雲は低くたちこめ、水平線すら判然としない。雨こそ降っていないが、身の丈をはるかに越える大波を被ってずぶ濡れになった艦娘もいる。深海棲艦に集結の兆候ありという情報を受け、北方海域に出撃してから長門は青空を見ていない。黒い空、同じように黒い海、それに共に出撃した艦娘達だけが、この数日に長門が目にした全てだった。それでも天候に回復の兆しこそないものの、幸い大波は収まってきている。それを見計らったのか、二番艦の霧島が近づいてきた。ためらいがちに語りかける。
「長門。あの噂、知ってる?」
あの噂という曖昧な表現で通じる話題は、今の鎮守府には一つしかない。丁度その話が艦娘達の口の端にのぼり始めた頃、長門は秘書艦の任務に当たっていた。
「ああ」
「正体不明の艦娘が発見されたというのは、本当なの?」
・・・・・・数ヶ月前、某泊地の遠征部隊がドロップ艦-新たに発見された艦娘の事である。戦闘後に発見されることが多いため、ゲームでモンスターが落としていくアイテムに因んでドロップと通称されている-に遭遇した。しかしその艦娘はどの艦型とも異なる衣裳を着ており、装備も見たことのないものだった。艦娘というものは例え今の姿が初対面でも、かつての姿の時の関わりの度合いに応じて、それと認識が出来るものなのだ。それらのにどのも艦娘も全く見覚えがなく、質問をしても要領を得ず、とりあえず手近の鎮守府に入渠させながら、詳細を訊問している最中だ。
「・・・・・・というのが公式に伝達された情報だ。そして、」
「非公式に伝えられた情報があるのね?」
このあたりはさすがに頭の回転が速いというべきか、先を急ぎすぎるというべきか。
「未確認の艦娘2人のうち、大型艦の方はプリンス・オブ・ウェールズと名乗った。小型艦はヴァンパイアと」
霧島が息を呑んだ。
「本当なの?」
「どうやって証明する?」
いささか皮肉っぽい気持ちになって長門は尋ねた。自分たちは過去の戦争を戦った艦船の生まれ変わりだ。そう言えば信じてもらえるのか。艦娘は深海棲艦と互角に戦える今のところ唯一の存在である。だからこそ、自ら名乗った艦船の名前を認めてもらえているところもあるのだ。でなければ、その艦船の記憶があると主張したところで認めてもらえるとは思えない。そう、私たちは深海棲艦と異なる存在だということも証明できないのだ。ただ、人を守るか、殺すかのちがいでしかない。人間同士だって同じ人を守る立場と殺す立場に分かれる。立場が違うから存在も違うとはいえないのだ・・・・・・。
「長門?」
霧島が遠慮がちに声をかけてきた。自分の考えに沈み込んでしまったことに長門は気づいた。
「ああ、すまない」
長門は言葉を継いだ。
「少なくとも、否定する理由は見つからないようだ。我々が長門だ、霧島だと主張するのと同じ程度には」
霧島は眉をひそめて口を開いたが、その時言いかけていた言葉が長門に届くことはなかった。
「電探感あり!本艦の右舷20度!」
艦隊の前方で哨戒にあたっていた能代から通信が入った。長門と霧島が思わず顔を見合わせた瞬間、再び能代から通信が入った。
「敵は六隻以上、大型艦を複数含む。陣形は-」
間が空いた。
「密集して定かならず。単縦、単横、輪形、いずれでもない!」
深海棲艦は組織だった隊形を取るのが普通だ。とっさに判別できない隊形をとることなど長門の経験では一度も無かった。
「全艦面舵。複縦陣をとれ」
総員にそう指示したあと、長門は霧島に声をかけた。
「すまないが、暫く傍にいてくれ」「おもぉかぁーじ!面舵15度ー!」
長門の声に被さるようにして艦娘達の復唱が聞こえてきた。
「敵艦隊、進路変更。当方へ正対する模様」
先方も電探でこちらを認識したのだろうか。
「能代、定位置に戻れ。ご苦労だった」
「了解しました。能代、定位置に戻ります」
艦隊の目の役割を果たしていた能代が下がってくる。彼女が定位置につくより早く、相手を視認できるだろう。
「見えてきた!」
霧島が声を上げた。どうにか人型が判別できる程度だが、すくなくともイ級や「タコヤキ」はいないことは分かる。徐々に判別できるようになっていくその姿に長門は違和感を覚えた。何隻かが寄りそっているように見える。あんな陣形では一発で数隻が同時に被弾してしまう。なんだ、あいつらは。
いや、誰だ、あいつらは。
「変ね。鯨幕には見えないわ」
霧島も違和感を覚えたのは間違いない。カラフルな制服が多い艦娘とはちがい、深海棲艦は黒か白を基調にしている。黒、白、そして不吉。イメージが重なる葬式の鯨幕は深海棲艦を指すスラングだ。
「見たことがないけど、でも見覚えがあるような・・・」
霧島がそうつぶやいた時、敵艦の1隻が煌めいた。砲撃ではなく、
「敵艦より発光信号」
霧島が声を上げた。続けて信号を読み上げる。
「汝霧島ナルヤ、え、ええっ!?」
いきなり「敵」からご指名を受けたのだ。狼狽えるのも無理はないが、発光信号は続く。
「我レワシントン、ワシントン!?」
声を詰らせて信号が読めなくなった霧島に構わず、長門は信号の続きを読みとった。
「我レニ交戦ニ意志ナシ。願ワクバ話シ合イニ応ゼラレンコトヲ」
長門と霧島は再び顔を見合わせた。
「・・・・・・見覚えがあったのは、そういうことかしら」
「少なくとも、相手は分かっていたようだしな」
かなり警戒しながら接近した長門たちはワシントンたちの惨状に息を呑んだ。擬装がまともなものは1人もおらず、主砲は折れ、レーダーは吹き飛び、飛行甲板には穴が空いている。まともに立っているのはワシントンぐらいで、他の者は互いに肩を貸しあい、酷い者になるとカタパルトの残骸らしきものを松葉杖代わりにまでしている。
「見ての通りだ。頼める義理ではないが、援助を願いたい」
開口一番ワシントンは長門に言った。黒い髪にも端正な顔にも血がこびりついて固まっている。左腕は間に合わせの布で吊っている。恐らく誰かの服の一部だったのだろうが、ぼろぼろの布きれはかろうじてその面影を残す程度だ。艦娘は擬装が破壊されたり服が裂けたりすることはあっても、自身が酷く傷つくことはほとんどない。要するににワシントンは沈没寸前の状態だと言っていいだろう。
「分かった。細かい話は一息ついてからだ。各艦米艦を援助しつつ、輪形陣をとれ」
返答にわずかな間が空いた。長門はさらに続けた。
「窮鳥懐に入れば猟師もこれを助けるという。彼女らの有様を見てなにも感じないか。各艦彼女らを援助せよ。帰投する」
口々に応答する声を聞きながら、指示した長門も完全には信じ切れずにいた。本当に大丈夫か、何かの罠ではないのだろうか?
「すまないが・・・・・・」ワシントンに声をかけられた時、長門はその心情を見抜かれたかと射竦められた心地だった。
「燃料を分けてもらえないか。もうろくに動けない者もいるのだ」