鎮守府最高責任者は一体誰か。
この問いについて、一般的な答えはこうだ。提督存命時は提督。そしてその後は、事務長がそうであると。
では現鎮守府事務長は誰か。
ゴリネル・ストラトフォード。
現、鎮守府事務長の座にあるとされる人物の名だ。
欧州財閥の一人エリザベス・ストラトフォードにより設立された、ストラトフォード社という企業がかつてあった。
現在鎮守府で使用されている輸送ヘリ、F21シリーズの設計元であるという、ヘリ開発史においては注釈程度の功績で消滅したこの企業は、本業は傭兵業であった。自社登録傭兵を自社開発ヘリで輸送する。無論、その為の補給物資も扱う。この関係から、国家と直接的なやり取りに問題が出る鎮守府との間を取り持つ存在となり、製造売却したF21で物資輸送を手がけた。
ストラトフォード社は手を伸ばした事業で損失を出し解散。分離存続した物資輸送と傭兵斡旋業が幾度か名を変えながら、現在ではファットマン社として鎮守府と提携している。また、組織としては脆弱に過ぎる鎮守府に運営者を送り、財政面の舵取りを行っている。
財閥筆頭にして社長エリザベス・ストラトフォードも既に故人であるが、その血縁が敬愛する母親の意向と共に跡を継いでいる。長女ゴリネル・ストラトフォードが事務長として名義貸し。経営幹部には次女リーガン・ストラトフォードが携わる。三女もいるのだが、この件には関わらない為割愛する。
ファットマン社と鎮守府。ほとんど同居している二つの組織だが、今でも名目上は別個だ。
つまり、過去に合併を合意をした代表二人がいることになる。
記録を漁ると、ヘリ製造整備や警備の契約関係から、経営陣派遣実運営が加わったのは提督没後というのがわかる。提督の遺言の可能性を残したとて、提携を許可したのは当時の鎮守府最上位者だ。
当時のストラトフォード社代表は、創立者でもあるエリザベス・ストラトフォード。
では。提督没後、決定権を引き継いだ当時の鎮守府最上位者は誰か。
これも、実に単純であった。答え自体は潜らずともすぐに出る。たいした話でもない。
少なからず世界に影響を与える艦娘総括組織鎮守府、その継承上位者の内部データが顔写真から差し替えられているという、穏やかではない事態でなければ、だが。
こうなると、多くの戦力と象徴を失いその代表も戦死した後、鎮守府がさして混乱も見せず建て直しに成功していることも、ジャックとしては疑問の種となってくる。深海棲艦と財団が結託して艦娘組織へ攻め寄せた大侵攻。その最中の第二次反抗作戦後期に、この最上位者は殉職したと記録されているが、指揮系統が麻痺した痕跡も少ない。
引き継ぎ後数年で歴史より退場した、現在において価値のない、50年以上も前の者の内部情報。
知っているのも見咎められるのも断言できるのも、当時を生きて該当者と深く関わっていた睦月達くらいのものだろう。ジャックは睦月達のことを、艦娘達の実直さを素直に評価していた。彼女達の言を疑う気はなかった。
彼女達が思い出として持っていた、その人物の本当の姿が映った写真と、記憶の限りの情報。
□
トラック基地本棟に囲まれた中庭は、手入れされた少々の花壇と木製のベンチが添えられる一服所だ。
日の当たる室外でほんわかしたい艦娘がベンチに座り、少々の広さを使って簡単な遊戯をする艦娘が騒ぎ、別の建物へ移動するのに便利な通用路だった。
過去形で終わってしまっている話だ。
のんびりとできる時局ではなく、余暇も遊びあう絆もなく、利用者の少ない建物間に行き来はない。そこにいた彼女達は、もういない。
ただ、何事にも例外とはあるもので、黒髪のその女性はそのうちの一人だった。
正午にふらりと現れ、ベンチに腰を下ろし、普段は誰もいない中庭を眺めながら、作ってきた昼食を静かに口へ運ぶ。狭い島で嫌でも目に入る海よりは、ここは娯楽価値のある庭だ。
今日は珍しくも離れた席に男が一人座っていたが、彼女は認知する以上の感心は向けない。
先客である彼が席を立ち、近づいてきても。
その男性から声をかけられるまで関心を寄越さなかったが、声をかけられたとあれば無下には出来なかった。
「すまない、シーラ・コードウェルという女性を探している。ファットマン社でオペレーターをしているのだが、ご存じないか」
「ご用件は?」
「忘れ物を届ける依頼を受けてしまってな」
述べて、男は手にした白いレジ袋を掲げてみせる。
「いえ、わからないですね。申し訳ありません」
「無駄足は好きではないのだがな」
男が不服そうな表情を浮かべるので、彼女は小さな苦笑で返した。
そのまま立ち去るかと見上げる彼女だったが、反して男は断りの一言もなく女性と同じベンチに座ってきたので、さすがに怪訝な思いを胸にした。通常の職場に比べると鎮守府は女性比率が―――というよりは少女比率が―――極端に高いので、好色の人間が近づくこともないではない。
「あの」
「謀は不得手のようだな」
尋ね人の件は嘘と理解して、彼女は表情を固くする。
男、ジャックは懐に手を入れると、取り出した一枚の写真を彼女に差し出す。
それは、睦月達が大切に保管していた写真のコピーだった。在りし日の風景、数名の艦娘の姿が切り取られている。
所有者達曰く、これは2014年秋頃に到着した二名の艤装、及びその艤装を扱えるようになったことによる正式着任を祝った時のものだという。
この時着任した二名は艦娘部隊設立時より携わっていた者で、艦娘と言う組織にあっても中々に代替が困難な仕事を受け持っていた。一人は非戦闘艦であったが後方業務の中核であり、一人は戦闘艦でもあったが本営との連絡員という要職。両名は重要戦力として厚く防御され、生き延び、故に。
提督没後、他の大型艦娘と共に組織主要人物の一角となる。
正規空母や戦艦は、残った打撃戦力として積極的に戦場の負担を背負わなければならない。非戦闘艦のほうは、多忙の工廠から中々離れられない。
対して、彼女の能力で望まれた仕事は。
「辛かったろう」
仲間全員の命を預かる身分。全員の生を左右する身分。どれほど苦しくても、どれほど仲間が倒れても、後の為に生き続けなければならない責務。
互いに痛みを和らげられた睦月達と違い、彼女にとってはひどく恐ろしい時間だ。
「‥‥‥やめてください」
時には事務長の肩書きに便乗し働く、数十年前の写真と同じ姿で今ここにいる彼女は、少しばかり上ずった声で突き放しジャックから視線を逸らす。
彼女は強かった。悲しみに暮れるよりも前に、接触を図った彼に対しての嫌疑を優先した。彼女は鎮守府のすべてを知り、一連の謀りを行う実力と精神力があり、その言葉は鎮守府のすべてを動かす。各組織とのパイプも握っている。篭絡させたがる者はいくらでも出る。だから偽りに借りた名義を名乗り、隠れていた。
それを暴きに来たというのなら。
「何が目的ですか」
男の表情から何かを探れないかとまっすぐ目を向ける、戦える人間。ジャックが希望した通りの女性だった。
ジャックにも人間の心と感傷くらいはある。今すぐにでも彼女の腕を引っ張りあの基地へ連れて行き、懸命に生き続ける睦月達に引き合わせたいほどであったが、彼もまた困った事に、目的を優先できる人間だった。
「近々、鎮守府主要基地に対し、ACによる一斉強襲が行われる」
彼女は、驚き目を見開く。
「首謀者は、鎮守府の全面降伏と全権限の移行を要求する。彼は、艦娘をこの財団事件解決に当てるつもりだ。人類の為なら人の死を厭わない男だ。たとえ全滅しようとも」
「あ、あなたは」
「しかし」
写真を彼女の膝の上に置く。
「戦う意思を持つ者とはむしろ協調を望んでいる。鎮守府が財団に対し組織的抵抗を行う宣言を出せば、彼は協力を惜しまない。謀りの好きな男だ、面倒は投げてしまえばいい」
文字通りに、何物も惜しむつもりはない。
「恐らくは逃げ出す艦娘も出るだろう。だが、まだ諦めていない者達も確実にいる。苦しんでいる者もいる。進むには痛みを伴うが、進まなければ、その時は死ぬだけだ」
「‥‥‥」
「君の助力が欲しい」
秘匿基地にいる娘達は強者ではあるが、個人最強では意味がない。戦略において鎮守府を借り受けたいという段階にあって、組織運営能力と鎮守府把握力を持つ人材は替えがたいものだ。ここまで堪え戦ってきた者ならなおさらに。
黒い鳥が映し出されたディスクと自身への連絡用の携帯電話、そしてジャックの考えた大まかなプランを綴った手帳を入れたレジ袋を残し、ジャックは腰を上げる。
「回答期限は72時間以内とさせてもらう。君の判断を、待っている」
ジャック・O単体で出来る手は概ねやり尽くした為、鎮守府と言う発言力を得られない今はどうしようもなく待つしかない。暇潰しには、あの基地でF作業でもするだけだ。さして苦ではない。
彼女の決断を期待しながら。待つだけだ。
□
想定と言うものは、情報を仔細まで精査した上でないと現実と剥離する。そして人間が希望的観測という願望を持って想定すると、多くの場合「想定以上に現実が悪い」となる。
その点では自分もまだまだ、とジャックは誰に呟くでもなく胸中で呆れた。
安全と考え設定した72時間の待機時間で、状況は悪化した。
想定誤差のの要因は、主に三つ。
ひとつは財団。パラオを攻め落とした後インドネシアへ攻めていた部隊が中部太平洋へ後退、補充再編成。眼前の敵を放置し、チューク諸島へと進路を取った。何者かの意思を感じさせる行動だが、無人機と侮っていたジャックを鼻白ませるには十分であった。
ふたつ目は、壁として頼みにしていた4型と呼ばれているハイエンドACネクストが、賛辞に比して弱いことであった。
強い。他の型式に比べ、性能のすべてにおいて圧倒的であるのは疑いようのない事実だ。が、この4型AC。コジマ粒子なる特殊物質を用いた防御機構、及びそれを推力として使用することを前提に設計されていた。
そのコジマ粒子だが、重度の環境汚染及び人体生命への深刻な影響を指摘されている極めてよろしくない品。艦娘を少し雇えばいい場所へ、艦娘の寿命を削る兵器を撃ち込む気は起きなかった国家が使用禁止を発令している。艦娘が存在しなかったらどうする気だったのかの議論はさておいて、4型ACはその能力を封じられている。3型や5型ACでも手練れが数名挑めば、1機くらいはなんとかなるというほどの差に収まってしまっていた。
面白くはないが、これはこれで構わない。仮にプライマルアーマーなるものが使えたとして、それが状況を一変させたとして、汚染された大地を残して勝利では本末転倒だ。
みっつ目は、戦場が海であることをつい失念していた事。
ACにとって、天狗と河童と塗壁は天敵である。元来陸上兵器だ、海ではフロート脚でなければまともな行動が難しい。傭兵は皆がこぞってフロート脚に換装するか、半無限飛行ができる低燃費にするか、足場の存在が望める依頼を選ぶ。登録人数に対してタワー攻撃に充てられる数がかなり少ない上、重量制限の為に火力と防御力が犠牲になっている。
海ではやはり艦娘に分がある。タワーが洋上にある以上、彼女達の力は必要不可欠と言っていい。
NK-432。
鎮守府各基地の周囲には、特にトラック・ラバウル・パラオの主要防衛圏には、それを守る為のいくつかの洋上施設あるいは孤島を利用した基地がある。
これらは大侵攻以後、名目的には「哨戒負担軽減」「対海賊」「洋上補給」の、実質的には「大侵攻時に深海棲艦に加担した財団に対する警戒」として鎮守府資本により用意された防御施設である。地対空ミサイル、据え置き両用砲の集合地点。NK-432は、中部太平洋を睨む位置にあるトラック基地防御施設だ。
これを失う事は、トラック基地の防衛能力が事実上消滅することを意味する。
NK-432に降り立ったフォックスアイの内部で、ジャックは通信回路を接続する。鎮守府最終意思決定者に渡した携帯へ。
居留守を使われる事はなく、彼女は応対した。
「期限の72時間だ。君の答えを聞こう」
もしも首を横に振れば、要の海上基地もろとも攻撃し、降伏を迫る。
問いは終えた。後は、待つのみ。
長い沈黙だった。
長すぎる沈黙だった。
通話はまだ繋がっているが、返ってくるのは無言の空虚。
戦うことを放棄した人間だったのか。艦娘ならばと期待した自分が間違っていたのだろうか。ジャックは残念に思い。
「弱者は信用できんか」
呟き、通信装置を弄る。次の交信相手は弱者ではない。各基地及び洋上防御基地へ派遣したバーテックスのメンバーだ。目的は、既に定めていた通り。
鎮守府を破壊するつもりはない。しかし、現責任者の無力は周知させ引き摺り下ろさなければならない。
ジャックはACを戦闘モードへ移行する。
そこまで来て、責任者の声が通信されてきた。携帯通話ではない。オープン回線だ。
「鎮守府より、全鎮守府関係者へ。緊急のお知らせです。傾聴願います」
ジャックは、手を止める。
そして、待つ。
「財団からの攻撃。本件を財団事変と呼称しますが、本事変により、現在世界的に混乱をきたしています。財団よりの声明はいまだにありませんが、彼らが我々鎮守府を敵とみなしているのは明確と判断しています」
声はやや強張っていて。
「私は、この危機を乗り越える為に戦う事を決めました」
それでも彼女は確かに語り続ける。
「本件は、既に致命的状況です。すべてはここまで答えを先延ばしにした、私の責任です。除隊を希望する者は申し出てください。鎮守府は、あなた方の意思行動一切を無条件で受け入れます。
その上で、まだ私の言葉を聞いてくださる方々」
ジャックの手元にも、あるデータが転送される。
「現依頼送付システムでは、本事変に対処不能と判断しました。そこで鎮守府は、統合戦術情報伝達システムを開放します。これは、鎮守府より直接的に監視し、また各部隊が連携を取れるようにする為のものです。鎮守府の意思に従う意向がある方は、端末に送信したメールからリンク許可をお願いします」
「鎮守府は非常事態を宣言、現時刻を持って陣頭指揮を取ります」
士気を下げるような演説はどうかとも思うが、らしいといえばらしいのかもしれない。ジャックは、自身にも送られてきた送信元からのアクセスを許可する。
端末には、現在の部隊展開状況がすべて表示されている。青マーカーが、各艦娘部隊のF21Cヘリ及び艦娘艤装からの信号。
そのUI周りはこの世界の技術水準としては旧式ではあったが、アップデートを繰り返し構築されていることが窺える。3日の突貫工事で出来るものではない。元から用意していたか、大侵攻の時期に利用していた代物だろうとジャックにも推察できた。
そして。
その青マーカーが、次々に緑色へと代わっていく。
繋がっていく。
「‥‥‥!」
責任者の息を飲む声が、ジャックにも聞こえた。
システムリンクし、表示が書き換えられていく。緑色は、その証。五分と経たずに、一点の青マーカーもなくなった。
通話を繋げる艦娘達。そしてその一人、陽炎が、代表して声を上げた。
鎮守府なんてどうでもいいと語っていた少女。
「我々が知りたいのは、あなたの意思と、そして力です。試験の口上でしょ」
鎮守府の門をくぐった時から、胸に抱いている。
艦娘として戦う、意思。海を守り人を守る為に戦う意思。
心の底からどうでもいいと思っているならば、そもそも艦娘を志す事などしない。
「存外、わかりきっていた事かもしれんな」
ジャックも呆れる。艦娘達は、鎮守府の決断と具体策の提示を待っていたわけだ。誇りと団結。やはり彼女達は、傭兵にはなれない。
傭兵ではないが、傭兵と同じ、戦う意思を持つ者達。
「鎮守府司令と呼べばよいか。こちらはアドバイザーとして手助けする用意がある」
「ご助力お願い致します。今後の方針に何か変更はありますか」
「知らせた通りだ」
個人戦のレイヴンよりは、組織力を持つ艦娘が優位な面がある。戦力の選択と集中が可能である事だ。
各方面に散っている艦娘部隊をすべて引き上げチューク諸島に集結。臨時再編成ののち、トラック基地に浸透する部隊をファットマン社と協同して叩く。叶うならば全滅狙い。一時的にでも主導権を得て、後に繋げる。
ACは陸上用の兵器だ。海上防御施設を基点に陸上を好んだ傭兵を防備に当てれば、基地が襲撃されることはあっても、制圧されることはないだろう。帰る港を守る役目として、彼らの実力は十分以上である。
「異議、ありません」
「では始めようか」
個人が生きる戦いから、多数が生きる戦いを。