かたや回廊踏破の段取りを、かたや次のドッキリを考えるちぐはぐな二人。そんな二人が次に向かった先は、観音開きの扉前。
「ささやかながら、晩餐を用意しております。お嬢様をお呼び致しますので、こちらでどうぞお寛ぎ下さい」
晩餐と言う事は、この部屋は食堂だろうか。原理は不明ながら、あり得ないほどに広い館である。五代の頭の中には、やたらに奥行きのある豪華な部屋に、これまた会話をするのも一苦労な長大な食卓が鎮座している光景が想起された。あるいは、レミリアを呼んで来るのであれば客間かも知れない。映画などでありがちな、紳士淑女がふかふかのソファに腰を沈め、嗜好品を喫しながら上品に談笑する、いわゆる上流階級の社交場。いずれにせよ彼にとってはそうそう縁のない、しかし庭園で開かれるであろう茶会のように、大なり小なり憧憬を抱く非現実的な空間である。そんな場にこれから足を踏み入れる緊張から、ノブに手を掛けた咲夜の後ろで今度こそはとこそこそと佇まいを直したのも、致し方ないと言えよう。
音もなく開かれた扉の向こうに、五代はいささか拍子抜けし、そしてどこか不思議な温もりと安心を感じた。絨毯敷きの部屋の中央に居座っているのは、純白のテーブルクロスが掛けられた小振りな円卓と、質素ながらも小洒落た椅子。横に目を向ければ飾り気のないソファが置かれており、その上には繕った跡のある熊のぬいぐるみと、装丁の擦り切れた本。天井の控え目なシャンデリアは室内をやんわりと照らし、玄関ホールとはまた違う空間を作り出していた。
部屋の奥の暖炉では、ぱちぱちと薪が熾っている。刹那、部屋の温もりはそれが原因だろうか、と考えたが、すぐに違うと感じ取った。素朴なのだ。客を呼び、もてなすには、この部屋はあまりにも慎ましく、気取りがない。ソファも先述の紳士淑女よりも、ぬいぐるみと戯れたり静かに本を読む子供の姿が連想される。そう、まるで一家団欒の為に作られたかのように。
「ごめんなさいね、手狭な部屋で」
「あっ、お邪魔してます、レミリアさん!」
数歩入って室内を眺め回す五代の背に、尊大な声掛け。確認するまでもないが、振り返らぬわけにも行くまい。体ごと向き直ると、果たしてそこにはこの館の主、レミリアの姿があった。
「私がいなくても、ドロワは履き替えられましたか?」
「手伝ってもらった記憶が一切ないのだけれど」
「これは失礼を」
男性たる五代には、どうにも口を挟みづらいやりとりである。しかし主と従者の関係にありながら、この程度の軽口は日常茶飯事である事は窺えた。彼は与り知らぬ事だが、茶に劇薬を盛ると言う暴挙に比べれば可愛いものでもある。
そんな主従を、何とも言えぬ表情で眺めていた五代。ここでふと、開け放たれた扉の向こう、咲夜に説教するレミリアの背後に、何者かの気配を感じ取った。いや、見て取った、と表す方が正しいか。彼女の後ろで、何かがちらちらと揺れているのだ。一見してそれが何なのかはさっぱりと分からない。ただ見たままを述べるならば、枝のように折れ曲がる黒い何かに、空色や橙色の宝石のような何かが垂れ下がっている。何とも形容しがたい、不思議な代物である。
ではなぜ五代は、その物体から誰かの気配を感じ取れたのか。答えは至って単純。その揺れ動くさまが、今まさにぱたぱたと動くレミリアの翼のそれに似ているのだ。控え目ながらも、羽ばたきと認識出来る程度には。
そして、ようやく咲夜への口撃を終えたレミリアは、五代の視線が己と女中ではなく、その後ろへ向けられている事に気付いた。小さく咳払いし、出て来なさいな、と促す。
「ごめんなさいね。滅多に会わない『人間』だから、少し気後れしてるみたいなのよ」
男だからかしら、との呟きは、一際大きく弾けた薪の音にかき消された。
レミリアから軽く背中を押されるようにして五代の前に進み出たのは、赤いベストとスカートが目に眩しい金髪の美少女。伏し目がちながらもちらちらと彼の様子を窺うその瞳は、レミリア同様に真紅。背中から伸びた先ほどの何かは、こうして二人が並び立つと、形こそ大きく違えども翼なのだ、と不思議と納得してしまう。一部しか見えていなかった色とりどりの宝石も、こうして全体が見えた今は、雨上がりにぼんやりと浮かぶ虹のような、淡く優しい景色を彷彿とさせた。
「……えっと、"フランドール・スカーレット"です」
それだけ言い、フランドールはとてとてと五代の脇を通り過ぎ、ソファでぬいぐるみ遊びに興じ始めた。一見、どうにも愛想のない態度にも見える。しかしこの場にいる一同は、その本心を何となくながら察していた。
要は、久し振りに親戚に会う子供である。どう接すれば良いのか分からない、さりとて自分から何かしらの行動をはっきりと起こすのも気恥ずかしい。ゆえに、相手の興味をそそらせるのだ。変わった仕草で自分に関心を持たせようとする、幼い知恵。しかしそれを察したとて、反応は様々。レミリアは不愉快げに眉を吊り上げ、咲夜は主の雷を想起し苦笑い。
そして、今まさに素っ気ない態度を取られた五代はと言うと。何事もなかったかのようにフランドールの傍へ歩み寄り、屈み込んだ。
「初めまして、フランドールちゃん。俺、五代雄介って言うんだ」
基本の基本、今更語るまでもない、初対面の挨拶である。しかし、フランドールはさも聞こえていないような様子で、ぬいぐるみの腕を上げ下げ、振り振り。いよいよもってレミリアの眉が危険な角度を描いた。
すると、
「フランドールちゃん、ボクも紹介して欲しいな」
誰一人として聞き覚えのない『五人目の声』が、室内に響いた。
「だ、誰!?」
フランドールはぬいぐるみを取り落として立ち上がり、館の主従はすわ侵入者かと腰を落とした。どうにも手慣れた印象の二人はさて置き、フランドールは不安そうに辺りを見渡している。しかし、新たな人影などどこにもない。そんな中、五代は落ち着いた様子でぬいぐるみを手に取り、フランドールの前に掲げて見せた。
「ボクだよ、ボク。フランドールちゃんのお友達だよ」
くいくいと五代がぬいぐるみの手を動かすと、また例の声。
「もしかして……、ベティちゃん?」
「そっか、君の名前はベティちゃんって言うんだ!」
混乱の渦中にあったフランドールが、普通ならばあり得ない答えを見出し、そこから紡がれた言葉──熊の名前を五代が引き継いだ。そしてそのまま、彼とベティはちょっとした寸劇を披露する。互いの自己紹介に始まり、五代がここへ来た理由、館へ入ってから見て来たもの、出会った人たち。ベティは軽い相槌や感想を述べるに留まったが、彼らの掛け合いにはおおよそ違和感と言うものがまるでない。至って普通の、やけに気の合う者同士の会話が、そこに繰り広げられた。
五代が習得した2000の技。その中の一つに『腹話術』がある。保育園の子供たちと打ち解けるきっかけになれば、と修得を決めたのだが、そこはやはり彼である。暇な時間を見付けては練習を繰り返すうち、いつの間にか数通りの声を、口を僅かたりとも動かさぬままはっきり発声出来るようになっていたのだ。さすがにその道のプロには遠く及ばないが、当初の目的を考えれば十分過ぎる程の練度。もちろん、手元の人形との会話を演ずるなど、お茶の子さいさいである。
ぽかんと口を開けて五代とベティを眺めていたフランドールは、次第にその紅い瞳をきらきらと輝かせ、食い入るように見入っていた。そんな微笑ましい姿の向こうで、
「……ちょっと、"パチェ"が何かやったの? あのぬいぐるみが喋れるなんて、私聞いてないんだけど」
あぁ、何と言う事か。あのレミリアまでもが、あの威厳に満ちた主までもが、五代の演技に完全に騙されているではないか。咲夜に耳打ちしながらも、翼をぴこぴこと動かしながら、しきりに五代を見やっている。どことなく犬の尻尾を思い起こさせるその動きは、彼女の期待を代弁しているのだろうか。
「えぇ、今朝早くに。こうなる事を見越しておいでだったのでしょう。さすがはお嬢様の親友ですわ」
そして咲夜は、相変わらずの澄まし顔である。それだけではなく、見覚えのない魔道書を開いておられました、だの、聞き覚えのない呪文でした、だのと、それこそ見覚えも聞き覚えもあろうはずもない嘘を次から次に並べ立てる。後が怖いだろうに、こと己の主をからかう場面においては、彼女はブレーキの利きが極端に悪くなるらしい。それで逃げる時はアクセル全開なのだから、何ともたちの悪い話だ。
一時の、スカーレット姉妹にとって夢のような時間は、ベティの可愛らしい一礼で閉幕と相成った。夢の内容は姉と妹で差があろうが。
「えっと、俺の2000の技の一つの、腹話術でした!」
「技? じゃあ、お兄さんがベティちゃんの真似してたの!?」
凄い凄い、全然気付かなかった! とはしゃぐフランドールに、五代は鼻を掻いて照れ臭そうに笑いつつ、ベティを返した。よほど五代によるベティ像が気に入ったのか、フランドールは受け取った友達を愛おしそうに胸に掻き抱く。どうやら、フランドールは被った猫をすっかり脱ぎ捨てたようだ。
一方、従者に剥ぎ取られたかたちとなったレミリアは堪ったものではない。五代の技の冴えを腹の底では評価し、また翼を期待に揺らす姿を見られたわけでもない。だがそれでも腹の虫が収まらないのも事実。
「……咲夜?」
眉尻はまなじりごと再び吊り上がり、瞳は爛々と輝き、口は三日月を思わせる弧を描く。その紅い三日月からは、八雲紫が言うところの木っ端妖怪共ならば血相を変えて逃げ出す、重苦しい声。しかし、
「ちっ、逃げられたか」
嬉々として主の化けの皮を剥ぎ取った咲夜は、とっくにその場から逃げていた。昨夜の言は嘘ではなかったらしい。
未だ憤懣遣る方ない様子のレミリア、だがいつまでもへそを曲げているわけにもいかない。一つ大きく咳払いをし、二人を食卓へ促した。今度はフランドールも大人しく従い、先に一礼して下座に腰掛けた五代の隣に着席。ここで五代は、色々と重なって渡しそびれていた土産を差し出した。
「あら、ありがとう。後でお茶請けに出させるわ。この焼き菓子、紅茶にとても合うのよ」
口では「俺も楽しみにしてます」と応えた五代、しかし内心では首を傾げていた。この土産の中身は、人里の洋菓子店で買った焼き菓子。昨日の特別授業の折に正三が紹介した店で、五代が振る舞った物だ。土産のチョイスとしては、外の世界では大して珍しくもない。
問題は、レミリアが土産の包みを開きもせずに言い当てた事。明治時代の文化を色濃く残す幻想郷では、包装紙と言う物が全く存在しないようで、この焼き菓子も鈴仙の持たせたおにぎり同様に竹皮で包んである。すなわち、何が入っているのか分からないのだ。
「ねぇお兄さん、さっきの腹話術、だっけ。もう一回やって?」
咲夜の手品がそうであったように、考えても仕方のない事だ。あるいは自分が気付かなかっただけで、竹皮に焼印か何かがあったのかも知れない。そう自分に言い聞かせながら、ベティと共にじゃれつくフランドールに向き合う五代。
「咲夜、聞こえているでしょう? 夕餉の準備をなさい」
だが思考の逃げ道も、今度は咲夜の種無し手品──眼前に突如として現れた豪勢な晩餐で塞がれてしまった。
五代君、自分の技を全部順番に覚えてるけど、適当な数字を当ててもし公式と被ったらアレなので誤魔化しました。