絡まる心
『黒鉄一輝が戦う』。
およそ現在の騎士学校の生徒で、そのワードに興味を示さない者はいまい。
がやがやと喧騒に包まれた闘技場は、当然のように満員御礼だった。
今か今かと待っている観衆の顔は、これから見られるに違いないスリルへの期待に満ちていた。
どちらが勝つか。やはり黒鉄だ。いやわからない。
ああだこうだと言い合っている群衆の中には、もちろんこの破軍学園のエース達もいる。
「そう……話には聞いていたけど、本当に急に決まったのね。デートから1日しか挟んでないじゃない。イッキも休まる暇がないわね」
「私もビックリしたわ。ヨミツカさんと店の中で偶然会って、出たら睨み合ってるんだもの。どうもその時に決まったらしいのよね」
デートの最中にテロに見舞われた話を気の毒そうに聞いていた
その隣で若干眉間に皺が寄っているのは黒鉄珠雫だった。
兄に不合理に噛み付くならまず自分を通せと警告はした彼女だが、ちゃんと当人同士で話して決まった事のようなので特に言うことはない。
しかしデートの最中である。もう少し時を選べないのか。
せっかく
ふと浮かんでしまった思いを慌てて振り払う。
「……しかしこの
「そう? 確かにイヌハラも只者じゃないって事はわかるし、もちろん挑んでくるなら受けて立つけど……そういう事を特に思う事はないわね」
何でもなさそうな顔でステラは言う。
確かに彼も相当な強者なんだろう。戦って得られる物も多いだろうし、無駄な時間にはならないはずだ。
だが、自分から全身全霊で戦いたいという欲求はない。
頂点捕食者の対面にある席は一つのみであり、そしてその席は既に永久的に埋まっている。
傲慢、それこそ彼女が彼女たる根幹だった。
「ところで、そのヨミツカさんはどこにいるのかしら? せっかくだから技や流派の解説が聞きたかったんだけど」
「ああ、なんでも一緒に控え室にいるそうです。最後の調整でも手伝っているのでは?」
「そう……」
───『名を上げること』。
聞いた話の通りに仁狼の目的がそれであるならば、この戦いは彼らにとって大きな意味を持つ。
誤魔化しのきかない目を持つ手練れた強者も観ているのだ。勝敗はもちろん、内容の如何によっては彼の望みとは真逆の結果に陥る可能性すらある。
その大一番の直前に彼女がそばにいるのなら、それは仁狼の精神的なコンディションにも関わってくるだろう。
───もうずっと、「大丈夫」としか言ってくれないんです───
「……………」
どちらに勝ってほしいかと聞かれればもちろん一輝だ。
だけど、あの時そう言った彼女の表情がどうしても頭を過ってしまう。
今、彼女は仁狼と一緒にいるらしい。
もしも戦いの前に会話があるとするならば、それは前向きなものであればいいとステラは思った。
そしてもう一人、他校の生徒であるはずの
自分を剣技のみで負かした男が、自分の最大の目標である男と戦うのだ。これを見ないなどという選択肢など有り得ない。
だが、それはつまり二人が自分が到達できていない領域にいるという事実を改めて確認する行為に他ならない。
攻撃的な外見と真顔ながら悔しさと憤懣を隠そうともしない気配に怯え、彼の周囲の席がぽっかりと空白になっている。
しかしその空白が今、一つ埋まった。
「邪魔するよ」
知っている声に蔵人が横目を向ける。
そこにいたのは、清楚な黒髪の真面目そうな少女だ。
訝しむような顔をする蔵人。
逆でこそあれ、およそ彼女が自分から近寄ってくるなど考え難かったからだ。
「……よお、
「正直下の名前で呼ばれたくもないんだけど」
蔵人を中心に結界でも張ったかのように空いたスペースの中、
「何でわざわざここに座った?」
「観戦しながら、実際に彼と戦った君の見解でも聞ければと思ってね。詠塚さんがいたならその隣にしたさ」
「あん? 誰だそのヨミツカってのは」
「去原くんのそばにいた女の子だよ。去原くんに剣を教えた人の娘さん。道場主なんだって」
あいつか、と蔵人は連れだって歩く二人の姿を回想する。
戦士の気配を感じなかったので大して覚えていなかったが、確かに道場主ならばその流派の何たるかを知っているのが道理だろう。
それがいないとなれば、体験した者の話を聞くという選択は間違いではない──というか自分も聞きたい──が。
「ハッ、それで俺に講釈垂れろってか。お前アレか───
二人の因縁を知っている者からすればそれは、皮肉を通り越して薄皮で包んだ程度の鈍器で殴るような言葉だった。
しかし絢瀬は言葉に詰まることも怒気を露にすることも無かった。
「形振りなんて構っちゃいられないよ。何でも食べて大きくなる。例えそれが、君から得られた物だったとしても」
完全に己の腹を決めている者が、挑発に動じる筈もない。
ただ確固たる己の意思を表明する。
それだけでいい。
ただそれだけで、悪意などという有象無象は自分に道を譲る。
「───ボクから奪ったモノのけじめは、必ずつけさせるから」
身を切り裂くような寒気。
かつて二度覚えのあるものと同じ感覚が、蔵人の背を駆け上る。
この感覚は、そうだ。
滅茶苦茶になった道場で、黒鉄一輝が最後に放つ技を前にした時と。
滅茶苦茶になる前の道場で、満身創痍の彼女の父親が放とうとした奥義に感じたものと───同じ震えだ。
「ハッハァ……どうしたよ。ちょっと前とは
「さあね。とにかく君はボクの質問に答えてればいいんだよ」
話は終わりとばかりに絢瀬は蔵人から目線を切る。
弱々しく睨んで鳴くだけだった『少女』はどこにもいなかった。
じわじわと沸いてくる歓喜に、蔵人は荒れる心を一時忘れていた。
動機良し。覚悟良し。
頂点を目指す
娯楽として勝ち負けを楽しむか。
事の行く末を見守るか。
自分の糧にせんとするか。
三者三様の心情を前に、いつだって時間は平等だ。
『さて!いよいよ時間となりました!
2日前に発生した大規模なテロ事件、ここ破軍学園と禄存学園の生徒合わせて4人が鎮圧したニュースは皆さんご存じかと思います!
だがしかしっ!!
共に悪行を捩じ伏せたはずの双方が今日、互いに刃を交えようとしていますっっ!!
昨日の味方が今日は敵か!?
ルールはまたも実戦形式!
本日の実況は私、放送部の
『おっすー。活きのイイ若いのがいるって聞いて来たぜぇ』
喧騒が、また盛り上がった。
ドームを満たす人の声も、控え室までは届かない。
届いていたとしても、彼には虫の羽音程度にも認識しないだろう。
椅子も使わず床の上。
去原仁狼は、両手を股の上に置いた
神道や弓道にも共通するこの座法は、二天一流の詠塚派において一番最初に教わる礼法の型だ。
稽古はこの型から始まり、この型で結んで終わる。
一流の戦士たるもの、常在戦場は当然のこと。
しかしこれは仁狼にとって特別な意味を持つルーティーンだ。
深く長い呼吸を繰り返し、己の深奥へと沈んでいく。
人工的に作られた部屋の中で、彼だけが森の奥の泉のような犯しがたい静謐さを持っていた。
『破軍学園・黒鉄一輝君。禄存学園・去原仁狼君。
試合の時間になりましたので入場してください』
───その時を告げるアナウンスに、仁狼は静かに目を開く。
凶悪の印象しか与えてこなかった双眸は今、湖面のように静かで、水底のように昏い。
戦いに赴く者の精神状態としてこれ以上はないだろう。
「万全ですか?」
「…………」
肯定の意味での答えて仁狼は立ち上がる。
その動作には淀みも隙もなく、まるで既に敵が目の前にいるかのようだった。
ドアを開けて部屋を出る。
そのまま真っ直ぐ進めば、そこは戦場だ。
どちらかが死ぬかもわからない、本物と本物が命を削り合う修羅の庭。
その只中に踏み込もうとする背中に、琉奈は思わず名前を呼んだ。
「ジンロウっ」
その呼び掛けに彼は足を止めた。
会話を挟んだ程度で途切れる集中ではないが、ことここにおいて会話は邪魔だ。
その相手が琉奈だから彼は応じたに過ぎない。
こちらを振り返らない彼に琉奈は何かを言いたそうに口を動かし、そして口から出た言葉は。
「………御武運を」
「………ああ」
短い応援に短く応じ、仁狼は歩き始めた。
だんだんと小さくなっていく彼の背中を、琉奈はじっと見つめていた。
まるで、彼がどこかでこちらを向いてくれはしないかと願いをかけるように。
幾度も破れてきたそんな想いを、彼女はまだ抱き続けている。
(違う)
やり場のない感情にスカートを握り締める。
(……私は、そんな事を言いたかった訳じゃない)
滲み出るような痛みが胸を苛む。
ああ言えばよかった。こうすればよかった。
折れて積み重なり続けた後悔は、膿むような痛みを発し続けている。
音を立てて閉ざされたドアの前で、琉奈はぎゅっと唇を噛んだ。
『さあ、本日の選手の入場です!!
まずは何と言ってもこちら、やって来ました《七星剣王》!
大事件鎮圧の直後だろうと、投げられた手袋は必ず拾う!
己に挑む者を誰であろうと拒まない、その懐の広さはまさに頂点の貫禄と言えるでしょう!
我らがキング黒鉄一輝、赤ゲートより登場ですっっ!!』