午後の部を終え、ほくほく顔で寺子屋へと戻った一行。人里をぐるりと回って来たわりには、随分と元気が有り余っているように見えるが、それには無限とさえ思える子供らしい活力とはまた別に、わけがある。
正三のお気に入りは中央通りの洋菓子店。その軒先で、そこの菓子がどれだけ美味いのかを語る正三。それが思いの外伝わったようで、生徒全員の目が彼ではなく店内に陳列された菓子に向かってしまった。
そこで五代は、少々予定外だったが躊躇う事なく切り札を切った。八意永琳から受け取った一円札である。この一円で生徒全員と、やはりちらちら菓子を見ていた慧音に、焼き菓子を振る舞ったのだ。
五代には、この金を自分の為に使うつもりなどなかった。そも旅先で誰かから路銀を恵んでもらった事などなく、あくまでも自分で稼いでいたのだからして。それに、この金で誰かの笑顔が見られるなら、それこそ八意永琳への最高の土産話となる。
そしてそれは、チルノと大妖精のお気に入りである団子屋も同様。感情に任せたチルノの演説をフォローする大妖精であったが、やはり生徒たちの目は中で売られている団子に釘付け。そんな様子に気付いた五代は、二人の発表が終わってすぐに店内へ入り、今度こそ予定通りに人数分の三色団子を買ったのだった。
外に並べられた縁台に腰掛け、和気藹々と団子を頬張る子供たちを眺め、己も舌鼓を打ちながら八意永琳への感謝を心中で呟く五代。ほのぼのとした非日常が、そこにはあった。
玄関先に慧音と並び立ち、臨時教師としての本日最後のお勤め。生徒たちの見送りである。
「慧音先生、雄介先生、さよーなら!」「今度はいつ、雄介先生の授業があるの!?」「またね、先生!」
鞄を提げて手を振りつつ、二人に別れを告げて帰路に着く子供たち。その姿を見送る五代の胸には、形容しがたい満足感が宿っていた。
最後に、間延びした声で挨拶した茂吉を見送って伸びをする。中途半端をしたつもりはないが、あぁして次を期待してくれている以上は、その機会があればより良い授業をしたくなる。今日の夜は、下描きに色を塗りながら一日を振り返ってみるとしよう。一日の締め括りを、五代はそう決めた。
次をより良く、そしてまた次をさらに良く。それは、どことなく旅に似ている。次に行く時は別の所を周ろう、食べ損ねたあれを食べよう。そうして見聞を深め、楽しむものだ。であるならば、根っからの冒険野郎である五代が燃えるのも必然であろう。教師に限る事ではなく、まさに彼の歩んで来た道程そのもの。中途半端を嫌う彼だからこそ、なのだ。
「こうなるとは思っていましたが、見事に好かれましたね。これは、また五代さんの授業を入れないと顰蹙を買うな」
「俺はいつでも大丈夫ですよ。小太郎さんからも好きな時に来てくれ、って言われてますし」
いつも暇してるようなものですよ、と添えてあくびを一つ。睡眠不足気味なのか、さすがの五代もいささか辛そうだ。しかし、瞳は変わらぬ輝きを放っている事から、今眠るのはもったいない、まだ日が高いのだから、と心躍らせているのが窺える。
そう、冬ではあるが日没にはかなりの時間がある。少しばかり遠出しても日帰り出来そうな頃合いだ。
「そう言えば五代さん、滞在はいつ頃までの予定ですか? まさか一両日中と言う事はないでしょうけれど……」
人里か、外かと考えていると、慧音からの質問。だが明確な答えは返せない。五代自身も、ここへ招いた八雲紫も、特に滞在期間を定めていないのだ。それに、彼はどうやって外の世界へ帰るのかも知らない。招かれた以上は帰れるはずだが。
「ふむ。いつ帰るにしても、面通しくらいはしておいた方が良いかも知れませんね。あの子は少々、面倒臭がりやですので」
はて、あの子とは誰だろう。外への帰還に関係する人物ならば、気にならぬはずはない。尋ねてみると、慧音は東に見える山を指差した。
「『博麗神社』に住む博麗の巫女ですよ。外の世界へ帰るには、彼女か八雲紫に頼む必要があります。ここからさほど離れていませんし、行ってみるのも良いかなと」
本命は博麗の巫女であり八雲紫は保険的な意味合いが強いですが、とは彼女の談。幻想郷へ連れて来た八雲紫こそ本命ではなかろうか、と思う五代だったが、己より付き合いが長いであろう慧音が言うのならば、当てにするべきは博麗の巫女か。
行くならば少し待ってくれれば自分が同行する、あるいは長老に頼んで護衛を付けてもらうと良い、との提案。博麗の巫女の元へ行くのは相応の危険が伴うらしい。里の外となると、それは妖怪なのだろう。だが彼には、強い味方が付いている。
「その巫女さんが作ってくれた護符があります。夜に出歩いても大丈夫な優れ物なんですよ!」
現在宿直室のちゃぶ台に置いてある護符。これさえあれば夜道でも妖怪に襲われない、と身をもって体験した逸品である。どうやら慧音は巫女に絶大な信頼を寄せているようで、それならば安心だ、と頷いた。
「獣道が続きますが、迷わぬように立て札が立っています。決して脇道に逸れず、書かれた通りに進んで下さいね」
はい、と子供たちに負けないくらい元気に返事をしてから宿直室に戻る五代。彼の背を眺めつつ、慧音は、
「もう少し派手に、授業予定を変更しても良いかも知れないなぁ」
と、薄く笑みながら呟いた。
ぼんやりと輝く護符を胸に貼り、田舎道を行く。里を出てすぐの所に、やけに立派な寺が門を構えていたが、これが恐らくは魔法使いの寺なのだろう。今日は博麗の巫女に会うのが目的ゆえ、心惹かれたものの中へは入らない。次の機会のお楽しみである。
やがて道は、慧音の言った通りの獣道に差し掛かり、その脇には『この先、博麗神社』と書かれた立て札がある。文化の香りは仄かな安心感を与えるもの。地図を開き、多分この辺りだろうと言う場所に看板の絵を描き加え、道なき道へと進み行く。
鬱蒼と木が茂る道は薄暗く、立て札があってもやや不安を掻き立てられる。しかしそれ以上に、五代はうきうきしていた。落ちていた手頃な長さの枝を握り、時に杖代わりにし、時に草むらを払うと、子供の頃を、宝探しの冒険を思い出す。大層な宝など求めない。幼い冒険心を満たす事こそが何よりの宝。それは、大人になった今でも変わらないのだ。
さすがに蠍や毒蜘蛛などは出なかったが、往年のとある探検隊を思い出しながら辿り着いたのは、少々苔の目立つ長い石階段。脇には『この上、博麗神社』との案内が。
地図を眺め歩く内に気付いたが、どうもこの石階段、幻想郷の東端にありながらその境界に面しているらしい。つまり人間の里からは、山を迂回しなければならない。やけに参拝客泣かせだなと思いながらも、五代は一段飛ばしで駆け上がった。その理由を考えるよりも、登った先が気になるのだ。
石階段を登り切った五代を迎えたのは、朱塗りの立派な鳥居。ふと思い出して中央を避けて潜ると、澄んだ空気の向こうにこぢんまりとした本殿が見えた。鳥居もそうだが、建立間もないように見受けられる。改築でもしたのだろうか。
そして、鳥居から本殿へと続く石畳に、竹箒を持つ人影。艷やかな黒髪を赤く大きなリボンで一括りにし、紅白の装束をまとっている。洋風な仕立てと、大きく露出した肩と腋が目立つが、その色と場所からして、恐らくこの少女が博麗の巫女なのだろう。
手水舎の冷たい水でうろ覚えの作法に従って手と口を清め、ぴっぴっと手を払って巫女へと近付く。巫女は特に気にする様子もなく、石畳を掃いている。どこか異世界のような雰囲気──
「あの──」
「──ここは神社で、私は巫女。神社に来たなら、最初にする事は決まってるでしょ?」
彼女の背中に声掛けすると、ぴしゃりと窘められた。道理である。神社とは神を祀る神聖な場。その神を二の次として人に話し掛けるなど言語道断、まさに神をも恐れぬ所業と言えよう。なるほど確かに、と納得した五代は、その背に頭を下げてからしずしずと本殿へ歩み寄った。
旅の癖か、財布から五百円玉を賽銭箱に放り込み、しまったと内心で焦る。外の世界の硬貨を入れてしまった。しかし入れてしまった物は仕方がない。改めて昨日の稼ぎから適当な小銭を数枚つまみ出して投げ入れ、本坪鈴を鳴らし二拝二拍手一拝。幻想郷での旅の安全、そして多くの出会いを祈り、頭を上げ、そこではたと気付いた。周囲から箒の音が消えている。
「良く出来ました。外の人間も、案外作法を知ってるのね。驚いたわ」
背後からの声に振り向くと、称賛の言葉とは裏腹に、可愛らしい顔を仏頂面にした巫女が立っていた。竹箒を肩に担いだ姿がやけに似合う。
「私に用があるんでしょ? 付いて来なさいな。お茶くらいは出してあげるから」
竹箒を無造作に柱に立て掛け、くいくいと本殿裏を指差す。先導する彼女に従い、隣の高床式倉庫との間を抜けると、正面に縁側のある小さな建物が。社務所であろうか。
奥へ引っ込んだ巫女を、縁側に腰掛けて待つ。石階段を駆け上がった身体に、木々の隙間から届く風が心地良い。時折雲に隠れる日差しと若干の寝不足も相まって、油断するとそのまま寝入ってしまいそうだ。
「寝ちゃ駄目よ。ここ、私の家なんだから」
うつらうつらとした様子を察したのか、盆を運んで来た巫女が釘を刺した。社務所ではなかったらしい。
手つきはいささか雑ながら、巫女の入れた適温の茶は季節外れの新緑を想起させ、口に含むと爽やかな苦味が鼻腔まで突き抜けた。
「わぁ、このお茶、美味しい……!」
「……お客さん用の高級茶葉だもの。どう入れても美味しいわよ」
五代の素直な感想に、巫女は少しそっぽを向いて湯呑みに口を付ける。真っ向正面から褒められるのに慣れていないような、年頃の少女らしい羞恥心が垣間見えた。
茶で人心地ついたところで、巫女は"博麗霊夢"と名乗り、五代から受け取った名刺を眺めながら語る。
「本当なら紫のやつ、冬眠してる頃だしね。送り返すのも滞在するのも別に構わないわ。私に面倒を掛けないなら、って条件付きだけど」
聞けば以前、外の世界の少女が異変を起こしたらしい。また、そもそも巫女は異変の解決を生業としており、何か起これば駆り出されるのだそうな。ジト目を送る霊夢に、しかし五代は笑って答えた。
「俺はここを旅するだけだから、迷惑を掛けるつもりはないよ。外でだって、旅先で問題なんて起こした事はないし」
郷に入っては郷に従え。現地の人々といざこざを起こせば、本人も楽しめないのだ。であるならば、その地の文化に倣い、一人の住民として暮らしを謳歌する。五代自身が争いを好まぬ性格であり、みんなと楽しむ事を是とするからこその信条である。笑顔のまま湯呑みを傾ける彼に毒気を抜かれた霊夢は、これだけ聞き分けの良いやつばっかりならねぇ、と誰にともなく呟いた。
二杯目の茶を啜りながら、同じく二杯目を飲む五代の横顔をちらと盗み見る霊夢。
例によって、彼女も八雲紫から話を通されていた。が、慧音とはかなり内容が異なる。異形の姿となって数十体もの化物を倒して来た外の世界の戦士、異変解決屋のような男がやって来る、と言うものだ。本人に関する情報があまりにも少ない。先のつっけんどんな対応も、本心もあるが、どんな野蛮な輩が来るのだろうかと言う警戒心の表れと言える。
だが蓋を開けてみればどうだ。素直に言う事を聞き、縁側でうとうとして隙を晒し、にこにこ顔で茶に夢中になる素朴な男。そして彼女自身の、特に異変に関しては外れた試しのない勘すらも働かない。むしろ普段とは違い、ゆったりとした昼下がりを満喫出来そうな気さえする。
「こんなにゆっくりしたのは、こっちに来て初めてかな?」
ふと、五代が呟いた。
「永遠亭ってとこでも、里に着いてからも、何だかんだで色々動き回ってたからなぁ」
掃除、薪割り、野菜の運搬、そして臨時教師。いずれも彼自身が選んだ仕事であり、充実していた。普段の旅でもこんな調子である。だがやはり、こうして出先でゆったりと時の流れに身を任せるのもまた、乙なもの。空の湯呑みを置いて、ふわぁ、と背伸び。
「ん? あぁ、大丈夫大丈夫。寝ちゃったりはしないから!」
ようやく霊夢の視線に気付き、取繕うように立ち上がって、その場で軽くストレッチを始めた五代。すると霊夢は湯呑みと急須を畳間のちゃぶ台に運んで、
「日が落ちる前には起こすわ。私は掃除の続きをやって来るから」
ぽんぽん、と畳を叩いた。先程とは正反対の言いように困惑する五代だが、霊夢は彼の上着を掴んでぐいぐいと引っ張る。華奢な見た目に反してそれなりに力が強いようで、姿勢を崩しながらもどたどたと付いて行き、終いには引き倒されるように畳に寝っ転がされた。
「起きて外にいなかったら、本殿に来なさいな」
見上げた先で、霊夢はそう言い残して縁側に繋がる障子を閉めた。横になった五代は、言葉もなく呆然と見送るのみ。
肘を枕にして考える。ここの主たる霊夢に、言外に寝ても良いと言われた。先程は寝てはいけない、と言われていたのに、全く正反対の変わりよう。気まぐれなのか、それともあまりに眠たそうな己への同情か。しかし、わけもなく心地良さを感じる。この神社にも、あの妙に素っ気ない巫女にも。
考えたところで答えが出るわけもなく。数えてもいなかったあくびをきっかけとして、五代は甘えてしまおう、と思考を切り替えた。ごろりと仰向けになって、目を瞑る。そうしていると、疲労が重石となったか、彼の意識は
宣言通り、霊夢は五代を日没前に揺すり起こした。山のあちこちから烏が帰りを促す中、彼女は紐で括られた紙束を差し出した。妖怪よけの護符である。この尋常ならざる護符も永遠の物ではないらしく、貼り付かなくなったらこれを使え、との事。
「お賽銭を頂いた以上は、巫女として出来る事はしてあげないとね。それに、私の護符を持った人間が食われたら、ただでさえ少ない参拝客が余計に来なくなるもの」
相変わらずのぶっきらぼうな口調であったが、特に気にする事もなく礼を述べて受け取る五代。また来ても良いかと尋ねると、
「お賽銭を入れてくれるなら。それと、今度からはちゃんと寝てから来なさいよ」
やはり無愛想に返された。
幾分調子の良い身体で、軽快に石階段を降りる。何とはなしに長く伸びる己の影を見やり、次いで足を止めて振り返ると、山の稜線にそろそろ夕日が隠れようとしていた。空を走る藍色と橙色の境界が美しい。
「……あぁ、そっか」
そこで、五代は気付いた。何があんなに心地良かったのか。
博麗霊夢。彼女は、まるで空なのだ。媚びや厭いを感じない、何にも縛られない自由を感じ取ったのだ。時に雨空や雷空のように厳しく、時に曇り空のように曖昧で。だからこそ、碧空のようにさっぱりとした、あの不器用な優しさが沁みたのだ。
「寝ちゃうのはもったいなかったかな……。次にお邪魔した時は、もっと色々話そう!」
己が目指したものの体現。五代は地図を取り出し、博麗神社に赤丸を描き込んだ。
そして、夜。行灯の光に照らされながら昼間の下描きに色を塗り、本日の特別授業を振り返ったところで、寺子屋の柱時計が、十一回鳴り響いた。
「ん、もうこんな時間か」
昼寝をしたからか、あまり眠気はないが、かと言って夜更かしをすれば二の舞い。明日は青物問屋を訪ねるつもりなのだ。寝不足はよろしくない。
庭の井戸で喉を潤し、行灯の火を消して布団へ入る。しかし天井の木目を視線でなぞり、睡魔を呼び込もうとしてはみたものの、なかなか寝付けない。まぁそれならそれで、目を瞑っていればいずれは夢の中だろう、と瞳を閉じた、その時。
鶯張りの廊下が、みしりと鳴った。
フジ井のジーサンバーサンみたいに、霊夢と縁側に並んでお茶を啜りたい。