殺意の波動に目覚めたチセ【完結】   作:難民180301

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第1話

 しんしんと雪が降りしきる夜の道を、一人の異形が歩いていく。月に照らされた彼の体躯は二メートルをゆうに超え、黒いローブをまとった幅広の肩には薄く雪が積もっている。赤い布で隠された頭部は犬の頭のようなシルエットをしており、ヤギのようなねじれたツノが一対生えている。

 

 彼は街はずれの屋敷に一人住む魔法使いで、名をエリアスといった。

 

 外見こそ普通とはかけ離れているが、彼とて好き好んでこんな雪の夜に誰もいない夜道を歩いているわけではない。古いしきたりを大事にする魔法使いにとって間もなく冬至を迎えるこの時期は重要で、やるべきことが山ほどあるのだ。本当ならすぐにでも帰って冬至の準備をしたい。

 

 しかしそうするわけにもいかない理由があった。それは彼がローブの下に控えている一通の手紙にある。

 

 エリアスの歩く道の両脇は普段草原となっており、今は雪に覆われて真っ白な雪原となっている。その中に粗末なローブを羽織った人影を見つけ、エリアスは雪原へ足を踏み入れた。

 

「Are you the one who sent this troublesome letter?(このはた迷惑な手紙を送ったのは君か?)」

 

「...Thank you for coming, Mr Ainsworth, the Mage of Shadow and Thorn(来てくださってありがとうございます。えいんずわーすさん。影と茨の魔法使い)」

 

 ローブの下から手紙を取り出しながら近づいていくと人影が流ちょうな英語で返してきたので、エリアスは呆れを隠さず続けた。

 

「英語が分かるなら手紙も英語で書いてくれ。もう少しで捨てるところだった」

 

「すみません。でも捨ててもよかったんですよ。その時は、あなたのうちの庭で死合えばいいだけですから」

 

「ふざけるな」

 

 強引すぎる物言いに若干機嫌を悪くするエリアス。手に持った手紙に再び目をやった。

 

『果たし状。えりあす・えいんずわーす殿。貴殿に尋常な勝負を申し込む。今夜北の平原に来られたし。追伸、呼び出しに応じられない場合、貴殿宅の庭先を死合いの場とするのであしからず』

 

 和紙に毛筆の物珍しさから気まぐれで解読してみたのは正解だった。人影の声音は恐ろしく平坦で冷たく、冗談は微塵も混ざっていない。エリアスが現れなければ本当に家まで押しかけてきていただろう。

 

「言っておくが、僕は決闘なんてするつもりはない。ここに来たのは釘差しと警告だ。今後――」

 

 言葉を切り、反射的にその場を飛び退く。

 

 パアン、と空気の破裂音が響き、激しい風圧がエリアスの顔にかかった布を吹き飛ばした。

 

「何のつもりだ」

 

 エリアスが先ほどまで立っていた場所に人影が片足立ちになっている。どうやら一瞬のスキをついて接近、上段蹴りを放ったようだ。フードがはだけ幼い顔立ちがあらわとなっている。

 

「勘違いしてますよ。私は決闘をしにきたんじゃありません。殺し合いにきたんです。だから立会人も合図もないんです。あなたが呼び出しに応じた時点で、殺し合いは始まってるんですよ」

 

「――理不尽な言動、赤髪に緑の瞳。なるほど、お前が星殺しのスレイベガ、チセ・ハトリか」

 

 星殺しのスレイベガ。通称、最強最悪のスレイベガ。

 

 スレイベガとは魔力の生産、吸収能力に特化した特異体質の人間を意味し、魔法使いや魔術師たちの間では格好の研究材料として知られている。ただ、その能力の代償に身体が弱いことが多く、生きている個体はいつの時代でも非常に貴重な材料として重宝される。

 

 しかしそういったスレイベガとは一線を画する特異な例外が、今エリアスと相対しているチセ・ハトリである。

 

 存在が確認されたのはおよそ五年前のことで、身体が弱いという通説など知ったことかとばかり世界中にあらわれては姿を消す。しかも行く先々で精霊や妖精、果ては古い神々にまで喧嘩を売るのでタチが悪い。魔法使いや魔術師たちにとって精霊、妖精の類は隣人たちと呼ばれるほど身近で大切な存在であり、彼らの世界を乱されると間接的に人にも被害が及ぶのだ。

 

 おもそもスレイベガはそういった隣人たちに好かれる傾向があるのに、なぜわざわざ争おうとするのか。今のところ答えは出ておらず、チセ・ハトリは見つけ次第確保すべしとされていた。

 

 エリアスは魔法使いの杖を取り出し、チセと相対した。戦いは避けられそうもないし、生きたスレイベガを手に入れる好機だ。戦うほか選択肢はない。

 

「一つ聞かせてくれ。お前はなぜ争う? なぜ無用な戦いをする?」

 

「無用じゃないです。戦いの果てに得られる強さ、力。その先にあるものを、見てみたいからですよ」

 

 遠い目で語るチセの瞳に、純粋な光がともった。恍惚としたその様は言語による理解を諦めさせるのに十分で、エリアスは先ほどのお返しに不意打ちをかける。

 

 最悪のスレイベガと影の魔法使いとの戦いが、ここに始まった。

 

 

 

---

 

 

 

 エリアスの影から茨が伸びる。

 

 迫りくる茨の束を横へのステップで回避したチセは、ジグザグに動いて攪乱しながら距離を詰めていく。対するエリアスはあてずっぽうな軌道で牽制を、命中する軌道で本命の茨を同時に数パターン影から放ち、チセを近づけまいとする。

 

 先ほどの蹴りからも分かるようにチセの攻撃は徒手空拳のようだ。近づけなければ負けはない。向こうの体力が尽きるまで付き合えばこちらの勝ちだ。

 

 早くも勝利の道筋を見つけたエリアスだが、攻撃の手は緩めず油断なく距離を保つ。

 

 チセはある程度まで接近してから後退するのを繰り返している。近づけば近づくほど被弾までの時間が短くなり、回避が難しくなるため一定以上進めないのだ。

 

(万が一もありうる。備えておこうか)

 

 何度か同じ攻防が繰り返される中、エリアスは不測の事態に備えて一つの布石を張り始めた。

 

 だが冷静な思考にノイズが走る。チセが唐突な新手を放ったからだ。

 

 チセの正面、左右に時間差で茨が走り、チセが回避する軌道を後退に限定する。しかしチセはここで正面から迫ってきた茨に対して抱え込むように大きく両腕を振るったのだ。

 

「ぐっ!?」

 

 チセの前を塞いでいた茨の槍はかじり取られたように抉れ、地面に落ちた。茨はエリアスの魔力そのものであるため、抉られた分だけ脱力感と疲労感が身体を襲う。膝をつくエリアス。

 

「そこです! スレイベガ神拳、一之奥義!」

 

 このスキを見逃すチセではなかった。瞬時に距離を詰め日本語で何かを叫ぶ。

 

「破魔の槌!」

 

「ガハッ!?」

 

 チセの両手のひらによる掌打がエリアスに突き刺さる。

 

 くの字に曲がるエリアスの体。打撃点からほとばしる衝撃波が雪原の雪を散らし、エリアスの身体は地面と水平に吹き飛んでいった。

 

 空中を飛んでいくエリアスは裸の木が点々と立つ林に入り、一本の木立にぶつかってようやく止まった。背中からつきぬける衝撃をこらえ、どうにか立ち上がって杖を構える。

 

「馬鹿な……」

 

 口から洩れるのはうめくように苦しげな声は。それはチセの今までの身体能力に対してだった。

 

 十メートル以上もの距離を一秒足らずでゼロにする瞬発力、茨による弾幕をかいくぐる動体視力、そして先ほどの掌打。どれもこれも人間の域を超えており、当初は身体能力強化の魔法か魔術を使っているものと見ていた。

 

 しかしどれだけ目を凝らしても強化の術式の痕跡すらない。

 

 数百年を生きる魔法使いのエリアスがそれだけ観察しても見つけられない。それはつまり、チセがなんの小細工もなく自前の身体だけであの身のこなしをしていることを示唆していた。

 

「あれが人間か……?」

 

 率直な感想を述べながらエリアスは治癒の魔法に取り掛かる。チセが追いついてくるまでに少しでもダメージを回復する必要がある。

 

 が、またもや驚愕で動きが止まることとなった。

 

 魔力が生産できない。

 

 魔法を使う際、普段呼吸するようにたやすく生産している魔力が感じられないのだ。

 

「これは――」

 

「私の奥義を受けてまだ息がありますか。さすが影と茨の魔法使いですね」

 

 弾かれたように声のした方向へ向き直るエリアス。戦いがまだ終わらないことがうれしいのか、微笑を浮かべるチセがそこにいた。

 

「何をした?」

 

「スレイベガ神拳一の奥義、破魔の槌。吸収した魔力と私自身の魔力を相手の内臓に叩き込み、魔力生産器官を内側から破壊する技です。本当なら上半身ごと吹き飛ぶはずですが、あなたは思ったより頑丈です」

 

 あまりにも無茶苦茶な技にエリアスは絶句した。

 

 魔力とは近代兵器で言えば火薬だ。加工することで砲弾、銃弾、爆弾など多彩かつ便利な道具になり、この道具が魔法にあたる。それに対しチセは相手の持つ火薬をぶんどり自分の分と合わせて相手にたたきつけ爆発させる荒業をなしているのだ。

 

「なんて原始的な……」

 

「戦いの基本は格闘です。杖や魔法に頼ってはいけません」

 

 チセはアゴを両拳で隠し、身を丸めて姿勢を低くするピーカブースタイルをとった。こきざみにダッキングしながら着実に距離を詰めにくる。

 

 魔法を使えないエリアスは接近戦に付き合うしかないとチセは見せているのだろう。事実、今のエリアスには魔法どころか初歩的な魔術さえ使うことができない。

 

「……僕は影と茨だ」

 

「はい?」

 

 ただし、だからといって素直に格闘戦なんてしない。

 

「人が歩くように、鳥がはばたくように、魚が泳ぐように。影と茨である僕にも、本能的にできることがある。それには魔力なんて必要ない」

 

「何を……まさか!?」

 

 真意を悟ったチセが高速のステップを始めるが、もう遅い。

 

 周囲の木立の影からのびた影の茨が、チセに襲い掛かった。とっさにガードを固めるチセを中心に茨のオリが作られていく。

 

 これこそが万一に備えてエリアスが打っていた布石だった。影から茨を作り出すエリアスは周囲に影が多いほど強いが、月明りで明るい雪原ではエリアス自身の影しか利用できない。そのため追い詰められたときに備え、影の多い林の近くまで攻防の間にさりげなく移動していたのだ。

 

 仮に吹き飛ばされる方向が林と反対方向の雪原であれば、エリアスの負けは確定していただろう。ぎりぎりのところで命を拾った。

 

 それに、茨を呼ぶのは本能的にできるといっても、魔力が必要ないのはハッタリだ。せいぜい消費が少なくて済む程度であり、破壊された魔力生産器官から漏れ出たわずかな残滓を振り絞って攻撃に回した。

 

 その結果が目の前の茨のオリだ。魔力は完全に枯渇寸前でもはやエリアスは立っているのもままならない。このまま勝負が決するのを期待するが――

 

 茨のオリに穴が開いた。

 

 バクンバクン、と内側から獣が食い荒らすようにオリが抉られていき、間もなく獣が姿を見せる。

 

「いいですね。これが私の求めたものです」

 

 出てきたチセは傷らだけだった。赤いローブは茨の棘でずたずたになり、その下の皮膚からも血が滲んでいる。顔や首筋からも血が流れ、赤毛と相まって全身真っ赤にさえ見える。それでも彼女の表情は満ち足りた笑顔だった。

 

 その表情を見たエリアスは、恐怖よりも疑問と好奇が心に沸いた。もしかすると避けられない負け、すなわち死に観念して思考が場違いな方向に向かったのかもしれない。

 

「どうして笑っているんだ? 血が出て、痛くて、苦しいだろう?」

 

「血が出て、痛くて、苦しいのがいいんですよ。生きてる感じがしますから。生きていると実感するとき、私は楽しくなるんです」

 

「楽しいって?」

 

「生きているってことですよ。あなたは今、楽しいですか?」

 

「僕は……」

 

 エリアスは答えに窮した。感情や共感能力に乏しく、確たる死生観も持っていない。チセが笑っている理由も分からないし、自分が胸に抱くもやもやした気持ちの正体も分からない。

 

 思い悩むエリアスに、チセはふらつきながら歩み寄る。一度始めた以上、きちんと幕引きまでやるのがチセの譲れないところだった。

 

 せめて最後は一瞬で済ますため、エリアスの茨から吸収した大量の魔力を右手に集中し始め――部外者の気配が現れるとともに、莫大な威圧感が周囲一帯を満たした。

 

「ん? 横やりですか?」

 

 周囲の木立が軋むような存在感。その中でもチセはペースを崩さず、周囲を見回し状況の把握に努める。エリアスも戸惑いつつ何かを理解したようで、「あ」と何かを思い出したらしい。

 

「これはまずいね。僕らは神の怒りを買ったみたいだ」

 

「どういうことです?」

 

「冬至の近いこの時期、森はあちら側の領域なんだ。そこで殺し合いなんて騒ぎをすれば怒られるのも当然だ」

 

「ケチ臭い神ですね。日本だと神様の通り道を勝手に練り歩いても大丈夫なのに」

 

 傍若無人なチセの物言いをさえぎるように、雪を乱暴に踏みしめる音が木立の間に響き渡る。

 

 二人が音のした方向に目をやると、ちょうどお怒りらしい神様が姿を現すところだった。

 

 たけだけしい男性の上半身、立派な牡鹿の下半身。筋肉たくましい右腕には槍をたずさえ、顔にはシカを模した仮面、頭に一対の角。表情は仮面にさえぎられて見えないはずだが、荒い息遣いと全身からみなぎる怒気のおかげで察するのは容易だった。

 

「こんばんは。私はチセです。あなたは?」

 

「ふーッ、ふーッ!」

 

「……ケルヌンノス」

 

 神であろうとなんだろうと、自分が生を実感する邪魔をするのであればチセにとってはただの邪魔である。エリアスのつぶやきにより名前を知った後、一応丁寧(なつもり)にお願いしてみた。

 

「ケルヌンノスさん、騒いだのはごめんなさい。すぐ出て行きますから――」

 

 返答は槍の一閃。チセの眉間があった場所を鉄の穂先が駆け抜ける。

 

 槍が引かれて戻るのに合わせてチセも接近し、お返しとばかり正拳突きを見舞う。シカの胴体の胸の部分に直撃し、ケルヌンノスは数歩後退した。

 

「上等です。売られたケンカは買いますよ」

 

「古い神を殴る人間か……もう好きにしてくれ」

 

 エリアスには止める力も気力もなく、遠い目で投げやりにそういうのが限界だった。

 

 

 

---

 

 

 

 戦況は先ほどのエリアスとの戦いの焼き直しだった。

 

 ケルヌンノスが文字通り神速の突きを放つ。一突きで鋼鉄さえ貫くであろう必殺の突きが弾幕を形成し、チセは一発当たれば即死亡の状況で柳のように攻撃をかわす。

 

 チセがつくりあげたスレイベガ神拳の基本戦術は、徒手空拳による外部破壊と魔力注入による内部破壊だ。相手の得物が長ければどうにか懐に潜り込む必要がある。

 

 これまで無数の修羅場を潜り抜けてきたチセからすれば、相手の得物がなんであろうと怯むことはない。スレイベガ神拳の前には槍も鉄砲も大砲もみな同じだ。寄って殴るのみ。

 

 しかしそれは相手が並の使い手であればの話。ケルト神話において狩猟の神として知られるケルヌンノスの槍さばきは尋常のそれではなく、瞬間的に亜音速を超えて動き回るチセの接近を巧みに妨げていた。自身の領域である冬の森にいることで力が増しているケルヌンノスの体力は無尽蔵であり、疲れで動きが鈍るのはチセが先になるだろう。

 

 よって有利なのはケルヌンノスであったが、彼は仮面の下の表情を怒りに染め上げながらも困惑していた。

 

 神域における神とは生物の枠を超えた概念的存在であり、人間との間に闘いが成立するのは本来ありえないのだ。神の怒りを買った人間は畏れを胸に頭を垂れ、許しを請う以外に動けなくなるはず。にもかかわらず目の前の人間は拳を握ってむき出しの闘志をぶつけてくる。

 

 これにはケルヌンノスも、エリアスもチセ自身でさえも把握していない理由があった。

 

「ハアッ!」

 

「!?」

 

 回避に徹していたチセが突如動きを止め、腰だめの姿勢から手刀を放つ。槍の穂先とかちあったそれは金属音を響かせ、ケルヌンノスの槍を弾いた。

 

 魔法も魔術も用いない素手の突きで、神の槍を押しのける力。明らかに人外じみた行動だったが、ケルヌンノスは決して動きを止めずすぐに突きの連打を再開した。

 

「ふふっ」

 

 チセの口から笑みがこぼれる。半身になって右手を前に、左手を後ろに握り込んで槍をさばきながら――自分の運命に感謝した。

 

 チセは5歳で両親を失った。父親が蒸発し、生活苦で追い詰められた母は自ら命を絶った。

 

 天涯孤独となったチセは親戚に預けられたが、スレイベガの体質に惹かれてやってきた異形の者たちが平穏な生活を脅かし、親戚たちはチセを厄病神のように扱った。毎日のように存在を否定される生活を送っていたある日、いつものように姿を現した異形の内の一体に八つ当たりで拳を振るい――それがチセの転機になった。殴りつけた異形が風船のようにはじけ飛んだのである。

 

 自分が生きる邪魔をするきもち悪いやつらは、殴れば消せるんだ。そう気づいたチセはすぐさま行動に出た。異形の姿を認めるや否や殴って回るようになったのだ。

 

 チセの思惑通り、異形たちは殴る端から塵になって消滅していったが、やがてチセの身体が非常な不調に見舞われる。この時のチセはスレイベガの魔力生産能力を無意識に暴走させ、有り余る魔力で異形を消し飛ばしていたのだ。魔力の使い過ぎによって身体が疲れるのは当然の帰結だ。

 

 だが多少身体が疲れたからなんだというのか。

 

 異形たちさえいなければ、父も母もいなくならなかった。自分はあいつらを駆逐せねばならない。殺意の波動に目覚めたチセの邁進は止まらず、むしろもっと悪化した。

 

 チセは親戚の家を去り山籠もりを始めた。齢8歳の出来事だ。

 

 山には自然物由来の異形たちだけでなく、クマやイノシシ、毒蛇などの野生動物に満ちていた。異形たちとの戦いや野生動物たちとの生存競争、自然淘汰の荒波にさらされ、幾重もの死線をくぐりぬけて二年。チセは鋼の身体を得ていた。

 

 その過程でスレイベガの体質を異形たちから聞き出し、自己理解を深めるとともにスレイベガ神拳を完成させる。さらに一年かけて日本中を回った末――チセの心に変化が訪れた。

 

 厳しい環境であがき抜く苦しみ、その結果心を満たす充足感。体質が勝手に引き付ける異形たちとの戦いで、自己を高める満足感。駆逐の欲求と殺意の波動で黒く染まっていたチセの心はいつの間にか色を失い、透徹した精神の中心に据えられていたのは――感謝であった。

 

 己を生み、育ててくれた父と母へ。己を追い詰め孤独へと追いやった異形たちへ。自己鍛錬の境地にたどり着いた自分の運命に。

 

 今日もチセは、五感のとらえるすべての事物に向けて感謝の祈りと拳を向ける。

 

 それは人々から畏れられる神、ケルヌンノスさえ例外ではない。エリアスとの語らいを邪魔する形ではあったが、自信の前に強敵として立ちはだかってくれたことに最大限の感謝をささげている。

 

 チセが神の威圧に屈しないのはこのためであった。人間が本来持っているはずの畏れの心が深い感謝の念で塗りつぶされているのだ。

 

 そして――強敵への感謝の念が、チセに奥の手を切らせた。

 

「ありがとう。本当は拳で応えたいけれど、あなたには、無理そうだね」

 

 ケルヌンノスの猛攻を片手のいなしと体捌きでしのぎながら、チセは身体で隠した左手に全魔力を集中させていく。

 

 スレイベガの特徴は、なにもすぐれた魔力の生産吸収能力だけではない。ここでチセが利用しようとしているのは、吸収した魔力を無尽蔵に貯蔵できる点である。

 

 無尽蔵。限りなくいくらでも。

 

 本来、スレイベガの身体は弱い。無尽蔵に魔力を溜めこめるのは理論上にすぎず、許容量を超えると身体が物理的に壊れてしまう。

 

 しかし無数の修羅場鉄火場を潜り抜け鋼の心身を手にしたチセの場合、文字通り限りなく魔力を溜めこむことができる。空気中に漂う魔力を吸収したおよそ三年分、少しずつ自身で生産してきた分、さらに殴り殺してきた数万体の異形たちの分、先ほど吸収したエリアスの魔力の分。

 

 その総量たるや、神格を持つケルヌンノスが悪寒を覚えるほどであった。

 

「!?」

 

 莫大な魔力が時間をかけて圧縮され、チセの左拳が太陽のように輝く。物理的な圧力をもって周囲の木々をなぎ倒し、ケルヌンノスを後退させる。もはやいくら圧縮しても抑えられないのだ。

 

 チセは足を開いて腰を落とし、輝く左拳を腰だめに構える。

 

「スレイベガ神拳、最終奥義――」

 

 瞬間。

 

 夜の雪原に太陽が落ちた。

 

 

 

---

 

 

 

 スレイベガ神拳最終奥義、滅殺豪衝波。

 

 スレイベガの魔力貯蔵能力を解放し、生涯をかけてため込んだ魔力で周囲一帯を圧壊させる。魔力が魔法や魔術を使うための燃料だとすれば、滅殺豪衝波は未加工の燃料を大量にぶちまけ圧倒的質量で押しつぶす大技だ。

 

 チセとケルヌンノスが戦っていた林は、主戦場を中心に雪が溶け木々がなぎ倒されていた。

 

「これはひどい」

 

 エリアスは人間の気配を頼りに無残な林を進んで行く。実は二人が戦っている間に徒歩で避難していたのである。勝敗は予想がついているが、自分の目で確かめるために疲れた体を引きずっていく。

 

 破壊の中心には深さ5メートル程度のクレーターができていた。

 

 その中に赤毛の小さな人影が倒れいていたが、エリアスが足音をたててクレーターに降りて行くと弾かれるように立ち上がった。

 

「神殺し。そんな英雄の真似事をする人間がこの時代にいるとは思わなかったよ」

 

「英雄になんて興味ありません。私はただ、戦いの果てにたどり着ける高みを目指しているだけですよ」

 

 死闘の後というのに思いのほか元気なチセがそう答える。

 

 戦いの果ての高みとは? 好奇心に駆られたエリアスだったが、ふとあることに気が付いた。

 

「君、寒くないのか?」

 

「へ? あ……!」

 

 チセは裸だった。

 

 程よい筋肉で引き締まった小さな体。白磁のような白い肌にはいくつものすり傷や切り傷がついているが、均整のとれた健康的なスタイルのおかげで痛々しさは薄い。

 

 現界した神をも消滅させる爆発にあの粗末なローブが耐えられるわけもなかった。

 

「見ないでください!」

 

「うわっ!?」

 

 顔を真っ赤にしたチセがエリアスの顎を打ち抜かんと上段蹴りを放つ。しかし羞恥で狙いが甘かったのか、その攻撃はエリアスの鼻先をかすめるだけに終わる。

 

 地面にペタンと座り込み、恨めし気にエリアスをにらみつけるチセ。エリアスとしては何を恥ずかしがっているのか分からないので無視する。

 

「戦いの果ての高みって、そんなものを目指してなんになるんだ? 人間の命は短い。もっと楽な道を生きたくはならないのか」

 

「え、この状況で聞くんですか? 普通顔を背けるとか、服を貸すとか……」

 

「なんで?」

 

「ええー……。はあ、そうですか。ええ、楽な道もあるでしょう。でも人間は苦楽や損得だけで道を選ぶことはしません」

 

「なんで?」

 

「それが人間だからです」

 

 エリアスは黙り込みまじまじと裸のチセを見下ろした。考え込む彼に対し、チセは寒さではなく恥ずかしさで耳まで真っ赤になってこの骨実はロリコンかと危機感を抱き始める。

 

 先ほどは強敵と出会い高みへと一歩近づくことができた運命に感謝したチセだったが、今度は自分の運命を呪いため息をついた。

 

「はあ、こんなおかしな骨のお嫁になるなんて」

 

「……は?」

 

 何を言っているのか分からないとばかりエリアスが声をあげた。

 

「知らないんですか? 乙女の裸を見た男は、その乙女をお嫁さんにして幸せにする義務を負うんですよ」

 

「え? え? そうなの?」

 

「そうなんです」

 

 チセは嘘をついているつもりはない。幼いころ読んだ幾冊かの絵本の知識が精神的ショックでごちゃまぜとなり、さらに年不相応な心の成長により歪んだ知識を身につけた。無知な子供がキスをしたら赤ちゃんができるだの結婚したら子供ができるだのと間違った性知識を覚えることと同じような現象だ。

 

 不幸なのは、この場にチセの間違いを指摘できる人物がいないことである。

 

 エリアスは数百年を生きる中で人間の恋愛観や風習、しきたりを深く学ぶ機会はなかったし、誰も教えてはくれなかった。そういうものだといわれればそうだったのかと納得してしまう。

 

 とはいえ嫁をもらうということは重荷を背負うことと同じだ。わざわざチセの言い分を聞いてあげる筋合いもないので、エリアスは拒絶のため口を開きかけ――

 

「別に断ってもいいですが、その場合ここであなたにとどめを刺します」

 

「分かった。君を僕のお嫁さんにしよう」

 

 光の消えた目で殺気をぶつけられては断れるはずもなかった。エリアスもチセも魔力が枯渇しているが、チセは身体能力だけで十分にエリアスを屠れる。逆らった瞬間にエリアスの首は飛んでいただろう。

 

 チセとエリアスの間に目に見えない絆が結ばれた感覚がした。魔力を持つもの同士での口約束には魔法的な契約の力がある。お互いの同意がとれたことで、切っても切れない結びができたのである。

 

「まあ、スレイベガだし。弟子の体で紹介すれば教会や学院も黙るだろうし。別にいい、いいんだ……」

 

「エリアス、いつまでお嫁さんを裸にしておく気ですか。そのローブ貸してください、寒いです」

 

「はいはい……」

 

 催促するチセにぶかぶかのローブを羽織らせながらエリアスは天を仰ぐ。自分の将来を察しているエリアスには、雲間に覗く三日月が意地の悪い笑みのように見えたのだった。

 

 








深夜に思いついて書き上げた一発ネタ。
コンセプトは脳筋系最強チセ。あらゆる困難を謎拳法で打ち砕くチセが読みたかった。
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