あぜ道を馬車が進む。
足場の悪い、ろくに手入れされていない田舎道を馬車が進む度に時に小石が、時に雑草がその車輪を襲い、ガタンガタンと馬車を揺らす。
そんな馬車の車内では、出稼ぎ帰りと思われる若い男達や、都会からの帰路と思われる女達の姿が溢れており、彼らは各々が談笑し、色恋話に花を咲かせながら、馬車の旅を楽しんでいる様であった。
そんな中、彼らとは随分と印象を異とする少女の姿がある。
この蒸し暑い最中、黒のロングコートを身に着けて、そうして田舎娘などには決して手が出せないであろうルビーで装飾されたブレスレッドをそのほっそりとした右手首に輝かせている。
まるで、少年を思わせるように肩元で切りそろえられた黄金の髪、そして、娼婦がするような派手な化粧のなされていないものの均整の取れた相貌。
どこか貴族を思わせる少女は、この馬車の中で異質であった。
彼女は、馬車の中の他の者とは随分とその顔色も異なっている。
他の者が浮かれる中、彼女だけは、決して心地よいとは言えない馬車の旅に、不機嫌そうに表情をしかめながら車窓から外の景色を覗き込んでいたのだ。
―こんな田舎村で仕事とはね―
少女の瞳に飛び込んでくる風景は、数日前までの帝都周辺のものとはまるで異なっており、帝都の香りが残る彼女には余りにも似つかわしく無かった。
故の少女の嘆息交じりの感想。
車窓の外に広がるのは高原の緑と、茶の山々、そうして、そんな山々の間に点在する人の営みを感じさせる薄黄色の家屋達であった。ありていに言えばそこには牧歌的な田園風景が広がっていたのである。
少女にとって、それは幼少期に見知った風景と酷似しており、同時に長年縁の無いそんな場所でもあった。
帝都と比べれば田舎などには何も無いという事を少女は知っていた。
人々は皆、暖かく、勇敢であり公明正大である...というのは、帝都で激務に奔走する騎士達が田舎に抱く幻想であり、田舎に住む人々はそんな彼らの抱く幻想とは真逆の性質を備えている事も少女は良く知っていた。
これから、少女は、良く見知った田舎というモノに向かい長期滞在する事になる。
それを思えば、決して美しいとは言えない田園風景をこれ以上眺めているつもりは少女に無かった。嫌でもこれから、緑の海や居並ぶ山々、そして醜悪な人間たちと少女は付き合わなければならない。
となれば、貴重な馬車の移動時間を風景鑑賞に浸る必要は少女には無かった。
故に少女は最後に、遠方の景色を苦々しくみやり、そうして直に瞼を閉じ眠りについたのだった。
アンガレスと呼ばれる帝国がある。
既に建国600年を誇る古い帝国だ。故にこの国が刻んできた戦いと繁栄の歴史は他国を遥かに凌駕する。
ここ、クレセア大陸には規模を問わなければ数十の国家群が存在するが、そのいずれもの国がアンガレス帝国の従属国家、若しくは同盟国家である。
アンガレス帝国の覇権は北を除く大陸の隅々、果てには大陸周辺のこれまた北方を除く三海に及び、そうして否応なしに大陸の動向を決定した。
そんなアンガレス帝国であったが、しかし、覇権国家であるが故の宿命故に帝国はただただ繁栄と安全を享受する事は出来なかった。
覇権国家とは、いわば属領や属国に対しての安全保障を課せられる。
現在、国家間の大規模な戦争がなりを潜めた代わりに大国アンガレスが対処すべきは魔物問題であった。生態系の多くを明かされず、主にクレセア大陸の北部に住み着いた魔物達は時に徒党を組み、時に単独で人里や中規模の街、時には小規模な王国の首都さえも襲い多くの被害を人類へともたらした。
多くを謎に包まれた魔物。
定義づけさえ碌にされていない魔物達であったが、彼らに共通するのは人類にとっては脅威であったという点だ。
なにせ個体差はあっても、魔物達は人間より遥かに屈強な肉体を有し、そして時に魔術を使うものさえ存在する。そんな魔物達とアンガレス帝国は属領を守りながら、100年に近い戦いを繰り返している。
そんな100年の時を経て、しかし戦況は人類には好転している。
数年前に起こった7度目の北伐。
数万を超える人類と、これまた万を超える魔物との大規模な戦役は人類側の大勝利に終わり、クレセア大陸のその更に北へと魔物は放逐されたのだ。
そして、かつて魔物が征服したクレセア大陸北部への開発が今、始まった。
今、帝都アンガレスから北へと続く街道には多くの冒険者達の姿があった。
「私はエルマ・エルンスト。帝都より派遣された宮廷魔術師です」
村長宅に突然現れた、肩書、容姿ともにあまりに田舎村に似つかわしく無い少女。村長はやや困惑した様子で自らを宮廷魔術師と名乗る少女エルマを見やっていた。
確かに帝都へと今回の件について依頼を出したのは他ならぬ村長であったし、村長や村の重役たちは確かに今回の騒動に関して一刻も早い解決を望んでいたのは事実である。
しかし、宮廷魔術師の村への介入という予想外の事態は村長の思惑を遥かに超えていた。
ここはラドの村。
アンガレス帝国と西の大国たるフォロボスの国境線近くに存在する小さな山村である。
周囲を険しい山々に囲まれた山村であり、そこには大した特産品など存在せず、ただただあるのは民と僅かな農作物である。大昔は、アンガレス、フォロボス間の中継地としてラドの村を訪れる者の数も多かったが、海運の発達に伴い、二国間の主な交通の手段が海路となったために現在ではわざわざ立ち寄る者も居なくなったそんな田舎村である。
ラド村は一応はアンガレス帝国領に組み込まれているものの、所詮は辺境の辺境である。
そんな村に宮廷魔術師である。
「はぁ、宮廷魔術師の方...ですかぁ」
言いながら、村長はエルマを見やる。
村長が勧めたにも関わらず、エルマは客人用の椅子に腰かけることなくピシッと背を伸ばしながら、村長を見下ろす様にして直立していた。
村長自身、帝都に訪れたのは数度で、彼にとっては宮廷魔術師との直接の接触は無い。故に村長は宮廷魔術師の一般的な知識を僅かに有しているにしか過ぎなかった。
アンガレス皇帝のお膝元である帝都アンガレスにおいて宮廷に従事する魔術師達。
強力な術を扱い、平時は術の研究に戦時は魔術部隊として皇帝軍に従事する...村長が持っていたのはその程度の知識である。
確かに村長の見立てではエルマは宮廷魔術師に相違なかった。彼女が到着後に、卓上へと提出した皇帝直属の花押付きの書状は勿論だが、エルマのその特殊な格好がなによりも彼女が宮廷魔術師たる事を証明していた。
黒のロングコートに、ルビーが装飾された高価そうな腕輪。黒のロングコートは基本的には魔術師以外が着用する事を認められておらず、また、なによりセルマが身に着けたルビーの装飾がされた黄金の腕輪は、はぐれ魔術師や地方の魔術師がおいそれと手にする事が出来ない貴重品である事は、宝石などに詳しくない村長にも容易に理解できた。
また、エルマには若いながらも一種の気品が漂っており、宮廷魔術師といえばなるほどと納得してしまう。
そんな正真正銘の宮廷魔術師を前にして村長は苦笑交じりに顔を引きつらせた。
何せ、宮廷魔術師を今回の事件に巻きこんだ際の事の顛末までを村長は考慮してなかったのだ。
「ええっと、エルマ様ですか。では...村の者に案内させますので...今回の事件についてはまた明日にでも」
「いいえ、手短に。皇帝陛下は、早期の事件の解決を望んでおられます」
焦る村長とは対照的にエルマはその仮面のような表情を崩すことなく、直立不動でそう言った。
そんなエルマを前に村長は俯き、その眉間のたて皺を更に濃くしながら、その重い口を開き始める。
「実は西の山間に魔物を手引きする怪しげな男がありましてね...」
そうして村長はしぶしぶとだが語り始めたのだった。
このラドの村の更に西に行くこと半日、ムロン村なる小さな山間の村が存在する。
ラドの村より更に山間に存在するムロン村は勿論だが、人口も少なく村の生活はラドの村との貿易で成り立っている様なものであった。
遡る事、三ヵ月。
そんな小さな山間の村に一人の男が現れたという。
巨木の様に巨大な体躯の男だったという。その男は、真っ黒なマントに身に纏い、全身を分厚いプレートアーマーで包み、これまた、巨大な鋼鉄の剣をひっさげて突然、ムロン村に現れたのである。
ムロン村の誰もが男の異様な姿に違和感を抱いたが、最初の一月は穏やかだった。
男は不気味であったものの別に何するでもなく村の離れにある小さな廃屋を借りて日がな一日を暮らしている様だった。時に夜な夜な、姿を消す事があったが村の人々は特に実害の無い男にそれ程の注意を払わなかったのだ。
しかし、不気味な男が住み着いて二月たった頃からムロンの村で異変が起き始めた。
謎の失踪事件。
夜な夜な村の人間が村を抜け出しては山奥へと向かっていく...そんな事件がムロン村で勃発したのである。
そして、ある日、ムロン村の子供達が、興味本位で山奥へと足を踏み入れる事があった。
探検のつもりで、山奥の洞窟へと進んだ少年達。それは年頃の少年にとっては未知への探求を満たすための日課であった。何時もと変わらぬ探検、そんな何時もの日常気分の冒険の末、少年達が洞窟の奥で発見したのが...大剣かなにかで切り裂かれ、抉られ、体に大きな傷を作った失踪者達の姿であったのだ。
しかもそれらの死体は、奇怪な事に、全身の血液を失い、ミイラの様に干からびていたのである。少年達はそんな異様な死体を前に脱兎の如く洞窟から逃げ帰り、大人達に報告、そして、怪奇事件はムロン村ひいては近隣のラド村まですぐさま知れ渡ったのである。
勿論、事件の犯人はその住み着いた男以外にありえない。それはムロン村全員の総意であり、そして遂にムロン村の総力を上げて、男の家へと捜索を始めたのである。
それが一月前の事である。
淡々と話しながら村長は顔色を真っ青にしていた。
対してエルマはやはり顔色一つ変える事は無く静かにそのアクアマリンの瞳を村長に向けながら、脳裏で事件に関する情報を整理していた。して、ただの退屈な田舎での滞在はまるでその色を変えていく...そんな風な思いをエルマは村長の言葉から感じ取っていた。
「それでその後はどうなったのでしょうか? 」
顔色一つ変える事の無いエルマであったが彼女の口調はやや早く、僅かな熱がこもっていた。
エルマは今回の事件の背後に外道魔術師の姿を垣間見ていたからだ。
外道魔術師。国が定めた禁忌を破り、魔術を私的に研究する者達の総称である。
彼らの多くは基本的には、所謂、都落ちした魔術師の成れの果てであり、多くは地方における小遣い稼ぎ程度で術を行使する者ばかりであるが、中には大物もいる。
そんな大物の外道魔術師が関わった事件を解決したとなれば、新人の宮廷魔術師たるエルマの功績に箔がつくのは勿論である。現状、何が何でも功績を欲していたエルマにはこれは喉から手が出る程の案件へと変わりつつあったのだ。
そんなエルマの心理をどの程度村長が察していたか、恐らく、この純朴な村長はエルマの心理を殆ど察していなかったろう。
彼は青ざめた表情でエルマを見やりながら再び口を開く。
「えぇ、その後ですね。丁度、これは10日ほど前の事です。定期的に我が村とムロン村を行き来する行商人がおりましてな」
一度、そこで区切って村長は咳払いする。
「その行商人がムロンの村に出向いたのですが、村には人っ子一人おらず、不思議に思った彼は周囲を散策したのです。でもやっぱり人の息遣い少しも感じられず、そして...えぇ、近くの森の中で彼は村の子供を発見したんです。もっとも子供はそれからダンマリですが」
エルマは村長の言葉に相槌を打ちながら、村長の言葉を咀嚼し、そうして返答する。
「なるほど、分かりました。つまりは無人になったムロン村。そんなムロン村に住み着いた男の正体を確かめ、必要に応じては...」
エルマは最後まで言わずに村長を見やる。
村長は無言であったが、彼のその無言は何よりも雄弁に答えを物語っているた。
エルマは、村長に視線をやりながら再び口を開く。
「分かりました。それでは、早速、私の方で捜索の方を開始させて頂きます」
そう言うとエルマは村長に軽く会釈する。
そして、彼女は所謂貴族風の嗜みとでもいうかのように、軽やかにロングコートの裾を持ち上げて一礼する。
エルマはこういった気取った挨拶を嫌う。が、しかし彼女が宮廷魔術師であり、必然的に貴族階級を与えられている以上は貴族然として振舞う必要があったのだ。
少なくとも生真面目なエルマは仮に彼女が如何に貴族を嫌おうとも望まれればその通りに振舞うしかなかったのだ。
そんなエルマを見やり村長は立ち上がる。
「ありがたい...しかし、今日は既に日も暮れようとしています。どうでしょうか、明日より日を改めて...」
村長の言葉はか細く、そして弱弱しかった。そして、何処か井戸の底の如き仄暗さを孕んでいた。
しかし、そんな村長の言葉を聞き、エルマはチラリと窓の外へと視線をやる。
エルマの瞳には、夕日を背景にして、燃える様に真赤に染まった山際がありありと映っていた。
既に、空は朱色に染まり、あとしばしすれば、この村落には闇の静寂が訪れるであろう。となれば、街灯一つ存在しないこんな村落や、足場も定かでは無い山岳部を捜索する事など無謀に等しいであろうことはエルマにも容易に伺えた。
小さくため息をつくエルマ。
「えぇ...そうですね。それでは、お手数ですが村の宿場をご紹介頂けますか? 」
エルマの声には小さな落胆の色が混ざっていた
しかし、村長はそんなエルマとは対照的である。
先ほどまで曇っていた村長の表情が明るさを取り戻したかと思えば、彼の口から嬉々とした声が上がる。
「ええ、ええ、勿論ですとも。ささっ、こちらです」
立ち上がる村長。そんな村長を前にして、エルマは大した感慨を抱く事無くただただ、その脳裏で宮廷魔術師としての栄達を夢想していた。
そうしてエルマは村長に連れられるようにして、村長宅を後にしたのであった。
こうして、エルマのラドの村での一日が始まった。
とりあえずあまり肩に力入れずにオリジナルファンタジーものを書いてみます。
良ければご一読下さいませ。