Fate/Fallen Craze -魔都の幻影-【現代中華Fate】 作:白木蓮之輩
「お客さん、今日はどんな髪型にするんだい?」
接客業はスマイルが一番だ。笑って出身地や職業さえ聞きゃ大体何とかなる。小汚いおっさんだろうと、ファッション誌で出てきそうなお姉さんだろうと。まぁ後者はこんなおんぼろ散髪屋なんかにはこないだろうが。
後はお客さんにお望みの髪型を聞いてその通りに切るだけ。カタログから選んで貰うのがベスト、俺みたいな三流スタイリストには、この薄っぺらい冊子のバリエーションで精一杯なのである。大当たりは丸坊主か丸刈り、草刈りと同等の技術含量で、それの何倍もの報酬が貰える。
「……そうだなぁ、うーん」
如何にも適当に切ってくれ、なんて言いそうなおじさんが、一体全体何を迷っているのだろうか。そう思いながら目の前で思案している男を見定め直す。お気に入りの風俗嬢とでも出会えたのか?
幸いこのような客はあまり無駄話をせずに済む、コミュ力が高そうには到底みえない。
確か何度かうちの店に来たような、ないような。それほど影の薄い男である。ぼんやりとした垂れ目に、灰色にすら見える薄い眉……幸が薄そうだ。目の下には濃いクマがついていて、顎全体には無精ひげがだらしなく生えていた。何日も寝てなさそうな、そんな感じだ。
しかしよくよく見れば、彼は彫の深い五官と、そこそこスレンダーな四肢を備えていた。頑張って整備すれば、そこそこな伊達男に化けるかも知れない。まぁそんなことはサービス外なので、頼まれてもやらん。スタイリストの心が揺さぶられていなくもないが、ボロ散髪屋のド三流にそんな余裕はないのである。
「正式の場に出られるような、そんな髪型にしてくれないかな……?」
正式の場、ねぇ。なりからしては、何かの研究員かも知れない。しかし先程から漂ってくる洗髪剤と混じった妙な薬臭さから察するに、コイツは向かい側の大学病院の先生とみた……だからどうってこともないのだが。
「何か、医学の研究発表会にでも出るんですかい?」
「おや、よく医者だと気づけたねぇ。いやぁ、そんな大層な行事ではないのだが……」
ま、悪い人ではなさそうだ。
「大事な人に、会えるかも知れないんだ」
……そう淡々と語った彼の表情は、酷く複雑だった。口角は上がっていたものの、笑ってるようには見えなくて、泣き出しそうに見えるものの、涙はとうに枯れていた、そんな顔だった。なんて面してやがるんだ、死ぬ間際の祖母ちゃんにそっくりだ。
全くずりぃなぁ。そんな顔されちゃあ、放っておけねぇじゃねぇか。
「……よし、お客さん」
「な、なんだい?」
「特殊サービスだ、あんたのそのだらしのねぇ無精ひげ、綺麗さっぱり刈り取ってやんよ」
*
些か値引きされた散髪代を申し訳なく卓上に置く。懐が常に裕福じゃない僕にとってはありがたいことであるが、こんな特殊サービスを受けられるような徳を積んだ覚えはない。
「これでだいぶ良くなったな、おっさん」
その恩恵を授けてくれた張本人である、不真面目そうに見えたスタイリストさんが、良く晴れた六月の早朝のような笑みでこちらを見てきた。
見た目に反して、中身はとことん善良でお節介のようだ。如何にもおばあちゃん子、といったものだろうか。
「そうだね、恩に着るよ。また、伸びたらお世話になろうかな」
どうやら彼とは違って僕は表裏一体で、天性の詐欺師だったようだ。
「……会えるといいな、その人と」
「……あぁ」
この国の人はみんなそうだ、始発点が如何に利己的あろうと、途中経過が如何に打算に満ちていようと、結果的には、甘ったるいほど優しい。
他人への寛容は、何れ己に帰ってくる。陰陽相克、盛者必衰の理を誰もが弁えいる国ならではの、合理的な優しさと白黒無常な道理は、華人以外には分かり合えないだろう、僕たちの流儀だ。
……そのような道理を弁えているからこそ、僕は葛藤に苛まれていた。僕の犯した巨悪は、何時になったらこの身に跳ね返ってくるのだろうか。
おぼつかない足取りで店を出る、外の空気は思っていたよりも凍てついていて、先刻の彼の言葉のように肺へと突き刺さった。とうの昔にやめた喫煙を再開したのはいつだっただろう、使い潰されている肺の痛みが深刻になっていく。僕の記憶が正しい限り、辞めたのは大学で肺癌患者のレントゲンを見てしまった時だと思う。
再開したのは……この身が肺癌など心配できるほどの生の余裕を、失ってしまったときだったことは、はっきりと覚えている。
街は喧噪だった。往来する人々はどれも活気に満ちていて、春を彷彿させる。
行きつけの花屋に入り、毎週欠かさず買っていた胡蝶蘭を掴み上げる。起伏の多い僕の人生で、数少ない続けられたルーチンワークの一つだ。
「毎度。家に飾る用でいいんだね?」
「いや……今回は、贈り物用なんだ」
***
男は誰にも気づかれぬような足取りで、静謐なる病室へと足を踏み入れた。それはまるで、ガラス細工を扱っているように繊細で、突いたら割れる泡沫を弄ぶかのように小心であった。神殿に踏み入るように、深々と、儀式を行うかのように、粛々と。
それも仕方のない。この一室は紛れもなく、男にとっての聖域であったのだ。
彼は手にした胡蝶蘭の花束を、空になっていた花瓶に収めた。花瓶の横には、護身用の小刀も置かれている。それはある一人の少女以外の全てを毒殺する、男の数少ない成功品の一つだった。男はその小刀に不備があるかどうかを念入りに確かめた、それを扱う相手はいないというのに、繰り返される作業に慣れた男はとうに虚しさを感じなくなっていた。それらを終えると、彼は病床の前に立たすんだ。
そこには窓から差し込む静かな月光に照らされた一人の少女が、死人のように眠っていた。純白の寝具に身を包まれている少女は、それと同様に純白であった。視界に入る唯一の黒は、少女の長い長い黒髪だった。入念に手当をされているものの、常人では結ばなければ歩きの妨げになるであろうそれは、少女が長年病床から降りていないことを物語っていた。
死人、という表現は誇張ではない。色素の抜けた彼女の死蝋にも似た顔色をみれば、誰もが勘違いをしてしまうだろう。しかし、少女は息絶えてなどいなかったのだ。微かに感じる体温と、上下起伏する彼女の胸元がそれを証明した。それらの微弱に残っている生の象徴は、男の心を潤すオアシスの湖であった。
……同時にそれは、男を犯す猛毒でもあった。
男は砂漠を歩んでいた、渇きの果てに見つけたただ一滴の甘露が、同時に男の首を絞める縄であった。それでも飲み干すしかなかった。
それは生き延びるためのせめてもの救いであって、己を徐々に殺す不可避な断頭台であった。
それが男を生かし、それが男を殺していた。
「僕は今日、嘘をついてしまったんだ」
男は語りかけるように、静かに独り言を綴った。
「……大事な人に会う、そう言ってしまったんだ。もう合わせる顔なんて、どこにもないのにな」
男は葛藤と苦痛が、何時までも続くものだと思っていた。それが己への罰であると、信じて止まなかった。
「今戻ったぞ、マスター」
纏まるようで纏まらない、諦観に満ちた思考を遮るように、病室の外から声がした。先刻まで人の気配どころか、物音すらしなかった男の研究室に瞬間移動でもしたかのように、一人の武士が現れた。武士は病室の中に顔を出すことはなかった、それはまるで、男の聖域を守るようであった。
「……おかえり、ランサー」
男は振り返らずにそう呟いた。
「仕事は順調だったかい? ……すまないな、こんな事をさせてしまって」
「致し方のないことだ、向こうも覚悟の上であっただろう」
武士の荘厳な声が病室に響く、男はその声がどこか苦手であった。
「ただ……娘は何も知らなかったようであったがな」
「娘……か」
組織から下された情報には、一人娘がいるとしか書かれていなかった。魔術の後継者である以上、抹殺は必要であった。……覚悟の上であった。それでも、その子が運よくいなかったら、避難として別の都市へ行っていたら、と、心のどこかで願っていた。
「年端もいかない、娘だったか……?」
「年端もいかぬ、娘であった」
男は再三その言葉を噛み締めた。
「主が苦悩することではないさ、下手人はこの儂なのだからな」
「いや……いいんだ、ランサー」
既に罪に塗れた人生だった、背負うと決めたんだ、どのみち圧死するこの身、罪がいくら重くなろうとも、構いやしない。
震える声で男は囁く、それは己に言い聞かせるような、虚ろな言葉。
「たとえ合わせる顔がなくとも、その手に触れる資格がなくとも、だ」
「僕は全てを投げ捨てて君を再び、この華ある世界に歩ませよう」
白衣と病床と白磁色の少女は、病室をさながら
その中心にいる孤独な男の悲願は、