「で、重傷者を引っ張ってここまで全力疾走した、と」
「……ハイ、そうです」
「全く……。貴女にしては迂闊だったわね。彼が何ともないから良かったものの」
「返す言葉もございません……」
銀髪の少女に半ば引きずられるように放り込まれたのは、竹林の奥深く。暗く不気味な、未確認生命体が潜んでいても納得してしまうような闇の深奥には似つかわしくない、立派な邸宅だった。門のみならず連なる壁まで磨き上げられ、雑草一本生えていない佇まいは、酷く場違いな印象を受ける。
少女は門前に着くなり、門戸を殴りつけた。否、拳を握って小指側の側面でもって叩いたのだが、華奢な少女がやったとは思えない程、盛大な音が鳴り響いたのだ。これには五代も驚き、掴まれた手首の痛みも忘れて彼女をなだめようとした。しかし少女は聞く耳を持たず、「急患! 急患んん!」と喚きながらひたすらに戸を叩き続ける。
「あぁもう、うっさい! 急患は分かったから止めなさいよ!」
やがて、少女を止められそうにないと悟り、急患と言う事はここは病院か何かなのだろうか、と現実逃避にも似た考察を五代が始めた頃。少女の乱暴な呼びつけに業を煮やしたらしい住人の声があがった。これまた若い女の子の声で。
「夜も遅いんだから、少しは静かになさい!」
きぃ、と、大きさの割りには控えめな音を立てて、門戸が開かれた。外観だけでなく、細かな部分も余念なく手入れしている事が窺えた。
さて、美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れる、と世俗では言われている。五代も聞き及んだ事はあるが、案外当てにならないな、としみじみと感じていた。ある種の予感めいたものはあったが。
わずかに開いた門の隙間からまず覗いたのは、よれた兎の耳。五代も各地で兎を見て来たが、かように耳がよれた兎など知らない。そして間を置かず出て来たのは、やはり見目麗しい少女の、不機嫌そうな顔。真っ赤な瞳を浮かべる目は半眼、小ぶりな口はへの字を描き、先の応答同様に抗議の意を示していた。
幻想郷に来て、外見は人間の女性に酷似している者に会うのはこれで三度目だが、そのいずれもが、きらびやかな衣装を着てステージに立っていてもおかしくない、それどころか頂点に立てるであろう
「何を悠長に……! この人、大怪我してるのよ! 見なさい、全身血塗れで──」
銀髪の少女が食って掛かったが、兎耳の少女は五代を一瞥すると、落ち着いた様子で門を大きく開いた。
「落ち着きなさいっての。私が見たところでは、怪我は『してた』ようだけど」
「……は? してた?」
「衣服の血も口元の血も乾いてるし、あんたの家からここまで連れて来た割りには平然としてるし。まぁ、一応師匠に診てもらった方が良いかも」
相変わらず門戸に首から下を隠したままの少女は、そう言ってから引っ込んだ。が、すぐにまた顔を出して、薄紫の髪を揺らしながら、
「妖怪よけの護符を剥がしてから中に案内してちょうだい。師匠は大丈夫だけど、私が手伝えないから」
と告げた。
どこか納得が行かない風の銀髪の少女に護符を剥がしてもらい、二人揃って門をくぐると、外観に負けず劣らず、美しく整えられた中庭と古き良き日本家屋が鎮座していた。外の世界ではまずお目にかかれない風景に、五代の胸が高鳴る。鬱蒼とした竹林の奥に佇む美麗な邸宅。まるで物語のようではないか。
門から屋敷へと続く石造りの小道を歩いていると、中庭へ繋がる道が敷かれており、その先は池に掛かる豪奢な橋。日本庭園を売りにしている施設でも、ここまで手の込んだものはそうあるまい。五代は好奇心に身を任せ、軽い足取りで脇道へ進んだ。
「あっ、ちょっと、どこ行くの? 子供じゃないんだから、ちゃんと付いて来なさいよ!」
見かねた少女に窘められたが、その程度で昂ぶる冒険野郎が止まる道理はない。砂利敷を踏まぬよう小走りに橋の中程まで行き、そこから池を見下ろして、
「……うわっ」
水面に映った顔にぎょっとした。口元が、己の吐いた血でべっとりと汚れているのだ。慌てて衣服を検めると、生地が黒いゆえに今まで気付かなかったが、こちらも血塗れ。ここに至ってようやく、五代は銀髪の少女が取り乱した理由と、兎耳の少女の言葉の意味を理解した。
「気は済んだ? それじゃ、行くよ」
遊んでいる最中に調子に乗って失敗した子供のような恥ずかしさを覚え、五代はせめて口元だけは、と袖でごしごしと拭い、すごすごと少女の後に従うのだった。
銀髪の少女に案内されたのは、屋敷内の一室。内装は畳張りを始めとしてまさしく和室だが、片隅に置かれた骨格標本や、色とりどりの液体入りのビンが並んだ棚など、どうにもちぐはぐである。
そんな部屋のど真ん中に、五代は通された。部屋の奥の座卓には、半分が赤色、もう半分が青色、さらに腰の辺りで左右の色が反転している奇抜な服を着た人物が座っている。五代たちに背を向けているが、長い三つ編みと体付きからして、女性のようだ。
「ようこそ、五代雄介さん。そこに座って、楽にしてて下さい」
凛とした中に柔らかさを感じる、よく通る声だった。自分の名を知っている事に驚きはしたが、ぎこちなくもいそいそと、用意された座布団に座る五代。楽にしてと言われたのに正座しているのは、室内のちぐはぐさから来る落ち着かなさゆえか、それとも緊張の表れか。
「えっと、それじゃ、私は帰るから」
「待ちなさい、"妹紅"」
怪我人は預けた、後はよろしくとばかりに退出しようとした銀髪の少女を、三つ編みの女性は妹紅と呼び止めた。
「"優曇華"から粗方は聞いたわ。だけど、少しお話ししましょう?」
ゆっくりと振り向いた女性は、おぞけが走る程の美貌の持ち主。だが恐らく、そのおぞけの大半は、額に浮かんだ青筋が原因であろう。表情は満面の笑みなのだが、直視出来ない。まともに眺めれば、その者も彼女に捕捉されよう。
「どうして座布団を二枚用意したか、分かるかしら?」
「……あー、えーっと、この人が二枚使うから?」
後退る妹紅が茶目っ気たっぷりに冗談を言うも、女性は表情を笑顔のまま崩さず、座布団を指差した。
「座りなさい」
「……ハイ」
詰んだ。そう思ったかは定かではないが、妹紅は指し示されるまま、暗い目をして座布団に正座した。
「師匠、着替えの準備が出来ました」
その時、見計らったように戸の向こうから兎耳の少女の声がした。話の流れからすると、この少女が優曇華なのだろう、と一人納得し、その名前を噛み締める五代。それがいけなかった。ぐぅ、と気の抜けた音が、彼の腹から響いた。
第0号との決戦前からあまり食事が喉を通らず、結局ここに来るまでろくに飲み食いしていない。八雲紫からの感謝と、病院と言うある種の安全地帯にある事で安堵した五代の身体は、今だとばかりに燃料を要求し始めたのだ。優曇華、読みは『うどんげ』。日本の代表的ファストフードであるうどんを連想した五代雄介、どこへ行こうと骨の髄まで日本人である。
「昨日から何も食べてなくて、ごめんなさい……」
顔を真っ赤にして縮こまった五代に、女性は一旦青筋を収めて、
「ふふ、それじゃあ、後で何か用意しましょう。優曇華、診察は私が執り行うから、準備をお願いね」
と、整った顔によく似合う柔和な笑顔をようやく見せた。
そして、妹紅は冒頭の説教へ。
五代は女性に促されて部屋を辞し、優曇華に脱衣所へ通された。
「衣服はこちらで洗いますので、そこの桶に放り込んでおいて下さい。衣紋掛けの着物に着替えたら、師匠の部屋へどうぞ」
やけに素っ気なく事務的な口振りに思えたが、こんな夜更けなのだから当然か、と考え直し、
「遅い時間にすみません、うどんさん」
と素直に謝罪した。しかしつい今しがた連想した食べ物と間違える片手落ち。脱衣所から離れようとした優曇華、これにはたまらず見事にずっこけた。
「"鈴仙・優曇華院・イナバ"です!」
「えっ、あれっ?」
五代の中では、もう彼女はうどんだと紐付けされてしまっている。ゆえに、どれだけ本名を叫ぼうと、いっそうの混乱を招くばかりであった。
ようやく五代の誤解を解き、ついでに自分の事は優曇華でもイナバでもなく鈴仙と呼んで欲しい旨を伝えた優曇華もとい鈴仙は、今度こそはとその場を離れた。
「怒らせちゃったな……。あ、俺の名前、ちゃんと伝えてなかったな」
ポケットの中身を取り出し、着物と言うよりは外の世界で健康診断や手術の際に着る病院着のような衣服に袖を通しながら、お互いに知り合う機会を逸してしまった事を悔やむ五代。だがそんな事で挫ける男ではない。言葉を交わした相手の笑顔を引き出せないまま、おめおめと引き下がる男ではない。
「もう一度、後でちゃんと謝ろう!」
決意を新たに着替え終えた五代は、八雲紫の手帳の最初のページに、
『鈴仙・うどんげいん・イナバ 鈴仙さん』
と記した。誤解を解く過程で漢字まで聞いたが、結局優曇華院が書けずに平仮名で誤魔化したのはご愛嬌である。
素っ気なく、終いにはぷりぷりと怒って立ち去ったように見えた鈴仙だが、実際のところ、彼女は全くと言って良い程怒っていない。彼女自身、名前を気に入っているが長いと言う自覚はあり、外来人の、しかも日本人にとっては覚えにくいだろうとも分かっている。ゆえに、師匠のみが呼ぶ優曇華でなければ、特に何と呼ばれようと気にしないのだ。さすがにうどん呼ばわりは一言物申さずにいられなかったが。
さらに鈴仙はやや人間に対して苦手意識を持っており、生来の臆病な性格も相俟って、かような態度をとる事が珍しくない。その辺りを理解している患者の面々には微笑ましい目で見守られているが、当の本人には知る由もない。
要は、誤解するポイントが代わっただけである。それを五代が知るのは、後ほんの少しだけ先のお話。
風通しの良い裾に気を取られながら、裸足でぺたぺたと来た道を引き返し、失礼します、と声掛けしたところ、反対側からゆっくりと開けられた。開けたのは妹紅。五代の姿を認めると、水飲み鳥もかくやと言う勢いで頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
「あぁ、えぇっと、どうしたの?」
突然の事に固まる五代に、妹紅の言葉はさらに投げられる。
「貴方が大怪我してるように見えて、それで何かもう頭がぐちゃぐちゃになって、無理やり引っ張って来ちゃってごめんなさいっ!」
「この子、普段は患者さんを案内する仕事を受けてくれてるんです」
後ろで困ったような笑顔を浮かべつつ補足してくれた女性のお陰で、五代もやっといきさつを理解した。
妹紅は、自分が女性の治療を必要とするような大怪我を負っていると勘違いし、矢も盾もたまらず飛び出したのだ。それも日が暮れた夜更けともなれば、焦りは尋常ではなくなるだろう。だが蓋を開けてみれば五代は掠り傷一つ負っておらず──完治していただけだが──、ただ重傷者を引っ張り出した結果だけが残った、と。
「この子、どうしても面と向かって謝りたいそうで……」
頭を下げたままの妹紅。五代はすっと腰を落とし、視線の高さを合わせて、
「ありがとう、妹紅ちゃん」
にこりと笑った。礼の言葉など想像していなかったのだろう、妹紅は驚いたように顔を跳ね上げた。
「君が心配してくれてたのは、凄く伝わってたよ。それに、俺の方こそごめん。こんな夜遅くに血塗れの男が来たら、そりゃびっくりするよね」
もっとしっかり伝えれば良かった。そう反省を述べつつ頭を撫でると、妹紅は再び俯き、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返した。
「まるで隣近所のお兄さんと女の子ね。どっちが歳上なのか分かりゃしない。……聖なる泉、枯れてなんていないじゃないの」
呆れたように、二人に聞こえないように呟いた女性。しかし、その頬は優しく緩んでいた。
永夜抄の女言葉もこたんが好きです。