君の知らない物語   作:ライトハウス

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さくまクラブ 其ノ貳

 

004

 

 

 

戦場ヶ原ひたぎは病弱な女の子だ。

 

授業をよく休むし体育なんかは高校に入ってからはやっている場面を見たことがない。口数が少ないことも彼女の病弱なイメージに拍車をかけ一部では深窓(しんそう)令嬢(れいじょう)なんて呼ばれているらしい。

 

——けれど、それは高校での彼女のイメージだ。

 

中学の頃の彼女は陸上部に所属していて走るのはかなり速かった。が、何より彼女の走りは綺麗だった。それこそ陸上の知識なんて何もない俺が見蕩れるほどに。

 

いつも明るく運動も勉強も得意で家もお金持ちで尚且つ戦場ヶ原さん本人の性格も良いときたらそりゃ人気者にもなるだろう。事実彼女は友人も多く特に一つ下の後輩、神原駿河(かんばるするが)とはとても仲が良かった。

 

俺も戦場ヶ原さんとはそこそこ仲も良く、一緒に遊びに行ったり彼女の家にお邪魔したりなんてことはなかったが学校ではかなり話していた。三年間同じクラスだったというのも大きいだろう。

 

だから。高校に入ってから自然と彼女とは話さないようになり、三年生で同じクラスになった時、俺は驚いた。

 

彼女の儚さ——とでも言うべき雰囲気に。その存在感に。——そして、その美しさに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

005

 

 

 

「よしっ。やっと終わったか」

 

 

深夜、例の学習塾跡の廃墟で俺は忍野さんの手伝いをしていた。

 

忍野さんによると戦場ヶ原さんが出会った——出遭った怪異はなんと神様らしい。鬼、猫ときて次は神か、なんて思ったが地域によって呼び方が違うらしく正確には蟹だそうだ。

 

 

 

 

 

「おもし蟹——だね。そりゃ」

 

時は遡り阿良々木と戦場ヶ原さんが忍野さんへの説明を終え、戦場ヶ原さんの許可を得て一緒に聞いていた俺も話を理解した頃、忍野さんはそう言った。

 

「おもし蟹?」

 

聞いたことがなかったのか阿良々木が再度口にする。かく言う俺も初耳だ。

 

おもし蟹、重いし蟹、重石蟹、おもいし神、とも言うらしい。ようは神でもあるし蟹でもある。細部に差異はあれどそれらに共通することは、それに行き遭った人間は重さを失い——存在感が希薄になるらしい。

 

存在感が希薄に——儚げに——。

 

そして、中学三年生の頃、戦場ヶ原ひたぎは蟹に遭い、重さを——失ったのだった。

 

五キロ。

 

——それが彼女の今の体重だ。

 

五キロと聞くと体重を失ったと言うほどなのだろうか、とも思うかもしれない。ただ、人間の大きさで五キロというのは。明らかに異常だろう。怪しく——異なっている。

 

「助けて——くれるんですか?」

 

戦場ヶ原さんはおもし蟹の話を聞き終わるとそう言った。

 

「助けない。力は貸すけどね。お嬢ちゃんが一人で勝手に助かるだけさ」

 

俺には、その違いも。忍野さんの信条も。よくわからないが——。

 

 

 

 

こうして戦場ヶ原さんを助けることにした——いや、違うな。「助けない。人は一人で勝手に助かるだけ」か。

まあ、とにかく、彼女に力を貸すことにした忍野さんは阿良々木と戦場ヶ原さんに体を清めてくるよう言うと俺には儀式の準備を手伝わせたのだ。なんでよ。

 

心の中で忍野さんへの愚痴を言っていると二人を迎えに行っていた白装束——浄衣(じょうえ)姿の当人が帰ってきた。阿良々木は学生服のままだが戦場ヶ原さんは全体的に白い服装となっている。

 

「おお……」

 

「……何?」

 

やべ、つい声が出てしまった。

 

「いや、そういえば戦場ヶ原さんの私服は初めて見たなって思って」

 

「言われてみればそうね。……だってあなた、クラスで何処か行こうってなってもいつも来なかったじゃない」

 

「大人数で騒ぐのって苦手なんだよ。少人数で騒ぐのは好きなんだけどな」

 

なんてことを話していると阿良々木が驚きながら話に入ってくる。

 

「……え、ちょっと待ってくれ。一宮と戦場ヶ原って知り合いだったのか⁉︎」

 

「ん?そうだけど」

 

「何よ。阿良々木くんたら気づいていなかったの?察しなさいよそのくらい」

 

「いやお前ら全然そんな感じ出してなかったじゃん!察せれねえよ!僕には無理だよ!」

 

「うるさいわね。黙らないと口を縫いつけるわよ」

 

「あの戦場ヶ原さんがすげえ毒舌だ……」

 

なんて、くだらないことを話していると忍野さんからストップが入る。どうやらそろそろ儀式とやらを始めるらしい。

 

「三人とも。目を伏せて、頭を低くしてくれる?」

 

儀式を行う教室に入ると忍野さんはそう言った。

 

「神前だよ。ここはもう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

006

 

 

 

戦場ヶ原さんは忍野さんに渡された御神酒を飲み、心を整えている。おそらくはこういった場をつくるのが大事なのだろう。神様が降りてくるような——そういう状況が。

 

「落ち着いた?」

 

「——はい」

 

「そう——じゃあ、質問に答えてみよう。きみは、僕の質問に、答えることにした。お嬢ちゃん、きみの名前は?」

 

「戦場ヶ原ひたぎ」

 

「通っている学校は?」

 

「私立直江津高校」

 

「誕生日は?」

 

「七月七日」

 

その後もいくつか質問は続いた。一見なんの意味も無いような質問が——淡々と。

 

そして

 

「今までの人生で」

 

忍野さんは変わらぬ口調で言った。

 

「一番辛かった思い出は?」

 

「…………」

 

ここで、初めて。戦場ヶ原さんが、質問に詰まった。

 

「どうしたんだい?一番辛かった思い出——記憶について聞いているんだ。」

 

「……お」

 

沈黙を守ることのできる——状況ではなかった。

 

言いたくないと、拒絶もできない。

 

これが——状況。形成された、場。

 

「お母さんが——悪い、宗教に嵌ったこと」

 

 

そこから。忍野さんの質問に戦場ヶ原さんは答えていった。

 

母親が悪徳宗教に騙され財産を貢ぐことになり、浄化だと言われ宗教の幹部に性的な暴行を受けそうになったこと。

 

その場はスパイクで幹部を殴ることにより逃れたが母親には責められ母親がペナルティを負ったこと。

 

結果家庭は崩壊し母親とは離ればなれになったこと。

 

「お母さんは、今、どうしている?」

 

「知らない」

 

「知らないということはないだろう」

 

「多分、まだ——信仰を続けているわ。懲りもせず——恥ずかしげもなく」

 

「それも、辛いかい?

 

「辛い——です」

 

「どうして、辛い?もう関係ない人じゃないか」

 

「考えてしまうんです。もしも私があの時——()()()()()()()()、少なくとも——こんなことには、ならなかったんじゃないかって」

 

壊れなかったんじゃないかって。

 

「そう思う?」

 

「思う——思います」

 

「本当に、そう思う?」

 

「……思います」

 

「だったら()()は——お嬢ちゃん。()()()()()()

 

忍野さんは言った。

 

()()()()()()()()()、それはきみが背負わなくてはならないものだ。他人任せにしちゃあ——いけないね」

 

——他人任せ、か。

 

「目を背けずに——目を開けて、見てみよう」

 

戦場ヶ原さんはそっと——目を開けた。

 

俺も、目を開ける。おそらく、そこに()()がいるから。俺は——感じる。

 

「あ、あああああっ!」

 

戦場ヶ原さんが大声を上げた。その体は震え顔は驚愕に染まっている。そして——視線は、前方に固定され、何かをじっと見ている。

 

「何か、見えるかい?」

 

忍野さんが問う。

 

「見え、ます。あの時と同じ——大きな、蟹が」

 

「そうかい?僕には何にも見えないがね。阿良々木くんは?」

 

そう訊かれ阿良々木は見えない、と言った。

「そ。じゃあ——一宮くんは?見えるかい?」

 

答えはわかっているだろうに……。

 

「見えるよ。はっきりと」

 

やはり、戦場ヶ原さんの前に、蟹は見えた。予想通り。俺は()()()()()()なのだろう。

普段は驚いてばかりいる阿良々木もあまり驚いていないのを見るに俺のことをなんとなくわかってはいるのだろう。この場で唯一驚いているのが戦場ヶ原さんとは珍しいもんだ。

 

「ま。一宮くんに関しては予想はできてたしね。問題はお嬢ちゃんだ」

 

忍野さんがそう言って——おそらく無意識だったのだろう——戦場ヶ原さんが少し、顔を上げた瞬間。

 

蟹が、戦場ヶ原さん目掛けて迫る。

 

だから——それが見えていた俺は足で蟹を止めた。蟹の——神様の顔を足の裏で踏むように。そこそこの衝撃があったらしく脚が少し痛いが大したことではない。そこらへんの怪異ならば俺は力で押し負けない。

 

「……な、え?」

 

「全く何をぼうっとしているんだい。阿良々木くん。体を張るのは一宮くんよりきみの得意分野だろう?」

 

急に動きだした蟹に狼狽えている阿良々木に忍野さんは小言を言いながらこちらに近づく。見えないはずの蟹を容易く掴み背負い投げをした後にそのひっくり返った腹を踏んだ。

 

……うん。まあ。俺が言えることではないけど。神様の扱い雑だな。

 

「別に僕はこのまま踏み潰しちゃってもいいんだよ。根本的な解決にはならないけどお嬢ちゃんの体重は戻ってくるしね。それに何より——」

 

忍野さんは少し顔を歪めて笑う。

 

「——僕は蟹が嫌いなんだよ。食べづらいからね」

 

忍野さんの脚に力が入る——。

 

「——待って」

 

今まで固まっていた戦場ヶ原さんの声が響いた。

 

「待って——ください。忍野さん」

 

「待つって——」

 

意地悪な笑顔で戦場ヶ原さんを見る忍野さん。

 

「待つって、何をさ。お嬢ちゃん」

 

「さっきは——驚いただけだから」

 

戦場ヶ原さんは言った。

 

「ちゃんと、できますから。自分で、できるから」

 

「……ふうん。」

 

忍野さんは踏んだままだ。しかし、踏み潰すようなことはせず。

 

「じゃあどうぞ。やって御覧」

 

戦場ヶ原さんはそう言われると、忍野さんの足下に——蟹に、土下座をして——そして、謝罪をした。

 

「——ごめんなさい」

 

「それから——ありがとうございました」

 

「でも——もういいんです。それは——私の気持ちで、私の思いで——私の記憶ですから、私が、背負います。失くしちゃ、いけないものでした」

 

「お願いです。お願いします。どうか、私に、私の、重みを、返してください」

 

「どうかお母さんを——私に、返してください」

 

だん。

 

忍野さんの足が——床を踏み鳴らした音だった。

 

無論、踏み潰した——のではない。

 

いなくなったのだ。

 

ただ、そうであるように——当たり前のようにそこにいて、当たり前のようにそこにいない、そんな形へと戻ったのだろう。

 

還ったのだ。

 

そうして。

 

その場から一歩も動かない忍野さんと、呆けている阿良々木。それから、土下座の姿勢のまま子供のように泣きじゃくる戦場ヶ原さんを視界に——。

 

俺は——。

 

蟹が見えたことを若干の諦めと共に受け入れながら。

 

こんな時間でも眠くないのは午後の授業でしっかり寝ていたおかげだな——なんて。そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

007

 

 

 

 

後日談というか、今回のオチ。

 

 

 

戦場ヶ原さんは結局、蟹に願ったのだ。

 

母親への辛い思いを、その重みを——。彼女は失った。自分で背負うのをやめた。

思い、しがらみ。おもいし神。おもし蟹。

 

彼女はそうやって辛い思い出を忘れ、余分なものを背負わないようにして。だから、そう。体重を失った彼女は——あんなにも美しかったのだろう。

 

だが戦場ヶ原さんは自分で背負うことを願った。辛い思い出だとしても。それは、母親への——彼女の思いだから。

 

中学の頃に気づけていれば、なんてことは考えない。

 

俺が気づけていたところでこれは戦場ヶ原さんの家族の問題だ。俺に、できることなどない。

あの後泣き止んだ戦場ヶ原さんは、幾分かすっきりした顔と、声で。阿良々木と俺に、友達になってくれと、そう言った。

 

あの時の阿良々木のにやけ顔といったら。

 

まあ、なんだ。

 

その気持ちはたしかに——わからんでもないよ。

 

 

 

 

翌朝、目を覚ますとどうにも体が重い。もしやと思いつつ体重計に乗ると目盛りは百十キロ近くになっていた。

 

「うわぁ……」

 

この分なら阿良々木も百キロくらいにはなっているのだろうか。なんて。そんなことを考えてふと思い出した。

 

そういえば俺も。蟹は大嫌いだったな——。

 

 

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