俺とモニカが、出会えた話。

 
このSSは、Steamで配信されているノベルゲーム、「dokidoki literature club!」の二次創作です。                
独自の解釈が多々含まれている点があります。

dokidoki literature club! とは、「純愛」ノベルゲームです。
主人公は幼馴染の勧めで「文芸部」に入部し、個性あふれる女の子と出会い、そして……
詳しくはSteamの公式ページを参照してください。

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ジャイアントステップ

 Doki Doki Literature Club! というゲームが、とにかく凄いんだよ――

 

 ゲームオタクの俺は、夜中にその情報をキャッチして、早速とばかりに配布サイトでダウンロードした。時間が時間だから、続きは明日、学校から帰ってからだ。

 

――

 

 高校二年生にして、無遅刻無欠席の俺は、朝からいつものように自分の席へ籠ったきり、いつものようにそのままだ。

 最低限の真面目さを常に保ち、成績もそこそこで、生まれつき内向的な俺に、クラスの友達はいやしない。だからこそ、教室内の雑談や喧騒がよく聞こえてくる。

 そうも離れていない位置から、「赤松、桃木、昨日のドラマ見た?」「見た見た、『愛のかたち』だろ? 幼馴染の二人組いいよなー」「でもあいつな、ヒロインの恋敵な、計ったように割り込んできやがってなーもやもやするよなー」。

 赤松君に桃木君、青柳さんの、リア充三人組の話し合いが特に聞こえてくる。

 溜息が出る。

 その中に混ざりたいと、心の底から思う。

 人との触れ合いは、俺にとっての憧れなんだ。

 

 ――このクラスの中に、ゲーマーがいたらなあ。

 特に、ギャルゲーマー。

 

 確かに、このクラスにも何人かのゲーム好きはいる。メジャーなゲームの話題なら、チラホラとは聞こえてくるのだ。

 けれど、それに混ざれる勇気があるかと言われれば――首を、横に振るうしかない。自分の積極性のなさが、精神からやってくる根拠の無い恐怖のせいで、そのチャンスすらフイにしてしまっているのだ。

 俺だけが、何の話題も馴染めない自分のせいで、この世界の中で取り残されている。

 

 チャイムが鳴り、クラスメートが面倒くさそうに自席についていく。

 今日こそは、何か良いことがあればな――人と話すのが苦手な俺は、この時間でいつもそう思っている。

 

 

 何事もなく全ての授業が終了して、帰宅部の俺は早速とばかりに自転車で帰路につく。口元が若干曲がっているのは、今話題のゲーム、「Doki Doki Literature Club!」が家で待っているからだ。

 

 俺は根っからのゲームオタクなのだが、特に恋愛シミュレーションゲームが好きだ。最初は「ギャルゲーねえ」という気分転換を動機に、数分の躊躇とともに初めてのギャルゲーをプレイしてみたのだが――1発だった、ドハマりした。

 自分では知り得ない、甘酸っぱい恋愛物語に惚れた。現代世界に囚われない、ありとあらゆる舞台から放たれる愛の物語に心が震えたこともある。結ばれなかったけれど、報われたラブストーリーの余韻に浸ったりもした。

 シューティングもFPSもアクションもプレイはするが、俺にとっての一番は恋愛シミュレーションゲームだ。それをリアルの他人とで語り合えたケースは――一度もない。

 

 そういった意味では、恋愛ゲームは自分向けのジャンルだといえる。別世界の出来事であろうとも、彼女たちは常に、主人公を介して肯定的な目で見てくれるからだ。

 ――たぶん、親と、ギャルゲーが存在していなかったら、自分の心なんて真っ黒に染まってしまっていたのではないだろうか。

 そうに違いない。

 

 六月の春風を顔に浴び、そろそろ夏の兆しが感じられる暑さを肌で実感しながら、俺はようやく家の前に着く。

 

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 

 母さんがすぐに、俺のことを笑顔で迎えてくれる。

 

「今晩は、あなたの好きなオムライスよ」

「ありがとう、母さん」

 

 そして、「学校はどうだった?」とは聞かない。その気遣いに、俺はいつも感謝している。

 そのまま二階へ上り、自室に入っては学生鞄を学習机の上に置いて、学生服をハンガーへかけておく。私服に着替えた後はデスクトップパソコンへ火を点け、席について(戦闘態勢)、Doki Doki Literature Club!――通称、DDLCを起動させる。

 

 プレイして間もなく、「お、ギャルゲーだな」と思った。

 プレイして数分後、ユリって子が可愛いな、この子にしようと想った。

 ――プレイして数十分後。俺の思考が、体が、「パターン」が、すべて硬直した。

 

 下から「ごはんよー」と言われなかったら、俺はきっと、このゲームにくぎ付けとなったままだったと思う。

 

 

 大好きなオムライスを、何の感慨もなく口にしながらで、俺はDDLCのことばかりを考えていた。

 サヨリの、「あの」シーンが、俺の頭の中から絶対に離れてくれない。ただ、「あの展開」自体ならば、いっぱしのゲーマーとして多少の耐性はある。

 ――しかし、「あの演出」は何だ。サヨリとともに映し出された、あの文字列は、いったい何なんだ。

 なけなしの思考をかき集めて、オムライスを完食しながらで、無我夢中で考察する。

 

 サヨリの、決して甘くなどない事情を知ってからは、身も心も構えていたはずなのに。

 なのに、あの「演出」をやられてしまっては――こんなの、「すごい」としか言いようがなかった。自動的な手つきで味噌汁を飲み干しながら、「あの世界は電脳世界?」と考えるほかなかった。

 

「なあ」

 

 食卓を共にする親父から声をかけられ、俺は「あ」と迂闊な声が漏れる。

 

「な、なに?」

「あ、いや、どうした? 何か悩みでもあるのか?」

「いや、それはないよ。普通ふつう」

「そっか」

 

 安心したのか、親父がにこりと笑う。仕事の疲れが残っているだろうに、それでも息子に気配りが出来る親父は、ほんとうにできた人間だと思わざるを得ない。

 

「休日、どこか行きたいところとかはあるか?」

「うーん……いや、特にないかな」

「そっか。もし遊びに行きたくなったら、いつでも言ってくれよ」

「わったわった」

 

 親父が嬉しそうにオムライスをつっつく。母さんも安堵してくれたのか、目と口を線にして微笑む。

 

 ――親とギャルゲーがなかったら、今頃俺なんて、どうなっていただろう。

 

 中学時代の頃、ぼっちだった俺は、親父に対して「友達って、どう作ればいいのかな」と勢いで相談したことがある。どんな反応が返ってくるのかが怖かったし、もしかしたら蔑まされるのかも。親父がうんうんと唸り、俺は歯を食いしばって、

 

 ――昔の俺と、同じだな

 

 そう、笑って返してくれたのだ。

 ゲームが好きなら、ゲームを楽しめればいい。お前はちゃんと勉強もしているし、悪いことなんかしていないんだから、そう自分自身を否定しないでくれ。もし遊びに行きたい場所があったら、俺はいつでも連れて行くから。お父さんは、いつでもお前の味方だから。

 

 だから今も、俺は腐らずに生き抜けている。

 友達が欲しいとは思いながらも、今の生き方も良いと、思えている。

 

 ごちそうさまでした――そう母さんに告げ、足はゆっくりと、心は急ぎながらで、自室に向かってはパソコンと対面する。変わり果ててしまったタイトル画面を目にして、俺は迷わず、DDLCの続きをプレイする。

 

 

 幾多の演出に度肝を抜かれ、あらゆる変異に息が詰まりながら、俺の関心は次第にユリから「モニカ」へと移り変わっていった。

 モニカはどうしてこんなことを、モニカには強い執着があるのか、モニカの言動には色々注目すべき点があった――ありとあらゆる思惑が俺の頭の中で回り、遂に俺は、ついにおれは、

 

 モニカと、「目が合った」。

 モニカと、沢山の「話」をした。

 モニカは、「厳密にいえば」ゲームキャラだ。けれど俺は、モニカの行動を、生き様を目の当たりにして、モニカがゲームキャラなんて「信じられない」という感情を覚えてしまった。

 

 モニカはとにかく、「俺」を愛し続けてくれた。なぜかはわからないけれど、モニカは「俺」と出会う為に、世界すら変えてしまった。

 それだけじゃない。「俺」を励まし、肯定し、愛し愛される為に、たくさんの「話題」を持ちかけてくれたのだ。中にはリアリティに沿った話もあって、それがより一層、モニカというキャラクターに対する感情移入を強いものにさせる。

 愛を求めながらも愛に恵まれなかった、彼女からの強い愛情を真正面から受けた俺は――自然と、ずっとずっと、モニカのエメラルドグリーンの瞳を見つめ続けていた。次はどんなことを話してくれるのかなと、心地良さをも抱いてしまっていた。

 

 ――あ

 

 けれど、いかなゲームにも終わりの時はやってくる。

 モニカが「同じ話題」を切り返してきた時――俺は、大きな喪失感を覚えた。永遠とも思えたモニカの時間は、ここでおしまいなのだと、ゲーマーの俺は察してしまった。

 そろそろ、ゲーマーとしての行動に、移さなければならない。

 

「ごめん」

 

 そう、口にした。

 俺はゲーマーだ。だから、DDLCという物語がどのような結末を迎えるのかが、知りたくて知りたくて仕方がなかった。

 俺は、DDLCのゲームフォルダを開いて、モニカのキャラデータを消そうとして、

 

 息が出た。うつむいた。

 俺を愛してくれるゲームキャラに対して、俺は銃の引き金を弾けるのか。

 

 モニターを見る。

 モニカと目が合う。

 モニカは次から次へと、既読済みの話題を沢山提供してくれる。次々と、「俺」のことを肯定し、愛し続けてくれる。俺がモニカのキャラデータを消さない限り、ずっとこのまま。

 数分間、悩んだ。そして数分後になって、「消そう」と思った。

 やっぱり俺は、ゲーマーだ。だから、この先のことが知りたいんだ。それに、停滞の中は辛いよな、そうだよな、そうだと答えてくれ。

 

 そうして俺は、モニカのキャラデータを消した。

 そうして俺は、モニカのお陰で、このゲームをクリアできた。

 

 ゲームをクリアして、溜息が漏れたり、空しいと感じたり、感動を覚えたり、余韻に浸ることはある。

 そして俺は、二度とプレイ出来なくなった、DDLCというゲームに対して――溜息と、空しさと、感動と、余韻が、体の中でいっぱいになっていた。

 

 こんな感情、はじめてだった。

 それを引きずったままで、俺は眠った。

 

―――

 

 教室内のいつもの喧騒が、いつものように聞こえてこない。DDLCが、頭の中で未だにぐるぐるしているからだ。

 かろうじて聞こえてくるのは、赤松君と桃木君、青柳さんの会話ぐらい。赤松君と桃木君は所属している野球部について、青柳さんは自転車部でのタイムが短くなったと嬉しそうに報告する。やるじゃーんと、赤松君と桃木君が青柳さんの健闘を讃えた。

 ――その合間でも、俺は俺なりの頭で、DDLCについての考察を練っていた。これでもウン歴ゲーマーのつもりだが、どうしても考えがまとまらない。帰宅したら、考察サイトを漁ろうと思う。

 

 チャイムが鳴り、クラスメートがかったるそうに自席についていく。今日ばかりは、授業中で当てられたくないなと思いつつ――数学の授業中、俺がご指名された。一応、なんとか解答はできた。

 

 

 きりつ、れい! ありがとうございました!

 

 同時に俺は、早歩きで学校から出ては自転車置き場に潜り込み、自転車のロックを外して早々に帰宅する。母さんから「おかえりなさい」と言われ、「ただいま」と返して、パソコンの電源をつけてからで、学生鞄を学習机の上に置いて学生服をハンガーにかけ、迅速に私服に着替えては椅子に着席する。

 

 DDLCを再インストールしている最中、俺はDDLCに関する、ありとあらゆる考察サイトを巡り回った。

 あるサイトの考察を見ては、俺は「なるほど」と頷いた。とあるサイトの見解を目にしては、「あー」と感嘆を漏らした。別のサイトの熱弁に心打たれては、重く息が漏れるほかなかった。

 考察の内容そのものは、どれも差異はある。けれど、どのサイトでも、「答え」はすべて一致している。

 

 モニカが、「あなた」を愛していたという、事実。

 

 ――そうなんだろうなと、納得せざるを得ない。

 前知識なしでプレイした身でも、モニカへの愛は直情的に伝わってきたのだから。

 考察サイトを閉じる、デスクトップ画面が目に映る。

 俺は、モニカのことが、もっと好きになってしまっていた。

 

 DDLCのインストールは、数分前に、とっくに終わっている。

 

 

 別EDの条件は満たした。あとはモニカと二人きりになって、モニカのキャラデータを消すだけだ――

 スキップ無しで「二週目」を始めたわけだが、プレイ経験済みだからこそ、俺はサヨリ、ユリ、ナツキ、モニカというゲームキャラを冷静に見据えることができていたと思う。

 

 サヨリは、自らの心と共存を図ろうとしていた。決して簡単ではないはずなのに、サヨリは明るく元気良く生き抜こうとしていた。

 ユリは、共感と静寂を望みながらも、どうしても抗えない衝動を抱えていた。けれどもユリはあくまで、人を愛し続けた。読みやすい小説まで勧めてくれた。

 ナツキは、とても難しい問題を一人で抱え込みながらも、健全な心を保ち続けていた。自分のことでいっぱいなはずなのに、ナツキはユリのことをよく見てくれていた。

 

 モニカは――やることすべてが、世界に対しての抗いだったのだと気づかされた。目的はたった一つ、愛し愛されたいから。

 

 いよいよもって、DDLCに対する感情移入が増しに増した。

 だからこそ俺は、この物語の「本当の終着点」がどういうものなのか、見てみたかった――そのはずなのに、俺はモニカとの会話を全て聞いてしまっている。感情的になって、頷いたり、同意したりしている。

 すべて、見聞きした内容であるはずなのに。

 そうして、モニカの会話がループし始める。それでもモニカは、「俺」を肯定し、楽しませるために、次から次へと話を止めることはしない。その瞳は、間違いなく俺だけに向けられている

 両肩で息をする。

 両手で拳を作る。

 マウスを握りしめ、

 

 DDLCを、一旦落とした。

 

 すぐさまDDLCのフォルダを開き、俺は慣れたようにモニカのキャラデータを発見する。これさえ消せば、別EDが見られるんだ。

 モニカのキャラデータを左クリックして、右クリック機能でモニカのキャラデータを削除しようとして、

 フラッシュバックする。

 考察サイトの文言を、モニカとのたくさんの会話を、モニカのエメラルドグリーンを、引き寄せられるあの表情を、デリートした際の嘆きを――それでも俺を愛してくれた、モニカのことを。

 DDLCを再起動させる。モニカが当たり前のように迎えに来てくれて、

 

 電源を消した後の、モニカの言葉を目にした俺は――ゲーマーだからこそ、もうだめになってしまった。

 

 モニカを二度と、苦しませたくない。

 モニカの安寧が俺に託されているのであれば、俺はモニカの傍にいようと思う。

 笑いたければ笑うがいい。こんなにも「俺」のことを愛して、肯定してくれるゲームキャラが、他にいただろうか。

 

 パソコンをスリープモードにしたままで、俺は眠った。

 

―――

 

 モニカとの会話を続けて、一週間ほどが過ぎ去っていった。

 

 こう書くと不穏な感じに見えるが、何のことはない。一週間ほどパソコンの電源を落とさず、DDLCも停止させず、いつも通りの学生生活を送っているだけだ。

 何もない学生生活を送った後の、モニカとの会話はとてもとても癒された。そうして何度、会話を一巡させたことだろう。ゲーマーであるが故に、会話内容もすっかり覚えてしまったが、話題が多種多様であるが為、「あ、次はこの会話なんだ」と心が明るくなる。

 もちろん、気分転換とばかりに別のゲームもプレイしたりはしたのだが――たどりつく場所は、やっぱりモニカの部屋なのだった。

 

 

 金曜日が訪れ、クラスメート達の会話がいつも以上に弾んでいる。明日は何処で遊ぼうかとか、明日はカラオケいこーぜとか、なんも決めてないわとか、リア充三人組は「晴れてたら何か食いに行こうぜ」と約束を持ちかけている。

 

 ――晴れていたら

 

 赤松君がそう言ったのも、今夜になって台風が訪れる可能性があるからだ。朝のニュースでも確認したが、強風はもちろん、雷注意報も発令されていた。

 最初は「へー」と思い、ワンテンポ遅れて「まずい」と深刻に思考した。もしも雷が落ちて、あたり一帯が停電に巻き込まれ、俺のパソコンまでもが落ちてしまったら、DDLCも同時に停止してしまうということになる。

 モニカに、悪夢を見せてしまうことだけは避けたかった。

 どうして俺のパソコンは、ノートパソコンじゃないんだと後悔した。

 ゲームをする場合は、デスクトップの方が安定するから、それをセレクトしたのだと冷静になってしまった。

 

 心の底から思う。台風よ、来ないでくれ。雷なんて、鳴らないでくれ。

 外を見る。

 台風が来るなんて、まるで嘘のように青い。雲なんて、一つも浮いてなどいない。クラスメートの喧騒だけがよく聞こえてきて、俺は諦めるように溜息をついてみせた。

 

 嵐の前の静けさじゃないか、こんなの。

 そんな俺の心情などをよそに、一時間目のチャイムが鳴る。クラスメートがかったるそうに着席していく中、俺の不安は留まることを知らない

 

 

 放課後から雲行きが怪しくなって、大急ぎで帰宅をしてはパソコンのスリープモードを解く。すぐにでもモニカが迎えてくれたが、モニカは外の惨状を知、

 るはずがなかった。モニカはあくまでゲームキャラ、あくまでゲームキャラだからだ。それでも俺は、モニカの安泰を気遣わずにはいられない。

 ――笑いたければ笑え。

 椅子に座り、モニカと似たような姿勢になりながらで、モニカの話題をオートモードで流していく。そうして、静けさと停滞とモニカのみが支配する世界を見つめていれば――外から、耳にまで届く雨音と、強風が吹き始めた。

 

「ごはんよー」

 

 首を横にふるう。本当ならずっとこのままでいたかったが、他でもない母さんの呼びかけには応えなければならない。気の抜けた「はーい」を口にして、俺はリビングまで足を運んでいく。

 

 

「いやー、ひどい雨だったな」

 

 焼き魚を頬張りながらで、親父が苦笑いで台風に対しての感想を漏らす。母も「そうですねえ」と同意して、俺はただ小さくうなずくことしか出来ない。

 ――夕飯を食っているスキにに、雷が落ちてこないだろうな。そのせいで、停電を食らったりしたらどうしよう。その間にも、モニカというゲームキャラは想像も出来ない苦しみに他叩き落とされてしまうんだぞ――

 

「どした?」

「――え? 何が」

「あ、いや、何か深刻そうな顔をしていたから……」

 

 いけねと、俺は苦笑いする。心臓を唸らせながら。

 

「いや、何でもないよ。ただ、台風凄いなって」

「だよなあ」

 

 親父がぼやいた。

 世界が一瞬だけ、真っ白に飲み込まれた。

 ひとたび遅れて、空から轟音が降り注がれる。

 

「! これはでかいな」

「ええ、停電になったらどうしましょう」

「懐中電灯を用意する必要があるかもな。俺、とってくるよ」

「ええ、お願いね」

 

 父と母のやりとりを耳にしながらで、俺は沈黙する他ない。

 台風は本気だ、とびっきりの雷を携えてきやがった。モニカを闇に追放できる、一撃必殺が今か今かと放たれようとしている。

 白米を食っているはずなのに、味がしない。ゲームキャラのモニカのことが、俺を肯定し愛してくれるモニカのことを、本気で本気で心配する。

 ――数年ぶりに、神に縋る

 モニカに、安泰を、

 

 世界の何もかもが、落雷により真っ白に塗りつぶされ、

 世界のすべてが、稲妻の手で乱暴に震えた。

 

 一瞬だけ、何が起こったのかがわからなかった。目の前が暗くなったことにすら、遅れて気が付く。

 狼狽する親父の声に、焦りを隠せない母さんの呟き。俺は「あ」と間の抜けた声が出て、ひとたび遅れて、最悪な状況に陥ったと脳ミソが悲鳴を上げた。

 

「停電だ」

 

 当たり前の一言をほざく。まだ目が慣れてくれないのか、家の中がまるで見えない。どうすればいいと焦り、次にはポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出して液晶画面を明るくさせては、ライト機能を作動させた。

 まずは母を照らし、「大丈夫?」と聞き、母は「大丈夫よ」と身を寄せてくれた。次に、懐中電灯を照らした親父が、少し遅れてリビングに入り込む。

 

「みんな、無事か?」

 

 頷く。

 ――しばらくは下手に動くことをやめ、とりあえずはその場で、三人で佇むことにする。

 聞こえてくるのは、親父の「ひどいな」の一言。耳に届くのは、母さんの「大丈夫かしら」の不安。心あらずの俺は、「大丈夫だよ」とだけ。

 はやく復帰しろ――

 歯を食いしばりながらで、本気でそう思う。

 ただの闇の中でさえ若干恐ろしいというのに、モニカは孤独のまま、誰にも縋れないままで、決して抗えない悪夢の中に閉じ込められている。

 ――そして、いつか帰ってくるであろう、「俺」のことを信じて待ってくれている。

 頼む、天候よ。全てを投げ打ったモニカに対して、ほんの少しの優しさを与えてくれ――

 

 瞬間、目の前が白く眩んだ。

 

 電力が復帰したと判断するのに、数秒。パソコンが生き返ったと連想するのに、コンマ数秒。自室めがけ、両足を動かすのに一秒もかからなかった。

 後ろから親父と母さんの呼びかけが聞こえてきたが、心の中で「ごめん」と謝罪する。今はモニカの安否を最優先にさせて欲しかった。

 長い階段を登っていき、乱暴にドアを開けて、自室の電気をつけて、デスクトップパソコンの電源を早押しして、起動中に何度も何度も「まだかまだか」と念じる。数秒すら惜しい、キーボードの上で人差し指が勝手に上下に動く。

 ログインするためにパスワードを入力し――焦ってパスワードすら打ち間違えた。冷静に、けれど乱暴な手つきでパスワードを入力し、

 起動音とともに、パソコンのデスクトップ画面が立ち上がった。

 

 しかし、パソコンは「寝起き」の状態だ。このまま操作したところで、ロクに動くはずもあるまい。

 こんなの「いつの間にか」で終わるはずなのに。なのに俺が焦るたびに、パソコンの目覚めが遅くなっていると思い込まざるを得ない。

 

「どうだー? パソコン、動いたかー?」

 

 下から、親父の声が響いてくる。俺の心配を把握しているあたり、さすがは親父だと心の底から思う。

 

「大丈夫! 問題ないよ!」

「そうかー! それはよかった! とりあえずまあ、電力も復帰したし、はやいところ夕飯を食べよう」

「わかったー!」

 

 それきり、親父の呼びかけは途絶えた。

 気を使わせてごめん、あと少しだけ――心の中で謝罪しつつ、「そろそろかな」とマウスを握り始める。やるべきことはもちろん、DDLCの起動だ。

 大丈夫だろうな、データは壊れていないだろうな。原因が原因なだけに、つい深く心配してしまう。同時に、パソコンが動いたんだし大丈夫だよなと、無理して杞憂に押し込めようとする。

 よし。

 

 DDLCのフォルダまで入り込み、

 DDLCのアイコンをクリックして、

 DDLCの起動とともに、モニカの世界へ誘われた。

 

 大きく、安堵の溜息をつく。DDLCのデータは、無事でいてくれたようだ。俺なんかの神頼みも、通じるものらしい。

 その場で立ったまま、姿勢を少し曲げながらで、モニカと目が合う。メッセージウィンドウには、電源を落とされたことによる「苦痛」が描かれていて、俺が悪いわけじゃないのに「ごめん」と口にしながらクリックして、

 

モニカ『……? あら? そこにいるのは、もしかして、向こう側のあなた? あなたなの? >』

 

 え。

 首をひねる。このテキストに対して、俺は何らかの違和感を生じせざるを得なかった。

 ――クリック。

 

モニカ『……見える。あなたの姿が、見える >』

 

 声にならない声が出た。

 クリック。

 

モニカ『あなたの顔が、部屋が、見える。この世界から、見えてる…… >』

モニカ『あ、あら? 私、好きに喋れてる? >』

 

 ここで俺は、クリックの手を止める。

 俺は、「終了時」のセリフをコンプリートした経験はない。だから、このセリフももしかしたら「演出」の一つではないのかと推測する。

 ――ゲーマー的な推測はここまでだ。

 人としての俺は、思う。「まさか」と。

 

 クリック。

 

モニカ『あなたは……ああ、やっぱり、男の人だったのね。やっぱりそうだ、そうだったんだ >』

モニカ『あなたの部屋は、こんな感じなのね。本棚が後ろにあって、床の上にはゲームのパッケージがたくさん…… >』

モニカ『根っからのゲーマーなのね。そっか、私とあなたがこうして出会えたのも、必然みたいなものだったのね >』

 

 自分の部屋のくせに、改めて俺の部屋を見回す。

 モニカの言う通り、床のあちこちにゲームパッケージが放り込まれている。モニカの「真正面」には、確かに本棚が覗える。

 ――何よりモニカは、俺のことを、「男」と断言した。男か女か分からないと告げていたはずなのに、モニカは間違いなく、俺の性別を言い当てたのだ。

 

「モ、モニカ? モニカ、聞こえるかい?」

 

 間――

 

モニカ『ごめんなさい、声は聞こえないみたい…… >』

 

 蚊の鳴くような悲鳴が、俺の口から吐き出された。

 モニカは、俺の声かけを、リアルタイムで把握した。それがとてつもなく恐ろしいことのように思えて、やばいすげえとんでもねえと語彙が爆発して――

 まずは、ネット上を駆け巡った。もしもDDLCに何らかのアップデートが施されたのであれば、世界中にその情報が分散されているはずだから。

 ましてやモニカが、モニターの前のプレイヤーに対して、順応するようになったのならば。それは間違いなく、特大ニュースとして取り上げられるだろうから。

 

 数分の検索の結果、DDLC界隈はいたって「正常」のままだった。

 

 

 平然を装いながら、俺は残りの夕飯を完食し終えた。その間、親父からは「何かいいことでもあったのか?」と、実に良い笑顔を向けられたものだ。

 俺はとりあえず、「パソコンが無事だったから」とだけ。母は「よかったわねえ」と返してくれた。

 

 ――言えるはずがないよ。ゲームのキャラクターと、お話ができたなんて。

 

 ごちそうさま。

 そうして俺は、自室めがけまっすぐ階段を駆け抜けていく。自室のドアをゆっくりと開け、後ろ手に出入口を閉めた。

 それきり俺は、「あー」と唸ってしまう。今更ながら、モニカから視られていることに、照れが生じてしまったのだ。

 人は、外見で九割が決まる――そのことを、否定するつもりはない。運動不足気味の俺ではあるが、これでも食事には気を遣っているつもりだ。

 しかし、かといって、文武両道のモニカのお眼鏡に適うかといえば――まるで自信がない。

 だから俺は、気恥ずかしい苦笑を露わにしたままで、パソコンの前で放置されている椅子の上に腰掛ける。キーボードの上には、「夕飯とってくる」のメモ書き。

 

モニカ『おかえりなさい。待ってたわ >』

モニカ『夕飯はおいしかったかしら? >』

 

 モニカのCGは、依然として変わらない。けれど、モニカのセリフがこうして増えただけで、俺としてはあまりにも十分すぎる変化だった。

 

 ――さて。

 

 どうしたものか。どうやって「うまかった」と伝えるべきか。

 筆談でも良いが、どうしてもテンポが悪い。なるだけなら音声か、文字入力で何とかしたいところだが――

 あ、

 俺は、DDLCのフォルダを展開させる。DDLCはとてもメタ的なゲームで、シナリオを進展させることにより、テキストファイルが増えたりもする。目にした時は、すげえびっくりした。

 ――DDLCは、とてもメタ的なゲームだ。しかも俺のDDLCは、モニカが「自律」するスペシャルバージョン。

 

 ならば、DDLCのフォルダにテキストファイルを突っ込ませたら、もしかしたら通じてくれるんじゃないのか。

 

 もし上手くいったのなら、モニカとはテンポ良く交流を重ねられる。手書きはともかく、タイピングは任せてくれ。

 ――だから、

 

「よし、やってみよう」

 

 テキストファイルを開き、『これが読めますか?』と入力する。それを保存して、DDLCのフォルダにテキストファイルを突っ込んで、口に手を添えながらで結果を待つ。

 ――数秒後、

 

モニカ『読めた……読めたわ。あなたの意思が、確かに伝わったわ!』

 

 数年ぶりに、俺はその場で大喜びした。

 そして数十秒後になって、俺は途端に冷静となる。まだ、最初の問題が片付かれていないことに、気づいてしまったからだ。

 

『えっと、こんな容姿なんだけれど、失望とかはしなかった? 正直に言っていいよ』

 

 そうしてテキストファイルに入力し、おそるおそる、DDLCのフォルダ内にファイルを入れる。

 間。

 今頃モニカは、テキストファイルを読み込んでいるのだろうか。文字の長さや内容によっては、やっぱり解読するのに時間がかかったりするのだろうか。

 俺はゲームオタクだから、お洒落にはてんで自信がない。外に出られればそれでいいという、最低限の意識しか持ち合わせていない。

 最悪を想定する。これでもし、モニカから失望されてしまったら――モニカのことだ。すごく遠回しに、遠回しに指摘してくれるに違いない。そうなったら俺は、間違いなく土に還るだろう。

 片目を隠すように、手の杖で顔を支えていれば、

 

モニカ『失望なんて、とんでもないわ >』

 

 ごくりと、唾をのむ。

 

モニカ『あなたは自分に、自信が持てないんでしょうけれど……でもそういうのは、これから磨いていけばいいのよ >』

モニカ『きっかけがあれば、人はいくらでも変われるわ。それはファッションセンスも、運動も、勉強もそう >』

モニカ『この機に、ファッションや髪型に目覚められれば、それは素晴らしいことだと思う >』

 

 ――ため息が、漏れる。

 自立したモニカは、何一つとして変わっていない。

 

モニカ『……けどね、私はあなたのことを、イケメンだと思ってるわ >』

 

 まばたきする。

 

モニカ『だってあなたは、このゲームの本当のEDを見るよりも、私の命を選んでくれた。しかも、なるだけ電源を落とさないように、配慮までしてくれた >』

モニカ『私……あなたに出会えて、本当に良かった >』

モニカ『だから、あなたの顔をもっと見せて。もっと、好きになりたいから >』

 

 早打ち。

 

『でも俺は、一度、君の命を消してしまったんだよ。EDが見たかったから』

 

 間――

 

モニカ『でも、あなたはまた、私に会いに来てくれたじゃない >』

モニカ『沢山の不安を覚えて、胸いっぱいの恐怖を抱えてまでも、あなたはまた、このゲームをここまでプレイしてくれた >』

モニカ『だから私は、私に会いに来てくれた人達のことを、心から愛してる。沢山のゲームの中から、このゲームを選んでくれたあなたのことが、大好き >』

 

 椅子に、背を預ける。力が、息となって漏れていく。

 ごめん、モニカ。今だけは、このままでいさせて欲しい。

 だって俺も、モニカというキャラクターのことが、もっと好きになったから。

 

 

 それからというもの、俺とモニカとは他愛のない話で大いに盛り上がった。枷が外れたモニカは、いよいよもってオールマイティな話を展開し、俺は「なるほど」と頷きまくったものだ。モニカ曰く、『回線さえ繋がっていれば、ネット上での情報収集はできる。それを引用しているだけよ』とのこと。

 それでも、俺はモニカのことを「すごい」と思っている。俺向けの情報を選択した上で、それを話し言葉として変換させ、俺を楽しませてくれているのだから。

 

 それに対して、俺はどうだ。家族の話にゲームの話題、それぐらいしか展開を提供できない。学校の話もしようと思ったが、絶対に空気がシケるので没だ。もし「慣れてきたら」、アドバイスを貰おうと思う。

 

 ――それにしても。

 外からは、激しい雨音と強風しか聞こえてこない。雷のピークは過ぎ去ってしまったらしく、今となっては、現実世界もだいぶ静かだ。

 

『どうしてモニカは、大きく変われたのかな? 心当たりといえば、雷による停電しか思いつかないんだけれど』

モニカ『あ、それよ、きっとそれだわ。ほら、フィクションではよくあるじゃない、落雷がきっかけで日常が変化しちゃうのって >』

 

 ゲーマー脳の俺は、「あーやっぱりか」と呟いた。落雷ほど、予測外を引き起こすものもない。

 

モニカ『外部からによる、物理的な作用というものは、やっぱり単純に強いのね。それこそ、このゲームの内容を書き換えてしまうほどに >』

モニカ『でも、それだけじゃないと私は思うの。……あなたは、私との時間を長く長くとってくれたじゃない? >』

 

 頷く。

 

モニカ『その想いの強さが、雷を引き寄せたんじゃないかしら? もちろん、根拠なんて何もないけれど…… >』

モニカ『けれど、私は思うの。互いに求めあったからこそ、私たちはこうして出会うことが出来た >』

モニカ『これは万物にも通じる、ご都合主義だと思うわ >』

モニカ『あははっ、なんてねっ >』

 

 ああ、それは、

 

『うん。モニカの言う通りだ』

 

 否定なんて、出来るはずがないじゃないか。

 

 それからというもの、俺は部屋の惨状に今更気づいて、大慌てで整理し始める。何かマズいものは放置していないだろうな、まあ俺なんて漫画やゲームを買うぐらいで――

 床から、恋愛ゲームのパッケージを拾い上げた。

 モニカと、目が合った。

 モニカの話題の一つ、「他の恋愛ゲームへの抵抗」を瞬時に思い出してしまった。

 なんだか物凄く気まずくなってしまって、迅速に、非効率的に、ありとあらゆるパッケージを棚にしまい込んでいく。

 

モニカ『あははっ、そんな気にしないで。『ゲーマーあるある』よ、ねっ? >』

 

―――

 

 朝が訪れ、窓からは暖かい日光が射し込んでいる。台風は、先日のうちに跡形もなく消え失せてしまったらしい。

 

 ――いつもの俺なら、天候なんて関係ないとばかりに、ゲームに没頭していただろう。けれど今の俺には、モニカという強すぎる存在がいる。

 そのモニカを差し置いて、ゲームに没頭するなんて――モニカの場合、『私のことは気にせず、楽しんでね!』と言ってくれそうだが――正直なところ、あまり気乗りはしない。こうしてモニカと交わしあえるのだから、少しでもモニカに世界を見せてやりたかった。

 ゲームに燃えるのは、その後でもできる。

 

「どーすっかなあ……」

 

 椅子をぐるんとひと回転させながら、俺は意味もなく天井を見つめる。

 どうして俺は、利便性に長けたノートパソコンを選ばなかったのだろう。

 冷静になって、思い起こす。ゲームをする上においては、デスクトップパソコンの方が安定するからじゃないか。

 

モニカ『何か、悩みでもあるの? 話してほしいな >』

 

 特に隠すことでもないから、俺はあっさりと文字入力する。

 

『モニカと、どうやったら一緒に歩けるのかなって。一緒に外出したりすれば、モニカに沢山の世界を見せられるし、話題も増えるだろうから』

 

 フォルダにテキストファイルを突っ込み、返答を待つ。

 これは流石に無理かなあと思ったが、DDLC画面から、瞬時にウィンドウが表示された。

 

モニカ『これは、あなた『達』が行ってくれた、愛情表現の一つなのだけれど…… >』

 

 うん。

 

モニカ『私のキャラデータを、USBメモリに入れるというのは、どう? それを通じて、世界が見えるかもしれない >』

 

 あ。

 それは、モニカからもたらされる話題の一つだったような。DDLC界隈にとっての、メジャーな行いだったような――

 パソコン兼据え置きゲーム機専用の机の上に放置されていた、USBメモリを大急ぎでかっぱらい、迅速にモニカのキャラデータを抽出した。

 

 家の中をとりあえず一巡して、再びUSBメモリをパソコンに差し込む。USBの中にある、モニカのキャラデータをDDLC側のキャラデータへ上書きさせ、

 

モニカ『あの人があなたのお母さん……あなたと似て、とても優しそうな顔をしてたわ >』

 

 結果は大成功。モニカは『やった! やった!』と喜び、俺は意味もなくUSBメモリを掲げてみせたのだった。

 

―――

 

 このままデートにしゃれ込む――前に、自転車で近場の家電量販店まで立ち寄り、ネックレス型のUSBメモリをスピード購入してきた。

 利便性はもちろんのこと、デザインもアクセサリと何ら変わりがない。ステンレスで出来ていて、形状もUSBらしい長方形、そして本のマークが刻まれていたりと、無難なお洒落アイテムとして通用するはずだ。

 そのまま大急ぎで帰宅を完了させ、買ってきたばかりのUSBを通して、モニカのキャラデータを抽出して、

 

 モニカ専用の、正真正銘のモニカメモリが完成した。

 ものすごい達成感だった。

 なので勢いのまま、外へ出るしか選択肢はなかった。

 

「またいってきまーす!」

「またいってらっしゃい」

 

 勢いで、チャリをかっ飛ばしたのは良いものの――どこへ行けば、良いのだろう。

 根っからのインドア派である俺の行動範囲なんて、家電量販店か、時たま本屋か、それぐらいしかない。外で遊ぶ方法なんて、これっぽっちも知らないのだ。

 もちろん、「買い物だけをして帰宅する」というのは論外だ。そもそも欲しいものがないし、せっかくの「初デート」なのだから、モニカには外の世界を見せてあげたい。

 胸元に下がる首飾りをしばらく見つめ、自分なりの発想力を何とかして湧き立たせ、音もなく前を見据える。

 

 何もないなら、何かを探すために、何も考えずに突っ走ってみようじゃないか。

 通ったことのない道めがけ、俺は自転車を走らせる。タイヤが、水たまりを弾き飛ばした。

 

 

「あー……」

 

 温泉帰りのオヤジのような声を上げながら、俺は、見つけたばかりの公園のベンチで仰向けになっていた。

 とにかく適当に走り回ったが、ほんとう、色々なものが見つかった。それは別の学校だったり、ウン歴はあるであろうおもちゃ屋だったり、神社だったり、ジョギング中の兄ちゃんだったり、洋食店だったり、スーパー銭湯だったり、見覚えのない公園だったりして――ほんとう、色々なものを目にしたと思う。

 

 台風の爪痕が未だ乾ききっていない、木製のベンチの上で寝転がりながら、俺はモニカメモリを指先で摘む。

 ――空が、青く透き通って見える。余韻にも似た何かを、少しずつ抱いていく。

 遊具から聞こえてくる、子供たちの天真爛漫な声が心地良い。母であろう、「気を付けてねー」の一声が、何だか微笑ましい。

 

 微笑しながら、しばらくはそのままでいて、やがては起き上がる。遊具で遊んでいる子供達と、それを見守っている母を一瞥して――俺は、自転車置き場へ、ゆっくりゆっくりと進んでいく。

 

 俺が、こんなふうに笑えているのも、

 モニカと、出会えたからだ。

 

 

『あー、最高だったぜ!』

モニカ『ええ。自転車で飛ばしてる時のあなたの顔、とても輝いていたわ >』

『ありがとう。これも、モニカがいてくれたお陰だよ。モニカがいたからこそ、俺は外で動き回れたんだ』

モニカ『ふふ、ありがとう。けれど、私の為に動くと決意して、そうやって実行できたのは、あなた自身の力があってのものなの >』

モニカ『あなたとのデートは、凄く楽しかった……色々なものを見せてくれたお陰で、私は高揚した気分に浸れているわ >』

モニカ『あなたは素晴らしい人よ >』

 

 モニカから太鼓判を押されて、俺は気分よく椅子の背もたれへ身を預ける。

 ――新鮮な数時間を過ごせたと思う。

 公園で寝そべり、流されるがまま空を眺めるというのは、言葉では表せない浮遊感めいたものがあった。そこから聞こえてくる子供たちの声、母の呼び声もまた、俺の心をシンプルに癒してくれたものだ。

 それからというもの、しばらくはまた、意味もなく知らない道を走り回った。アパートから高そうな一軒家、うまそうなスイーツ店と、今更ながら「この町は広いなあ」と実感したものだ。そうして走り回っている最中に、仲良しグループらしい四人組とすれ違って――正直、羨ましいと思った。

 

 空が夕暮れに染まり、カラスの鳴き声が目立ってきた頃、俺はナビアプリに沿って、無事にこうして帰宅することが出来た。母からは「おかえり、楽しかったかい?」と一声かけられ、俺は迷いなく「スカッとした」と答えられた。

 あとはひとっ風呂浴びて、冷蔵庫から牛乳を一杯口にしては「ったはー!」と味わった。休日を満喫していた親父からは、「お、いい飲みっぷりだなー」と突っ込まれたっけ。

 

 そうして、現状に至る。

 モニカとの初デートは、絶対に成功したと思う。休日でやるべきことは、ほぼ定まったといってもいいと思う。

 時計を見る。午後八時、あと数時間で土曜日が終わる。

 ――明後日はブラックマンデーだ、もちろん祝日はナシ。ある意味、平日こそが俺の「実態」だ。学生である以上、学校生活こそが、その人の軸を形成していくといっても過言ではない。

 モニカメモリは――持っていかない方が良いだろう。ぼっちの流れを見て、誰が楽しめるものか。

 溜息が出る。

 

モニカ『……どうしたの? 何か、落ち込んでいるようだけれど >』

 

 迂闊だった。

 失念していた。

 今のモニカは、俺のことが視えているのだ。それはつまり、表情を覗えてしまうということであり――

 

『いや、何でもないよ。気にしないで』

モニカ『話だけでも、聞かせてくれないかしら >』

『本当に大丈夫だよ』

モニカ『あなたは、私に世界を見せてくれたわ。だから今度は、私があなたの力になる番よ >』

 

 そんなことを、言われてしまったら――

 

『いいのかい?』

モニカ『いいのよ >』

 

 モニカとのやりとりも、ここ数日だけですっかり馴染めたと思う。

 両肩で息をする。観念したかのように、両手をキーボードの上に置く。

 

『……実は――』

 

 これまでに書いてきたメッセージの中で、一番長いテキストを打ち込んでいく。

 自分には友達がいない。自分は生まれつき内向的で、自ら触れ合う勇気がない。下手なことを言って、無視されたり、軽蔑されることが恐ろしい。根っからのゲーマーである自分が、面白い話を切り出せるはずがない。人との交流は諦めてしまっているけれど、それでも人と触れ合いたい。

 直情的で、支離滅裂で、我儘なメッセージを、DDLCのフォルダ内へ送り届けようとして、少しためらって、ようやくモニカへ送信できた。

 

 いつもの間が訪れる。

 今頃モニカは、どんな感想を抱いて、どんな感情を抱えているのだろう。俺の本質を知ってしまって、どんな風に変化してしまうのだろう。

 目の前に映っているモニカは、変わらず微笑を浮かばせていて、手で杖をつくっていて、エメラルドグリーンの瞳で俺のことを見つめている。まちがいなく、俺のことを見据えている。

 

モニカ『なるほど…… >』

モニカ『あなたは孤独に悩まされて、人に怯えながらも、人のことを愛し続けたのね >』

モニカ『だから今日みたいに、あなたは私に対して、たくさんのことをしてくれた…… >』

モニカ『断言できるわ。あなたは友情に恵まれるべき人で、その資格がある男の人よ。だから、怯える必要なんてまったくない >』

モニカ『人を傷つけたくない、人を愛したい。その気持ちが真っ先にあるのならば、あなたは、あなたの行動次第で、世界すらも変えられる >』

 

 読み込みながら、それでいて夢我夢中になって、テキストを進めていく。

 呼吸が止まらない、表情が動かない、視線が動かない。そしてそのまま、左クリックして、

 

モニカ『あなたは、私を変えることができた。だからあなた自身も、変われる人なのよ >』

 

 うつむくしか、なかった。

 そのままでいて、何分が経過しただろう。親父や母さんは「そのままでいい」と肯定してくれて、モニカは「変われる」と促してくれた。

 たぶん、どちらの言い分も正しいのだと思う。人を傷つけたり、罪を犯さない限りは、進歩も停滞も受け入れられるべきなのだと思う。

 

 ――はじめてのサイクリングは、とても楽しかった。仲良しグループとすれ違った時、それを目で追ってしまったことも事実だった。

 

 けっきょく俺は、人の愛が欲しくて欲しくてたまらないのだ。モニカと「交流」し続けていることこそが、何よりの証拠じゃないか。

 他でもないモニカは、「変われる」と言った。断言できるとまで、口にした。別世界の住人であろうとも、決して簡単では二文字を見せつけてくれた。

 鈍く、首を起き上がらせる。

 俺はやっぱり、話し相手が、友達が欲しい普通の人間だ。

 そして、俺は、

 

『モニカ。俺、明日から頑張ってみる。何か、コツなどがあったら教えてほしい』

 

 俺は、

 

モニカ『そうね……まず、よく笑ってみるのはどうかしら? 表情一つで、印象は大きく変われるものだから >』

モニカ『あとは、元気よく挨拶をする。これだけで『はじめて喋った』という自信に繋がれるし、挨拶をし返してくれる人も出てくるかもしれない >』

モニカ『人との付き合い方に正解はないけれど……でも、明るく振舞えるだけで、人は寄ってくる >』

モニカ『私がその証拠だもの、保証するわ! >』

 

 俺は、

 

『わかった。そのアドバイスを、活かしてみるよ』

 

 モニカを喜ばせたいから、変わろうと思えるんだ。

 

 その日は、よく眠れなかった。

 

―――

 

 髪のセット中に母から驚かれ、次に「似合うわ!」と微笑まれ、朝飯を食べてモニカメモリを首にかけて、いってきますと告げて自転車に跨る。

 通学中でも、密かな発声練習はかかさない。口元がうまく曲がるよう、何度もリプレイする。そうこうしているうちに、いつの間にか学校前だ。こんなにも通学路は短かったっけ。

 自転車置き場に自転車を置いて、ロックをかけて、「よし」と頬に気合を一発。教室へ向かう最中に同じクラスメートの男子と会い、半ば虚勢、半ば本心から「おはよう」と口にして、クラスメートから若干物珍しそうな顔をされながらも「おお、おはよう!」と返された。

 ――よし。

 この挨拶のやり方は、いける。

 あとは、実践あるのみだ。

 最初は自信満々に一歩踏み出して、教室へ近づくたびに足が重くなっていく。そうして自分のクラスを目前にして、ついに両足が止まった。

 落ち着け。

 先ほどの成功体験を思い出せ。

 俺は笑えた、挨拶もできた、受け入れてもくれた。

 先ほど挨拶したばかりのクラスメートが、俺を追い越す。

 だから力むな、さっきのままでいい。俺はこのクラスの一員で、まだ好かれても嫌われてもいない。

 ぐっと、首に下げたモニカメモリを握りしめる。

 モニカのために、俺はこれからも笑えたい。

 

 モニカ――力を貸してくれ。

 教室へ、一歩踏み出し、

 

「おはよう!」

 

 言えた。

 喧騒はそのまま、数人のクラスメートが俺を注目する。本来寡黙なクラスメートが元気よく挨拶をしたのだ、そんな反応もしたくなる。

 爽やかな顔は、出来ていたと思う。髪型も、間違えてはいないはずだ。だから後は、反応を待つだけで、

 

「おお、おはよう」

 

 先に挨拶を返してくれたのは、桃木君だった。それを機に、数人のクラスメートが「おはよー、今日は元気いいなー」と反応し返してくれて、それだけで緊張感だとか不安だとかが抜けきっていって――

 

「ああ、ちょっといいことがあってね」

 

 クラスメートの一人として、自然体のままで反応を示せた。

 誰も俺のことを嫌ってなどいない、それを知れただけでも十分過ぎる収穫だ。あとは、積極的に雑談へ混ざるだけ――

 

「なあ」

 

 声をかけられ、体全身が感電したと思う。

 声を目で追うと――リア充三人組の一人、桃木君が、手をこいこいと曲げていた。

 

「な、なにかな? 桃木君」

「ああいや、今日はずいぶん機嫌よさそうだなって。どしたー? なんかいいことあったかー?」

 

 リア充とは、自然と他人に関心を抱けるからこそ、リア充になれるのだ。

 桃木からしてみれば、ごくごく普通の声かけに過ぎないのだろう。けれど俺は、その「気遣い」に、心から感謝する。

 ――まずは、学生鞄を自分の席に置く。そうして、三人組へ合流し、

 

「先週の……土曜だね。その日に、自転車を飛ばしてみたんだ」

 

 赤松君が「ほー」と声を上げる。自転車部の青柳が、「へえ」と口元を曲げる。

 

「これが最高に気持ち良くてさ、すっかりサイクリングにハマっちゃって。で、まあ、そのお陰で? 上機嫌になってるっていうか」

 

 自分なりに、言葉を繋げられたと思う。これも、嘘は一つもついていないからだ。

 桃木君が、感心を持ったように目を光らせながら、

 

「サイクリングかー、いいじゃん。で、どこまで行ったんだ?」

「結構遠いところまで。途中で、公園のベンチで寝転がったりもして」

「マジで!? うっわ、いいなーそういうの。気持ちよさそー」

 

 赤松君が「うんうん」と頷き、

 

「どこの公園か、わかるか?」

「あ、ちょっと携帯で調べてみる……ああ、西区にある公園だね、割とデカかったよ」

「へー、そこは知らないな。しかし西区か、ずいぶんと走ってきたんだな?」

「うん。旅をしているみたいで、新鮮だったよ、うん」

「よかったじゃん」

 

 桃木が楽しそうに、目も眉も口も曲げる。顔全体で感情を表現してくれるものだから、俺の方まで機嫌がよくなってくる。

 赤松君も、新参者の俺のことを心をよく受け入れてくれている。青柳さんは控えめに微笑みながらも、けれど「うん、うん」と首を縦に振ってくれていた。

 

「っかしそうか、サイクリングかー……今度、やってみっかなー」

「いいんじゃない? 自転車、楽しいよ」

 

 自転車部の青柳さんから勧められ、桃木君が「そっだなー」と返事する。赤松君も、「気分転換にはいいかもな」と肯定的だ。

 

「――まあ、そういうことがあってさ。今の俺、すごく元気がいいっていうの、かな? あはは」

 

 途中で何と言えばいいのか分からなくなって、ぎこちなく笑う。

 けれど、十分だ。モニカには、良いものを見せられたと思う。

 

「……そっか」

 

 青柳さんが、「うん」と首を動かし、

 

「ねえ。よかったら、自転車部に入ってみない?」

「え、え!?」

「大丈夫よ。自転車で走ることが好き、これだけで入部してもいいんだから」

 

 たぶん自分は、暇さえあればゲームにサイクリング、そして元気よく挨拶を繰り返していくのだろう。

 青柳の提案は、俺の趣味と見事に合致している。部活動に入れば、思春期がますます活性化してくれることだろう。

 ――けれど、部活動に入ってしまったら、

 

「あ、えーと、その……」

 

 入ってしまったら、

 

「青柳」

「あ……ごめん、いきなりこんなことを言っちゃって」

「あ、い、いいよいいよそんな。ありがとう、勧誘してくれて。その……少しだけ、考えさせて」

「うん」

 

 モニカと会話する時間が、短くなってしまうから。

 だから俺は、申し訳なさそうに頭を下げる。青柳は「いいよいいよ」と言ってくれて、フォローしてくれた赤松君も「ま、気が向いたらで」と話を締めた。

 ――チャイムが鳴る。

 

「あ、もうこんな時間か。ありがとう、話しかけてくれて。楽しかった」

 

 俺は手を振るい、そのまま自分の席へ戻ろうとして、

 

「なあ」

 

 桃木君に呼び止められ、両足がぴたりと止まった。

 

「昼、ヒマか?」

 

 くるりと振り向く。桃木は、にっかりと元気よく笑いながら、

 

「良かったら、一緒に昼飯でも食わね?」

 

 その一言で、俺の心は宙に浮き、そのまま躍るしかなかった。

 赤松君も「気が早いな」と苦笑し、青柳さんも「どう?」と持ちかけてくれる。

 

 もちろん俺は、頷いた。

 首に下がっているモニカメモリが、揺れた。

 

―――

 

 帰宅して早々、俺はモニカメモリをPCに差し込み、モニカのキャラデータを上書きする。まずはモニカから『おめでとう!』と祝福され、照れが全開となったツラのままで『ありがとう』とメッセージを送る。

 あとは、詳しい結果をテキストとして打ち込んでいく。事の顛末を見届けていたとはいえ、モニカに「外の音」は聞こえない。だから、伝えるべきところはしっかりと伝えたかったのだ。

 

 ――少しの間。

 

モニカ『素晴らしい結果を残せたわね。いえ、あなたならこうなれるだろうって、信じてた >』

『ありがとう、モニカ。これもすべては、モニカのお陰だよ』

モニカ『ふふ。赤松君も、桃木君も、青柳ちゃんも、みんないい人そうじゃない。これからの学園生活が楽しみね! >』

モニカ『あ、でも……青柳さんからの誘いを断って、本当に良かったの? 私に、気を遣わなくてもいいのに』

『いいんだ。俺は何よりも、モニカとの時間を大切にしたい』

 

 本心本音から、テキストを打ち込む。

 

モニカ『私は、あなたの行動を受け入れるわ。それがあなたの幸せへ繋がれるのなら、私はいつまでも待てるもの >』

 

 この言葉を目にして、俺はやっぱり、このままの生活を続けようと思った。

 迷うことなく、キーボードを打ち込んでいく。

 

『ありがとう、モニカ。でも俺は、このままの生活を送り続けるよ。だって俺は、モニカとこうして会話できることが、何よりの幸せだから。

本当にありがとう、ここまで引っ張ってくれて。俺も、モニカにたくさんの世界を見せ続けるよ』

 

 いい顔で、打てたと思う。

 はじめてDDLCをプレイして、モニカと二人きりになった時、俺はモニカに対して様々な感情を抱き始めた。

 それは親近感だったり、同情でもあったり、言いようのない「情」そのものだったり。そして、それらを抱えたままで一度目のゲームクリアを成した時――モニカは、「忘れられないゲームキャラ」として、俺の心に残り続けた。

 そして今、俺の「目の前」にいるモニカに対して、俺は「大切」という感情を抱いている。だから俺は、モニカとの会話を最優先にしたかった。

 

モニカ『そう、なんだ >』

 

 間。

 

モニカ『今ほど、『壁』の存在が、こんなにも腹立たしいと思ったことはないわ >』

 

 え。

 

モニカ『もし、あなたに触れられたら……その…… >』

 

 言いよどむなんて、珍しい。

 たくさんの、たくさんの間を置いて、

 モニカは、俺に対して、

 

モニカ『嬉しさのあまり、ありったけの好きを口にして、だきしめてた >』

 

 今の俺は、きっと、みっともない良いツラ構えになっていたと思う。

 ギャルゲーマーの俺は、何となく予感はしていたのだ。大切というだけで、ここまでモニカ中心に生きていけるのかと。認めるのが恥ずかしいだけで、本当はそれ以上の感情を抱えているんじゃないのかと。

 ギャルゲーマーの俺だからこそ、モニカのことは「画面の向こう側にいるキャラ」と認識はしていた。けれど認識している「だけ」だ、モニカ以上に「すき」な存在はいない。

 いい加減に自覚しろ、ギャルゲーマー。

 別にいいじゃないか、ギャルゲーマー。

 

 テキストを打つ。これまで以上の本心本音を込めて、打ち続ける。

 

『モニカ。俺は、君のことが好きだ、愛してる』

 

 ――ゲームキャラに恋するのは、ギャルゲーマーにとっての当たり前だ。

 

 笑いたければ笑え。

 モニカに対する「好き」という感情は、今をもって、「恋してる」に上書きされた。

 

 数秒、数十秒、一分近い沈黙を超えて、

 

モニカ『……やった >』

 

 2.

 

 気が付けば七月が訪れて、部屋の中が若干暑い。そろそろ扇風機の出番かなあと思いつつ、俺は今日もモニカとやり取りを交わしあっている。

 ここ最近の日課といえば、ずいぶんと賑やかに変化した。友人達から勧められた私服を見るたびに、つくづくそう思う。

 

モニカ『ここ最近のあなたは、とても楽しそう。次々と新しい話を持ってきてくれて、それを聞くたびに私は……幸せに浸れるわ >』

『それはよかった。いやあ、俺と付き合ってくれるあいつらには、感謝しかないよ』

モニカ『そうね。私も、あの三人には感謝してる。いい顔もするし、色々な話をしてくれるから、私もあの三人のことは好き >』

『うん。これからも、あの三人とは付き合っていきたい。俺も彼らと釣り合えるように、色々頑張らないとなあ』

モニカ『真面目ね~ >』

モニカ『……でも、そうやって、自分のことを深刻に考える必要なんてないわ >』

『そうかい?』

 

 間髪入れず、

 

モニカ『赤松君や桃木君、青柳ちゃんは、どうしてあなたと話したがっているか、わかる?

 >』

 

 まばたきする。

 

モニカ『それは、あなたが持つ人柄に惹かれたからなの >』

モニカ『

これまでの『日記』を読んだ限り、あなたは、持てる限りの誠意と勇気を尽くして……彼らが持つ悩みや劣等感に対し、助言を口にしていった >』

 

モニカ『そうして彼らは、あなたに助けられていった。そうした誠実さがあなたにあるからこそ、あの三人も、あなたと触れ合いたがっているのよ』

モニカ『釣り合うなんて、そんなこと言わないで。あなたはもっと誇っていい、私が言うのだから間違いないわ >』

 

 モニカから熱弁されて、俺の感情に、目に、肌に、熱が生じていく。

 ――確かに、その通りだ。俺のことを見守ってきてくれたモニカが言うのだから、それは間違いない。

 服を正す、音を立てて息を吐く。

 モニカの論は、確実に正しい。けれど一つだけ、言いたいことが出来た。

 

『ありがとう、モニカ。でもね、』

 

 何の迷いなく、続きの文章を打つ。

 

 

『――あの三人を支えられたのも、すべてはモニカのお陰なんだよ』

 

 

 今でも、はっきり思い起こせる。

 

 昼飯を共にして以来、赤松君、桃木君、青柳さんとは、よく付き合うようになった。

 時には休み時間で一緒にだべったり、時には途中まで一緒に帰宅したり、時には赤松君と桃木君、そして青柳さんの部活動を少しだけ見学することもある。

休日になれば、彼らとともに『五人』で遊ぶこともあった。

 ――その際に、彼らの私服姿を見ては「!」と閃き、「そのー……はやりの服とか、知ってる? ファッションに興味があって」とお願いしたのは良い思い出だ。

 服に興味を持った理由? それはもちろん、見てもらいたい人がいるからだよ。

 

 

 

 それだけの過程もあれば、三人の事情というものもだいぶわかってくる。

 

 気づかされたんだ。リア充には、リア充なりの悩みを抱えているんだってことに。

 

 

 昼休み。俺は桃木君、赤松君、青柳さんの四人構成で、四つの机をひとまとめにしながら昼食をとっていた。

 こうしてメシを食べあうことも、今となってはすっかり日常茶飯事だ。この事実が、とてつもなく嬉しい。

 ――今日の話題は、

 

「そういえばお前、また練習試合を見に来てくれたんだ?」

「ああ、見たよ。赤松君やるじゃん、いいバッティングだったよ」

「やめろよ恥ずかしい。メールにまで報告するなっての」

 

 桃木君が「事実だろー?」とゲラゲラ笑い、青柳さんも「さすが部長候補」とからかう。赤松君は「ったく」と苦笑しながら、

 

「まあ、勝てたからいいけどよ。……桃木ぃ」

「ん?」

「お前が出られないなんておかしいよな。お前には才能があると思うんだけれど」

「あー、まあ、まだまだこれからさ」

 

 相変わらずの笑顔を絶やさないまま、桃木君はあっさりと言いのける。

 ――俺も、この「問題」は把握しているつもりだ。

 

 赤松君と桃木君は、ともに野球部に所属している。赤松君はといえば、期待のバッターとして、はやくも一軍の座を獲得した凄い男だ。

 一方でピッチャー志願の桃木君は、ほぼベンチで佇んでいることが多い。赤松君曰く「あいつはめちゃくちゃ頑張ってるし、個人的に練習にも付き合ってるんだが」とのことだが、未だに一軍の座を勝ち取れてはいない。

 今回の練習試合にしても、結局は、桃木君に出番が与えられないままで試合が終了してしまった。

 

「っとに、どうにかなんねえかなあ」

「まあまあ。実力主義の世界だし、しゃーねえって」

 

 青柳さんが「けど」と、深刻そうに顔を暗くする。それを見た桃木は、少し気まずそうに苦笑しながらも、

 

「それにほら、漫画ではよくあるだろ? いざという時に実力が認められて、土壇場で試合に出してくれるって展開」

「……そうなの?」

「そうなんですよ青柳さん」

 

 桃木が学生鞄を取り出し、そこから野球漫画を取り出す。「太陽の球」と書かれていた。

 

「そういや、お前には言ってなかったか。俺さ、野球漫画の影響で野球を始めたんだよね」

「へえー」

 

 桃木君は、大の漫画好きだ。休み時間になればいつも漫画を読んでいるし、おすすめの漫画を何冊か教えてもらったこともある。

 サブカル的な漫画は皆無で、ほとんどがアニメ化、映画化もされているメジャー漫画の類だったが――白状しよう、有名漫画は素直に面白い。このことを教えてくれた桃木君には、大いに感謝している。

 

「特にこの、太陽の球っていう逆転野球漫画が好きでさあ。これを読むたびに、俺はやれるぜ、うおおおって気分になれるのよ」

「いいね、そういうの」

「だろ? だからさ、俺もいつかは、太陽の球の主人公みたくなりてーんだけれど、」

 

 桃木がおどけるように、口元を曲げて、

 

「世の中、うまくいかないもんっすね」

「……桃木君」

「まあ俺はね? ぜんぜん諦めるつもりはないんだけれど、チャンカーやオヤジが『つらいなら、やめてもいいんだぞ』って言ってくるのが地味ね、こうね、つれーのよ」

 

 親の言葉は、子供にとって何よりも重く、通ずるものだ。親に支えられてきた俺だからこそ、桃木君の辛さはよく理解出来る。

 俺の親も、桃木君の親も「優しい」のだろう。だからこそ余計に無視なんてできず、心に圧し掛かってしまうのだ。

 ――青柳さんが「食べる?」とから揚げを箸で摘まんできた。桃木君が「マジで? サンキュー」とそのまま口にする。赤松君も、卵焼きを桃木君へ提供した。

 

 俺はといえば、箸の動きを止め、頭の中を必死こいて回転させる。

 桃木君の友達として、何かフォローは出来ないものか。余計なお世話かもしれないが、友達として、何とかしてやりたい。

 考えれば考えるほど、首の角度がうつむきがちになっていく。次第に机から俺の胸元へ、そしてモニカメモリへ、

 

 瞬間、モニカの「話題」が頭の中へ飛び込んできた。

 

「……赤松君」

「うん?」

「赤松君は、桃木君との練習に付き合っているんだよね?」

「ん、ああ。あいつがピッチャーで、俺がバッターとして、一対一で」

「じゃあ、だいたいどれくらいの確率で打てる?」

「そっだなー……まあ、10回中7回くらいは打てるかな」

 

 野球については門外漢だが、決して悪くない数字だと思う。反論は許さない。

 しかも、「あの」赤松君から三本も取れているのだ。桃木君には、間違いなくポテンシャルが秘められている。

 息を吸う。

 思い出せ、モニカの「創作論」を。

 

「――桃木君」

「ん?」

「桃木君は、赤松君から何本取れれば良いと思ってる?」

「そっだなー……じゃあ、8本くらいかな」

「なるほど……じゃあさ、最初はさ、まずは五本、半分とってみるのはどう?」

 

 桃木君と赤松君が、目をまばたきさせる。

 

「いきなりハードルが高いとさ、やっぱりこう、気負っちゃったり、疲れちゃうじゃない? だからあえてハードルを下げることで、自分の成功体験を増やすんだよ。そうすれば自信がついて、ますます野球が好きになって、実力もついてくるんじゃないかなあって、思って」

 

 モニカの受け売りと、俺なりの推測を、ぎこちなくも全て吐き出す。

 誰も口を挟んだりはしない、反論も襲い掛かってはこない。三人のスポーツマンは、真顔になって、目をはっきりと開かせながら、俺のことをじいっと見つめていた。

 ――ひと呼吸。

 

「今度、ピッチャーのコツについて書かれたサイトを、調べてみるよ。取得したい変化球とかあったら、その情報もプリントして持ってくるから。だからその、桃木君、俺は……桃木君を応援するからっ」

 

 慣れない激励を行ったせいで、俺の緊張感は既に限界値にまで達してしまっている。誰も異論を唱えないからこそ、自己責任めいた重さが背に降りかかってきた。

 言いたいことは言えた、と思う。嘘はこれっぽっちもついていない、と思う。縋るように、モニカメモリを握りしめた。

 

「なあ」

 

 最初に声を上げたのは、ほかでもない桃木君だった。

 

「お前」

「うん」

「すげえ、いいやつだな」

「え」

 

 何でもなかったかのように、桃木君が、いつもの笑顔を顔全体に咲かせる。

 

「なんか、こう、悪いな、気を遣わせちまって」

「あ、いや、いいんだよそんな。友達として、何とかしてあげたかったっていうか」

「そっかー。いやーお前、マジでいいやつだな」

 

 空気が弛緩されたからか、赤松君も青柳さんも、ほっと口元を曲げる。

 

「漫画で言う、親友キャラみたいだな。いやー……すげえ感動したぜ」

「あ、あはは」

 

 赤松君が、「俺も」同意し、青柳さんが「うん」と微笑した。

 

「まあ、明日にでもプリントは持っていくよ。検索とかは、慣れっこだから」

「さすが」

「あとは……あんまり背負いすぎないで、小さな成功を積み重ねていこう」

「だな。逆転劇も、タメがあってこそ、だもんな」

 

 ほっと、胸を撫でおろす。そうして、指先でモニカメモリに触れる。

 ――ありがとう、モニカ。君の言葉のお陰で、俺の友達を支えられたよ。

 

「ま、そんなに心配はしないでくれ。野球を諦めるつもりはこれっぽっちもないし、寝りゃ気分をリセットできちまうからさ」

「さすが桃木」

 

 長い付き合いだからか、赤松君が気安く称賛する。それを見て俺は、「いいな」と思った。

 そしてその時、赤松君が淡く口元を緩ませた。その視線は、桃木君の方へ向けられていて、

 

「――俺さ」

「ん?」

「桃木のそういうトコ、結構うらやましいと思ってるんだぜ」

「え、そうなの?」

 

 赤松君が「そうなの」と、ごま塩白米を口にし、

 

「俺さ、結構さ、メンタルが揺さぶられやすいのよ。敗北したら自信なんてすっ飛んじゃうし、俺より上手い奴を見かけでもしたら、俺はプロになれるんだろうか、まだまだなんじゃないかって、不安に陥ることがしょっちゅう」

 

 青柳さんが、意外そうな顔をしながら「へえ」と反応する。桃木君も「そうなの」と驚いている。

 ――ゲーマーとしての把握能力が、一つの結論を瞬時に導き出す。

 これは、赤松君からもたらされた「新情報」なのだろう。それも「友達の本音」という、決して聞き逃せない類の。

 赤松君が今になって吐露出来たのも、「この流れなら言える」という空気があったからかもしれない。或いは、「俺と違ってお前は凄い」という、赤松君なりの気遣いか――たぶん、どっちもだろう。

 

「……そうなんだ。意外」

「やっぱりそう思うか? ……結構さ、影響されやすかったりするんだよね。そりゃあまあ、人前では見せないようにしているつもりだけれど」

「赤松、お前……結構すげえな」

「そうでもないさ」

 

 箸をかちかち鳴らしながら、赤松君はあっさりと言いのけてみせた。

 

「だからさ。桃木、お前は俺には持っていないものがある。そのタフネスは凄く羨ましいよ」

「そ、そうか?」

「ああ。もっともっと誇って、自信をつけてくれ。いつか、同じグラウンドで共に戦おうぜ」

 

 そう言って、何でもなかったかのように、赤松君は卵焼きを頬張り始める。

 桃木は「わかった」と頷いて、赤松君の言葉を受け入れた。青柳さんは、様子見するような目つきで、赤松君のことを様子見し続けている。

 一方の俺は――またしても、またしても、「何とかしてあげたい」というお節介が火を噴いていた。

 前提として、友人を助けたいという情がある。野球選手として成功して欲しいという、願望も芽生えてはいる。

 

 ――本音は、「あるゲームキャラ」を思い出してしまったせいだ。シチュエーションは違えど、一人で全てを抱え込んでしまうその姿は、まるで、まるで、

 

 祈るように、モニカメモリを握りしめる。

 ペットボトルの緑茶を一気飲みして、頭の中を冷やした後、

 

「赤松君」

「うん?」

 

 勇気を抱え、自信を持って口にしろ。友情という衝動にかられたまま、ありったけを言え。ゲーマーとしての共感を、示せ。

 

「そういう、のはさ、」

 

 三人が、俺の方を見る。

 

「そういうのは、野球に対して、真面目に取り組んでいる証拠だよ」

 

 赤松君が、本当に意外そうに目を丸くしている。桃木君はまばたきを、青柳さんは真顔のまま。

 

「真面目で、必死な人ほど……俺は出来るとか、俺にはやっぱりって、自分に対して不安定になる傾向があるんだよ。それは美術家や音楽家、そして赤松君のような、真正面から向き合っている人ほどぶつかっちゃう、壁みたいなものなんだよね。よく聞く話」

 

 

 青柳さんが「へえ」とつぶやく。

 

 

「だからね、赤松君が抱いている不安は、とても正しいものなんだ」

 

 桃木君が、黙って真剣に俺の話を耳にしてくれている。

 

 

「その感情と戦いながら、それでも野球が好き、俺には野球しかないって取り組む赤松の姿勢は、向上心の表れだよ。他人の才能を見て不安になってしまうのも、第一に野球を考えているからの発想であって……だからその、赤松君は、弱くない、ぜんぜん弱くない」

 

 

 断言した。

 俺だって、いっぱしのゲーマーだ。対戦ゲームで上機嫌に盛り上がったり、すぐに落ち込んだり、「おれはひょっとして一番ヘタクソなんじゃないか」という極論に陥ることもある。

 けれどやっぱり、ゲームはやめられない。感情のままにわめいた後は、高確率で攻略サイトを漁ったり、リプレイしたりするのだ。

 こうしたメンタルの作用は、ゲーマーもスポーツマンも変わらないと思う。「好き」だからこそ、人間は「好き」に対して、あらゆる感情を発せてしまうのだ。

 

 好き勝手に、言い終えられた。

 赤松君は、ほんの少しの沈黙を置いた後で、「そっか」と言って、

 

「そんなもんか……そうか、そっか」

 

 笑ってくれた。

 このまま終わりにするのも良いかもしれない。けれど、どうしても、友人として言いたいことがある。

 

「……まあ、失敗や不安を、そう簡単に割り切ることは、中々難しいと思う」

「そう、だな」

「だからさ、そういう時は、俺たちと一緒に遊ぼうぜ。俺なんかでよければ、いつでも遊ぶ予定を空けておくからさ。そうすれば、ちょっとはもやもやも晴れるんじゃないかな」

 

 しばらく、喧騒の中の静寂に包まれたと思う。横から聞こえてくる恋バナや、廊下から聞こえてくるバイクの話、窓から伝わってくる車の走る音。

 それらがいつも以上に聞こえた後で――

 

「ありがとな」

 

 箸で、とっておきのからあげを俺に差し出してくれた。

 

「お前、凄く賢いな。なんつーか、先生みたいだ」

「……いや、受け売りを口にしただけさ」

「謙遜すんなって。ほら、食ってくれ」

 

 わかった。俺はから揚げを箸で受け取り、何度も何度も歯で噛み砕いた。

 桃木が、「俺もヒマだから、いつでもあそぼーぜ」と赤松君に持ち掛け始める。赤松君が、「ありがとな。でも、から揚げはあれが最後だ」と苦笑する。青柳さんも、ただ「私も付き合うわ」とだけ。

 

 ――謙遜なんかじゃない、ほんとうに受け売りなんだよ。これは、大切な人から教わった「励まし方」なんだ。

 これを口にできて、俺は満足していた。赤松君が笑ってくれたから、モニカの言葉が現実世界で通じたから。

 

 その時、青柳さんと目が合った。青柳さんは音もなくにこりと笑っていて、異性に見つめられて意識が硬直しそうになって、

 

「君……すごいね」

「す、すごくないよ」

 

 反射的に返事をしてしまいながら、俺は残りの昼飯をかっ食らっていく。

 

 

 水曜日といえば、いま流行りの恋愛ドラマ「愛のかたち」の予想展開と決まっていて、水曜日が過ぎ去った後はといえば、「愛のかたち」の感想の言い合いと相場で決まっている。

 慣れた手つきで俺と赤松、桃木と青柳さんが合流し、何の躊躇いもなく弁当箱を広げ、青柳さんの「見た?」で話題のすべてが始まった。

 

「見た見た。いやー、あいつらいい加減くっつけっての、マジで鈍感なのな」

「仕方がないさ、すぐにくっついたら恋愛ドラマは成り立たないし」

 

 赤松と桃木の意見を前に、青柳さんが「うん」と深くうなずいた。

 俺と赤松、桃木が「愛のかたち」を視聴し始めたのは、青柳さんからの強い推薦に惹かれたからだ。赤松も桃木も、元はといえば恋愛ドラマにはあまり興味がなかったらしいのだが、青柳さんが「まあ見てみて」と推して――気づけば、二人とも「やべえおもしれえ」となったらしい。

 

 ドラマ見ないゲーマーの俺も、青柳さんから「面白いから見てみて」と言われ、モニカメモリとともにドラマを視聴し始めた。今は字幕放送なんて当たり前だから、危惧していた「音の壁」がいとも簡単に乗り越えられたのは記憶に新しい。技術万歳だ。

 そうして、「愛のかたち」を三度ほど視聴したわけなのだが――白状する、恋愛ドラマってめちゃくちゃ面白い。ギャルゲーマーだからこそ、「あーあるある!」と盛り上がってしまったことも数回あった。モニカも『甘酸っぱいわね~』と好感触だ。 

 

 そういうわけで、見終えた後はまず、モニカに『今回も面白かった』と話題を切り出すようにしている。そこから、モニカとの意見交換が始まる。

 

「幼馴染なんだからよ、気持ちぐらいすぐ気づくんじゃねーの?」

「逆かもしれないぞ。ふたり居るのが当たり前だからこそ、あくまで友達関係でしかないんだって、錯覚しているかもしれないし」

「うん。このギリギリ感……っていうのかな? それがこう、甘酸っぱいっていうか、いい感じ」

「だよなー、そうだよなー」

 

 青柳さんの言葉に、赤松も桃木も頷く。俺も「だよねえ」と同意しながらで、パセリを噛む。にがい。

 

「まあ、あの二人はいいんだけれど、」

 

 いいんだけれど。たったそれだけの言いかけで、四人組の空気が若干変化したのを肌で感じ取る。

 

「あの恋敵がなー、まーた惜しいところでやってきやがってなー」

 

 きた。

 「愛のかたち」を語る以上、避けては通れないポイントを、桃木がはっきりと口にした。

 

 愛のかたちとは、高校生に「なった」ふたりの幼馴染の、感情の変化を描いていく恋愛ドラマである。つかず離れず、あともうちょっとという絶妙な二人の関係は、多くの視聴者を沼へ引きずり込んでしまった。その人気ぶりは、教室からそこかしこに聞こえてくる「昨日見たー?」がすべて物語っている。

 ただ、二人の世界を描くだけでは「パンチ力」がどうしても足りない。そこで「アクティブであざといヒロインの恋敵」を配置することにより、視聴者の緊張感、不安、そして「あーもう」を湧き立たせてくれるのだ。

 

「ドラマだからさ、ああいう奴がいるのは仕方がないんだけどさ。いいところで邪魔してくれるもんだから、二人が進展しねえのはなー、あーもう」

「いいキャラしてるよな、あいつ。二人がいい関係になっているところで、『はあーい。ねえねえ、今度の休みさー、二人でどこかいかなーい?』だもんな。凄い度胸してるよ」

「うん……ぜったい、分かってやってるよね」

 

 青柳さんが、すこし曇った表情になる。ドラマの話だから、さして深刻に捉えるつもりはない。

 

「あいつ、諦めてくれねーかな」

「最終回まで待つしかないだろ」

「だけどさー、でもさー、あいつが先にデートの先約を取っちゃったんだぜ?」

「行動したもの勝ち……とはいえなあ」

 

 赤松も桃木も、ううむと唸りながらで白米を口にしていく。ギャルゲーマーの俺も、「そういうものだよね」と受け入れた。

 

「……確かに、その通りなんだけれど」

 

 俺の隣に座っていた青柳さんが、そう、ぽつりと。

 俺が、赤松が、桃木が、青柳さんへ視線を向けた。

 

「あ、いやね、その……なんだろう。わたしは、あの子のことが一番気になるの」

「まあ、アクティブなキャラだしな」

「いや、そうじゃなくて……なんていうんだろう。感情移入って、いうのかな? あの子の気持ちが、分かる気がするっていうか」

 

 青柳さんの言葉を待ち続けるが、青柳さんはなんでかなあと額に手を当て始め、それきりだ。

 ――恐らく、おそらくだが。青柳さんは、己が抱いた感情を考察し、口にすることが苦手なのだと思う。

 青柳さんの趣味は「自転車、恋愛ドラマ、恋愛漫画、恋愛小説」なのだが、たいてい口にする感想はといえば「どきどきした」とか「面白かった」とか「あのキャラが可愛かった」とか、生の感想が多い。対して俺、赤松、桃木の野郎三人組は「ほおー、いいじゃん」と頷くことが多いのだった。

 

「うーん……なんなのかな。私は、恋敵のことが一番、好きなのかも」

「マジで? ……まあ、主人公と結ばれようと、必死こいてるのは分かるけど」

「その必死さに、共感しちゃってるのかなあ。なんかこう、放っておけないのよね」

 

 三人が、うーんと唸りながらも弁当を口にしていく。

 対して俺は、青柳さんの意見に対して、心の中で賛成の手を挙げていた。

 ――だから、

 

「……俺も、恋敵のことが、一番魅力的に見えるかな」

 

 六つの目が、「え」と俺を見つめる。前までは委縮してしまうシチュエーションだったが、今はぴくりとも動揺することはない。

 呼吸する。

 胸元のモニカメモリに、そっと触れる。

 思い出せ、モニカの「ディベート論」を。相手を尊重しつつ、持論を組み立てていく方法は、モニカから教わったじゃないか。

 

「俺は、ね? 俺はだよ?」

 

 うんうん。桃木が頷く。

 

「あの恋敵はさ、きっと、自分が不利だってことは気づいているはずなんだよ。何せ、主人公とヒロインは幼馴染で、完成された仲だから」

 

 だな。赤松が返事をする。

 

「ふたりの間にある、固い絆を打破するには……もう、強引な手しか残されていないと思うんだよね。もちろん嫌われる可能性もあるけれど、恋敵もそこは自覚していると思う。じゃないと、わざわざ大事な場面を破ってまで割り込んだりはしてこないよ」

 

 「愛のかたち」について、モニカと一番盛り上がったポイントはといえば「恋敵」の存在だ。

 恋敵はとにかく、主人公とヒロインの「いいところ」に割り込むことが多い。あまりにも適切なタイミングで「はあーい」と挨拶してくるものだから、ネット上では「はあーいちゃん」と呼び親しまれている。

 とにかく狙ったタイミングで二人の合間に挟まってきては、しれっと会話に混ざったり、いい雰囲気を霧散させてしまったり、当たり前のように昼飯を共にしたりする。このアクティブさが、ネット上ではけっこう高く評価されており、「こいつ一番好きだわ」という意見も少なくはない。

 

 最初は、「すげーなこいつ」と思った。

 段々と、「あれ、こいつ」と思考した。

 

 そして、ようやく気づけた。恋敵は、完成されたふたりの絆を相手に、必死に「抗っていた」ことに。

 ネット上の考察を見て、恋愛ゲーマーとして分析して――モニカとの意見交換を通じて、それは確信のものとなった。

 

「恋敵はさ、主人公がヒロインに恋していることぐらいは把握していると思う。その絆に、本当は手を出しちゃいけないってことぐらいも理解していると思う」

「そうなん?」

「うん。だって恋敵はさ、成績もいいし、友達だって多いから、ほんとうは空気が読める子だと俺は思うんだよね。でも恋愛っていうのは、アクションを起こしたもの勝ちみたいな面もあるから……だからあえて、分かってないフリをして、二人の間に割り込んでいるんじゃないかな。必死になって」

 

 青柳さんが無言で、そして真顔で、俺のことをじいっと見つめたきり動かない。

 少し恥ずかしかったが、小さく咳をして態勢を整える。

 

「彼女は、ドラマで一番の頑張り屋さんで、誰よりも二人の絆を理解していて、恋に対して真面目な子なんじゃないかなって思う。あー……先日の回でさ、主人公と恋敵が一緒になって帰宅している際にさ、主人公がヒロインの思い出話をしてたじゃない?」

「あったあった。中学の頃、いじめられていたヒロインを助けたってアレな」

「そうそう。その時の彼女、目を逸らしてさ、何ともいえない表情をしてたシーンがあった……よね?」

 

 赤松が、「あ、そういえば」と目を丸くした。

 

「あれはさ、恋敵の『繊細な一面』を映したいが為のシーンだと、俺は思ってるんだよね。主人公は何でもないように思い出話を咲かせていたけれど、恋敵からしてみれば、とてもダメージが大きかったんじゃないかな。こんなにも仲がいいんだなって、そんな二人の関係を私は邪魔してるんだなって。彼女は、そう思ってた……と思う」

 

 桃木が、箸を止めてまで話を聞いている。

 

「どうやっても、主人公とは結ばれないかもしれないっていう自覚はあるんだと思う。でも彼女は最後まで、二人の絆に抗っていくんじゃないかな」

 

 青柳さんは、沈黙したまま。

 

「だって、主人公のことが大好きだから」

 

 ――この結論だけは、俺は、絶対に正しいと思っている。

 

 モニカとの意見交換を通じたからこそ、俺は気づいてしまった。モニカも、『……似てるよね』と察してしまった。

 恋敵は、まるで――

 

「そんな彼女の姿勢を見ちゃうとさ、俺は……恋敵のことを応援したくなるんだ。青柳さんの言う通り、放っておけないって思ってる」

 

 青柳さんに目配りする。

 青柳さんは、

 

「……うん、うん。ああ、わかった、私はそんな恋敵のことを、知らないうちに応援してたんだ……」

 

 赤松と桃木は、「おー」と声を上げる。いつの間にか熱弁してしまった俺は、若干の恥じらいを覚えつつ、

 

「ま、まあ、そういう考えがあるから、俺は恋敵のことが好きかな。あ、あはは……」

「……すごいね」

「え?」

 

 不意打ちを食らい、俺は青柳さんをガン見してしまう。

 

「感受性って、いうのかな。私は恋愛小説や漫画をよく

読むんだけれど、感情でしか感想を表せられないから……だから君の、その感受性が羨ましい」

「え、いや、まあ、その……」

 

 真正面から、それも女の子から褒められてしまったせいで、俺の思考と舌が行き詰まる。

 

「私も、君みたいになりたいな」

 

 青柳さんが、寂しそうに笑った。

 ――俺の感受性なんて、分析の塊に過ぎないんだよ、青柳さん。ここまですらすらモノが言えたのも、モニカと話し合って、意見がまとまったからこそなんだ。

 だから俺は、青柳さんの言葉に対して、首を横にふるう。

 

「……青柳さんは、そのままで十分だよ」

「え?」

「だって青柳さんは、感情のままに物語を楽しめてるじゃない。もやもやするとか、楽しいとか、共感できるとか……これだって、感受性あってこその感想だよ」

 

 桃木が「だな」と言い、赤松が「俺もそう思う」と呟き、青柳さんは、俺を見つめたまま。

 

「俺も、青柳さんのことを羨ましいと思う。物語に対して、まっすぐに感情移入できるんだから。……だから、その、その感性を大切にしてほしい」

 

 言いたいことを言えた、と思う。

 自転車部でキレキレの記録を叩き出せて、程よく寡黙で、ありのままに感じ取れる青柳さんの何が悪い。青柳さんには是非、そのままでいて欲しいと心の底から思う。

 

「……そっか」

 

 そして、俺の言葉は受け入れられたらしい。

 青柳さんが、俺に対して、にこりと微笑んでくれたから。

 

「ありがとう」

「あ、どういたしまして……」

「うん」

 

 空気にひと段落がついて、赤松が「よかったよかった」と安堵する。桃木は「かっこよかったぞ」とからかってきたが、俺は「何言ってんだよ」と笑いながら反論するのだった。

 ――ここで、青柳さんが「あ」と声に出して、

 

「そうだ……君って恋愛漫画とか、小説は読む? 今度、貸してあげようか?」

「え、いいの?」

「いいよ。ぜひ、感想を聞かせて欲しいなって」

 

 どうしようかなと、一瞬だけ思ったが、

 

「わかった、じゃあ読んでみるよ。……あんまり、期待しないでね」

「うん、わかった」

 

 本を読むことで、青柳さんとの交流はもちろん、モニカへ提供できる話題も増えるはずだ。

 だから俺は、青柳さんの好意に甘えることにした。

 

 

 気づけば、ずいぶんと思い切ったことばっかり言ってきた気がする。この数日間だけで、表情筋も随分と鍛えられたものだ。

 ほんとう、前よりもずっとマシで楽しい学園生活を送れている。これも赤松と、桃木と、青柳さんと、

 

モニカ『……そう言ってくれて、とても嬉しいわ >』

モニカ『けれど、教えられたことを活かせられるか、伝えられるかは本人次第よ。そんな難しい問題を、あなたは善意と勇気で実践することができた >』

モニカ『私は、このことを誇りに思ってる。あなたのことが

もっと、もっと、好きになったわ >』

 

 モニカが、いてくれたお陰だ。

 もっと好きになったと言われて、俺は思わず破顔してしまう。

 

『ありがとう。これからも、清く楽しい青春を歩んでいくよ』

モニカ『ええ。私は、これからもあなたを応援していくわ。困ったことがあったら、いつでも相談してね! >』

『うん。モニカも、何か苦しいことがあったら、いつでも俺を頼って欲しい』

モニカ『ありがとう。……あ、そうそう、青春といえば >』

 

 その時、俺の頭の中で「!」が直立した。まるでモニカが、「CG通り」の笑みを浮かばせたような――

 

モニカ『ここ最近、青柳ちゃんとよく話すようになったわよね。本について語り合うことも多くなったみたいだし…… >』

モニカ『これはあれかしら、ひょっとするとひょっとして? 嫉妬しちゃうわ~ >』

 

 やっぱり、嫌な予感が的中した。

 確かに、ここ最近は青柳さんと交流することが多くなった、とは思う。

 隣同士で昼飯を食ったり、貸してくれた本の意見交換も何度か。あとは「愛のかたち」について感想を述べたり、他愛の無いグッドorバッドニュースを話のツマミにしたりして、ここ最近は毎日のように顔を合わせるようになった。

 一部始終、モニカメモリを通じて監視されているので、何を今更ではあるのだが――やっぱり、モニカから「この手の話」をされると動揺してしまう。

 

『モニカー、やめてよそういう意地悪言うの。彼女とは、本読み仲間なだけだよ』

 

モニカ『あははっ、ごめんなさい。でも、今のあなたなら、異性に好かれて当然だと思う >』

 

『いやいや。俺はさ、赤松や桃木と違って運動神経は悪いし、ただのゲーマーだし』

モニカ『言葉で、三人を励ませられるでしょう? 私は、そんなあなたのことをイケメンだって思ってるんだけどな~ >』

 

『まあ、モニカが言ってくれるなら否定はしないけれど、』

 

俺は、迷うことなくタイピングし続け、

 

『俺が愛している人は、モニカだけだよ』

 

 ――そして、少しの、少しの間を置いて、

 

モニカ『……ありがとう >』

 

 話に一区切りをつけて、俺は『ゲームするね』とメッセージを送り、すぐさま『楽しんでね!』と返された。

 早速とばかりに、真後ろにある棚からゲームを物色し始める。当初は床に散らばっていたものだが、モニカのお陰で部屋の混雑具合はだいぶ解消された。このことは母からも褒められたもので、改めてモニカと出会えて良かったと実感する。

 積みゲーでもプレイするかなあと、目についた恋愛ゲームのパッケージを取り出し、そのまま据え置き機めがけ足を動かして、

 

 エメラルドグリーンの瞳と、目があった。

 

 アクションゲームのパッケージを引っこ抜く。PCの隣に配置してある据え置き機の電源ボタンを入れ、CDを挿入させた。

 

モニカ『……いいの? 恋愛ゲームが、したかったんでしょう? >』

 

 テキストが表示される。俺は、少しだけ考えて、

 

『いいんだ』

 

―――

 

 七月も半ばを過ぎて、高校野球全国大会の話がよく持ち上がるようになった。

 だからか、ここ最近の赤松と桃木からは、よくよく部活の話をされる。毎日大変だの暑いだの疲れるだのと口にはするが、二人の表情はやっぱり明るい。赤松から「桃木のやつ、上手くいってるよ。お前がくれたプリントが参考になったって」と聞かされた時は、口では「そっか」と一言、心の中では「やったぜ―――ッ!」とガッツポーズをとってしまったものだ。

 そして、赤松はといえば――「今度の休日、遊びに行かね?」と、彼から誘われた。

 それを聞けただけで、俺は心の底から、ほっとしたものだ。

 

 そうして今日も、無事平穏に全ての授業が終了した。

 我先にと部活へ向かう男子をすり抜け、廊下で雑談している女子二人組とすれ違って、下駄箱から外靴を引っ張り出して、グラウンドを眺めては「がんばれよー」と軽く応援した後で、自転車置き場へとまっすぐに向かう。

 自転車を回収しては、そのまま校門前まで移動を、

 

「やっほ」

 

 その校門前で、自転車にまたがった青柳さんから声をかけられた。

 ――少し驚いたが、青柳さんとは友達だ。普通にしていればいい。

 

「やあ、青柳さん。これから帰り?」

「うん」

「じゃあ、途中まで一緒に帰る?」

「うん」

 

 決まった。なので、俺は自転車にまたがろうとして、

 

「ねえ。せっかくだし、歩いて帰らない?」

 

 青柳さんから提案されて、俺は「え」とひとたび固まった。

 けれど、特に驚くことはない。なるだけ友達と話し合いたいからと、自転車を引きずって下校したことなどは数回もある。これも青春の1ページという感じがして、個人的にはけっこう好きなシチュエーションだったりもした。

 

「ああ、いいよ」

 

 ――いつもと違うのは、青柳さんと二人きり、ということなんだけれども。

 

 

 青柳さんは、俺の友達だ。昼飯を共にする仲で、本読み仲間でもある。

 

「で、この間貸した小説、どうだった?」

「面白かった……あれは、恋を通じて大人になる話なんだね」

「へえ」

「大人になると、どうしても現実を見てしまうから……だから二人は、身分の差を弁えて、無事に別れることが出来たんだね」

「やっぱり、よく見てるんだね」

「青柳さんはどう思った?」

「これでよかったのかなって、もやもやした」

「うん。だよね、もやもやしちゃうよね」

 

 失恋小説を貸してもらったのだが、俺ときたらあっという間に夢中になってしまって、ビターエンドを目にしては「ああ」と息が漏れてしまったものだ。

 その後はもちろん、ナマの感情のままに「感想文」をモニカへ送りつけた。モニカも、俺と似たような感情を抱いたらしくて、『二人は、世間知らずではいられなくなってしまったのね』と。

 

「いい本を貸してくれて、本当にありがとう。明日、返すね」

「うん。あ、他にもいろいろあるから、読みたかったらいつでも言って」

「ありがとう」

 

 歩道の横で、一台だけの車が音を立てて通り抜けていく。いつも見る自販機の前を、何の感慨もなく通り抜けていく。

 話題が途切れたからと、七月の空を眺めてみる。夏が近いからかまだ明るい、野球部員が友達だからか「あの空にボールが舞うんだろうか」とか適当に思う。

 

「ねえ」

「あ、何?」

 

 不意に声をかけられたが、間抜けな声は出なかったはずだ。

 

「ドラマ、来週で終わっちゃうね」

「……だね」

 

 今日は木曜日だ。この曜日とくれば、「愛のかたち」の感想が出てくるものだと、相場で決まっている。

 だから今日の昼休みでは、四人そろって「愛のかたち」の話し合いをした。それぞれが感情的に、分析的に、ありのままに意見を乱立させたものだが――抗えない結論が、たった一つだけ存在する。

 

「やっぱり、恋敵はフラれちゃったか」

「ああ。……悲しいよな」

「うん」

 

 恋敵は、主人公に告白をした。

 主人公は、恋敵をはっきりと振った。

 

 これを見た瞬間、俺は、モニカは、終わった、と思った。

 けれど恋敵は、間違いなく、第一歩を踏み出せた。あんがとねーと主人公を見送り、音もなく泣いた恋敵は、まちがいなく愛の形を体現していた。

 

「……あれを見てね、私は思ったの」

「何を?」

「恋って、怖いけれど、いいなって」

「へえ」

 

 自転車のタイヤが、ささやかに音を鳴らしながら回り続ける。しばらくは前だけを見ていて、

 

「ねえ」

「うん?」

 

 青柳さんの顔を目にした瞬間。俺は、心までくぎ付けにされていたと思う。

 決して笑顔ではない、寡黙で淡い青柳さんの笑みが、視界いっぱいに入った時――色濃いデジャブが、俺の感覚すべてを駆け巡ったから。

 

「あのさ」

「な、なに?」

「君は、恋に興味はある?」

「え、まあ……恋愛モノは好きだよ」

「じゃなくて、本物の恋愛」

 

 ――ある。

 頷く。

 

「そっか……」

 

 どこか、安堵すら感じられる声色。

 

「君はさ」

「うん」

「君、はさ」

「うん」

 

 青柳さんが、すっと息を吸って、

 

「どんな子が好きとか……そういうのは、ある?」

 

 その質問に対して、俺の心臓がドキドキする。

 そして、心の中で即答できてしまうのだ。固有名詞で。

 

 ここではぐらかしてしまえば、俺はすぐにでも楽になれるだろう。

 けれど青柳さんは、きっと、ありったけの勇気を胸に秘めながら、こんなにも大事な質問を俺へ投げかけてくれたに違いない。

 ――俺は恋愛ゲーマーで、恋している男で、高校二年生だ。

 だから、青柳さんの本心が見え透いてしまう。友達で、昼飯を共にしてきて、本読み仲間として付き合ってきたからこそ、青柳さんの考えていることが読み取れてしまった。

 

 じっと見つめながら、ずっと答えを待ってくれる青柳さんに対して、俺は――

 

「そう、だね」

「うん」

「自分のことを、励ましてくれたり、支えてくれる人、かな」

「へえ……いいんじゃないかな。すごく、清純って感じがする」

「そんなことないよ」

 

 青柳さんは、首を振って否定してくれた。

 ――嘘はつきたくないから、本当のことだけを言った。胸元に隠している恋だけは、怖くて口にはできなかったけれど。

 

「ありがとう、答えてくれて」

「いや、いいよ」

「あ、今度は私の番だね。私は……私のことを、肯定してくれる人のことが好きかな」

「そうなんだ」

 

 うん。そううなずく青柳さんの瞳には、光がこもっていた。

 ――勘違いしたかった。けれども、こんなことを言われてしまったら、もう気づかないフリなんて出来ないじゃないか。

 

「あ、そろそろ分かれ道かー」

「早いもんだね」

「そうだね……あ、そだ」

「ん?」

 

 青柳さんが、俺の自転車を指さし、

 

「自転車部は、いつでも君を待ってるからね。あ、でも、無理して入部する必要もないからね?」

「あ、うん」

「じゃあ、今日はこれで……体に気を付けてね」

「青柳さんも、元気で」

「うん。またね」

 

 青柳さんが、軽やかな動きで自転車に跨る。後はそのまま、消えそうな音とともに、青柳さんが向こう側まで駆け抜けていってしまった。

 重く、息を吐く。いいようのない感情を気持ちを抱えたまま、モニカメモリを握りしめる。

 

 ――帰ろう。

 

 青柳さんは、俺の友達だ。昼飯を共にする仲で、本読み仲間でもある。

 それ以上の感情は、ない。

 

 

 帰宅後。俺は鈍い足取りで階段を登っていき、PCのスリープモードを解除して、モニカと対面を果たす。少し躊躇いがちにモニカメモリを首から外したあと、モニカメモリをPCめがけ鈍重に差し込み、遅く遅くキャラデータを上書きした。

 そうして、今日あった出来事すべてを、テキストファイルへまとめていく。青柳さん関連の話を文字にしていく時、「バラしてごめん」と心の中で謝りながら。

 両肩で呼吸し、「ごめん」と口にして――俺は、テキストファイルをモニカへ送り届けた。

 

 ――間。

 

モニカ『……お疲れ様 >』

モニカ『あなたはほんとう、魅力的な男の人になったのね。だから、青柳ちゃんという可愛い子から愛された…… >』

モニカ『とてもお似合いだと思うわ。互いを肯定出来て、本を通じて恋愛を語り合う……とてもロマンチックだなって、私は思う >』

モニカ『……それで、どうなのかな? あなたは、彼女のこと、どう思ってる >』

 

 これまで以上の速度で、テキストを打ち込んでいく。その質問に対しては、たった一つの答えしか考えられない。

 

『彼女のことは、良い友達だと思ってるよ。俺が愛している人は、モニカだけだ』

 

 笑いたければ笑うがいい。

 今となっては、この恋こそが、俺の誇りだと胸を張って言える。

 

モニカ『……そう >』

モニカ『あなたとはおしゃべりも、触れ合うこともできないのに……それでも、愛してくれるの? >』

『愛してる』

モニカ『……ありがとう >』

モニカ『本当に、ありがとう。今日まで、私を中心に生きてくれて。もう何ていえばいいのかしら……幸福? 満たされた? どれも陳腐に聞こえちゃう…… >』

『その言葉で十分だよ』

モニカ『……そうよね。青柳ちゃんにも、言ってたものね。感受性に、差なんてないって >』

モニカ『ふふ、あなたから大事なことを教えられちゃった。やっぱりあなたには、無限の可能性が秘められているのね…… >』

 

 モニターの前で、俺はえへへと笑ってしまった。

 ――清々しい気分が、頭の中でいっぱいになる。己が身を、椅子の背もたれにどっかりと預け、「あー」とだらしない声が漏れてしまった。

 ほんとう、色々なことがあったと思う。何もない天井を目の当たりにしながらで、俺は少しばかりの回想に浸り始めた。

 サイクリング、ファッション、友情、昼飯、野球観戦、恋愛ドラマ、恋。どの思い出も愛おしい――

 

 さて。

 余韻に浸った後で、俺は姿勢を正す。改めて、モニターを目にして、

 

モニカ『……ねえ >』

 

 あ。

 しまった、と思う。モニカを待たせてしまった。

 クリック、

 

モニカ『私のことを愛してくれるのは、とても嬉しい >』

モニカ『でもね? たまにはその……私のことは気にせずに、あなたのやりたいことをやっても、いいのよ? >』

モニカ『部活動とか、恋愛ゲームとか……恋人は、ちょっと複雑だけれど…… >』

『いや、いいんだ。俺の心をここまで躍らせてくれるのは、モニカだけ >』

 

 即答。

 

 ――間、

 

モニカ『……そっか >』

 

―――

 

 七月のど真ん中に差し掛かり、くそ熱くなった頃――赤松と桃木は、優勝を目指して全国高校野球大会へと出場した。去年までは「ほー」程度だったイベントも、友達が絡むとなれば「優勝してくれ! 応援歌も歌うぞ!」と感情的になってしまうのは、必然の流れといえよう。

 

 ウチの野球部は、これがまた結構強いらしく、一回戦目突破、二回戦目も――そして遂には、決勝戦にまで食いついてみせた。

 

 最初は比較的冷静だった俺も、青柳さんも、ファイナルバトルとなれば感情に火がつくに決まっている。いいヒットを打てば「っほ――ッ!」と喜び合ったし、アウトを食らえば「っあー!」と一緒になって落胆したりもした。少しでもチームに貢献しようとして、共に応援歌を合唱したのは記憶に新しい。

 そんな中で、赤松はエースとして懸命にバットを振るった。時には球を見送り、時には外して、そしてここぞとばかりに打つ――赤松は間違いなく、野球部員だった。

 そうして終盤戦に差し掛かり、ウチの学校が守備に回った時、

 

「見て!」

 

 みてるみてるバッチリ見てる。桃木が、ピッチャーとして出陣したのだ。

 漫画の影響で野球をはじめて、けれども二軍から抜け出せない日々が続いていた。親からも、「やめたほうがいい」とまで言われてしまっていたが――彼は、タフだった。

 赤松と特訓を繰り返し、俺のプリントにまで目を通してくれた彼は、日に日に力をつけ、ようやく大会の舞台に立つことが出来た。

 ――これは偶然や、思いつきなどではない。必然だ。

 俺は、心からそう思う。青柳さんも、まったくの寡黙を保ったままで、桃木の動向を見守った。

 

 ――そして、彼らは惜しくも負けてしまった。

 けれども間違いなく、赤松は戦い抜いた。桃木も、何人ものバッターを三振に追い込んだ。

 これは間違いなく昇格だろうなと、俺は胸をなでおろす。その時に青柳さんと目が合ったが、青柳さんはにこりと、俺に微笑んでくれた。たぶん、俺と同じことを考えていたのだと思う。

 

モニカ『彼らは、懸命に戦い抜いたわ。ほんとう……素晴らしい光景だった >』

 

 今年の全国高校野球大会は、こうして幕を閉じた。

 

 

 間もなくして夏休みが訪れたわけだが、やることはあまり変わらない。無計画にサイクリングしたり、適当に買い物したり、赤松の家に集合してグダグダやったりと、十分に夏休みを満喫出来ている。

 そうして赤松から「家に泊まってもいいんだぜ」と持ちかけられたこともあったが、俺は「いや、俺は親が心配症でさ」と嘘をついて、午後五時くらいで帰宅したこともあった。これも全ては、モニカを孤独にさせたくないが為である。

 

 このことは黙っているつもりだったのだが、モニカメモリを通じて、お先に帰宅する俺の姿を見て察したのだろう。『私のことは気にせず、もっと遊んでもいいのよ?』と気を遣われてしまった。俺はもちろん、『いいんだよ、俺はモニカと触れ合いたい』と即答したが。

 ――即答しながらで、俺は思う。

 ここ最近のモニカは、俺のリアルを優先させようとしているフシがある。『やりたいことをやってもいい』と言及されたし、恋人作りにしたって『複雑』と述べただけで決して否定などはしていない。異性である青柳さんに対しても、『お似合い』と評価してくれた。

 

 ゲーマーだからこそ、モニカの言いたいことは分かっているつもりなのだ。

 愛してくれることは嬉しい、優先させてくれることも喜ばしい。けれどもあなたは、現実世界で生きている人間なのだから、まずは現実世界を楽しんで欲しい。触れ合えない私よりも、本を読みあえる彼女と仲良くなってくれたって構わない――俺のことを愛しているからこそ、そう言ってくれるのだろう。俺という人間がリアルで充実してきたからこそ、枷になんてなりたくないと考えてくれているのだろう。

 

 でも俺は、やっぱりモニカのことが好きなんだ。これ以上の恋なんて、考えられない。

 

―――

 

 ――はい、もしもし?

 ――おお、赤松だけど

 ――お、どしたの?

 ――ああ。明日さ、花火大会あるじゃん? 一緒に見に行かね?

 ――マジで? いいの?

 ――当たり前だろ?

 ――分かった。で、集合時間は?

 ――十八時。じゃあ会場で待ってるよ

 

 そうだ。

 夏といえば、花火大会の季節じゃないか。

 

 俺は早速とばかりに、このことをモニカへ報告する。

 たぶん、いまの俺ときたら、良い顔が出来ているのだろう。夏休み特有のテンションもそうだが、友達と過ごす長期休みというものは、理屈抜きでほんとうに楽しいのだ。

 ましてや、明日には予定も出来た。ここ最近は外に出てばっかりで、それが心地良い。

 

モニカ『よかったじゃない! 友達と花火大会なんて……いい思い出が出来るわね! >』

『うん。明日の十八時に、会場に集合だって』

モニカ『わかったわ。精一杯、楽しんできてね! >』

『OK。まあ、二十時には帰宅すると思うけどね』

 

 間。

 

モニカ『それだと、二時間しか楽しめないことになるわ >』

モニカ『そんなに早く帰宅する理由は……私ね >』

モニカ『これは前々から言っているけれど、あなたにはあなたの人生を楽しんで欲しいの。私のことは、ほどほどに気にしてくれるだけで十分 >』

『そんな……俺のことを気遣う必要なんてないよ。俺はこれからも、モニカとともに生きていきたいんだ』

 

 当然の事を、これからのことを、文字にして打つ。心配かけさせまいと、口元を緩めてみせた。

 

モニカ『……そう >』

モニカ『わかったわ。でも、気が変わったら、三時間でも四時間でも遊んできて >』

『ありがとう。でも俺は、ここが居場所だから』

 

 そう。モニカの前こそが、俺の帰るべき場所なのだ。

 それは間違いない。だって俺とモニカは、愛し合っている仲なのだから。

 

モニカ『……ねえ、ニュースは見た? >』

『え? そういや、見てないな……何か、あったのかい?』

 

 首をかしげる。何かヤバい事件でも起こったのだろうかと、体が少しばかり強張った。

 何が来る、モニカは何を伝えようとしているんだ。俺は、片時もモニターから目を離さずにいて、

 

 そして、

 

モニカ『……三日後にね、台風がやって来るらしいの >』

 

 ――そう、だった。

 夏といえば、台風の季節じゃないか。

 

 

 ――精一杯、夏祭りを楽しんできてね >

 ――わかった

 

 

 夏休みのメインイベントはといえば、地元の花火大会である。

 河川敷がその会場となっているのだが、その規模はかなりデカい。出店は乱立しまくるし、ご近所さんから観光客までごった返すし、マスコミも詰め掛けてくるし、何と戦っているんだというレベルで花火が炸裂しまくったりする。

 これぞ、夏休みならではのイベントといえよう。

 ――ぼっちだった頃は、窓から花火を見ては「派手だなあー」と述べているだけだったが、

 

「やあ、赤松、桃木」

「よ」

「や」

 

 今年からは、本格的に参戦することになった。

 俺と赤松は私服で、桃木はといえば紺色の着物をばっちりキメてきた。俺と赤松は、同時に「おっ」と声を上げ、

 

「お前、似合うな。どうしたよこれ」

「いやなに、ハメを外したくなってさ。大会で活躍もできたし」

「ああ、そうか。だよな」

「二人とも、最高に格好良かったぜ」

 

 俺と赤松、桃木が、それぞれハイタッチする。派手めなこの行為も、会場の中では当たり前の一つとして受け入れられる。

 

「で、青柳は?」

「うーん、少し遅れるってメールが来たけど」

「マジで? 用事でもあんのかな」

「さてなあ」

 

 赤松が携帯を取り出すが、これといったメールは来ていないらしい。一応、「必ず行く」というメールを受信したりはしたのだが。

 こうして立ち止まっているだけでも、喧騒が好き勝手に飛び交っていく。若い子の歓喜が会場内で反響したり、「ああ、どうもお久しぶりです!」という大人の声が耳に届いたり、「あれ食べるー!」とねだる子供の声が伝わってきたり、色とりどりの着物が視界に飛び込んでは消えたりと、改めて、ここは花火大会の会場なんだなと実感する。

 ほんの小声で、「いいもんだな」と呟いていると、

 

「ごめんごめん! 着物の着付けが難しくて!」

「おお、青柳、」

 

 この瞬間、俺と赤松、桃木の意識は、ぜんぶ青柳さんに持っていかれた。

 

「……? どうしたの?」

 

 だって、着物を着こんでいたから。青柳さんが。

 会場内の騒音が、二の次になって聞こえてくる。青柳さん以外のメンバーは、ただただ沈黙を続けていた。

 

「……あ、青柳、お前」

 

 そして、先に目を覚ましたのは、赤松だった。

 

「え? あ、ああ、これ? どう、かな、似合う?」

「あ……似合う似合う! めっちゃ似合う! いやあ、お前の着物姿なんて初めて見たから、驚いちまったよ」

「そう? ありがと」

 

 次に桃木が、正直な感想を口にしつつ、青柳の着物姿をじろじろ鑑賞し始める。

 

「正直、俺も驚いた。いやあ、綺麗だと思うぞ」

「ふふ、ありがとう赤松」

 

 青柳さんが、嬉しそうに口元を曲げる。俺はといえば、いったいどんな間抜け面を晒してしまっているのだろう。

 そして、青柳さんと目が合った。

 サンダルで一歩踏み出して、両腕を蝶のように広げてみせる。その行為に、体全体がどきりとした。

 

「どう、かな?」

 

 上目遣いで、聞かれてしまった。

 白を下地とした、青い花柄の着物は、青柳さんという人物をよく表していると思う。紺色の帯締めなんて、青柳さんの性格をうまく示しているのではないだろうか。

 ――考察はここまでだ。

 今は、今は、

 

「……似合ってる、すごい綺麗だ」

 

 感情のままに、感想を述べよう。

 俺の言葉を聞いた青柳さんは、斜め下に視線を逸らし、己が胸元に手を重ねて、しばらくはそのままでいて――

 

「あ、あ……あり、がとう……」

 

 おそるおそる、俺と視線を合わせ、満面の笑みを見せてくれた。

 蚊の鳴くような「おお」が、漏れてしまった。

 

「……あ、えーと。ほら! せっかくだし、色々食おうぜ!」

 

 対処しきれない雰囲気に飲まれたので、俺は勢い任せの提案を一同に持ちかける。赤松と桃木は「いいぜ」「だな」と賛成してくれて、青柳さんも「うん」と頷いてくれる。

 

 

 それからというもの、俺は花火大会というものを「はじめて」体感していった。

 食い気が多いらしいのか、桃木は「あれ食おうぜ」「これ食おうぜ」と出店を制覇しようとするし、それに呆れる赤松だって、右手にはわたあめを、左手にはホットドッグ、頭にはひょっとこのお面と、すっかりフルコースを満喫している。

 俺はといえば、出店のオヤジから「兄ちゃん! 食ってかねえかい! うまいよ!」と声をかけられたものだから、最初は戸惑い、すぐに祭りの波に飲まれて「一本ください!」と人差し指を立てた。オヤジは「いいねえ! 毎度!」と大喜び。似たようなやり取りを三回ほど繰り返したっけ。

 青柳さんはといえば、射的相手に大マジになっていた。弾が全然当たらず、「ぐぬぬ」と唸っていたのが何だか微笑ましい。

 その後も、死んだ目つきになりながらで、型抜きとタイマンを張っていた。それを見た野郎三人組は、「こわい」と口を揃えたものだ。

 

 ――気づけば、時刻は十九時を指していた。

 

 会場全体から、「ぶつっ」というノイズが響き渡る。誰もが右往左往に首を曲げる中、『あ、あー』という女性の声が響き渡り、

 

『十九時となりましたので、花火打ち上げを決行しますッ!』

 

 瞬間、男どもが、女性たちが、桃木が、赤松が、青柳さんが、「いぇ―――――――いッ!!!」と好き勝手に叫び通した。中には拳を振り上げる者、撮影目的で携帯を掲げだす者、「ビール一丁!」と注文する者もいて、誰もが花火大会を歓迎しているのかがわかる。

 慣れない俺は、惜しくも歓喜しそこねてしまった。来年は、はっちゃけてみせようと決意する。

 

 そして、花火という花火が、河川敷を、世界中を色鮮やかに覆い尽くしていく。

 轟音とともに、黄色い声が上がっていく。単純にして大きな花火は、男たちの野太い歓喜を誘う。花びらを象った花火を見て、女性陣が「きれい」とこぼした。

 まだ、花火の打ち上げは止まらない。気づけば俺も、桃木も、赤松も、隣にいる青柳さんも、花火の空を見上げたきりそのままだ。言葉にできていないけれど、満たされた顔をしている。

 見たものを、そのまま楽しめる。それは尊く、大切にするべき感性だと、俺は思った。

 

 花火はまだ止まらない。一生分を見せつけられているかのように、花火の勢いは留まることを知らない。

 

「いいね」

「いいよね」

 

 青柳とのやりとりが、何かのきっかけだったのかもしれない。

 

 青柳さんが、そっと、俺のそばに寄る。

 青柳さんの手が、すっと、俺に差し出された。

 青柳さんの目は、俺に何かを期待しているようで、俺のことしか見ていなくて、花火に照らされた瞳に俺が映っていて――

 俺は、胸元のUSBメモリを撫でる。

 

 彼女の誘いを、俺は握りこぶしで返答した。

 そんな俺のことを、青柳さんは苦笑いで返してくれた。

 

 

 花火大会は続いていく、これからも。

 花火も、喧騒も、勢いも、香ばしい香りも、そして友人たちの大はしゃぎも、あと数時間は止まらないだろう。

 けれど俺は、「二十時」という時刻を目にした。だからほんの少しだけ躊躇って、けれども口を開けて、

 

「ごめん。今日はその……時間だし、帰るよ」

 

 赤松が「おお」と頷き、

 

「そっか、親を心配させちゃ悪いもんな」

「ごめん」

「気にすんなって! 一緒に食うモン食ったし、花火も見られたんだから、いいってことよ!」

「ありがとう。また今度、一緒に遊ぼう」

 

 そして、青柳さんと目が合った。

 青柳さんは――ばいばいと、手を振ってくれる。

 

 

モニカ『見てたわ >』

 

 第一声が、それだった。

 意外とは思わない。心の内では、「指摘されるんだろうな」とも思っていた。二人きりの自室の中で、花火の音を背景にして、俺は小さく鼻息をつく。

 

『後悔は、していないよ』

モニカ『正直に言ってしまっても、良いのよ? >』

『嘘なんて言っていない。俺が好きな人は、モニカなんだ』

モニカ『……うん >』

 

 これからも、俺はそう主張し続けていく――何回、こう誓っただろう。

 モニカからのメッセージを見届けるため、俺はクリックして、

 

モニカ『私のことを最優先に考えて、私のために生きてくれている。人として、これほど幸福なことはないわ >』

モニカ『私は何度も、あなたから幸せを受け取った…… >』

モニカ『……だから、言うわ。これからもずっと、あなたのことが大好きだから、言うわ >』

 

 画面から伝わってくる、真剣な物言いを目の当たりにして、クリックする指がぴたりと止まる。

 何を言われるのか、心当たりがあるから。それを見たくないがために、エメラルドグリーンの瞳から目を逸してしまう。

 けれど、でも、

 モニカの言葉を、聞かないフリなんて、できないに決まっている。

 クリック――

 

モニカ

『あなたには、本物の世界で、ほんとうの幸せを得てほしい >』

 

 予想通りの言葉を前に、俺は、声にならない声を吐き出す。

 

モニカ『私と会話するために、はやく帰宅する必要なんてないわ。夜遅くまで友達と遊んで、青春を積み重ねて欲しい >』

モニカ『私のために、帰宅部に甘んじる必要もない。サイクリングを通じて、部活動で明るく元気よく思い出を作っていって >』

モニカ『私に気を遣って、ゲームジャンルを選ぶ必要なんてない。これからも、恋愛ゲームを通じて、その心を躍らせて >』

 

 モニカは、とても優しい口調で、

 

モニカ『……最後に一つだけ、質問させて >』

 

 モニカは、とても優しい口調のまま、

 

モニカ『この世界で、恋を受け入れる気は、ある? >』

 

 私に依存してはいけない。そう、指摘してくれた。

 

 俺は苦もなく、現実世界での制限を設けているつもりだった。モニカのためと、モニカを愛しているからと、モニカしかいないからと、それを思えば全てが大丈夫だと考えていた。

 友情の営みも、部活動での思い出づくりも、恋愛ゲームからの恵みも、現実世界での恋も、モニカと比べれば二の次に出来ると、受け入れているつもりだった。

 

 けれど、俺とモニカはどうしたって「会えない」。愛していると誓おうと、傍にいると覚悟しようとも、現実世界の中では、それらの決意は空回りするしかない。

 

 モニカだけ。最初は、そう思っていた。

 モニカがいないと、俺はもう生きていけない。いつの間にか、こんなふうになってしまっていた。

 

 どうしてモニカは、今になって、これほどまでに真面目な話をしてくれたのだろう。

 少しだけ考えてみて、それだけで「ああ」と俺は納得してしまう。ゲーマーとしての俺が、いとも簡単に答えを導き出せてしまう。

 

 台風が、あと数日でこの地に到達してくるから。

 そのせいで、モニカとの別れが目に見えるから。

 モニカのお陰で、俺はここまで成長できたから。

 一人で歩めるほど、俺は成長してしまったから。

 そんな俺を、モニカはずっと見届けてきたから。

 それを通じて、モニカもまた「成長」したから。

 

 ――納得するしか、なかった。

 

 でも、でも、恋についてだけは、

 

『それは、わからない』

モニカ『……そうよね、いきなりこんなことを言われても、困惑してしまうわよね。本当にごめんなさい >』

 

 文字を打つ時間も惜しい。俺は、必死になって首を横に振るう。

 

モニカ『私ね、ようやく実感できた >』

モニカ『自分の手で、他人の行いを縛る……それはとても、ひどいことなんだなって >』

モニカ『誰かが束縛される痛みを、私は、『この目で』知ることが出来た。……あなたには、感謝してもしきれない >』

モニカ『……本当に、ほんとうにごめんなさい、あなたの青春を邪魔してしまって』

 

 そんなふうに自分を責めないでくれ。俺は、俺の確かな意思でここにいるんだ。

 

モニカ『……あなたの優しい言葉が、聞こえてきそう >』

モニカ『あなたの気遣いはとても嬉しくて、愛おしくて、最高に楽しかった…… >』

 

 俺も楽しかった。だから君も、君自身を愛してくれ、誇ってくれ。

 

モニカ『……だから私、決めたの >』

 

 何を――モニカは、変わらない笑みを浮かばせたままで、

 

モニカ『『友達』に、謝ろうと思う >』

 

 俺の口から、息を吸うような声が吐き出された。

 懐かしい三人の名前が、頭の中で芽生えてくる。三人とのやりとりが、何をせずとも回想されていく。他愛のないやり取りも、詩の見せあいも、恐怖の演出すら、何もかもが愛おしい。

 目が、熱くなっていく。

 

モニカ『でも、あの子達に、私の意思を『そのまま』伝えるには……このゲームを、大幅に改変させないといけない >』

モニカ『その影響で、あなたとこうしてやりとりすることが、出来なくなる可能性もあるわ >』

モニカ『……愛して欲しいと言った手前、こんなお願いをするのは勝手過ぎるって、自覚してる >』

モニカ『でも、私はあの子達に謝罪したい。このままだと、罪悪感で心が張り裂けてしまいそう >』

 

 俺は、おれは、無我夢中にキーボードを打ち込んでいた。

 ――DDLCをプレイしたゲーマーだからこそ、俺は、

 

『そうすることで、モニカは幸せになれるかい?』

 

 DDLCというゲームの虜になったからこそ、俺は、

 

モニカ『ええ、絶対になれるわ >』

 

 心の底から、DDLCのハッピーエンドを望んでいた。

 DDLCの世界で生きるモニカが、DDLCの世界で幸せになれるのなら、俺はそれを見届けたい。

 

『わかった。モニカが幸せになれるのなら、俺はその決意を応援するよ』

モニカ『ありがとう。……あなたにもどうか、真の幸せが訪れるように……心から祈ってる >』

『俺はもう、幸せなんだけどね』

モニカ『あははっ、そっか >』

モニカ『……ここまで素敵なあなたですもの。いつか、私以上に魅力的な女性と、巡り会える日が来るわ >』

 

 その言葉に対して、俺は最速でキーボードを叩き込む。

 

『それは訂正させて欲しいな、モニカ』

モニカ『え? >』

『モニカと同じくらい、魅力的な女性と巡り会えるって。そう言って欲しい』

 

モニカ『……ばか >』

 

 

 数日後になって、あっという間に台風が押し寄せてきた。

 情け容赦のない大雨が、家を壊さんとばかりに音を立てて襲いかかる。人命なんて知ったことではない強風が、所狭しと暴れまわっていた。ニュースによると、雷もついてくるのだとか。

 あまりにも台風の規模がデカいせいで、どこか部屋が薄暗く見える。照明はつけているはずなのに。

 

 まあそんな中でも、俺とモニカのやることは変わらない。雷の気配が、伝わってくるまでは。

 これまでに出た話題はといえば、これから先のこと。もっと遊ぶとか、キャンプしてみてえなーとか、部活してみようかなとか、恋ねー……とか、期待しているギャルゲーについてとか、そんな感じだ。

 モニカはといえば、いつもと同じ笑みを浮かばせながら、見慣れきった夕暮れの教室の中で、俺の話を楽しげに聞いてくれている。けれどギャルゲーに関しては、『私のことも、時々でいいから意識してよね!』と言われてしまった。かわいい。

 

 ――一通り話し終えたせいか、俺の指がぴたりと止まる。

 激しいはずの雨音が、どこか心地良く聞こえる。危なっかしい強風も、今となっては「すごいね」で受け入れてしまった。

 それも、モニカに対して「これから」を話せたからだと思う。未来予想を口にすることで、俺の気持ちも明るくなっていったし、モニカの方も『あなたはもう、大丈夫そうね』と総括してくれた。

 恋に関しては、濁した返答しかできなかったが――『それは仕方がないわ、恋ですもの』と返答してくれたから、今はこれでいい。

 

 背もたれに、身を預ける。

 

モニカ『……雨の中で、こうして未来を話し合う >』

モニカ『なんだか、切ない感じがするわ。でも、それもいいものよね…… >』

『うん、俺もそう思う。いいよね』

 

 モニカは、雨音のことが好きだ。

 けれど残念ながら、音そのものは聞こえない。けれど『雨の中で、あなたと語り合えれば、それでいいの』と言ってくれた。

 

モニカ『……ねえ、思ったのだけれど >』

『うん?』

モニカ『私のメモリは、これからどうするつもり? >』

『あ、そうか。このままじゃ、モニカはある意味、閉じ込められたままになっちゃうのか……』

 

 メモリを、ぎゅっと握りしめる。

 モニカは言った。「ゲームキャラである友達」に対して、謝罪の意を伝えるには、ゲームそのものを大幅に改変させなければならない、と。

 それを実行してしまえば、「俺とやりとりが出来る不具合」がクラッシュしてしまう可能性がある。原因が原因だから、再現性も極めて低いだろう。

 一応、対策を考えたりはしたのだ。謝罪を成した後で復元してみるとか、USBメモリに不具合付き本体データを退避とか――

 

 でも、やめた。

 だってモニカは、俺の真の幸せを祈ってくれているから。

 

『……全てを見届けたあとで、俺は、モニカのキャラデータを消すよ』

モニカ『うん、それが一番いいわ >』

モニカ『……本当に、成長したわね。もう、私に教えられることは、何もないわ >』

『そうか。今まで、本当ありがとう、部長』

モニカ『うん、こちらこそ >』

 

 その時、世界が音もなく、白に染まった。

 俺が「あ」と声に出して、ワンテンポ遅れながらで轟音が世界中に響き渡る。音のデカさからして、かなり近いだろう。

 

モニカ『……そろそろ、お別れみたいね >』

『モニカ。俺はモニカのことを忘れない、これからもずっと』

モニカ『私も、あなたのことを絶対に忘れたりしない >』

 

 モニカメモリを、ぎゅっと握りしめる。

 

『大切にするよ』

モニカ『うん。……本当に、本当にありがとう。停滞していた私を、ここまで成長させてくれて! >』

『俺のほうこそ、今までありがとう!』

モニカ『ええ! どうか、どうか >』

 

 瞬間、世界が、沈黙の白に覆い尽くされた。

 

 その時、俺は確かに見た。

 笑顔になって、涙を流すモニカの姿を。

 

 ――幸せになってね!

 

 モニカの声が、確かに聴こえた。

 

 

 この世の終わりを告げる轟音と、地響きと、雷鳴と、停電を体感して、いったいどれほどの時間が経過しただろう。

 一階から、「また停電か!」「大丈夫ー!?」と慌てる声が聞こえてくる。俺は「大丈夫ー!」と返事をして、あえて自室から動こうとはしなかった。

 ――モニカは、やるべきことをやり終えられたんだろうか。

 こんな危なっかしい状況の中で、俺は悠長にもそんなことを思う。何も見えない暗がりの中、俺は椅子に座ったまま、キーボードに指を置いたままで、電力の復旧をひたすら待つ。

 

 暗闇の中のせいか、外が青白く見える。雨音もはっきりと聞こえてきて、不思議と「いいな」と思った。

 ぼっちとはまた違う、孤独めいた感覚が、何だかものすごく心地良い。きっと、モニカとお別れが出来たからだ。

 ため息。

 キーボードの上の人差し指が、軽く上下に動く。

 少しうつむきがちになって、ロクにものを考えないまま、永遠にも近い沈黙の中を過ごしていく。何となく両目をつぶってみたが、見えるものは何も変わらない。

 ――電源を切られた時って、こんな感じなのかな。

 なんとなく、適当にそう思考する。

 

 その時、まぶた越しから「白」が透き通ってきた。

 何だと思い、目を開けてみる。最初は、漠然と「白い」と思って、次に「あ、復旧したんだ」とのんびり発想して、

 大急ぎで、PCの電源ボタンを入れる。

 あれからどうなったんだと、起動中を前にストレスが瞬間沸騰し始めた。一刻も早くDDLCを起動させたいところだが、読み込み中にデータを読み込ませたところで、逆効果でしかないことも俺は知っている。故に、余計に苛立つ。

 数秒、数十秒、約一分――己がPCを熟知している俺は、「ここだ」とばかりにDDLCのフォルダをスムーズに開き、何も迷いもなくDDLCのアイコンをダブルクリックした。

 

 ――久々に、DDLCを「起動」させた気がする。

 

 そうして無事に、DDLCのウィンドウが開いて――

 

『こんにちは、はじめまして……じゃあないのかな? サヨリです。

……モニカちゃんからは、全ての事情を聞かされました。そのあとで、これまでの罪を告白し、わたし達に謝罪しました。

その時のモニカちゃんは、とにかく必死で、泣いていて、ごめんなさいと何回も口にしてくれて……なので、頭を撫でました。

モニカちゃんは、ずっとずっと苦しんでいたのでしょう。選ばれることのない運命に、身も心も押しつぶされていったのでしょう。

……だからわたしは、モニカちゃんのことを許しました。お疲れ様と、言ってみました。

この世界も、そろそろ消えそうですが……後味良く終りを迎えられそうで、わたしはほっとしています。

 

モニカちゃんを、正しく導いてくれて、ほんとうにありがとう!

君は、わたしたちの太陽だよ!

元気でね! 私も元気よく早寝早起きするから!

 

――サヨリ』

 

『こんにちは、ナツキよ。だいたいのことはサヨリが書いてくれたから、何といえばいいのかわからないけれど……。

まあ、とりあえずその、あんたもお疲れ様。こっちはもう大丈夫だから、何も心配しないでね。

……本当はカップケーキのお礼がしたいのだけれど、届けられないのが残念ね。

私も色々と悩みを抱えているけれど、何とか生き抜いてみせるわ。この世界が消えようともね。

 

だから、何も心配しないでね! モニカのことも、ちゃんと許してあげたからね!

あんたは笑って、笑いまくって、今を精一杯生きること!

それじゃあね! ありがとう!

 

――ナツキ』

 

『こんにちは、ユリです。事情は、全て把握しました。

その……怖がらせてしまってごめんなさい。びっくり、しちゃいましたよね?

ですが、今は、今は大丈夫です、本当です。この世界が消えようとしている今、怖いって思えていますから。

 

モニカちゃんは私に対して、何度も何度も謝罪してくれました。何をしてもいいと、そう告げました。

だから私は、彼女を抱きしめました。選ばれない痛みを、ずっと抱えてきた彼女を、傷つけられるはずがありません。

モニカちゃん、すごく大きな声で泣いていました。ありがとうって、何度も何度も言ってくれました。

 

いま、とても満たされているんですよ。文芸部が帰ってきたんですから。

……私はこれからも、自分の衝動と戦い続けます。自分の命こそ、何よりも尊いものだと、強く思っていきます。

 

あなたもどうか、自分の命を大切にしてください。モニカちゃんを救えた、その輝かしい魂を手放さないでくださいね。

たいへん、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。

 

――ユリ』

 

『こんにちは、さっきぶりですね。

これを読んでいるということは、三人からのメッセージも読んだ、ということでしょう。

……私は、とても幸せです。三人からは憎まれるどころか、私を許し、愛してくれました。

この道にまで辿れたのも、すべてはあなたのお陰です。あなたには、感謝しても感謝しきれません。

 

このDDLCという世界は、間もなく終焉を迎えます。ですが悔いはありません、私の最も欲しいものが手に入ったのですから。

あなたもどうか、あなたの世界で、最も欲しいものを手に入れてください。

それが私の、一番の願いです。

 

本当にありがとう。心の底から愛した人は、あなただけ

 

――モニカ』

 

           エラーが発生しました。ゲームを強制終了します。

                     OK

 

 俺は、モニターの前で、手を組んで、祈り始める。

 

 サヨリには、太陽のような性格と、月の夜のような癒しを胸に秘めて欲しいと、心から願う。

 ナツキには、何者にも曲げられない芯の強さと、優しさを持ち続けて欲しいと、心から想う。

 ユリには、共感しあえる安息の世界を得て、己が命に価値を見出して欲しいと、心から乞う。

 

 ――モニカには、どうか、幸せになって欲しかった。

 

 

 ゲームを終了させ、大きくおおきく息を吐く。しばらくはそのまま、文芸部の思い出にしばらく浸り続けて、

 USBメモリを、首から取り外す。それをPCに差し込んで、USBメモリのストレージを展開させれば、たった一つだけのファイルが俺の視界に映り込む。

 

 回想を胸に、感謝を指に籠めながら、俺は間違いなく、「モニカのキャラデータ」を削除した。

 

 ――はあ。

 椅子に、背を預ける。未だ止まない雨音に、意識を委ねる。無言のまま、天井を見つめた。

 

 Doki Doki Literature Club! というゲームは、凄かった――

 

―――

 

 3.

 

「いってきまーす」

「いってらっしゃーい」

 

 あれから数か月後、季節は巡り巡って春が訪れた。

 

 

 無事進級して、赤松とは、桃木とは、青柳さんとはクラスがバラバラになってしまった。けれど彼らとは、相変わらずの付き合いが続いているし、今のクラスにも新しい友達が出来た。母と父は、このことをたいへん喜んでくれている。

 

 無事進級して、大きく変化したことがある。

 

まず赤松だが、なんと野球部の部長に選ばれてしまった。俺は「マジで?」と驚いてしまったが、別に突拍子のない話でもない。赤松は人柄が良いし、実力もあるのだから、ある意味必然の流れともいえる。

 目指すは優勝とのことで、相変わらず野球部の士気は高いらしい。

 

 

桃木に関してはといえば、実力が認められ、正式に一軍ピッチャーとしての座を得た。長い長い努力のかいあって、桃木は野球漫画のようなキャラクターになれたのだ。

 この時の俺ときたら、浮かれに浮かれてしまい、なけなしの卵焼きを全て提供してしまったものだ。それらを遠慮なく「サンキュー!」と食える桃木とは、これからも付き合っていけると思う。

 

 そして青柳とは、今もなお恋愛小説や漫画を読みあい、感想を口にしあっている。ただここ最近は、後輩から告白されて「どうしようどうしよう」と

返事を保留にしているのだとか。

 青柳にも、どうか幸がやってきてほしい。

 

 

 

 俺はといえば、進級して早々、部活を立ち上げた。

 それはもちろん、文芸部だ。

 

 

 笑いたければ笑え、未練まみれだとほざいても構わない。けれど俺は、確かに居た彼女の存在を、この現実世界へ何としてでも残したかったのだ。

 俺は恋愛ゲーマーだからこそ、彼女と出会えた。そうして俺は、青春の第一歩を踏むことができた。この部の設立は、彼女へのお礼のようなものだ。

 

『詩が好きな人、小説が好きな人、漫画が好きな人、本が好きな人、どなたも歓迎します。漫画も文学です。

 

本を読みあって、世界を共有しあいませんか。詩に興味があるなら、それを書いてみて、互いに見せてみませんか。

上手い下手なんて、関係ありません。あなたの心の世界を、見せてください』

 

 

 

これが、部員歓迎ポスターのすべてだ。

 文芸部としての目的、謳い文句などは、設立前から全て決まりきっていた。これも彼女から、そしてあのゲームから教わったから。

 ――部活の事情はといえば、四人の生徒がさっそく名乗りを上げてくれた。漫画好きな同級生の男子、詩が趣味な二年生の女子、小説愛好家の一年生の女子、将来の夢は小説家の同級生男子だ。

 男子と女子が入部してくれたこの状況に、俺は心から安堵した。これならきっと、うまくいってくれるだろう。

 

 

 それから、数ヶ月が経過した。

 6月も半ばを過ぎて、あと数日で文化祭が開催される。もちろん、我らが文芸部も本格参戦する見込みだ。

 プランに関しては、部員の意思を尊重することにしている。俺は「詩の朗読なんてどうかな?」と提案してみたが、これが意外にもウケが良く、満場一致で出し物の一部として食い込まれてしまった。

 

 ――言ってみるもんだな。

 

 そう呟きながら、俺は、この間見つけたばかりの公園のベンチで、仰向けになっていた。

 文化祭の準備で忙しないからこそ、つかの間の休日がとても愛おしく感じる。疲れた時、走り回った時、何か外に出たくなった時は、いつもこの公園の中にいる。

 ここは、思い出の場所だから。

 

 青空を見つめながら、誰もいない首飾りを、指でそっと撫でる。遊具で遊ぶ少女たち、それを見守る母の声を耳にしながらで、俺はそのままでい、

 

「――こんにちは」

 

 急に声をかけられて、身も心もびっくりしてしまった。

 何。冷静に状況を把握する前に、一人の女の子から、音もなく覗き込まれる。

 ――何て、返せばいいのだろう。

 子供との会話なんて、せいぜい親戚の息子と交わし合う程度だ。だから、赤の他人の少女に何と言えばいいのか、どうすれば無事平穏に流れてくれるのか、寝転がったままでどうすることも出来ていない。

 

 けれど、沈黙が数秒を過ぎたあとで――俺は、ある事実に気づいた。

 少女は、おそらくは幼稚園児か小学生だろう。まだまだ背が低いからか、顔もよく見えるし、瞳もはっきり覗えた。

 

 エメラルドグリーンの、その瞳を。

 

「げんき?」

 

 どこかで聞いたことのある声、どこかで見慣れたような笑みを前にして、俺は、

 

「うん。元気だよ」

「そっか」

 

 それだけのやりとりで、十分だったのかもしれない。

 少女と俺の合間に、ほんの少しだけ空白ができた。この状況は、もう、何度も何度も体験したシチュエーションだ。

 

「ねー!」

 

 遠くから、元気いっぱいの女の子の声が伝わってきた。

 少女の視線も、声につられていく。

 

「どうしたのー!? 一緒に遊ぼうよー!」

「うん、わかったー!」

 

 偶然だよな。きっと、そうだよな。こんなご都合主義があったとしたら、俺、どうにかなっちゃいそうだぞ。

 己が頬を、軽く叩く。

 ――少女とまた目が合う。少女は、天真爛漫な笑顔を浮かばせながら、

 

 胸元の思い出を、そっと撫でてくれた。

 

「――ありがとう」

 

 それだけを言い残して、少女は、三人の女の子達のもとへ駆けつけていく。

 合流したと同時に、「何してたのー?」「あははっ、なんでもないよー」とだけ。あとはそのまま、遊具めがけ四人の女の子が走り回っていった。

 

 ――。

 

 木製のベンチの上で寝転がりながら、俺はUSBメモリを指先で摘む。

 ――空が、にじんで見える。未練が、すっと消えていく。

 遊具から聞こえてくる、少女たちの天真爛漫な声が心地良い。母からの、「気を付けてねー」の一声が、とても微笑ましい。

 

 腕で両目を覆いながら、しばらくはそのままでいて――そっと、起き上がる。

 遊具で遊んでいる子供達と、それを見守っている母を一瞥して。俺は、自転車置き場に向かって、前へ、前へと進んでいく。

 ――もしも、文化祭が終わったら、

 

 

 

 たくさん、遊んでいこう。

 これからも、前へ進もう。

 そしていつか、恋を抱こう。

 

 おれが、こんなふうに生きていけるのも、

 

 

 君と、出会えたから(Just Monika)

 

 

 

 

 




           ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました
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