二天の孤狼 ─落第騎士の英雄譚─   作:嵐牛

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遠吠え

仁狼はあてもなく街をさ迷い続けてきた。

もう行く場所も帰る場所もない。

何も考える事が出来ずにふらふらと歩いている内に、自分は街の中でもあまり治安のよろしくない所に流れ着いた。

心身から虚脱した様子の自分をカモとでも思ったのだろうか、数人の男が因縁をつけて絡んできた。

普段ならそうなっても相手にもしない輩。

だがやり場のない感情が渦巻き危うい均衡状態にあった自分の心は、

その男たちを容赦なく叩きのめす事を選んだ。

 

それ以来自分は目を付けられたようで、数日に一度は落とし前を付けさせる為に襲われるようになった。

その全てを父親から教わった技術で叩きのめした。

はっきり言って面倒でしかないはずだが、例え暴力という形であっても鬱屈とした感情を何とか吐き出したかった。

そんな事を繰り返す内に、段々と自分に取り入ろうとする輩が現れ始めるようになった。

そいつらは皆、自分の強さを褒めそやし、金やモノで自分を求めた。

 

今まで認められなかった自分の力が、認められた気がした。

 

 

もしあの時期に伐刀者(ブレイザー)である事を示していたらもっと厄介な事になっていただろうが、そうしなかったのは曲がりなりにも教わった技術に拘っていたお蔭かもしれない。

 

食事も寝床もその他の物も、あらゆるものを強さにものを言わせて回りに用意させた。

身の程を弁えない奴や自分を利用しようとした奴、闇討ちしてきた奴。

気に入らないあらゆる物を叩きのめし、周囲に自分の強さを理解(わから)せるのは気分が良かった。

 

だけど、気が晴れた事は一度もない。

 

髪を染めた。ピアスを開けた。肌も焼いた。それがイカしていると思っていた訳ではない。

ただ、あの家にいた自分から少しでも遠ざかりたかったからだ。

自分がいなくなって悲しんでくれているだろうか。

いや、とっくに新しい後継者を見つけて自分のことなど忘れているかもしれない。

いや。しかし。でも。

毎夜忍び寄ってくる懊悩に眠れぬ日は続いた。

隙あらば思い浮かべてしまう二人の顔から逃げたくて、益々暴力と享楽に溺れるようになった。

 

数ヶ月後のある時、自分を探している奴がいるらしい事を取り巻きの一人から聞いた。

 

心臓が締め上げられたような気がした。

 

絶対に手を出すなと周囲に厳命し、その上でそれが誰なのかを調べろと命令。

予想通り、それが琉奈であることは簡単に裏が取れた。

でも、どうして数ヶ月も経った今なのか。

今家がどうなっているのか、居ても立ってもいられず思い切って調査させた。

 

 

 

そして。

父親が死んでいた事を知った。

 

 

 

 

 

詠塚叡二は己の至らずを悔やみながらも、しかし未来への希望を確信してこの世を去った。

覚悟はしていた。だが、襲ってきた喪失感と悲しみは想像を遥かに超えていた。

遺影の前で、自分が涙を流した数は何度目とも知れない。

仁狼の捜索は葬儀には間に合わなかった。

彼が出ていってから、後悔しか無かった。

父が仁狼を語る時に惜しみ無く込めていた愛情は、彼に間違いなく伝わっているものと思ってしまっていた。

彼が日々の稽古に食らいつくのは、そのお蔭だと思っていた。

引き取られてから今まで、彼の心はずっとずっと悲鳴を上げ続けていたのだ。

それに気付くべきは、二人を傍で見続けていた自分だった。

 

寂しい。

帰ってきてほしい。

 

親戚の助けはあるが、自分はこれで天涯孤独だ。

父がいない。仁狼もいない。

この広い家は、自分一人では広すぎる。

……帰ってきたら、謝ろう。

ずっと側にいたのに、辛い気持ちに気付けなかったこと。

励ますだけで支えていた気になっていたこと。

 

突然、ドガン!!と大きな音が下から聞こえた。

一階部分の道場の木の扉が全力で開け放たれた音だ。

全速力で床を走り、階段を駆け上がる足音が近付いてくる。

一瞬仰天したが、自分にとってその音は救いと言っても過言ではなかった。

 

 

『親父ィィいっっ!!!』

 

 

彼は叫びながら転がり込むように入ってきた。

いつか帰ってくる日を心から待ち続けその家族が、

 

自分には一瞬、誰なのかがわからなかった。

 

髪は金髪で肌は浅黒く、耳にはピアス。

ただ一つ凶悪な目付きだけが、彼が彼だと示す唯一の記号。

今まで泣いていたのが、彼の帰りに喜んだのが嘘のように心が冷え込んでいく。

彼から見た自分の顔はきっと氷の仮面のように見えただろう。

自分でも驚く程に冷たい声で彼に言葉を突き刺した。

父が死に、自分が寂しさに暮れ泣いている間、随分と()()()()()()()()()()()彼に。

 

『……随分、羽目を外していたみたいですね』

 

仁狼がハッとした顔で自分の顔と髪に触れる。

 

『あなたが遊び呆けている間に、こちらは随分と滅茶苦茶になってしまいましたよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『……あ、ああぁ………』

 

『あなたは私達の期待すべてを裏切ったんです。それでも私は最後まで帰りを待っていましたが、下げてくるのがそんな(かお)とは恐れ入りました』

 

戦慄(わなな)く彼が心の奥底で望んでいただろうその言葉は、彼の心にどう響いたのだろうか。

求めてやまなかったはずの温もりに代わって彼を包み込んだのは、吹雪のような冷たさだった。

 

『────お帰りなさい。()()()

 

慟哭を上げて彼は泣き崩れた。

今まで流せないままついに決壊した涙が、如雨露のように床を濡らしていく。

涙声の謝罪が繰り返される度に心を満たす暗い愉悦に、自分は久し振りの笑みを浮かべていた。

 

 

 

仁狼が帰ってきた。

彼はその日の内にピアスを取って髪を黒く染め直し、浅黒い肌が代謝によりだんだんと元の色を取り戻していくそれなりの時間が流れた。

 

だけど、自分の暮らしは帰ってくる前の一人きりだった時と何も変わらなかった。

 

彼は帰ってきたその日から、一日中一人で剣の修練に没頭するようになった。

連日のようにどこかで実戦を積み、帰ってきてからもずっと剣を振り続けた。

そのまま道場で糸が切れたようにぶっ倒れた時がその日の修練の終わり。

気絶するように必要最低限の睡眠を取り、目を覚ましたらまた剣を振る。

食事も風呂も、どこで済ませているのかわからない。

 

話しかけられる事も、話しかける事もない。

父の最期をねじ曲げて伝える事で下した溜飲がそのまま後悔に変わるまで長い時間はかからなかった。

だけど、それを打ち明けることは出来なかった。

剣の訓練なんて何を今更、という憤りもある。

しかし何より、仮に真実を打ち明けた時、時折覗き見る彼の鬼気迫る様相がそのまま自分への憤激に変わるのではないかと思うと、それが堪らなく怖かったのだ。

 

きっとその躊躇が最後の分水嶺だったのだろう。

道場の畳が、彼が流した血と汗で黒く変色してきた頃。

出先で手酷い歓迎を受けたらしい彼が病院にも行かず、あちこちがへし折れた身体でなおも剣を振る姿を見たのが自分の限界だった。

 

強引に彼を病院に叩き込んで数日後、病室のベッドで横たわる彼にほとんど土下座するように頭を下げ、全てを告白した。

父の最期をねじ曲げて伝えたこと。

自分たちは仁狼を恨んでなどいないということ。

本当は帰ってきてくれて嬉しかったこと。

意味のある事を言えたのはそれだけ。それ以外は、何度も謝罪を繰り返すことしか出来なかった。

 

『やめてくれ』

 

返ってきたのは、予想を裏切る優しい声。そこに怒りの感情は欠片も見られない。思わず顔を上げた先にあった彼の顔を、どこかで自分は見たような気がした。

 

『気を遣わせてしまって、すまない。……だけどこれは、俺がやりたくてやってる事なんだ』

 

『っですが、あなたの最近の様子はあまりにも……!!』

 

『最低限このくらいでないと、償いにならない。決めたんだ。例え取り返しがつかなくても……今からでも俺は強くなる。()()()()()に、絶対に報いるって』

 

え、と掠れた声が喉から漏れた。

それは自分の嘘だと今言ったはずなのに。

それが示す意味に動揺し、そこでようやく気が付く。

両手をついた床から見上げたその顔は、己の死を見つめる父と同じ顔をしていた事に。

 

 

 

『だから、無かった事にしようとしてくれなくても、いいんだ』

 

 

 

言葉も届かない自責の淵。

 

どこまでも愚直な彼に自分が背負わせた十字架の重さを、愚かにも自分は、ここでようやく理解した。

 

 

 

 

『父は最期に“二人で強く生きろ“と言い遺しました。

その真意はまだ私にもわかりません。

しかしあなたが“強さ“をそう捉えそして求めるのであれば、私もそれに従います。

あなたの重荷の一端を私も背負いましょう。

あなたの歩こうとする道は私が整えてみせましょう。

───一蓮托生です。ジンロウ』

 

仁狼が退院したその日。

分厚い紙の束と共に差し出した、その表明が琉奈の贖罪。

仁狼が受け取ったそれは叡二が遺した遺言書と、編纂し直された詠塚の剣の体系が記された書物だった。

 

二人の歩みは、そこから始まった。

 

取り戻せない過去の為。

 

背負わせた己の(あやま)ちの為。

 

同じ痛みを引き摺り歩き続けて────

 

 

 

─────そして、今。

 

 

 

一輝の身体が蒼光を纏う。

(まとい)薬叉(やくしゃ)》のままでは、今の仁狼に太刀打ちできないと判断したのだ。

跳ね上がった身体能力で陰鉄(いんてつ)を振り刀身を掴む仁狼の手を振り払う。

が、刃に弾かれたにもかかわらず仁狼の手は無傷のままだ。

得体の知れないそれがまるで仁狼の言葉を裏打ちするようで、一輝の背筋に震えが走る。

 

(……私に、それを喜ぶ資格なんてありませんけど)

 

歓声が遠ざかっていく。

“とうとう挑戦者が本気を出した“。歓声を上げる観衆には、そうとしか映っていないだろう。

だけどそれは、交錯の瞬間に仁狼が口にしてくれたその意思は、琉奈にとってはいつまでも望んでやまなかったものだった。

 

 

(思い返せば、初めてですね。……私の痛みに、あなたが応えてくれたのは)

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