調子を取り戻した妹紅を玄関先まで見送り、唖然とした様子の五代と、何も変わったところのない女性は部屋に戻った。ただの見送りでどうしてこうなったか。
今日はもう帰る、とさっさと部屋を出て行った妹紅。それを追い掛け、こんな時間に帰るのか、あんな暗く不気味な竹林の中を、と五代は目を剥いた。だが、それを制したのは他ならぬ妹紅自身だった。竹林の妖怪に負けるようなら、始めからこんな仕事は受けない、と。女性も横から口添えした。曰く、貴方が思っている程、この子は華奢でも何でもありませんよ。幻想郷で当てにならないものの一つは、外見ですわ。
両者に嘘を言っているような気配はなく、しかし外での常識が未だに五代の思考に枷として絡み付いている。
なかなか納得しない彼に、じゃあこうやって帰れば納得してくれるかな、と妹紅は地を蹴った。軽い跳躍だが、すぐさま訪れた異常な光景に、五代はただただ驚いた。妹紅が、宙に浮いているのだ。羽根が生えているわけでも、どこかからワイヤーで吊っているわけでもないのに。
未確認生命体にも、第3号や第14号のように空を飛ぶ者はいたが、いずれもが羽根による飛行である。翻って彼女は、そう言った生物的な器官など何もないのに浮遊している。
口をぱくぱくさせるばかりの五代を尻目に妹紅は、
「明日また来るよ、今日のお詫びの品を持ってね!」
と笑いながらぐんぐんと高度を上げ、そのまま星空へと飛んで行ってしまった。
「ほら、見た目は当てにならないでしょう? さ、中に戻りましょう。今日も冷えますからね」
さも当たり前のように言い、何事もなかったかのように踵を返した女性を見ながら、五代は口をあんぐりと開け、改めて幻想郷の常識を思い知るのだった。深く考える事を放棄した、とも言うが。
女性は座卓の前に、五代は先程の座布団に座り相対する。そこで女性が何かに気付いたようで、ぽん、と手を打った。
「そうだ、まだ名乗っていませんでしたね。私は"八意永琳"。ここ『永遠亭』で、お医者さんのような事をやっています」
どうぞよろしくお願いします、とお辞儀をした八意永琳に、五代もつられて頭を下げつつ、病院着のポケットに手を突っ込んだ。手持ちの品を置きっ放しにするのも座りが悪く、脱衣所を出る際についでに持って来ていたのだ。
「知ってるみたいですけど、俺、五代雄介って言います」
例え己の名前を知っていようと、相手が名乗ったのならば名乗り返すのが礼儀。ポケットの名刺入れから一枚引き抜き、名前を伝えながら渡した。するとどうした事だろう。表面を見た途端、八意永琳は口元を上品な仕草で隠し、笑った。何かおかしな事を書いていただろうか、と首を傾げると、彼女は座卓の引き出しから紙片を取り出し、今しがた五代が渡した名刺と並べて見せた。
「貴方も受け取ったんですね、これ」
見比べるまでもなかった。どちらも同じ、八雲紫の名刺。そう言えばここに来がけに、自分の物とまとめて名刺入れにしまったんだった。それに思い当たった五代は、慌てて自分の名刺を抜いて、仕切り直すように名乗りながら、八雲紫の名刺と交換した。
「……なるほど。八雲紫は、あなたの名刺を真似したんですね。あのはしゃぎようも納得ですわ」
ややげんなりした顔で、合点が行ったように何度も頷く八意永琳。八雲紫と彼女の間に、この名刺を巡って一体何があったのだろうか。
閑話休題。五代が、どうして自分の名を知っていたのかと問うと、八意永琳は再び座卓に手を伸ばした。
「八雲紫から──正確には彼女の式から頼まれたんです。これから五代雄介と言う外来人が来るから、診察して欲しい、と。これを持ってね」
式とは何だろうか、と思う間もなく、
「ん? これ……えっ!?」
差し出された二枚の紙を見て五代は驚きの声を隠せなかった。一枚目は関東医大病院の医師、椿秀一の書いたカルテ。もう一枚は城南大学考古学研究室所属の院生、沢渡桜子の調査資料。どちらも、ここにあるはずのない物だった。
「これ、椿さんの……、こっちは桜子さんの……! ど、どうしてここに!?」
「安心して下さい、これは原本のコピーですし、ここの外には決して漏らしません。……ここからは、診察しながら話しましょう。時間も惜しいですし、ね」
そう言いながら立ち上がった八意永琳は、五代に病院着の上を開けるよう促した。
触診を受けながらの話は、これと言って五代を警戒させるようなものではなかった。八雲紫が式とやらを通して頼んだのは二点。彼の健康状態のチェック、そしてカルテと調査資料、永遠亭の機器による診察結果を踏まえた上での、戦士クウガについての考察。
「うん、外傷はほぼ完全に塞がってますね。明日には傷跡もきれいになくなっているでしょう。血塗れの服が嘘みたい」
「驚かないんですね、鈴仙さんもそうでしたけど」
「……まぁ、色々あるんですよ。とりあえず触診した限りでは健康そのものですね」
含みのある物言いをした八意永琳は、紙束を抱えて部屋の戸を指した。
「さ、次は精密検査です。隣の部屋に行きましょうか」
精密検査と言われても、五代にはピンと来ない。病院らしき施設なのは間違いないが、小さな個人診療所程度の設備さえあるようには思えない。そもそも建物自体が日本家屋なのだから、その思考に至るのも当然と言えよう。目の前の才女を、自他共に五代のかかりつけ医と認める椿秀一と比べるつもりなど毛頭ないが、少なくとも機器類に関しては、自分の腹の中に埋まった石を調べられるような物があるのだろうか、と生粋の現代人たる彼が疑問に思うのも無理からぬ事。
そんな五代の疑問を察したのだろうか。八意永琳はウィンクを一つして見せ、
「心配いりませんわ、ここは幻想郷ですので」
と、以前の彼なら意味が分からない、今の彼には少しばかりの期待を抱かせる一言を送ってくれた。
すっと開かれた襖の奥は、何と言うかもう混沌としていた。内装は永遠亭に相応しい和風だが、その中に鎮座しているのは厳つく巨大な機械の群れ。外観から察するにいずれも医療機器のようだが、どこかで見た事があるようで、やはりないような妙な感覚を覚える。
「驚きましたか?」
そんな物を目の当たりにした五代の顔を盗み見たのだろう、先に立つ八意永琳は笑いを堪えながら続けた。
「もしかしたら、昔の映画で見たようなデザインかも知れませんね」
遠回しのヒントのつもりだったのだろう。だがそれで五代は答えを導き出した。
昔のSF映画で病院や宇宙船に置いてあるような医療機器、まさにそんな姿をしているのだ。いわゆるレトロフューチャーである。
「外の人々が未来に夢を見ていた時代、多くの機械が映画に登場しました。ですが科学の発展でそれらは否定され、幻想となりました」
八意永琳の指が、医療機器の一つをつつ、と撫ぜた。
「ここは幻想郷、忘れられた幻想の吹き溜まり。外の世界で失われた物が、何らかの形で流れ着くのも珍しくないんですよ?」
例えば、誰も寄り付かぬ不毛の原野に。例えば、往来の最中に。例えば、誰かの脳に。
「貴方が忘れた幼少の頃の何かも、もしかしたら流れ着いているかも知れませんね。それを探す旅と言うのも、なかなか乙ではありませんか?」
美しい声で流れるように紡がれる幻想語りに、五代は聞き惚れていた。
八意永琳がぱん、と手を打った事で我に返った五代は、指示されるがままに一通りの医療機器に寝そべり、大人しく検査を受けた。映画で見た検査を受けられる、と彼の胸はいささか高鳴っていたが、何と言う事はない。関東医大病院で受けた検査と、主観的には何も変わらないのだ。ただ横になり、じっと待って、そうすると八意永琳の「はい、終わりです。次はあちらの機械にお願いします」と言う声が掛かって、の繰り返し。診察台に身体を枷でガチガチに拘束された時にはさすがに焦ったが、そちらも特に痛みなどを伴うものではなかった。身じろぎ一つするな、と言う事らしい。
診察が終わると、別室へ通された。ちゃぶ台と布団のみの、生活感のない和室。ただ、ちゃぶ台に用意されているほかほかの軽食だけが、人の滞在を許しているように感じられた。
「入院患者用の部屋ですので、あまり物がないんです。入用の物があれば仰って下さい」
八意永琳の心遣いが身に沁みるが、着の身着のままで来たようなもの、これと言って必要な物は特にない。それに、入院患者用の部屋だけあって清潔に保たれているこの部屋は、旅の途中でまれに利用する場末の旅館よりも、遥かに居心地が良さそうだ。空腹を満たす食事が用意されているのも素晴らしい。
だがそんな待遇とは裏腹に、五代の顔色は優れない。実際には医療機器をはしごする内に、徐々に青くなっていた。五代が心配しているのは……、
「いえ、ここまでしてもらっただけでも十分ですよ。だけど俺、お金が……」
所持金である。診察を受け、大量の医療機器を利用し、さらに食事付きの一泊。医療保険の充実した日本であっても、ここまでの医療を受けると、請求書を見た途端に顎が外れるだろう。ましてや五代の財布は、そんな額を払える程膨れてはいない。
そんな五代を見て八意永琳は、あぁ、伝えていませんでしたね、と前置きし、
「お金は必要ありませんよ。それに匹敵する報酬は頂いていますし」
と、検査前より分厚くなった紙束を揺らした。
「人類の祖先、彼らが生み出した戦士クウガ、そして今代の戦士クウガ。貴方をきっかけにそれだけの知識を頂いておいて、さらに上乗せするわけには行きませんもの」
だから安心してお休み下さい、と言い残し、八意永琳は襖を閉じた。
どうにも納得が行かない。彼女は知識が報酬と言い切ったが、それで済ませられるような厚遇ではない。普通の人間ならば、何か裏があるに違いない、そう思うだろう。
だがここにいるのは筋金入りのお人好し、善意の権化、五代雄介である。
「よし、明日は早起きだな!」
そう決意し、ちゃぶ台に乗せられたおにぎりを頬張る五代であった。
五大老には地の文も逆らえませぬ。ゆえにゆかりんもえーりんもフルネーム。