背が高いとはお世辞にも言えない綺羅ツバサにとって、人を大きいと思うことは他の人よりも多くあった。中学生になってバスケ部に入った時、先輩達はツバサよりも大きかった。試合を応援しに行った時、相手の学校の選手もそれは同じだった。
だけど、本当の意味で大きいと感じたのは高校一年生の春。GW一日目の映画を観た後の喫茶店。その時に感じた感情は大人になった今も決して色褪せていない。人を本当の意味で大きいと感じ、初めて尊敬の念を抱いたあの瞬間。
夢を諦めても尚、夢を生み出せる強さ。自分の夢を優先するより先に、人のことを考えられる尊さ。自信がなくても決してブレることのない断固たる決意。優しく惹きつけながらも、包み込んだら離さない絶対的な魅力。正道を志し、真っ直ぐな想いを誇りにして夢を叶えようとする姿。
スクールアイドルが広まることを確信した出来事。多くの人に語る未来を感じた稀有な経験。心が子供から大人へ成長する為に必要だった、あの日の思い出――。
何を言われたのかは分かった。でも、其れを理解するのを脳が拒絶した。だから間違いであることを祈るように聞き直す。
「それは駄目だと思うって、そう言ったのかしら?」
母に部屋の掃除をするように言われたのに、ベッドの上でゴロゴロしながら思い付いた至高の策略。万が一反対されることがあったとしても、相手はにこではなくあんじゅしか考えられなかった。
しかし、現実はそうではなかった。万を超えた確立。ありえない事態。理解の外からの強襲。絶句するというのはこういうことかと他人事みたいに感じた。ある意味で現実逃避の思考。
「うん。とてもいい案だとは思うんだけど、それじゃ駄目なの」
改めて言い放たれた言葉の刃。今度は流石に理解した。理解したけど納得できない。思い付いた後も結局部屋の掃除は母任せだったけど、それはそれ、これはこれ。この策略を否定される素材にはならない。そんな状況で生まれた案であることをにこが知る由もないのだが、冷静さを失ったツバサは気付かない。
「どこが駄目なの? 来年のスクールアイドルを育てながら、宣伝効果もあるのよ? 一挙両得じゃない。否定する理由を探す方が大変でしょう」
自身の策を否定するということは、やがて育つライバルの種を摘むという行為に他ならない。この策をしないことによって、大会の実行が卒業後ということにも成りかねない。そうなると中学時代と同じ、大会に出場するということが叶わず終わるということになる。あんな気持ちを味わうのは絶対に嫌だ。
「綺羅さんの作戦は凄い効果的だとは思うよ。でもね、それじゃあ駄目なの」
「何が駄目なのか教えてくれる?」
抑え込んでいるが声に少しの怒気が混じってしまったかもしれない。分かっていても止められない。納得いく理由を提示されなければ、この気持ちを落ち着けることはできない。
「スクールアイドルが広まった後に中学生が自主的にスクールアイドルを目指してくれるのはいいんだけどね、私達の都合の為にっていうのは駄目なの」
いつものにことは違って、声に芯が通っていた。それはツバサが今心に灯しているのと同じように、にこにも譲れない想いがあるということ。信念同士のぶつかり合い。
「広まる前と後で何か変わるとでも?」
「うん。スクールアイドルは三年間限定のものだけどね、中学三年間っていうのも同じくらい大切なものなの。三年生っていう時期は特に」
「受験だからって意味ね。それなら補足させてもらうわ。廃校が決まってる音ノ木坂は受験勉強の必要がないでしょ? だから音ノ木坂を受験する生徒を勧誘すればいいと考えてたの」
小さな胸を張るツバサ。なんでにこが反対したのかと思ったら、自分の言葉足らずが原因だった。圧倒的策略故に気持ちが焦っていた証拠。自分の頭の中で完結していることを、相手が分かってくれると思ってしまうとは猛省しないと。
「そういう意味じゃなかったんだけど。でも、綺羅さんは受験勉強をしなくていいからしない。そんな生徒がスクールアイドルの練習をしっかりとしてくれると思う?」
「あ、え、う」
大会成立への大きな一歩を踏み込んだと舞い上がっていて、至極当然の答えを見失っていたことに気付かされた。ツバサが中学一年の時、同級生の早い生徒は秋になる頃には既に幽霊部員になっていた。自分の野望の為にそういう子を勧誘しようとしていたのかもしれない。
もう一つの事実にも気付かされた。中学生の間にスクールアイドルを広める為だけの人材として考えていたのかもしれない。無意識だから許される考えかと言われれば否。先ほど感じた苛立ちがどれ程愚かな物だったのか。頭を鈍器で殴られたように頭痛が痛んだ。意味が重複するくらいの痛み。
「それにね、周りの友達が受験勉強真っ只中で自分だけ受験勉強しないでも平気。なんていうことはなかったよ。経験者だから言えることだけど」
にこの言葉に息をするのを忘れた。いくら舞い上がってたとはいえ、自分が言ったことは仲間であるにこを侮辱していたのと同意。努力・友情・勝利を胸に抱く身としてはしてはいけないこと。
「受験勉強があるなしは置いておいて、中学三年生が大切の一つが友達。小中と違って同じ学校に受からない限りバラバラになるでしょ? 地元が近くても親しくないと会う機会もなくなるし。一緒に勉強することも大切な思い出になるんだよ」
もはやツバサの口から「あ」の字も出てこない。
「私立の幼稚園や小中学校を受けた子を除けば、普通は初めての受験が中学三年生でしょ? そういう大事な物と向き合う時に邪魔をするようなことをしたら駄目かなって。この先に受験もしくは面接の際にあの時スクールアイドルの練習しながらも大丈夫だったから、これからも他のことしながらでも平気って思って失敗されたら嫌だし」
にこによるフルボッコターボ。自信満々だったツバサはもはや見る影もない。生まれてきてごめんなさいと思うくらいの自己嫌悪。正しくツバサのライフはもう零。掃除もせずにゴロゴロしながら考えた策の当然の結末。
自分の事しか考えていなかったツバサと違って、にこは真剣に勧誘してすらいなかった中学生のことを考えていた。にこの夢に対する誠実さとツバサの夢に対する野心の違い。身長はほんの少しツバサの方がにこより勝っていたが、人間としての大きさを見せ付けられた。凄いと思う人は何人も見てきたけど、心から尊敬の念を抱かされたのは初めてだった。
「最後になるけど、作る側が抜け道みたいな手段を用いたら駄目だよ。スクールアイドルが広まった時に笑われちゃうから」
駄々こねた子供を諭すように優しく微笑むにこ。恥ずかしくて涙が出そうになったけど、意地でその涙を堪えた。
「私とにこさんの進む道は正道。綺羅さん、あなたは一人で邪道を行ってなさい」
二人の真剣な話に水を差さず、終わった瞬間に茶々を入れるのがあんじゅ。泣きそうになってるツバサに同情したのかは微妙なところ。
「わ、私も正道を行くわよ。邪道を行くのは一、二回戦目の相手って相場が決まってるんだから」
「いたいけな中学生をかどわかそうとした人が何を言ってるのかしら。これからミスター邪道って呼んであげる」
「ミスよ! って、邪道なんて不名誉な名前で呼ばないで」
出掛かっていたツバサの涙は何処へやら。にこはいつものやり取りを見て、ツバサの意見を否定してしまった罪悪感が少し拭われた。
「どんな邪道な手を使って中学生を誘拐するつもりだったのかしら。インタビューを受けた場合はきちんとこう答えてあげるわ。いつか絶対にやると思ってた、って」
「やらないわよ。ていうかその言葉をそっくりそのまま返すわ。いざという時の為に電話帳に最寄の警察署と交番を登録しておかなきゃね」
「自首したからって罪が消える訳じゃないわ。地獄流しにあって反省しなさい」
「私はきちんとしてるから。それに死後があるとすれば天国よ」
直接言われてネタにされ、そうやって救われることもある。あんじゅの清々しいまでのいい性格に感謝しながら、ケジメはつける。
「矢澤さん……ごめんなさい。物事を深く考えずに自分勝手に考え過ぎたわ」
「ううん、こっちこそごめんね。私の勝手な思いに付き合わせちゃって」
「勝手だなんて、それは違うわ。正道こそが私達の歩む唯一の正解。そして、やがて現れる邪道使いを倒すフラグが立ったわ」
「フラグ?」
残念ながらフラグネタは不発だったけど、ツバサは満面の笑みを浮かべた。今度こそにこにも認められる正道の究極的策略を練ろうと心に誓い、やる気が漲ってくる。スクールアイドルは絶対に広まると確信した。
それから思う。にこは主人公だと思ったけど、違ったのかもしれない。これから生まれるだろう多くの主人公達を作り出す創造者。そんな存在と一緒にいるのだから自身の野望に溺れるなんてもうあってはならない。この三年間で大会が出来なくてもいい。
諦めないことが重要で、その時はスクールアイドルが輝ける大会を自分で用意してあげればいい。ツバサの小さな胸が大きく高鳴る。参加するのではなく、築きあげる。想像を絶する程の難易度。夢の前に多くの現実的、否! 現実『敵』問題が立ちはだかるだろう。でも、やがて輝く主人公達の為に頑張ろう。
大人になった自分が、今日この日の決意を、矢澤にこの尊さを語る。寝て見る夢より不確かなのに、確実に訪れる未来を感じた。全身に鳥肌が立ち、今度は我慢することも出来ずに涙が溢れ出した。悔しさや自分への羞恥ではなく、これから始まる大会創設者としての誕生の証し。
「自称凄くいい案が恥知らずの邪道だったと知ったからって、何も泣くことはないでしょう」
泣いてるツバサにも容赦はないが、呆れながらもハンカチを差し出した。聞き取りにくいお礼を返し、ハンカチを受け取り、止め処なく溢れる涙を拭っていく。
「綺羅さん、大丈夫?」
自分の所為で泣かせちゃったのかもと心苦しくなるにこだが、泣きながらも直ぐにツバサが否定した。
「大丈夫。これはこれから始まっていくスクールアイドルの歴史に感動しただけだから。私は、スクールアイドル世界の神になるわ! 『きら』なだけに!」
涙を止めようと茶化してみたけど、残念ながらフラグに続きこのネタも不発。違う意味で涙が増加した。思った以上に泣き続け、顔を洗った後に提案した。今度は邪道ではなく、親愛の証し。
「私達は同じ夢を志す仲間なんだし、苗字呼びはやめて名前で呼び合いましょうか」
綺羅ツバサが浮かべた見惚れる笑顔。当然ながらあんじゅの猛反対にあったが、それをにこが取り成して、三人の絆が呼ぶだけで分かるように深まった。
「綺羅星堕ちるべし。あなたの髪の毛一本すら地上に残しはしないわ」
「ひっ! 貸した漫画を全部読んでてくれてありがとう」
あんじゅからの威圧が増加したのは語るまでもない。あんじゅとツバサの溝が深まった……?