眠りについたベイス少年に麻の毛布を羽織ると、エルマはその寝顔を確認する。
暖炉にくべられた薪は煌々と燃え、寝息を立てながら静かに眠るベイス少年の穏やかな顔を鮮明に映し出していた。
そんなベイス少年の顔を見やりながらエルマは内心でホッと安堵した。
―こんな顔も出来るのよね―
人間はいとも容易に壊れてしまうものである。如何に屈強な人間も、高潔な人間も、小さな事がキッカケで人間の心はガラス細工の様に崩れてしまう事をエルマは良く知っていたのだ。村を壊滅させられ、半ば奴隷として扱われたベイス少年。
しかし、ベイス少年の心はまだ壊れていない。
エルマはそう感じながら、ベイス少年の額にその白磁の指を置くとゆっくりと這わせるようにして少年の前髪をかき分け、優しく撫ぜた。
微笑するエルマ。
そんなエルマを右隣で見やりながら、ガーランドは空の食器類を卓の端に寄せると卓上に十分なスペースを作る。
そうして、ガーランドはポツリと口を開く。
「ベイスの事は世話になったな」
ガーランドはそう言いながら、ベイス少年をみやり、その後、エルマへと視線を投げかける。
エルマを捉えたガーランドの赤い瞳は力強い意思の光を孕み、暖炉の中揺蕩う炎を浴びて薄っすらと光りを発する。
エルマがベイスを撫でる手を止めてガーランドへと視線をやれば、彼女の視界には力強く佇むガーランドの姿があった。
「別に大したことはしてないわ。ただ村の行商人が気に入らなかっただけだもの」
手短にエルマは答える。
エルマの言葉は確かに事実であった。彼女がベイス少年を商人から借り出した一番の理由は行商人が気に入らないという何とも幼稚じみたエルマの反抗心から生じたものであったのだから。
エルマは続ける。
「それより、あの子はこれからどうするの? 」
エルマが察するところでは、ムロン村の住人は全てがアンデット化もしくはアンデットにすらなれずに消滅し、アンデットとなった者達はガーランドによりせん滅されたはずである。
となれば、ベイス少年は天涯孤独の身となる。
まだ年端も行かぬ少年が一人で生きていける程、世界は優しくない。
それはガーランドも良く理解してるのだろう。ガーランドの双眸はベイス少年に注がれている。
その瞳はまるで深海の海の様に深い情の感情が宿っている。少なくともエルマはそう感じていた。
多くを語らぬガーランド。
しかし彼は、
「アクアヴァレイに知人がいる」
と手短に、しかし熱のこもった声でエルマから視線を反らすとそう言った。
―不器用な男...―
エルマはそんなガーランドを見やりながら静かな表情を取り繕いながらも、内心で微笑した。
今、エルマとガーランドを繋ぐのはベイス少年であり、ガーランドの言葉の中にエルマは彼なりのいたわりを感じたのだった。
エルマはガーランドを見やる。
始めて会うその男はエルマにとっては、特異的であり分類分けが難しかった。
粗野なイメージはある。しかし、村人の様な卑屈な感じはしなかった。
何処か貴族を思わせる高貴さがあったか、しかし、その割にはガーランドには華がなかった。
ガーランドへと視線を送るエルマ。そんなエルマへとガーランドが向く。
「して、宮廷魔術師、問題はノスフェラトについてだが、お前はどの程度奴らの特性を知っている? 」
ガーランドの秘色の眼がエルマへと向くと、やはり彼は無表情で言った。
しかし、無表情であるがガーランドにはこうこうと燃えるかの様な、言外では言い表せぬ覚悟の様な感情が浮かんでいる、エルマはガーランドをみやりながら、そう感じていた。
と同時に、エルマにとってはガーランドの言葉はエルマ自らにとっての試練でもあった。
ガーランドの瞳は鋭く、それはエルマにとっては学生時代に教師が諮問という形で生徒に対して甲乙をつける際のそれと同じであった。
―ふーん、私を試そうってところかしら? 上等よ―
エルマはふふんと鼻を鳴らすと模範生の如く声高に答える。
「知能の非常に高い魔族。そうね、人間をありとあらゆる面で超越しているわ」
エルマはそうして、自らの人差し指をその淡桃色の唇にそっと沿わすと小さく立てる。
魅力的に微笑えむ。
微笑しながらエルマは脳裏で最善の答えを演算していた。
「過去の帝国の目撃例は41例。目撃例のうち、30例は前回の北伐において第七騎士団によるもので、その内の半数が魔術で滅されているわ。その他7例も宮廷魔術師に滅せられている」
エルマはそうして、一例一例と具体例を挙げながらガーランドに解答を示していく。
ガーランドは黙すのみであったが、しかし、エルマに反論する事は無かった。
「一応は解剖学的には人間と同じ構造をしているはずよ。ただし、例外は“魔術衣”」
言いながら、エルマは内心で改めて自らが行おうとしているノスフェラト討伐が如何に大それた挑戦であるかを思い苦笑した。
―魔術衣―
魔族のみが持つ特性であり、それこそが彼ら魔族を超越者たらしめていると言っても過言では無い。
そして、その存在こそが非魔術師が魔族を討伐を困難にしている最大の理由である。
魔族はほぼ反射的に自らを守る不可視の障壁を展開する事が可能である。
障壁と称したがそれが何であるかは詳しくは分からず目下、宮廷魔術師達の間で、特にエルマが属する白色魔術師達は“魔術衣”について机上の空論を展開していた。
最も、原理は説明できねども、現象は誰もが理解している。
あえて言うならば、それは魔族が自らの体表のその周囲に張られた透明の膜と言えるだろう。
最も膜と言えば軟弱なイメージを与えるが、実際はまるで異なる。
“魔術衣”は凡そ、鋼鉄程度ならば容易に弾き飛ばすほどの強度を有しており、事実、それを物理的に打ち破るには圧倒的な剣撃を持ってして、若しくは無数の弓射を持ってして初めてなされると言われている。
故にそんな“魔術衣”を有する魔族を滅する方法は凡そ三つに大別される。
一つはそれこそ圧倒的な手数を持ってして攻める事。もう一つは、魔族が反応し自らの周囲に“魔術衣”を展開する前にその命を滅する事。
最も、これらの方法で魔族を打ち破った例などは全体の中ではごく僅かであろう。
それこそ、第七次北伐の際に鬼神とも称された第七騎士団の者のみが成し遂げた程度である。
魔族を滅する最善の手は唯一つである。
エルマはそこで唇の前に添えた人差し指をスッと左方に移動させる。
途端、ポッとエルマの指先に魔術に光が灯った。
「“魔術衣”なら私の魔術が相殺するわ」
“魔術衣”を打ち破る最善の技こそがこそが、アンガレス帝国を未だに大陸の覇者せしめる奇跡の法たる魔術である。
ガーランドはエルマの指先で燃え盛る炎を見やりながら、眉をひそめつつも一度頷く。
それはガーランドにとってのエルマに対する彼なりの信頼の証であった。少なくともエルマはそう捉えていた。
「次はこっちの番よ。貴方の実力はどの程度なのかしら? 」
エルマは言いながらその炎灯る指先をガーランドへと向ける。
今度は教官はエルマであった。
そんなエルマに対してやはり、ガーランドは顔色一つ変えずに小さく口を開く。
「魔物ならばそれこそ、数えた事は無い。魔族に関してはノスフェラトを...騎士級を二体。男爵級を一体だ」
―冗談でしょ...―
エルマは驚愕のあまり、その眼を大きく見開く。
エルマにはガーランドの言葉が性質の悪い冗談にしか聞こえなかったからだ。
ノスフェラトに関して男爵級以上を討伐したものは帝国では数える程度である。
古くは70年前に現代魔術師の父とされるファロム、近年で言うならば、第七騎士団の面々がそれに該当する。
して魔術以外で男爵級以上のノスフェラトを討伐した者など第七騎士団を除けば皆無である。
流石のエルマもガーランドの言葉には苦笑するしかない。
そうしてエルマはそれまでの微笑をやめるとキッとガーランを睨み据える。
「真面目に答えなさい、ガーランド」
エルマの深い青の瞳には怒りの念が籠っていた。しかし、ガーランドはそんなエルマを一向に介する様子は無く、やはり黙りこくりながらじっとエルマを見つめるのであった。
しばしの沈黙。
して、エルマは、はぁと小さくため息をつく。
「どうやって倒したの? 」
これ以上の沈黙は無駄であるとエルマは感じたのだった。
そうして根負けしたエルマはため息交じりにそう言った。
対して、ガーランドは僅かに首を左方へと向ける。
「あの剣で奴らを殺した」
ガーランドの秘色の瞳の先には巨大な剣があった。
部屋の隅、壁に立てかけらる様にして飾られた大剣。
いや大剣という言葉はその鋼鉄の塊にはあまりにもチープな表現であったかもしれない。
エルマの全身を優に超える程の巨大なソレは最早、剣という単語ではくくる事は出来ない。
ただあるだけで、威圧感を放ち、空気を淀ませる巨大な鉄の無慈悲。一見すれば、人には扱う事など出来ないであろうあまりにも巨大な鋼鉄そのもの。
エルマはジッとガーランドの言う所の剣を見やり、小さく息をのんだ。
「あれを振るえるなら、確かに魔族も打ち破れるかもしれないわね...でもそれじゃあ、まるで貴方が化け物よ」
エルマは、苦笑しながら何という事も無く言った。
がしかし、そこで始めて、ガーランドの表情が小さく動いたかと思えば、彼は微笑した。
エルマはハッとした。ガーランドの微笑。
口元を僅かに緩め、そうして笑ったガーランドのその表情には、複雑に絡み合った多くの感情が混ざり合っていたからだ。
怒りも悲しも喜びも、諦念したかの様な絶望の色も、ありとあらゆるものが交じり合っているとエルマには感じずにはいられなかったのだ。
呆然とするエルマへとガーランドは微笑しながら視線を送ると、彼にしては珍しく上機嫌に口を開く。
「宮廷魔術師、お前の言う通りだ。俺は奴らを殺す化け物だよ」
ククと笑うガーランド。
その姿は、一見すれば不気味であった。
事実、エルマは背中に冷や汗を感じながらガーランドを見やっていた。
が、しかし、エルマは不気味さ以上にガーランドの中になんともいえぬ寂寥感を見出していた。
―貴方も復讐者なの...―
エルマは口まで出かかった言葉をなんとかやり過ごす。
そうして、自らを奮い起こす様に、得意の微笑を浮かべる。
「だったら、頼りにさせて貰うわ。それと...」
エルマはそう言うと、もう一度、人差し指唇の前にかざしてジッとガーランドを見やる。
「私はエルマよ。これからパートナーとして戦う以上は名前で呼んで貰うわ。貴方はガーランドで言いかしら? 」
エルマの言葉を受けて、ガーランドは再びその表情を無の色に染める。そうして、今度はうって変わって重々しい口調でエルマに答える。
「ガーラで言い。共に戦った連中は俺をこう呼ぶ」
「分かったわ。それじゃあ、ガーラ。お話を先に進めましょう」
して、エルマは小さく手を叩くと、自ら達の敵たるノスフェラトについていよいよ議論を開始した。
ガーランドは語る。
ムロン村の惨劇のその張本人こそノスフェラト、ヴァルノミス。
ガーランドの知るノスフェラトの中でも特に高慢であり、そして執念深い男である。
かなりの実力者でありながらも、しかし、己が敵と直接矛を交える事を良しとせず、謀略を持って敵を貶めるのを最善とする卑劣漢である。
事実、ガーランドがムロン村でヴァルノミスと対峙した際には彼はアンデットと化した村人達をまずガーランドに襲わせ、そうして、アンデット達が敗れれば彼自らは早々に撤退したのであった。
勿論、ヴァルノミスもノスフェラトの端くれであったし、アンデットと化した村人の数は、それこそアンデットにさえなれずに消滅した村人を除いてもそれこそ20は下らなかった。
ンデットを滅し、そうしてノスフェラトさえも撃退させたガーランドであったが、勿論、その負傷には眼をつぶる事は出来ずに気づけば彼は村の中で意識を失ったのであった。
そうして、ガーランドが目を覚ましたのは数日の後であった。
その後、ガーランドは負傷に負けじと、ベイス少年を隠した森の後に戻ったがその時は既に時遅し。
森の中にはベイス少年の姿は見当たらなかったのだ。
本来ならばベイス少年の事は勿論だが、直ぐにヴァルノミスの追跡を開始したいガーランドであったが、彼が負った傷は思いのほか重く、小屋に一人身を置き回復に専念していた所、丁度エルマ達が現れたとの事であった。
エルマはガーランドの話を聞きおよびジッとガーランドを見やる。
よく見れば、彼の身を覆ったプレートアーマー。その左下腹部の部分はまるで熱で溶かされたようにひしゃげており、裂孔が空いていた。
そうして、そんな裂孔の下から僅かに顔を覗かせるガーランドの、鍛え上げられた側腹部にはただれた様な熱傷の痕が見てとれた。
最も、よくもそんな軽症ですんだものだとエルマはむしろ内心でガーランドの幸運に驚愕していた。
大凡、プレートアーマーの傷跡を見やれば、その傷の原因は魔術による熱による影響と思われる。もしも直撃であればガーランドは消し炭になっていただろう事は魔術師のエルマには容易に伺い知れたからた。
「まったく、嘘みたいな話ね。でも、まぁ...貴方が一人生き残ったという事を考えれば、真実なんでしょうけどね」
もう、エルマは何が何だか分からなくなりつつあったが、しかし、確かにガーランドは今ここに生きている。それこそがエルマにとっての答えであったのは確かである。
エルマは続ける。
「それで、ヴァルノミスは今、何処に? 」
エルマが尋ねるとガーランドは視線を窓の外へと向ける。その視線の先の遥か先にはラドの村があった。
ハッとするエルマ。
「もしかして、ラドの村に? 」
ガーランドは驚愕するエルマへと視線を戻すと深々と頷く。
「そうだ、エルマ。奴は山麓の村にいる...はずだ」
「はず? どういうこと」
歯切れ悪く言うガーランドにエルマは問い返す。
「逃げ際に奴が言ったのだ。ラドの村の連中と盟約を果たしたとな...恐らく、下の村に奴を手引きした者がいる」
「何故? だってラドの村は宮廷魔術師たる私に依頼を出したのよ...なぜ...」
エルマは何度も何度も自らに問いかける。
しかし、何故に対する答えは示されず堂々巡りが続くばかりであった。
そんなエルマを見かねたのか、ガーランドが口を開く。
「もしやすれば、ヴァルノミスの口封じにエルマ、お前を雇ったのかもしれぬ。いずれにせよ、答えはラドの村にある」
ガーランドの言う事は真理であった。
エルマはなるほどと頷くと、情報を整理していく。
そうして、二人は今後について夜が更けるまで語り合い、そうして一段落つけた所で休息を取る事とした。