インフィニット・ストラトス 迷い龍は空を目指す 作:ガクジン
目の前に、白い身体がある。
織斑一夏は、その体を掻き抱く。抱かれた少女は切なげな声を漏らして、一夏に身をゆだねた。
「―――」
「イチカぁ……」
一夏が名前を呼ぶと、白い裸体の少女は、甘えたように彼の名を呼んだ。
「―――」
再び一夏が少女をきつく抱く。その光景を見ている、もうひとりの織斑一夏は、自らの分身が抱く少女の顔を確かめようとした。だが、顔には薄靄がかかって、よく見えない。
だが。髪だけはかろうじて見える。
長い黒髪を二つに縛った、その特徴的な髪形は――――――
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「…………どういう夢だよ」
織斑一夏は、憮然とした表情で目を覚ました。窓の外を見れば、すでに明け方のようで、二度寝すると寝坊すると思ったのか、のそのそと寝袋から這い出す。
見ればすでに、部屋の本来の主の姿はベッドにはなく、キッチンからコーヒーの香りが漂っていた。
「よ、起きたのか」
鯉淵龍がキッチンから顔を出す。
「あたた……寝袋とはいえ、床は固いな」
「仕方ないな。ここは本来一人部屋だし。エアマットから落ちたお前が悪い」
織斑一夏の横にはエアマットが置いてあり、夜中にそこから落ちたのが痛みの原因らしい。そう納得して一夏は体を伸ばす。
「コーヒーが入ってる。飲んだら飯食いに行くか」
「ああ、サンキュ」
織斑一夏は礼を言いながら、差し出されたマグカップを受け取った。
「しかし、夜に転がり込んできたと思えば、一晩泊めろとは。部屋片づけるのも大変だったぜ」
「………これは片づけたとは言わねぇ」
一夏は、やたら旨いコーヒーを味わいながらも、不満そうに言った。なぜなら。
「寝るスペースはあるだろ?」
「それしかないじゃないか」
数か月前見た鯉淵龍の部屋は、医療機器が大量にあったものの、それ以外に6畳ほどの生活空間は確保されていた。しかし。
「なんだよ、この……」
「これぞ男の部屋だ」
「絶対に違う」
現在。その生活スペースには所狭しと様々な物。たとえば自転車のホイールであったり、山と積み上げられた小説と、技術書の山であったり、1畳ほども占領する巨大な工具箱、壁に掛けられたロードバイクのフレーム、隅に転がっているのはどう見ても車のマフラーだし、冷蔵庫を開ければ食糧に交じって2サイクルエンジンが鎮座していたりした。
わずかに見える床も散々な有様で、ワイヤーやプラグコード、バーテープなど、明らかにゴミとわかるものが散らかっている。
ノートパソコンが置かれた机の周囲には山のように古い文庫本が積み上げられており、今にも崩れそうであった。
壁にはロードバイクのフレーム以外にも、古い国産車の写真や、山用の大きなザック、さらになぜかゼンマイ式の壁掛け時計がかけられて、今も時を刻んでいる。
このカオス空間を昨夜急きょ片づけたため、山々はさらに高くなり、今にも崩れそうであった。事実一部は崩壊したようで、朝起きた織斑一夏の足にはロードバイクのホイールが乗っかっており、夢の中同様抱いていたらしいものはいつの間にか落ちてきていた龍のダウンコートだった。
「………大体、なんだよこのがらくたは。いつの間に集めてきたんだ?」
「がらくたと言うな。宝の山だぞ。あのフレームはまだイギリスで作ってた頃のラレーだし、お前が踏みそうになってる箱の中身は未使用のサンツアーサイクロンだ。さらに言えばそこのマフラーは幻となってしまったスバル1000のチューンパーツだし、お前の上に落ちたホイールはカンパニョーロの古いエアロホイールだぜ?6速時代の」
これなんかセットで13万もしたんだ、と笑いながら龍は言う。
「自転車好きなのは知ってたけどさ……ホイールとかは、普通天井とかに掛けるんじゃないか?」
「もうかけられる釘がないんだ。寮だし、壁や天井に穴開けるわけにもいかないだろ」
「……まあ、絵を外してフレーム掛けるのは間違いなくお前だけだろうな」
「よせよ、照れるぜ」
「誉めてねえ」
一夏が言うと、龍は肩をすくめてから、マグカップをシンクに置いて、一夏に言った。
「そろそろ行くか?」
「……ああ。ごちそうさん」
一夏も残っていたコーヒーを飲み干すと、それをシンクに置いて、龍に続いて部屋を出た。
「一夏、今日早いわね」
食堂に行くと、そこにはツインテールの見慣れた女子がいて、ちょうど湯気を立てるラーメンを受け取ったところだった。
「よう、凰。今日も早いな」
それに対して直接声をかけられていない龍が返事をする。一方一夏と言えば、なぜか固まっており、自らの反応に全く納得できないように瞬きしている。
「おはよ、鯉淵。なんで一夏は固まってんの?」
「さてな。思春期の男子にはいろいろあるのさ」
凰鈴音は龍にあいさつをすると、一夏を見て首をかしげる。一方一夏の寝言をわずかに聞き取っていた龍は、面白いものを見るかのようにニヤニヤと笑いながら言った。
「思春期?」
「思春期を殺した少年の翼、なんてのは一夏は持ってないからな。俺は持ってるが」
「なにそれ」
「まあ、このころの男子によくあることさ。生温く見守ってやるといい」
龍はそう言って肩をすくめると、自らの特別メニューを受け取りに向かう。一方金縛りからようやく脱出した一夏は、多少ぎこちないながらも鈴音にようやく挨拶を返した。
「よ、よう鈴。今日も早いのか」
「私から言わせればあんたが遅すぎんのよ。専用機もちなのにぎりぎりまで寝て。少しは自覚したら?」
「ああ、そうだよなぁ………だが朝の布団にはこう、なんというか抗いがたい何かがあるとは思わないか?」
「知るか」
「まあ、今日は布団じゃなかった。そう言うことだ」
そう言いながら一夏は、食券を出して料理をもらう。
「あ、一夏、今日は……」
「おい凰。ちょっと来い」
鈴音が何か言いかけたところで、中条榛名がやってきて鈴音の首筋をつかむ。
「な、なによ?!」
「担任から連絡だ、職員室にこい」
「うぇ?!まだご飯」
「サッサと来い」
そのまま榛名は鈴音を引きずって行く。それを見送った後、一夏は肩をすくめてからようやくためていた息を吐き出し、龍の隣に座った。
「……ずいぶん緊張してたな。夢の中じゃどこまで行ったんだ?」
「………知ってるのかよ」
「あれだけ寝言で連呼してたら、大体わかるさ」
「………マジか」
「大マジだ。夢は人間の本心を映す鏡だからな。ま、お前も思春期男子だとわかってホッとしたよ」
龍は肩をすくめる。それに対して、一夏は苦い顔で言った。
「鈴とは……そんな関係じゃない」
「今はまだ、だろ?」
「これからもだ。俺は……そんな関係持てない」
一夏は昏い確信を秘めた声で言う。
「それを言うなら俺の方だと思ってたがな……お前は生身だろ。女だって」
「両親を知らないのに、恋愛なんかできるか」
「そうか?」
「そうさ」
一夏はかたくなに言うと、器用に箸で鮭の身をばらし始める。
「凰はお前を好いてるけどな」
「小学生時代のすり込みたいなもんさ。俺なんかより、ましな男はいくらでもいる」
「そう言うもんでもないと思うけどな……だいたい、お前凰がほかの男の腕の中にいるところ想像できるか?」
「………無理だ」
「そう言うことだろ」
龍は分かったように言う。一方一夏は苦い顔をすると、頭を机に打ち付けた。
「おいおい」
「中途半端な男だと笑えよ。自分で自分が嫌になる」
「正常な反応だと思うがな。お前は無駄に大人になろうとしなくても、まだいい歳だ。とことん青春をやればいい」
「………はあ。お前は二つしか違わないのに、ずいぶん大人だけどな」
「この年頃の2年は大きいんだよ。たまに俺が年長者だっていうこと、忘れてないか?」
俺も十分ガキだけどな、と龍は続ける。
「2年か。2年もすりゃお前みたいに受け入れられるようになるのか?」
「さあな。だが、凰があと2年待ってくれるとは限らないだろうが」
「………そうだよな」
一夏はぼやき、ほぐした鮭を白米の上にかけて海苔を散らし、その上に緑茶をかける。
「食欲ねえから茶漬けだ」
「そんだけ食うのにどこが食欲ないんだ」
「いいんだよ」
一夏はそう言って茶漬けをすすると、ため息をつく。
「好きなのかな、俺は。鈴のこと」
「そいつはお前にしかわからんだろう。俺に聞かれても」
「そうだよな」
一夏はそう言うと肩をすくめて、勢いよく茶漬けを食べだした。
その日の昼の休み時間。龍と一夏が屋上で飯を食っていると、何やら地響きが聞こえてきた。
「なんだ?」
「さてな。どうやら近づいてきて……一夏、逃げるぞ」
龍はそう言うと、広げていた弁当をしまい始める。
「なんだってんだよ、龍」
一夏が不満そうに言いながらも、素直に食べかけの惣菜パンを丁寧に包んで紙袋に戻す。それを横目で確認しながら、龍は携帯端末を開きつつ、一夏の腕を握った。
「お、おい」
「跳ぶぞ」
龍がそう言った瞬間、屋上の床にひびが入り、次の瞬間二人は屋上の出入り口の上に設置されている、給水タンクの上にいた。
「なんなんだよ、龍」
急激な加速にふらふらしながらも一夏が問う。それに対して龍は、自らが持つ携帯端末の画面を黙って一夏に見せた。
「なになに……今度の学年別トーナメントは実戦的な模擬戦闘を行うため、二人組での参加を必須とする……そういうことか」
「ああ。生体センサーと俺の脳内レーダーが正しければ、さっきの地響きはお前を探し回る女子の大群だ。平穏な昼休みを送るためには、どこかに隠れるのが最適だろ」
「確かにここは登る梯子もないし、死角だからな。わかったよ」
一夏は納得すると、給水タンクの上に座って惣菜パンを出す。
「しかし、改めてお前が強化人間だってことを認識したぜ」
「ああ、さっきの跳躍か」
一夏の言葉に、龍は肩をすくめる。
「ただの人間じゃ、あんな跳び方はできないよな……」
「代わりに捨てたものは多いぞ。おすすめはしない」
「俺はそこまでする気はない。ただ、実感しただけだ」
一夏はそう言うと、総菜パンにかぶりつく。
「まあ、得たものも多いが、失ったものも大きいさ」
龍は総菜パンをほおばる一夏を見ながら、ひとりごとのように言った。
「……聞いてもいいのか?」
一夏がそれに対して反応する。それを見て龍はひとしきり考えると。
「………ま、今のお前なら問題ないか。一応言っておくが、あんまりいい話じゃないからな」
「そんくらいはわかってるさ」
一夏の答えに、龍は満足したのか胡坐をかくと、水平線を見ながら言った。
「失ったものか。まあいろいろあるが、一番は生殖細胞だな。体が二回も変わってるから当たり前だが。俺の直系は未来永劫生まれない」
龍はそう言って肩をすくめる。
「ほかには親からもらった身体とか、人並みの成長とか、そんなものも失ってるけどな。やっぱり一番大きいのはこれだろ」
龍の言葉に、一夏は今朝の言葉を思い出して、納得したように言った。
「それで、俺のことを生身だとか言ったのか」
「そういうことだ。俺からすりゃ、子供ができるはずのお前はそれだけである意味羨ましいさ」
龍がそう言うと、一夏は肩をすくめた。
「そう言われてもな………」
「ま、そうだろうが」
龍は特に気にする風もなく、そう流す。
「まあ、定期的にメンテしないと調子は保てないし、やたら燃費も悪い。生体部品が多いといったって、機械も相応に入っているから、そのあたりの兼ね合いだ」
面倒だ、と龍は言う。
「もっとも得る物は大きい。対G限界は大きく向上したし、防弾チョッキを着なくてもある程度までなら被弾にも耐えられる。ライフルは無理だけどな。筋力も向上してるからさっきみたいな人間には不可能な動きも楽々。戦闘面では恐ろしく高性能になってるさ」
脳内の電脳と銃器の制御システムをリンクしたりとかもできる、と龍は続ける。
「なにより、機動兵器にはどうしても人間の限界が付きまとうが、強化すればその限界はなくなるからな。極限の高機動を謳うISも、PICを人体の保護に在る程度回している以上、いわばその分リミッターがかかってるようなもんだ。これを潔く取っ払っちまえばその分のPICの出力を火器や機動に回すことができる。これをある程度実現してるのがドイツのシュバルツェアシリーズだな。遺伝子強化素体が乗ることを前提にしているから、通常のISよりもかかる負荷は大きい筈だ。特にラウラが乗っているシュバルツェア・レーゲンは、出来がいいラウラが搭乗することを前提にして、さらに対G限界を上げているはずだ。あの絶大なAICの出力はそのあたりから来てるんだろう」
龍がそこまで言ったところで、一夏が横やりを入れた。
「ま、待てよ龍。遺伝子強化素体って、なんだ?」
それに対し、龍は驚いたように一夏を見る。
「……知らないのか、お前?」
「知らないさ」
「いや、おいおい……織斑千冬から聞いてないのかよ?」
「なにを……大体なんで千冬姉が出て」
それを聞いた瞬間、龍の顔が真顔になった。
「№2め、何も言ってないのか」
「なんだよ、№2って」
「………いや、そういうことか」
一夏の問いを無視して龍はつぶやくと、それから一夏を見て言った。
「D計画、も当然知らないな?」
「なんだ?」
「いや……そうだな、知らないほうがいいだろう」
龍がそう言うと、一夏は不満そうな顔になった。
「なんだよ龍、D計画って」
「………織斑千冬がお前に言わないと決めたことだ。俺から言うわけにもいかん」
俺にもまだ確証はないしな、と龍は言って。
「それよりそろそろ行かないと遅刻だ」
そう言って強引に話を切る。
「おい、龍!」
「お前も早くしないと遅刻するぞ」
それだけ言うと、龍は給水塔から飛び降りる。ついで屋上のドアが閉まる音が聞こえ。
「なんだってんだ………D計画?後で千冬姉に聞いてみるか」
そうつぶやいて一夏は残りのパンを飲み込んだ。
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織斑千冬が昼食を終え、教室に向かおうと歩いていると、階段の影から鯉淵龍が現れた。
「どうした鯉淵、授業はもう」
「№2、何も言ってないのか」
千冬がそう言った瞬間、鯉淵龍は千冬をにらむように見て言った。
「…………貴様、やはり」
「確証を持ったのはつい先日だ。一夏の戦闘力を見て。そうだろう、D計画試作№2、ファーストロット、織斑千冬」
「………そう言う貴様は」
「ああ。№9、サードロットだ」
「…………………イレギュラー、か」
「そう言われているらしいな」
そう言って鯉淵龍は鋭い目で織斑千冬を見る。
「遺伝子強化素体のことを、一夏は知らなかった。自分がそうであるにもかかわらず、だ」
「貴様、言ったのか」
織斑千冬は殺気すら乗せた目で鯉淵龍をにらむ。
「いや。だが、俺もまさか知らないとは思っていなかったから、ヒントくらいは得ただろうな」
鯉淵龍はそう言って、織斑千冬に向かって辛辣な言葉を吐く。
「無様だな。それほどまでに愛しいか」
「ああ、そうだ」
それに対して、織斑千冬はわずかの迷いも見せずに即答する。
「愛しいさ。私の弟だ」
「血はつながっていないのにか」
「そうだ」
まったく乱れなしに言い切る織斑千冬。それを見て、鯉淵龍はようやく表情を緩めた。
「そうか、ならいい」
「……鯉淵、貴様はいつから」
「あの計画で、最初から覚醒させられたのは俺とお前だけだ。俺も物心つく前には研究所から出ていたから、RMに聞かされるまではまったく知らなかったな」
今から数年前だ、と龍は言った。
「もっとも、あの計画の産物で今も俺の中に残ってるのは脳だけだがな」
あとはすべて捨てた、と龍は言う。
「………鯉淵」
「何も言うなよ、織斑千冬。№8がここにいるのも、大方お前の手引きだろう」
「……そこまで気づいているのか」
「おいおい、俺は№9だ。俺が気付かないわけないだろう」
「………情報処理能力に特化した、か」
「その3体の中でも規格外だからな、俺は」
「イレギュラーが。あれだけの化け物を扱えるわけだ」
「今は感謝しているよ………で?一夏にはいうのか?」
「…………言いたくはない」
「そうだろうな」
鯉淵龍はそう言って。どこか憐れむように言った。
「まさか、自分が人を殺すためだけに生み出された、なんて聞きたい奴はいないだろうさ」
そう、つぶやいた。
と、いうわけで短めの、いわば布石のような話です。トーナメントは、次回からとなります。
今回は、この作品世界における最大のねつ造設定がようやく姿を見せてきた話になります。何がとはいいませんが、気が付く方はいらっしゃるでしょう。
では、次回もおつきあいいただけることを願って。