二天の孤狼 ─落第騎士の英雄譚─   作:嵐牛

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解放

想定外の展開だが、流石に仁狼の応手の選択は早かった。

一輝の増強の効果を知るや、即座に己の霊装(デバイス)に命じる。

 

「《明月(めいげつ)》っっ!」

 

仁狼の二刀が一刀に収束。

現れた一振りの大刀が一輝の剣を受け止め、続く連擊を阻んでいく。

 

『いっ、去原選手の刀が一本に!? しかし黒鉄選手のあの手数を前に二刀を手放すのは悪手ではないのかぁっ!?』

 

『正しい判断さね。今の黒坊のパワーは両腕を使わなきゃ防げねー。二刀の味を活かせねえなら、一刀にした方が力のロスも無い。身体も軽くなるしねぇ』

 

蔵人との戦いが示す通り、剣と剣の戦いで仁狼に勝つには乱擊戦に持ち込むのが正道。

大幅に強化された身体能力によりそれを叶えているはずの一輝だが、その表情は固い。

腕に伝わる手応えが、軽すぎるのだ。

 

(綺麗にずらされてるな)

 

この怒濤の連擊を前に仁狼は一歩も退かず、全ての攻撃をいなしている。

武器というものはただ振って当てればいいのではない。

それが激突する瞬間、激突する場所に最大の力を発揮するように身体を運用してこそ、その一撃は敵を倒し得る威力を持つ。

仁狼は一輝のそれをズラして受けているのだ。

力の流れと最高点を見切り、そこを避け最小限の動作で受け、流す。

自分よりも強く速い者を相手に、完璧に。

特異体質のせいで幼い頃から力の制御を突き詰めていかねばならなかったせいか、彼は()()()()が抜群に巧い。

 

だが、関係ない。

 

(彼が防御に徹するしかないという現実は変わらない!!)

 

運動性能という基本面で勝るという有利はとても大きい。

その差は時に抵抗を許さないまま相手を圧殺する事を、一輝は身をもって知っている。

何ならここで勝負を決めてやろうと一輝はさらに追撃をかけようとして、

また仁狼が消えた。

 

「しゃ、(しゃが)んだ!?」

 

ステラたち観衆には正しくそう見えていたが、動きが唐突すぎて一輝の目にはまさに消えたように映っていた。

慌てて目線を下に落とすと、そこに仁狼はいた。

片膝すらついて身体を低くしているその体勢ではそれ以上の動きはできまい。いつか絢瀬を相手取った時の一輝のように、よほど技量に開きが無ければそれは致命的な隙になる。

それを逃さず上から陰鉄(いんてつ)を叩き付けるが、その刃は仁狼には当たらなかった。

 

「っ!?」

 

一輝の足元、変わらぬ体勢で仁狼は陰鉄(いんてつ)の刃の横にいる。

踞んだその姿勢のまま、足を擦って移動したのだ。

 

『うはっ、《居取(いど)り》かい! またシブいもん使うねぇ!』

 

『《居取(いど)り》、ですか!?』

 

『そ。不意打ちを迎え撃つ為に座ったまま・踞んだまま動く為の、古流柔術の足運びさね。

けどあそこまで自在に動くのは初めて見るねぇ。

イヌっちの流派がどんだけ色んなもんを吸収して発展させてきたのか知れるってもんさ』

 

「………《這猫(はいねこ)》、と言います」

 

仁狼の足運びをそう解説する琉奈の声は暗い。

仁狼が伐刀絶技(ノウブルアーツ)を使う気がないと判明してから、彼女は明らかに沈んでいた。

ステラにはその理由がわかっているが、当の仁狼はそれを知る(よし)もない。

鼠花火のように地を這う仁狼が、執拗に一輝の足を襲う。

 

「くぁあっ……!!」

 

ただ低い位置から斬るのではなく太刀筋を変えて、時に踏み込んで後ろの足を断ちにかかってくる。

防御しようにも位置的に刃先で受ける形になり力が伝わりきらず押し負けるため、下がりつつ足を上げて回避するしかない。

前の戦い以来下からの攻撃にも気を張っていたつもりだったが、僅かに攻勢に気が逸った所を突かれてしまった。

だが、こうなった時の対処法は一輝もとうに考えている。

同じ高さで戦えばよい。

座した状態での戦いを心得ているのは、一輝も同じだ。

 

「! イッキも(しゃが)んで───」

 

 

それと同時に仁狼は跳んでいた。

そんなものに付き合ってやる道理はないとばかりに、しゃがんだ一輝の頭上から重力を乗せた太刀が襲いかかる。

 

『と、跳んだぁ!! 去原選手、同じ土俵を拒否するかのように奇襲をかける!!』

 

(っとことん視界から消える人だ────!)

 

完璧に()を読まれた一輝が、歯噛みしながら全力で後ろに跳び下がる。

と同時に、一輝の爪先を掠めるように明月(めいげつ)が床に激突。その瞬間に足をついた仁狼は大きく身を沈め、そして全力で身体を前へと蹴り出す。

脱力からの反射運動によるクラウチングスタートは、まだギリギリ着地していない一輝に容易く追い付いた。

 

「………っ!!」

 

着地寸前の両足を狩りに来た刃を、一輝はまだ浮いた足で地面を踏みつける事で強引に回避。靴の先端が僅かに斬り飛ばされた。

 

(そうするしか無かったのはわかる。だがそれは悪手だ七星剣王!)

 

この上なく不安定な体勢で空中に浮く一輝。

それを追って低い姿勢から速度はそのまま流れるように淀みなく身体を持ち上げた仁狼が、明月(めいげつ)を上段に振りかぶる。

それを見たステラ達が思わず息を呑み、仁狼は内心で勝利を確信した。

空中にいては、一輝は回避のしようがないのだから!

 

「貰った────、っ!!」

 

貰えてはいなかった。

動きようのない一輝が空中で明月(めいげつ)の鍔を蹴り飛ばすことで、自分の身体に刃が届くのを阻んだのだ。

だが、地に足のついていない蹴りで止まるほど仁狼の剣は温くない。

斬られはしなかったものの、仁狼の力と衝撃の反動に負けて一輝はほとんど頭から地面へと落下していく。

その危機回避能力は流石だが、こうなってはもうどうしようもないだろう。

 

(悪足掻きを!)

 

そんな往生際の悪さに、仁狼は苛立ちを込め改めて斬りかかる。

空中で逆さまになり、どうしたって反撃などしようのないただ斬られるだけの木偶に向けて。

 

───これで決まりだ。

 

決定的な確信の元、仁狼は決着の刃を振り下ろす。

これで自分は、七星剣王を(くだ)した者として名を上げる事ができる。

 

ここがようやくのスタート地点。

ここから、やっと自分は償いを始める事ができる。

自分が壊してしまった未来を今からでも積み上げるのだ。

例えそれが、二度と還らない理想の中にあるものだったとしても─────

 

 

「ッごぉっっ!!?」

 

突如(とつじょ)鉄槌を振り抜かれたような衝撃が仁狼の横っ面をぶん殴った。

口内に血の味。歯が一本飛んだ。

全く予期していなかった反撃をモロに喰らい、肉体よりも意識が根底から揺さぶられる。

その一部始終を見ていた観衆は唖然とし、ステラ達も目を見開いた。

それはかつての一輝なら絶対にしないような動きで、そして()()()()()()()()()の動きだったからだ。

 

「こういうパターンもあるのか……なんでも覚えておくものだな、本当に」

 

頭と首、ついた手を支点にして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()一輝が呟く。

よろめく仁狼を前に悠然と立ち上がった彼は、吐き捨てるように言い放つ。

 

「まさか勝ったつもりでいたのかい。僕も何人もの人を見て、考えて強くなってきたんだ。何が“人の意に敏感“だ、何が“父親の剣を証明する“だ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にしてやられる訳ないだろ」

 

彼にしてはいつになく強く、非難するような語気。

込められているのは明確な怒りだった。

口内の血を吐いて捨てる仁狼に向け、一輝は改めて剣を構える。

いつからか、己の決意を表明する文句となった宣言と共に。

 

「彼女の言葉すら届かなかったんだ。僕の言葉なんて尚更だろう。

だから(こっち)でわからせる事にするよ。

 

───僕の最弱(さいきょう)を以て、君の妄執を引き剥がす」

 

 

 

 

『驚くべきものを見せてくれました黒鉄選手! あの体勢からまさかの反撃、引き出しの多さを知らしめてきます!!』

 

『いやーありゃ流石に決まったと思ったけどねぇ! うひゃひゃ、吸収すんのはえーよ黒坊!』

 

興奮する声も遠くに消えていくようだ。

視界が真っ赤になるのを自覚する。

なのに心が零度を越えて冷え込んでいく。

身近な人すら見ていないとか()()()()()()()()貶し方をした挙げ句。

妄執。妄執だと。

恩に報い、今度こそ正しく生きるための決意を。

生涯を懸けると誓った、自分が歩むべき道を。

 

───お前は、どの立場で否定している?

 

「────ブチ殺すぞ糞野郎」

 

ぞわり、と殺意が溢れ出す。

明月(めいげつ)鏡月(きょうげつ)に分け再び大小二振りを手にした仁狼が、猛然と一輝に飛びかかった。

二刀を受け止めた一輝に伝わる力は、さっきまでより数段重い。

脱力することで脳のリミッターを外していた仁狼だが、今は完全に怒りで振り切れていた。

左の脇差が電光の如く空間を跳ね回り、それにより生み出した意識の間隙に右の刀が疾風のように刺し込まれる。

相手からの見え方を完璧に把握した動き。

理性の糸が切れても、技の冴えは死んでいなかった。

 

だが、届かない。

放つ全ての剣擊が、それぞれ最適な角度に傾けただけの陰鉄(いんてつ)に防がれていく。

 

「…………ッッ!?」

 

「本当に凄い流派だ。さっきの《居取(いど)り》といい、技の一つを紐解くにも様々な武術の要素が含まれてる。

君自身の技術による読みにくさも相まって、こうまで情報量が膨大だと、流石にこの戦いの中で読み解くのは無理そうだけど……君の人間性の把握くらいなら、何とかなったよ」

 

どのタイミングでどの方向から攻撃が来るか、剣と剣の戦いならそれだけ分かれば相手を封殺するのは容易い。

脇差による猛攻の最中、右の刀を見もせずに防ぎながら一輝は宣告した。

それを振り払おうとするように更に苛烈に攻め立てる仁狼だが、その全てが徒労に終わっていた。

 

「だから、そろそろ終わらせる。()()()()()()()で本気も出さないようなら───ここが君の限界だ」

 

またも切り捨てられた仁狼の決意。

視界を血の色に染め上げた仁狼が、咆哮を上げて刀を振るう。

鬼気迫るその凶相は、まさに狂犬のようで。

 

「黒鉄さん……なんでそんな事を、今言うんですか……」

 

痛々しそうに視線を落とした琉奈が恨みがましくそう溢した。

 

「だいたい、ジンロウもジンロウです……。

相手の剣どころか人間性さえ掌握する相手に、迂闊に攻め込むのは悪手でしかないと……カウンターを中心に戦いを組み立てて、自分からは不意打ちか仕留める時だけだと……そう言ったのはあなたじゃないですか……」

 

「……アイツの体力の少なさを考えても、確かにそれがイヌハラにとって最良の攻略法だと思うわ。……でも、じゃあどうしてアイツはあんなに自分から攻め込んでるの?」

 

「……この大一番、最初になまじ攻め込めたから気が逸ったんでしょう。

でも、今は怒ってるからですよ。あんな事を言われてジンロウが冷静でいられる訳がないじゃないですか!

彼には痛みや辛さを訴えれる人がいないんです。

結果を出すことでしか自分を許せないんです!

だから、この戦いに勝たなければ彼は、本当に潰れてしまうかもしれないのに……。

なのに………いくら何でも、あんまりじゃないですか……!

どうして、どうして………っ!!」

 

まるで自分の身であるかのように声を震わせる琉奈。

こんなにも同じ痛みを抱えながら、仁狼は今もそれを知らない。

隣にいるのに、向かい合うことが出来なかった。

 

刀身を指で掴みデコピンの要領で力を蓄えた一輝の居合い抜きが仁狼に迫る。

身体能力を大幅に強化された状態でのそれは、到底見て回避できるような代物ではない。

呼吸の隙間を突かれ防御が間に合わない仁狼は、身を屈める事で斬擊を辛うじて上にやり過ごす。

だが、そこで気付いた。

今の居合い抜きは、腕に一切の力が入っていなかった。

そして。

 

「がっ───~~~~~~っっ!!」

 

ギリギリでその意図を読み取った仁狼が、全力で身体を後ろにぶち込み、同時に刃を通された仁狼の身体から鮮血が散る。

振り抜かれたはずの陰鉄(いんてつ)が、鞭のような軌道で ()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

《七星剣武祭》の時には見なかった技だ。

 

『あ、当たったぁぁああああ!! お返しのように浴びせた一閃が見事(みごと)去原選手にヒット!

少なくない量の血がリングを染め上げています!』

 

意識に火花が飛んでいる。

持ち前の洞察力で何とか致命傷は防いだが、あと少し下手を打っていればこれで終わっていただろう。

眉間に皺を寄せた一輝が追撃にかかる。

 

「大体、君は気に食わないんだよ。僕の積み重ねてきた全てを無視して、手に入れた結果だけ掠め取ろうとしたってそうはいかない。僕の事を称号でしか呼ばないのがいい証拠じゃないか。

肩書きしか見ないような浅い奴に負けるような鍛え方はしてないよ」

 

「浅い、だと……!?」

 

その言葉に、仁狼の精神は最大限に訴える痛覚を完全に超越した。

怯む身体に鞭打ち口や歯の隙間から血を噴き出しながら、二刀を強く握り締めた。

 

「わかったような口を利くなよ。手前(テメェ)にわかるってのか! 何よりも大切なものを、他ならねぇ自分の手で壊しちまった絶望がっ!!」

 

血の飛沫と共に追撃の刃を側面から叩いて打ち上げ、強引に活路を開く。

僅かに目を見開いた一輝に向けて、仁狼は尚も前に出る。

後ろに戻る道がないなら前に進むしかないのだ。

求めてやまないそれが二度と還らない理想の中にあるものだったとしても。

せめて。

せめて、大切な人の遺志に殉じる事が出来るように。

 

「だから俺は強くなった───親父も! ()()()!! 俺にそう望んだんだ!!」

 

烈迫の気合いで放つのは、両刀による唐竹割り。

稽古で何万回と繰り返してきた、父に初めて習った型。

最も血と汗を積み重ねてきた自分の始まりのその技に、仁狼は逆転を賭けたのだ。

そして、

 

「どこまで人を見ないんだ、君は」

 

一言。

受け止めた陰鉄(いんてつ)がカクンと傾き、風を受けた柳のように仁狼の鏡月(きょうげつ)を容易く横に流してしまった。

仁狼の思考が凍った。

握りを緩めることで鹿威しのように力を流すそれは、仁狼の剣技《柳卸(やなぎおろ)し》に他ならないのだから。

 

陰鉄(いんてつ)を弓のように後ろに引き絞る一輝。

仁狼もそれが見えていなかった訳ではない。

だが体質で無理に攻めた代償が疲労として跳ね返り、体勢を戻すのが僅かに遅れた。

 

それが致命的だった。

仁狼の胸の中央に照準を合わせた一輝が、突き刺すように技の名前を口にする。

 

 

番外(ばんがい)()(けん)───《鐵炮(てっぽう)》」

 

 

───鋼が爆ぜるような轟音。

激甚な音響を上げて、仁狼の身体が恐ろしい勢いで後ろに吹き飛ばされた。

観客席の壁に背中から激しく激突し、衝撃に叩かれた肺が内部の酸素を強引に吐き出して呼吸すらも停止する。

 

「がっ……はぁ…………」

 

呼吸すらままならなくなった仁狼だが、一輝と戦ったことのある者達は仁狼以上に驚いていた。

突き一発で相手を場外まで吹き飛ばすなんて───

黒鉄一輝は、あんな力業を持っている剣士ではないはずなのだから。

ただ一人、西京寧音だけがニヤニヤと面白そうに笑っていた。

 

『おーおー、確かに理論的にゃ黒坊()()可能だけどねぇ……。ホント手癖の悪い坊やだ』

 

───番外秘剣《鐵炮(てっぽう)》。

望む動作を行う『主動作筋』と、その動きを細かく制御する為にそれと反対の動きに作用する『拮抗筋』の関係を応用した技だ。

攻撃する為に動かす筋肉の力を()()()()()()()()()()()()()で抑え込む─────いわば全身にデコピンの理屈を適用し、居合い抜きのように攻撃力と瞬発力を爆発的に引き上げる体捌きを、一輝はそう名付けた。

あらゆる攻撃動作に適用する事ができ、鋭さこそ比類無いが力は然程(さほど)でもない一輝の剣に純粋な破壊力を付与できる技ではあるが。

 

()……っ」

 

一輝の全身に激痛が走る。

より正確な言えば、全身の筋肉の繋ぎ目に、だ。

全身の筋肉を独立させバラバラに動かすなどという摂理に反する動きをすれば、反動が来るのは当然。

元となった使い手と違い常識的な人間の枠を出ない一輝の身体では、軽々に使えない技でもあった。

僅かな静寂の後、実況の月夜見がマイクに向かって叫ぶ。

 

『きっ、決まったーーーーーっ!! 黒鉄選手、ここでまさかの力業!! まるで彼の恋人を彷彿とさせる一撃が、去原選手を場外まで吹き飛ばしましたぁぁああ!!』

 

ドオオオオオ!!!と、もう一輝の勝利を確信したような大歓声がスタジアムを揺らした。

 

「あ………じん、ろ…………」

 

氷雨の中に立ち尽くすようなか細い声を掻き消して、一輝を讃える観衆の声。

その対比は残酷なまでに明と暗を隔てていた。

同じように喜ぶべきステラは、隣に座る少女を知るが故に快哉を上げようとはしない。

ただ静かに、結末を飲み込むように瞑目するのみ。

 

『こりゃ立つのは相当厳しいねぇ。あの突き自体は自分の刀を間に挟んでギリギリ防いでっから、ダメージ的には立てなくもないかもしんねーけど……イヌっちは見たとこスタミナがかなり少ないっぽいんだよねぇ。

こうなるともう、カウントダウンに間に合うかどうかだ』

 

勝利のムードで満たされる敵陣。

だが、戦場に立つ戦士はまだ諦めていない。

その歓声は、称賛の声は、自分が浴びねばならないものだ。

そうでなくては始まらない。

そうでなくては、許せない。

叩き付けられた壁に凭れ、ズルズルと座り込もうとしていたその身体が、再び地面を踏み締める。

 

「ま、だ、だぁ………………っ!!!」

 

凭れた壁から身体を起こし、地の底から響くような呻きを上げて、一歩、一歩と仁狼はリングへと戻っていく。

荒い喘鳴(ぜんめい)を上げ、獰悪な双眸を剥き出した悪鬼の如きその凶相は、手負いの獣の様相を顕していた。

場外で進むカウントダウン、ゼロになる際どい所で仁狼はリングに帰還を果たす。

 

『っ! 去原選手、自分の足で場外から帰還を果たしました!! 斬られ打たれて、尚も闘志は消えていません……ですが、これは………』

 

───戦うには無理がある。

全員がそう思っていた。

足取りは頼りなく、斬られ地面に流れた血が赤い靴跡を残している。

爛々とした眼光に、消えない闘志を宿したまま。

 

「さあ来い、七星剣王………お前を倒して、俺はここから名を上げてやる………っ!!!」

 

……その言葉の重みを理解している者が、ここに何人いるだろう。

それを正面から受け止めて、一輝は陰鉄(いんてつ)を構え直す。

最後まで彼は本気にならなかった。

自分の想いは、届かなかった。

 

僅かに表出した痛恨を押し留め、一輝は強く地面を蹴る。

曲がりなりにも己の意志を曲げなかった、敬意を払うべき剣客をここに(くだ)すために。

 

 

ぼろぼろと泣いている琉奈が、観客席の一番下まで降りてきていた。

 

 

 

 

 

血を流しながら戦場に戻る仁狼を、琉奈はもう見ていられなかった。

俯いて唇を噛み、スカートを握り締める。

辛い。もう見ていたくない。聞いていたくもない。

彼が潰れてしまうその瞬間を見るのが、たまらなく怖い。

縮こまって震える彼女に、突然声が聞こえてきた。

 

「あなたが目を逸らしてどうするの」

 

静かに諭すような声。

それは琉奈の隣に座っているステラのものだった。

 

「あなたとアイツは同じ所を目指してるんでしょ?なら、あなたも逃げたら駄目よ。

アイツを支え続けているなら、アイツの戦いを見届ける義務があなたにはある」

 

「っ……!」

 

何か言い返そうとして、返す言葉が見付からず黙り込む。

その通りだ。今までそうしてきたのだから。

だけど自分は、本当は───

 

 

「イヌハラの話、イッキから聞いたわ。あの時、店の外で二人もおんなじ話をしてたみたいね」

 

 

「………!」

 

「聞いてて辛かったわ。意志は同じはずなのに、今の今までずっとすれ違ってきてるんだから」

 

琉奈は思わずステラを見た。

その横顔は、何より痛ましいものを思い出している顔をしていた。

 

「傷付きすぎた人ってね、本当に何にも見えなくなっちゃうのよ。

目の前の事でいっぱいいっぱいになって、自分の事さえ見失ってしまうの。

焦って空回って、何にも出来なかった自分に折れる。

勝負の負けはいつか取り返せるかもしれないわ。

だけどヨミツカさん。

あなたが折れてしまったら、イヌハラは本当に潰れてしまう」

 

まるで同じような人を見た事があるかのように語るステラが何を見ているのか、琉奈にはわからない。

ボロボロの仁狼の背中だろうか、あるいは恋人の姿に過去を見ているのか。

……彼女の言葉は、痛いほど理解できる。

その通りだと理性が頷いている。

だけど。

 

「行ってあげなさい」

 

躊躇う背中を押すようにステラが言う。

 

「あなたという支えの存在は、イヌハラだってわかってるわ。

アイツの戦う意志が消えていないなら、あなたは何よりもアイツに必要なのよ。

身も心もボロボロになった時、最後に支えてくれるのは───

 

────大切な人の愛なんだから」

 

 

 

ステラの隣の席が空いた。

傷付いた彼の隣に並ぶために、もう一度彼女は歩き出す。

 

 

 

 

「………う」

 

微かな声が聞こえた。

彼女の声だった。

 

「じ…………ろ……」

 

研ぎ澄ませてきた感覚器が彼女の声を聞き漏らすことはない。

 

「ジンロウ……」

 

自分が戦っている時、彼女はいつも静かに観ている。

応援を飛ばす事などない。

『お気をつけて』と『お見事です』、前と後の言葉はいつもこれだ。

そしてそれでいい。

自分が彼女から応援される事など有り得ないからだ。

……そんな彼女が声を挟むような(ザマ)なのだ、俺は。

 

───大丈夫だ。俺は負けない。

 

そう示すように剣を構える。

この時の為に強くなってきた。

全ては贖罪のため。壊したものに報いるため。

頑張れ、じゃなくていい。

勝て、でいい。

何なら罵声の一つでも飛ばしてくれと願う。

そうしてくれれば、俺は死んでも戦えると思うから────

 

 

 

 

「……もう、やめてください……」

 

 

 

───それは、思いもよらない言葉だった。

彼女の声は聞き漏らさないという絶対的な確信が、聞き間違いを否定する。

 

 

「強くならなくても、……有名に、ならなくてもっ………償いなんて、しなくても、いいからっ……」

 

 

不思議と音のない世界に微かに聞こえるその声は、震えと嗚咽にまみれていて。

それを止める(すべ)を自分は知らない。

それが聞こえてきても、すまない、すまないと謝る事しかしてこなかったから。

 

 

 

「もう、これ以上っ………傷付かないでください………っ!!!」

 

 

 

───振り返る。

そこにいたのは滂沱の涙を流し、ぐしゃぐしゃの泣き顔をした少女。

幼い頃から毎日見続けてきた彼女の顔を。

 

仁狼は、とても久し振りに見たような気がした。

 

 

 

 

戟音が鳴り響いた。

(とど)めを刺すための幕引きの太刀を、仁狼が確固とした力で受け止める。

死に体と思えた男の底力に会場がどよめいた。

そしてそれは、目の前の異常な光景に対しても。

 

「人を見ていない、か……確かに、そうかもな。

今までがむしゃらになって鍛えてきたけど、それは罪を償う為であって…………」

 

さっきまでの激情が嘘のような穏やかな声。

何か思いを巡らせているような彼は、やがて一つの答えを口にする。

 

「少なくとも……お前にそんな顔させる為じゃあ、絶対にねえんだよな………」

 

その言葉は申し訳なさそうな、自分の迂闊さに呆れるような。

息を吐いて目線を落とす仁狼に、一輝はにやりと笑った。

 

「……遅いよ。去原君」

 

「待ってもらった覚えもねえよ」

 

さっきから何様のつもりなんだ、と仁狼が一輝に()()()()()言う。

 

「で、続けるんだろう?」

 

「……まあな。だが一応宣言しとこうか。

俺はこれから、()()()()()()()()()()()()()

これ以上ケガしたら、ルナがもっと泣くんでな」

 

「言うじゃないか」

 

「望み通りに全開でやるっつってんだ。

舐めた(クチ)の料金は、嫌という程払ってやる」

 

憑き物が落ちたような空気。

だがその宣言が誇張でない事は痛いほど伝わる。

なぜならついさっきの(とど)めを刺すための本気の太刀を、彼は()()()()()()()()、片手だけで防いだのだから。

 

それも陰鉄(いんてつ)を受け止めているのは、刀ではない。

刀も鞘も、どこにいったのかわからない。

 

ただ、一輝の手に伝わった感触は鋼そのもので。

握られた刀身がびくともしない。

 

 

仁狼は彼の斬擊を、素手で受け止めていた。

 

 

「易々と終わるなよ()()()()去原仁狼(オレ)の全てを叩き込んでやる」

 

「……………っっ!!」

 

膨れ上がる威圧感(プレッシャー)

今の直後に上がる第二幕は、さっきまでとは比べ物にならないほど凄惨なものになるだろう。

背筋を駆け上がったものは武者震いなのかそれとも悪寒か、一輝はすぐには判別できなかった。

 

 

妄執の首輪は外された。

戒める全てから解き放たれた、月下の餓狼が吼え猛る。

 

 

 

 

()(とう)新月(しんげつ)────《()(りん)()(そう)》」

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