二天の孤狼 ─落第騎士の英雄譚─   作:嵐牛

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二人の(みち)

不安定な姿勢ながら熟睡していたらしい。

目をしばたたかせてのろのろと人口の増えた周囲を確認し、その全員が自分に注目していることに気付いた。

髪もめちゃくちゃな、洗っていない寝起きの顔に。

 

「えっ……あっ、や、やだみっともない……! し 少々お待ちを……!」

 

慌てて仁狼の陰に隠れ手櫛で髪をザシザシと整える琉奈。

しかも隠れ蓑にしている仁狼の服で顔を拭いているのだろうか、ぎゅんぎゅんと服を後ろに引っ張られている彼の目が若干半目がちになっていた。

必死の身繕いが始まって十数秒、何とか人に見せる体裁が整ったと判断したのか、仁狼の陰から姿を表してにこりと外向きのスマイルを浮かべる。

 

「見苦しいものをお見せしました、皆様も黒鉄さんのお見舞でしょうか? 何やら深刻な雰囲気を感じましたが……」

 

「いや……たった今それが台無しになったとこだ」

 

「わ、私は悪くないと思います……それよりも!」

 

キッと目に力を入れた琉奈が唐突に仁狼に殴りかかった。

思いの外訓練してきたであろう形跡のある小さな拳が、バシンと軽快な音を立てて仁狼の掌に受け止められた。

 

「この大馬鹿者!! 怪我するなって私言ったじゃないですか、聞こえてたんじゃないんですか!!

無傷で勝つって言ったじゃないですか!!

それなのにこのっ、あんな大傷をこさえてっ!

私まで気を失いかけたんですからねっ!?」

 

「ああ悪かった、俺が悪かったから殴るな!

でも俺がやられたアレ『ぼくのかんがえたさいきょうのひっさつわざ』レベルの一発だぞ!?

斬るより先に斬られた事が確定してるってどうしようもないだろうが!

相討ちにしただけ上出来だっつーの!」

 

「!? ………なーにが上出来ですか!! あなた今自分が怒られてる理由わかってるんですか!?

男の子なら自分で口にした約束をきっちり果たせって言ってるんですよ!!

それをあんな風になっておいてよくそんな口が聞けますね!!」

 

「それまでは完全に無傷だったろ!!

それに自分で言うのも何だが今までの戦いの中で一番死に物狂いだったんだぞ!?

それまでの頑張りを認めろよ誉めろよ!!

ホラ俺はまだお前の『お疲れ様でした』を聞いてねえんだがどういう事だアァン!?」

 

「あああああもうっ! 減らず口を叩かないっ!」

 

さっきまで会話していた一輝たちをそっちのけでぎゃーぎゃーケンカし始める二人。

普段の柔らかな態度を放り捨て肉体言語に訴え始めた琉奈とその攻撃を全て捌ききる仁狼、目付きの悪い男と怒る少女の図はどこかコミカルで、それを見物していた面々からクスクスと軽い笑いが起きていた。

 

「あらあら、ホントに仲がいいのね」

 

「……ま、この分なら心配はいらんかねぇ」

 

(……よかったわね、ヨミツカさん)

 

直前までのシリアスからの落差に寧音が気が抜けたように一人ごちる。

しかしこの二人の間に()()()()()()()()()()()()を理解しているのは、琉奈から話を聞いていたステラと可能からそれを又聞き聞いた一輝だけだろう。

しばし和やかな空気が流れた後、折れた話の腰を戻すように寧音が仁狼に言う。

 

「てなわけで、まぁ聞いてた通りさ。イヌッち、お(めー)は相手にしてたのはそういう人外で、それを相手にイヌッちは()()()んだ。胸ぇ張ってイバり散らせる大金星さね」

 

「…………。勝利、ねえ」

 

「うん? 不服かい」

 

「ひどく不服だ」

 

低い声でぼやいた仁狼が、じたばたと抵抗する琉奈の両頬をおもちみたいに引っ張っていた両手を放す。

微妙に赤くなった頬の肉を若干涙目で揉みほぐす琉奈を脇に置いて、彼は煮え切らぬ澱を口から垂れた。

 

「勝利ってのはな……。自分の足元にブッ倒れる相手を『見下ろして』、『喝采を浴びて』こそ、声高に叫べる言葉なんだよ。

どこの誰の判断だろうが、何の価値もありゃしない。

今の話を聞いた後じゃあ、敗けだと言われた方がまだ納得がいく。

斬られて倒れて歓声も無く、全員の胸につっかえるような勝利判定なんて………正に、羊頭狗肉ってやつじゃねえか」

 

相討ちの末の疑惑の判定。

例え仁狼でなくとも素直に喜ぶことはできまいが、思春期から続く承認欲求を拗らせてしまった彼が掲げる哲学にとっては尚のこと承服しがたい決定だったらしい。

判決を受け入れた敗者に、受け入れようとしない勝者。

色々と真逆な立ち位置だが、双方ともに首肯できるだけの理屈はあるようだ。

肉体言語で穏やかに言い負かされて若干むくれている琉奈に軽く謝り、仁狼はベッドから立つ。

 

「ルナ。行くぞ」

 

「あら。もう休まなくて大丈夫なの?」

 

「最大の目的は、一応果たしたからな………。

寝こけてたせいでスケジュールもキツくなったし、個人的に予定も出来た事だから……とっとと帰ることにする」

 

まだ何か言いたげな琉奈を連れて病室の出口に向かう仁狼だが、不意に彼は帰路に着こうとした足を止めた。

どうしたのかと注目する面々を振り返らずに、彼は静かに問いかける。

 

「黒鉄。次の《七星剣武祭》……当然、また出るんだろう?」

 

「もちろん」

 

「わかってると思うが、次の舞台には俺も絶対に上がる。

前回みたいな無様は、流石にもうやらねえ。

本当の決着は……そこで付ける事にする」

 

それは最早わかりきったこと。

面と向かって言う必要すらない、至極当然の宣戦布告。

仁狼の背中から噴き上がった獰暴なまでの寒気が、一輝の心臓を貫いた。

 

 

「半年後にまた会おう。

震えて眠れ─────()()()()

 

「……こっちの台詞だ。……次は、勝つ」

 

 

それを最後に会話は打ち切られた。

バタンと閉じられたドアの向こうから、二人分の足音が段々と遠ざかっていく。

そのやり取りを見ながらニヤニヤと笑っている寧音を見て、珠雫の目が鋭く尖る。

 

「……先生。お兄様の敗北を宣言した理由、まさかとは思いますが………去原に火を着けるためだとか言いませんよね?」

 

「んんー? さーねぇ?」

 

どこ吹く風ではぐらかす様を見て、珠雫はそれ以上の追求を諦めた。

流石に勝負に関しては誠実であるとは思うが、同時に彼女が型破りの奔放さを持っているのもまた事実。

予測が当たっていようがいまいが、真実が明らかになることはないだろう。

 

「あいつ、半年後には化けてくるわね」

 

「ああ。今よりももっと、ずっと恐ろしいものになってくるだろうね。

……決勝でステラと戦うまでに、またとんでもない壁が出てきちゃったなあ」

 

ベッドに座ったままの一輝の日和ったコメントに、ステラはくすりと笑いを溢す。

 

 

「その割には嬉しそうね? イッキ」

 

「バレたか」

 

 

そんな会話を聞いていた珠雫は、一人静かに小さな拳を握り締めた。

───自分は、去原仁狼に勝てるのか?

あの能力ならば物理的な攻撃を完璧に無力化できる自分は相性がいいように思えるが、あの兄の鬼札を正面から撃ち破るあの技……そんな単純な図式は当てはまるとは思えない。

 

(いや。それどころか……)

 

───そう、それどころか、自分はまだあの男にも勝てないだろう。

だって、兄とステラの今のやりとりの中に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

自分はまだ、彼らの感覚で障害にすらなれていない。

特に強さを求めてはいないアリスを除き、この場にいる圧倒的な強者たちの交流の中で───自分一人がのけものだ。

 

でも、それでは絶対に終わらせない。

二人のいる頂へ、今度こそ。

水のような瞳の中に、珠雫は静かに決意の炎を燃やした。

 

 

そしてそれらの一方で、寧音はたった今ここを去った仁狼について………より正確に言えば、一輝との最後の激突について考えていた。

この場の誰も違和感を覚えてはいなかったが、実は彼女には、正確な判断がつかなかった為にこの場では言わなかったことがあったのだ。

一輝が放ったあの《追影(おいかげ)》は不完全で、そこを期せずして仁狼に突かれてやられてしまった───確かに、自分の話したこの内容に偽りはない。

 

しかし、それでも『運命を強制する力』だ。

運命に対して何の抵抗力も持たない彼には、例えその不完全な《追影(おいかげ)》でも何の手段も取れないはず───それこそ赤子に蜂蜜(ボツリヌス菌)を与えるように───勝負にすらならないはずだった。

その結果が、これ。

己も致命傷を負ったとはいえ、彼はまさしく運命を断ち斬ったと言える。

もう仁狼と運命を切り離して考える事は不可能だ。

 

ではあの瞬間、彼に何が起こっていたのか。

彼の強い意志が、一輝が世界に命じ得る権限の範囲から逸脱してしまったのか?

それとも彼の能力(チカラ)は、運命や因果すら《切断》できるような代物だったのか?

 

あるいは、まさか……───────

 

「…………、………」

 

 

獣の牙の真の鋭さは、今は静かに口の中。

供を連れた狼は、未知数の闇へと姿を消す。

猛者達の闘争心に己の名前と炎を灯し────いずれ来る再戦に備え、仁狼も心に火を着ける。

渇望の果てに己の手からすり抜けた獲物を、今度こそその舌で味わい尽くすために。

 

 

なお約束された激戦に今から血潮を滾らせている一輝とステラだが、これから彼らは()()()()()()()()()()()()()()というひどく根本的な問題にぶち当たる事になる。

 

───『《魔人(デスペラード)》という文字通りの規格外であるこの二人には特例で一足早く《(king)(of)(knights)》に登録してもらい、選手としての《七星剣武祭》出場は自粛してもらうべきだろうか?』───

 

そんな話が国の最高位の中で秘密裏に持ち上がりつつある事を……この時の彼らは、まだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

傾いた日が投げ掛ける幾ばくかの光が、いくつもの長方形の影を薄く地面に写している。

時折聞こえる門前を過ぎたカラスの急かすような鳴き声が、静寂の帳に区切られた異界のようなこの空間を辛うじて此岸であると認識させていた。

とはいえそこは何か超常的な場所という訳ではない。

───どこにでもある、何の変哲もない墓地だ。

整列立ち並ぶ墓石の中に、同じように動かないままそこにある形の違う影が一つ。

 

去原仁狼。

名前が刻まれた墓石の前に、彼はもう長いこと座り込んでいた。

するべき報告はとうに済んでいるが、それでもまだ墓石を見つめている彼の背中に砂利を踏む音が近付いてくる。

 

「ここにいたんですか」

 

石と石が擦れる音が仁狼の背後で止まる。

それが誰なのか声を聞くまでもなくわかっている彼は、それでもまだ振り向く事はなかった。

 

「フラッと出ていったきりずっと戻らないんだから。せめて携帯くらい持って出て下さいよ。何の報告もなくいなくなられたらいまだに不安になるんですから、私」

 

「……ああ、悪い。うっかりしてた」

 

「まあ、もしかしてと探しに来たかいはありました。正直、本当にここにいるとは思ってませんでしたが」

 

灰青の髪の少女が、仁狼の後ろで儚げに笑う。

 

「……やっと、墓参りする気になったんですね」

 

「……ここに来るのは、自分が最強の座に着いたと報告する時だと決めてたからな……。

けど、今回の戦いを……黒鉄との戦いを、話さない訳にはいかないだろう。

俺も色々と、思う事があったしな……」

 

「今までずっとその報告を?」

 

「いや、それはもう終わったんだ……。けど、色々と思い出してたら、つい長々と居座ってしまってな……。

他にも色々と言いたい事があるのに……どこから何を話せばいいかも、さっぱりわからないし……」

 

確かに彼の今までの心境はほんの数分程度で語り尽くせるものではないが、物言わぬ墓石に対してこれである。

この少年の昔から変わらぬ不器用ぶりに。少女は改めて苦笑いを浮かべた。

 

「とはいえ、戦いの報告だけでも相当長くなってそうですね。……《天眼通(てんがんつう)》と《祓魔之刀(ふつまのとう)》のコンボが通っていれば、あるいは……」

 

「身体強化系の伐刀絶技(ノウブルアーツ)は、魔力を斬っても意味がないし……強化の式そのものを斬ろうにも、《一刀修羅(いっとうしゅら)》は起点が脳にありやがったからな……。

魔力の流れを視認してたからこそ《一刀修羅(いっとうしゅら)》の持続を察知できた訳だから、《天眼通(てんがんつう)》は無駄じゃなかったが……」

 

ため息を吐いて髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。

そうして吐き出して残った欠片をぽつりとこぼすように、仁狼は己を省して言う。

 

 

「……やっぱ、一番の問題は……俺の考え方そのものだったよなぁ」

 

 

沈黙が降りた。

それはつまり、己に枷をかけていた事。

己の魂すら縛るような厳格さで拘り続けてきたものを否定することに他ならないその一言に、少女は静かに息を呑む。

 

「……それは……」

 

「……親父、いや、宮本武蔵いわく……『一つ事に囚われるべからず』、だったかな。

……間抜けな話だ。俺はずっとずっと昔から、自分の剣に諌められ続けてたって訳だ」

 

──その言葉をどれだけ待ち続けただろう。

このまま喋っていたらこみ上げてくるものが溢れ出してしまいそうで、少女はわざと茶化してみせた。

 

「父がちゃんとあなたへの想いを遺書に書いておけば、こんな事にはならずに済んだんですけど」

 

遺産に関わる手続き。

頼るべき人間。

そんな事務的な事のみが書かれた遺書は、最期まで言葉を交わしていた娘についてはともかく、息子についても何も触れられていなかった。

それに並んでもう1つ残されていた手書きの分厚い紙の束……《二天一流詠塚派》の全てが記された書物を、罪を償う唯一の手段として彼は今まで磨き上げてきた。

 

「……いや。俺が何も見えてなかっただけだ」

 

数百年受け継がれてきた技術体系が大規模に改造されていた事に、疑問を抱かなかった訳ではない。

だけど今日まで……黒鉄一輝と戦うまで、その理由を考える事は1度も無かった。

しかし今の仁狼には理解できていた。

あの土壇場で、どうしてあそこまで次々と新たな技術を生み出す事ができたのか。

どうしてああもスムーズに、まるで順番を踏むかのように綺麗な流れで奥義とも言える業に辿り着くことができたのか。

───当然だ。

体質から体格、掌の大きさ、今後成長が見込まれる部分の変化に至るまで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それを信じて正しく積み重ねた時間が、極みに至らぬ道理がない。

 

 

その剣は、父が仁狼に遺した全てなのだから。

父親としての願いを込めた、息子への愛そのものなのだから。

 

 

喜びの笑顔に、(こら)えきれなかった涙が混じる。

……長かった。本当に長かった。

震える唇で精一杯絞り出した明るい声は、やっぱり泣くような声になってしまって。

 

 

「───あなたのそんな不器用なところ、本当に父にそっくりですよ」

 

 

口下手な(ひと)だった。

確かに抱いていた情愛を、教え受け継がせたものに込めるしか出来なかった男だ。

……そして自分は、そんな背中を見て育ってきた。

もう少し上手く立ち回れるように育ててくれ、なんて文句を垂れても、何のバチも当たるまい。

 

 

 

その位許してくれるだろう。

こんなにも、自分を愛してくれていたのなら。

 

 

 

 

「ルナ」

 

「はい」

 

「………話したい事があるんだ。今までの事と、これからの事と」

 

十字架を背負い歩いてきた傷だらけのその背中を、彼女はそっと抱き締めた。

流れ出てくる熱い雫が仁狼の服を濡らす。

ずっと隣にいたのに感じようともしてこなかったその重みが、今になって何よりも暖かくて。

 

 

 

「………私も、話したい事があるんです。

何年もずっと、言えなかった事が」

 

 

 

 

何も為さなかった自分に絶望し、全てを(なげう)ちひた走る内にいつしか置き去りにしていた想い。

泣き方を忘れた少年の眼から、いくつもの光が溢れ落ちた。

圧し殺してきた言葉と涙は、暖かな雨となって心の荒野に降りしきる。

痛み軋みを上げる身体を、渇き傷んだひび割れを、優しく潤し癒していくように───

 

 

いつまでも────────

 

 

 

いつまでも────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日を境に、仁狼は一気に表舞台へと名前を轟かせる。

名のある強者を歯牙にもかけず斬り捨てていくその様は、黒鉄一輝を倒したという噂が真実であると実力者たちに確信させるには充分だった。

公式試合、野良試合、地下闘技場、挙げ句の果てには剣の峰。

幾つもの戦いを経て、いつしか彼は最強と称される座の一角を埋める騎士となる。

人も要塞も山嶽も、全てを切り断つその様を、誰が呼んだか『神の武器』───

 

─────《霊剣(れいけん)》の二つ名を彼が冠するようになるのは、そう遠くない未来の話だ。

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