(何、だ、今のは……!?)
───見えなかった。全く。
静寂から一転、爆ぜる火花のような衝突に沸く観衆とは逆に、一輝は動揺していた。
全身の筋肉を一斉稼働させて瞬間的に最高速度を叩き出す《比翼》の体捌きを、脳のリミッターを外した上で行使。
そこまでして一輝は仁狼を引き剥がしたのだ──それも、自分から退く形で。
今のやり取りを見ていたステラも、仁狼の技量を改めて認識した。
受けた時に姿勢が拉げたという事は、尋常ならざる洞察力と判断速度を持つ一輝が、敵の力を流すのが遅れたということなのだから。
それだけの速度。あるいは、力。
仁狼のそれが一輝の観察眼より上だとまだ決まった訳ではないが、最初の接触だけに与える印象は大きいはずだ。
「……最初の振り下ろしと斬り上げは技の1つなの?」
「いえ。あれは技というか胸背部を鍛えるための、二天一流における基礎的な素振り稽古の動きです。だからこそあの錬度の高さなのでしょうが」
「んで、ラストのが《
背後から聞こえた男の声にビックリして振り向く琉奈。
いつの間にかそこに蔵人が立っており、逆サイドには絢瀬も控えめながらしっかりと琉奈の近くに陣取っていた。何故だ。
ごめんね、詠塚さんの解説が聞きたくて、と絢瀬から耳打ちされた。
「イッキの反応が遅れる程の
けど、なんとか仕切り直せるかしら。イヌハラなら一息で飛び込んでくる距離ではあるけど、イッキならそのぶつかるまでの時間で」
「いや、これは失敗かもしれませんよ?」
目を慣らせる、と続けようとした時、琉奈が不穏なことを言った。
一輝の状況を前向きに分析するステラとは逆に仁狼が一物抱えているらしき物言いに、全員の注目が集まる。
「実際に戦った倉敷さんはもうお分かりかと思いますが、瞬間的な力や速度も立派な武器ですが、ジンロウの本当の怖さは
(落ち着け。やっている事は《抜き足》と同じだ)
吐き出す息で頭を冷やすように一輝は思考を切り替える。
脳が膨大な視覚情報でオーバーヒートを防ぐ為に不要な情報として切り捨てている、見ていながらにして認識していない『覚醒の無意識』───そこに潜り込み己の姿を認識させずに接近するのが《抜き足》だ。
2日前に垣間見たように、仁狼はその精度が異常に抜きん出ているのだ。
見破るのは難しい、だが方法は変わらない。
一輝は目に映る物の認識の幅をさらに広く、正確に拡げていき、
そして仁狼が消えた。
目の前にいた。
「~~~~~~~ッッ!?」
左手の脇差による喉を貫く刺突を一輝は辛うじて横に躱すが、直後に仁狼はその刃を引き戻す動きで動脈を斬りにきた。
立て続けに咄嗟の回避を強要されたところに、上から右の渾身の面打ち。
乱れのない軌道で飛んできたそれを
そこに腹部を
倉敷蔵人との戦いでは発揮できなかった二刀流の強みが、ここで火を噴いていた。
『っ、またも後手に回りました黒鉄選手! 二刀のコンビネーションが数の暴力で襲いかかる!
去原選手は
『《抜き足》……じゃねーな今の。目の前にいんのに黒坊が反応できねーって、パッと見で見破れる技じゃなさそうだ』
(っなるほど、向き合わないとわからないなこれは……!!)
脇差によるラッシュに応じながら歯軋りする一輝。彼は今、反撃に転じる余裕がないほど必死に防御していた。
読めないのだ。仁狼の動き、その『起こり』が。
僅かな動きや視線の揺れ、それらの前兆全てが死んでいるかのように起こらない。
それに加えて、短い刀身ゆえの回転数と全身の白筋による剣速がさらに高い制圧力を生み出していた。それを見てから受けねばならない難易度は想像を遥かに上回る。
そして反撃をより一層困難にしているのが、仁狼の構え。
一輝に対して、仁狼は身体を真横に向けていた。
『今度は小太刀による連撃! まさに烈風、振るう腕がもはや見えません!』
『小せえっつっても相応の重量があるはずだけど、それをああまで自在に操るのは流石さね。さらに注目すべきはあの構えだ』
『! あの身体を真横に向けた姿勢でしょうか?』
『そ。正中線の殆どを隠されちまうし的も小さくなるしで、やられた側はメチャクチャ攻めにくい。しかもイヌっちの場合、右の刀ががっつりドス利かせてっからねぇ。
手数で制圧するんじゃなく、片方を動かさない事でもう片方を活かす。
二天一流の要ここに在り、ってか』
仁狼は左手に脇差・右手に刀を握っている。
左肩を前に出すように身体を真横に向ければ必然的に右手は真後ろにいく訳で、この状態からは両の刀を使ったラッシュは不可能だ。
だが、構えの真横……腹部に添えるように置かれた刀の切っ先はピタリと一輝に向けられ、脇差の攻撃に集中することを許さない。
それは腹側の防御を固め、反撃の糸口を潰すことにも役立っていた。
───加えて、仁狼はここから技を出せる。
「───《
脇差による、顔面に向けた刺突。
この戦いで初めての赤色が宙を舞う。
躱しきれなかった刃が、一輝の頬を裂いていた。
「ぐっ……!?」
『ああっと!? 黒鉄選手の頬から流血!! 初撃を奪ったのは去原選手だぁっ!!』
「どうして……!? モーションも身体の使い方も、剣速にも変化のないただの突きだったのに!」
「軌道です。《
刀は細く平たい棒状の武器だ。
その形ゆえに切っ先の方向からまっすぐに見ると、正確な長さや距離感が分からなくなる。《
相手の目線にぴったりと刀身を重ねることで、正確な間合いの感覚を混乱させる。
その状態から突きが来るのだ、相手からすれば厄介この上ない。
『なっ、なんという光景でしょう! あの《七星剣王》が、剣と剣の激突で何もさせてもらえません!!』
『黒坊もさっきから離れようとしてるんだけどねぇ。イヌっちの入り身がかなりの
『《滑り足》、ですか?』
『そ。原理は簡単だ。前に出した膝の力を抜いて、後ろの足と一緒に、文字通り足を滑らせて移動すんのさ。力を入れて動く訳じゃないから、動きの前兆が無いんだよ。
ま、ここで見るべきはその技術よりも
どういう
(『気配を消すには、まず気配の何たるかを知ること』か……それにしてもっ……!)
ここは刀ではなく脇差の間合い。
押し返せないなら退く他ないが、仁狼は一輝が退く気配を読んで前に踏み込んでくる。
自分の気配は読ませずに相手の気配は一方的に読み取るなどもはや理不尽の領域だ。
それを体現する為にどんな地獄が必要なのかを考えて、一輝の背筋に薄ら寒いものが走る。
だが、忘れてはならない。
黒鉄一輝とて地獄を潜り抜けてきた者であり───脳の電気信号を直接読み取る相手すらも欺いた実績があるを。
脇差のラッシュに圧され、一輝はたまらず後ろに下がる。仁狼もそれを追って前に出て、
一輝の姿を見失った。
「《蜃気狼》!!」
進行方向とは別の方向に残像によるフェイクを生み出し相手を撹乱する、一輝が開発した7つの秘技が1つ。
後ろに下がる方向に残像を生み出して仁狼を欺いたのだ。
では、本体はどこにいる?
───一輝は、仁狼の背後に回り込んでいた。
仁狼のあの構えの弱点だった───身体を真横に向けている故に、隙を見せれば容易く背後を取られる。
仁狼もそれを織り込んでいるだろうが、人体は背後に攻撃できる構造をしていない!
「よしっ! あれなら避けるか受けるか、どんな対策があろうと反撃までに必ず『体勢を戻す』行程を挟まなきゃならないわ!
それにイッキの剣速なら、イヌハラの
主導権を取り返せる……っ!」
拳を握るステラに対して、琉奈は黙ったまま。
仁狼にとっては、そのワンアクションで充分なことを知っているからだ。
後ろにいることはバレているだろう──一輝は出し得るかぎり最大の速度で
そして仁狼は持ち前の異常な瞬発力で左足を右足の後ろに下げ、後ろに下がる形で構えを左右逆に
後退による回避と反撃準備は、足を後ろに下げるそれだけで完遂された。
これ以上ないというタイミングの反撃を外され目を剥いた一輝は、心の片隅で合理的な構えだと感心していた。
そして仁狼は身を沈めつつ《滑り足》で接近。ゼロ距離まで間合いを潰し、そのまま脚部の筋力を爆発。全力でぶつかった。
下から上にカチ上げるようなショルダータックル。
「……ッ!!」
インパクトの瞬間に
力を流して辛うじて宙に浮かされるのは防いだが、一輝は姿勢を大きく崩した。
いつか一輝が兄と戦った時と同じ流れだ。ならば後に続くものは決まっている。とっておきの大技だ。
いつの間にか脇差を腰の鞘に納めた仁狼。その両手が、残った刀を高々と大上段に構えている。
その脅威に一輝は総毛立つ。
蔵人を屠ったあの技だ。
あの剣速は、構えを見てから防御に移っては致命的に遅い!!
(間に合え!!)
一輝が辛うじて刀を頭上に構え、迎え撃つ体勢を取ると同時。
斬るという過程を無くしたような速度でそれは放たれた。
───大上段の構えから、
「《
その戟音は音というより、もはや爆発。
予想外の軌道を前にそれでも防御を間に合わせたのは、ひとえに鍛え抜いた勝負勘と《比翼》の体捌きの賜物だろう。
それでもその研ぎ澄まされた一太刀の威力は恐ろしく、
転倒しないよう踏ん張る靴底が音を立て、
その痛みが示すものこそ、この一閃の完成度だろう。
(受けちゃ駄目だとは、思っていたけど──!!)
己の至らずを悔いる一輝の認識から、また仁狼は消えた。
『おおっと!? 黒鉄選手、大きく吹き飛ばされました! そこに追撃する去原選手───足ぃいっ! 明確に足を落としにいった太刀を、黒鉄選手なんとか躱しました!!』
「何が起きているんですか……? 去原も強いとはいえ、お兄様がこうも後手後手に回るなんて……!」
「クロガネぇ! テメェなにやってんだコラ!!
……おいヨミツカ。あの野郎の《
「……《
予想よりも一方的な展開に、観衆の声にも戸惑いが混じり始めていた。
困惑する珠雫に、罵声を飛ばしながらもしっかりと琉奈に解説を求めている蔵人。
一輝が追い込まれている原因を自分で解明しようとしていたステラも、とうとう観念して琉奈に聞いた。
「……ヨミツカさん。イヌハラは一体何をやってるの? イッキがここまで反応できないのは流石におかしい」
全員の注目がまたも琉奈に集まる。
この濃すぎる面子の中で解説をせねばならないのはかなりのプレッシャーだと彼女はいつにも増して肩がこる思いだった。
「そうですね……。簡単に言えば、《抜き足》にもう一手間、といった感じでしょうか」
「《抜き足》に?」
「はい。《抜き足》とは、簡単に言えば相手の『覚醒の無意識』の中に潜り込む技術……ここまでは皆さんご存知かと思います」
《七星剣武祭》予選の際、一輝と寧音からそれについてレクチャーを受けていたステラとアリス、また実際にやられた珠雫と《
唯一わかっていない絢瀬に解説を挟み、琉奈は続ける。
「相手に自分を認識させない強力な歩法です。
相手の意識を読むことに長けたジンロウの常套手段ですが、それこそ黒鉄さんのような埒外の洞察力を持つ相手には通用しない事もあります。
いくら精度を上げても、潜り込む隙間がなければ《抜き足》は出せませんからね」
「その隙間を作るための『一手間』って訳ね?」
「その通りです」
ステラの予測を肯定する琉奈。
しかしそこから続く言葉は、聞いていた全員を絶句させた。
「具体的には、自身のバイタルを死の瀬戸際まで瞬間的に落とします」
「「「 …………!? 」」」
確かに、確かに一流の武芸者は周囲の環境に適応する為に体温や心拍数など自分のバイタルをある程度操ることができる。
しかしそれを使って自ら死に向かうなど、まったく理解の範疇外だった。
「ど、どうしてそんな事を?」
「意識の隙間を作るためですよ。
どれだけ全てを網羅し把握できる人でも、認識したものには無意識下で警戒するべきものの順位をつけるんです。
そして対象の順位が低いほど、その動きを気に留めなくなる。
……皆さんは今までの戦いの中で、相手の後ろに見える観客たちを気にしましたか?
極限の集中を求められる相手を前にして、
……言いたい事がわかってきた面々が押し黙る。
つまる所、仁狼は化けているのだ───警戒する事など何もない、ただの
「相手にとって取るに足らないものに化ける、それこそが真髄。
優先順位の最下層と意識の死角に潜り込み、『覚醒の無意識』への扉を開く。
故に不認、故に不可視。
それが