二天の孤狼 ─落第騎士の英雄譚─   作:嵐牛

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神算鬼謀

一撃目を膝関節に入れる。

次いで股関節に一撃、膝への攻撃で仁狼の体内に生じた力の向きを歪めながら増幅させる。

そして首元に唐竹割り。上から加わった新たな力が、膝と股関節から入力した下からの力と衝突。

仁狼の体内、その中心で競合を起こし、爆発する。

そんな結末を、仁狼はハッキリと確信した。

 

(カウンター技かと思えば……!!)

 

一息に満たない間に打ち込まれた衝撃を、仁狼は全身を振り回して体外に逃がす。

無論その隙を逃がす一輝ではない。さらに追い討ちをかけるように《(ねじ)(みず)》を打ち込んでいく。それを逃がすために仁狼はまた身体を振り回しす。

それはまるで、一輝の剣に踊らされているように見えた。

 

『打ち込む!打ち込む!! 去原選手をまるで独楽のように振り回しています! しかし去原選手の硬度を前に刀がどこまで通用するのか!?』

 

『ガンマナイフみたいなもんさ。一個一個の力は弱くても、それらは重なり合えば一気に力を増す。しかも今イヌッちは力を逃がすために全身を使わざるを得ないから、その動きがまた次の《(ねじ)(みず)》の威力を累積させちまう。

一回でも対応をトチりゃタダじゃ───』

 

 

「ああ何だ、こうすればいいのか」

 

 

仁狼が全身の力を抜いた。

刃を受けた関節がその方向にぐにゃりと曲がり、体内を巡るはずだった力を丸ごと体外へと受け流す。

力に逆らわず身を委ね、曲げられた針金のような姿勢になった仁狼。

どう見ても体勢が死んでいる。このまま適切に攻撃を続ければ、折り畳まれ続けた紙のように脱力で受け流せる限界が来るだろう。

ただしそれは、仁狼が反撃をしなかったらの話で。

彼の脱力は、攻撃の合図だ。

 

「ぉおああァッッ!!」

 

仁狼の剣術において《(はつ)》と名の付けられた、脱力とシャウト効果の相乗による防衛本能(リミッター)の瞬間的な完全解除。

爆発的に巨大化し球体となった《断鎧(だんがい)》が、辛うじて陰鉄(いんてつ)を盾にした一輝を闘技場の端まで吹き飛ばした。

 

(流石に、対応が早いな……!)

 

「……うん、やっぱ付き合う道理はないな。相手の手が届かない所から攻めるのは、戦の鉄則ってものだ」

 

確認するようにぼやいた仁狼が不可視の速度で腕を振るう。

寒気となって背筋を駆け昇る経験則の警鐘に一輝は即座に従った。

一輝が駆け出した直後、一瞬前まで彼がいた場所に、まるで追いかけるように幾つもの深い斬痕が刻み込まれた。

 

「うおおっ、何だありゃ!? あんな所が斬れたぞ!!」

 

「一歩も動いてないのに……!? 何も見えなかった!」

 

「オイ。ありゃ《無空(むくう)鏡月(きょうげつ)》とやらを伸ばしてんのか?」

 

「《()(がん)》。斬撃を飛ばす技です。例によって色が無いので見えませんが」

 

隊列を組んで飛ぶ鳥の名を冠した斬撃の群れが、二刀を活かした圧倒的な手数で一輝へと飛来する。

一輝は再び距離を詰めるべく走りながら、これを一輝は仁狼の腕の動きを見て斬撃の角度と向きを予測して回避する。

髪や服、皮膚を削るほど最低限で躱す動きの精度からは、不利な状況に対する焦りなどは一切感じ取れない。

それを見た仁狼は、もう一つ別の伐刀絶技(ノウブルアーツ)を放つ。

 

「《紫電(しでん)(つぶて)》」

 

仁狼の周囲に()()()()()()がいくつも生成され、それらが一輝に向けて殺到する。

一輝が躱した後に残るのは線ではなく、ごく小さな傷。

それを見た訳ではないが、飛来する()()の風切り音でその正体を看破した。

 

(斬撃じゃない。もっと直接的に、魔力で作った剣を射出している)

 

無空(むくう)鏡月(きょうげつ)》も然り。水を操る珠雫がその応用で人体を掌握するように、切断から関連させて刀剣を生み出し操るのもまた当然の技なのだろう。

斬り払いによる面制圧の範囲攻撃から、刺突による点の攻撃へ。

一見すればただ回避しやすくなっただけだが、《()(がん)》とは違い腕の動きで軌道を読むことができないのだ。

自分の攻撃に相手が何を以て対応しているのかを一目で理解し、それを潰す応手を即座に実行する仁狼は確かに凄まじい。

が、それで一輝は止まらない。

 

(対応としては正しいけど、人間性を掌握していればどこを狙ってくるかを読むのは難しい事じゃない。むしろ攻撃範囲を狭めてくれるのならありがたい!!)

 

点の攻撃なら、回避は身体をずらすだけで事足りる。

ほとんど真っ直ぐに駆け抜けてくる一輝に、仁狼は《紫電(しでん)(つぶて)》の中に《()(がん)》も同時に織り混ぜて応戦。

見えざる刺突と斬撃がひっきりなしに襲い来るという殺意の洪水を、しかし一輝はするすると潜り抜けていく。

仁狼の分析はとうに終わっていた。

最早目を瞑っていても当たらないだろう。

 

(そしてある程度接近したら、また《断鎧(だんがい)》を拡張して弾き飛ばしにくる。さっきのから判断すれば、効果範囲は半径およそ十メートル)

 

持続的に発揮できるものではないとはいえ、《(はつ)》による瞬間的な速度と出力は今の一輝をしても充分すぎる脅威だ。

速度に物を言わせて出される前にこちらの攻撃を当てる選択は得策ではない。

しかし、間合いが分かっているのなら問題ない。

一輝は《蜃気狼(しんきろう)》の残像を前に生み出し、仁狼の視覚を誤認させる。

これに反応した仁狼が《断鎧(だんがい)》を拡張しても、巻き込むのは残像のみ。切断の結界が収束して元のサイズに戻ると同時に残像の後ろにいた一輝本人が吶喊、距離を刀の間合いまで詰める算段でいたのだが。

 

「《風勢(ふうせい)烈霞(れっか)》。……やっぱ残像か」

 

《切断》の概念をたっぷりと孕んだ魔力の風が、仁狼の周囲に吹き荒んだ。

威力も速度も射程距離も《月劫剣(げっこうけん)》には及ばないが、カバーできる広さは仁狼の技の中でも随一。生み出された残像を細切れにしながら、想定した効果範囲を大きく超えて一輝へと迫る。

……一輝の《完全掌握(パーフェクトビジョン)》は、戦闘中に得られる情報に大きく依存する。

そして仁狼はここまで、言ってみれば自身に縛りを課して戦っていた。

つまり一輝は剣客としての仁狼は掌握していても、現段階で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

相手が行動を起こすタイミングを完全に見切っていようとも、切ってくる手札は自分が知り得たものから考えるしかない。

刃の霞に一輝が巻き込まれずに済んだのは、そういった理由から自分の予測を大して信用していなかったが故だろう。

しかし動かしていた足を一瞬、完全に止められた。

 

「《()(くう)明月(めいげつ)》。……《(りゅう)()》」

 

その一瞬に剣を通すように、瞬間的に脱力。

仁狼は見えざる二刀を一刀に収束させて振り抜く。

同じように飛ぶ斬撃、しかし先程の《()(がん)》を機銃とするならばこれはまさに大砲。

巨人すら斬り捨てるかという刃の三日月が、足が使えず刀で受けるしかなかった一輝を再び遠くへ押し流す。

 

動きを縫い付けたそこへ再びの《月劫剣(げっこうけん)》。

月穿つ槍が、一人の人間に向けて撃ち放たれた。

 

『あっ………ぶなぁぁああい!! 黒鉄選手、受け止めた斬撃の下を潜るように横っ飛びして何とか躱す!

しかしまたもや距離を突き放されてしまった!

去原選手、全ての間合いであまりにも隙が無い!!』

 

『物質的に強く接触してくる能力ってのが厄介なんさ。それこそ火とかならムリヤリ突破したりもできたろうけど、ああやってぶつかれば思いっきり弾き飛ばされちまう。

それに大小問わず技の出がクソ早えーのもそうだけど、イヌッちの立ち回りがすっげー巧いのよ。接近戦しかできねー黒坊にとっちゃ最悪さね。

このまま型に嵌められたら文字通り何もできずに終わっちまうぜぇ?』

 

(立ち回り………その通りだわ)

 

それが意味している事を、ステラは深く肝に命じた。

フェイントをかけられてもカバーできる技で堅実に防御。足を止めた所に重たい技をぶつけ、確実に足を止めたところで本命の一撃を叩き込む───

強い能力で圧倒するのではない。

煉瓦を一つずつ積み上げるような、地道ともいえる手順の駆け引きだ。

恵まれた能力(さいのう)を持ちながら、仁狼はその地道さを徹頭徹尾(おこた)らない。

強力な能力、強力な技を持っているそれだけでは不足。

使()()()()()()使()()()()()()使()()

その時々で目まぐるしく変わる最適解を瞬時に導き出し、実行。

そうして積み重ねられた最適解が、今の仁狼の有利を作っている。

───観察眼に対する思考力。

それを支えているものの正体を、一輝はここで理解した。

 

(平静だ。いっそ平時と変わらないくらいに)

 

そう。この戦いの当初、仁狼は気負っていた。

己の剣のみで一輝を倒すという誓約によって彼は己の力を出し切れていなかったばかりか、その重圧にせっつかれて勝負を逸り、自分の体質を無視した無計画とも言える試合運びをしてしまっていた。

ところが、今。

詠塚琉奈の為に最優先事項を『無傷での勝利』に変更───それを達成するために己の全力を解禁した結果、仁狼はあらゆる制約から解き放たれている。

故に、不惑。泰然自若。

気負いの無さが、実力の全てを十全に引き出す。

 

(ああ、そうか。これが……そうか)

 

一輝の中で、見る間に仁狼が変質していく。

一粒の解を混沌の中から一瞬の内に弾き出し、それを積み上げていく『あたりまえ』の正確さ。

冷静と合理が生み出す必然は反抗を許さず、どんなに計算をずらしても即座に『制圧』という結果に帰納させる。

 

自分が戦っているのはもはや剣士ではない。

脳の代わりに搭載されているのは、冷徹な電子計算機。

両手に刃を握らされ、勝利に向けての最適を重ね続ける機械人形だ。

 

 

(これが────去原仁狼(きみ)か!!!)

 

 

一輝の口元が獰猛に歪む。

真っ当に戦っているだけでは勝てない。

今以上にリスクを背負わねば、遠く見える()()は倒せない。

またも襲い来る切断の群れの中に吶喊せんとする一輝の身体が、ギシリと音を立てる。

───番外(ばんがい)()(けん)鐵炮(てっぽう)》。

力と瞬発力を爆発的に発揮する体捌きを、一輝は前へと進む蹴り足に適用した。

 

『はっ、速い!! 黒鉄選手、まるで弾丸のように去原選手へと迫る! 地面を蹴る音がまるで銃弾を蹴り出す炸薬のようです! 大きく開いていたはずの距離があっという間に詰められていく!!』

 

「!」

 

流石に思いもしなかった速度で迫る一輝を見た仁狼は《(はつ)》が間に合わないとして、寄せ付けずに粘り勝つ今までのプランを即座に放棄。

『無傷で勝利する』という絶対条件の元に方程式(けいかく)を組み直す。

そして弾き出した解は正直どうかという物ではあったが、背に腹は代えられない。

無傷で勝つ為には仕方ない。

一輝の刀が自分に届くよりも一瞬早く、仁狼は後ろに向けて大きく跳び上がった。

 

「え……」

 

一輝が思わず足を止め、呆けた声を出したのは当然だろう。

一輝だけでなく、観客のステラ達やそれを見ていた解説の寧音、声を上げるべき実況の(つき)()()すらも声を失った。

 

跳び上がった仁狼が着地したのは、観客席の中だったのだから。

 

───何をしているんだ?

観客席の中は即ち場外である。

カウントダウンが進めばそのまま敗け……

 

(っまさか手出しの出来ない場所をあえて緊急避難として!?)

 

観客席という場所が含んでいる要素から、瞬時にそこまで考え付いた一輝も流石ではあった。

そしてその推測も、まぁ間違ってはいない。

……だが、仁狼の策謀はそんなものでは終わらない。

 

それはまるで、餌に群がる鳥の群れ。

一輝を360度ぐるりと囲んでいる観客席。

その全方位から、リングにいる一輝に向けて《()(がん)》が一斉に飛びかかってきた。

 

「なっ────~~~~っっ!!??」

 

観客席に侵入(はい)り込んだ仁狼が、縦横無尽に走り回りながら伐刀絶技(ノウブルアーツ)を連射しているのだ。

慌てて身体を低くして飛び退いて辛うじてそれらから逃れるが、当然ながらそれで終わるはずがない。

逃げ回る一輝を啄もうと、四方八方から殺意の鳥が襲いかかってくる。

 

「はっ、はぁぁ!? アイツ何やってんのよ!? ヨミツカさん、イヌハラの奴ここまで見境無しにやる奴なわけ!?」

 

「た、確かに『何でもやる』のはジンロウの遣り口ですっ! 流れ弾が当たるなんて事はしないでしょうが、ここまでやるようになっていたとは……っ!?」

 

───琉奈の横から、ぬう、と腕が伸びてきた。

 

一輝が躱した《()(がん)》の群れが、まるでシェフに刻まれるキャベツのような勢いで硬い地面を刻んでいく。

前後左右、どこにも逃げ場はない。

逃れる方向に正確に回り込むように、意識を割いた逆の方向から、リズムを崩す厭らしいタイミングで斬撃が飛んでくる。

仁狼の人間性を掌握していなければ回避も危うかっただろう。

 

「おっ、オイオイオイ!! 観客席にいんのかよ!?」

 

「待って待って怖い怖い怖い!!!」

 

「いっ今そこ通らなかっtうわぁっ!?」

 

『お、落ち着いて下さい! 危ないですから席を立たないで!!』

 

(本っ当にメチャクチャだ……!!)

 

完璧に気配が消されているのと、観衆がパニックになって右往左往するせいで仁狼がどこを移動しているかが全く掴めない。

……躱すことそれ自体は出来る。

だが、そこから先がどうしようもない。

追いかけて観客席に入る訳にはいかないし、そうしたとしても人が多過ぎてまともに刀が振れない。あそこは無手になれる向こうのフィールドだ───

 

「っっっ!!」

 

背筋を駆け上がった悪寒に、一輝は全力でそこから飛び退いた。

直後に、轟音。

観衆の間を縫って放たれた《月劫剣(げっこうけん)》が、スタジアムの床に大穴を開けた。

戦いではなく狩りとでも呼ぶべき、どうしようもなく一方的な構図。

これが死合(しあい)であったなら、仁狼はこのまま延々と攻め立てただろう。

しかしこれは試合。

リングアウトという、ルールに則った敗北が定められている。

 

『十! 九! 八! 七! 六! 五! 四………っ!?』

 

「────《(しょう)()》───!!」

 

「ぐうっ!!?」

 

カウントダウンの途中、『有利な状況ならなるべく引き伸ばすだろう』という読みの裏を突いて、観客席から仁狼が飛び出した。

両手に持つは《無空(むくう)鏡月(きょうげつ)》。

全力疾走のエネルギー全てを二刀に乗せて飛びかかるように叩き付ける強襲技、《双の型》が一振り《(しょう)()》にて一輝を背後から襲う。

一輝はその突進力を《(まどか)》で返そうとするが、それを察知した仁狼は途中で《(しょう)()》を引っ込めてそのまま一輝の横を通り抜ける。

そしてまた観客席に侵入(はい)ろうとした時、

 

『おいぼーず。次ィ同じ事やったらお(めー)失格にすっかんな』

 

トーンが低くなった寧音の声。

 

『全力全開で戦る余波なら、うちらが幾らでも受け止めてやっから存分にやりゃあいい。

けどお前の()()は、守る義務を負う伐刀者(ブレイザー)としちゃ完全にアウトだ。

そのスタイルを否定はしねーけど、ルールの上に立つ勝負なら倫理(ルール)に則りなよ』

 

「………まぁ、そうなるよな。流石に」

 

厳しい叱責を受けた仁狼は、特に異議を申し立てる事なくそのプランを棄却した。

反則敗けはいただけない。

形はどうあれ、仁狼はもう人の海を使えなくなってしまった。

残された時間は、多くない。

一輝は仁狼に向けて猛然と突撃し、

 

「じゃあ、しょうがない」

 

「っ?」

 

そう一言言ってから、仁狼はまた一輝がいるのとは違う方向に跳んだ。

二回ほど地面を蹴って着地したのは、仁狼がスタジアムの壁面に開けた、外へと開通した大穴の縁。

 

「場所を変えよう……黒鉄一輝。

俺にとっては………どうにもここは、狭すぎる。

 

 

───どうせ戦るなら、自由に戦るのが一番だろ?」

 

 

射し込む光すらも、まるで一輝を招くようで。

好戦的に口元を歪め、仁狼は穴の縁から飛び降りて外へと姿を消した。

困惑にざわめくスタジアム。

しかし一輝の心は、さらに沸々(ふつふつ)と沸き立っていた。

試合のルールで言うのなら、仁狼のこれは戦闘の放棄とも取られかねない行為だろう。

だが彼は、勝ち負けに関わるそれすら窮屈であると言ったのだ。

ルールを放棄してまで全力を出したいと言ってくれるのならば。

自分との戦いを、箱の中で収める訳にはいかないと思ってくれたのならば。

 

それに応えない道理など、無いではないか。

 

「いいね。────受けて立とう!!」

 

一輝もまた、地を蹴った。

スポットライトに消えるように、彼も穴を通って外へと消える。

二人の剣士はとうとう戦いの場所を制限のない外へと移してしまった。

 

『え、ええと……これは、どうすれば……?』

 

『うはははは、コイツぁ予想外さねぇ……。ったく、ガキんちょの暴走ってなぁいっそ羨ましいもんだねぇ。青さが目に沁みるってもんさ』

 

困惑の月夜見と面白がる寧音。

一転して戦いの気配が消えたスタジアムが、主役を無くした空白をどよめきで見たそうとしている。

 

「え……と、これで終わり? 引き分け?」

 

「いや、でもまだ二人は外で戦ってるんじゃないの?」

 

「イヌハラの遣り口はまだ想像すら追い付かないわね……。多くの条件が絡む屋外でどう戦うのか、気になる所だわ」

 

「チンタラしてんじゃねえよ。外行くぞ」

 

「躊躇わないなキミも!」

 

ここでやっと状況を飲み込めた者たちの話し声で、スタジアムが一気に騒がしさを増す

観衆が三者三様の反応を示す中、解説席の寧音は下駄を鳴らして楽しそうに席を立った。

 

『さってと、じゃあうちも行くかね。若さの滾りをきっちり見守るのも大人の責任ってもん───』

 

 

 

キンキン、と軽い音。

天井を小さく切り抜いて、その穴から去原仁狼が空からリングへと飛び降りてきた。

 

 

 

え? と大量の疑問符が全員の脳内を満たす。

戦いの舞台を外に移した張本人が、いきなり天井を抜いてリングへと帰還を果たしたのだ。

しかも、一輝を置いて一人でだ。

二十メートルもの高さから飛び降りた彼は衝撃を完璧に殺して猫のようにしなやかに着地し、リングの中央で呑気そうな顔で立っている。

 

『い、去原選手、戻ってきてしまいました………? でも、あれ? 黒鉄選手は……??』

 

事の流れが全くわからないままではあるが、とりあえず実況としての仕事を果たそうとする月夜見。

再び困惑のざわめきを取り戻したスタジアムの真ん中で、仁狼は苛立ったように審判を睨む。

 

『? ……、あっ!! じ、十! 九! 八! なな……』

 

 

ゴギィィィイイイン!!!

と、音すら怒っているような鋼の音。

寸での所で《月劫剣(げっこうけん)》で開けられた穴から帰って来た一輝が、全力で仁狼に打ちかかったのだ。

 

「君ねぇ………っ!!」

 

「おい審判……。カウントダウンが遅いぞ」

 

ひくひくと顔を引き攣らせ、額に青筋など浮かべつつ言葉と刀で詰め寄る一輝に対して仁狼は完全にどこ吹く風だった。

 

『ま、マジかよオメー………』

 

仁狼のスタイルを否定しないと言ったはずの寧音が、実情を理解して割と本気で引いた声を出す。

同じように理解して愕然とするステラ達の中で、琉奈がトルネードのような溜め息を吐いて頭を抱えていた。

 

『せ、先生? これは何がどういう……?』

 

『簡単じゃねーけど簡単な話さ。この試合のルールにおいて、定められたフィールドから出た選手はどうなる?』

 

『………、ああっ!!?』

 

『そ。うちもそれなりに色んな試合に立ち会ってきたけども、こんな事やらかすバカは初めてさね』

 

はぁぁああ、と形容しがたい息を吐く寧音。

呆れているのか感心しているのか、恐らく自分でも判別しかねているだろうよくわからない感情をそのまま吐き出すように、寧音は仁狼の遣り口を知らしめる。

 

『あんだけキメた事言っといて、よくまぁ()()()()()()()()と戻ってきたもんだよ……。

イヌッちの野郎────調子のいい事並べて黒坊を場外に釣り出して───しれーっとカウント勝ちを狙ってやがったんさ!!』

 

ドオオオオオオ!!!とスタジアムが張り上げられる声にビリビリと揺れた。

渾然一体となったその内訳は、罵る声が大多数。

しかし彼は欠片も動じない。

本気で戦う彼の心は、如何なる時でも平静だ。

 

「……仕方がないさ。俺が無傷で勝つ為だ」

 

悪びれもせずそう言って、仁狼は笑う。

凶悪な双眸を細めた顔は、それはそれは悪そうな。

絵本に出て来てもおかしくないような───模範的に悪役な笑みだった。


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