Fate/Fallen Craze -魔都の幻影-【現代中華Fate】   作:白木蓮之輩

5 / 7
プロローグ/魔剣異能力者

 

【12月10日 夜】

 

 

 風が(はし)る。

 黄浦江沿岸、浦東・陸家嘴。

 辺り一帯の高層ビル群は、レーザーと巨大液晶の眩い光を闇空に放射する。

 魔都の夜。人工の構造物体(それら)が無機質に濁った灯火に照らされ、夜を妖しく危険な匂いに染め上げる。

 黄浦江の向こう側——外灘(ザ・バンド)を一望できる塔の頂上に、二つの影が立つ。

 塔の名は東方明珠(オリエンタル・パール)

 上海では最もシンボルらしい、浦東・陸家嘴における景観の代表とも言うべき建築物だ。球体の形をした二つの展望台は千変万化の色彩を放つが、その先端部は航空障害灯の赤を除けば暗闇に沈んでいる。

 ———いや。

 赤色なのはライトだけではない。二つの影のうちの一つ。紅い旗袍(チャイナドレス)を模した戦闘武装(タクティカル・スーツ)に身を包んだ女が、同じく深紅に染まった剣を手にしていた。

 女が独り言のように呟く。

開始(はじまり)はもうすぐだ。……この辺りは、魔の色が濃い」

 遠くを見ているような目。その先には、対岸——外灘の市街。

「……いずれ、交戦は免れまいな」

 隣に立った男が答える。男は使い古された外套を纏い、素顔はフードで隠されている。

 彼らはただ遠くを見据える。夜は未だ長く、明ける気配もない。

 しばらくすると男の姿は消えた。だがその存在は未だ女の傍にあり、霊体化によって魔力の消費を抑えているにすぎない。

「————」

 不敵に笑う。

 女の手中にあった剣はカタチを変え、紅き紋様(シンボル)となって女の右腕に収まった。

 ……近くに漂う闇の味が、鼻先をくすぐる。

 女は知っている。上海に巣食う魔の存在を。

 故に闇を掻い探る。この戦いの裏で、暗躍する異端(イレギュラー)の在り処を。

 一歩、一歩と女は尖塔の辺縁に近づく。

 そして。

 その、次の一瞬には。

 夜に連れ去られたように。女——蘭梅麟は、空へ跳んでいた。

 

 

 *

 

 

「———お前には、魔術の才能がない」

 

 いつかの記憶。古く、幼い頃に置き去った記憶だ。

 物心ついた時からそう言われ続けていた。

 自分の家系はどうやら他とは違っていて、自分には刻印(それ)を継ぐ権利はないらしい。

 魔術回路——魔術を扱うために必要な性質が、備わっていなかったのだ。

 中国において、数ある魔術の家系の中でもとりわけ権威を持つ『(ラン)』家の娘のひとり——梅麟(メイリン)は、そのような突然変異体であった。

 一族からは疎まれながら幼少期を過ごした。邪魔者、除け者として隅に弾かれるだけで、いつしか誰にも気に留められなくなった。

 だがその過程で。彼女の隠された異能はその力を成長させていった。

 蘭家は表向き上海市中心の大地主であったが、梅麟が六歳の頃、経営不振で土地の大半を海外の企業に売り払わざるを得なくなった。

 また数年が経った後、蘭家は国内の多くの家とも契約を交わし同盟を結んでいたが、その全てと交流が途切れた。

 さらに数年、梅麟が世間の中学生と同じ歳になった時には——家に異変が起きていた。

 父親は病床に伏し、職を辞する召使いが絶えなかった。幾人かの兄弟姉妹は養子に出され、その一部は不審死を遂げた。そんな混乱の最中で梅麟は生活した。魔術師になれず養子にも出せない彼女は、ただ自室に引き籠もっていた。

 もはやこの家は、埋没した家だった。金脈も人脈も、ある日突然捻れては消え、蘭家は変わり果てていった。

 やがて疑いの的は梅麟に降り掛かった。彼女は魔術を使えない身だが、一般とは異なる特性(チャンネル)を持っていたのだ。

 一族は梅麟をいっそう不気味がり、彼女は益々酷い仕打ちを被るようになった。そうして知る。自身の「感じ取っていた」モノが、常人には決して触れられぬ領域のモノであると。梅麟にだけはそれが何であるか理解でき、また無意識に——夢遊するように、操ることができた。

 

 ちょうど梅麟が十五歳を迎えた時。

「明日からは———お前がこの家にいる事を許可しない」

 目の前で、寝たきりの父親にそう告げられた。

 愕然とするのでもなく。

 呆然とするのでもなく。

 梅麟は、ただ受け入れた。この事実が覆る事はないと知っていたからだ。

 普通の人生なんて最初から送っていなかった。初めから、持たないもののせいで外れ者にされていた。そのくせ、違うものを持つと忌み嫌われた。人間として扱われた事なんてなく、これまでずっと、家の都合に縛られてきた。

 だから———これで、やっと、自由が手に入る。

 

 

 その晩、眠る事などできなかった。

 何かが自分を呼んでいるようだった。最後の夜はきっと、全てを変える運命の夜だ。

 屋敷中が寝静まった頃。こっそりと部屋を出て徘徊する。

 予感があった。最初から、何かのモノを探していた。それが今一番自分の近くにあって、この先一人で生きていくのに必要なものだ。

 やがて梅麟は屋敷の最奥、階段を下った先の地下室に辿り着いた。余所者が近寄ると警報を発するその地下室は、その日までは梅麟の侵入を許した。

 途中、誰にも見られていない。()()に手を伸ばすなら、今がそのチャンスだ。

 ———目を閉じる。

 それが放つ『脈動』を、第六の知覚で感じ取る。

 比喩でも何でもなく。梅麟は、真にそれの息遣いを読み取っていた。

 どくん、どくん、と。血のように迸る生命力。それは()()()()()。猛るように脈打ち、最も適合した使い手を喚んでいる。

 流動が、梅麟とそれを繋ぐ。導かれるように、暗い地下室の一番奥まで進むと———

 

 淡く、赤い光を放つ刀身。

 梅麟の『異能』にシンクロし、生き物のように輝いた〝剣〟が、そこにあった。

 

 ……以前、父親から盗み聞いていた。

 蘭家には伝家の宝剣が隠されている。

 その()は『魔剣・(せき)』。

 ある刀匠夫婦の子が鍛え、その血を浴びた呪いの剣である。剣の名称も作り手の名をそのまま冠し、そして伝えられた。

 この剣の使い手に素質がなければ神経はたちまち腐り、人間としての機能を失う。故に厳重に管理され、誰にも触れられる事なくこうして残った。

 蘭家の歴代当主でさえ使用は不可能だった。だが梅麟には、ひと目見た瞬間からその真価が解る。

 触れられた痕跡はなく、その魔剣は自身の価値を引き出す者でなければ決して封印を解くことはない。だが今に剣は(あか)色に輝き、真なる開放を待ちわびている。

 それを。梅麟は、たまらなく欲しいと思った。

 ———これを手にすれば、自由になれる。

 ———今までなんて関係ない。誰にも負けない強さが目の前にある。

 ———きっと運命だ。こいつに出会うために、今まで生きてきた。

 ———手を伸ばすんだ。何もかも終わってしまっていい、それでも。

 ———私の人生は、私のものだから。

 だから、自分なら使いこなせるだろう——と。

 剣の柄を掴む。

 途端———光が、全身を包んだ。

 

 歓喜が迸る。

 やっと、やっと。

 自分だけの、自分にしか扱えない武器を得た。

 剣は、最初からそうであったかのように手に馴染んだ。それは初め剣の形をしていたが、意識すれば入れ墨(タトゥー)のような紅い紋様にも変形した。

 

 だが夜は終わっていない。まだ一線を越えられていない。

 梅麟は剣を手に入れた時から既に、復讐の炎に燃えている。

 このまま放っておく事など、できるはずもない。

 だから———

 ふらふら、と。

 風に漂うように、歩みを味わうように、目的の部屋へ向かう。

 見つければ狩りは一瞬だ。

 その間のかくれんぼが、せめてもの執行猶予。

 もっとも。

 隠れる者も逃げる者も、存在すらしない。

 あるのは、ただ狩ろうとして剣を携えた梅麟に、無意味に奪われる者達(いちぞく)だけだ。

 

「—————」

 屋敷で最も豪華な装飾に彩られた一室。

 父の寝室だ。

 扉を開けるのに迷いはない。

 堂々と踏み入る。父親は既に身構えていた。

 気付かれているのは判っている。梅麟はただ、じっと自身の肉親を見つめる。

「……何の用だ。お前には出てもらうと言ったはずだ」

 厳しい顔つきで魔術師は言う。

 その身体が不動となろうと、魔術回路は生きている。一触即発だ。

「まだ分からないのか、親父?」

 だが梅麟は余裕に満ちている。眼前の脅威など恐れることなく、胸を張って立つ。

 今の梅麟は、すでに檻から解き放たれていた。彼女を縛るものはもう、何もない。

「…………化け物め。一体何をする気だ」

「さァね」

 魔術師の表情が強ばる。

 一歩でも動けば、魔術師の合図一つで部屋に仕掛けられた(トラップ)が作動するだろう。

 それも知っている。自分がすでに子ではなく『敵』として認識されている事など承知で、梅麟はここへやって来ている。

「目的は……何だ」

「無いよ、そんなの」

 梅麟は感じている。ここに()()()()()()()全てを。それは、人並みから外れた知覚(チャンネル)で、手に取るように解っている。

「…………」

 沈黙が訪れる。

 だが梅麟の感覚は、沈黙の中で空間に共鳴し同化する。

「ただ———」

 ……右手に握ったそれを、強く握り締める。

 どくん、どくん。

 脈が聞こえる。

 増幅・拡張された知覚で、同じく生命ある脈動を聴いている。

 それは自身のものであり、剣のものであり———目の前にいる、標的のものでもあった。

 

「私は。アンタが一番、()()だった」

 

 瞬間。

 右手にあったモノは形を変え———それは血のように紅い魔剣のカタチへ変容する。

「その剣は……ッ!」

 どくん、どくん。

 脈動。生命の蠢動。

「———————ッ!」

 その異能(ちから)は、魔剣・(せき)との接続を開始した。

 

 ……森羅万象は、その全てに「方向性」が宿る。

 それがないものは、死。

 中華において気、或いは『脈』と呼ばれるそれは、あらゆる生命と、生命による活動から生まれるものだ。

 梅麟の能力はそれを——〝流動する存在〟という視点(かくど)で捉える異能だった。

 魔剣・赤は持ち主と世界を繋ぐ概念武装。

 彼女自身が自然へ微弱な影響をもたらす装置(モーター)であるならば、この(コイル)を媒介して感覚を増幅し、『脈』の支配・操作すらも可能である。

 ……剣を通して識った感触は、魔力……すなわち生命力から起因するものだ。

 それは血管のような、直接生命に関わるものが当てはまる。

 そして。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 故に———

 

「覚悟はいいか、親父……!」

 その叫びを合図に、魔術師の全身に張り巡らされた神経(かいろ)が躍る。

 小源(オド)の流動。魔力が魔術師の身体に溜め込まれ、詠唱によって放出される僅かな間——梅麟は紅色の魔剣を振り上げ、その呪縛を開放する。

 周囲(せかい)が、嵐のようにうねる。

 怒りに満ちた魔術師の貌から生気が消え、身体の隙間という隙間から張り裂ける痛みに苦悶して、

「ああ、お前……だったのか……我らが、悲願…………」

 言い終わらぬうちに、阿鼻叫喚を上げていた。

「ガ、アアァァァ…………ッ!」

 

 それは一瞬の出来事。

 血のように紅い、鮮やかな輝きを放ちながら。

 剣は魔術師(父親)から、魔術回路を()()()()()

 

 ———勝利は、梅麟に舞い降りた。

 魔術師だったモノはその神経が不全となり、命は保たれたものの再起不能となった。父親だった魔術師の魂が抜けたような姿を最後に一瞥して、梅麟は部屋を去る。

 こうして。

 やがて止まる事を忘れた梅麟は、まるで血に飢えた虎のように、屋敷の全ての人間の魔術回路を奪い去った。恩情など残すことなく、余すことも許さず。家の中を、嵐のようにかき乱して、その復讐は成し遂げられた。

 魔剣が腹を満たし、込み上げていた衝動が収まった後。

 「自由」を手に入れた梅麟は、家に決別(わかれ)を告げた。

 

 

 *

 

 

 五年後。

 かつての梅麟は、もういない。

 

 聖杯戦争が開戦する一日前、その深夜。

 人目につかない廃ビル。コンクリートが剥き出しになった、冷たく殺風景な部屋。

 部屋の中は、窓から差し込む濁った色の街灯で仄かに明るい。

 チョークで描かれた魔法陣の上に、魔剣・赤の切っ先を円の中心に向けながら、梅麟は佇んでいた。

 身体に刻印はない。

 赤い模様——令呪は、肉体ではなく()()()()()()、淡い光と共に浮かび上がる。

 もうすぐ、時が満ちるのだろう。自身の異能と魔剣が最大限に高まるまで、あと十数分。

 呼吸を整える。

 懐かしい感覚に浸る。

 網膜には、過去の幻燈片(イメージ)が蘇る————

 

 

 *

 

 

 人生で最初の、叛逆とも言うべき決別を果たした後。

 屋敷を出た先には、見知らぬ男がいた。

 壮年の男は梅麟の手にあった魔剣を一瞥して、口を開く。

「目覚めたな。力の感触は、どうだ?」

「……なぜ、それを問う」

「この『家』に関係があった、と言えば分かろう。その顛末を見届けたまでだ」

「私はもう、家とは関係ない」

 警戒。そのはずが、丸め込まれている。

 巧みな話術に苛立ちがのぼる。けど抗えない。身体の芯から出ずるが暴発し、

「私は、私の力でッ———」

「いいや。お前はまだ、力の制御が出来ていない」

 一瞬、男の息の根を止めてしまいそうな衝動に駆られる。だが、それはできなかった。

「『力』の使い方を教えてやる。俺について来い」

「…………。……行かないと言ったら?」

「ああ。お前はその力で暴走する」

 淡々とした口調で男は言う。

 起伏のないその声は、不気味なまでに冷酷だ。

「…………」

 剣を紋様に収めた。男の雰囲気は決して只者ではなく、たとえ異能を以てしてもこの男には勝てないだろうと判断したからだ。

 ———これが、『師父』との出会いだった。

 

 梅麟は、男と共に上海を出た。

 車に乗り、列車に乗り、宿を転々とした。

 そうして辿り着いたのが、上海から遥か遠く離れた桂林だった。

 巨大な石灰岩塊(タワーカルスト)の聳え立つ桂林の風景は、いわば山と河の明鏡止水である。曰く——生命とは何であるかを知るために、ここが最適だという。

「お前の『力』はまだ、『脈』との親和性が低い。だがここならば命の脈動を肌で感じ取れる筈だ」

 男の言う通り、四季の区別が鮮明な桂林では生態系が正しく移り流れる。この場所なら、手を伸ばせば自然という大きな生命に触れられるだろう。

「俺も元は魔術の家でな。お前のような者が稀に生まれる事は、少し知っていた。だからお前をここに連れてきたのだ」

 男は退役した軍人だった。しかしその肉体は未だ衰えず、生身のまま『脈』と接続する武術を得手としていた。男は(けん)により、『脈』の本質と共に武術もまた叩き込み、それは剣術に応用された。

「———俺の事は、師父と呼べ。お前が一人前の能力者になるまでの、後見人だ」

 秘境での修行の中で、師父は梅麟に全てを伝授した。

 

 三年が経ち、梅麟は以前と全く違う人物のように変化した。世界の法則は特別なものではなく、ごく自然な道理として梅麟はそれを我が物にしていた。

 しかし間もなく巣立つ間際。師父は、遂に朽ち果てた。

「……俺には、娘がいた。もうとっくに、この世にいない。だが———梅麟。お前は、まるで俺の娘のようだった」

 その言葉を最後に、師父は静かに息を引き取った。

 梅麟の中で何かが終わり、何かが始まったのは、後にも先にもこの時だろう。家を破滅に導くまでは人を知らない獣だった梅麟が、この時、ようやく自身の触れた人間の在り様を知った。

 異能者など人間社会とは相い容れない異物に過ぎない。だが師父との日々で、ヒトと交わらないモノの道を梅麟は思い知らされたような気がした。

 

 

 やがて梅麟は、師父の遺した財産で世界を回った。

 世界には未だに悪徳と欲望が渦巻き、非道に手を染める魔術師が多くいた。

 彼らは国家の管理が甘い中東や東南アジアに跋扈し、戦争や麻薬、人身売買や兵器開発に加担した。根源に至るためではなく、魔術師という肩書きと手段で利益を得ようとする者たち。それは——多くを捨て、魔術で権威を獲得した蘭家の在り方によく似ていた。

 だが梅麟の能力、そして魔剣は、その渦を断ち斬るもの。魔術師を憎む彼女にとって、彼らは路銀の足しになると同時に、魔術回路の提供者に過ぎない。

 風の噂に聞いた魔術師の元を訪れては魔術回路を奪い、魔剣の懐に入れた。獲物の末路は常に、回路を剥奪される苦痛に耐え切れず絶命するか、魔術師として植物状態のまま生涯を遂げるかのいずれかだった。梅麟はその手口ゆえに、いつしか『魔術師狩り』として恐れられた。

 

 放浪の生活を二年。

 その末に立ち寄ったのは中国の最南端・海南島。

 南シナ海への玄関口であるその島には、数年前より政府の情報機関と対立した暗黒集団の一派——その隠れ蓑が存在した。彼らの目的は、海洋から錬成された新媒体の開発だった。

 

 

 *

 

 

 男は一派の頭領だった。

 楼閣。六つ星酒店(ホテル)の地下十八階。暗い迷路の奥に構えた工房(アジト)に、数人の研究員と数多の信者を統率して潜んでいた。

 十余年前の戦いでの敗北を機に、新たに編まれた計画。その中で男は頭角を現し、ついに一派の首長たる座に据わった。

 しかし彼には知られてはならない秘密がある。それは、()()()()()であることだ。

 〝内側より喰い破る側〟と〝外側から衆を治める側〟。

 双方の情報を裏で交換し、次の戦いにて有利に立ち回るために。

 そう、彼は聖杯に選ばれていた。であれば秘密裏に通ずる絶好の機会を、逃す道理はあるまい。極秘の情報は画策への近道であり、加えて元より所属していた組織の積み上げた神秘がある。勝利の条件は整った。聖杯の入手はもはや、確実と云えるだろう。

 左眼の下の令呪が、笑みで歪む。

 開発した新媒体の転送も間もなく終わる。終われば、この島を引き払って聖杯戦争が開幕する時を待つのみである。今まさにコンピュータ上の数字が「98.463%」を示す。上海に移った後、速やかに召喚を済ませ媒体を起動——そんな(たばか)りを、脳裏で反芻する。

 だが。

「———無法無天は、そこまでにしてもらおうか」

 衝撃音。

 数名の信者の悲鳴が聞こえる。警備は尽く突破され、重要機密管理室の扉が白煙を上げて崩れる。残り転送量、0.017%。

「聞けば怪しい組織。何やらバイ菌のカイハツをやっているんだと。……でも弱いなァ。入るのは結構、簡単だったよ」

 男は、戦慄した。

 ——なぜ、なぜ。ここにいる?

 『血の猟犬』。

 それが、彼女の()()。冗談じゃない。僅か二年で多くの違法魔術組織、果ては死徒までを壊滅させたあの女が、なぜ。

 ここにいるのだ——と、背後を振り向き、

「聖痕がこんな、三流の手下にあるなんて芸がない。これじゃまるで……」

 束の間。

「私に奪われるために、在るようなものじゃないか」

 死神が、立っていた。

 

「あぁぁ——ぐ、っああぃぁああぁ———!!!」

 ただ一人、未だ立ち尽くしていた男が崩れる。

 痛ましい絶叫。

 二十メートル平方の部屋は淀み、赤い連鎖は魔術回路が引き出される残像だ。

 まるで血の涙のように。男の顔から令呪が消え去り、それは回路と共に——魔剣に吸収されていく。

「———、————、————————!」

 声にならない。神経を直接引き裂かれたような苦痛は、想像を遥かに超える。

 魔術を行使しようとした、まさにその時に抜かれた事が何より不運だったのだろう。

 激痛のあまり気絶した男の身体が、床に転がる。

 魔剣の刀身には——鮮やかな赤色の刻印が浮かび上がった。

 

 男の身体を蹴り飛ばして、梅麟はコンピュータへ歩み寄る。

「チッ」

 転送は既に終わっていた。海南島での一派は全滅だが、その研究成果たる媒体は運営側(あちら)の手に渡ってしまった。

 その送り先は——魔都・上海。

 コンピュータに残されたファイルには、機密とされた〝聖杯戦争〟の詳細が記されていた。

「上海、ねェ……。面白いじゃないか」

 いかなる運命か。この刹那にて、次の行き先、旅の終点は決まる。

 願いという響きは、かつての渇望を呼び起こした。自由、力、強さ。単独で生きていくための、険しく遠い道のり。

 それは。

「……いや、そうじゃないな。きっと、私は」

 死に場所を探してるんだ——と。

 呟いて、梅麟は工房を去った。

 

 かくして魔剣の猟犬は、道の果てを予感する。

 上海。

 自身が生まれ、自身で断った、欲望渦巻く魔都。

 自らの運命と決着をつけるために。梅麟は再び、因縁の街へ向かう。

 

 

 *

 

 

 五年振りの上海は、多くが変わっていた。

 知らないビルが並び立ち、新しい種類(タイプ)の携帯電話が使われるようになり、航空の便も増え、空の色も、行き交う人の服装も、変わっていた。

 そして、何より。

 かつて蘭家の屋敷があった場所には、もう、何も残っていなかった。

 ……それでいい。自分の選んだ道だ。自分の人生を歩いて、ここまでやってきた。

 だから———

 

 

【12月9日 深夜】

【廃ビルの一室】

 

 

封閉(みたせ)封閉(みたせ)封閉(みたせ)封閉(みたせ)封閉(みたせ)

 

 魔剣より迸る脈動に合わせ、チョークで描かれた魔法陣が点滅する。その光芒は廃墟を照らし、濃厚な魔力が渦巻いた空間を作る。

 

「——————宣告(告げる)

 

 神経は中枢から末端まで緊張し、空気の音すら聞こえるほど。それは異能による錯覚だが、幻覚ではない。

 

汝身在吾令下、吾命与汝剣同在(汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に)

 応聖杯之召(聖杯の寄るべに従い)若願順此意志、此義理即呼応(この意、この理に従うならば応えよ)

 

 全身からエネルギーが引き抜かれる。知覚世界を構成していた『脈』が、魔剣を介して〝魔力〟に変換(かわ)り、魔法陣に注がれていく。

 

在此起誓(誓いを此処に)

 吾願成就世間一切善行(我は常世総ての善と成る者)

 吾願誅尽世間一切悪行(我は常世総ての悪を敷く者)

 

 おぞましいほどの轟音とフラッシュ。

 液体とも気体ともつかぬ魔力が極限にまで回転し凝集して、セカイにひとつの奇跡を成そうとする。

 

汝為身纏三大言霊之七天(汝三大の言霊を覆う七天)

 来自於抑止之輪、天秤之守護者(抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ)————」

 

 ———突風が舞う。

 それは一瞬の破裂にして、破壊。世界の理を破って顕れた、異能による魔術行使。

 魔剣に溜め込まれた魔術回路は、全てこの工程の為にエンジンを回し———

 

「サーヴァント・アーチャー。

 召喚に応じ現代の華土に参じた。

 ……(なんじ)(オレ)の、マスターというワケか」

 

 運命の夜。

 白髪の英霊は、昏い血のような目で梅麟を見据えた。

 

 

 *

 

 

【12月10日 深夜】

 

 

 東方明珠を背後にして地上に降り立つ。辺りに人気(ひとけ)はない。

 高架の真下。不気味なまでに艶めいた装飾(ネオン)に、照らされた大通り。

 冷たい夜気の籠った風が薙ぐ。

 ざわめく木々。幽かに、鬼火のように揺れる葉の囁きが耳朶を撫でる。

 直線道路の続く先。

 黄浦(かわ)を阻むようにして、集まる闇がそこにある。

 

 人ならざる異形の怨嗟———

 命あらざる屍の嘆き———

 否。

 ()()()は血飛沫を上げることなく誅される。黒い霧のような、はたまた蝗の大群のような蠢くモノたちに———しかし静かに斃され、限り果てた魂を散らす。

「鼠の群れよ。貴様らは何者だ」

 梅麟が問うた。

「我らは、教主様の(いと)()なり。この世に遍く和平をもたらしめん御方の———(つかい)なり」

 口を揃えた声が響く。いつしか魔の色は薄れた。代わりに、ぞろぞろぞろと集まったのは、黒ずくめの、

 

 忍者(シノビ)か。いいや。

 これほどまでの数量。技術。神秘。

 華土に暗殺者は存在すれど、東の海の果てに派閥を成した謀術の仕事人のそれではなく。

 明らかで、自明な、〝義〟によって結ばれた邪教の徒である。

 隠密を超えた堂々たるその行いは。

 まさしく、誅罰————

 

「へェ……つまりは私の獲物って事らしい。その紋章、南方でこの目に焼き付けた。なら———」

 腕が、紅く灯る。

 竜巻のように梅麟の剣が顕れる。

 風を斬り、闇を斬り、梅麟の指先がその柄を捕らえて———剣先が、黒ずくめの集団へ差し向く。

 同時。高架の柱や、近くの建物。塀や植木や地下や屋上に至るまでの隙間から、一斉に魔術が投げ放たれ、

 ————十六方位全方角から迫る集中砲火。

 その中心。梅麟と背中合わせに()()()男の外套(コート)が翻り、フードが隠していたその貌が(つまび)らかになる。

 剣が踊る紅であるなら、

 男——青年の眼孔は血に濡れたような臙脂か。

 二つの対照的な赤に、豪速の魔力が束となって襲い掛かる。

 教徒たちの魔術の斉射が、梅麟の躯体と、青年の霊基に到達する———しかしその直前に。

 

「—————投影(トレース)開始(オン)

 

 (いた)んだ少年の声で、(アーチャー)はその言葉(まじゅつ)を口にした。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。