004
それが千石撫子に取り憑いている怪異の名前だそうだ。
彼女の体に巻きつき——巻き憑いている蛇の呪い。
正直、怪異としてのランクはそこまで高くない。人を殺す怪異とはいえ伝説の怪異殺しなんかと比べれば低位のものだ。
——だが、あそこまで人に恐怖を覚えさせる怪異もなかなか無いだろう。
いや、他の人には見えないのか。
ともかく、蛇というものは人間に根源的な、本能的な恐怖を与えるものだろう。彼女の爪先から頭にかけて、ぐるぐると、巻きついている姿には少し恐怖を覚えた。
そもそもの話、蛇切縄はクラスメイトの少女にかけられたらしい。その女の子が好きだった男の子が千石撫子に告白し、そうとは知らずに振ってしまって——そんな色恋沙汰から生じた悪意による呪いにしては悪質なものだろう。
だが、俺以外に蛇切縄は見えていないのだ。そんなことは事実として知っていた。——いや、知っていたつもりだった。
俺は自分でその本質を理解していなかった。だから彼女にあのような思いをさせてしまったのだ。
結局、千石撫子は最後まで被害者で、俺はそんな彼女を助けてやれなかった。
今回の件は俺に深い後悔と決意を与える——そんな事件だ。
005
北白蛇神社で千石撫子を保護した後、俺、阿良々木、神原、そして彼女の四人で阿良々木の家に来ていた。というのも彼女——千石撫子が人目の付かない場所で話をしたいと言ったからだ。
「ふむ、探すか。一宮先輩」
「ああ、探そう。神原後輩」
「探す?何の話だ?」
阿良々木が何かほざいているが、まったく。こいつはバカか。男子高校生の部屋に来たらやることは一つしかないだろ!
「「エロ本を探すぞ!」」
俺と神原はそれぞれ別の方向に即座に別れる。
「神原!お前はベッドの下と本棚の本の裏だ!俺は少し難度の高い引き出しを外したその裏等を探す!見つけたら即時報告しろ!」
「了解した、一宮先輩!ふふ、懐かしいな、このノリは!阿良々木先輩の性癖をここで正式に知れるかと思うと興奮してきたぞ!」
さすが神原。ノリが良い。
結局阿良々木に止められ中断となった。あの焦りようはわりとマジで隠してそうだな……。
「……ふふっ」
すると、後ろから控えめに、小さな笑い声が聞こえた。
「……あっ、その、ごめんなさい……。みなさんのやりとりが面白かったから……」
おずおずと、不安そうにこちらを見ながら話す。声は後半になるにつれどんどん小さくなっていて最後はあまり聞き取れなかった。
……うん。なんというか、守ってあげたい。
「えーっと、まあ、落ち着いたことだし改めて自己紹介でもするか。俺の名前は一宮咲万だ。阿良々木の友達でそこにいる神原の先輩だ、よろしく、千石ちゃん」
「あっ……、はい。よろしく、お願いします。一宮さん……」
わかってはいたが俺にはお兄ちゃんとは付けないらしい。阿良々木が特別なんですかね。本当にこいつ女たらしだな。
……にしても、なかなか見ていて痛々しいもんがあるな。
先ほどまで神原と共に空気を紛らわせていたが、こうやってはっきり見ると事態が深刻なことがわかる。二人には見えていないだろうが今千石ちゃんの体には半透明な蛇が巻きついているのだ。それも二匹も。爪先から始まり首元まで迫ってきているのを見るに頭に到達するとアウト、ってところか?
残念ながらこの怪異に関する知識は俺の中にはなかった。蛇の怪異というのもまた数が多く全てを把握できていないのだ。
ということで、蛇が見えていない阿良々木と神原には千石ちゃんが服を脱いで素肌に残る鱗のあとを見せたのだ。さすがに俺は席を外したぞ。会ったばっかの知らん男に肌を見られるのは嫌だろうし。
そして今、忍野さんに話を聞きに阿良々木が学習塾跡の廃墟へ向かったのだ。
俺の場合体質によって常に呪いの進行具合をチェックできるし、同じ女性である神原がいれば千石ちゃんも多少は気が和らぐだろうということで阿良々木が行くこととなった。
……千石ちゃんは、泣いていた。鱗の模様がびっしりとついた体なんて嫌だと。だが、それだけではないのだろう。
「千石ちゃん」
「……何ですか?」
俺は彼女の目を見て告げる。
「もう痛みを我慢しなくていい。今阿良々木はいないし俺も神原も気づいている。痛みは無い、なんて言ってたけど嘘だろ、それ」
千石ちゃんは驚いたような顔をした後に神原を見る。やはり神原も気づいていたのかゆっくり頷いている。
「阿良々木に心配をかけたくないって気持ちもわかるけどな、辛いときは辛いで良いんだよ。俺なんか大して辛くなくても愚痴ばっか言ってるぜ」
俺が茶化すように言うと千石ちゃんはくすりと笑った。うん、少し表情も和らいだような気がする。やっぱ女の子が泣いてるってのは嫌だからな。
そうやって彼女の気を紛らわそうと雑談をしていると阿良々木が帰ってきた。さて、ようやくだ。さっさとこの呪いを解くぞ。
006
夜、俺たち四人は再び北白蛇神社の境内へと来ていた。というのも、これから蛇切縄の解呪の儀式を行うためだ。どうやらこの場所がなにかと都合が良いらしい。
そもそも、呪いというのはそんな簡単なものではないとのことだ。少なくとも、ど素人の中学生がお呪いとして流行っていた蛇切縄を千石ちゃんにかけた程度では成功するはずもないらしい。
だが、その蛇切縄が発動する前、その女の子から呪いをかけたと告げられた千石ちゃんは不安になり本屋で解呪方法を調べ、実行した。
それが蛇のぶつ切りだったというわけだ。その方法自体は正しかったらしいが、
蛇神を信仰し、なおかつこの神社はよくないものの吹き溜まりだ。
それが本来発動するはずもなかった蛇切縄を発動させてしまった。要するに放っておけばなんともなかったのだ。
だがまあ、発動したからには急がなければ、最後には口の中に頭を入れてきて絞め殺してくるらしい。
という訳で、阿良々木が忍野さんから教えてもらった結界を俺の知識と照らし合わせて書いていき、その真ん中にまたしても忍野さんから貰った御守りを持った千石ちゃんを座らせた。
鱗の跡が消えていく様子を見るため千石ちゃんはスクール水着である。いや、なんでだよ。そして神原はなんでそんなん持ってんだよ。たしかに肌が見えた方がわかりやすいけどさ……。千石ちゃんも断れ。
そして、いざ儀式が始まると——光と共に蛇がどんどん薄くなっていき、千石ちゃんの体についた鱗の跡も剥がれていった。
……おお。なんというか、流石は忍野さんといったところか。話を聞いただけでちゃんとした解決策を用意するなんて。あの人が知らない怪異なんて無いんじゃねえのか。
そんな風に改めて感心しながら見ていると、千石ちゃんに巻きついていた蛇のうち一匹が完全に消滅した。
よし、これであと半分だ。今回は案外すんなりいきそうだな。
————しかし。
「——っ。ぅ……」
突如、残る蛇が暴れ出し千石ちゃんの口の中に侵入する。先ほどまでより強く締め彼女はついに仰向けに倒れてしまった。
「……何がっ、何が起きてる⁉︎」
俺は阿良々木を見る。この方法で蛇切縄は消えるんじゃないのか!
「……二匹、いたんだ。千石にかけられた呪いは、一つじゃなかった…………!」
——何?
まさか……一匹だと思っていたのか?今まで、ずっと?
千石ちゃんの体にはびっしりと鱗の跡ができていた。そして、それは両足にもついていた。一匹ならそんなつき方はしないだろう。
それに——蛇切縄は、一つで二匹の怪異じゃないのか?
千石ちゃんにかけられた呪いは、二つ……。彼女は学校でお呪いが流行っていると言っていた。なら、千石ちゃんに恨みを持った少女以外にも呪いをかけることができる。例えば、千石ちゃんに振られた腹いせに呪いをかけることも——。
「…クソっ!」
急いで千石ちゃんに駆け寄る。未だに彼女はもがき、苦しんでいる。俺なら、あの蛇を引き剥がせるはずだ!
俺の腕より太いであろうその体を掴み千石ちゃんから引き剝がす。その瞬間蛇は俺の腕に噛みついてきた。
これは……毒か?体に嫌な感覚が駆け巡るのを感じる。だが、俺には関係ない……!
暴れる蛇の頭を掴みそのまま地面に叩きつける。そして怯んだところに全力で顔を蹴りつけた。しかしまだ蛇は動いている。
俺は怪異に耐性があるだけで強いわけではない。力はそこらへんの奴らと変わらない。故に、決定打とならない。
……どうする?倒せるか?阿良々木なら……いや、今あいつはそこまで吸血鬼化をしていない、勝てるかは——。
すると。
しばらくもがいていた蛇は唐突に俺に尾を向け境内から出ていった。
……逃げた、のか……?
阿良々木がその蛇を追おうとするが神原に止められている。何故追おうとしている?放っておけば解決だろうに。
急いで息を荒くした千石ちゃんに駆け寄ると、その肌に鱗の跡は残っていなかった。どうやら、今度こそ本当に蛇はいなくなったらしい。
ほっとする俺と千石ちゃんの後ろで、阿良々木と神原は重苦しく口を閉じていた。
007
後日談というか、今回のオチ。
人を呪わば穴二つ、という言葉がある。
要するに、失敗した呪いはかけた者に返っていくらしい。北白蛇神社から逃げ出したあの蛇は、千石ちゃんに振られた少年に返っていったのだろう。
だからあの時阿良々木は蛇を追おうとしたのか。そして、それを神原に止められた。俺たちが助けるべきは千石ちゃんであり、離れる蛇を追って危険を背負う必要はないと。助けるべき人間を間違えるなと。
……神原には辛い役目を負わせてしまった。彼女とて本当に放っておくべきだと思っていたわけじゃあないだろう。
あの後、千石ちゃんにはとても感謝された。助けてくれてありがとうと。
阿良々木のあの思いつめた顔を見るに、素直に受け取れなかったのだろう。本当に、あいつは優しい奴だ。
そこから千石ちゃんのまだ帰りたくない発言によって皆で学習塾跡にお泊りすることになったのだが、その話は蛇足というものだろう。
阿良々木と神原、千石ちゃんが寝静まった後、俺は一人で廃墟の中をふらついていた。
「眠れないのかい、一宮くん」
「……まあ、そうっすね」
背後からふとかけられた忍野さんの声に反応する。
「今回の件、君に責任があるとは僕は思わないけどね。失敗はあれどそれは僕たち全員のミスだ。阿良々木くんやえろっ子ちゃんとの情報の交換が、僕の蛇切縄の説明が足りなかった。……すまなかったね」
「……いや、俺が蛇切縄について知識があれば防げたことでした。千石ちゃんは無駄に苦しむ必要はなかったですし、呪いは例の少年に返っていかなかったんじゃないっすかね」
そうだ、今までは自分の為だった。自分が怪異と何かあったときに対処できるよう学んでいた。でも、違う。誰かの為に、ってほど俺は善人でもないしお人好しじゃあないが、身近な人や知り合いくらいは、どうにかできるように。
羽川さんだって、いつ何が起こるか——。
「忍野さん」
「……なんだい?」
忍野さんは、促すように——俺が言いたいことがわかってるかのように、聞き返してきた。
「俺、専門家になりたいです。この先、絶対に俺は怪異に対処しなくちゃいけない。その時にただの知識じゃ駄目なんですよ。俺は忍野さんみたいにバランスをとるだとかの信条は持ってないですけど、でも、やりたいことが——なんとなく、わかったんです」
「……そうかい。きみがそう決めたんなら、それでいいだろ。僕がとやかく言えることじゃあないしね」
忍野さんはそう言って去っていった。気つかってくれたんかね。まったく、本当にお人好しだな、あの人は。
自分の中で意志は固まった。なんだか今ならすぐに寝れそうだ。
ちなみにこの後すぐ伊豆湖さんから電話がきたのにはビビった。あの人俺に盗聴器でも仕掛けてんのか……。