくらい素直になっていた。そして皆は親指姫が付きっきりの看病をするために、昨夜はジャックの部屋で一緒に過ごしたと思っているはず。

 要するに皆はその一晩でジャックが何かやらかしたとでも思っているのだろう。具体的には鬼畜だったり犯罪的だったりする手法で親指姫の性格を無理やり矯正したとか。

 

「お、親指姫からも何か言ってよ! 僕は何もしてないって!」

 

 変わり様が凄すぎて否定しても信じてもらえないらしい。ジャックは困りきった顔で親指姫に助けを求めてきた。

 実際の所はジャックがそんなことをするなど間違ってもありえない。手出ししても構わないことを伝えた上、自身も本当は手を出したがっていた癖に、親指姫の気持ちを考えて自ら断った誠実なジャックだ。

 だから普通に助けてやろうと思ったのだが、ここでちょっとした悪戯心が沸いて出てきてしまった。今まで散々辱められた復讐を楽に果たせそうだったから。

 

「あ、あんたが私に素直になれって命令したんじゃない……私をベッドに縛り付けて、無理やり……」

「親指姫ええぇぇぇぇぇっ!?」

 

 どれだけ努力しても果たせなかった復讐は、小さく呟いて恥ずかしそうに視線をそらすだけであっさり叶ってしまう。

 いや、復讐だけではない。これからはやろうと思えば好きなだけジャックとイチャイチャできる。好きなだけジャックに甘えたりも出来る。ジャックとやりたかったことは何でも叶えられるのだ。今まで素直になれずつもりに積もった触れ合いたい気持ちを、これからは存分に晴らすことができる。だとすればもう遠慮する気はなかった。

 

(これからはもう存分にイチャイチャしてやるんだから! 覚悟しときなさい、あんたたち!)

 

 これからの甘い日々を思い描くと共に、親指姫は心の中でそう語りかけた。

 酷く冷たい視線を向けられて狼狽しているジャックではなく、今まで親指姫たちのぎくしゃくした恋人関係を大いに笑い楽しんでいた赤ずきんたちに。

 もう二度と笑う気も起きなくなるくらい、ジャックとイチャつく様を徹底的に見せ付けてやることを誓って。

 

 

 

 





 これでめでたくハッピーエンド! めでたしめでたし!
 
 そんなわけがない。むしろここからが本編です。次の章がヤバイことになりそうなのは今回の話の雰囲気で感じ取ってもらえるでしょうか……?
 ちなみにこんな話を書いておいてなんですが、私なら間違いなく襲い掛かってます。当然じゃないですか。男は皆ケダモノだったりオオカミだったりするんですから。
 でもジャックがケダモノでなくオオカミだったら一番危ないのは親指姫よりも赤ずきんな気がする。原作の原作的に……。


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