その日、彼はセカンドチャンネルで配信をしていた。久方ぶりのタイピング対決、負ければ盟友の提案したえげつない台詞読み上げが待っているから、手を抜かず本気の勝負だ。
部屋に響くのは打鍵音。途切れることなく続くそれは、途切れることなく続く問題のせいだ。一度始めれば十数問の打鍵を終わるまで休ませてくれない。
「いよっし! 今回は俺の勝ちだ!」
『つよつよタイピング』
『さす勝』
『参加した盟友達もお疲れさまー』
ふぅ、と息を吐けばその間にコメント欄が流れていく。彼を誉めるコメントもあれば、参加者をねぎらう言葉、次は自分が参加して負かせてやると息巻く者。
多彩なコメントを楽しみながら、次の参加者を募集する。ぽんぽんとプレイヤー名が表示され、そこで目が止まった。
「ん? これは……」
己と同じ黒色指定、漢字で三文字の名前。彼にとっては13年にプラスして5年付き合ってきた半身のような文字列。
──鈴木勝
正真正銘、彼の名前がそこに表示されていた。リスナーも遅れて気付き、コメントが加速する。
『草』
『ええんかこれ』
『偽物じゃんやっちゃえやっちゃえ』
「ふん、我が名を騙るとは、解らせてやる必要があるな?」
相手もそれ相応の実力を秘めているということは予測が付く。本人の名前を使って放送内でゲームに参加する事実に証明される自信の表れ。
これで負けた日にはもう二度とゲームに参加など出来ない。
ふと、コメントではなくゲーム内のチャット欄が動く。
<面白そうだから俺はこのゲームを抜けるぜ!>
<鈴木勝同士の対決が、見てぇ……!>
「え、ちょ!?」
絶対面白がっているだろうという台詞と共にチャットを打った人物が退室する。
それから遅れて更に二人。
<草。だがそれに俺もノるぜ>
<乗るしかない、このビッグウェーブに>
残った一人は大分葛藤があったのだろう、やや遅れて。
<これが終わって次の試合は優先的に入れるようにしてくださいね……?>
これにて、鈴木勝の名を使ったプレイヤーと本物の鈴木勝だけ。
そんな状態であるためプレイヤー名が表示される右側はとても寂しいものだが、どこか最終決戦じみたものがある。
同じVの者ぐらいでしかありえない一対一の対決が、どこの人間とも知らぬ存在と成立しようとは思わなかった。
画面のコメントもほとんどは彼を応援するものだが、一部の面白がりは偽物の方に声援を送っている。彼が負ければ事前に募集した台詞リクエストで人気の高いものを読まなければいけないからである。
裏切者どもめ、とは言わない。
<ありがとう>
件の偽物から、そんなチャットが送られてきた。ノリノリで出て行った他のプレイヤーに対する感謝だった。それと同時に、名前の横に待機中が表示される。
「さっき抜けた人はこの次に絶対入れるから、安心してくれよな!」
カウントが始まる。3,2,1,start!
ここからもうコメントを読む暇がなくなる。いかんせんタイピングに集中しなければならない。部屋には打鍵音と、たまにタイプミスをしてしまう時の呻き声。
だから気付かなかった。コメント欄が少しおかしなことになっていたのは。
────
最初に気付いたのは誰だっただろうか。
『なんだ、これ』
『おいおいマジか』
画面上にはタイプに反応して消えていくローマ字群。それ自体はこのゲームの至って普通の光景なのだから特筆すべきことではない。
問題はプレイヤー名『鈴木勝』のタイピング速度にあった。
一つのミスもなく完璧なタイピング、本物がミスをすれば、まるで気遣うように速度を落として一文字だけ残して復帰を待つ。そうでなければ彼よりも
『どうなってんだこれ』
『多分ここまで全部偽物が先に終わってる』
まるでロボットのような正確さ。であれば当然疑われるのはアレだ。
『お?お?チートか??』
ルールの埒外にある、つまり反則技。コメントが若干荒れかけるも、大多数のリスナーはそれに対して若干懐疑的であった。
たかだかタイピングゲームでこんな解りやすいものを使うかどうか。有名ゲームならともかくこんなドがつくマイナーゲームで態々作ってまでやるのか。
次にゲームに参加している件。チートを使うならばもっと判別が付かず紛れてやるもので、参加型に自分から入ってきて、という矛盾には疑問符が付く。
そして最後──
『でもそんなズルする奴がわざわざありがとうなんてお礼言うか?』
『……ま、まあうん』
『一理ある』
試合前に見せた一欠片の感情。なんとなく悪い奴じゃあないんじゃね? という曖昧なもの。
ともあれ、コメントが盛り上がっている間にタイピング対決は終わりを迎える。どちらが勝ったかは言うまでもないだろう。
────
「うそ、だろ……?」
その結果を見て彼は唖然とする。
自分より僅かに高いkpmはタイプスピードが自分より優れている事を示していた。
その右にある正確性を表す数値は三桁、つまり100%の表示で、下に表示されるグラフも全てが綺麗に上回っていた。
文字通りの完敗である。
コメント欄を遡ってみれば、リスナーもざわついていた形跡が残っていた。驚愕や愉快、卑怯な手を使ったと断定して憤怒や悲哀等々。
ただこの戦いで感じ取った奇妙な何かが、奇しくも大多数と同じ答えを彼に抱かせていた。即ち、チート等使っていない、純粋な実力によってもたらされた敗北だと。
『対戦者だけど、鈴木勝も大したことなかったな』
流れるコメントを見ながら、悔しいと返していた中でそれは一際目立つコメントだ。
再びざわつくコメント欄。そのコメント主の名前を見た、本人が一番驚いている。
『大したことないな13歳?』
「お前、誰だよ!」
『名前欄も見えないのか?』
「そう、じゃない……! だって!」
それは、俺のアカウントだろうが。叫びかけて、なんとか声を飲みこんだ
D.E.放送局【鈴木勝/にじさんじ】。それは、彼のファーストチャンネルの名前。
成りすましを疑ったのは全員一緒。そして名前からチャンネルへ飛んだ全員が、本物だと確認してコメントに流した。
リスナーの脳裏に自演の二文字が過ぎる。
「これは自演でも劇場型でもないんだ。俺自身も、何が起きてるか……」
『あっと、そうそう乗っ取りも違うから安心してくれよ?』
「は?」
『いや乗っ取りは、むしろ13歳の方が先と言った方が正しいか』
ふと、突拍子もない仮定が彼の思考に浮かんできた。
鈴木勝の名前を使ったこと、13歳という呼び方、そしてこの言いぐさ。
けれどそれはあり得ないことなのだ。『あの人』は彼を知らないはずなのだから。
だから、今度は抑えきれずに否定するような声色が漏れてしまった。
「ま、さか……」
『よう、13歳の俺。5年後から本物が≪解らせ≫に来てやったぜ』
もはや考える必要もなかった。
画面の向こうでファーストチャンネルを操っているのは──現実世界で目覚めた
ひゅっと、喉が鳴った気がした。
『俺はお前を認めない、なんて言うつもりはないが』
やめろ。
視界が暗く染まっていくような感覚。
『少しくらいは仕返ししたっていいよな?』
ぶつん。
ライブ ストリームはオフラインです。
「ま、待て! まだ終わって!」
『これからお前のゲーム配信には参加させてもらうが、俺が勝ったらその時点で配信はお開きだ。もちろん定期的にやってくれないと、どうなるかなんてわかるな?』
突然の終了に加速するコメント欄だが、その中にあってなお目に留まる存在感。
ボタンを押せばすぐに再開できるはずなのに何故かやる気が出てこない。
これが敗北なのだ。完膚無きまでにねじ伏せられた、敗者の気分。
なんという無力感、なんという忸怩感。これ程までに感じてしまうのは、相手が五年後の自分だからだろうか。
負の感情がごちゃ混ぜになったまま、彼はベッドの上に身を投げた。
────
後に
自演と揶揄されているが「Funny」と綴られる辺りリスナーがこの状況をどれだけ楽しんでいたのか見えてくる。
週に一回か二回繰り広げられる光景の理由は割としょうもなかったりするのだが、それを彼らが知るのはもう少し後になる。
(シリアスにはなら)ないです