五代雄介の幻想郷旅行記   作:楓@ハガル

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ビックリマークがえらい多くなりました。後にも先にも多分このお話がぶっちぎり最多です。


第十六話 特別授業

 極まった余談ではあるが、人間の里にて店を構えるカフェは、さほど認知度が高くなかった。緑茶派が多いゆえにコーヒー自体があまり人々に受け入れられていないのである。

 しかし、外の世界から『モーニング』の文化が流れ着いた最近では、それがやや変わりつつある。トーストとゆで卵を食べ、コーヒーを啜りながら新聞──手描きのイラストではなく写真の載った、里の雰囲気からは少しばかり違和感を感じる物──を読む。このスタイルが粋でいなせな老若男女を引き寄せたのだ。五代と湯屋で語り合った男たちは、どちらかと言えば緑茶を好む、昔気質の者が多かったらしい。

 まぁ、サービス開始初期は砂糖とミルクの消費量が凄まじかったようだが。

 

 閑話休題。久々の焼き立てパンを堪能し、熱いコーヒーで少々寝不足気味の目を覚ました五代は今、寺子屋の教室前にいる。

 昨晩、一日教師の話を持ち掛けられた際に慧音に言われたのは、たった一つ。好きなようにやって欲しい、ただそれだけだ。内容は問わず、思うままに子供たちと過ごすところを見せて欲しい、と。その熱意に圧倒され、五代は半ば押し切られるようなかたちで一日教師の話を承諾したのだった。

 素人に対し指針もなしに好きなようにやれとは、何とも難しい注文。妹と共に保育園の子供たちを世話した経験はあるが、教師として教壇に立て、となると話は違う。

 読み書きや歴史は早々に諦めた。まず己が教科書や資料を読めない。小学生時代に授業で多少ながら扱ったそろばんならばどうかと考えたが、こちらも人に教えられるレベルとはとても言えない。ぱらぱらとめくった手引書も挿絵以外は見事にくずし字なので、小脇に抱えて自分が臨時教師であると知らしめる以外に使えたものではない。まさにないない尽くし。

 だが経緯はどうあれ、一度やると決めたからには全力。己が教えられる事を教え、楽しかったと思ってもらえるような授業をやってみせる。経験のなさからの妥協など一切考えない。子供騙しなども端から頭にない。子供たちに対しても、自分に対しても、そして教育者として一日を任せた慧音に対しても、それはあまりに失礼。

 こっそりと、襖をほんの少し開けて教室内の様子を窺う。服装は着物や洋服などばらばらだが、全員が並んだ座卓に正座し、慧音の入室を待っている。その中に、見知った顔を見付けた。昨晩世話になった、屋台の若女将である。少しばかり五代の心に安堵が訪れた。

 

「ところで五代さん、念の為に確認したいのですが」

 

「はい、何ですか?」

 

五代の斜め後方、二、三歩程の距離を取って立つ慧音が尋ねる。本当に、教材はそれだけで良いのか、と。彼の手元にあるのは、大きな紙と色鉛筆のセットのみ。読み書きそろばん、あるいは歴史を教えるのに十分とは決して言えない。しかし五代は、空いた手で親指を立てて見せ、

 

「大丈夫です!」

 

理屈では表せない安心感をもたらす笑顔を浮かべた。

 

 

 

 襖を開けて、まず慧音が入室。それに続いて五代も教室へと入った。見た事のない男性の登場に、一名を除いた全員がざわめく。

 

「彼の事が気になるのは分かるが、朝の挨拶からだ。日直は誰だったかな?」

 

慧音の凛々しい一声で、後列中程の位置に座っている少年が号令を発する。起立、礼、着席。頭を下げると同時に一斉に発した朝の挨拶が、教室を震わせた。元気一杯である。

 

「さて、まずは彼に自己紹介をしてもらおう。五代先生、よろしくお願いします」

 

すっと教壇の中央を譲られ、そこに収まった五代。内心で先生と呼ばれて気恥ずかしさを覚える彼に、生徒全員の視線が集中した。子供の視線と言うのは、これがなかなか迫力がある。否、迫力ではなく清らかさとでも言おうか。子供の目は己を写す鏡。邪な者が晒されれば、たちまち萎縮してしまう。

 

「初めまして! 外の世界から来た、五代雄介って言います。今日は、先生に代わって授業をする事になりました。よろしくね!」

 

尤も、五代には関係のない話。相手が子供だからと驕らず、一言一言に心を込め、先の挨拶に負けじと大きな声を張り上げて頭を下げる。それに釣られて、生徒たちも元気良く、よろしくお願いします、と返した。

 

「早速授業を……って言いたいんだけど、最初はみんなの名前を覚えないとね。先生、出席簿とかありますか?」

 

「座席表ならこちらに。みんな、五代先生に負けるなよ?」

 

簡素な木板に貼られた座席表を渡しながら、慧音が生徒たちを焚き付けた。心なしか、全員が体を前に傾けたような気がする。これは楽しい事になるな、と予感した五代は、座席表と生徒たち顔をちらちら見比べながら、ほんのわずか身構えた。

 

「それじゃあ一番前の子たちから。"チルノ"ちゃん!」「あたいがチルノだぁ!」

 

「"大妖精(だいようせい)"ちゃん! ……で、合ってるよね?」「は、はい、大妖精ですっ!」

 

「"リグル・ナイトバグ"ちゃん!」「私はちゃんと、ここに座ってるからね!」

 

「"ミスティア・ローレライ"ちゃん!」「はーいっ。昨日は毎度でしたぁ!」

 

「"ルーミア"ちゃん!」「はぁい。随分眩しい先生が来たね」

 

最前列に座る子らはいずれもなかなかに特徴的な名前──外見も翼が生えていたり髪の色が奇抜だったりと個性的である──であったが、打って変わって以降の子らは、どこか懐かしさを感じる名前ばかり。"茂吉"、"正三"、"清"、"きぬ"、"とよ"、"うめ"。

 それでも、総勢十一人の生徒たちに共通しているものがある。名前を呼ばれると、ぱっと手を上げて大きな声で返事をするのだ。打てば響く、と言う言葉がぴったりであり、まるでプロ野球選手のキャッチボール。どうやらこの子供たちは物怖じしない、おおらかな性格の持ち主ばかりのようだ。

 出席確認を終えた五代を、十一対の瞳が捉える。この先生はどんな授業をするんだろう、どんなお話をしてくれるんだろう。そんな、幼い子供ならではの期待がひしひしと伝わる視線だ。それを真正面から受けた五代は一つ頷いて、

 

「まずは机の上の教科書をしまって、机を全部端っこに寄せちゃおう!」

 

慧音を含む全員の目を丸くさせた。

 

 五代と慧音も手伝い、座卓が全て教室の脇に寄せられ、中央には全員が集まってなお余る空間が出来あがった。何を始める気だ、と目を瞬かせる慧音をよそに、五代はその真ん中に陣取って、手にした紙を広げる。

 

「よぉし。それじゃみんな、こっちに集合っ!」

 

恐らくこんな授業──座卓を使わない授業は初めてなのだろう。生徒たちはわくわくとした様子で彼の元に集まった。

 

「おー? これって里の地図か?」

 

「そう! 今朝急いで描いた割りには、なかなか上手く描けてるでしょ?」

 

ふんわりとした水色の髪の少女、チルノの疑問に、五代は胸を張って答えた。

 一日教師を頼まれて夜遅くまで考え抜いた五代は、朝早くに出勤した慧音に、人間の里の地図を用意してもらったのだ。それを同じく頼んだ大きめの白紙に描き、こうして持ち込んだ、と。里を俯瞰したようないわゆる白地図であり、建物と道路だけが描かれている。

 夜更かしし、慧音を待つ為に太陽が顔を出すより前に起き、それから大急ぎで地図を描き写し、朝食で短い休息。それでも五代の顔に疲労の色はない。彼もこの授業が楽しみだったのだ。

 

「今日はこの地図を使って、歴史を勉強します!」

 

「この地図で? もしかして宝探しとか!?」

 

子供らしい清の発想に頬を緩めた五代は、ほんのりザラザラする彼の丸刈り頭を軽く撫でつつ、色鉛筆セットから赤色を取り出した。

 

「宝探しってのも間違ってないかな。みんなが見付けた宝物を探すんだからね」

 

みんなが見付けたお宝。この物言いがどうにもしっくり来ずその場の全員が首をひねる。

 

「歴史って言うのは、なにも昔の偉い人や文化を勉強するだけじゃない。泣いて、笑って、怒って、楽しんで。そうやって、誰だって自分だけの歴史を作って生きてる。もちろん俺もそうだし、みんなもそう」

 

人であれ動物であれ神であれ妖怪であれ、それに例外はない。幻想郷においては、物ですらも歴史を有する。それは誰あろう慧音が、身を以て理解している。

 

「みんながこの里で過ごして来た歴史。その中で見付けた大好きな物や場所は、いつまでもきらきら光って、心に残るんだよ。それって、凄く素敵な宝物じゃないかな」

 

「せんせー、そう言うのって、大人になっても忘れないの?」

 

とよが手を挙げて放った質問。彼女の顔には、いささかの不安が見て取れた。大人になったら昔の事を忘れるんじゃないか、と。友達との思い出も忘れてしまうんじゃないか、と。大人になる事への不安。しかし五代は自信を持って、大きく頷く。

 

「俺ね、外の世界では色んな所を旅して来たんだ。日本だけじゃなくて、海を渡って他の国にも。色んな人に会って、色んな風景を見て。どれもこれも忘れられない思い出だけど──」

 

とんとん、と自分の胸の辺りを叩いて、

 

「──子供の頃の思い出は、ここに大切にしまってあるんだ。だから絶対に忘れない。みんなもいつか、きっと分かると思う」

 

とよの瞳を見つめ、そして一人一人と視線を合わせながら、優しく、安心させるように笑った。

 

「今日の授業は、みんなの宝物を教えて欲しいんだ。大好きな物、場所、人。昨日ここに来たばっかりの俺にね」

 

授業って言えるのかな、と頬を掻きながら苦笑する五代。しかし生徒たちを見渡すと、みな一様に白地図へ視線を落としている。隣同士で相談したり、腕を組んでいたり。

 ふと、五代の背中にぐっと重みが掛かった。おっとと、と軽い衝撃に踏ん張ると、顔の真横に手が。

 

「ゆーすけ! あたいと大ちゃんのお気に入りはここだ!」

 

「チルノちゃんか、どこどこ?」

 

新雪を彷彿とさせる真っ白な指を追うと、そこは湯屋のある大通り。あぁ、あの辺か、と頭の中にその風景を思い出しながら、五代は赤丸を描いた。

 

「えっとね、えっとね、ここは……」「チルノちゃん、ちょっと待って!」

 

そのまま自分のお気に入りを語ろうとするチルノに、五代から待ったが掛かる。少し不満げな顔を横目に見ながら、彼はこう説明した。それは後のお楽しみ、今は我慢してね、と。

 

「チルノちゃん、雄介先生の言う事聞こう? それと、ちゃんと先生って付けようね?」

 

「むぅ、大ちゃんが言うなら……。でも、ゆーすけはゆーすけだよ、あたいはゆーすけって呼ぶからな!」

 

「もう、チルノちゃんったら……。雄介先生、ごめんなさい」

 

「大丈夫、俺は気にしないから! さぁ、チルノちゃんと大妖精ちゃんみたいに、友達と一緒でも良いよ!」

 

渋々了承したやんちゃっ子のチルノに礼を言って、五代は生徒たちを振り返った。すると堰を切ったように、子供たちが前のめりになって、地図のあちこちを指差す。

 

「俺はここ!」「清君はここだね、ここは何があるんだろう?」

 

「オイラはここだなぁ」「茂吉君のお気に入りはここ、と。ここは広場だったかな?」

 

「私たちはここがお気に入りなの、雄介先生!」「きぬちゃん、とよちゃん、うめちゃんはここか。建物じゃないんだね、楽しみだ!」

 

「僕はね、僕はね、ここがお気に入りなんだ!」「正三君のお気に入り、まーる描ーいてっと!」

 

「色々あるけど、私たちはやっぱりここね」「ルーミアちゃん、リグルちゃん、女将さ……ミスティアちゃんはここ、って小太郎さんのとこか!」

 

次から次へと、白地図に赤い丸と名前が書き込まれて行く。驚く事に、五代はとっくに座席表を手放している。なのにすでに生徒全員の顔と名前が一致しているのだ。見慣れぬ漢字はさて置くとして、彼は並外れた記憶力の持ち主。ましてや子供の笑顔となれば、即座に覚えられぬわけがない。

 

 さて、全員のお気に入りを聞き、みなの前には赤丸が六つ描かれた白地図。しかしそこが何なのか、何があるのかは、示した当人しか分からない。これから何が始まるんだろう、とわくわくする生徒たちに、五代はこう告げた。

 

「それじゃあみんな、お弁当を持って玄関前に集合!」

 

「……はい?」

 

慧音が思わず声を漏らした。ただでさえ自分とは違う授業だった事、そこからさらに寺子屋の外に出ると言われ、頭の中の疑問符が溢れ返ったらしい。

 だが、生徒たちは違った。慧音とは別の先生、いつもと違う授業、そして授業中に寺子屋の外へ出る非日常的体験。高揚した気分は上限を軽く突破し、

 

「最強のあたいが一番乗りだ!」

 

「あっ、ずりぃぞチルノ! 俺が一番だっての!」

 

まず最初に、チルノと清が駆け出した。触発された残りの生徒たちも、跳ねるように後を追う。ややのんびり気質と見える茂吉を殿(しんがり)とした一行は、弁当の包みを引っ提げてあっと言う間に教室から姿を消してしまった。

 

 残された五代は、白地図を折り畳んで背伸びを一つ。ポケットを探ってちゃりちゃりと音を立て、それから未だに二の句の継げない慧音を見やった。

 

「俺が通ってた小学校の裏に、カブトムシがよく捕まえられる林があったんですよ」

 

「カブトムシ……ですか?」

 

何の話か分からない風の慧音から視線を外し、子供たちが出て行った襖を見ながら、昔を懐かしむように続ける。

 

「自分だけのものにしたらカブトムシ王になれるけど、それじゃ楽しくないな、って。だから友達みんな誘って教えたんです。みんなで虫網と虫カゴ持って、麦わら帽子被って……」

 

「その林が、五代さんのお気に入りだったんですね」

 

優しい声に、小さく笑んで頷く。

 

「誰にも見つからない秘密の場所だったり、路地裏でひっそりやってる駄菓子屋だったり。子供ってみんな、絶対一つはお気に入りの場所があるんですよ。それで、秘密にしてても誰かに伝えたいって思ってる」

 

「それを生徒たちに教え合わせる、と?」

 

「自分の好きな事を伝えるって、難しいけど凄く大事な事だと思うんです。それで友達が増えたり、また別のお気に入りが出来たり。その楽しさを、子供たちに教えたいなって」

 

もう知ってるかもなぁ、と笑う五代。そんな彼に慧音はすっと歩み寄り、地図を広げ直すよう促して、

 

「……少なくとも私は、知りませんでした」

 

赤鉛筆を受け取って、里全体を囲む大きな丸を描いた。

 

「私は教えられませんでした。今日は私も、貴方の生徒ですね。……さて、私も弁当を取って来ないと」

 

子供っぽく笑って赤鉛筆を返し、襖から出て行く慧音。気負いとは違う、柔らかい何かが肩にそっと乗せられたような錯覚。五代はこみ上げてくる感情に任せて、頑張るぞ、と小さく、だがしっかりとした声で呟いた。

 

 外は快晴。日はまだ昇り切っていないが、柔らかな光が里に満ちている。絶好の遠足日和。

 その中に、黒がひとひら紛れ込み、空へ溶けた。




これは授業と言えるのか。
そして平均文字数がガスガス増える不思議。

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