Fate/Fallen Craze -魔都の幻影-【現代中華Fate】 作:白木蓮之輩
——夢に見た国とどこか違っていた。
大人になるにつれ、夢を失っていく。
僕らはきっと現実の見方を覚えたのではなく、夢の見方を忘れたのだ。
だが、強欲なこの国の見境のないこの魔都では。
現実が夢を覚まさせるのではなく、夢が現実を裏切る。
そうしてやがては嘘と真実が反転するのだろう。
*
上海に来てもう三年。チャイナドレスはコスプレで、西遊記はまやかしだと気づくのには十分すぎる時間だ。公園で太極拳をするご老人達がせめてもの救いか……
高層ビルの並ぶネオンの町は、幼少期の私が思いはせていた幻想的な世界ではなかった。父は貿易会社に勤めていて、彼は出張の都度に外国の書籍や玩具を私にくれる、ちょっとしたサンタクロースだった。その中で私の一番のお気に入りは連環画という、中国の絵本だ。タイトルは誰もが知る三国志。ボロボロになるまで何度も読み返したが、中国語など分かるすべもなく、ただ純粋に絵として楽しんでいた。
サウスアプトンは港町で、貿易船がよく泊まっている。いつかどれかの船に飛び乗って、海を渡りたいとよく浜辺で文句を並べながら黄昏ていた。大学まで待てと、両親は私に行かせなかったのだ。それからは辛抱だった。大学で中国語を勉強して、やっとのことで短期留学生の資格を得て、彼女とも別れて覚悟を決めた。断捨離を悟ったかのように、二十の私は町を出た。
「こんなド田舎二度と戻るか、俺は世界を見に行くぜ!」
などと喚いたのは黒歴史の一ページである。
そうして夢のないことに船ではなく、飛行機で私は上海に向かうことができた。……その旅の果てはさらに夢がないことも知らずに。空港を出たときの衝撃はそこそこだった、本音を言うと、覚悟はしていた。私もいつまでも子供じゃあない。だが、それでも虚しかった。例えるのなら、サンタクロースが自分だと親から聞かされるような、そんな感じだ。薄々とは気づいていたが、心のどこかで希望を抱いている、自分への甘えだった。
此処が異国だとさながら風前の灯火のように残る、希少なチャイナ元素といったら、辺りに充満している薄っぺらい東洋人の顔と、クリスマスツリーより過度装飾な古典建築ぐらいか。虹色蛍光灯で悪趣味に飾られているあれらを古典と呼ぶのも些か不適切かもしれないが。
……あとは不衛生極まりない環境と空気である。それでもイギリスのド田舎よりかは幾分か居心地がいい。果たして東洋の神秘はどこに消えたやら。さらにその東の国、日本へ行って忍者や侍を見に行ったほうが良かったのかもしれない。
そうした現実諸々から目を逸らそうとしても到底叶わず、せめてもの抗いだと思って、ネオンの熱気に頭をやられた私はつい先月に、考えられる最高に破天荒な決策をした。正直成り行きみたいなものだが……
それは、僧侶になることだ。
*
貯金で借りたボロアパートの頼りない鍵を二重に閉め、私は職場である静安寺に向かう。
閉めた勢いでドアノブを引っこ抜きそうになり、引越しの意を固めた。英語教師より安定な職に乗り移せたため、当分金の心配はしなくて済むだろう。正直もうたくさんだ。
「痛て……」
手の甲から鈍い痛みを感じた、どこかにぶつけたのだろうか。……こうも汚い部屋だ、生傷絶えなくても仕方がない。むしろ感染を心配する。
その一室はネズミとゴキブリが闊歩し、雨の日には形容しがたい臭気が下水道から這い上がる。上の層からの水漏れをなんとか処理できたと思った一週間後、濡れたまま放置した床の隅からキノコが生えた。
……気を取り直して息を吸う、冬の朝の空気は比較的綺麗だ。
月曜の黎明である。休日じゃないため人は多くないが、暇を持て余した老人達が寺にくる。出来もしない株で年金をドブに捨てるより、寺のお賽銭として投げたほうが建設的だと思いたい。この国の老人は株をするのが普通だと、数少ない教え子から聞いたことがある。
不愉快なきしみ音がなるエレベーターから降り、建物の外へ出る。冬風が坊主頭になったばかりの私を撫でるついでに、朝飯屋台の油っこい匂いを連れてきた。
やはり帽子を買うべきか、どうやら髪の毛の保温作用を見くびっていたようだ。
英国の飯は自国民に自覚を持たせるほど不味い、私が故郷を嫌う理由の一つである。この国の料理は一口で表せない、国土が広すぎて、飯も地方によって天地の差があるからだ。大きい春巻きのようなものを買って一口齧る。これは確か東北地方の食べ物だったか……味を堪能する間もなく通勤ラッシュの人ごみに吞まれてゆく。歩き食いはモラルに反すると母によく小言を挟まれたものだが、ここは上海だ、構うものか。
*
人の流れは、血流を連想させる。都会に住む者は知らぬ間に流れを読み、流れに溶け込むことを体得している。だとすると、人間一人一人は血小板みたいなものか。血小板は流れているだけで仕事だという、羨ましいことこの上ない。残念なことに、人間血小板に給料は与えられないようだ。などとしようもない狂言を脳裏に浮かべながら、私はその大いなる流れからこっそり抜け出し、寺へとたどり着く。
ビルとビルの間に無理矢理押し入れたかのような、時代錯誤の金色に輝く建築がそこにあった。幸い金色の塗装が施されているのは屋根だけで、虹色ネオンよりかはセンスがいい。大きな楕円を半分切ったかのような木造の大門が、三つ。今日は客が少ないので、二つが閉まっている。潜り抜けると、広場の真ん中に小さな塔が、一つ。お香を中に刺して燃やすものである、近づいた瞬間煙が鼻腔を充満し、思わず咳き込んでしまう。
「来たか、行者」
「……はい」
振り向くと、男の姿が目に入った。その男は古びている黄色い袈裟を身に纏っていて、手には大きな数珠を構えている。些かアンバランスな黒縁の四角い眼鏡の後ろの双眼には、年相応でない異常なまでの鎮静を秘めていた。
彼は私の師匠だ。ド素人である私を無理矢理寺に突っ込んだ張本人でもある。本来僧になるためには佛学校だのなんだので修行を積まなければならないが、私は特別扱いらしい。 忘れもしない一か月前の夕方、途方に暮れて寺に迷い込んだ私は、このいかにも胡散臭い男に勧誘されたのだ。曰く、自分探しに出家は最適。曰く、金髪碧眼僧は中年女性にバカ受け間違いなし。……その話に乗った私も私で可笑しいのだが。
「取り敢えず今日も倉庫に籠って経典の暗記だ、新しいのも運んでおいたから自分で片づけるんだぞ」
「分かりました。……今日の賄まかないも白粥ですか?」
「当たり前だ、いい加減慣れろ。それと……」
彼は壮健な右手で懐から何かを取り出した。目を濁らすと、新しい袈裟のようだ。
「今日からこれがお前の制服だよ」
*
「呵呵、これがモーメンツ映えというものか。何とかにも衣装というものよな」
「……あまり笑わないでください」
本殿の脇には小屋がいくつもある、その中の一つを借りて、私は所謂修行をしている。
無骨な木製の低い机には蝋燭が置かれている。その上に本が数冊、筆が一本。壁には何もなく、窓も小さいものしかない、そのため光も控えめだ。部屋の中には古本屋で嗅ぐような、カビと錆びと紙の匂いで充満していて、本好きの私には悪くない環境である。
ここが倉庫兼勉強部屋。ちなみに電力は通っていない。
着替え終えた私の横目に、師匠はそそくさと写真を撮り、早速SNSに乗せる気である。現代的過ぎてもはやシュールの域を達していた。レトロなこの部屋に尚更合わない。いっそのこと経典もデジタル化したらどうなんだ、と冗談半分で聞いてみたところ、検討中だという夢も味気もない返事が返ってきた。
「さて、僕はこれでお暇するよ。暗記、頑張れよ。それと……」
彼は身をひるがえし、頭だけ捻ってこちらを見る。いかにも人が悪そうな、ニヒルな笑いを浮かべて。
「あそこに丸秘、と書かれている巻物があるだろう」
「ええ……」
埃にまみれた本棚の上には如何にも怪しそうな巻物と、骨董品のような剣が鎮座していた。西洋のそれと少しばかり違う、鋼の長剣。少し錆びているが、蝋燭の淡い光を淡々と反射する無機質なそれは、どこか不気味で、まるで本当に人を切ったことがあるかのような―
「今朝方、本山から送られたものだ。暇があったら読んでみるといい」
「いいんですか?重要機密とかじゃ……」
「仏家人に秘密などあってたまるか、全ては身の外のものよ」
「はぁ……」
何やら深い話でついていけない。
「それを読んだら、お主の人生は変わるだろうな……なに、いずれ俗に帰るものだと思っていたさ」
「そんな……帰る場所なんてないから、ここにいるんですよ?」
「ふん、やはり若者とは思い込みが激しい生き物よな……」
などとブツブツ念仏のようなものを唱えながら、師匠は倉庫を後にした。ああなると誰の話も聞かなくなる。
*
ページを捲っていくうちに日が暮れて、私は大きなあくびをした。
「……飽きた」
暗記は作業だ、同じことを繰り返す、工場の生産線のようなもの。無聊に耐えることができず、私は例の巻物に手を伸ばした。機密のようなものだが、気にする私ではない。楽しいことは決まっていけないものだと知っているからだ。……ひょっとしたらこの道理は逆で、いけないからこそ楽しいのでは、と思ってしまう。
「うん……?魔術……?」
童話のような、夢物語がそこにあった。
童貞を失う数時間前、その時に感じた、人生の価値観を改変する事件を待ち構える焦燥感と、高揚感が私を襲う。魔術、魔力、聖杯戦争、願望機。見慣れたようで見慣れない単語の羅列、新鮮と期待が起伏する感情の揺らぎ。まるで昔、三国志を読んだあの時のように。
「でも……違うよなぁ。師匠も人が悪い、すぐに私で遊ぼうとする」
きっと今回も、幻滅するのだろう。そう思いつつも、私は気が付けば書かれた通りに召喚とやらの手順を進めていた。筆で床に陣を描き、音読するかのように、おぼつかない中国語で呪文を唱える。
「……汝為身纏三大言霊之七天」
……難しい単語を使いやがる。だが、俺は唱えるのをやめなかった、いや、どうしてもやめられなかったのだ。
それは過去への鎮魂歌であると同時に、今なお止めることのできない明日への祈りだった。
「来自於抑止之輪、天秤之守護者!」
今度こそ、夢を見しておくれと、しゃがれた声で叫ぶ、しぼんだ夢想で求む。
「……こいつは流石に……師匠に怒られちまうなぁ」
静謐の後の一秒、二秒、また一秒。何も、起きなかった。夢はどこまでも夢だったのだ、きっと俺がおかしかったのだろう。そうだな、これではまるで、
一人で気まずい空気を作り出し、後片付けに手を出そうとしたその時。世界は
稲妻のような眩い光と、肌を刺すような突風が部屋を襲う。それに伴うかのように、溶けた鉄を頭から浴びるような熱が迸った。身体が燃え上がる、末端である手の甲には、刃物で切られたかのような鋭い痛みが刻まれた。
俺は忘れていたのだ、師匠が私にかけた、最初の言葉を。
この魔都では強欲が満ちているゆえに、現実と夢に境はないのだと。いともたやすく、裏切りはまた別の手のひら返しで裏返されるのだと。
「ここは誰もが夢を見る、皆夢に塗れて夢に溺れているのさ」
「しかし嘆くことなかれ、連中が目の覚まし方を忘れたのではない、お主らが眠りにつく方法すら忘れた、それだけのこと」
「届かぬ明日に手を伸ばし、叶わぬ夢に身を焦がす」
「それこそが
「呵呵、救いようがないのう」
「しかし、どうだ?奇しくも、いや、これもまた縁か」
「
*
一人の大男が、そこに立っていた。魔法のように、唐突に現れた彼。人と呼ぶには、些か早計だったのかもしれない。身体は私より一回りも二回りも大きくて、漂わせる雰囲気は剣呑だった。虎のような眼に、筆で描かれたかのような眉。豹のような鼻は逞しく、さながら本に出てくる武将だ。白銀の、中華風の鎧は小さな窓に微かに差し込んだ淡い月の光に照らされていて、煌々と輝いている。そしてその獰猛で、刃のような眼光は、俺だけを見据えていた。
「問おう」
深沈厚重、といったか、彼の声は小さな書斎に木霊し、部屋全体を震えさせた。一声しか発していないはずなのに、何度も音が脳裏で反響する。
あぁそうか、今この時この瞬間、
「お前が俺の、
最高だ、最高の最高に、最高だ。何度も夢見た
コイツが俺の
改稿しましたー