五代雄介の幻想郷旅行記   作:楓@ハガル

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重い話を書くつもりは毛頭ありません。五代君がゆっくりのんびり、幻想郷を旅するお話でございます。
五代君の調子が落ち着くまでは少しばかり駆け足更新で。


第二話 重い荷物

 青年の右手は、一の字を書き切ったところで止まった。目の前の光景に唖然とし、続く動作へ移れなかったのだ。

 上半身を失った化物──妖怪だったものは、その場で二、三歩たたらを踏み、ごろんと倒れた。断面からは赤黒い血が流れ出し、ぬらりと光る血溜まりを作り上げている。

 

「あら大変。地面が汚れてしまいましたわ」

 

慌てたような、わざとらしい声。すると今度は、横たわっていた下半身が忽然と、跡形もなくなった。いや、それだけではない。いかな技術か、はたまた魔法か。土に染み込みつつあった血さえも、元から何もなかったかのように消えてしまったのだ。

 

「……テメェ、"八雲紫"……!」

 

青年を囲んでいた妖怪の一体が、忌々しげに吐き捨てた。自分を食おうとしている妖怪にとって、その八雲紫とやらは敵なのだろうか。新たな疑問が湧いたが、青年は構えを解かず、事の成り行きを見守る事にした。敵の敵は味方、とはよく言ったものだが、必ずしもそうとは限らないのだ。

 

「可憐な乙女に向かってテメェだなんて、酷過ぎません?」

 

敵意を剥き出しにする妖怪に対する返事にしては、随分と暢気な様子。未だ姿の見えない八雲紫は、さらに続けた。

 

「外来人を食べる、私もそれは否定しません。ですがこちらの殿方は、私の客人ですの。ちょっとした手違いで、私から離れた場所に降ろしてしまいまして」

 

「けっ、相変わらず胡散臭ぇ……」

 

「やだ。ミステリアスな美少女だなんて、照れちゃいますわ」「言ってねぇよ」

 

のらりくらりとした話術ゆえなのか、それとも歴然とした実力差ゆえなのか。青年には、妖怪たちは口調は荒いままなれど、腰が引けているように感じられた。名前を知られている事と言い、この八雲紫なる人物は、近辺の有力者なのだろうか? そこまで考えて、有力者の意味が己の知るものとはまるで違っている事に気付き、内心で首を傾げたが。

 

「無益な殺生は私も好みませんの。彼から手を引いてくれるのなら、こちらも手出しはしません。いかがかしら?」

 

「……わぁった、ワシらも命は惜しい」

 

八雲紫の問い掛けに答えた妖怪から、すっと敵意が消えたのを青年は感じ取った。周囲の妖怪も同様に、包囲を緩めた。とりあえず、この妖怪たちから食われると言う当面の危機は回避出来たようだ。

 ここで青年は、構えを解いた。まだ八雲紫の真意は掴めていないが、客人と言うからには危害を加えるつもりはないのだろう、と判断したのだ。いささか迂闊に思えるが、この青年、実は人一倍お人好しなのである。

 

「命拾いしたな、兄ちゃん」

 

「あーあ、久々に人間にありつけると思ったのによぉ」

 

あっけらかんとそう言ってのけた妖怪たちは、めいめい森の奥へと消え行こうとする。その背中に、

 

「あ、あの!」

 

青年は思わず声を掛けていた。

 

「あん、まだ何か用か? それともさっきの続きを見せてくれるってのか?」

 

煩わしそうに振り向いた妖怪に、青年は問うた。消えた──消された仲間の事は何とも思っていないのか。

 青年はそれも不思議に感じていたのだ。自分を食おうとしていた相手ではあるが、妖怪たちはその仲間に対して一言も、今こうして立ち去る間際にも言及していない。それは少しばかり、薄情ではないだろうか、と。

 それを聞いた妖怪たちは、一斉に笑った。

 

「仲間だと? ワシらはテメェの血の匂いに寄って来たはぐれ者だ。仲間だなんて思っちゃいねぇ」

 

「テメェと同じさ。運が悪かった、それだけよ」

 

「話は終わりか? じゃあな、兄ちゃん。せいぜい、他の妖怪に食われねぇよう気を付けな」

 

口々に言い、今度こそ妖怪たちは姿を消した。ただ一人残された青年は、呆気に取られてその後ろ姿を見送るのみ。

 

 暗い森の中、再び一人きりとなった青年。八雲紫は、相変わらず姿を見せない。客人と宣ってなお姿を見せないとは、と心中でまたも首を傾げながら、彼はある一点へと向き直った。そこには何もない。否、八雲紫によって完膚なきまでに消し尽くされた妖怪の亡骸が、確かにそこにあった。青年は静かに目を閉じて直立。そしてゆっくりと両の掌を合わせ、頭を垂れた。

 

「それは貴方なりの挑発?」

 

どこからともなく、八雲紫の声が聞こえる。皮肉やからかいではなく、単に何をしているのか分からない、と言うニュアンスを感じた青年は、そっと顔を上げて、頬を掻いた。

 

「誰も弔ってくれないのが可哀想に思えたんです。もしかしたら、彼らみたいに話し合いで争いを避けられたかも知れないから」

 

 人を襲う妖怪。その点だけを見れば彼らは未確認生命体と変わらない。殺すか食うかの違いはあるが、それよりも決定的に違うものを青年は感じ取っていた。彼らには、意思疎通の余地がある。無論、今回は八雲紫なる人物の仲介があってこそだったが、それでも青年は心から安堵した。人ならざる脅威を相手にして、暴力だけが解決の手段ではない事に。会話によって争いを避けられた事に。

 

「……そう。だったら、私の手助けは余計だったかしら?」

 

「いえ、ありがとうございました。貴女がいなかったら、俺はまた暴力で解決するところでしたし」

 

現に青年は、鎧を纏う寸前だった。手段はどうであれ、別の解決策を示してくれた八雲紫には、感謝の念を抱かずにはいられない。意地の悪い問いであったが、青年の心底からの感謝に、

 

「……ふぅん。なるほど、ね」

 

八雲紫は、こう短く返した。

 

「ところで、ヤクモユカリさんでしたっけ。一体どこにいるんですか?」

 

 いつまでも隠れたままの八雲紫に、ここで青年は、話をするなら相対したい、と言外に伝えた。すると、

 

「振り向いてごらんなさい?」

 

背後からはっきりとした声で、どうにもずれた返答が返って来た。青年の周囲には誰もおらず、彼女の声もあちこちから聞こえている風であったのに。しかし生来素直な性格の青年は、特に疑問も抱かず言われた通りに振り向き、

 

「初めまして、"五代雄介"さん」

 

絶世の美少女と目が合った。世界を股にかける冒険家である青年──五代雄介をして、これまでに見た事がないと言わしめる程の。

 年端も行かぬ少女のようなあどけなさと魔性の美女のような妖艶さを併せ持つ美貌。下ろし立てのように美しい紫色のドレスに包まれた肉感的な肢体。気品を感じさせる佇まい。この少女に微笑みかけられて、籠絡されぬ男などいまい。

 だが、それも時と場合。相対した五代はまさにそれどころではなかった。身に起きた出来事が何一つ判明せぬまま会った事もない少女に名を呼ばれ、混乱が頂点に達したのだ。その結果、

 

「……あの、何で俺の名前知ってるんですか?」

 

色気もクソもない疑問が、口を衝いて出た。

 世間一般に美女と言われる女性ならば、この応答に大なり小なりこめかみをひくつかせるだろう。貴女の美しさなどどうでも良い、と言われているも同然であるからして。しかしこの八雲紫、力だけでなく器も大きいらしい。あるいは、五代の疑問を始めから予期していたのか。

 

「貴方を見ていたからですわ。そうですね、こうお呼びしましょうか──今代の戦士クウガ」

 

事もなげに答えた。五代のもう一つの名前を呼びながら。頭を殴られたかのように、五代の身体が揺らいだ。よろめく身体をどうにか踏ん張って支え、必死に頭を整理しようとする五代に、八雲紫はさらに畳み掛ける。

 

「ベルトを身に着けた時。赤いクウガになった時。金の力に目覚めた時──あぁ、あの時は随分と肝を冷やしましたわ。それに、凄まじき戦士になった時。私はずぅっと、貴方を見ていましたのよ?」

 

一つ整理しようとする間に、混乱の種が次から次へと舞い込んで来る。いつしか五代は呆然としたまま、八雲紫の謳うような口上を聞くばかりとなっていた。

 五代が戦士クウガである事。これは極一部の、限られた者しか知らない。口元を扇子で隠し、くすくすと笑っている少女は、なぜかそれを知っている。それだけではない。ベルトを身に着けてから今日に至るまで、己の身に起きた事を全て見ていたと言う。

 この少女は、一体何者なのか。ここに至り、五代の心は再び警戒の色を強めた。が、

 

「……ごめんなさい、お遊びが過ぎました」

 

それも束の間。八雲紫は扇子をしまい、ぺこりと頭を下げた。

 

「客人はからかうものではないのですけれど、貴方のように純粋な方を見ていると、つい、ね」

 

素直に謝る姿を見て、五代の警戒も鳴りを潜める。どうにも先程から調子を崩され通しだ、と五代は感じていた。元々口が達者ではないが、この八雲紫は弁舌に関して、己よりも遥か高みにいるように思える。そんな相手にからかわれては、振り回されるのも宜なるかな。

 

「だけど、見ていたのは本当よ? 私にとっても、『ここ』にとっても、あの未確認生命体は無視出来ない脅威でしたもの」

 

「……そうだ、ここはどこなんですか? 俺は九郎ヶ岳にいたはずなんです」

 

 ようやく、五代は当初の疑問を解決する機会を得た。この口振り、客人として招いたと言う事実から、八雲紫はこの問いに答えられるはず。身を乗り出し、詰め寄るような形となったが、五代の背景を考えれば無理もない話である。もしも何も解決していないのなら、第0号が生きているのなら、ここで時間を費やしている暇はない。

 

「教えるのはやぶさかではありませんわ。だけど『ここ』は、そう簡単に教えられる程単純なものではありませんの。ですので申し訳ありませんが、そちらは後回し。貴方も時間が惜しいでしょう?」

 

蠱惑的な光を湛えた紫色の瞳が、五代を見つめる。

 

「代わりに、貴方が一番聞きたい事を教えて差し上げます。損はさせませんわ」

 

優雅な所作で振り返り、音もなく三歩程歩く。振り返り際に月光さえもくすむ金色の髪が靡き、ふわりと甘い匂いが五代の鼻をくすぐった。

 

 

 そして再び振り返った八雲紫は、無邪気な笑顔を浮かべて、

 

「貴方は、みんなの笑顔を守り抜きました」

 

親指を立てた拳を勢い良く突き出し、

 

「お疲れ様でした、そしてありがとうございました。戦士クウガ……」

 

五代の肩に掛かっていた重い荷物を、そっと降ろした。

 

「……いえ、心優しき人間、五代雄介さん」




ゆかりんをそのまま登場させるか、逆さまで登場させるかで一時間悩みました。

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