『均衡が崩れたぁぁああ!! 急激にパワーアップした去原選手、黒鉄選手をどんどん押し込んでいく! 一体何が起こっているんだぁっ!?』
『能力で空気抵抗だ何だを斬って《比翼の剣》を完全に再現していやがる! いくら能力の相性良くてもコスパ見合ってねーだろ!
手札の多さが出せる役の強さとはいえ、ここに来てとんだ
『ひ、《比翼》の再現ですか!? つ、つまり黒鉄選手にもう逆転の目は残されていないと……!?』
『………や、無い訳じゃねえ。確かに《比翼》の再現ってのはとんでもねぇ切り札さ。
けど黒坊は一度、
だからアレを攻略すんのは不可能じゃあねえハズさ………攻略するだけなら』
『? それはどういう………』
『タイムリミットさね。《
一際大きな鋼の音が観衆が見下ろす戦場から鳴り響く。
今まで打ち合えていたはずの力に突如抗えなくなった一輝が、大きく吹き飛ばされていた。
(……倒しきれなかった。《
待ち焦がれていた瞬間に、伏して期を見ていた狼がとうとう獲物を仕留めにかかる。
仁狼の心情を思えば何なら舌舐めずりをしてもおかしくなかっただろう。
仁狼の速度域に完全に置いていかれた一輝は何とか攻撃を弾くものの、防御を捨てて全ての意識を攻撃に費やした仁狼を止めることなど不可能だった。
少し前と比べて身体への反動は格段に軽くなっているにせよ、それでも疲弊しきった身体で戦っていい相手ではない。
一輝自身の技量と強化倍率のせいで忘れそうになるが、そもそも《
ここまで互角に戦っていたものの、《
そして今、シンデレラの魔法は解けた。
対する仁狼はまだまだフルスロットル。
己の全てを振り絞って手に入るのは、たった一分間の拮抗。
才能という絶対的な壁は、いつだって黒鉄一輝の行く手を阻む。
そしてその壁を切り開いてきたのが、黒鉄一輝の生涯だ。
「な………っ!?」
黒く瞬いた剣閃が《
苦し紛れではない明確な反攻の意思を持ったその一太刀に仁狼は目を剥いた。
手首から身体に伝わるのは今の一輝からは有り得ざる力にして、ついさっきまで自分が相手取っていた力。
……捕食者にとっては濡れ紙に等しく思えたひ弱な獲物は、時として思いもよらぬ力を発揮する。
だが彼のそれを窮鼠猫を噛むと表現するには、その爪牙はあまりにも鋭すぎた。
どんな可能性を模索しようと有り得るはずがない。
何度頭で否定しても、眼前の事実がそれをまた否定する。
水を得た魚のように跳ね回り己の健在を叫ぶ黒刀を凌ぎ、仁狼は歯を強く軋らせる。
(《
……元より技術的な面で言えば一輝は《七星剣武祭》の時点でエーデルワイスの剣速と膂力を凌げるレベルの業を持っており、さらに寧音が言ったように
もちろんエーデルワイスと仁狼の剣は別物だが、刻み込まれたそれらの経験と《
《
初見の出鼻で使われたらこれだけで勝負を決められかねない、魔術と技術の融合の極致とも言えるだろう。
剣速は完全、膂力も完璧、剣筋は───及第点。
《
それに経緯に違いはあれ、彼女と同じ剣を使う者としては───その業には、意地でも負けたくない。
「はぁぁぁああああああああああっっ!!」
『黒鉄選手息を吹き返した!! しかし何故《
この現象は《七星剣武祭》決勝で見せたものと同じ、魔力の増大では……!?
西京先生、これは一体!? 黒鉄選手にはまだ隠された能力があったという事なのでしょうか!?』
『……
寧音が思い切り言葉を濁したその眼下で、言った通りの現象が起きていた。
湧き出る泉のように魔力を増大させる一輝が、瞬く間に戦況を引っくり返していく。
それに対して同じ速度で追い詰められていく仁狼。
当然だ。
自分の全てをぶちまけ、組み合わせ、攻略されて、そうして削られ削られて最後に残ったものが《
それすらも攻略された彼の手札には、とうに通用しなくなった技しかないのだから。
(冗談じゃねえぞ……っ)
相手の手傷に有利と踏んで攻勢に出れば、まるでそれらが撒き餌であったかのように全てこちらの上手を行く。
それでも劣勢を凌ぎ拮抗を泳いで、土壇場で切り札まで編み出して完全に追い詰めたと思ったら、今度は有り得ない手段で一気に逆転してくる。
無茶苦茶だ。法則の無視も甚だしい。
これではまるで──
(まるで、『黒鉄一輝が勝つ』という筋書きで綴られる物語の中にいるような───)
となると、ストーリーはこうか?
ある日、黒鉄一輝はとある剣士から決闘を挑まれました。しかし卑劣な罠を駆使する挑戦者に万事休すの黒鉄一輝は秘めたる力を発揮して挑戦者を撃退、大きな歓声と称賛に包まれ闘技場を後にするのでした。
めでたし、めでたしと────
────フザけんな!!
ぎしり、と額に青筋が浮かぶ。
こんな理不尽に押し負けることを「仕方がない」と諦められる程、仁狼は往生際が良くなかった。
だがその怒りが何かを生み出してくれる訳ではない。
実際問題どうすればいい?
からっけつの素寒貧になった自分に何ができる?
───考えろ。考えろ!
その為に鍛え抜いてきた思考力だ!
これ以上琉奈を泣かせる気か!?
そうなれば自分は何の為に
「あ。」
思わず間の抜けた声が出た。
まるで絵を見る向きを変えてみたら別の絵が出てきたような思いもよらぬ感覚だった。
それはそうだろう。
仁狼が行き着いたのは、更なる業や一発逆転の奇策を作り出すことでは無い。
己の最大の武器である思考力。
その全てを、捨て去ってしまう事だった。
音も無く前触れも無く。
殺しの太刀は弾かれて、相手の姿は霞のように掻き消えた。
何も見えなかった。
ただ確かなのは、自分は今、致命的な業を受けてしまったという事。
「はは……予想外だ。こんな事も出来たのか、俺は」
背後から聞こえる苦笑の声も、今の一輝には聞こえない。
引き伸ばされたようなこの時間は、覚悟の時間。
己の行く末を悟った一輝は、ただ一瞬後に意識を保っていられるように強く強く腹を括った。
見えざる二刀を血を払うように左右に振り、仁狼は静かに呟く。
「──────《
刃と化した世界の喉に、黒鉄一輝が呑まれて消えた。
全身を切り裂かれている。
観衆がそれを理解するのに少し時を要する程にその光景は突然だった。
《
夥しい量の血の華で紅く染め上げられた闘技場に、どしゃりと肉の落ちる音がする。
「イッキ────ッッ!?」
「おにい、さま………!?」
「オイ何だ今の……何にも見えなかったぞ……!?」
突然壊滅的な傾き方をした天秤に驚愕するステラと、あまりにも凄惨な光景に青ざめて息を呑む珠雫たち。
人間を逸脱した反射神経を持つ蔵人でさえピクリとも出来なかったのだ、この会場に今の交錯を目視できた者はいるまい。
目まぐるしく移り変わる趨勢に置いていかれる中、実力者や見識ある者たちは動揺を押し殺して状況を分析していた。
「……イッキを出し抜いたのは、多分《
戦いはレベルが上がるにつれて、視覚ではなく経験からの直感や気配からの予見とか、ある種の感覚に頼る割合が大きくなっていく。第六感とも言えるそれらをいっぺんに、一瞬でも欺ければ、やられた側は本当に消えたと錯覚するでしょうね。
しかもそれを、さんざん真正面からの打ち合いを意識させたこのタイミングで………本当、厭らしい程に期を見てる奴だわ。
それにしても、あの速度はおかしいけれど……」
「ジンロウは元々、脱力からの魔力の爆発と体捌きで初速から音速を出せる人です。空気抵抗や諸々の影響で直進して一太刀程度しか動けませんが、それらを無視できる
『い、今……何が起きたのでしょうか? 一気に押し返していたはずの黒鉄選手が、突如大出血を伴う反撃を受けてしまいました……! 去原選手の人間性を読み切っているはずの黒鉄選手が、なぜ……?』
『……あの瞬間、イヌッちは駆け引きに使う思考を放棄した。簡単に言やー
人間性から思考が生まれ、思考から行動が生まれる。思考が無きゃ人間性が反映される筈もねえ。
身体に刻み込まれた反射とインスピレーションのみで行動したんさ。
だから黒坊の読みから逸脱した。
けどこのタイミングで最適な行動を思考も無く実行できたのは、今まで厳しい鍛練を正しく積んできた証拠さね』
『な、なるほど。最後まで手札を隠し持っていた去原選手の方が上手だったと!』
『隠し持っていたっつーか、土壇場で閃いたんだろうねぇ』
そう寧音は推測した。命を賭した死合いの中で、今まで突き詰めてきた己の力を全て発揮しようとは思えど、それを手放すなどという発想は普通生まれない。
本当にどん詰まって、何かを捨てるしか出来る事がなくなったからこそそこに行き着いたのだろう。
それこそ生半な思考力では閃くはずもないが。
『と、とにかく土壇場の大攻勢を切り抜けられ、致命的な一発を喰らってしまった黒鉄選手! 血塗られた闘技場にテンカウントが始まりました! これまで絶体絶命の満身創痍から立ち上がり続けてきた黒鉄選手ですが、さすがに戦闘継続は絶望的でしょう……!!』
『だねぇ。立ち上がるどころか、最早テンカウントが要るのかもわかんねぇ有り様だ。
……うーん、立場上あんまこういう事言わねー方がいいんだけど────
───それでも期待しちまうね。
とんでもねぇ大番狂わせの瞬間を、見届けてきた一人としては』
びちゃり、と粘っこい水の音。
石と鉄が擦れる、明らかに意思を持った音。
背後から信じがたい気配を感じた仁狼が弾かれたように後ろを向く。
泥濘に刀を突き立てるが如く。
鮮血の沼に震える足を立て、黒鉄一輝は、尚も立つ。
鉄の臭い立つその闘志に声は上がらない。
驚愕か畏怖か……それとも恐怖か、根源的な感情が他の全てを圧倒している。
血を吐き肉を晒しそれでも瞳に熱を宿すその姿に、観衆は鬼の
(………ウソだろオイ……!!)
流石の仁狼でも平静ではいられなかった。
一輝に意識があるのはまぁわかる───接触の瞬間に捻り出した魔力を全力で放出してぶつけ、ちょうど
曲がりなりにも《紅蓮の皇女》の切り札を耐えた魔力防御だ、
今までどんな防御でも喰い破り仕留めてきた実績と自負があるだけにショックは大きい。
意識あるばかりかまさか立つとは。
───立つとは!
「はは……攻撃が来るタイミングに合うかどうかは、博打だった、けどね………。なんとか、ギリギリ……一太刀ぶんは、残せたよ」
曲げた口許は果たして虚勢か。
呼気に合わせて歯の隙間から血の飛沫を散らし尚も強く笑う一輝に対して、
(……いや、残してどうするってんだ……?)
その表情は純粋な困惑。
平静に帰った仁狼は、至極真っ当な疑問を浮かべていた。