闇が完全に支配した夜のムロンの村を、エルマは得意の魔術で生み出した小さな光を頼りに進んでいく。
エルマの指先でこうこうと赤く燃える炎は松明に灯した程度の微かな光を発するのみである。
正直、心もとない感は否めない。
微かな光のもと、エルマが精々目視できたのは、彼女の四方に広がる麦畑と、彼女の足元に生い茂る雑草、そして彼女と手を繋ぎながら歩く少年の姿程度であったからだ。
だが少年は違った。
心許ないというエルマの想いをヨソに少年は力強くエルマの手を引くと、エルマを連れて街中を案内していく。
村長宅や少年の家、その他エルマが目をつけていた村の端々までを少年は迷いなく進んでいった。
少年の足取りは軽やかだった。
エルマが足元の雑草に足を取られようとする中、少年はひょいひょいとそれらをやり過ごしエルマが転ばぬ様にギュッとその手を支えながらエルマをエスコートした。
ここはムロン村。少年にとっては良く慣れ親しんだ故郷であり村の内部の隅々に至るまでを少年はよく熟知していたのだ。
少年に連れられてエルマは、村長宅、村の住民宅、村人の憩いの場などなどを歩き回りグルリと村を一周し散策を終える。
そうして再び村の入り口に戻ったエルマと少年であったが、村には人はおろか、動物の息遣い一つさえ感じられなかったのである。
村の入り口で立ち止まり、エルマはジッと暗闇の中たたずむ村の家々を見やる。
家々はジッと静まりかえりながら、高原の風に吹かれてはミシミシと音を上げるのみであった。
闇夜の中、生命の息吹をまるで感じさせぬ無人の村。
流石のエルマもそんな不気味な村を前に固唾を飲み、そうしてやもすれば突貫が過ぎた今回の探索を後悔していた。
―これ以上の探索は危険...かもしれないわね―
エルマは内心で呟く。
虫の声一つしない、ムロン村。
恐らく、原因は村に住み着いたという噂の男にある。男の正体は判然としないが、恐らくは外道魔術師の類であろうとの予想がエルマにはあった。
して、仮に男が外道魔術師の類ならば、魔術合戦で後れを取るつもりはエルマには無かったし、また唯の人間相手ならば、尚更の事である。
が、しかしそれでも何とも言えぬ不気味さをエルマはこの村、ひいてはまだ見ぬ男に感じていたのは確かだ。ムロン村には言外の恐怖が渦巻いていたのである。故にエルマは今後の進退を考えていた。
つまりは噂の男の邸宅へ強行してでも押し入るか...それとも何処か身近な所で夜を過ごし翌朝、男のもとへと踏み込むかという事だ。
しばし、考えこむエルマであったが、そんなエルマの手をギュッと温かい少年の手が力強く握りしめる。
少年へと視線をやるエルマ。
言葉を一切、喋らぬ少年。
松明に照らしだされた少年の表情はラドの村のいた時分よりも随分と柔らかかった。
確かに、村にいた時よりも幾分かは少年はエルマに心を開いている様にエルマには感じられたし、少年の自らを力強く握るその掌こそが何よりもの自らへの信頼の証であるとエルマは信じていた。
しかし、それでも少年の、漆黒の瞳の奥には絶望の色が色濃く残っている。
一体、彼がこの村で何を見たのか。何を経験したのか。
こんな年端も行かない少年をここまで、変えてしまったのはなんなのか。
エルマは少年を見やりながらジッと考え、その原因であろう噂の男や行商人に義憤を募らせていた。
エルマ自身、あくまで独善で少年を救ったに過ぎない。いや救ったという言葉さえはばかられるだろう。
行商人が気に入らない。ムロン村の探索を熟知した人間が欲しい。
そんな利己的な理由でエルマは、一時的に少年を行商人から引き離したに過ぎない。そのためエルマが噂の男や行商人を憎むのは筋違いである事はエルマ自身も重々承知していた。
が、少年の姿を前にすると嫌でもエルマにはた怒りとも悲しみとも言えぬ複雑な感情が彼女の記憶と共に沸々と沸いてくるのであった。
エルマは少年との短い旅の中で、彼に一種のシンパシーとも母性ともいえる複雑な感情を抱きつつあった。
絶望に染まった少年はまるで過去のエルマを映し出す鏡であったからだ。
誰一人として、過去のエルマには手を差し伸べる者はいなかった。
少年を救った所で、エルマの現在も未来も変わる事は無い。
また、エルマにとっての最大の目的は、事件の解決ひいては、彼女の栄達である事は変わらない。
が、しかし、ガラス細工の様に脆いエルマの心は少年のその漆黒の瞳を前に揺らいでいたのだった。
一人、少年を見やりながら感慨にふけるエルマ。そんな彼女の手が再びグイと引かれる。
手を引いたのは紛れも無い少年。
温もりを宿した少年の小さな手がエルマをグイと引っ張ったのだ。
手を引きながら少年は、エルマへと向けていた視線を町はずれの小さな家屋へと変える。
ハッとしながらも、エルマは、少年に倣い、小さな小屋へと夜目を利かせる。
居住街の一角から隔離される様に、村の郊外に...つまりは小さな林に囲まれて木造の小さな小屋があった。
小屋の輪郭はぼやけており判然としないものの、そこが噂の男の所在地であろう事はエルマには容易に想像できた。
「あれが...噂の男の家なのね」
エルマが呟くと少年はコクリと一度頷き、一歩前へと踏み出した。
エルマはそこでもう一度気を引き締めんと、ギュッと力強く少年の手を握りなおした。
そう、先ずは目先の任務である。少年に関しては後で考えれば良いのだ。
自らをそう納得させると、エルマはもう一度ジッと彼女の視界の奥にある小さな小屋を見やりそうして内心でつぶやく。
―鬼が出るか蛇が出るか―
いずれにせよ、エルマの心は既に決まっていた。
少年と共に歩を進めていくエルマ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
そんな言葉の通り、あの小屋の中にはエルマにとって未来を決めかねない重要な何かが眠っていると、エルマの魔術師としての直感が彼女自身に語り掛けている。
となれば、エルマには危険を顧みず進むより他、道はなかったのだ。
古びた木造の扉は劣化が激しく、エルマが引き戸を引くと、木の扉はギシギシと軋みながら、重々しい音を上げて、その重たく閉ざした口を開いたのであった。
扉を開くと同時に、エルマは身構える。
右腕を前方へと突き出しながら、彼女の炎のイドナをルビーの腕輪に収束し、いつでも術を放てる体勢を整える。
ゴブリンを倒した時と同様に、エルマの右腕に嵌った腕輪が赤く輝く。
そうして、輝く腕輪に照らし出されていく小さな室内。
古い木造建築の屋内。
そんな小さな屋内の隅で、壁に背を預けるようにしてもたれかかる男の姿がエルマの目に飛び込んでくる。
漆黒の外套に身を包んだ中肉中背の男。そして、黒の外套の下、彼が身に着けたプレートアーマーがエルマの腕元で輝くルビーの光を受けてぎらぎらと薄銀色に反射する。
エルマは男をじっと観察する。
男は中肉中背で、極端に筋肉質であったり逆に貧相だったりという印象はしたエルマは彼の姿からは受けなかった。
長く伸びた白髪を婦女子の如く髪の後ろで結いまとめる男。
帝都の若い女性たちの間では髪の毛を後ろの所で、まるで馬のしっぽの様に髪を結うのが流行っている。
丁度そんな風にして男は髪をまとめていたが、男が流行に乗っかって髪型を整えているわけでは無い事はその男の厳めしい相貌が物語っている。
男の顔は醜男では無くどちらかと言えば整っている方である。勿論、美少年という分けでは無い。どちらかと言えば、男性的な精悍な力強さを与える顔つきである。
そんな男は目つきを鋭くしながらエルマを見上げる。
「何の用だ? 」
芯に響くかの様な力強い声であった。
彼は身じろぎするわけでもなく、どうという事も無いといった様にエルマを見上げそう言った。
対する、エルマは、身構えながら男に返答する。
「宮廷魔術師エルマ・エルンスト、動かない方が身のためよ。この村での事件の犯人様を逮捕しにきたのだけれど」
エルマの声は震えていた。エルマの目の前で佇む男は形容するならば静かな獣という言葉が適しているだろう。
そんな獣の様な男にエルマは威圧されていたのである。そして、威圧されると同時に、エルマは男から動物の持つ一種の純粋さを感じ取っていた。
エルマは自らに渦巻くそんな感情を必死に抑えながら、男へと何時でも術を放てるようにと体勢を維持する。
そんなエルマをじっと見つめる男。そんな彼の表情はエルマの言葉を受け何処か物悲しそうに歪んでいた。
「村の事件...そうか。すまない」
彼はそう言うと小さく頭を下げた。それは果たして誰への謝罪であったのかエルマには察する術は無かった。が、一つ確かな事はエルマが男から直感的に感じとったのは彼の全身から漂う悲哀の感情であった。
―なんなの、この男...―
エルマはじっと男を見やりながら内心で呟く。
男は壁に背を預け、静かに佇み、その眉間に深い縦皺を作り、その赤い瞳を深い悲しみの色に染めている。
その瞳は少年と同じ絶望を知った者の眼であり、エルマが良く見知ったものであった。
故にエルマは、そんな男の態度を前にますます、戸惑わざるを得なかった。
男の言葉が演技だとはエルマには思えない。男は混じりけの無い悲しみにその身を僅かに震わせながら、苦悶に満ちた声を絞り出している。
勿論、エルマの幼少期を思えば人間などが信頼できない生き物で、容易に人を裏切り支配したがる連中である事はエルマ自身が良く知っていた。
しかし、人間をまずは負の側面から観察するエルマには珍しい事であったが、彼女は目の前の男からは人間特有の醜悪さを感じれなかったのである。
「...貴方の名は? 」
故に、困惑したエルマの口をついたのは彼女にとっては意外な言葉であった。
本来ならば、村の現状や彼が行ったであろう行為についてエルマは尋ねんと思っていた。
男の名前などはエルマには本来ならばどうでもよい事些事である。エルマが求めたのは事件の真相と解決、そしてその先に待つ彼女の成功であったのだから。
勿論、エルマはそのルビーの腕輪にイドナ集め、何時でも術を放てるようにと脳裏の中では魔術のイメージを固め続けている。
しかし、目の前の澄んだ瞳の男を殺す覚悟で魔術を放つ自信がエルマには無かった。
宮廷魔術師が仮に外道魔術師と対峙した際には、外道魔術師の存在を如何に処するかは全て、宮廷魔術師に一任されると帝国法にはある。
また、エルマ自身が邪悪たる外道魔術師に対する感情は魔物に抱くそれと大差が無いのもまた事実である、
が、こと目の前の男に対して、エルマは微塵の邪悪さをも感じ取れずにいたのだ。そんな直感から生じたエルマの迷いは汗となり、つつぅとエルマの頬を伝い、木床へと滴る。
そんなエルマをジッと見つめ続ける男。男は再びそっと口を開く。
「グス...いいや、ガーランドだ」
男は一旦言いよどみ、そして名を告げた。
名前を告げるガーランドであったが、彼は小さくピクリと動くと身を前方に屈める。
立ち上がろうとしたのであろう。
しかし、エルマはそんなガーランドの動きを見逃さない。
「待ちなさい! そのまま座っていて。さもないと魔術を撃つわ」
エルマはそう言うと、その指先でガーランドへと狙いを澄ましながら、何時でも炎の矢を放たんと身構える。
―撃ちたくない―
しかし、エルマの心は術の行使を拒絶していた。
仮に目の前の男が外道魔術師であろうとなかろうと、エルマは術を放ち男を殺すことを躊躇っていたのだ。
顔をしかめるエルマ。
そんなエルマであったが、グイと彼女がコートの裾が引かれる。
エルマは一瞬だけ後方へと視線をやる。
そこには少年の姿があった。
少年もまたジッとエルマを見上がながら、困惑した様な表情を浮かべながら首を振るのである。
まるで、ガーランドを攻撃するなと訴える様に何度も何度も首を振る少年。
そんな少年を見て、ガーランドが再び口を開く。そうして、ガーランドは苦渋に満ちた声を絞り出す。
「ベイス、すまん。俺の不手際で辛い思いをさせた」
ベイス、それはどうやら少年の名であったようだ。
ガーランドとベイス、二人の関係はエルマには伺え知れない。しかし、ムロン村の最後の生き残りであるベイス少年はガーランドという男に対して悪い印象を抱いていない様であるのは確かだった。
ベイスの瞳の絶望はガーランドの前に完全になりを潜めていたからだ。
故に、エルマは小さく深呼吸をする。
そうして、気を落ち着かせると再びガーランドへと視線を戻し、尋ねる。
「ガーランド...お話を聞かせて貰うわよ。貴方やベイス君、そしてこの村に何があったのかをね」
エルマは相も変わらず、その指先をガーランドへと向けたままであったが、しかし、その口調はやや穏やかであった。
ガーランドはエルマの言葉に頷くと、ポツリポツリとまるで彼の罪を告白するかの様に重々しく口を開くのであった。
エルマとガーランドの出会いです。