先の手本をなぞるように生木を割る少女。それらを薪小屋に運びながら、五代は内心で舌を巻いていた。自分なんかより、この少女はずっと飲み込みが早い。二度三度真似をしただけで、目に見えて薪の断面はきれいになった。一連の動作も流麗かつ優雅であり、とても薪割りをしているとは思えない。
少女の身体能力もその一助になっているのだろう、と五代は考察する。片手で斧を振り下ろして生木を破砕した腕力はもちろんとして、それなり以上に回数をこなした今も、彼女は汗一つかいていない。そもそも着ている服が、和風のドレスとでも言おうか、きらびやかながらも動きにくそうな代物であり、こんな作業にはお世辞にも向かない。それでいて、この結果である。
「なかなか楽しいわね、これ。永琳にお願いして、今度から私がやらせてもらおうかしら」
「ん? じゃあ君は、ここに住んでるの?」
八意永琳との親しい関係を匂わせる言葉に五代が尋ねると、でないと台所の勝手口から出て来ないでしょう? と、ころころと笑った。そして斧を地に置き、
「私は"蓬莱山輝夜"。よろしくね、五代雄介さん」
雅やかな仕草で名乗った。指の先にまで至る優美さは、言葉を尽くしても尽くし足りないとさえ思わせる程。
例によって名刺を手渡して名乗り返す五代、その頭は奇妙な符合を感じていた。竹林、その奥の屋敷、美貌、そして無意識の内に姫と付けそうになる
薪割りは続く。八意永琳は良くしてくれているか、朝ご飯はどうだったか、と取り留めのない話を交えながら、輝夜が薪を割り、五代がそれを運び。気品の極みと言える外見とは裏腹に、輝夜は気さくな性格のようで、話が弾む。合間の生木が真っ二つになる快音すらも、二人の談笑への相槌のよう。
その最中、ふと輝夜が斧を降ろした。さすがに疲れたか、ならば代わろうかと五代が近寄るが、彼女は相変わらず息一つ乱しておらず、ひと雫たりとも汗を流していない。単調な作業ゆえさすがに飽きが来たか、と考えるのも束の間、
「ありがとう、五代雄介さん」
輝夜は感謝の言葉を述べた。
「えっと、俺、何かしたっけ?」
「私に、普通の事をさせてくれました」
ぽつりと言った輝夜に、五代は戸惑うばかり。どうしてそれが彼女からの感謝に繋がるのか。それに、普通の事とは何だろうか。
「ずっと、飾り箱の中に押し込められてたようなものだったからね。気が遠くなるくらい永い時間を、ずぅっと」
気が遠くなるくらい永い時間。そう言う輝夜は、どこからどう見ても五代より若い。何かしらのずれ、違和感を覚えながらも、五代は耳を傾ける。
「貴方は多くのヒントを得ている。だけど貴方の中の常識が、それを否定してる。もう一つ、ヒントをあげましょう──」
己の内を見透かされてたじろぐ五代に、輝夜は囁いた。
「──蓬莱の玉の枝」
頭の隅にやった符合が、たちまちその言葉に引き寄せられた。竹林、屋敷、美貌、名前、そして蓬莱の玉の枝。これらが意味するものを、五代は他に知らない。童話だおとぎ話だと言う常識は、あっと言う間に崩れ去った。
「かぐや姫……?」
絞り出すようにその名を呼ぶと、輝夜はぺろりと唇を舐め、
「えぇ、多くの男たちを魅了した"なよ竹のかぐや姫"、それが私。こう見えて、貴方よりずっと年上なのよ?」
年相応に見える笑みを浮かべた。
輝夜の話を聞くに、竹取物語は真実をぼかした、もしくは間違えた口伝で書かれた物のようだ。
結論から言ってしまうと、満月の晩、かぐや姫は月に帰っていない。月よりの使者は来たものの、彼らを出し抜いて地球に残ったらしいのだ。事実は小説よりも奇なり、とでも言おうか。その事実がぶっ飛んでいるが。
使者の一人たる八意永琳と共に隠遁生活を送っていたが、隠れ住むと言う性質上、双方合意の上での軟禁状態のようなもの。その後、とある事件──幻想郷では『異変』と言うらしい──をきっかけに外へ出るようになったが、永遠亭でのヒエラルキーは相変わらず最上段。ゆえに何か亭内の仕事をしたくともやらせてもらえず、どうにも悶々とする日々だったそうな。
「永琳も鈴仙も、それから"てゐ"も、姫様の手を煩わせる事じゃありませんので、の一点張り。ちょっとは手伝わせてくれてもいいじゃない、ねぇ?」
おそらくは住人であろう、どこか古風ながらも覚えやすい名前が出たが、そちらは一旦置いておこう。
姫様と呼ばれるような人物など、世界広しと言えどそういるものではない。両手、否、下手すれば片手の指で足りるであろう。会話の機会なぞまずあり得ないが、イメージとしては絵に描いたような深窓の令嬢、または典型的なわがまま娘と言う者が多いのではないだろうか。
翻ってこの輝夜は、そのどちらにも当てはまらない。五代はそんな印象を受けた。前者のような大人しさはなく、かと言って後者のような傍若無人ぶりも感じられない。口調はのんびりとした様子だが、本気で、心から、八意永琳たちを手伝いたいと思っているのが伝わるのだ。いくら身体能力が優れていると言っても、そうでなければ、単純作業の薪割りをここまで続けられないだろう。
「それで、お願い上手の五代雄介さんに、なよ竹のかぐや姫からお願いがあるの」
お願い上手と言われても五代は首をひねるしかないが、その後に続いた言葉に、半ば本能的に身構えた。
かぐや姫からのお願い。そう言われて連想するのは、五人の求婚者に出された難題である。ある者は大怪我をし、またある者は大恥をかき、そして誰一人突破出来なかったとされる、札付きの無理難題。
本人さえ気付かぬ内に、重心が後ろに傾き、一歩後退る。そんな五代の様子を見て、輝夜は破顔した。
「あはは、そんなに怯えなくても大丈夫よ! 一緒に永琳にお願いして欲しいだけだから」
「……お願い? あっ、もしかして」
「そう、まずは足掛かりを築かないとね」
輝夜が言うには、五代がこうして薪割りをしている事自体、永遠亭が開かれて以来の珍事らしい。
八意永琳は、それが治療費の対価であっても、入院患者らに労働など絶対にやらせない。そもそも、治療費の支払いに期限がないのだからして、労働の意味がまるでないのだ。傷病者は身体を治す事に専念しろ、とはかの才女の談である。
輝夜にしてみれば、八雲紫の式から聞いたわずかな情報しか知らない入院患者が、ぱっかんぱっかん薪割りに勤しんでいるのだから、さぞや驚いた事だろう。八意永琳をよく知るからこそ、稀代のお願い上手に見えたようだ。
五代の協力を得られると踏んで意気込む輝夜。しかし当の五代は、
「俺も協力するけど、まずは輝夜ちゃんがしっかりお願いして、それでも駄目だったら、かな」
と条件付けた。まず二人がかりで頼んで首を縦に振らせられるか、と言う問題もある。だが、仮にそれで上手く行ったとしても、輝夜が本当に願ったものではなくなるだろう。今後の足掛かりにするとしても、五代雄介と言う大前提が常に付きまとうのだから。
「さっき会ったばっかりの俺だって、輝夜ちゃんが本気なのは分かったんだからさ。ずっと一緒に暮らしてる先生が知らないわけないよ」
だが、輝夜にとってはそう単純な話ではない。なにせ文字通りの意味で年季が違うのだ。断られた経験は数知れず。本気で頼んだところで、何が変わると言うのか。
「大丈夫!」
不意に、声が響いた。爽やかな笑顔で親指を立てた好青年が、じっと輝夜を見つめている。
「自分が思ってる事、考えてる事、全部先生にぶつけてみよう。そうしたら、きっと聞いてくれるよ!」
緻密な計画など露程も感じられない、まさしく感情論。それで全てが上手く行くのであれば、苦労する者などこの世からいなくなる。
しかし、輝夜は戸惑っていた。この込み上げるものは何だろうか。五代の言葉を聞いた途端に、ふつふつと己の内の何かが沸き立つ感覚。不快感などでは断じてない。むしろ自分を後押ししてくれる、追い風のような何か。
そして気付いた。これは、五代からの激励なのだと。事を成そうとする己への、彼からの応援なのだと。大丈夫。その言葉が、輝夜の心を奮い立たせたのだ。
「……分かった、やってみる」
輝夜の心から、仮定が消えた。必ず、八意永琳に己の心の中を伝え切る。そして、首を縦に振らせてみせる。気怠げに開かれていた目は、いつしかその心中を表すようにしっかりと見開かれていた。
「もし俺からも頼んで、それでも駄目だったとしても、諦めないで。輝夜ちゃんの本気は、しっかり先生に届いてるから」
「大丈夫よ、五代雄介さん……いえ、雄介さん──」
続いた五代の言葉を遮り、腰よりも長い髪を優雅にかき上げた。流れる黒髪は陽光を受けて玉虫色に光る。そして、
「──私はかぐや姫。お願いは、きっちり聞き入れさせるわ」
太陽の下、月光のように柔和な笑顔で、親指を立てて見せた。
鏡合わせのように互いに親指を立てて微笑む二人。その光景も、輝夜がぷっと吹き出した事で崩れた。
「もう年なのかしらね。貴方が初めての殿方よ? 私のお願いに、二つ返事で頷かなかったのは」
意地悪そうな笑みを浮かべて詰め寄る輝夜に、五代は頬を掻きながら、
「それじゃ、輝夜ちゃんが納得しないと思ったから……」
と苦笑い。
「それもそうね。でも、伝説に傷が付いちゃった」
いよいよ笑みを強める輝夜。あぁ、これは何かせびられるのだろうか、とおとぎ話随一のおねだり姫を前におろおろする五代だったが、彼女はもう一度、立てた親指をぐいっと突き付け、
「詫び料代わりにこれ、もらっとくわね。これで貸し借りなしだから、私たちだけの秘密よ?」
内緒の契約を交わした。かぐや姫の新たな伝説を、青空だけに聞かせながら。
それから小一時間程薪割りを続け、お天道様がそろそろ登り切るかと言う頃。現れた途端にあからさまにぎょっとした顔を見せた白兎に招かれ、とある一室に入った。中央の大きな卓には湯気を立ち昇らせる料理が並び、二人の腹の虫を誘惑する。時計を気にしていなかったが、どうやら昼時らしい。
「五代さん、お疲れ様でした」
その一角に着いた八意永琳が、顔を上げて労いの言葉を掛けた。彼女の前には数枚の紙が重なっており、文面には『五代雄介』、『戦士クウガ』と言った語句がちらほら見受けられ、五代についての考察をまとめた物であろうと窺える。
「あら、姫様も……って、何ですか、それ?」
五代の隣に立つ輝夜にも声掛けした八意永琳は、しかし彼女が小脇に抱えた物を見て、手にした筆を取り落とした。べちょり、と机上に黒い泉が広がる。
「見て見て、永琳! 私だって、これくらい出来るのよ!」
嬉しそうに輝夜が差し出したのは、真っ二つになった薪。最後に割った物であり、見事な断面を覗かせている。
「まぁ、上手に出来たのですね! ……って、そうではなく」
一度は褒めた八意永琳だが、気を取り直したように、なぜ貴女が薪割りなんかしているのか、と問い質した。姫様呼ばわりしている事から、やはり輝夜は永遠亭の最上位、やんごとない立場にあるのだと再認識した五代。しかし同時に、この才女の言いようにどこか違和感を覚える。わざとらしいと言うか、芝居がかっていると言うか。
薪を抱え直した輝夜は、八意永琳の口上を黙って聞いていたが、一段落したと見るや、反撃に出た。
「私だってね、ただ貴女たちを見ているだけなのは嫌なの。手伝いたいのよ、ここの住人の一人としてね。そんな考えも押し込めるの?」
「姫様のやる事ではないと申しているんです。貴女はここの主なのですよ?」
「主も住人である事は変わらないわ、そうでしょう?」
譲らぬ構えで、八意永琳と相対する輝夜。瞳は一切揺らがず、ただ一点──八意永琳の目を見据えている。配膳していた鈴仙など、そのただならぬ空気に当てられ、手を止めてどちらともなく視線をふらふらさせている。
約束通りに事の行く末を見守っていた五代の喉がごくりと鳴り、静寂の支配する食卓に響く。するとそれが合図だったかのように、八意永琳はひときわ大きなため息をついた。
「炊事に風呂炊き、それに医療器具の消毒……。薪を絶やすわけには行きません。それは分かりますね?」
「当たり前じゃない。貴女たちの仕事を何年見て来たと思ってるのよ」
「やるからには、投げ出してもらっては困ります。それも分かりますね?」
「くどいわ。そんな半端な気持ちじゃ……、え?」
言葉を止め、輝夜は目を見開いた。対する八意永琳は、肩を竦めてもう一度ため息をつき、
「細かい部分は、優曇華やてゐとすり合わせて下さい。……負けましたよ、姫様」
降参するように両手を挙げ、笑った。
「ほ、本当に……? やった、永琳ありがとう!」
薪をその場に落っことし、念願のおもちゃを買い与えられた子供のような満面の笑みで、輝夜は八意永琳に抱き付いた。受け止めた彼女は眉尻を下げながらも笑みを崩さず、
「優曇華、配膳の続きをお願い。薪割りの件もそのつもりでね。それと姫様、これから食事ですので、まずはその薪を戻しましょう」
と、てきぱきと指示を出していた。
鈴仙があたふたと台所に戻り、輝夜は薪を抱えて退出。部屋からの出がけに親指を立てて見せた輝夜を見送る五代に、八意永琳はすっと近寄り、
「伝説、塗り替えちゃいましたね」
と耳打ちした。伝説とはもしや。慌てる五代に、八意永琳はくすくすと笑って見せた。
「大丈夫ですよ、あれはお二人だけの秘密なんですから。そうでしょう?」
どうやら他言する気はないらしい。内心で胸を撫で下ろした五代は、輝夜に薪割りさせた件を怒っているか、と恐る恐る尋ねたが、丁度良いきっかけでしたよ、と返された。
「姫様がやきもきしていたのは、私も気付いていましたからね。むしろ感謝してるんですよ?」
それよりも、と豊満な胸を張る八意永琳。
「私の演技力、なかなかのものだったでしょう? あっさり認めてしまったら、姫様も察してしまうでしょうしね、ふふふっ」
彼女の得意げな顔を眺めながら、あぁ、この何でも卒なくこなしてしまいそうな才女であっても、苦手な事はあるんだなぁ、などと考え、それをおくびにも出せない五代であった。
互いに干渉させ過ぎないように、互いに空気にならないように。
クロスオーバーって本当に難しい(2敗)。