アンガレス戦記   作:兎烏

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宮廷魔術師 エルマその10

 ベイス少年からの急報がムロン村に届いたのは夕刻間近の頃であった。

 傷を癒しながら時を待っていたガーランドの元へ現れたベイス少年は、血相を変えながらエルマが囚われた事をガーランドへと告げる。

 当初の予定はエルマがラド村で情報を集めて、2日置きにベイス少年を使いガーランドとエルマの互いが密に情報を交換、して十分な情報をあつめた所で一挙にヴァルノミスを奇襲するものであった。

 しかし、ガーランドの元へとベイス少年が現れたのは当初の予定よりもあまりにも早く、そしてベイス少年の口からは想定外の事実が語られた。

 が、しかし想定外の状況を前にして、ガーランドは思いの他冷静であり、その動きは素早かった。

 立てかけた剣を握りしめるや、ガーランドはベイス少年を抱えて直ちにラド村へと急行するの。

 人間とは思えぬ身のこなしでガーランドは、エルマが苦戦した桟橋や山道を駆けていくと直ちに村長宅へと至るのであった。

 ドンと戸を蹴り破るガーランド。

 と同時に、ヒッと声が上がる。

 その声の主は紛れも無い村長であった。

―なんと醜悪な男か―

 声の主を見やり、ガーランドは眉をひそめざながらそう感じざるを得なかった。

 目を細めるガーランド。

 開け放した玄関口の先には村長と思われる初老の男性の姿があった。

 皺だらけで干からびた貌をひきつらせながら震える男は下半身をはだけていた。

 そんな村長の姿は、ガーランドには見るに絶えないほどにおぞましかったのだ。

 呆気に取られて立ちすくむ村長、彼の手には女物と思われる麻の服や、年頃の女性が身にまとうふんわりとしたショーツが力強く握られていたのだ。

 して、黒いシルクのショーツには黄と白が混ざり合った様な液体がねっとりと付着し、腐乱臭を漂わせながらその黒の布地を不潔な色に汚していた。

「エルマは何処だ? 」

 そんな村長を見やりながらガーランドは軽蔑したように呟くと一歩、二歩と踏み出して村長へと歩を進めていく。

 そうして村長を目と鼻の先に捉えたガーランドは、その手に持った巨大な大剣をズイと手前に突き出して村長へと向ける。

 村長宅に設置された松明に照らされてガーランドの大剣が鋭く光りをあげるや、村長はおののき、そうしてガクリと尻餅をつく。

 ガーランドを見上げる村長の瞳は完全に恐怖の色に染まっており、彼はガクガクと震えながら意味の無い言葉をつぶやく。

「あっ...違うのです。私は別に何もやましいことは」

 村長からは完全に血の気が引き、まるで小動物の様に体をガクガクと震わせている。

 そんな村長を前にして、しかし、ガーランドは少しの罪悪感も感じる事はでき無かった。

 ガーランドはぎろりと村長を見下ろしながら、口調を強めて言う。

「ならばこう言おう。ヴァルノミスは何処にいる! 」

 言いながらガーランドは一歩前へ出る。

 ガーランドより迸る威圧感は大気を震わせながら一斉に村長へと襲い掛かる。

 まるで村長は蛇に睨まれた蛙。

 村長はパクパクと口を開閉しながら、そっと呟く。

「あっ...う、裏手の丘に...」

 そんな村長をガーランドは一瞥すると、その手に持った大剣をスッと鞘に納めて更に一歩村長へと歩を進める。

 そうして、ガーランドはスッとその手を村長へと伸ばす。

「ひっ! 」

 途端、村長から恐怖の声があがる。

 村長は、死でも覚悟したかの様に体を丸めながらギュッと瞼を閉じて身構える。

 しかし。

「これは貰っていくぞ」

 ガーランドの声がするばかりで、いつまでたっても村長が恐れた拳がガーランドを襲う事はなかった。

 村長は恐る恐るその瞼を開きながら、上目遣いにガーランドを見やる。

 ガーランドは苦虫を噛み潰したように顔をしかめながらも、その巨大な掌は村長が握りしめたエルマの黒のロングコートや麻のローブを村長の手からはく奪するのみにとどまった。

「エルマが持っていた腕輪は何処だ」

 してガーランドは村長からエルマの衣類を取り上げつつも、鋭い視線を持ってして村長へと尋ねた。

 しばし、唖然としたかの様に村長は大きく口を開き、そしてしかる後に答える。

「あ、あちらの衣装かけの中に」

 声を裏返しながら答える村長にガーランドは無言で頷くと、その手にエルマの衣服を手にして、一歩一歩と指定された机の場所へと進んでいく。

 扉を開くガーランド。

 村長の衣服などが並んだ衣装かけの中に、飾られる様にしてルビーの腕輪が横たわっている。

 ガーランドはガシリとエルマの所持品たるルビーの腕をその手に掴むと村長には一言も告げることなく、ベイス少年をつれて村長宅を後にした。

 

 村長宅を後にしたガーランドはベイス少年に短剣を渡し丘陵付近の茂みへと彼を隠すと、一人なだらかな丘陵を駆けていく。

 丘陵地帯を駆けるガーランドの姿は正しく、獣と呼ぶにふさわしかった。

 巨大な剣と、重厚な鎧を身にまとったガーランドは形容するならば漆黒の獣といえよう。

 獣はただただ静かに山頂を駆け登りながら、疾風怒涛の勢いで瞬く間に山頂へと進んでいく。

 丘陵地帯の裏手より山頂を目指すガーランド。

 山頂では幾多の松明が燃え上がり、近づくたびにガーランドの視界には否応なしにエルマと思われる裸で十字架に磔にされた少女と少女の周囲を囲む男達の姿が飛び込んでくる。

 少女を取り囲む男達の多くは薄汚い簡素な麻の服に身を包んでおり、村民である事が伺われた。

 が、しかし、そんな男達に混じり、一人異様な影があった。

 黒の礼服を身にまとい、シルクハットをかぶった紳士風の男。

 それが誰であるかはガーランドには一目瞭然出る。

 きっと双眸を細めるガーランド。

―ヴァルノミス!―

 内心で叫びながらガーランドは紳士風の男を見やる。

 そこにあったのはガーランドが追い求めた宿敵たる男の一人、ヴァルノミスの姿があった。 

 紳士風に着飾った魔貴族。

 しかし、その外見とは裏腹に残客非道であり、四魔天の中でも特に評判の悪い下劣なるその男はガーランドが最も軽蔑する類の人物である。

 事実、ヴァルノミスの現在の姿はガーランドがかつて見知った時と少しも変わらず、相も変わらず端正なその容貌に反して醜悪であった。

 ドクンとガーランドの心の臓が憎しみに打ち震え鼓動する。

 キッと眼を見開きながら、ガーランドはますます走るその足を進めると一挙に山頂へと至るのであった。

 ガーランドの眼のまえに映るヴァルノミス。

 ヴァルノミスはあろう事か、口元をゆがめては下卑た様な笑みを浮かべ、エルマに魅入っていた。

 つまりはヴァルノミスは隙だらけという事である。

 つまり、今は地上最強たる四魔天へと致命傷を与えうる絶好の好機である。

 ガーランドは勿論、そんなヴァルノミスの隙を逃す事は無い。

 ガーランドの大木の如き両足が力強く収縮する。

 鍛え上げられたガーランドの脚力は常人の比では無かった。

 収縮した筋肉が解き放たれると同時に、ヴァルノミスはまるで風の様にヴァルノミスへと駆け寄っていく。

 駆け寄りざまに、ガーランドの肩に押しのけられるようにして、エルマを囲んだ男達の数人が四方へと吹き飛ばされる。

 そうして、ガーランドは瞬く間にヴァルノミスをその剣撃の間合いに捉える。

 叫びを上げる村民達。

 そんな彼らの嗚咽まみれの悲鳴が上がるのが先か、それともヴァルノミスがその声の先へと振り向くのが先か。

 いずれにせよ全ては一呼吸の間に終わった。

「ヴァルノミスぅぅうううう」

 獣の咆哮と共に闇夜に白刃が煌く。

 白刃はガーランドが振り上げた大剣の軌道である。

 はたと気づいたヴァルノミスの反応は余りにも遅すぎた。

 既にヴァルノミスのその胸元にはガーランドの大剣が唸りを上げて迫りつつある。

 して、転瞬の後に、ガーランドが振り上げた巨大な鉄の塊はヴァルノミスの胸部へと深々と打ち込まれるのであった。

 途端、巨大な轟音が闇夜に鳴り響いたかと思えば、ヴァルノミスの体躯は大きく宙へと舞い勢いよく後方へと吹き飛ばされていく。

 ガーランドの両手には確かな手ごたえがあった。

 ヴァルノミスが異常に気付き、剣撃を放ったガーランドへと眼をやってからは一息の間にも満たない。

 この一瞬の間はヴァルノミスが魔術衣を発現するには微妙な時間であろう事をガーランドは理解している。

 確かな手ごたえを感じつつもガーランドは決して気を緩めることはせず、ヴァルノミスへと注意を払いつつ周囲を見やる。

 周囲にあるのは唖然とした様に口を半開きにする村民達であった。

 唖然とした村民立ちであったが、彼らはようやくこの異常な状況を理解したのか、途端に彼らの顔が真っ青にひきつる。

「ひっ...」

 誰かの口から声が漏れる。

 して。

「人殺しだぁあああ! 」

 誰かが叫んだかと思えば、恐怖は村民達へと伝播していく。

 男達は血相を変えながら右往左往しつつも一目散にガーランドに背を向けると勢いよく丘を駆け下りていく。

 そうしてしばしの後、丘陵の上に残ったのはガーランド、エルマ、そして遥か彼方に飛ばされた仰向けに倒れたヴァルノミスであった。

 ガーランドはヴァルノミスをもう一度一瞥すると、磔に処されその陰部を開け広げにさせられたエルマへと視線を戻し駆け寄っていく。

 あまりにも無様に全身を拘束されたエルマの姿にガーランドは一瞬顔を背けるも器用に荒縄を引き千切り、エルマの拘束を解いていく。

 ガーランドはエルマを磔台から解き放つと優しくエルマを抱きかかえて、そっと草の上に横にする。

 そうして、ガーランドはエルマの所持品たる黒のロングコートをエルマに羽織り、そしてエルマの手首にルビーの腕輪を嵌めた。

 ジッとエルマを見やるガーランド。

 エルマには外傷たる外傷は見当たらず、気を失っているものの寝息は穏やかであり命に別条はない様であった。

 ガーランドはエルマの安否を確認するやただちに踵を返す。

 そうして、ヴァルノミスが吹き飛ばされた先へと視線をやるが...

―何処だっ!―

 先ほどまでヴァルノミスが居た空間には草木が生い茂るばかりで人の姿は見当たらなかった。

 ガーランドには確かな手ごたえがあった。

 が、しかしそれと同時にヴァルノミスが吹き飛ばされる様はあまりにも大仰であったのも事実である。

 チッと吐き捨てる様にガーランドは小さく漏らすと、直感的に左方へと視線をやる。

 周囲で煌々と燃えるかがり火に照らされたそこにはヴァルノミスの姿があった。

 彼はまるで切り飛ばされたのが嘘であるかの様で、何処かおどけた様にその口元を緩めては、黒の礼服にこびりついた土や草を払い落としていく。

「またお前か黒騎士。大事な礼服に傷がついた」

 ヴァルノミス。

 黒の礼服はその胸元を大きく引き裂かれており、その裂かれた礼服の下からは薄っすらとヴァルノミスの青白い肌が露出していた。

 が、しかし、ヴァルノミスには傷らしい傷は見て取れない。

 そんなヴァルノミスは微笑と共にガーランドを見やる。

「黒騎士、アンデットを一人で破ったから面白い奴と思い、命だけは助けてやったが...」

 ヴァルノミスの赤い瞳が殺気立つ様にギラリと光る。

 ガーランドはそれがヴァルノミスの術の前動作と察知して、自らの大剣を前面で構えながら、素早く左方へと飛び退く。

「邪炎、燃え盛れ」

 ガーランドの判断は正しかった。

 ヴァルノミスの声と共に、一瞬前までガーランドがいた空間に突如、炎の柱が上がる。

 青白い炎を上げながらこうこうと燃え上がる炎の柱はそれまで松明に照らされていた薄暗かった丘陵地帯をまるで昼日中の様に明るく照らし出す。

「ほぉ、同じ手は二度は食わないか。それにしても、あの傷、致命傷かと思ったがな」

 今やガーランドもヴァルノミスも互いの姿をはっきりと捉えていた。

 して、ヴァルノミスはムロン村にて彼が放った炎の魔術が穿ったはずのガーランドの下腹部を見やり、首を傾げながら言った。

 ガーランドの下腹部。

 ガーランドが身に着けたプレートアーマーは、その左下腹部を覆う金属部分が熱により歪にひしゃげており大きな穴が穿たれている。

 そんなプレートアーマの下から顔を覗かせるガーランドの逞しい下腹部には熱傷の瘢痕さえ存在しない。

 常人ならば重症というに差し支えない重度の熱傷を受けたずのガーランドには今や少しの傷跡も見て取れないのである。

 ヴァルノミスはそんなガーランドを前に余裕あり気な微笑を浮かべながら愉快そうに続ける。

「くくく、まるで化け物だな、気に入ったぞ。人間の男は好まないが、貴様なら配下にしてやってもいい。どうだ、そこの女を犯せ。そうすればお前も魔化術で俺の眷属に加えてやる」

 ヴァルノミスはその赤い瞳を細める。

 邪悪であるが、何処か魅力的な視線がガーランドを捉える。

 ガーランドはそんなヴァルノミスの視線を受けて、吐き捨てる様に睨みつけると愉悦げに笑う。

「貴様の配下だと? 俺が、四魔天の中で卑怯者と揶揄される貴様の配下に? 冗談も休み休み言え」

 ガーランドの言葉にピタリとヴァルノミスの表情が凍り付く。 

 それまで取り繕っていた様に微笑を浮かべていたその口元は忌々しげにひきつり、その眼もとは大きく見開かれる。

 ヴァルノミスはその赤い瞳を怒りを孕んだ深い朱の色に染めあげながら言う。

「卑怯者だと...この俺が」

 わなわなと震えるヴァルノミスの声音にはそれまでの余裕は見て取れない。

 逆にガーランドは冷静なもので、ますますその口調を強める。

「村人を魔族化させ、少女一人を複数で嬲ろうとした貴様にはお似合いの言葉だと俺は思うがな」

 寡黙なガーランドにしては珍しかった、

 妙に饒舌にガーランドはヴァルノミスを挑発する。

 してガーランドの挑発は功を制した。

「ははっ、まぁいいさ。ならば死ぬがいい人間よ」

 ヴァルノミスは平静を装っているつもりであったが、刺すような殺気がヴァルノミスから迸っているのはガーランドには明らかである。

 冷静さを失えば如何に強力な魔族だろうと、隙が生じる。

 そしてその隙が致命傷となるのだ。

 ガーランドには獣の様な直観力がある。

 その直観力こそがガーランドの最大の武器であると言えるだろう。

 今やガーランドはヴァルノミスの殺気を手に取る様に感じられていた。

 してヴァルノミスが魔術を試行する際に放つ僅かな殺気を察知したガーランドは既に動き出していた。

 ヴァルノミスの最大の誤りは安易な挑発によって怒り狂い、そして最早その怒りをコントロール出来なかった点にある。

「深紅の風刃」

 ヴァルノミスが呟くよりも早く、ガーランドは左前方へと飛び退いていた。

 迸る殺気を具に悟ったガーランドには既にヴァルノミスが魔術を放つより早くヴァルノミスの殺気に反応して反射的に動いていたのだった。

 結果、ヴァルノミスがガーランドへと向けたその指先より放たれた音速の風の刃は一直線にガーランドへと迫ったが寸での所で空を切った。

 一瞬、ヴァルノミスに動揺が走り、ヴァルノミスはその相貌をこわばらせながら固唾を飲む。

 ガーランドは、凍り付いたヴァルノミスに視線を固定し、攻撃をやり過ごした後も、その足を止めることはない。

 ヴァルノミスへと疾駆するガーランド。

 結果、歩を進めるガーランドと立ちすくむヴァルノミスの距離は否応無しに縮まり、そうして気づけば二人の距離はガーランドの大剣二振り分の間合いまで詰っていた。

 ガーランドは大きく体を屈めながらヴァルノミスの懐へ飛び込まんと一歩前へと足を踏み出す。

 踏み出しながらガーランドはその手に持った巨大な剣を大きく振り上げて、袈裟切りの態勢を取った。

 ―あと一歩―

 ガーランドは内心で呟きながら、ヴァルノミスの胸元を睨みつける。

 更に一歩踏み込むガーランド。

 これにてガーランドは完全にヴァルノミスをその剣撃の間合いに捉えた。

 闇夜の中でキラリとガーランドの大剣が白銀色に輝き、そうして、大剣がヴァルノミスの肩元へと振り下ろされた。


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