交差点で信号待ちをしていると、いきなり後ろから声をかけられた。
「ようクズ、ちょっとツラ貸せ」
振り返ると、「攻める大天使」
「あ、どうも月夜見坂さん……。あの、どうかされましたか?」
「オメーに話がある。ちょっとつきあえ」
「えーと、今日は早く家に帰らないといけないんでまた今度に……」
「あァ?」
がしっ! と首に腕を回された。信号が青に変わったが、一歩も動くことができない。無念……
「あ、あの、今日はあいがカレーを作ってくれているので、待たせると怒ら」
「オメーの都合なんか聞いちゃいねーんだよ。さっさと来い」
「そんな無茶な、俺にだって行動の自由ってものが--」
「来い」
「………………はい」
本気で睨まないでほしい。ちびる。
「ほら行くぞクズ、さっさと歩け」
「獄卒ですか、あんた……」
「うるせーな。ガタガタ言わずに黙ってついて来い」
「行動の自由だけじゃなくて、言論の自由もないんですね?」
この人の辞書には人権という言葉がないらしい。義務教育からやり直してほしいと切に願う。
「月夜見坂さん、これからどこに行くんです?」
「オレが
「だから、具体的にどこですか? 教えてくださいよ」
「着けばわかる」
不安しかねえ……
どこだよ月夜見坂さんが必ず行くとこって。
「じゃあ、話ってなんです? 月夜見坂さんから俺に話って、よっぽどのことがあったんですか?」
「まーな。それも着いた後で言うわ」
「えぇ……」
全部闇に包まれてるとか怖すぎる。賭場で背負った借金を全部肩代わりさせられるとかないよね?
「ま、オメーの答え次第で人生大きく変わるからな。真剣に話聞けよ」
「--」
何それやばくない?
え、俺何で人生賭けた場所に向かってんの? さっきまで家に帰ろうとしてただけなんだよ?
「あの、俺やっぱ帰りま--嘘です何でもないですごめんなさい」
本気で睨まないでほしい。失神しそうになる。
「オメーがいなきゃあ、話がはじまらねーんだよ。さっさと行くぞ」
「はい……」
もうやだこの人怖すぎるよ……
あい、ごめんな。師匠は今夜、生きて帰れないかもしれません。
月夜見坂さんに連れられてやってきたのは、不法者たちが
ではなく、繁華街にある普通のカラオケ店だった。
「カラオケですか……」
「何意外そうな顔してんだよ。よく行くって前に話したろ?」
「そう言えば、前に
「あれからカラオケの誘いも増えたからしょっちゅう行くようになったんだわ」
「なるほど、それでここなんですね。月夜見坂さんがよく行く所っていうから、賭場に連れていかれるかと思ってました」
「オメ潰すぞ?」
というやりとりをしながら入店。
「いらっしゃいませ。二名様ですか? すぐにご案内できますよ。お時間はいかがなさいますか?」
「そうだな、どうすっかなー」
「あの、月夜見坂さん」
「ンだよ」
「一時間くらいにしてもらえません? あいを待たせてるんで--」
「わかってるよ。オメーは黙ってろ」
歯をむき出して威嚇する月夜見坂さん。口を閉ざす俺。これが上下関係ってやつだ。社会は厳しい……
まあ、別に月夜見坂さんを信用してないわけじゃない。
月夜見坂さんは乱暴なようでいて、以外と細かいところまで気がつくんだよな。将棋も直感で指す天才タイプに見えるけど、実はすごい研究家だし。あいのことを気づかって、ちゃんと短い時間にしてくれるだろう。
「じゃあ四時間パックで」
「うおーーい!!」
「なんだようるせーな。発声練習なら部屋に入ってからやれ」
「時間! 時間んんん!!」
「しょーがねーな。じゃフリータイムで」
「うおおおおおおおおい!!!!」
「何だよ? まだ文句あんのか?」
「文句しかねえよ! あんた人の話聞いてたのか!? あいが待ってるから短い時間でって言ったでしょうが!!」
「チビガキには遅くなるって伝えとけ」
「いや、電話で急に遅くなるとか言うとあいが機嫌悪くなるんですよ! いつ帰るのかとか誰と一緒にいるのかとかそれを証明できる人は他にいるのかとか、いろいろ質問攻めにされちゃうんです」
「めんどくせーな。オレが代わりに電話かけてやろうか?」
「……いや、いいです自分でやるんで」
月夜見坂さんは『クズと一晩いっしょに過ごすわ』とか誤解を招く表現を意図的に使いそうだからな。そしたら絶対死ぬ。俺が。
「お客様、お時間の方は」
「ああ、フリータイムで」
「ちょっと。月夜見坂さん」
「ん? どうした? ほら、待っててやるからさっさと電話かけろよ」
「…………」
あい、ごめんな。師匠は今夜、家に帰れないかもしれません。
部屋に入るとすぐ、月夜見坂さんはデンモクを片手でつかんでぐいっと差し出した。
「ほらよ」
「え?」
「歌え」
「えぇ……」
「ンだよ、さっさと曲入れろよ。時間もったいねーだろ」
「いや、俺あんまり歌は上手くないし、そもそも話があるんじゃ……」
「は? カラオケ来たらまず歌うだろ、普通」
「ええぇ……」
「お前が歌わねーんなら、オレから曲入れるぞ」
そう宣言した月夜見坂さんは、
三曲目(『僕が僕であるために』)を月夜見坂さんが熱唱し終えたあと、そっと声をかけてみる。
「あの、月夜見坂さん」
「ん?」
「そろそろ話を……」
「なんだ歌わねーのかよ、ノリ
「いや、月夜見坂さんの話がどんな内容か気になって、歌に集中できないというか……」
「そうなのか?」
「そうなんですよ」
「ふーん……じゃ、話すか」
月夜見坂さんはソファの上にどかっと腰を下ろすと、
「歌手デビューするかもしれねえ」
と言った。
「はい? 誰がですか?」
「オレだよ」
「え……月夜見坂さんが!?」
「ああ」
「歌手になるんですか!? え? すごっ! バンド? ユニット? シンガーソングライター? てか女流棋士はどうするんですか? やめちゃうんですか? 武道館行くんですか?」
「落ち着けボケカス」
……落ち着いて聞いてみると、こういうことらしい。
カラオケ好きだということが記事で知れわたると、月夜見坂さんは色んな人からカラオケに誘われるようになった。
ある日、いつもみたいにカラオケに呼ばれて参加したところ、その場にレコード会社のプロデューサーが偶然居合わせた。そして、月夜見坂さんの歌唱力に驚いたそのプロデューサーが、ぜひうちの会社からCDを出させてほしい、とその場で申し込んだのだという。ウソみたいだがほんとの話だ。
「……まあ、女流棋士がCD出すっていう話は、ちらほら聞きますもんね。蔵王先生なんか紅白に出場してますし。だいぶ昔ですけど」
「でもよ、迷うじゃん? 自分のCDが出たら嬉しいけど、歌をうたっても将棋には何のプラスにもなんねーし。売れなかったら何だよって話になるし」
「気分転換になれば、必ずしも将棋にデメリットばっかりってわけじゃないと思いますけど……でも、時間はなくなりますよね。売れたら売れたで確実に忙しくはなりますし。将棋の研究にあてる時間が削られるのは避けられない」
「そうそう。研究の量は勝負に直結するんだよ」
「歌うたうヒマあったら将棋の勉強しろって言うファンも絶対出ますしね」
「出るな。女流仲間からのやっかみもあるし、めんどくせーよ」
「そうなんですか?」
「知らねーの? オレとか万智は見てくれがいいからイベントとかにもよく呼ばれるだろ。そうすっと、他の女流棋士が結構文句言うんだよ。仕事が片寄りすぎとか、顔で得してるとかさあ」
「結構生々しいですね、そのへん」
「ま、そういうやつらはボコボコにして黙らせるけどな」
「…………」
ボコボコにするのはあくまで将棋の対局での話だよね? 物理的に殴るんじゃないよね? 怖くて訊けない……
「で、オメーはどう思う?」
「へ?」
「オレが歌手になることについてだよ。どう思うんだ?」
「え、どうって……うーん、月夜見坂さんがもし歌手として有名になれば将棋の普及にもつながるし、俺も嬉しいですけど……」
「けど?」
「でも歌手活動と棋士生活の両立は大変そうだし、メディアに露出するとそれだけストレスも溜まるだろうし………」
「何だよ煮えきらねーなあ」
「当たり前でしょ! 月夜見坂さんの今後の人生に関わる問題ですよ? 慎重に考えますよそりゃ」
「だから最初に言ったろ。答え次第で人生変わるから真剣に聞けよって」
「え……あれって俺の人生が変わるってことじゃなくて、月夜見坂さんの人生が変わるかもってことだったんですか?」
「そうだよ」
「あ、そうだったんですか」
てっきりこっちの人生詰まされちゃうのかと思ってたよ。俺の勘違いだったんだね、安心しちゃった。
「でもこれってほんとに大事な選択ですよね……あ、そもそも月夜見坂さんは歌手になりたいんですか?」
「微妙」
微妙なのかよ。
「なんつーか、漠然とした憧れ? みたいなものはあるんだけど、全然イメージが湧かなくてよお」
「たしかにそうですよね……」
俺たちプロ棋士は小さい頃から将棋ばっかり指しているから他の世界をあまり知らない。バイトしたことが無いって人はけっこういるし、中学生でプロになった俺にいたっては社会経験皆無だ。だから、他の職業に就いた人が具体的にどんな仕事をしているのか、想像がつかないんだよな。歌手とかなおさらわからん。ひたすらライブとかしてんのかな?
「……何だクズ、けっこう真面目に考えこんでんじゃねーか」
「月夜見坂さんが言ったんでしょ。真剣に考えろって」
「いや、言ったけどよ。オメーはもっと適当に聞き流すかと思ってた」
「えぇ……何でそんなに信用無いんですか?」
俺が尋ねると、月夜見坂さんはフンと鼻を鳴らしてこう答えた。
「オメーの頭ん中は、弟子のチビのご機嫌をとりながら銀子をどうやって弄ぶかってことで一杯だと思ってたからな。オレのことで悩む脳みその容量がまだあったんだなっつーことに驚いた」
「俺への評価が低すぎますよ! それになぜ姉弟子の名前が出てくる!? 弄んでなんかないです!! むしろこっちが要らなくなったおもちゃみたいなぞんざいな扱い受けてますからね!?」
「ヘッ」
全力で反論する俺を、月夜見坂さんは鼻先で笑った。屈辱ッ……!
「ま、オメーが真剣に考えてるってことは認めてやるよ」
「……そりゃどうも」
「オレ、歌手やってみることにするわ。つーわけで応援よろしくな」
「ええっ!?」
何だその急展開?
さっきまでどうするか悩んでて相談してたんじゃなかったの?
「なんつーか、オメーに話してるうちに決心がついたんだわ。サンキューな」
「え? ああ、いえ、どういたしまして……」
何もアドバイスできてなかったけど、いいのかな?
もしかして、竜王が相談に乗ってくれただけで感激して、やる気が出てきちゃったパターンかな?
「オメーがアホみたいな顔してうじうじ考えてんのを見てたら、迷うのが一番カッコ悪ぃってわかったんだよ」
……うん、知ってた。
この人の口の悪さは今に始まったことじゃないしね。たぶんそういうことだろうと思ってました。でもやっぱ腹立つわ。
「……まあ、どんなかたちであれ月夜見坂さんの助けになれたならよかったですよ」
俺がため息まじりに言うと、月夜見坂さんはテーブルの上に置いてあったメニュー表をバサッと開いて、
「よし、今日は俺オレの新しい門出を祝して飲むぞオラァ!」
と高らかに宣言した。
「クズは何飲むんだ? この店、酒の種類はけっこうたくさんあるぜ」
「ちょっと。月夜見坂さん」
「あァ?」
「俺、未成年なんですけど」
「……オメー、今いくつだ?」
「十八です」
「何だよ。酒飲めんじゃねーか」
「飲めませんよ! 完全アウトです! 法律違反ですから!」
「ハッ、オメーは何も知らねーんだな。いいか、何年か前に法律が改正されて、十八歳でも酒を飲む権利が持てるようになったんだ。ニュースちゃんと見てろバカ」
「なってませんよ! 十八歳でもOKになったのは選挙権! ごっちゃにしないでください!!」
「うるっせーな。法律なんか勝手に書き換えちまえばいいんだろ?」
「い、いくら何でもそれだけは……!」
その後、カクテルを胃にぶちこんでますます意気さかんになった月夜見坂さんに明け方まで拘束されて、家に帰ったら長時間に及ぶあいの尋問と説教を受けるはめになった。
これなんて地獄?