―――そこはほぼ真っ白な世界だった。
空も白、真っ平らな地平に一つだけぼんやりと何かが見える気がするが、やっぱり白。
空と地を隔てる一本の線だけが存在し、何もかもが白で構成されている、何もない世界。
それが……わたしの世界だった。
「…………」
それに……すごく、眠い。
眠くなっていく度に、わたしの真っ白な世界は……少しずつヒビが入り、壊れていく。
倒れることも出来ないわたしは、それを黙って見ていることしかできない。
壊れていくこの世界に、何か大事なものを忘れている気がするが気のせいだろう。
だって……この世界には何もないはずだから。別に壊れてもいい、なくなってもいい世界のはずだから。
「…………」
もう、このまま眠りたい。
眠ろうとすると、もの凄い喪失感があるけど。寂しく哀しく、胸が痛くなる気がするけど。
眠ってはいけない……そんな警鐘が鳴っている気がするけど。
やっぱり、眠いのだ。
わたしは胸の痛みを感じながら、そっと……目を閉じようと……
「……それでいいの?キミは本当に」
……したが、誰かの声が聞こえ、閉じかけていた瞳を開けた。
「……?」
いつの間にいたのか、わたしの目の前に、一人の女の人が、わたしに背を向けて立っていた。
わたしと同じ青い髪を後ろにまとめて垂らし、背中に変な模様の入ったマントを纏い、どこかで見たことのある剣を腰に吊っている女の人が。
この人がぼんやりとした何かだと思ったけど、そのぼんやりした何かはわたしのすぐそばで揺らめいているから、違う。
「お邪魔します……と言えばいいのかな?」
その女の人に誰?とわたしが聞くと、その女の人は“ひめ”と呼んでと言った。その後、ひめはよくわからないことを言う。
わたしは再び胸の痛みを感じながら、眠ろうとするも、ひめがそれを止めてくる。
「駄目だよ。キミが寝ちゃったら、この世界は完全に壊れてなくなっちゃう」
……どうして駄目なの?空っぽで何もない世界のはずなのに?
別になくなってもいい……世界のはず……
「……本当にそうかな?キミは今、泣いているのに?」
……泣いている?わたしが?どうして?
確かに目の端から一筋の涙があるけど、どうして何だろう?
「今、君が見えている隣の
ひめにそう言われ、わたしはひめが彼と言った、そのぼんやりとした何かに、眠気をこらえて目を凝らして見る。
そのぼんやりとした何かは、確かに人の形をしていて、紺色の髪を生やした銀眼の―――
「……あ」
その人が誰なのか、分かった瞬間、はっきりと輪郭が現れて揺らめきが消え、姿がはっきりとした少年を中心に、見慣れた教室の光景が、大事な友達とクラスメートの皆、教壇に立つ青年がわたしを見ている姿と共に広がっていく。
そして、クラスメート達の声が聞こえ、どんどん大きくなっていく。
「…………ぁ……ぁぁ…………」
わたしの目から、涙がぼろぼろと溢れていく。
何でこんな大事で、大切なことを忘れていたんだろう。
今はこの世界が壊れることが、彼に対して感じるこの暖かい気持ちが何なのか、わからないまま壊れることが、凄く、凄く、怖い。
「ほら?空っぽ、じゃなかったでしょ?……だから、寝ちゃ駄目だよ。頑張って」
「ん……」
ひめはそう言ってわたしを抱きしめ、優しく頭をなで続けてくれた―――
――――――――――――――――――――――――
グレン達が人里離れたどこぞの湖畔の岸辺に野営を取った場所から北へ五キロス。高く切り立つ崖の天辺のその淵瀬に、ウィリアム達は野営をしていた。が……
「…………」
ウィリアムは現在、苦痛に歪んだ表情で地面に義手の拳を打ち付けていた。
その理由は、グレンから送られてくる水晶体の映像にあり、その映像でリィエルがグレンを助ける為に無茶をして倒れたからだ。
グレンは新特務分室メンバーにほとんど脅しで模擬戦を申し込まれ、リィエルを手にかけることを匂わされた為、グレンはやむ無く模擬戦を受けることとなった。
その模擬戦で《剛毅》のファーガス、《太陽》のニコル、《節制》のシャルロッテにグレンは手も足もでずに一方的になぶられ、強大な概念存在―――
その後、イヴの同期にあたるらしい亜麻色の髪の少女―――《月》のイリアが割って入ったおかげでその場は収まったが、ウィリアムはリィエルに何もできない今の自分に強い憤りを覚えてこうなってしまったのだ。
「「…………」」
そんなウィリアムに何て声をかければいいのか、システィーナとルミアは互いの顔を窺い、頭を悩ませることとなり、イヴはやっぱり一人で行かせなくて正解だったと改めて思っていた。
もし一人だったら、後先考えずに彼方へと向かったことは容易に想像がつくし、一人ではなかったからこそ、こうして留まっていることも理解できる。
なので、イヴは本当に仕方なく、ウィリアムにガス抜きを施すことにした。
「全く、頭に血が上りすぎよ。いい加減おちつきなさい」
「…………」
イヴの言葉にウィリアムは一切答えず、無言で地面を殴り続ける。
「そんなだから、リィエルの尻尾を見境なく触ることになるのよ」
「………………。…………ッ!?い、イヴの先公ッ!?いきなり何を……!?」
全く関係ない筈の黒歴史の公開に、ウィリアムは最初は理解できなかったが、理解した瞬間、泡を食った表情となる。
「あら?我をなくして、リィエルの尻尾を触ったり、頬擦りしたり、顔を埋めたり、匂いを嗅いだりしたのはどこの誰だったかしら?」
「あが……あが……あが……ッ!」
イヴの容赦のない指摘に、ウィリアムは顔を真っ赤にし意味不明な言葉を洩らし始める。
「あの子もちょっと無防備だし、このままじゃ、リィエルが貴方に食べられるんじゃないかと心配になってくるわ」
「食べねぇよッ!?」
ウィリアムは必死な顔で即座に否定するも、二人の
「……どうやら相当進んでいるみたいね?」
「ッ!?違う!!あれは酒のせいであって、断じて違う!!」
「つまり、お酒のせいでそうなったということね」
「ッ!!ぬぁあああああ……ッ!!」
見事に自爆してしまったウィリアムは頭を抱えてその場でゴロゴロと羞恥で転げ回る。そんなウィリアムを、イヴは呆れた目で見詰める。
(ハァ……グレンといい、ウィリアムといい……男ってどうしてこんなに鈍感なのかしら?まぁ、リィエルもそこら辺の感情は薄いみたいだから、あっちも気づいていないでしょうけど……)
グレンから送られてくる映像には、勿論リィエルとのやり取りもあり、リィエルはか細い声でウィルから貰ったペンダントはどこ?とか、ウィルに会いたい。とか色々言っていたのもばっちり送られていた。その時点からウィリアムの顔は苦渋に歪んでおり、その後のアレで感情が爆発寸前になるのは、流石に責めきれるものではなかった。
その映像とガス抜きの会話で二人の無自覚な感情に気づく辺り、イヴの眼は確かである。だが、中立の第三者が見ればこう思うだろう。……それはお前もだと。気づいたら気づいたらで、また別の意味で大変となるのだが……今はいいだろう。
その後、リィエルの容態も比較的安定したことが窺える映像も見たことでウィリアムもようやく落ち着きを取り戻し、水晶体の映像に注視していく。本当はファムも使い魔にして探りを入れられるようにしたかったのだが、ファムの人見知り激しさ、ファムと交渉できる人物はどちらも交渉に行けない状態だった為、実現は不可能だった。
そんな事情はさておき、話を聞く限り、イリアもグレンの夢を支えた人物の一人のようだが、どこか違和感がある。それはイリアがグレンの
グレンはその
そんなトラウマに近いものを、本当に支えた人物があんな簡単に口にして話題にするのだろうか。勿論、向こうの内情なんて知らないのだから、ただの考え過ぎだと言われればそれまでだ。
だが、その答えはグレンからもたらされた。
「……グレン?」
「……?」
グレンから送られるイリアとの談笑の映像にシスティーナとルミアがもやもやする中、グレンから送られる音声に、時折、変な小さな音が交じっている。
この音をウィリアムが理解することは出来ないが、軍属のイヴはその音の意味を理解しているようで、モニターの映像を凝視し続けている。
後からイヴにその内容を聞くと、一見すれば奇妙な指示であり、同時に納得のいくものであった。
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