それは電波の盗聴。
本文は単純なループ文。
割り込みで飛んでは戻ってを繰り返してはいるが、処理は1つだけ。
都内の駅近くの3階建てのマンションの一室。
電波時計が13時34分00秒を表示する。
部屋の照明は手動で消され、ベッドの近くの卓上灯の5ワット電球が1つだけが点灯中。
2つあるスマホはどちらも電源OFF。
テレビはスリープタイマーによって消えている。
部屋のカーテンはリモコン操作によって閉められていて、相当に薄暗い。
エアコンは停止中。センサーはベッド上に熱源を感知している。
先ほどから繰り返し発している電波は、空気清浄機からのものだった。
空気清浄機はホコリを感知して作動している。
ホコリは人間が動いている時だけ感知される。
つまり現在、薄暗い部屋のベッド上で動いている人間がいる。
人数は2人。
数時間前、照明がついていた頃は、シャワーの動作中に冷蔵庫の開閉があったり、テレビのチャンネルをリモコンで操作したりと、2つの場所での2つの別の処理がなされていたが、現在はなし。
ベッドの上で2人の人間が熱を発しながら動いている。
性別は男女。便座の上げ下げがあった。
公道に停めた車の中で、タカシはドアに肘をのせて車の中から部屋を窓をみつめていた。
視点は1点を捉えたままだ。
昼に食べたフライドポテトがもたれて胃がムカムカする。
最近は胃薬を飲んでも効きが悪くなった気がする。
ポケットから胃薬の小瓶をとりだし、また1粒口に含む。
---
タカシはとある能力を持っている。
生まれた時からではない。
中学生の時、薄暗い冬の日に突如目覚めた。
自分自身はその時の感覚から「インターネットダイブ」と呼んではいるが、正確ではないし誰かに伝えたこともない。
能力の内容は、「電波の盗聴」。
無秩序に発せられている電子機器からの内部信号、電波の類を、タカシ自身が受信して理解することができる。
パソコンもスマホも、テレビも冷蔵庫も、全ての機器がインターネットとつながっている。
電気信号が野放しに発せられている。
その電気信号を読み取れば、そこで暮らす人間の様子などすべてが筒抜けだ。
もちろん指向性を絞れば、特定の電波だけを受信することもできる。
この特殊な能力を使って、タカシは探偵業を営んでいた。
今回の依頼内容は浮気の現場を押さえること。
もっとハードボイルドな仕事がしたいのだが、助手のアキコが取ってくる仕事は、生活臭の強い仕事ばかりだ。
胃薬がなかなか飲み込めない。
錠剤を飲み込むのが苦手だ。
タカシはウーロン茶でむりやり喉奥に押し込んだ。
---
2週間前。
雲一つない夏の日。
窓を覆うブラインドさえ突き抜ける、日差しが相当強く部屋を照らしていた。
エアコンが強運転に切り替わる。
これだけ暑いと部屋の白い壁紙ですら恨めしく思えた。
都内の殺風景な探偵事務所の一室。
来客用のソファには、依頼人は30代の男性。
助手のアキコがうまい具合に話を拾って連れてきた。
記入してもらった資料によると、一流企業に勤めるサラリーマンの中間管理職。
地味な身のこなしをみるに、お堅い部署にお勤めと推察できる。
腕時計は某メーカーの既製品。
仕事ぶりも派手さはないが堅実なのだろう。
依頼対象は30代女性。
依頼人の妻。スーパーマーケットのパート社員。
依頼人のスマホの待ち受けを見るに、こちらもナチュラルメイクというよりも、化粧っ気のない顔だ。
一言で言ってしまえば地味。
撮られた写真の日付は5年前。
助手のアキコがお茶を淹れてもってきてくれた。
結婚して5年。
依頼人の話を聞きつつ、データベースを漁る。
貞淑な女性で、経歴上何一つ傷がない。
改ざんされてはいないだろう。
キーボードで入力された1と、最適化された1は臭いが違う。
2人の間に子供はなし。
セックスレス。
依頼人のネット購入履歴を漁るに、大分前からコンドームの購入がされなくなっている。
依頼人が妻に疑念を抱いたきっかけは、ほぼすべての支払いをクレジットカードで済ませていた彼女が、
数か月前からまとまった額の現金を引き落として使うようになったこと。
世界的には明らかに逆行しているが、日本では現金主義は健在だ。
怪しいと思うに至るには根拠にかける。
しかしどうだろう。
鈍感な男が気づかない女の変化。
無意識の領域に積もったそれが、キャッシュフローの数字として表れて初めて気づいたのかもしれない。
性格はお堅くそしてドライ。
つまらない男、タカシはそう結論づけた。
「わかりました、引き受けましょう」
---
依頼人は1か月後に3日間の海外出張があると妻に伝え、その日のうちに自宅のパソコンで飛行機の予約をした。
当日は電車で空港まで移動。支払いはスイカを使用。
空港の喫茶店でコーヒーを飲みクレジットカードで支払う。
離陸前の飛行機内でセルフィを1枚。「行ってきます」と一言添えて、インスタにアップ。
スマホの電源をオフ。
飛行機は満席のまま離陸。無事に羽田を飛び立った。
依頼人を家で見送った妻は、部屋で逐一タブレット端末で夫の様子をチェックしていた。
合間に洗濯をする。水量はいちばん多め。洗濯物は1枚の大きい布など。
おそらくベッドのシーツか。
そして1人分にしてはあきらかに多い量の料理をつくる。
オーブンレンジの開閉が1回。
作った料理をレンジの中でいつでも温められるようにと待機させたのだろう。
そして、飛行機が飛び立ったのを確認すると、電話をする。
相手は同じスーパーで働くアルバイト男性。
都内の大学生。水泳部のエース。
マシン語は数字の羅列に過ぎないが、人間の男女の会話は生々しい。
通話後、化粧台の照明がつく。
貞淑な妻が、ついにその仮面をとった……。
しばらくして、一人の浅黒く日焼けした若者がマンションに入っていった。
依頼人は飛行機が飛び立つ前に飛行機を降りていた。
替え玉とした事務所アルバイトの音無君と入れ替わり、アキコの運転する車で、自宅マンションまで戻り、玄関前で待機中。
タカシは持っていたスマホで依頼人の横にいるアキコに連絡する。
「今、空気清浄機が激しく動いている。部屋に入るなら今だな」
アキコに促された依頼人は、そっと室内に入った。
程なくして女の叫び声。男たちの怒声。
部屋の照明が手動操作でつけられた。
エレベーターが3から1まで降りてアキコがマンションからでてくる。
そのままタカシの乗る車の助手席に座った。
タカシは無言でエンジンをかけ、車を走らせた。
「…なあアキコ君?」
「なんですか?先生」
「次からはもう少しハードボイルドな仕事を頼めないか?」
「命あっての物種ですよ先生」
タカシはアクセルを深く踏み込んだ。
車は住宅街を抜け、環状線をぬけていった。
信号は全て青。
すこぶる順調だ。