夜が明けてエルマはガーランドとの取り決め通りに早々にムロン村を後にした。
エルマが任されたのは怪しげなラド村に引き返し、内部事情を調べる事。そして、ノスフェラト、ヴァルノミスの正体の居場所を掴む事であった。
そうしてムロン村を後にしたエルマはラド村への唯一の出入口たる桟橋まで至るのであった。
昨日、苦戦を強いられた桟橋を、この日もおっかなびっくりエルマは進んでいく。
勿論、そんなエルマの傍らには、彼女のお供としてラド村に同行することとなったベイス少年の姿がある。
この少年はエルマの手を引きながら、一歩一歩と確かな足遣いで、その不安定な足場を進んでいった。
エルマは恐怖にひきつらせながらも、少年の手を力強く握るとつり橋をほうほうの体で進んでいく。
ちらりと少年へと眼をやるエルマであったが、そんなエルマの視界には、はつらつとした表情を浮かべるベイス少年の姿がある。
昨日までの絶望に彩られた少年は、勿論、完全に以前の少年らしさを取り戻したわけでは無かろうが、しかし人としての輝きを取り戻しつつあった。
そんなベイス少年の姿を前にエルマは安堵の念を漏らすのであった。
―彼はまだ壊れていなかった―
勿論ベイス少年が失ったものは決して眼を瞑れるようなものでは無い。
彼はアンデットと化した両親に襲われ、そして、ベイス少年自身も理解しているであろうがその家族を、村民達を全て失った。
だが、それでも少年は壊れていなかった。
エルマは自らの手を力強く引きながらつり橋を渡っていく少年の、その芯となる部分に一種の尊敬さえも覚えながら恐々とした足取りで遂につり橋を渡り終えたのであった。
つり橋を渡れば後はラドの村までは下りの山道が続くだけである。
空を見上げるエルマ。
まだ、日は東の山際からその頭を僅かに覗かせる程度であり、まだ早朝と呼ぶにふさわしい時間である。
ふむと思い、エルマは天を仰いでいたその視線を眼下に広がる山道へと移す。
なだらかな傾斜を作りながら、曲がりくねりそうしてラドの村へと至るあぜ道がそこには存在していた。
あぜ道には、切りたった足場や、生い茂った雑草の群れ、そしてゴツゴツとした岩々が各所各所に点在している。
エルマ自身、よく登ってこれてものだと感心してしまう程の難所だらけの山道である。と同時に、エルマは勿論、下山の危険性についても重々に承知していた。
しばし、下山ルートを見やりながらエルマは一息つくと再び、少年の手を握り共に山道を慎重に下って行った。
結果、数度エルマは尻もちをついたものの、思いのほか下山は順調であり、結果、昼の少し手前にはエルマ達はラドの村長宅へと到着したのであった。
村長宅には、この日、村長含めて村の重鎮たる者達が一堂に集っていた。
村長宅の広い居間、その中心にある円卓に腰かける一同。
玄関口から一番近いところに客人たるエルマが腰かけ、エルマと向かい合うようにして村長が席に着いた。
そうして、エルマと村長との間に続々と村人達が腰かけていき、合計10人を超える村人たちがエルマを囲い居並ぶ。
座した彼らはそれから、今回の招集人であるエルマを一同にやる。
そんな彼らの視線を受けながら、エルマは口を開き報告を始めるのであった。
「村長、言われたとおりにムロン村の調査を済ませてきました」
エルマはそう言うと、少しもったいぶったような仕草で、エルマの隣で給仕の様にして立つベイス少年へと眼をやる。
ベイス少年は、エルマの視線を受けて事前に言われていた通りに、よそよそしくも彼の足元に置いた大きな麻袋をゴソゴソとまさぐりながら、中におさめられていたモノを卓上へと広げる。
卓上に広がる黒い布の塊。
村人たちの視線がエルマを離れ、一同にその薄汚れた黒いズタ布へと向けられる。
所々が破け、赤黒い斑点が飛散したソレはもはや外套の体をなしておらず、それが何であるか、村人たちは理解するのにしばしの時間が必要であった。
が、そのズタ布から匂い立つ鉄の匂いが村人たちに生々しいまでの戦いの匂いを植え付けた。
途端、村人たちは、その赤い斑点がまさしく人血であり、そのズタ布はかつて噂の外道魔術師と思われる男が身に着けていた外套であると気づく。
そんな村人達をエルマは具に観察していた。
エルマとガーランドは一計を案じたのである。
エルマとガーランドが互いに争い合い、そしてエルマはガーランドを討伐したという体を繕う。
そうして、エルマは何食わぬ顔でラド村へと戻り、ノスフェラト、ヴァルノミスの関係者を炙り出すというモノであった。
エルマは迫真の演技を続ける。
「なかなか強力だったわ。でも、彼はただの人間でね。魔術で一撃だったわ。まぁ焼死体ならムロン村に放置してあるけれど見ない方がいいと思うから代わりに彼が羽織っていた外套を手土産に戻ってきたのだけど」
エルマは言いながら挑発的な視線を村人達へとやる。
瞬間、エルマの周囲に腰かけた村人達は、微笑を浮かべる少女にまるで魔を見たかの様に顔をこわばらせて、そうして小さく息を飲んでいた。
そんな彼らの姿をジッと見定めるエルマ。
エルマは自分の左に腰かけた者から順々に時計回りで彼らの顔色を逐一伺っていく。
一人、また一人と観察していくエルマ。
なるほど、確かに村人たちが感じているのは混じりけない恐怖であり、そしてそれが自らに向けられているであろうことをエルマは直感的に察した。
三人目,四人目と村人へと視線を移し、そうして、丁度、5人目に眼を移したところでエルマはピタリと視線を止める。
青ざめる村人達の中、ただ一人の例外をエルマは見つけたのだ。
丁度、エルマと対面する様に腰かける村長は、他の村人とは一線を画していた。
村長は、まるで血の気がひいた様に顔を青くして、その皺だらけの相貌に薄っすらと脂汗を滲ませていた。恐怖の表情という点ならば村長は他の村人と相違なかったが、しかし一点異なる点があった。
それは村長の視線である。
多かれ少なかれ、村人達はエルマに視線をやるか、おっかなびっくりといった感じで卓上に広げられたズタボロの外套へと視線を落としている。
そんな中で、村長のみはその視線をエルマに、そして窓の外にと泳がせていた。
エルマはそんな村長の姿を見逃さず、その冷静沈着な青い瞳を村長へと固定させる。
「でも彼は外道魔術師では無かったわ。となると村長、もしかすれば別の所に真の犯人がいる可能性も否めません」
エルマはジッと言葉を慎重に言葉を続けていく。エルマはあくまでノスフェラトの事は知らぬ素振りで、怪しいと思われる村長から少しでも情報を聞き出す必要があったのだ。
そんなエルマに村長は「はぁ」と小さく絞り出すようにして答えた。
エルマは立ち上がるとグイと卓へと身を乗り出して口調を強める。
「もしやすれば、これは帝国にとって一大事となるかもしれません」
エルマは自分でも演技派が過ぎるとは思いつつも村長へそう投げかけた。
そうして、自らをもって白々しいと思いながらも小さく頭を振るエルマ。
「この村もムロン村の二の舞にならないとは限らないのですよ」
エルマの瞳子の奥が怪しげに光る。その光は真っすぐに村長へと注がれる。
村長はそんなエルマの視線に気づいたのか、はたまた、それ程の余裕は無かったか、いずれにせよ彼は顔をその頬を伝う脂汗をシワガレタ手で拭いながら、エルマに頷く。
エルマもまた、頷く。
エルマは自分でも別に特別商談に優れていると思った事は無いし、寧ろ、自らの不器用な性格から本業たる魔術師の領分を超えて他分野に精通しているなどとは、口が裂けても言えなかった。
が、エルマにとっては村長は良いカモであった。
エルマの瞳には狼狽する村長の姿が鮮明に映っている。
―直にぼろがでるわね―
エルマは内心でそうつぶやくと更に村長をたたみ掛ける。
「村長、これは一大事であるとご理解できていますか? 」
エルマは眼を細くしながらジッと村長を見やる。
村長はここにきてやっと言葉らしい言葉でエルマに返答する。
「もっ...もちろんですとも」
最も、村長の返答はただの反射であった。そこには村長の意思はみてとれない。
エルマの瞳に映る村長はいわば混乱状態にあった。
あと一押しと思い、エルマは村長をまくしたてていく。
「では、これより村の男を7人程貸して頂けますか? まずはこの周辺を探りたいので」
エルマは村長を見下ろし気味にそう言った。
そんな鼻につく様な態度のエルマに、元来の村長であったら悪態の一つもついて応じたであろう。
が、エルマの持つ宮廷魔術師としての肩書により、村長は、美醜は別としても村の小娘と幾分も姿の変わらぬ少女に帝国の姿そのものを重ねていた。
故に村長は彼元来の保守性も相まって、ただただ萎縮するばかりであったのだ。
故に口調は弱い。
「その、しかしラド村はただの田舎村です。大事件が起こるなどとは」
村長の視線が揺れる。その様はまるで、自らとノスフェラトのヴァルノミスを天秤にかけているかの様にエルマには映った。
―醜悪ね―
内心でエルマはごちった。
とはいえ、エルマは表情を崩さない。
「より山村のムロン村で事件は起きたのですよ。何処に何があっても不思議じゃないです」
エルマはあえて、手短に言うと更に続ける。
「このラド村もムロン村の二の舞になりかねませんよ」
恫喝するエルマ。
そうしてエルマがその視線を村長から周囲の村人一人、一人へと移していけば彼らは顔を引きつらせていく。
そうして。
「村長、早く村を挙げて捜索すべきだ。今は宮廷魔術師様もいるんだぜ」
と村人の内の誰かが言った。
そんな男の言葉が啖呵となった。
男の言葉が伝播したかの様に次々に村人が声高に叫んでいく。
彼らは一様に、見ず知らずのエルマに賛同すると、普段ならば決して口にしないであろう言葉を持ってして村長を罵っていく。
村長に対しての冒涜は、村長の実績に対する無能から始まり、彼の家族や先祖に対しての批判まで及んでいく。
彼らはただただその場の勢いに乗じて、普段のうっぷん晴らしとばかりに村長を非難しているであろう事がエルマには一目瞭然であった。
彼らは、エルマの憎む醜い田舎の人間達であった。
最もエルマとしては、村人達を内心で憎々しく重いっていたのものの、現状はエルマにとって好ましい者へと推移していた。
エルマの視線の先、彼女と対面する様にして腰かけた村長はわななきながら明らかに怒気にその顔を赤く染めている。
激情というものは人を狂わせる事をエルマは良く知っていた。
いよいよ村長がボロを出すぞと、エルマは一人黙りながら村長を見た。
そして、エルマの予想は当たった。
罵詈雑言が飛び交う中、村長は震えながら、その拳を固く握りしめ、そうして振り上げ...
ガツン
と卓上を力強く叩きつけた。
途端、それまで熱にものを言わせて村長をなじり続けてきた村人達が閉口する。
村長は目を大きく見開き一同を睨みやり、最後にエルマへと視線を戻すと取り繕ったかの様にへつらって笑った。
「分かりました。では捜索隊を用意しましょう。が、しかし村人たちは仕事等で多くが農地へと出払っております。ので、捜索隊の編成はしばしお待ち下さりませ」
「ええ、そうですね。では、その間は私の方で単独で調査させて頂きます」
エルマは言いながら微笑する。そして、その視線を窓の外へと投げかける。
「まずは村の東側を捜索しようと思います」
エルマの微笑を前に、村長は凍り付いた。
エルマの視線の先は、先ほど村長がたどたどしく村の外へと視線をやっていた例の場所と合致していたからだ。
「あっ...村の東側には特に何もありませぬぞ」
村長は相も変わらず取り繕った様にへつらっていたがその声は震えていた。
「えぇ、そうかもしれませんが。まぁ念のためにです」
しかし、エルマは村長の動揺から彼女の目的たる噂のノスフェラトが近くにあろうことを確信していた。
「では...」
村長が静かに声を震わせる。
そうして、再び視線を泳がせながらエルマを見やる。
「では、村長たる私もご同行しましょう。して、探索の前に腹ごしらえと...いきましょうか」
村長の一言にエルマはなるほどと思った。
確かにエルマ自身、朝から歩きどおしで小腹が空いてきたのは事実であった。
が、勿論エルマは、怪しげな村長が用意する食事に口を通すつもりなど無かった。
そこでエルマは一度頷くと村長へと返答する。
「同行はありがたいですが、私はこの子を...」
少年へと眼をやったエルマは体の良い言い訳を用意する。
「この子を行商人の方のもとへ連れて行かなければならないので、昼食は別にさせて頂きます」
勿論、エルマは少年を行商人のもとへと連れていくつもりなど無かった。
エルマは、このまま、少年をガーランドの元へと帰還させる腹でいた。
ベイス少年はいい飛脚といっていいだろう。
ベイス少年とエルマは視線を交わすと互いにニコリと微笑んだ。
そうして、エルマは丁寧にベイス幼年の手を取ると、村長に一礼する。
エルマは、最後に、昼過ぎには戻ると村長に告げると早々に村長宅を後にしたのだった。
エルマはベイス少年をガーランドの元へと帰還させて、そうして、朝方に無人のムロン村から拝借した麦パンと簡単な果実を胃に収めて昼食とした。
腹ごしらえを済ませたエルマは早々に村長宅へと赴くや、村の探索に乗り出す。
そうして、村を東へ東へとエルマと村長は進んでいく。
エルマはただジッと村長の振る舞いに眼を凝らしていく。
エルマは彼女の隣を歩く、一見すれば気の弱い老人を監視せずにはいられない。
直感的にエルマは男に嫌悪感を抱いていたのだ。
それは、例えるなら泥の様なねっとりとした全身を這いまわるあの嫌な感覚に似ている...とエルマは感じたのだ。
やはり、エルマの隣を進む男の顔には覇気が無く、まるで何かをしゅん巡するかの様にしながらその相貌をくしゃくしゃに歪めていた。
その背後に何があるのか...エルマはそれを確かめねばならなかった。
気づけば、エルマは村長を連れて村からやや離れた林道へと足を進めていた。
林道と言ってもそれは、村のあぜ道の延長のようなものであり、村の中よりいくらか木々が増えた程度である。
エルマが周囲をみやれば、丁度二人が通るあぜ道の両脇には雑多に大きく天高くその穂先を伸ばした木々の姿があった。
周囲から秘匿されたそこは密談には最適な場所である。
―ここまで来ればいいかしら―
そうして、エルマが端と足を止める。
村長へと振り向くエルマ。
村長の瞳は恐怖の色に染まっているかの様にエルマには伺えた。
そんな村長をエルマは毛嫌いしつつも、己の本能を理性で抑えながらエルマは口を開く。
「ここまで来ればもう村人はいないわ。ムロン村の一件説明願えるかしら? 」
それまでとは異なる口調で言いながら、エルマはスッと村長へとその右腕をつきだす。
エルマの白くすんだ腕元に嵌り、きらりと光るルビーの腕輪。そして、エルマの指先に灯る鮮やかな炎を前に、村長は固唾を飲んだ。
「なっ...ムロン村の事と言われましても....」
村長は明らかに動揺しながら一歩後ずさる。
そんな村長へとエルマはますますその視線を強める。
「全部言わせるつもり? ノスフェラト、ヴァルノミス...ねぇ村長、魔族と人間の取引が違法なのは知っているでしょう」
エルマは挑発的に言った。
それは一見すれば少女が発した一言であったが、こと村長は心臓が掴まれたかの様に「ひっ」と叫ぶや一歩後退した。
と、共にエルマは合点がいった。
―ムロン村を生贄にしたのね―
内心でエルマは大いに目の前の村長を軽蔑したが、務めて表面上は冷静に振舞う。
「答えなさい、村長」
更に刺すような視線を村長へと送るエルマ。
村長は恐怖故か、とうとう、ガクリと膝をついてしまった。
そうして。
「すみません」
村長はその視線を地に落とし、小刻みに振戦する。
そして言った...
「す...すみませぬ......ヴァルノミス様っ! 」
ハッとしたエルマが振り返った時には既に全ては手遅れであった。
振り返ったエルマのその視線の先、静かなる林道に男の姿があった。
黒の紳士服で身を固め、黒のシルクハットをかぶった長身の男であった。
見目はよく、病的な程に白い肌のその男は、綺麗に整った唇を開くと言った。
「永久<とこしえ>の眠りにつけ」
にやりと男が微笑むと同時に微風がエルマへとたなびく。
それは穏やかな微風であり、林道の立ち並ぶ木々の葉を僅かになでながらエルマへと吹き付ける。
―しまった、これは...―
魔術である、とエルマが認識した時には既に時遅し。
ぐらりとエルマの視界がぐらつく。
必死に表をあげるエルマ。
エルマの目の前で悠然と佇むヴァルノミスは口角を釣り上げて、足元覚束ないエルマを見下ろしながら愉悦げに笑っていた。
「村長、なかなかいい贄を用意したな。人間にしてはなかなかの素材だし、見目も良い」
エルマのぐらつく視界の中で、ヴァルノミスなる美男子はべろりと舌なめずりした。
端正なヴァルノミスの貌が醜悪に歪んでいく。
が、しかし、エルマにはヴァルノミスの外見を評する程の余力は無かった。
エルマは彼女を襲う睡魔の前についにガクリと膝をつき、そうして前のめりに倒れたのであった。
「村長よ、女は、魔術師だ。服を剥き、魔術装具を外し、裸にし、幽閉しておけ」
エルマは服を脱がせるというその言葉に内心で恥辱を感じながらも、その耳元に僅かに響く男の声を前に遂に完全に意識を失ったのであった。