驚くべき事に、その盾はセイバーの宝具の直撃を受けてなお、健在であった。
だがそれも、持ってあと何秒であろうか。
それまでにマシュが宝具を展開できなければ、四人はあっという間に闇に掻き消されるだろう。
「うっ、くぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!?」
マシュは苦悶の声を上げた。
セイバーの圧倒的な力の前に盾が軋む。
──いや、軋んでいるのはわたしの心だ。
この盾は、ビクともしていない。
(押し負けそうになっているのは、盾を支えるわたしが弱いから……)
マシュ・キリエライトはデミ・サーヴァントである。
しかし彼女は、力を貸してくれた英雄の真名を知らない。
故に英雄そのものを表す宝具も使えないでいた。
自分には何が足りないのか。デミ・サーヴァントになってからずっと、マシュは必死に考え続けていた。
宝具を使わなきゃ、と考える程、答えが遠ざかっているような気さえする。
(使わないと、みんな消える──わたしがちゃんと使わないと、みんな無くなってしまうのに──!)
未だ宝具が発動する兆しはない。
(どうして──)
マシュはピシリ、と己の心がヒビ割れる音が聞こえた気がした。
※
藤丸立香は平凡な少年である。
彼は日本の地方都市に住むただの高校生で、何の変哲もない、けれど平和な日常を過ごして生きてきた。
ところがある日、ハリー・茜沢・アンダーソンと名乗る人物によってスカウトされは彼は「国連の仕事」をするためにカルデアにやってきた。
具体的にどんな仕事をするのか、そもそもここは何処なのか、お給料はどれくらい貰えるのか、そんなことすらもわからずに、彼はカルデアにやってきたのだ。今にして覚えば、魔術でなにか暗示でもかけられていたのではないかと密かに疑っている藤丸である。
そんな彼がカルデアにやってきたその日の内に異変は起きた。
突然の爆発。燃える管制室。沢山の瓦礫から突き出た、あちこちが折れ曲がった人間の四肢。
そして、瓦礫の下で血の海に沈み、死にそうになっているマシュ。
正直自分でもよく泣かなかったな、と思う。
まあ、その後藤丸には半分も理解できないなんやかんやがあって、マシュはデミ・サーヴァントになることで一命を取り留めたのだが。
いま、マシュはまた命の危機に晒されている。セイバーの宝具をたった一人で受け止めようとしている。
その圧倒的な力は、見ているだけで膝が震えるものだった。
心が折れそうだ。怖い。ここから逃げ出したい。
……だけど。
サーヴァントとマスターは運命共同体だと、キャスターは言った。
(……オレは、こんなところで一人怯えてるだけでいいのか?)
自分のことをマスターと言ってくれるマシュが、たった一人で頑張っているのに?
(マシュが頑張ってるのに、オレが弱気になってどうするんだ!)
藤丸立香は、震える膝に喝を入れて、恐怖から顔を逸らすのをやめた。
重ねて言おう。
藤丸立香は平凡な少年である。
それでも彼は、藤丸立香は歯を食いしばって、ほんの少し前に踏み出した。
(怖い!けど逃げない!マシュが全力を出せるように、オレにも覚悟が必要なんだ!)
藤丸立香の他人よりもちょっぴり秀でた所を敢えて挙げるとするならば、それは誰かの為に
※
オルガマリー・アニムスフィアは、マシュ・キリエライトに負い目がある。
マシュ・キリエライトはデミ・サーヴァント計画のために、カルデアにて生み出されたデザインベイビーである。
過酷な実験だった。率直に言ってしまえば、非人道的だったのだ。
その内容は、思い出しただけでも吐き気がするほどのものだった。
オルガマリーが、デミ・サーヴァント実験に直接関わった訳ではない。そもそも、実験計画の存在すら父の死後にようやく知った程である。
(けど、それでも。オルガマリー・アニムスフィアに、私に、責任がない訳じゃない)
父の罪。アニムスフィア家の罪。そしてそれは、私の罪。
父の死後に引き継いだ家督と、カルデアの所長職。それと共に、彼女は父の罪をも背負う事になった。
私がやったことじゃない。私に責任はない。私は知らなかった。自分が楽になるための逃げ道はいくらでもあった。
だがそれでも、彼女はその罪を背負った。
彼女はやや陰険で、口煩く、心に余裕のない弱い女であったが、目の前の困難から逃げ出すことは決してしなかった。
でもやっぱりその罪に耐えきれなくて、毎日毎日トイレで吐いた。
恨まれていると思った。いつかマシュが、自分を殺しにくると思った。けどそれは、仕方のないことだとも思っていた。
そんなオルガマリーだったから、マシュとはこれまで会話らしい会話もしたことが無かった。
(だって、どんな顔をして彼女に話しかけろというの?)
そう思っていた。
これまでは。
だがこうして、一緒にこの特異点を進むうちにようやく気が付けた。
マシュ・キリエライトは、この子は、きっと恨んでなんていないのだ。
それは彼女が底抜けの善人だからとか、そもそも自分の出自について深く考えていないからだとか、ではない。
彼女は自分の出自を、ただそこにある事実として受け入れていた。
絶望や諦観とは似て非なる何か。
オルガマリーには理解できない感情で、マシュは自分の運命を受け入れていた。
そして、それに対して何故か、本当に自分でも理由がわからないのに、オルガマリーは憤っていた。
(この子は、こんなところで死なせない。この子が死にたくないと思える、いつかその時が来るまで、絶対に生きてもらうんだから)
それは歪んだ感情だっただろうか?
わからない。だけどオルガマリー・アニムスフィアは、マシュ・キリエライトに死んで欲しくないと、その時強く願ったのだった。
※
「大丈夫!大丈夫だよマシュ!オレはマシュを信じる!だからマシュも諦めないで!!」
藤丸がマシュと共に盾を支える。
「マシュ・キリエライト!あと藤丸も!気合いを入れて、腹の底からこう叫びなさい!いいわね!絶対に生き残るわよ!!」
オルガマリーがマシュと藤丸の肩に手を置いて檄を飛ばした。
マシュは、絶望の淵に立たされて折れかけていた心が温かくなっていくのを感じた。
二人の言葉は、まるで魔法の言葉だ。
言いようのない全能感が身体を駆け巡る。
根拠なんて全くないのに、今なら出来ると確信できる。
(──守りたい。わたしは、この大切な人たちを守りたい!)
マシュの心の中で、何かがガチリ、と噛み合う音がした。
「──はいッ!わたしの背中、皆さんに預けます!仮想宝具、疑似展開!」
力の限り、叫ぶ。
生きたいと。ここで終わるわけにはいかないと。未来を見たいのだと。ただ世界に向かって叫ぶ。
三人の声が、一つになった。
「「「──『ロォォォォォォドッ!」」」
「「「カルデアスッッッ』!!!!」」」
──撃鉄が落ちた。
盾が青く輝き、闇に包まれた洞窟内を眩く照らした。
発動のためのトリガーとして明確な
マシュ・キリエライトの体内で膨大な魔力が駆け巡り、圧倒的な力場が周囲の空間すらも歪ませて、身を包み隠す程巨大な盾から放出される。
『
その力は、セイバーの宝具を押し返すには至らない。しかし、それでも。
盾から放出されている青い力場が、儚くも力強く明滅する。
闇色の奔流に徐々に削り取られながらもなお、その輝きは決して損なわれない。
それはまるで、マシュの願いに呼応しているかのように。
「ああ、ああぁあああ─────!!!」
マシュの絶叫が響き渡る。
踏みしめる大地はその力に耐えきれずに陥没し、力場の余波によって宙を舞った土塊は即座に闇に呑まれる。
そしてやがて、終わりが訪れた。
盾の生み出す力場が、役目を果たしたと言わんばかりに消えていく。
闇は退けられた。
そこに立つのは一人の少女。
未だ英雄でなく、されど仮初めながらも力を持った一人の少女は、見事彼の騎士王が宝具を受け止めたのだ。
「今よ!」
オルガマリーが叫ぶ。
「おうよ!よくやったなお嬢ちゃん達!後は任せな!!」
キャスターが不敵に微笑んだ。
「我が魔術は炎の檻、茨の如き緑の巨人。因果応報、人事の厄を清める社───」
キャスターが素早く詠唱する。
宝具解放直後のセイバーに、それを迎え撃つ暇は与えない。
「倒壊するはウィッカー・マン!オラ、善悪問わず土に還りな───!」
無数の枝によって組み上げられた巨人が、その全身に炎を纏いこの世界に顕現する。
炎の巨人は生贄を求め唸り、セイバーへとその全身を、質量と熱で構成された破壊の塊を叩きつけた。